2020/11/07

1499【困惑する政治の季節】アメリカでも日本でも政治的騒ぎ中だが、これは次元が低いのか高いのかどっちだろう?

 日本とアメリカで政治的な騒ぎが起きて、解決がどうなるのか興味津々。
 アメリカは大統領選挙投票の開票が大詰めの時にあり、共和党トランプと民主党バイデンが肉薄する最中だが、敗色が濃いトランプが、なんだか汚い作戦に出ている。そんなことして良いのかしら?

 日本での騒ぎは、菅首相が学者連中に喧嘩を売ってしまって、国会論戦が大賑わいだし、学者たちも各種学会も抗議する騒ぎになっていること。
 今日の「伊達の眼鏡狐乱夢」は、「学問と政治」の在り方について真摯に憂える同年の友人からメールに対して、わたしの返信メールの形で、この政治的騒ぎの感想を書いておく。


●●さん  20201107 伊逹美徳より
 おはようございます。あえて政治的な話をします。

 今朝もまだアメリカ大統領選挙は結論が出ないようですが、驚くのはトランプの傲慢な態度であり、そのせいで両派の対立を深める大騒ぎとなり、しかも次元がどんどん低くなって来ていることです。
 アメリカはコワイですねえ、これじゃあ、銃を使っての騒ぎが今に起きるでしょうね。トランプなる人物を国のリーダーに選んでしまう、アメリカの人々を恐れます。
 かつて戦争が終わった時に、幼かったわたしたちが学び始めたころ、そのごの日本を導いた民主主義を教えてくれたあの国は、いったいどうなってしまったのでしょうか。

 いや、もしかして、国を2分するようなことでも、平気で声高に罵り合うのは、それこそが民主主義なのかもしれません。そう、上院と下院の多数派がねじれているのは、まさに多様な意見を容認する民主主義の表れでしょう。その点で、絶対多数派が衆参両院とも占めている日本では、民主主義が未熟なのかもしれません。改めて思うことです。

 さて別の意味で次元が低い(いや、むしろ高いというべきか)日本の学術会議問題の件、貴兄の真摯なご意見に、心から敬意と賛意を表明します。

 それにしてもアメリカ同様に、こちらの政治リーダーも利口でないようです。
 会議側の推薦会員の一部任命拒否をした首相が言うように、本当に学術会議の改革を目指しての今回の処置であったとするなら、あまりにもへたくそな政治的方法であることに、政権の中のだれも事前に気が付かなかったのでしょうか。
 多様な意見を排除する反民主主義的思想が丸見えです。

 推薦通りに任命しておいても、必要とする学会の改革に取り組むことをできたでしょうに、奇妙な作戦だと思います。
 学者相手に喧嘩しても、学術研究費の配分権を持つ政府には従順に従って問題にならないと思っていたとしたら、たとえそれが成功したとしてもしても、なんともゲスな政治と思わざるを得ません。

 しかも、首相の国会答弁が重なるにつれてわかるのは、首相は実質的なところは何も知らなくて、手続きだけやっているとしか思えないことです。だから、人事に関することだから答えないと、わけわからぬことをいいって逃げるしかないのでしょう。ほころびるたびに、そこら辺にあったぼろきれを拾って繕っているのです。
 いまや官邸官僚が肥大しすぎて、力量の無い首相は官僚任せでもやっていけるのでしょう。

 わたしはTVを見ないので、国会の委員会中継を時々刻々とネットで見ていますが、あの首相の言葉を聞き態度を見ていると、実に人間として情けなくなり、それで腹が立つよりも、次第に気の毒になってくるのです。「やはり野におけレンゲ草」です。

 そして実は、わたしはそのような人物を選出した選挙区内の街に住んでいるのです。
 そしてまた、わたしがそれを知ったのは、新首相就任直後に近所の商店街にお祝いの意を表す大きな掲示が出たのを見たからです。
 そうです、その方の選出には、わたしも棄権という方法で一役買っていたかもしれません。反省するしかありません。

 それにしても、東西で騒ぎが起きて、ボケが進みつつある老いの日々に刺激を与えてくれ、ちょっとだけでもその進行を止めてくれるかもしれない政治、これは高齢者福祉政策かもしれません。

 ではお元気で。草々

2020/11/01

1498【2020年10月フェイスバカ狐乱夢まとめ】 学者相手に新首相大喧嘩その間にコロナ10万人感染

 わたしのフェイスブック(フェイスバカとも言う)とブログへの2020年10月分の掲載記事です。
 今月もコロナの話も多いのですが、それよりも新首相が日本学術会議の会員改選につき、会議からの推薦名簿の一部を任命拒否したことが発覚して、会議からの抗議に対する新首相の大真面目な超ドジ発言が嗤いものになっており、わたしの狂歌もはかどりました。

10月1日 <東西リーダー選出狂歌>
 アメリカのコロナは脳に来るらしい高齢候補よ気の毒にねえ
 日本ではどうやって決めたのだっけアメリカ流の激論したっけ

10月5日 <新首相政策狂歌>
 
電話代下げて役所はデジタル化なんて分りやすい政策だこと
 近いうちスマホを国民全員に支給して一元管理をします
 スマホなくPCは壊れ庶民にはアナログ隠居の日々こそよけれ

10月6日 <新首相学術会議人事狂歌>
  
おおそうか99人は総合的俯瞰的に見て御用学者か
  見おろせば無用学者が6人と御用学者が99人

10月7日 ブログ 【横浜都心の秋】
 
8年ぶり川俣正登場、地下に動物園、川べりに緑の広場、超久しぶり外飲み会


10月9日 <ショミンの味方スカ首相狂歌>
 科学者を懲らしめた次はぼろもうけケータイ業者をいじめてやろう
 学問もスマホもGOTOも縁がないこのわたしには何してくれるの

<核毒ゴミ埋設文献調査だけで20億円狂歌>
 ぜひお願いわが家の地中に核のゴミ埋めてもいいか調査だけして
 美しい北の国よ気がつけば皿まで食らって北核道とは
 最果ての地の底深き核のゴミその解毒を祝う十万年の後

10月10日 <拒否6人の名簿を知らぬという首相狂歌>
  
八年で官邸宦官肥大して首相の役目は捺印と朗読

10月12日 ブログ【伊達の眼鏡ブログ新記事:能「善知鳥」】
 
コロナで閉じていた横浜能楽堂が開き、野村四郎演ずる能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号、直撃はなかったがザンザン降り、今日の能の凄絶に似合う天候だ。もちろん能楽堂内は快適だったが、昔に見た野外能舞台でのこと、友枝昭世の善知鳥だったが、見所のこちらが舞台の演技さながらの責め苦に遭った能見物の思い出を記しておこう。能を観始めて30年、能楽師でも老いるのだなあ。


10月16日 ブログ【コロナ愚痴】
スマホなくネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居  https://datey.blogspot.com/2020/10/1495.html

10月17日 <コロナの街狂歌>
    夜目遠目傘の内でなくっても美人ばかりのコロナマスク

10月21日 【通じぬ日本語】
 安うどん屋に入る、一番安い「かけうどん並」を注文、店員「並でいいのですね」、「いや、わたしは並がいいのです」、「はあ?、並でいいのですね」、「いや、オレは並を好きなんだよ、バカにするなよ」「はあ?」、意味が通じない、会話にならない、店員に日本語教育をちゃんとしろ。

10月22日 【コロナ日本感染者10万人突破】
 ほら、よくあるじゃん、何かイベントとか遊園地とかって、入場10万人目豪華記念品贈呈ってね、わたしも人生最後にせめてそれを狙おう、ただいま日本コロナ感染累計9万5000人余。

