2025/01/31

1866【横浜徘徊】内外観光客で賑わう春節中華街の隣には寒空の公園での炊き出しに行列する貧困風景

  今年になって初めて久しぶ横浜都心徘徊、いつものコースの半分しか歩けなかった。それだけ足が弱ってきたということだ。街を歩くのを大好きだが歳が歳だから仕方ない、と、思うことにする。なんでも不都合なことは齢のせいにすればよいのだ。便利なものだ。

 今はチャイナ当たりでは春節という旧正月であり、横浜もチャイナタウンの中華街あたりは春節を祝う雰囲気で、内外からの観光客も多く、にぎわっている。
 その一方で、そこから100mほど離れた線路を隔てた南には、貧困者が密度高く多く住み着くドヤ街の寿町地区がある。その中央にある寿公園で炊き出しがあり、大勢の人たちが行列を作って今日の昼飯の配給を待っていた。中華街の人出とは全く対照的な風景である。

 寿町で毎年恒例の正月の炊き出しに出くわした。寿町地区の中央にある小さな寿町公園から長い行列が出てきて、街区を取り巻いていて、ざっと見たところ300人くらいいる。弁当か雑炊か知らないが、今日の炊き出しを待つ人々である。毎年のことであるが、その人数が減ることが無いのは、やはり世の中は不況なのである。

寿公園に並ぶ炊き出しを待つ人々の行列は300人くらいか

 この20年ほどの間、この街に時々徘徊に来て観察しているのだ。街は徐々に変化している。かつての港湾労働者の街で活気ががあり、汚かった。今はきれいにあったが、貧困高齢者たちが小さな安宿に身を寄せあって暮らす街になって、活気は全くなくなった。

 街の風景は大都市のビル街であるが、それらのほとんどはドヤと呼ばれる簡易宿所である。一泊1700円が相場で、多くの宿泊人が実は住宅として使っている。格好つけて言えばホテル住まいであるが、一室は5~8㎡、便所やシャワー室は共同である。1700円という金額は、生活保護費の算定による金額であり、市場価格とは異なるようだ。

 そんな部屋が5階建てや10階建てのビルに積み重なっているから、人口密度はかなり高く、たぶん1000人/haくらいだ。高齢者がほとんどだから介護を必要とする人の比率も高いに違いない。この10年ほどでそれらのビルの1階には、福祉看護関係事業者が軒を並べるようになった。

 古いドヤビルは建て替えが進む。それらは近代的な高層ドヤビルに建て替わるものが多い。4階建てドヤが12階建てドヤになったとしても、ドヤという営業形態に変わりはないから、ますます高密度になってくるのだ。

5階建てドヤビルが8階建て建て替わった

 ところが最近のドヤ建て替えは、徐々に傾向が変わりつつある気配が見えてきた。ドヤビルから建て替えると、共同住宅になる事例がちらほら出てきた。街の中央の寿公園斜め前の街区が工事に入ったと思って見ていたら、出現したのはどうやら賃貸借型共同住宅であるらしいのだ。

 寿町の最も寿町らしいあたりから典型的なビジネスモデル簡宿所が変わろうとしているのは興味深い。この立地に入居するのはどのような人であろうか。地区に無関係な生活をする若い人たちあろうか。この新ビルから寿町公園の炊き出し風景を眺め下すことができる。

寿公園の隣にドヤビルが建て替わって出現した賃貸借型共同住宅ビル

 それらしい建て替えはここだけはなく、寿町地区内とその周囲にいくつか発生しつつある。

5階建てドヤビルを10階建て賃貸借型共同住宅に建て替えた事例


寿町フリンジの長者町通りで戦後復興防火建築帯の4階建て店舗付き共同住宅を
賃貸借型共同住宅に建て替えた事例

寿町地区内でドヤビルを共同住宅に建て替えた事例

寿町地区内でかつての「下駄ばき公団住宅」を一般分譲住宅に建て替えた事例

 長らく空き地であったところが最近工事を始めた。その「建築工事のお知らせ」掲示板を見れば、「ホテル・旅館」と書いてある。実はドヤもホテルと称して営業しているところがあるがそれらは法的には簡易宿所と言わねばならない。工事の掲示は法的な定めの表示だから、ドヤすなわち「簡易宿所」ではなくて、必要な規模と設備を備えた「ホテル・旅館」であるらしい。

新しく建つホテル旅館の周りはドヤビルばかり

 それではドヤが減少しているのだろうか。既存ドヤビルが賃貸借型の高層共同住宅ビル、あるいはホテル旅館、あるいは一般分譲型共同住宅等に建て替えられるとドヤが減るが、その一方で建て替えでは高層化すれば室数が増えるはずだからドヤは増加するだろう。

 ということは、さしひきドヤは減っていはいないのかもしれない。増えてもいないのかもしれない。ということはドヤ需要は増えてはいないということだろうか。
 しかし、あの炊き出しに並ぶ大勢の人々の行列を毎年の正月に見ると、この世にドヤ需要階層が減っているとは思えないが、どうなのだろうか。じわじわと街が変わるのを定点観測するのは面白い。日本流のゼントリフィケイションというものがあるのだろうか。
空から見る寿町地区 見えるビルのほとんどが簡易宿所(ドヤビル)

 寿町地区のそんな風景を眺めてから、そこから100mほど隣と言ってよいほど近くにある横浜の観光名所「横浜中華街」に移って徘徊しようと、電車線路高架下通路を通り抜けようとしたら、ここにたくさんの財産を段ボールに抱えた自由人が独り住んでいるのに出会った。たぶん、一泊1700円を払えぬのであろう。先ほどの炊き出し行列に並んでいないとは、自由人となって間がないお方で炊き出し情報を知らないだろうか。教えてあげるべきだったかしら。

 さてチャイナタウンへ来てみれば、寿町と大違いの賑わいであり、派手な街である。外国からも日本中からも若い人も年寄りもやってきている。寿町とは大違いの街である。観光客が寿町を訪れることはあるまい。

