世の中から絶えて久しく見ることができなかった、郊外ニュータウン開発なるものを、久しぶりに見てきた感想を書く。人口減少のいまどきニュータウンかよ、と思いつつ、、。
●今どきの郊外大規模新開発の街を見に行った
ヒマツブシに横浜の西の端っこあたりの郊外大規模開発を見物に行ってきた。用はないが単なる好奇心である。この人口減少時代にわざわざ街はずれの田畑の中に大規模新市街地開発をやるなんて、どういうことかと思う。
もっとも、その答えは簡単、もっとずっと前に完成するはずはずが、ここまで遅れに遅れたらしい。何しろぜ円世紀末の1999年に、田畑と森ばかりの中に鉄道2本と駅も二つ作ってまで、4半世紀も開発を待ち構えていたのだから、いろいろ事情があったのだろう。初めに開発を構想したころとは大きく時代が変わっている。
その時代遅れはどんな形なのかを見て、早い話がツマラン街をつくったものものだという感想であった。都市デザインとして実にどうもツマラン風景であった。でも、実際に住んだらつまらない生活かどうなのか、それはわからない。案外住みやすいかもしれないとも思った。それをおいおい書く。
横浜と藤沢市の境に突き当たる西の端っこあたり、横浜地下鉄が行き着く西の果ての駅前に、新市街地ができたらしいので見に行ってきた。郊外のはずれとはいいながら、鉄道駅は横浜市営地下鉄「下飯田」駅と相鉄いずみ野線「ゆめが丘」駅の駅前である。このあたりは広大な農業地であったののを土地区画整理事業で市街化して、つい最近に巨大な駅前ショッピングセンターが開業したと聞く。
実はわたしは10年ほど前にこの地を訪ねて、まだ田畑や草ぼうぼう空き地ばかりが広がる開発前の姿を見てきたことがあるのだ。このことはこのブログに記事を書いている(参照:2014/04/03/【横浜都計審】いまどきニュータウン開発かとおもえば郊外商業開発であるか)。今、それがどんな姿に変貌しているか、見に出かけた。
●こんな田舎に巨大な箱が建つとは
10年前には地下鉄ブルーラインの下飯田駅地下駅から地上に顔を出すと、周りは一面の畑であった。畑のモグラが顔を出した気分だった。もう一つの相鉄いずみ野線線は、畑の中の上空を鉄道高架が横切り、草原の中にポツンと駅があった。
ところが先日に十年目に尋ねて地下鉄駅から地上に顔を出すと、目の前に巨大な壁が上下左右に行く手を阻むように立っている。白い箱の建物が駅前にドカーンと立ちふさがっているのだ。これはなんだ!。
新しい街ができたからには、あの畑と草原だった駅前には美しい公園や広場が待ち構えているだろうとの期待は、もろくもくずれた。どうやらこの巨大な箱は、商業施設らししい。そうか、郊外型ショッピングセンターを建てるのがこの開発の目的であるらしいと、10年前に想定したとおりになっているのであった。
地下鉄駅から地上に出るといきなり立ちはだかる壁と箱 |
10年前に地下鉄を地上に出ると目前に広がっていた牧歌的風景 |
なお、日本では共同住宅ビルのことを一般に「マンション」と言うが、わたしはこの不動産屋誇大広告的誤用外来語を使わないことにしている。建基準法では共同住宅と言うべきだし、あるいは格好つけても集合住宅と言うべきである。(参照:言葉の酔時期:マンション)
開発構想のモンタージュ写真 |
開発の中心部の構想は巨大商業・巨大共同住宅・総合病院 |
それにしても、ゆとりある横浜郊外住宅地としての姿を、この構想に伺うことができないのはどうしてか。乱雑な郊外沿道開発を誘導しようとうする意図が見え見えである。
駅前広場の風景は自動車と壁だらけ |
郊外ロードサイドの乱雑な看板類が立ち並びつつある |