10月23日 ブログ【中越大震災記念日】
 
今日は16年前、中越大震災発災の日であった。あの豪雪山村に通った日々を思い出した。新幹線に乗って通った棚田のコメ作り、あのコシヒカリは一粒いくらについただろうか。この後でも東日本とか熊本とかあちこち災害は起きたが、なんたってすごい災害は新型コロナウイルスパンデミック。長く生きているとろくでもないことに出会うが、貴重な体験をしていろいろ考える種が尽きない、これって自然が与えるボケ防止対策かも。

10月25日 ブログ【カメラとスマホ談義】
 
壊れたカメラの跡継ぎの新しいカメラ買ったけど今回も中古品、ブックオフにて税込み3080円、CanonIXY930is、ちょっとだけ性能が上の機種。スマホ無くてこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり。


10月27日 <国会新首相演説自助共助公助絆狂歌>
  孫自慢 じすけ・きょうすけ・こうすけ君・きづなちゃんもいる所信表明

10月28日 【今朝の新聞から:人体ナマ実験】
 
いやまあすごいなあ、野球場に3万人集めてゲーム観せて、コロナ感染人体実験なんてねえ、これじゃあコロナを馬鹿にするトランプを笑えないね、実はわたしもバカにしている、いや、コロナじゃなくてトランプをね、わたしも行ってみたいけど、野球には全く興味がない、入場料無料にしてくれないかなあ、人体実験参加する集団って、どんな人たちでどんな振る舞いするのか、そこに興味がある、行ってみたいなあ、これからコロナがなくなるまで、あちこちで人体実験イベントやるんだろうなあ、劇場でもやってくれえ。
 アーッ、わかったぞ、これってオリンピックへの布石なんだな、そう、オリパラも人体実験なら許されるんだな、うーん、見かけだけでもコロナに打ち勝つ大陰謀かあ、、。

10月29日 <新首相学者相手に喧嘩売る狂歌>
  そのむかし曲学阿世の徒と嘲りし学者嫌いの首相なつかし
  六人は曲学阿世の徒なればと応えあらぬは史記を知らずや

10月30日 <新首相いろいろ言い訳け>
 
たたき上げ学者がいない、秋田出身学者がいない、法政出身学者がいない、10代学者がいない、LBGT学者がいない、、うむ、タシカニ、、

<日本国内コロナ感染者ついに累計10万人突破>
 
記念に各世帯10万円再度支給ってあるといいなと思えど、これでは感染促進効果になるだろうなあ、それじゃあ10万人越えるごとに10%消費増税するっていかが、これなら感染抑止予防効果がありそうだ。

2020/10/25

1497【カメラとスマホ談義】スマホ無くてこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 数日前のこと、10年間使ってきたデジタルカメラ「Canon ixy 900is」が動かなくなった。後継の新カメラを買うかどうか思案していた。わたしがカメラ持ち歩くのは、単に記録のためであるから、機材が高級な必要はないが、カメラなるものを半世紀くらいは持ち歩いていたから、無いとなんとなく手持無沙汰である。

 でも、もう記録することもあまりないよなあ、それにガラパゴス型携帯電話機が壊れそうなので、スマートフォンなるものに買い替えると、その付属のカメラでいいよなあ、なんて思っていた。
 ところが引き出しの奥に、2004年に買ったわたしの最初のデジカメ「RICOH Caplio R1」があったので、ちょっといじってみると、なんとまあまだ動くし撮影できるのである。
 こいつは14年前に壊れたと思っていたのだが、いつのまにか蘇生したらしい。もっとも、ときどき死んだふりをするが、たたくと生き返る。まあよろしい。

 そこでスマホまでの中継ぎにと、この数日はそれを持ち歩いていた。その徘徊中に、伊勢佐木モールにある古本屋「book off」に久しぶり立ち寄った。もう本を買わないと決めて、この10年は古本屋にはめったに行かないし、特にブックオフに用がなかった。
 ところが、なんとまあ、そのbook offは古本棚が少なくなり、古着や古電機類がずいぶん場所を占めて古道具屋になっている。中古カメラもある、お、先日壊れたのと同じ機種あるかなと探す。

 じつはその壊れたのも中古品で買った。その前に「Canon ixy 900is」新品で買ったのだが、うっかり便器で水死したので、それと同じこの機種を古物電機屋で見つけて買った。同機種なら使い方知ってるから簡単と思ったのだ。新品なら13000円くらいが、それは9800円だった。

 今回のブックオフには同型はなくて、近い機種「Canon ixy930is」があった。その値段がなんと2800円(税別)、こちらのほうが壊れた中古900isよりも上位機種だが値段は3分の1以下、で、つい買ってしまった。
 ウーム、デジカメ中古ってこんなに安くなったのか。そうか、だれもかれもスマホだもんなあ。今やデジコンは廃れてしまい、高級品こそがデジカメなんだね。

デジタルコンパクトカメラ四代勢ぞろいの図

 というわけで、カメラはスマホで間に合わせようと思っていたのが、スマホの必要がなくなった。もちろん、スマホはカメラ以上の機能があるのは承知だが、今や私にはなくても良いような気がしていきた。このままガラパゴス方携帯電話機で、特に不自由を感じない。

 もっとも、携帯電話機が本当に壊れたらどうするか。スマホにするか、いっそのことスマホを持たないか。でもスマホがないとネット関係の各種登録に困ることになる。しょうがないからそおのときはスマホにしよう。あ、そのまえに持ち主が壊れるとスマホ不要だな。

 スマホを嫌いではないが、こうも世間で上から下まで「スマホ、スマホ」というものだから、生来のアマノジャクが目を覚ましてしまった。このまま持たないでいるのも、なんだか世間に対してひねくれ感が痛快であるので、突っ走ってみたい。

  ガラケーでこの世に生きていられるか人体実験やってるつもり

 世間であまりに流行するものにそっぽ向きたくなる。例えば、東京ディズニーランドに表門から入ったことがない。そのくせアナハイムの本家に入ったけどね。東京スカイツリーだって、足元まで行ったけど登ってない。テレビを見るのをやめて10年以上だ。

 実を言えば、ああいう小物電気玩具類を、昔からからけっこう好きだった。携帯電話機もわりに早く買ったが、スマホだってもう10年若いと喜んで買ったと断言できる。
 あ、そうだ、昔々スパイカメラというものを買ったことがあった。それはデジタル録音機とカメラが一体化して、手のひらに入る小さな奴で、デジカメ出始め頃のオリンパス製品だった。でも画素が少なすぎた。その前にはマイクロカセットレコーダーも買ったなあ、あ、その前にはポケコンも買ったなあ、持ち歩きワープロ通信もやったぞ。。

 さて、買ってきた中古キャノンデジカメは、小さく薄くなり、性能が一段とよろしい。この買い物が成功と分かったなら、次はPCの中古品を買いに行こうかな。棚にはいろいろと安物中古品が並んでいた。
 このbook off店はいつの間にか古本屋から替わって、古本も売る電中古品そして古着屋になり、総合中古品販売業とでもいうのになっている。もっとも、ここではいわゆる古書を売っていなかったように、骨董品を扱う気はないらしい。

 そういえば、このブックオフのある横浜伊勢佐木モールとその周辺地区には、ちかごろ目立って中古品を扱う店が多くなってきた。格好つけて「リサイクルショップ」なんて看板を出している店が多い。扱う中古品に店により一定のジャンルがあるらしいが、電気製品、家具類、洋服和服、身の回り品、おもちゃとか、あらゆる中古品があちこちに並ぶ。