内外の観光客たちで大賑わいの春節の横浜中華街

 またその隣には「元町商店街」という高級さを売り物する街があり、ここの賑わいは中華街とはまったく別種のものであるのが面白い。横浜の都心部は、「横浜港」あたりの観光名所、そして「伊勢佐木モール」あたりの中心商店街、あるいは「野毛飲み屋街」、あるいは「横浜橋商店街」という下町市場そのものの庶民的な賑わい、これらピンからキリまでの都市を一つの盆地状の狭い土地の中に収めて共存しているところが実に面白い。

 ここに住まうようになって23年、これらの街を歩いて一巡すると10キロくらいになる。それが日常の身近の楽しみだったが、今では足が弱ってもう半分も歩けなくなった。歩き残した町は次の日に歩いたり、バスを使うのだ。歳とっての街歩きは健康維持のためでもあるが、実は都市計画を専門としていたわたしには、脳力維持のオベンキョウであるのだ。

(20250131記)

このブログの寿町に関する瓢論記事はこちらをクリック

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2025/01/29

1865【ある死亡記事】ふむふむ87歳でも老衰死する資格があるのだと知ったのだが・・・

 今朝(2025/01/29)の新聞の死亡記事を何気なく読んでいて、目がひっかかった。そのお方をわたしは全く知らないが、その死因と享年にオヤと思った。

 老衰で87歳とある。ということはわたしと同年である。え、わたしも老衰で死ぬ資格があるんだと気が付いたのだ。
 ほお、同年の方の老衰死とは意外感があったのだ。老いて衰えるという語句の語感は100歳前後のことかと思いこんでいたらしい。

 そうか、わたしも老衰死する、そう、格好良く言えば大往生するかもしれない歳なのだ。
 なんだか安心、いや、なんというか、死と二人三脚やっているような、静かな隣人として死がいる、そんな気分になってきた。ふむふむ、そうなんだな、なんて考えなくても実は当たり前のことなんだな。

 しかしそれにしては、昨年夏に家人が死に遭遇したのを思い出すと、けっこうドラスティックなもののはずだが、わたしの日常は普通に起きて食って出して寝て、読んで書いて歩いているけど、これでいいのかしら。頭にある老衰と日常とのギャップが気になる。
 
 これから死ぬためにはそれなりの準備がいるのだろうが、何にもしていないけど、老衰死はどうやってやってくるのかしら。やはりいま流行りというか当たり前のことというか、介護という段階があるのだろうなあ。家人がそうだったように。

 と思いつつ同じ新聞記事を見るとこんなことが載っている。おやおや、死ぬための準備を手伝ってもらうというか支援してもらうべき介護事業者が、次々と廃業しているそうだ。う~む。

 そうか、わかったぞ、こうなれば自力で老衰死するしかないのだな。そうかあ、よしよし、え~と、どうやるのだろうか、どうしようかな、、。

 しかしまあ、今年中は畏友の歌集上梓プロジェクトが動いているから、来年になってから考えることにしよう。87歳でもできる老衰には、もうちょっと待ってもらうしかない。

(2025/01/29記)

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2025/01/27

1864【警視庁から電話】新潟の犯罪捜査に私の名が出てきたと警視庁捜査一課タケモトさんから電話

 今朝9時半、携帯電話機が鳴りだした。ははん、昨日こちらがかけて不在だったあの女性からだな。

「はいはい、ダテです」

「ダテヨシノリさんのお電話でしょうか」

 なんだか若そうな男の真面目そうなビジネスっぽい声である、な~んだ、つまらん、息子とは違うな。

「・あ・ああ、そうです」

「こちらケージチョーソーサイッカのタケモトと申しますが、この電話はダテヨシノリさんででよろしいでしょうか」

 え~と、警視庁捜査一課のことかしら、犯罪小説に出てくるよなあ、面白い。

「ほお、はいそうですが、なにか?」

「こちら警視庁捜査一課のタケモトと申しますが、捜査で伺いたいことがあります、よろしいでしょうか」

 ちょっと高飛車である。不愉快になった。

「あ、はあ?、なんでしょうか」

「はい、こちら警視庁捜査一課ですが、新潟県で起きた事件につき、ダテヨシノリさんのお名前が挙がっているので、おうかがいします」

 ここで思った、なんだかなあ、こんなにお手軽捜査をするもんかしら、TVを見ないからこんな場面が本当にあるのかどうかも知らないが、なんだかなあ、ハハ~ん、おっと、まえにもあったような、こんなことが。

「ほお、はい、ではその前に、貴方が確実のその警視庁捜査一課のタケモトさんであることを確かめたいので、連絡先の電話を教えてください」

「ボアーン」(電話が切れた音)

 あれ、なんだよ、失礼な奴、せっかくヒマツブシになると思ったのに、もう切ってはツマランだろ、いやいや、こちらがもっと上手に扱うべきであったなあ、しばらく話に乗ってやればよかったなあ、ヒマだからしばらく新潟の捜査について聞いてやればよかったなあ、タケモト君にも気の毒だったなあ、反省しきりである。

警視庁捜査一課のタケモトさんの電話番号?
 スマートフォンの表示を見ると、あれ、非通知じゃなくて「080-4959-7110」と番号表示されているぞ、ほお、これが警視庁捜査一課タケモト君の電話番号かあ、かけてみようなあア、う~ん。

 実はこのような電話は初めてではない。何度もあったのではないが、3年まえに家人がかなりの段階まで乗せられ、わたしが途中で気づいて事なきを得たことがある。
 そのことはこのブログの下記に書いておいた。
 https://datey.blogspot.com/2022/04/1612.html

 まさか同じ奴からではあるまいが、もうちょっとうまく乗せてほしかったと、いや、うまく乗せてやって遊びたかったと、反省している。

2025/01/18

1863【大地震記憶】阪神淡路・中越・東日本・奥能登の大震災現地そして幼少期の大震災記憶

 これまで88年もの長い人生でありながら、幸いにして南キャリフォニアのような大火災にも、能登のような大地震にも直接に被災したことは無く過ごしてきた。これからどれほど生きるかわからぬが、大災害に合わない保証はない。できればそんな体験の無いまま今のうちに、この世からおさらばしたいものだ。