 その昔クズヤオハラーイ当今は環境保全リサイクル事業

 それはそれで面白いとは思うし、貧乏人にはありがたい。古本屋巡りの楽しさ同様に、中古品屋めぐりというか、リサイクルショップツアーというか、わたしの日常徘徊ルート上にあるのだから、今後はこれに焦点を当てて廻ろうか。
 いっそのこと伊勢佐木モールも、「リサイクルモール」として売り出してはどうでしょうか。なんでもかんでも環境がテーマになる時代の、最先端を行く商店街として売り出してはいかが。要するに安物商店街であるけどね。

 それにしてもこのところ居酒屋が増えたなあ、薬屋が増えたなあ、老舗が減ったなあ、ユニクロとかダイソーとかマツモトキヨシとかドンキホーテとかって安売り屋が目立つ。
 横浜一番の繁華街だったこの街は、どうなっていくのだろうか、見ている分には、元町より中華街より馬車道より、変化がはるかに面白い、興味深い。(20201025記)

参照:わたしのコンパクトカメラ遍歴話一覧

◆2020/09/20 https://datey.blogspot.com/2020/09/1490.html
1490【デジカメの死】身の回り品物が次々と壊れて今度はカメラその次は持ち主自身だな

◆2015/11/21 http://datey.blogspot.com/2015/11/1146.html
1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】戦前から今日までの7個の古カメラをもう捨てようっと、、

◆2010/01/10 http://datey.blogspot.com/2010/01/227_10.html
227【怪しいハイテク】中古カメラを買った 

◆2012/01/20 http://datey.blogspot.com/2012/01/575_20.html
575コダックがつぶれるとか 

◆2010/10/30 http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

◆2008/07/08 http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ

2020/10/23

1496【中越大地震発災16年目】震災復興支援と言いつつ豪雪棚田過疎山村体験学習の日々

 今日(2020年10月23日)ツイッターに、「SAWADA Masahiro:澤田雅浩:新潟県中越地震から16年が経ちました。」なる書き込み発見、そうであった、あの豪雪山村の日々を思い出した。


棚田の山村に豪雪 2005年12月

 わたしはその地震の日に現地にいたのではないが、まちづくりNPOの一員として、被災山村集落「法末」に、復興支援の手伝いにはいったのは、その1年後の2005年秋からだった。集落は全戸避難していた。

 毎週末の訪問と宿泊からはじまり、年ごとに次第に間隔があき、訪ねるNPOメンバーも当初の20人ほどから次第に減ってゆき、10年目ころに支援活動は自然消滅した。もちろん集落は被災から立ち直った。なお、この間、2007年に中越沖地震に見舞われて、2度目の被災という事件もあった。

 この間、わたしたちが地域のためにできることは、物質的にも体力的にも資金的にも能力としては限られていたが、とにかく村の人々と密に交流することで、地域を持続するなにほどかの力になりたいの一心で通ったものだ。
 建築家たちは被災家屋調査して復興アドバイスした。都市プランナーたちはまちづくりならぬ山村づくりを、集落の人たちに学んだものだ。わたしは集落最長老から戦争体験の悲惨な話を個人的に聞いて記録した。

 震災前の村には100世帯ほどいたが、震災で全戸避難後に戻ってきたのは60世帯ほど、それを持続するのはかなりむつかしいことであったが、世帯減少しながらもいまも集落は存続している。
 支援仲間の一人が、集落に住み着いて農業者になったのが、わたしたちの置き土産かもしれない。彼のつくった農業会社に仲間たちで出資した。

 北国の農山村の四季景観の美しさと、その内包する人間の生活環境の厳しさ、その定常的な四季の移り変わりが、大地の大震動で破壊する大変化、実に貴重な体験をしたのだった。風土と人間について多くのことを考えた。

 わたしはアクティブな活動をしなかったのだが、思い出深い活動は、コシヒカリ米作りと茅葺小屋作り、そして集落人との交流だった。その集落を「法末集落へようこそ」に紹介している。https://sites.google.com/site/hossuey/

 そのころわたしが現地でやったことや考えたことを記している。
<ブログ連載中>◆中越山村の暮らし
中越震災から10年、復興した山里のこれから2015/0623
法末集落ののどかな初秋風景も人の営みには大きな変化が(2012.10)
自然環境に還る人文空間(2011.05)
豪雪の山村の風景を見て考えこんだ(2011.02)
山村の四季を愉しむ(2010.11)
中越山村の四季に驚き愉しむ
中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008
    (田んぼの中の足湯休憩所は集落最後の茅葺屋根)
中越震災復興の地で棚田米を作る2006-2007
中越山村・法末集落の四季(ブログ書込進行中)
法末の四季の動画(gifアニメ)
中越震災の山古志を訪ねた(2007)
   (法末集落の野信濃川対岸の山古志村の被災と不幸のこと)
小国と祖谷-自然と生活を二つの山村に見る(2005)
集落最長老が悲惨な戦場を語ったオーラルヒストリ-(2011)
   (集落最長老に聞いたインパール作戦の悲惨な戦場のこと)

 この後も東日本地震とかいろいろと震災は起きている。さらにすごい災害は新型コロナパンデミックである。長く生きているとろくなことに出会わないが、貴重な体験をしていろいろと考える種は尽きない。   (20201223記)

2020/10/16

1495【コロナ愚痴】スマホなくネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 コロナの話を記録しておく。ときどき記録しておかないと、後からわからなくなる。
 正しくは去年の暮れから中国で開始した大事件だが、覚えやすく今年からとしておこう。あれから10か月半、コロナのなんたって凄いのは、たったの半年ほどで地球上をほぼ制覇したことだ。パンデミックとはこのことなんだな、わが人生で出くわすとはねえ。

 しかもそのすごさは、先進国であるほど深刻な状況にあることだ。先進国なら大抵のことは科学的対応可能となっている筈だったが、ぜんぜんそうでないと分かったのだ。
 だが、どうやら人間の行為としての国家統治策に、コロナ感染具合が反映するらしいのが実に興味深い。台湾の天才的な行政官の腕であれほどに少ない感染者であったこと、大統領トランプのせいで世界で一番の感染記録を更新し続けるUSAなどなど、国家政策の裏が見えてきたコロナは、必ずしも天災ではないらしい。

 日本ではどうなのか。先進国の中では比較的に感染者が少ないのは、日本の政策が成功しているからだろうか、どうなんだろうか。そうとも言えないらしい。
 だって東アジア諸国は欧米などに比べて一様に感染が少ないのだから、何か異なる要因がある様だと言われる。例えばBCG接種である。

 そんなさいちゅうの8月の末、安倍晋三さんは前回と同じく持病を悪化させて突然に首相退任。要するに胃を痛くするようなコロナ対策の政治仕事がいけないのであり、コロナが辞職させたようなもの。
 アベノマスクとか全国一律休校とか、思いつき施策と評判悪かったからねえ、気の毒になあ。

  今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せてもいいのに

 そして跡を継いで9月に登場したのが菅義偉(カンギイ?)さん、この人は内閣官房長官としてジャーナリズムに評判の悪い受け答えの人だった。首相になってもあのままの姿勢でやるのか心配だが、ひと月経ってさえ隠れ懇談しかしない有様、大丈夫ですか、首相をやれるのかしら。言っちゃ悪いけど、人相からしてどこか裏方の策士の感がある。

  電話代下げて役所はデジタル化なんて分りやすい政策だこと

 と思ってたら、なんと、いきなりやったのが日本の学者全部を相手の大喧嘩、学術会議会員人選に口をだして大騒ぎ、あの陰気な菅さんがやりたいことはこれだったのかなあ、なんだか調子が違うよなあ、あのひとって学者と関係なさそうな、排除6人の名を見ていないというんだもんなあ、なんかヘンだね。

 思うに、安倍政権下で官邸官僚が肥大した結果、清朝のように宦官政治をやりだした感がある。宦官は学者嫌いなんだな。
 この人の親分さえわけのわからんコロナから逃げ出したのに、その後継ぎリーダーになって、表の人として対応できるのかなあ、今やなんでも宦官がやるからいいのかしら。

  俯瞰すりゃ無用学者が6人と御用学者が99人
  8年で官邸宦官肥大して首相の役目は押印と朗読

 さてコロナの話である。日本の感染状況のグラフで、現今は2回目の山が来ていることだ。1回目の山のときに慌てて緊急事態の戒厳令を出して、経済の超沈滞に懲りて、現今は山の第2回はGOTOだってさ。
 1回目の経験で防疫体制ができたとして、GOTOナントカって巨額の補助金をだして、旅やら買物やらイベント見物やらに行かせる施策の開始。
 なんだかあれこれとコロナを恐れない奴らを煽って、税金を使わせる動きである。



(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 今ではコロナが人間と人間の間で感染するってわかった。だからソーシャルディスタンシングってなんて長たらしいカタカナ言葉を使う。日本語には、その意味を的確に表す「疎開」って便利な言葉があるのになア。
 GOTOナントカは当然にコロナ感染を促進するだろう。その感染の健康リスクと、経済沈滞による貧乏リスクを天秤にかければ、とりあえず貧乏リスクのほうが予想しやすい。カネの出入りは眼に見えるが、コロナの出入りは見えないからね。

 さてさて、東京圏4都県が感染ワーストのトップ、次いで大阪圏3府県、そして福岡、沖縄、北海道と感染多数上位ランキングである。
 大都市圏がこれに入るのはわかるが、北海道と沖縄という南北の両端地域が入るのはどうしてだろうか、観光客が原因なのか、意外に東京圏との交流が多いのか。 

 では感染少数ランキングは、岩手、青森、秋田、山形の東北4県と、山陰の鳥取が二桁だが、じわじわと増えるのは仕方ないか。岩手と鳥取はながらく感染ゼロ競争していたのだがなア。他との交流が少ない県というか、元来が人口が少ないところである。
 なんにしても、コロナ騒ぎが終わったら、これらベストランキング県に移住を促すほうがよいだろうが、私のような都市隠居老人は、生活様式が違うだろうから、そうはいかない。 

 さて、他の国ではどうなのか。でたらめトランプのUSAと比較したってしょうがないけど、あそこは大変だね、あんな討論会を平気でやるなんてねえ、コロナのせいだな。

  アメリカじゃあ頭にコロナが感染か高齢候補者お気の毒さま

 でもフランスが大変らしい。第2波に襲われているとて、パリなどの主要都市ではいったん解除した夜間外出禁止を再開するそうだ。
 先進国なら科学の力で何とかする、なんてことはコロナにはないのだ。日本と比較して量的にはけた違いだが、感染カーブはフランスとよく似ている。日本GOTO大丈夫か。




(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 イギリスでもイタリアでもドイツでも、もちろんUSAでも感染者はどんどん増えるばかりなのに、日本の政策担当者はどこか楽観する雰囲気だけど、ほんとに大丈夫かねえ、誰も責任取れないな。

(2020年10月16日朝日新聞朝刊)

 わたしは楽観とか悲観とかじゃなくて、ちょっと冷徹に観察している。その根本には、ここまで生きたから、ここでコロナごときで死んでも、どうってことない、残念なことは何も無い、そんな生死感がある。
 これって結構多いような気がするのだが、どうだろうか。そう考えてはいても、これを大きな声で言うと、他人に感染させてもよいのか、家族を困らせてよいのかと、おおいに叱られそうだから、誰もいわないのだろう。

 だから冗談にして言うほかない。先日、半年ぶりで同年の友人と飲んだが、この話をして、更にコロナで高齢者がどんどん死ぬなら、それは結果としては高齢社会問題解決への前進になるよなア、おれたちが社会貢献するにはこれがいちばんだよ、率先してやろうぜ、なんてクダをまいたのである。まあ、率先することはたしかだ、何年先かわからないが。

 それにしても外を徘徊すれば、どいうつもこいつもマスクで覆面をしている。あ、わたしもしているんだが、これをしないと世の中が相手をしてくれないから仕方ない。
 このあとも長期にわたって覆面社会が継続すると、これが通常になる日が来る。素顔は素裸同然、うっかりマスク忘れて鼻と口を露出すると猥褻物陳列罪になるに違いない。
 服装における欠くべからざるマスクはどう進化するだろうか。そうだ、ビキニマスクとて超小さなマスクが出てくるだろうなア、はたしてそれでお色気でるのか。

 夜目遠目傘の内でもないけれどコロナマスクの眼だけに惹かれて

 香港では昨年だったかマスク禁止の法令が出たと聞いたが、コロナ下の現今ではどうしているのだろうか。西欧社会のどこかでは、イスラム教徒の覆面のような被り物の禁止をしていると聞いたが、そこではどうしているのだろうか。
 いっぽうで喜んでいるのは、泥棒というか犯罪者だろう、覆面を怪しいとされない世の中になったのだから。防犯カメラに映るのはは覆面ばかりで、警察は弱ってるだろうなア。いや、IT技術はマスクの下の人相さえも、だれどれと判別できる技術になっているかもしれない。

 閑居して不全をなすほどの度胸もカネもないので、役立たぬことばかり考えている。
 閑ならばせっかく税金を返してくれるんだから、例の強盗じゃなくてGOTOナントカをやればいいのにと、親切におっしゃる方がいても、それをやるに先立つ物が無い。それにね、予約なんてスマホやPCでネットを使うんだから、年寄りにゃ不便極まる。

 スマホ無くネット社会に見捨てられコロナも見放すアナログ隠居

 だってね、GOTOトラベルって旅費全部を呉れるのじゃなくて、半分しかくれないのだから、残りの半分を用意しなけりゃどこのGOTOだって行きようがない。不公平だぞ。
 そんなことするより、日本どこでも運賃宿泊飲食お土産代を半額にすればいいのにねえ、同じことだろうに、どうしてそうしないのかしら。よその国のどこかはそうしたって、新聞で読んだぞ。

 GOTO商店街とかって、地場の小商店で買い物するならば、あらかじめGOTOクーポン券とかを1万円買えば、13000円分の買い物できるよっていうのだが、その1万円が無いんだよなあ。これだって、商店の品物をなんでも3割引にして売ってくれればいいだろうに、なんでそうしないのかな。不公平だぞ。
 GOTOってのは、ようするにカネと閑のある奴のやることだね。

  半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
  カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo

 それで商店や観光業者が潤えば、それなりにコロナからの復興になるだろうけど、貧乏人にはなんの潤いもなでしょ。
 誰にも潤うのは、あの10万円給付金方式だよな、あれなら平等だ。観光業者の従事者、商店の経営者も従業員も誰もが潤うでしょ、なんでそうしないのかしら。GOTOに投入する税金を、こちらにいれてくれよ。少ないながらおれだって所得税を払ってるんだから、あの10万円で終わりってことはないでしょ。

 ああ、だらだら愚痴を書いたなア、おろおろ日録だからソレデイイのだ。(20201016)

参照「コロナ大戦おろおろ日録https://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/10/11