●阪神淡路大震災の現場へ

 昨日、2025年1月17日は、あの1995年阪神淡路大震災からちょうど30年目の日であった。わたしはそのような時間と事件とを結びつけて記憶するのは良いとしても、それから10年目とか30年目とかに特別な意味があるとは思えない。身内の死を何年忌とか言って覚えるのと同じかもしれない。わたしはあまりその記念日に興味はないが、事のついでにこれまでに出会った直接間接の地震について、まとめて書きとめておこうおこう。

 1995年の阪神淡路大震災は、長い人生でも飛び切り記憶に刻まれれている。自身が体験したのではないが、幼いころから比較的よく知っている大阪神戸あたりがどうなったか、どうなるのか大いに気になったので、関東住まいであったが仕事で関西に出かける度に、都合つけて神戸を何度も見に行ったものだった。もちろんそれには都市計画家としての興味が一番大きな動機だった。

 1月17日からTV映像を見続けて、すぐに行きたかったが支援する勇気はなくて、見学にゆっくには交通機関が通じてからと思っていて、3月4日になってようやく三宮に入ることができた。

 そこから破壊しつくされた街々を歩き歩きめぐった。何回も何日も見にいった。西は明石、東は芦屋まで歩きに歩いたものだった。カラー写真を何本も使って写真を撮り、スライドに残していた。今や一部をデジタルデータにしてPCに入れたほかは、最近になりすべて終活破棄した。30年とはそういう時間である。

 この地震は、最大震度7、死者・行方不明者6,437人であった。このときは何も復興支援にかかわることは無かったが、とにかくこの目で見ないと災害についてはわからないことばかりであると、心底知ったのが収穫であったと言える。

 以下は初めて神戸に入った1995年3月4日から5日にかけての写真のほんの一部。



 



●中越大震災の現場へ
 
 その次の地震災害地に入った体験は、2004年10月の新潟県中越大震災であった。このころわたしはNPO日本都市計画家協会の事務局長をしており、協会としての震災復興支援活動を行うことになった。
 この中越震災復興現場のひとつである長岡市の法末(ほっせ)という山村集落に、わたしもNPO仲間たち十数人のメンバーと頻繁に通うことになる。10年ほども続く長い支援活動がはじまり、初めは毎週末には泊りがけで通ったものだった。

 私的には豪雪の地域の生活に大いに驚いたものだった。生まれ育った山陽の地はめったに積雪はないし、その後に住んだ関東も同じようなものだったから、全く知らなかった北国の暮らしを知って、本業の都市計画に大いに役立った。

 復興支援とはいったい何だろうかと迷いつついろいろなことをした。要はその小さな被災山村を持続するための多様な活動だったが、人口減少がどこでも起きている日本で、これが果たして成功したのだろうか。






 美しい集落は復興したが、定住人口は減っている。減るとこの山村を支える農業者が減ることになる。生活圏としての山村は、元の緑の自然にもそどっていくばかりである。
 ひとつだけ成功と思うことは復興支援活動仲間の一人が、その山村に住み着いて農民となり、耕作放棄される棚田を引き付けて、美味い米つくりをしていることだ。
 その間のことをわたしの「まちもり通信サイト」の「法末集落復興日録」に載せている。

●東日本大震災の現場へ

 次の大災害現場は、2011年東日本大震災の東北地方であった。地震動災害に加えて津波災害、さらに加えて原子力発電所事故による核毒災害という三重苦巨大災害である。わたしはもう支援に加わる体力はなく、NPO日本都市計画家協会の一員として、何回か災害現場視察企画に参加して訪れ、人間と自然との対応にあれこれと思いをいたすばかりであった。

 それらについては、「まちもり通信サイト」の「災害日本オロオロ日録」に載せている。

地震災害に加えて核毒でゴーストタウンになった富岡町


津波と核毒に襲われた浪江町の漁港の街の廃墟の陸上のあちこちに漁船が

除染という核毒集塵掃除作業の結果は膨大な核毒ゴミ黒袋の山

浪江の村のどこもかしこも核毒汚染された田畑の一番豊かな土をはぎ取る

 特に福島第1発電所の原子炉の事故による巨大災害には、心底驚き、あきれるばかりのことばかりである。広範囲に核毒を振り撒いて国土を取り戻しようがないほどの汚染するという大事件である。今それから14年がたつのに、もはや忘れたように核発電所が、列島おあちこちに生き返りつつある。その後の処理がいまだに完了しないのに、忘れたとはどういうことだろうか。

●かつて訪れた能登半島地震の現場の今は?

 さて現在の地震災害主役は2024年能登半島地震であるが、もうわたしは現地を訪ねる気力も体力もない。2004年に訪ね巡ったあの奥能登の地は、今どうなっているのだろうか。
 じつは個人的には2004年の中越地震による大きな揺れを、偶然にも比較的近くの奥能登で身をもって体験したのであった。その地は輪島であったが、そこはまさに昨年2024年元日の能登半島大地震の地である。

 この能登半島で中越地震に遭遇したときのことはこのブログに載せているので、一部引用する。 
ガタガタみしみしとゆれる、地震だ、大きい。余震もきた。
2004年の奥能登ウォーキングコース
能登半島の輪島市の郊外、漁村集落の民宿について、やれやれと一休みしていた。大きな木造2階家は、古くて客が歩くとみしみしがたがた足音がする。音だけではなくてゆれたので、これは地震だ。コンクリ長屋の上のほうでユルユル揺れるのとは違う、ナツカシイゆれ方だ 
囲炉裏部屋のテレビを見ていると、震源は新潟といいつつ、しだいに被害が広がるのが分かる。能登は震度4だった。外では防災無線放送が津波の心配はないと言っている。
2004年10月23日夕刻から始まった中越地震に、こうして旅先で出会ったのだった。この旅は、わが大学同期の翁12人が、能登空港を起終点にして奥能登をひとまわりする120キロの行程を、5日間かけて歩きとおす企画である。
           (全文は『奥能登100キロウォーク』参照のこと)

 わたしが今も所属だけしているNPO日本都市計画家協会は、この能登半島震災復興のために、門前町に入っているようだ。わたしの奥能登の旅ではその街の黒島で一泊した。あの伝建地区の街並みどうなっているのだろうか。