1494【能楽見物】野村四郎の能「善知鳥」を、四半世紀前の友枝昭世のそれを思い出しつつ観てきた

 
 コロナはまだ許してくれないらしいけど、人間のほうの都合でリスク承知でイベントをやることになったらしい。遠くに行くのはもう面倒だけど、近くで野村四郎が舞うなら何が何でも行くぞ。

 再開の横浜能楽堂で能「善知鳥」(うとう)を観てきた。折しも台風14号がやってきて、直撃はなかったが外はザンザン降り、善知鳥のような陰気な能に似合う天候だが、能楽堂の中は快適だった。それで思い出した、昔見た善知鳥のことから書いていこう。

●友枝昭世の善知鳥

 あれはもう4半世紀も昔になるだろうか。そのころわたしは能見物に凝っていて、週に一度以上は渋谷・松濤の観世能楽堂に行ったものだ。
 それは靖国神社境内の野外能楽堂でのことだった。境内は桜が満開、夜桜の演能の会に善知鳥を演じたのは、友枝昭世だった。あの陰気な善知鳥を、桜花の下で演じるとは、、。


靖国神社野外能楽堂

 ところがその夜はしんしんと花冷えであったのだ。それを予期せずに観に行ったので、震えあがった。あわてて買い求めた熱いコーヒー缶を抱きしめながら、それでも震えあがっていた。
 この能の面白いのは後半からだが、そこに至るまでの退屈なる寒さに弱りきった。

 ようやく後半の見どころカケリに至ってから、友枝の演ずる両氏の苦しみに見入って寒さを忘れる。だがハッとしてまた震える。ふと見上げると夜桜が満開、氷の山に思える。
 また舞台に目を転じて寒さを忘れる、また震えが来る、それを繰り返していた。まるで舞台上に舞う亡者の責め苦と符合しているようだった。

 亡者となった漁師が、善知鳥の化鳥に襲われて狂気の舞を続けている外の浜は、北国の極寒の地とすれば、あるいは高山の冬の立山地獄とすれば、これがそうかもしれぬ。見物のこちらもその極寒地獄の気分であった。いつでも逃げ出す自由はあるのに観続けた。
 友枝昭世のキレのよい責め苦の舞は、咲き誇る花の極寒地獄の夜に凄絶に広がり、やがて橋掛かりの闇に溶けていった。

 これまで善知鳥を3回見ているが、その友枝の善知鳥の極寒記憶が強烈で、他の記憶がない。今日の善知鳥は台風のさなか、花冷え能のように見所に嵐が吹きこむはずもないだろう。だが、心としては風雨の責め苦のなかの善知鳥を期待していたかもしれない。
 今日のシテはは、20年も稽古してもらっていた名芸能者の野村四郎師である。

●野村四郎の善知鳥

 ここから今回の能の話。横浜能楽堂の入り口でチケットもぎりをセルフサービス、手指を消毒、検温してもらい(34.6度とは低温だ)、見所に入れば椅子は一人おきに座るという、コロナ対策万全、もちろんマスク無しでは入れてくれない。ほぼ満員のようだ。


横浜能楽堂

 歌人・馬場あき子の善知鳥にまつわる歌枕の話から始まる。いつものように、自筆プリント配ってくれる。歌人だからとて達筆ではない。
 ここで彼女の話を聞くのは何回目だろうか、元気で素敵な老女だ。その話は興味深いのだが、もう少し時間をあげて話を奔放に広げてほしい。

馬場あき子講演テキストの一部(20201010横浜能楽堂)

 能・善知鳥が始まる。ずいぶん久しぶりのような気がした。後で日記を調べると能見物は2018年11月以来だった。その間に劇場に行かないことはないのだが、オペラ、歌舞伎、文楽、演劇、映画などあれこれ浮気している。

 コロナ対策だろうが、地謡が5人で横一列に並ぶ変則である。地頭は浅井文義、この人の謡は昔はヘンに震えていたものだが、今回はそうでもなかったのは、年取ったせいか。野村昌司も中年になったが、人相が悪くなったみたい、四郎似ではないなあ。

 笛は一噌隆之が体調悪くて代演は一噌幸弘、このひとは上手いのに能で聞く機会がめったになかったので代演を歓迎。あちこちで能楽の外で活躍するので、能の世界から疎んじられるのだろうか、惜しい。
 ワキは工藤和哉、久しぶりにみるとずいぶん年取った。身体が微妙になよなよする癖はいまだにある。

 後見についたのが寺井栄、この人も久しぶりに見て、はて誰だっけとプログラムを見て、昔よく見た記憶にある顔からずいぶん老けているのに驚く。もう20年も前だったか、この人がシテの「紅葉狩」を見た記憶がある。

 シテ野村四郎のほかで記憶にある人は、大鼓の国川純だけで、わたしが見ていた能界の人々は次世代に移っている。
 わたしが能楽をだ観だしたのは、野村四郎氏師に謡の稽古をしてもらうようになった1991年からだから、自分も能楽師も年取るのは当然だが、舞台芸能者はわたしとは違う人種と思っているから、その老人ぶり容貌に驚く。

 シテの老爺が登場してきたが、野村四郎も声が老いた。謡を教わっていた頃のほれぼれする美声は求めるべくもない。
 では芸はどうなのか、これは素人にはよくわからない。それを評する能力はないが、あの夜桜の下で震えながら見た友枝昭世のキレ良い動きを思い出しつつ見るのだが、。

 ところが、後場の常座で絶句、後見が背後に近づきプロンプター、そんなこと野村四郎で初めて観た。こちらがうろたえ、またあるかもと気が落ち着かないが、幸いにそれだけだった。昔、何度も絶句の超高齢プロの能に困惑したことがあった。

 善知鳥の漁師は、能でよくある最後に仏に救われるのではなくて、救いを求めつつも苦悩のままに消えてゆく。
 終って外に出ると、シテの責め苦の続きのように、一段と激しい雨が降っていた。

(20201011記)  

2020/10/07

1493 【横浜都心の秋】8年ぶり川俣正登場、地下に動物園、川べりに緑の広場、超久しぶり外飲み会

 横浜にアートの秋が来て、近くの展覧会場に親友FJの絵を観に見に行った。ようやくイベントも開催できるのはよいのだが、肝心のその絵を描いた親友は持病があるので会場に来ることができないという。1年ぶりにその顔を見る代わりにその絵だけを見てきた。 

 そして近くで開催中の「CREATIVE RAILWAY 駅ART」なる現代美術展会場を覗いてきた。久しぶり(この前は2012年だった)に川俣正インスタレーションである。
 「都市への挿入」とて、完成した建築空間に、工事中を装った仮囲いを仕掛けるというのである。8年前には大きな倉庫建築の外にいくつもの木枠のようなものを取り付けていた。そう、思い出すと建築家の隈研吾が、本物建築に簀の子をべたべた張り付けるのに、姿だけは似ていなくもない。



 今回の川俣のインスタレーションは、BankART Temporary(YCC横浜創造都市センター)では、外壁の一部に仮設用の足場を組んで、鉄板囲いを取り付けている。鉄板が鎧のようにまとわりついて見える。数年前にBankART NYKで木枠を使ってやった方法の延長上だが、今回のほうがおとなしい。
 川俣の構想段階らしいスケッチをみると、その範囲がかなり縮小したのはどうしてなのだろうか。ちょっときれいに収まり過ぎている。


「都市への挿入」passportより引用
(これと比べると実際にできた作品は妙におとなしい)

 そしてこの様式建築の丸い先端部だけに工事用足場と鉄板を被せたのを見て、ひょいと思い出した。この昔の旧第一銀行横浜支店の建築(1929年)は、今は道路になっている近くの場所からここに曳家してきて復元保存したのであった。