●幼少期の大地震記憶

 ところで私の震災に関する記憶で最も古いものは、1943年9月の鳥取地震であるらしい。幼少時に揺れた記憶は一つしかないからこれであろう。わたしは7歳の時である。
 鳥取県の南隣の岡山県の高梁盆地で少年時代を過ごした。家が揺れるばかりか、周りの巨木もゆさゆさと揺れて倒れ掛かるのかと、怖かった記憶がある。わたしの生家は丘の中腹にある神社の森の中であったから、境内には巨木が立ち並んでいたのだ。
 それ以後でも、台風の時などは、巨木が揺れて枝が折れて落ちてくることはしょっちゅうで、森の中に住むのは平素の見た様子とは大いに違って、けっこう怖いのであった。

 その次の地震の記憶は、1948年の福井地震であった。新聞に載った百貨店建物の被災写真に強い記憶がある。
 また別の記憶につよい地震に関する新聞写真は、コンクリート中層共同住宅建築が横倒しになった悲惨な光景であるがいつのことか思い出せない。ネットを探したらあった、意外に最近で1964年の新潟地震であった。

 1957年からわたしは関東に住むようになったのだが、こちらは生まれた西の地と違ってずいぶん地震が多い地域であると思ったものだ。しょっちゅう体感地震があり、2年くらい離れなくてその度に怖くて胸がドキドキしたものだった。そのうちに慣れた。


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伊達美徳=まちもり散人
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2025/01/15

1862【介護保険へ】米寿ほども老いたのでもう資格あるだろうと介護保険適用手続きを始めたが、、


「これから詰まらぬ質問しますから答えてください。では第1問です。貴方の年齢はいくつですか」

「87歳です」

「では今日は何年何月何日ですか」

「2025年1月、えーと、13日だっけ」

「14日が正解です」

 ここは近所のクリニック診察室、目の前の看護師の女性が質問してくる。風邪ひきの薬を出してもらいに来たのに、なんでこんな質問かしら。

「ところで、なんですか、これって?」

「あれ、言いませんでしたか、貴方が区役所に出された介護保険適用の認定の調査ですよ」

「あ、そうですか、そうですか、今日は風邪薬もらいに来ただけなもんで、、。ああ、あの申請した介護の必要度合いの調査、介護を必要とするほどにどれほど老いたかボケたってテストね、まあ、ちょうどよかった、続けてください」

「では何曜日でしょう」

「火曜日だね、あのねえ、私ぐらいの歳のものはたいてい曜日に関係ない生活をしているものですよ、だから曜日を聞いて答えられなくて当たり前でしょ、それなのにボケの度合いの調査にそんな質問しても意味がありませんよ、質問がおかしいでしょ」

「あ、そうですねえ、調査書をつくったところに言いましょうかね。では次です。ここはどこでしょう」

「え、ここってクリニックの一室でしょ、貴方がお勤めのクリニックのね、これでいいのかしら、横浜とか日本とか地球とか言うのかしら?」

「はい、では次、これからいう三つの言葉を覚えておいてください、またずっと後で聞きますから、では、サクラ、ネコ、デンシャ、いいですかサクラネコデンシャ」

「はい、サクラネコデンシャね」

「では次の質問、100から7を引いてください」

「そんなの93でしょ」

「はい、ではそこからまた7を引いてください」

「えーと86」(バカバカしいな、あ、ボケ度調査なら間違い回答するべきだな)

「では次です。これからいう数字を逆に言ってください、6,8,2」

「286」

「3529」

「えーと9253」(あ、いけね、また正解しちゃった)

「先ほど覚えてもらった三つの言葉を言ってください」

「サクラデンシャネコ」(いけね、また正解だ、うまくじゃなくてまずく答えちゃった)

「ハイ正解、お歳にしてはずいぶん明晰ですねえ」

「アッ、いけねえ、そうか、これは介護保険適用のボケ度合い調査でしたね、こんなに正解してはいけなんだ、間違いやらないと介護適用してくれないんですよね、う~む、失敗したなあ、これからの質問には間違うように気をつけます」

「いやいや、もうおそいですよ」

「そういわないで、何とか不合格、いや合格するようにしてくださいよ」

「では次です、ここに並べたえんぴつ、かぎ、時計、くし、ハサミを見て覚えてくさい。はい、ではこれらをかたづけます、では何があったか言ってください」

「え~と、えんぴつ、時計、くし、ハサミ、え~ともうひとつなんだっけ、思い出せないなあ」(今回はうまく失敗するぞ)

「それは鍵です」

「次の質問です。果物または野菜の名前を10個行ってください」

「じゃ野菜を言います、キャベツニンジン白菜ホウレンソウジャガイモ玉ねぎモヤシサツマイモニンニク里芋、これで10個、あ、いけね、またやってしまった、ここは8個しか言えなかったことにしておいてくださいよ」

「いや、そうはできません、以上でおしまいです、おつかれさま」

 というわけで、正解してはいけない、いや間違い回答するべき質問についつい正解してしまうというバカなことをしてしまった。これでは目的とする介護保険適用がなされないオソレが十分にある。

 年齢とともに次第に弱りつつある身体機能、特に歩行機能の回復のために行う活動費用、例えばリハビリジムに通うとか、リハビリ用具のレンタルや購入などに介護保険を適用して、老後生活費用の節約を目指していたのに、これでは失敗したかもしれない。

 どうも身体機能の内のボケ機能介護にばかり保険適用をするらしい。運動機能への適用はどうなっているんだろ。なんだか偏っている調査のようだ。
 後でネット検索したら、これは長谷川式という介護度調査様式とて、点数をつけるとのこと。わたしのそれを自主採点したら満点30点に対して27点となった。点数が低いほどボケ度が高い、つまり保険適用にふさわしい判断になるらしい。

 どうもわたしはふさわしくなさそうだ。あきらめるしかないか。喜ぶべきか悲しむべきか。それにしても介護保険料は高いよなあ、後期高齢者医療保険料も高いし、これらをなんとかして取り返したいものだ。

(2025/01/15記)

(2025/02/13追記)
 この介護保険適用のための申請で「要支援2」の認定になったから、上記のテストには低空飛行ながらも一応の合格であった。さて、何にこれを利用しようか。

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2025/01/13

1861【LA大火事】森林から都市へ拡大した大火災の原因に異常気象があるとすれば他人事ではない

 


 ロス・アンゼルスで高級住宅地が大火事だそうである。7日発生から今日(20250113)現在も燃え続けていて、東京山手線内面積の倍以上も燃えたとのこと。
 データ的には、被災面積160平方キロメートル、死者16人、被災建物は1万棟以上、避難の指示や警告の対象になっている住民はあわせて30万人だそうだ。
 これでは山火事とはもう言えなくて、都市火災というべきだろう。

 昨夜はPCのSNS(youtubeとX)でいくつもの現地中継(LIVE)を見続けた。特に空中からの現場の火災進行実況は、まったくもって凄い、怖い、酷いものである。

 これはまるで炎の津波である。裏山から炎の横列の津波が下って襲い来るのを、なすすべもなく見る住民の気持ちを思うとやり切れない。ということは、あの大津波の時の沿岸の人々の気持ちもそうだったのだ。大自然からの攻撃に人間はなすすべもない。



 燃え広がる炎の空中写真を見ていて、ちょっと気になったのは、全く別の場所が何か所も燃えていることだ。飛び火とみるのは遠すぎる。同じ条件化なら自然発火するところが何か所もあるのか、あるいはいくつかは人為的な発火かとも思えるのだ。


 SNSには例のごとくに、陰謀論はもちろん、被災画像に人種差別的コメントとか、AI製の偽画像とか、怪しい書き込みがある。
 そんな妙なときにトランプは政権に就くのだが、どうするのだろうかと思っていたら、さっそくに民主党知事の失策だと言っているらしい。困った人だ。USAは大丈夫か。

 なぜこれほどに火災が拡大するのか。日本でも近年では2024年元日の能登輪島の朝市通りとか、2016年の糸魚川大火とかあるが、LAほどの大規模ではない。USAの住宅地の住宅の建て方(材料とか防火対策)とか、住宅地の都市計画(山林と住宅地の配置)とかに原因があるような気がするが、正確なところはわからない。

燃え尽くした山と住宅地

 LAの郊外には広大な住宅地がとめどもなく広がっている。まさに自動車社会の国である。緑に覆われた広い宅地に大きな住宅が、たぶん木造でびっしりと建てられている。燃えた跡の住宅地のあまりにもひどさに驚くしかない。画一的に作られた住宅地らしいが、全く画一的に廃墟になっているのが痛ましい。

 この森林火災の拡大から大規模都市火災への展開の原因を言う識者によれば、近年の異常気象によって森林が燃えやすい条件になっていたとのとこと。それが分かっているなら、森林火災拡大防止対策を取り入れた居住地づくりの都市計画があってもよいはずだ。


 例えば、延焼拡大防止のために、広い幅の空地の延焼防止帯を設けることが有効だろう。しかし、この写真に見るように、LAの郊外住宅地開発は野放図に森林を侵食している。特にキャリフォニアにおける乾季の山火事騒動は、毎年のことだからとっくに分かっていたはずだ。

ここは被災地ではないが広大な郊外住宅地が山を切り開いてい広がる

 そもそも森林地帯で人間が住むようなところじゃなかったのに、無理やり開発したのである。人がいなければどんなに森林が燃えても災害とは言わないだろう。
 そんなところに住み込んだ人間に、自然が土地を返せと迫っているのが、この大火災かもしれない。

 異常気象がこの大災害の原因ならば、日本列島も同じようなことが起きないとは限らない。太平洋を挟んだ対岸の火事ではなくなる。
 特に人口が減少しつつある郊外住宅地や地方小都市では、いったん燃え広がるとそれを止める人手がないから、拡大するばかりになるおそれは十分にある。
日本の都市の郊外住宅地開発も似たようなものだ

 コロナ禍は終わるらしいが、異常気象禍は今後ともつのるばかりのようだ。このところあちこちで戦争が多いのも、異常気象が人間の生存本能を掻き立てている現象かもしれない。右傾化する世界、強権国家の出現はまさにそうだろう。
 なんとも嫌な時代に生きることになったものだ。

 (2025/01/13記)

(20250114追記)14日朝のNHK報道では、死者は24人に増え、避難指示や警告対象住民数は、ピーク時には30万人以上だったが、13日時点では18万人余りに減少。一方、LA近郊では14日早朝から15日正午ごろまでは「特に危険な状況」に風が強まるとのこと。

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2025/01/10

1860【新春長屋政談】よれよれの地球はコロナ禍後遺症よわり目にたたり目トランプ禍到来

「やあ、ご隠居、謹賀新年です」

「うむ、アケオメだな。簡単年賀には簡単返事にするよ。 また今年も明けてしまったね、もうこの歳になると新年なんて珍しくもない、飽き飽きだよ」

「まあ、そういわないで付き合ってくださいよ」

「だってさ、コロナが明けたら、何か特別な良い世界がやってくるかもしれない、それを楽しみで生きてきたんだよ、この4年をね。だけども、実はちっともいいことが起きないねえ、気候変動で災害ばかり、あちこちで戦争で殺し合いの世だよ」

コロナ禍にプーチン禍トランプ禍インフレ禍温暖禍右傾禍地球は禍星
(221116詠)

「まあそういわないで、もう少し人生を楽しみましょうよ。そうそう、今年はトランプが出てきて面白そうですよ、あのお騒がせ男が」

「ウンそうだね、アメリカって変な国だねえ、あんな人を大統領に選ぶんだもんなあ。いやいや、アメリカだけじゃない、ロシアでもプーチンを選んだんだものなあ、近ごろはヨーロッパでも極右政権が登場しそうな気配だしなあ、変な世の中になったね、これらの変なことつづきの原因は、地球全部がコロナ後遺症に罹っているにちがいないょ」