 だが実は全部を曳家したのではなくて、今回の鉄板囲いのあるところだけを曳いてきた。その他のホールのところはコピー再現建築で、東京駅に3階部分と同様である。
 わたしはその昔、この曳家している現場を見たことがある。蒲鉾を立てた姿の石の建築を、鉄骨で補強してそろそろと引っ張って、何日かかけて持ってきた。

 そして人々にその曳家の記憶を引っ張り出させる仕掛けだったのだろうか。まあ、そんなこともないだろうが、わたしはインスタレーションの一つの力に気が付いたことだった。

 ホール内部の天井に同じ鉄板囲いを吊っているのだが、これもどこか整っていて、インスタレーションの持つ破壊感に乏しい。
 この吊り天井を観つつ思ったのは、今ちょっとした地震が来ると、鉄板と鉄板が大いに揺れぶつかりこすりあって火花出しつつ、ガチャガチャキイキイギシギシ大音響がこのホール満ちる、という怖いこと。インスタレーション見物冥加に尽きるだろうなあ。

 隣のビルから地下電車の馬車道駅コンコースに下ると、そこもインスタレーション会場。川俣の鉄板アートもあるが、「えきなか動物園」とて、いろいろな作家の動物造形が、たくさん放し飼いにしてある。一つ一つ面白い作品だ。

 川俣の搭状の鉄板インスタレーションは動物園のシンボルタワーか、妙に小ぢんまりとまとまって窮屈そうな造形だ。そうか、この鉄板塔が地上に飛び出して建物にまとわりついて、先ほど見たYCCの鎧となったのか、そしてそれがまた姿を変えてホール内の天井を飛ぶ鉄板絨毯になっていたのか。いや、ヘンに論理的に考えてると、川俣作品がはつまらなくなるな。




 なかには寝そべるホームレスタイプの動物がいて、その顔が人間の映像で妙にリアルすぎるのがおかしい。
 同時にまた、本物らしいホームレス人間が、動物たちと共に片隅に座っている。二つの傘広げて並べて、その陰で中年男が弁当を食っているのだ。
 あ、そうか、リアルっぽいけど、これも動物園の展示作品だな。あるいは作家自身による肉体インスタレーションかもしれぬと、近づいてみる。あ、生身でリアル過ぎる。

 後で会場案内係らしい若い男に訊いてみた。
「あの動物と一緒にいる傘の陰の男の人も、川俣さんか誰か作家の展示作品ですよね」
「ちッ、ちがいます、全然関係ありませんッ」、そうムキにならなくてもいいのに。
 どうせなら、いつも居るあのホームレス男に出演料を払って、展示作品になってもらえばいいだろうに。

 アート見物の後は、地下からエスカレーターを登ると、新市庁舎のアトリウムにいきなり飛び出すのだ。こんな広い高い天井の下の市民用フリースペースは凄い。適当に離れた椅子テーブルで、だれもかれもがくつろぎ、幼児もいる。PCで仕事をしている奴もいる。

 市役所本体は3階から上で、入るには入り口で申請してカードをもらい、それの自動改札機がいくつも並んでいて、なんだか極端に垣根も敷居も高いところだよなあ。
 それにひきかえ、1,2階は自由に入ることができるのがよろしい。市民情報施設、郵便局、銀行、横浜土産物屋、本屋、薬屋、喫茶店、レストラン、飯屋、飲み屋、フードコート、コンビニストア、スーパーマーケットなどなどあって、ここは商店街か。

 何よりわたしが好きなところは、大岡川沿いに大きく広く開いた水辺の段々広場である。このあたりは河川運河の水辺なのだが、それを生かした民間開発はひとつもない。横浜市がお手本を見せたのだろう。さすがである。
 樹木が大きく育って、春は花見、秋は紅葉との定番遊びの地になるといいなあ。

 ここには徘徊にしょっちゅう来るのだが、1階のユニオンで缶ビールとつまみを買って水辺の椅子でゆっくりの休憩だけ。でも今日は、友人ISと来たので、2階の居酒屋でビールと刺身で乾杯、ちょっと高くついた。まあ、1年もコロナにさえぎられていた友人との再会だからいいだろう。

 あ、そうだ、もう一つ思い出した。この新市庁舎は都市再開発法による市街地再開発事業
(1990年都市計画決定)の一部であるはずだ。隣のアイランドタワー(その一部である先ほどの川俣インスタのあったホール部分も)も含めて、住宅・都市整備公団(今のUR都市機構)施行の北仲通り南地区第2種市街地再開発事業となっていた記憶がある。調べたら1990年に事業の都市計画決定していた。

 ただし、この新市庁舎の敷地部分の建築は長い間決まらなくて、アイランドタワーとは工区を分けて事業することになったようだ。市庁舎移転がやっと決まったことで、第2工区のこちらの事業が再開、横浜市を特定建築者とするUR施行の再開発事業となり、今回の市庁舎完成でようやく再開発事業の完了公告を出したのだろう。
 最初の都市計画決定から数えると、なんと30年間という長期事業、いやまあ、どうでもよいのことだが、ちょいと昔を思い出した。そうだ、第1工区分のアイランドタワーは再開発事業としては珍しい保存型開発で、ちょっと評判になったなあ。(20201007、1009追記)

2020/10/02

1492【街杜散人9月FB日録狐乱夢集】今月は首相交代劇とコロナ禍劇が競合して面白くて狂歌づくりが捗ったなあ

9月1日【自民党親分交代劇狂歌】
 アベ退任二度ある政権三度ある三度目の正直カイケン怖い
 「第3次安倍内閣まで待ってます」新型コロナウィルス敬白

9月3日ブログ【伊達の眼鏡ブログ新記事:映画「はりぼて」】コロナ鬱を晴らそうと可笑しな映画を見てきた。頭も腹も尻尾も腐りつつある市議会議員たち、その喜劇的振る舞いの逐一を映像にされて、見ているこちらが恥ずかしくなるが、ご当人たちは恥と思うかどうかさっぱり分らないこの映画、作ったのは地元テレビ局の報道部門、さてこの状態が今後も続くのかしら、選挙民はどうするのかしら、テレビ局は大丈夫かしら、なんだか国会議員たちにもある感じ、あやしいなあ、。https://datey.blogspot.com/2020/09/1487.html

【2連続台風来襲狂歌】
 夏冬に台風と寒波のお下がりを贈り贈られ列島と半島
 列島をはげしき野分すぎゆきぬそのゆくさきに思ひはせなむ

【自民党総裁候補者紙芝居】じすけ、きょうすけ、こうすけ、3人の孫の名前ですか。去年自慢してたのは「れいわ」ちゃんだったよなあ。

9月6日【都道府県対抗コロナレース状況】当初の「ゼロ人レース」は、岩手と鳥取が最後まで競って岩手県が優勝、その後の「最少レース」は鳥取23、岩手22で、やはり両県がトップ争いを続けている。えらいもんだねえ。

9月8日【自民党親分交代劇狂歌2首】
 見渡せば花も紅葉もなかりけり自民総裁候補の顔ぶれ(低家)
 心なき身にもあまりと知られけり 菅立つ際の飽きの夕暮れ(東行)」

9月10日【首相交代狂歌】 
 たはむれにアヘを背負ひてそのあまり
        軽き言動ゆえにぞ八年も保ちたる
 多派群れてスカを背負ひてそのあまり
        軽き理念ゆえにぞ八年も保つかも         

9月13日【コロナ禍対策GOTO狂歌】
 半分を出してやるからGoToといわれてもあと半分がない
 カネとヒマ体力気力ある奴がわが納税を強盗GoTo
 GoToに行けぬ貧者が行く富者を税で支る弱肉強食

9月15日【野党再編異聞】新型立憲民主党、新型国民民主党、新型コロナウィルス、在来型自由民主党、ふ―ん

9月18日【菅首相登場狂歌】
 菅政権2011年は核の毒2020年にはコロナの毒降る
 これがかの半島の国ならばそろそろ司直の手が入る頃か
 今こそは犬を抱いてコーヒー飲むネット画像を見せてもいいよ

9月19日【新首相は「絆」好き】絆の本来の意味は、馬や犬や鷹などを逃がさぬよう括り付けて繋ぎ留める綱のこと(広辞苑)。菅さんは人間を動物なみに拘束する政策をやる気、不気味だな

9月20日ブログ【コロナの秋】世界感染3千万死者95万人、日本感染8万死者1500人、コロナますます繁盛http://datey.blogspot.com/2020/09/1489.html

9月24日【世界で影響力ある100人】USAのタイム誌の今年の世界で影響力ある人物100人選定に大坂なおみと伊藤詩織が入ったと、日本ジャーナリズムはまるで表彰された様に書いているが、タイムのサイトを見ると、DONALD TRUMPとかXI JINPINGとかもいるよ、「世界で悪影響力」も含む100人リストアップしたってことなんだね

9月25日【行政改革先駆省狂歌】
 押印の廃止とっくにやってるよ法務省では口頭決済 

9月27日【ブログ覆面社会到来】遠い昔の幼児の頃のわたしの記憶に、黒いマスクをつけた父の姿がある。黒いソフト帽をかぶり、黒いインバネスコートである。黒マスクは、顔から突き出した立体的形態で黒いビロードに包まれていた。幼児のわたしが触っても型崩れしなかったから、金属あるいはセルロイド製の網で形状を作り、その上にビロード布を張っていたのだろう。コロナ禍の未来、覆面社会を妄想するhttps://datey.blogspot.com/2020/09/1491.htm」

【わたしのGOTOにも半分補助して】これ(旅行新聞広告)があの有名なGOTOトラブルかい?、旅費と飲食・お土産代(地域共通クーポン券)合計の半分を税金からくれるんだね、税金が戻ってきて嬉しいな、ところで、わたしは近いうちに勝手気ままな旅に行くけど、帰ってきてから旅費と旅先での飲食や買い物の領収書を持ってどこに申請すれば、その半分を税金から呉れるのでしょうか?、また東京での展覧会の見物に行くつもりなんだけど、これもGOTO居弁当とかで、入場料とか電車やタクシー代とか昼飯代とか、総額の半分を補助してくれるんでしょうね、どこに領収書を持っていけば呉れるの?、

 まさか旅行屋に頼まないと呉れないってことはないよね?、そんな面倒なことしなくて、その予算使い尽くすまで、その場で半額払いにすればいいのにねえ、もとが税金なんだからだれのGOTOにも公平分配するべきだよね、どうなんですか?、

2020/09/27

1491【コロナ禍の未来】覆面社会の到来を妄想する

 地球上で一向に収まらないコロナ禍、2020年9月末で地球全体で感染者累計約3300万人、死者約100万人、日本では感染者約9万人、死者約1600人。
 ヨーロッパでは再び上昇気味とか、アメリは勢いが衰えつつもまだ上昇中、南アメリカ諸国もなかなかすごい、そしてアフリカの状況がわかりにくいとか、ワクチン開発はまだらしいとか。

覆面・MASK・マスク・おもて・仮面

●マスク群衆社会の出現

 さすがパンデミックはすごいもんだ。わたしは今、世界の歴史的大事件に立ち会っているらしいが、長生きはするものである。いや、その逆か。
 とはいっても、実のところはわたしの身辺には、マスコミニュースはあれども具体的にそれらしいことは何もない。それはそれで結構なことだが、コロナの実感がわかなくて当惑する日々だ。
 とにかく目に見える何かが社会の起きてるだろうと、野次馬でちょくちょく都心風景見物に行き、一時の人出激減風景には驚いたが、今やコロナ禍前と大差ない風景である。でもコロナ禍最中であることは間違いないのに、、。

 これほどの大事件なのに世の動きが見えない。もちろんいろいろと企業経営は大変らしいが、目には見えない。かといって夜の街に探検に行くほどの、冒険心ももの好きでもない。
 しかし、そういうわたしにも見えるコロナによる大変化がある。それは、街行く人々のだれもかれもが、布マスク着けていることである。こんなにもマスク群衆社会は生まれて初めて出くわしている。
 これしか目に見えないから、とにかく目に見えるマスク群衆風景について、妄想を働かせているのである。マスクの歴史と将来について考える。と言っても一般的調査はしない。

 まずは自分の記憶だけの歴史として、昔はマスクはどうだったか思い出してみる。
 遠い昔の幼児の頃のわたしの記憶に、黒いマスクをつけた父の姿がある。黒いソフト帽をかぶり、黒いインバネスコートである。それが記憶にあるのは、子供心にもマスク姿が印象的だったのだろう。

 その父の黒マスクは、鼻から突き出した感じの立体的形態であり、黒いビロードに包まれていた。幼児のわたしが触っても型崩れしなかったから、金属あるいはセルロイド製の網で形状を作り、その上にビロード布を張っていたのだろう。着用時に顔面に当たる内側に布を沿えていた。それがそのころの一般のマスクであった。こんなことは、こんな事件がないと思い出すことはなかっただろう。

 もう一つの印象的なマスク姿は、1970年代の東京では、道行く人たちの多くが白い布マスクだった。そのころ主に自動車排気ガスを原因とするスモッグ公害があちこちで起きて、マスク姿が多かった。
 今のようにだれもがマスク姿ではなかったが、それでもそのころの東京でのマスク姿の多さを、外国の新聞が不思議で異常な風景として紹介する記事がでたと、日本の新聞が報じたことがあった。

●マスクの変容

 さて、日本では時にはマスク姿が出現したものだが、これほどにも長期にわたり、世界中に流行したことがあるのだろうか。100年前のスペイン風邪の時はどうだったのか。
 人間が身に着ける衣類は、気候風土や文化によって地域別の違いがあるだろう。それが半年ほどの間に、一気に同じ姿になったのは、さすが国際化時代である。
 しかも顔という人間の姿の核心ともいうべき位置を、ほとんど同形の衣料で覆い、世界中の人間が同じマスク姿になったのであるから、これは歴史的事件である。

 今はとにかくマスクをつけてないと、まるで異端者扱いで、店にも図書館にも入れてくれない。スカスカの布切れでも、とにかくマスクをつければ、世の中に通用するのである。
 これをマスク社会の到来と言いたいのだが、透明プラスチック板を顔の前に着けて覆う方式もあり,これは明らかに日本の伝統的なマスクではない。

 しかし、今の段階では透明板覆いよりも布マスクのほうが、はるかに優勢である。それは顔面を覆うのだが、プラスチック板で隙間なく覆うことがむつかしく、コロナ病原体防御がむつかしいらしい。特別な状況でないと有効でないらしいこと、コストが高いことから、布製(不織布性も)が優位らしい。ということで透明布製品が出るまでは、視覚的に隠蔽機能をマスクは持たざるを得ない状況にあるらしい。

 しかし、マスクがアベノマスクのように口と鼻さえ覆えばよい形から変って、鼻や口からの呼気や飛沫が出入りしないように大きく密着するように改良が進んできた。英語でmaskとはいわゆる覆面のことであり、マスカレイドの仮面とか神楽や能の面のように顔面を覆うものである。
 コロナ対策のマスクも多様な形態になりつつあり、口鼻覆いマスクというよりも覆面というほうが正確になってきた。ここでは覆面社会の到来ということにしよう。