「こうなったら、あのトランプが、どんな変なことや奇妙なことを言い出してやりだすか、それを積極的に楽しみましょうよ、それが庶民にできる災難を楽しむ術ですよ」

「おっ、なるほど、何にも関係ない庶民は弥次馬根性丸出しで、トラさんの無教養丸出し政策で世界が右往左往する、それを眺めて楽しもうってのかい、う~む、世も末だね、でもそれも面白いな」

「そうでしょ、もうそれが始まっているんですよ。トランプのUSA大統領就任は1月19日ですから、まだ大統領じゃない、でも大統領でもある、そんな位置にあるもんだから、いい気になって無責任な発言をやってますよ」

(東京新聞20250106)
「わはは、これは面白い、そうかそうか、末世的な不健康さがあるが、しばらく楽しむことにするか。わたしは前にこんな狂歌をこのブログに書いたが、いよいよ何か起きそうだ」

もしかして「棚からトランプ」かもしれぬ いや「泣き面にトランプ」かもしれぬ

「USA衆愚連中はあんな人を大統領の選出するとは、なんと乱れた地球になったかと、がっくりしていましたが、これは第一級のエンターテインメント世界がやってきたんですよ」

「チャイナのシーさん、ロシアのプーさん、北コリアのキムさん、EUは誰だっけ、そう言えばメルケル後にリーダー級がいないね、だれか知らんがみんなトラさんと丁々発止とやっとくれ、野次馬として楽しむからさ」

ジャパンのイシさんはどうするんですかね、この前のトラさん大統領の時に尻尾ふってじゃれてたアベさんのようにやりますかね」

「面白そうだね、今年の春こそ西行の辞世の一首「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のコロナ(頃)」に追いつきたかったが、もうしばらく生きてみるか、そんな気になってきた。そこで狂歌一首」

よれよれの地球はコロナ禍後遺症よわり目にたたり目トランプ禍到来

(2025/01/10記)

ーーーこのブログのトランプがらみ瓢論ーーー

・2024/11/20・1850【選挙狂歌】付和雷同したネットの衆愚 https://datey.blogspot.com/2024/11/1850.html

・2024/11/09・1849【分断の地球】トランプ再登場また分断地球新冷戦時代かhttps://datey.blogspot.com/2024/11/1849.html

・2024/11/05・1848【もしトラ】トラとリス民意を割って真っ二つhttps://datey.blogspot.com/2024/11/1848.html

・2024/07/26・1824【トランプ対ハリス】トランプは一転してヨボヨボ爺にhttps://datey.blogspot.com/2024/07/1824.html

・2024/07/15・1823【トランプ狙撃事件】Hey Mr.Trump! YOU'RE FIRED! https://datey.blogspot.com/2024/07/1823.html

・2024/02/27・1797【もしトラ】実現するい地球リスク「トラプーシ世界」https://datey.blogspot.com/2024/02/1797.html

・2024/01/29・1787【世界選挙年】今年は世界人口の半分が選挙 https://datey.blogspot.com/2024/01/1787.html

・2022/11/16・1655【禍多き星よ】コロナプーチントランプ禍地球は禍星 https://datey.blogspot.com/2022/11/1655.html

・2020/11/07・1499【困惑する政治の季節】アメリカでも日本でも政治的騒ぎ中https://datey.blogspot.com/2020/11/1499.html

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2025/01/02

1859【高血圧事件③】 老いぬればわれも放哉をきどりたし「屁をしてもひとり」ナンチッテ

 【高血圧事件②】から続く

 この年末年始は、近来まれなほどに実に詰まらなく過ごしている。
 2024年1月24日クリスマスイブから喉が猛烈に痛くなり、今年の正月3が日もゲホゲホグチュグチュである。なさけない。

 昨年12月23日夜、のどが痛くて寝れらない。開院を待ちかねてクリニックに行った。
 なんとまあ、ビルの廊下に待たされてクリニック待合に入れてくっれない。感染対策だな。寒い寒いと言ったら、看護士が懐かしやニクロム線が赤く輝く電熱器を足元においてくれた。
 別入り口から入って、看護師に両鼻穴に白いひもを突っ込まれて、コロナとインフルエンザの検査だった。始めてやったがあれは痛かった。

 やがて医師が廊下に出てきて、検査結果はコロナでもインフルでもないと分かったとて、大きく開けさせられた喉の奥をちらりと見て、「うん、赤くなってるね」と一言で診察おしまい。4日分薬を処方してくれたから、そんなもので治るのだろう。まあよかった。

 さてどっこい、今日はそれから10日たったが、まだ治らない。4日分の薬はとっくにのみ終えたが、いまだに喉が痛くて日夜ゲホゲホグチュグチュやっている。
 熱がないから、病の気分でなくて、3食を食っているが、夜中にも襲い来る咳ゲリラに負けて、睡眠不足の日々である。ごくたまには呼吸困難になるほど咳ゲリラが活躍する。それには鼻水と涎という水軍ゲリラが伴うのが汚らしい。

 風邪なんて珍しくもないと思ったが、日記を見ると最近は2022年の10月にひいているが、去年も2021年にもひいていないから、近ごろは珍しいようだ。
 それにしても記憶の風邪は、こうも長くゲホゲホと苦しんだことは無いはずだ。これはてっきりわが身の老化が、風邪ごとき奴にも抵抗力を落としたに違いない。

 若い時は10日も寝込むことは無いし、たとえ寝込んでも治ればすぐに回復するだろうと、気楽に構えていたものだが、歳とるとそうもいかないと気が付いた。
 こうも長く外出しないでいると、足腰が弱ってしまう恐れがある。弱ると他の病が来るかもしれない。怖いことだ。

 そこまで考えたところで、アッと気が付いた。わたしはこの12月から高血圧事件に巻き込まれているのだった。
 そうそう、200もある高血圧発見でその治療に入っているのであった。この風邪のゲホゲホ騒ぎに気を取られてしまって、血圧問題をすっかり忘れていた

 でもこの間も医師処方の血圧薬(その名は安室美人と薬袋に書いてある)を指示通りに服用して真面目である。
 だから風邪の処方薬の3種類ものっでいた4日間は、朝昼夕と食事のたびにどれをいくつ飲むのか、クイズ解いている気分だった。その薬をの飲む習慣だけは高血圧事件を思い出したが、血圧を測るのはすっかり忘れている。