●覆面文化の到来

 こうして覆面社会は着々と普及して、その地位を高めつつある。あらためて覆面の目的を考えてみる。その第1は、防寒や防塵のように気候に対する衣料としての役割である。
 その第2は、覆面者の行為を他から見られてもそれが誰であるかを判別しがたくするためであり、犯罪者がそうである。あるいは遊びの仮面舞踏会もそうである。
 その第3は、口や鼻からの呼吸や飛沫による病原体感染防止のためで、今回のコロナ禍マスクはこれである。その第4は、宗教的なしきたりで、キリスト教信者の教会でのベールとか、イスラム信者のへジャブがある。
 その第5は、顔の何らかの障害等の医療のために覆うことである。時には全面を覆い、一部を覆う眼帯や絆創膏もこれにあたる。これは特殊な状況といえよう。

 この覆面時代がいつまで続くのか。あと1年くらいのうちにコロナが急激に収まると、一気に日常の覆面も姿を消して、コロナ前のように上記第1と第2が主となるだろう。
 しかしもしも、コロナがさらに延々と長期に続くと、覆面姿日常として定着してしまい、素顔は非日常となる。
 そうなると、マスクは多様な形態を持って発展し、覆面姿は地域によりその発展形は異なるものになるだろう。こうして覆面文化は人間の21世紀から始まった文明文化として、地球上に定着することであろう。

 顔の口と鼻を隠す文化が行き渡ると、人々の心に変化が出てくるにちがいない。
 覆面の下に隠されている肉体は、元のコロナ防疫のための部分という意味を脱却して、そこは秘すべき隠すべき部位に昇格するだろう。
 現在の腰回り陰部とともに、鼻と口は陰部秘所になるのだ。したがて口髭花髭は陰毛である。うっかり鼻や口を露出して公衆の面前に出ると、猥褻物陳列罪に問われることになる。

 覆面用具のマスクは、本来のマスクを超えてファッションショーにおける服装アイテムとなる。マスクは覆う領域を広げて、その姿を次々と展開してゆくだろう。美しい覆面ファッションが時代の流行柄で登場するだろう。
 あの簡単な耳掛けの布切れからもっと大きく複雑な形に、例えば帽子や衣服と一体となった衣服一体マスクファッションも登場するだろう。
 一方で、逆に小さく縮める方向も出るだろう。あのビキニ水着のように、鼻孔と口唇だけを覆うお色気ビキニマスクも登場するだろう。
 この両極端の間に、数々の覆面ファッションが生まれる。

 そして覆面には文化的表現が付与されるだろう。その例がすでにあり、プロテニスプレーヤーの大阪なおみが、BLM運動の自家製マスクをつけて覆面で競技場に登場した。
 多様な模様のある覆面用具(マスク)ばかりでなく、覆面の姿が人々の意見主張し、立場を表現するのである。これは文化である。

 ところで、ここまで書いたような覆面放任主義とは全く反対の方向として、覆面規制主義が起きるだろう。のほうづに覆面がはびこると、防疫にもならないし、犯罪も容易になるとして、顔面を覆う姿を厳密に法令で定める国家が出てくるだろう。
 マスク全体主義というか、マスク階級主義というか、マスキズムMaskismというか、そういう思想が台頭するだろう。この話は面白そうなのでまた別に考えたい。

●覆面技術の進歩

 当然のことにマスクにもデジタル技術がもたらされるだろう。マスク型スマートフォンが登場して、会話を肉声でなくてネットでやるようになる。マスクの表面が表示画面となって、言語に替わる会話の手段に使われる時が来る。

 マスクを外さなくても飲み食いできる機能が付くだろう。覆面であってもAIカメラ技術で素顔を作成できる技術が出るだろうし、逆にそれを防ぐ技術も出るだろう。
 いろいろと技術的覆面術が進歩するに違いない。そのたびに生物としての人間の肉体が後退する。いや、もしかしてそれがコロナによる人間の突然変異出現を促すものかもしれない。突然の進化の時が来る。

 いま最も気になっていることは、覆面文化到来を容認するかどうかという、覆面派人類とアンチ覆面派人類の戦争になるかもしれないとの思いである。
 現に、国や地域によっては、コロナ感染防止のために覆面義務付けが法的に強制されるところもある一方で、治安に不安がある地域や国では覆面禁止法令が出されている。広く見れば両派の戦いはすでに起きている。

 コロナは、政治と文化と技術の三つ巴の中で21世紀文化を作り上げるのだろう。これからどうなるのか、コロナがもたらす身近な風俗文化闘争が始まりつつある。
 さてこの話はどこまでもだらだらと尽きないし、自分でもこれが底が浅いお遊びの俗論と分っているから、この辺でやめたいのだが、くだらない面白さがあるので、そのうちにまた続きを書きたい。

20200927)

参照:コロナ大戦おろおろ日録2020/01/24~ 継続中http://datey.blogspot.com/p/corona.html

2020/09/20

1490【デジカメの死】身の回りの持ち物が次々と壊れて今度はカメラ、この次は持ち主自身だな

 年取ると身の回りの持ち物も年を取り、携帯電話機、PC、プリンター、炊飯器、エアコン機器、掃除機などなど、短期間のうちに次々と壊れていく。
 10年間使ったコンパクトデジカメキャノンIXY900isがついにくたばった。長く働いてくれたものだ。



 

 デジタルカメラを使うようになって既に20年にもなる。この間にデジカメを5台買い替えた記憶がある。
 わたしの写真撮影は趣味でも記念用でもなくて、都市風景の記録用であるからワイド日付入り視認ファインダー付単3電池併用のカメラが原則であるが、これに対応するカメラは意外に少ない。今の壊れた奴の前もキャノンの同じ型、その前はRICOHCaplioR1だった。

 家庭電器類が壊れると、なんでも分解してみる趣味がある。修理能力は全くないが、単なる好奇心である。PCと電気炊飯器の分解が意外に面白い。
 しかし、デジタル以前から何台もカメラを壊してきたが、カメラというものは箱とレンズがあればできるものだと、少年のころから知っていたから、分解する好奇心が涌かなかった。

 今回、初めてその好奇心がわいてデジタルカメラを分解してみた。さすがにデジタルという名にふさわしく、箱の中は空っぽではなくて、ぎっしりと精密部品類が詰まっている。へえ~、さすがだなあと眺めて、その精密部品の量の多さと、そのコンパクトな収納ぶりに敬意を表した。これ以上はお手上げである。


 さて次のコンパクトカメラの選定をどうしようか。小さくて持ち歩き手軽に使えて、上記4原則対応のものが、はたしてあるだろうか。
 このブログにカメラを話題にしている記事がいくつかあり、わが父からのカメラ史もわかるので、リンクを載せておく。

◆2015/11/21 http://datey.blogspot.com/2015/11/1146.html
1146【終活ゴッコ:懐かしい品々処分:カメラ編】戦前から今日までの7個の古カメラをもう捨てようっと、、
◆2010/01/10 http://datey.blogspot.com/2010/01/227_10.html
227【怪しいハイテク】中古カメラを買った 
◆2012/01/20 http://datey.blogspot.com/2012/01/575_20.html
575コダックがつぶれるとか 
◆2010/10/30 http://datey.blogspot.com/2010/10/343.html
343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した
◆2008/07/08 http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_08.html
015【怪しいハイテク】便器のなかにボチャンと落して臨終まぎわから生き還ったカメラ