 そしてそれまでは朝飯食わない習慣だったのに、12月からは薬を飲むために朝昼夕の3食を食う結構な習慣が、戻ってきたのは良いことかもしれない。
 でも、高血圧の診察時に「太るな」と医師から言われたのに、3食食うとリスクがあるけどいいのか。

 ヒマな老いの日のヒマツブシを探していたが、この風邪ひきは見事にヒマツブシになった。ゲホゲホジュルジュルと不意にやってくる咳ゲリラと戦うのに忙しいこの年末年始の日々である。もっと違うヒマツブシものにすればよかったと後悔している。
 さていつまでこれが続くのか、日々わずかづつゲリラの威力が衰え行く気配はある。もうすぐ勝つだろうと希望の年始である。めでたい。そこで狂歌一首。

老いぬればわれも放哉をきどりたし「屁をしてもひとり」ナンチッテ

(20250102記)

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2024/12/22

1858【高血圧事件②】八十年を超える運転してると部品にガタが来るのは当然だがそれも病と言うのか?

高血圧事件①から続く)

やあ、ご隠居、久しぶりですね、なんだか元気がないみたい、まさか病気ですか。

あ、熊さんかい、うん、どうも病気になっちまったらしいんだ。

ええっ、でもその顔色や歩きっぷりは元気そうなのに、どうしました?

うん、わたしはご覧のように元気だけどね、先日、ヒマなのでヒマツブシに健康診断をやってみた、そこで医師からオマエは病気だといわれた、だから病気らしい。

たよりないねえ、肝心のご隠居は痛いとか眠れないとか物を食えないとか、あるでしょ。

それが何にも病らしいことは無いんだよ、平生はめったに医院に行ったことが無い、オカシイだろ、いやまあ年取って歩くのが遅くなったけどね。

ヘンですね、あ、わかった、頭がおかしくなったのでしょ、認知症とか、、。

いやいや、医師から言われたのは、血圧が高い、心臓と腎臓がおかしい、太るな、歩け、塩分控えろ、ほかにはえ~となんだっけ、忘れた。

薬を飲んでますか、医師の言うことをきいてますか。

ああ、言われたことはちゃんとやってるよ、どこも何ともないのにねえ、でもね、めったに支払う機会がない医薬代金が高かったから、もったいなくて薬を朝夕に飲んでるよ。

薬ってそういう精神で飲むもんじゃないですよ。

平生は高額の後期高齢者医療保険料を支払うばかりだから、この際にそれを取り戻そうと張り切っているね。

いまに介護保険料も取り戻そうって頑張るつもりでしょ。

そうそう、内緒だけど実はほんとは病気なんだよ、自分では元気に動き回っているのに、医者からお前は病気だと言われると、おお、オレもついに病気老人かあ~って、くよくよ考えるんだよ、だから心の病になったな。

じゃあ健康診断したせいで病気になったっていうのですか。う~ん、病は気からと言いますからねえ、それじゃあまるでご隠居の病は医師のせいと言うみたいです。

そうそう、わたしは医源病だね。

そんな名前の病気があるんですかい。

わたしが発明した言葉と思っていたけど、ネット検索してみたら、医学界にあると分かって驚いたね。わたしにはこんな経験があるんだよ。もう23年も昔のことだけどね、わたしは脚の股関節の骨頭壊死症なる不治の重病と診断された。治療法がないままにいつ倒れるかとビクビクしながら暮らしていたんだ。それが1年ほど後になんとまあ自然治癒してしまった。医師が治る病を不治と誤診したんだ。これも医源病のひとつだよね。医学界では医原病と書いてこれとは若干異なる意味らしいけどね。

なるほどね、でもご隠居がいくら元気といったって、米寿がすぐそこでしょ、もうかなり老朽化した身体だから気をつけて下さいよ。どこか悪いところがあるはず。

そうだね、これだけ長期間の運転をしてくれば、老化して動きがぎこちなくなるのは当たり前、でも老化と故障とは違うと思うよ。故障しやすくはなってるだろうけどね。

なるほど、でも近ごろ病気老人が多いのは、故障者が増えたからでしょ。

それにつけて思うのは、老人が増えすぎたことだ、人間古来の不老長寿願望に、医療技術が応え過ぎてますね、死ぬはずの人間も生き延びさせてしまう技術が完成です。

そう、その上、宗教も文化も生きる願望に応え過ぎたと思うんだよ。長生きするのが最高の生き方なんてことに、だれもかれもがはまり込み過ぎたよ、人間は。

そうですね、それによる人類の繁殖し過ぎで、地球環境問題が起きていますよ。身近には高齢者問題発生ですよ。ご隠居のような元気老人ならまだいいけど、病気老人だらけになっていますからねえ、かといって、現代の倫理ではこれの積極削減はタブーですからね。

でもいずれ、人類が生きるためそのタブーを破る日が必ず来そうだね、これって論理矛盾だね。現代の地球上の頻発する戦争も、男女の境界の崩壊現象も、生物的な面からタブー破壊現象かもしれないね。

そうだ思いついた、ご隠居がオレは元気だと言いつつ歩きまわっているのは、年取って老化も故障も区別する能力なくなったのかもしれませんよ。

何を言うか、俺だって風邪ひくぞ、実は昨日からちょっと咳が出るんだ、何年ぶりかなあ、ゴホン、ハックショ~ン……、故障だあ。

さいなら~、おだいじに~。  (つづく(2024/12/22記)

ーわたしの人生での傷病らしい傷病(◆:長期通院、●:短期入院)ー

◆日光角化症(2017年)http://datey.blogspot.jp/2017/08/1289.html
◆腰椎圧縮骨折(2015年)http://datey.blogspot.com/2015/05/1084.html
●白内障(2012年)https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo
◆大腿骨骨頭壊死症(2003年)http://datey.blogspot.jp/2012/01/571.html
●左大腿骨関節異常(1978年)、◆メニエル氏病(1957年)、●右腕骨折(1951年)

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2024/12/16

1857【高血圧事件①】当人は痛くも痒くもないけど米寿にして遂に本物の病人になったらしい

●ヒマツブシで健康診断に総合病院へ 

「すぐに専門医に診てもらいなさい」
 目の前に座る白衣の医者が言う。えッ、なになに、どうして?、わたしは怪訝な顔をしたに違いない。
血圧が210もあり危険です
 わたしは何のことかわからないで、ハア?、いや、医師の言葉は聞こえるが、どこも痛くもかゆくもないので、なにが危険なのかしら、。

 今日は近所の総合病院に、年に1回の市公費受診できる老人健康診断にやってきたのだ。
 わたしが風邪さえも引いていないのにこの病院に来たのは、毎日がヒマすぎる、今日はヒマツブシに健康診断にでも行ってこようかな、この辺でやっておくのもよいかな、と考えた結果である。無料だから散歩の続きくらいの考えだった。
 歳とって何となく身体の動きがぎこちなくなったことはわかっているが、それは物が古くなれば人間も当然だろう。

 このまえ健康診断をやったのはいつだったか、十年以上の遠い記憶である。まずは体重身長測定とは懐かしや。記憶の身長から4センチも縮んでいるのに驚いた。そのほかあれこれ検査で、時にはなにか数値を言われたが、もともとヒマツブシだから真剣に聞かないので頭に残らない。聞いても意味が分からないしね。

 そして最後に問診で医師にX線写真とともに出会う風景は、かつて覚えていた通りだった。懐かしや。
 そして上記の「すぐ専門医へ」宣告のあと、医師に何を言われたか覚えていない。おれは実はそんなに重い病人か、そりゃまあ米寿ともなれば仕方ないか、血圧200越えって緊急事態かよ、う~ん、じわじわと落ち込んできた

 何しろめったに医者にかかったことがない、特に内科医には出会った記憶がない。たまに出会うとこの緊急である。でも仕方がない、さて血圧の専門医ってどこにいるんだろうか。
 健康診断が終わって出るときに看護師に、こちらの病院に高血圧の専門医がいるのかと聞けば、循環器系の医師は今日はいない、週に2回午前中しか診ないがよいかと言う。緊急に診てもらえとたった今指示されたこちらは、それでは困る。

 血圧専門医とは循環器医師というのか、そうだ、偶然にもひとりだけよく知っているぞ、それは高血圧症だった亡妻の専属医だった近所のクリニックのN医師がそうに違いない。時々付き添って行ったあそこだと、その足で向かった。亡妻の病がわたしに役立つとは偶然だ。

 そうか210もの血圧は危険なんだ、でも当人は何の変わりはないのだけどなあ、いや、そう聞いて気分が悪くなってきたから、変りがあるあると言うべきか。ヒマツブシが役にたったというべきか。

●循環器専門医を久しぶりに訪ねる

 久し振りにそのクリニックを訪ねて、こんどはこちらの診察とて、さっそく検査がまた始まった。先ほどやった身体検査の結果は来月でないと教えてくれないから仕方がない。1日に2回も健康診断やったことになる。こんどは有料だが仕方ない。

 そしてN医師にいまの検査の分かることの話を聞いた。X線写真をまた見せられ、高血圧のために心臓が膨らみゆがんでいるとのこと。なるほど心臓が偏って膨らんでいて、血管が曲がっている。
 これからそれを直して元にもどすのかと聞けば、それはやらないし必要もないそうだ。なん~だ、でもこれはで素人でも眼に見える高血圧の証拠ではあるな。

 そしてこれからの24時間に心電図測定をするとて、小さな何かを胸にいくつか張り付けられた。そのまま帰宅して寝て明日また来いとのこと。
 これから薬で血圧をゆっくりと下げて行き、常時140/70あたりに安定させるが、急に下げるのは危険なので、薬の調節で時間をかけるとのこと。
 話を聞いただけではよく分らぬし、メモをもらったがそれもよく分らない。家に戻ってネット情報も見てクイズを解く気分だ。暇つぶしにはなるが、知れば気分が悪くなる。

 こうなった状況にあるのは、自分に何か症状があって医師にかかりに来たのではなくて、ヒマツブシに来たのが偶然にも緊急な事態にあったと分ったからだ。ということは、健康診断にこなくてあのまま日々を過ごしていたら、すぐにぽっくりと逝ったのだろうか。

 う~む、それならむしろ歓迎することであったなあ。だって、毎春になると西行を気取って「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のコロナ」(元歌は、「望月の頃」)と詠っているのだから、10か月遅れでもそれは良かったのになあ。
 こんなことは医師には言えないな、バカにするなと激怒されそうだ。

 と言うことでこの日は、当人は何ともないが周りは大わらわの検査で、まことに結構すぎるヒマツブシになったのであった。結構でないのはクリニックは公費じゃないから5千円もかかったこと。それと「オレも病人かよー」と心が病んできたことだ。薬が出されたが、これは血圧の薬だろうが、心の薬ではあるまい。

 2日目にまたクリニックへ、胸の心電図検査装置を外した。血圧は170台に下がったようだ。医師からの注意は、「塩辛いものを食うな、歩け歩け、歩けば必ず血圧は下がる」であった。どちらも私には問題ない。歩くの大好き、食い物にはもともと執着がない。

 さてこの日から、わが同期同輩友人たちにメールや電話やラインで宣伝である。
「オレもついに病人になったぞ、血圧が200を越えているのだ、どんなもんだあ」と。そうしたら大勢が返事を下さった。お見舞いやご助言も賜った。ありがたい。

 それらで分かったというか悟ったことをまとめると、実はこの歳だとだれもかれもが高血圧で、薬で血圧制御して普通に暮らしているのであるらしい。それも薬をずーっと何年にもわたって飲み続けている方も多い。

 と言うことは、この歳になれば高血圧なんて、珍しくもないヤツのだったのだ。えーっ、そうなのかあ、どうもわたしが独りで騒いでいた独り相撲の感がある。
 友人たちに恥ずかしくなって、騒がせたことをじわじわと謝っている。慌てて長期の約束事を短期への変更まで言い出して、また元に戻すありさま。なんともはや。

つづく(2024年12月15日記)

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