2022/06/30

1626【建築家名の図書館】前川國男館という設計者個人名がついた神奈川県立図書館

●神奈川県立図書館に新しい本館登場

 横浜の紅葉坂上にある神奈川県立図書館に、その設計者の固有名詞がついた「前川國男館」が登場した。この図書館は県立音楽堂とともに、まだ太平洋戦争の傷が癒えない1954年の横浜に初登場した、名作建築である。食べることから文化にようやくに目が向く、まだまだ戦後を引きずっている時代だった。
 日本でも建築家の固有名詞が、一般的な公共施設に名付けられれる時代が、ようやく来たのか。

県立図書館の新しい本館前の案内版

 その図書館がその後の時代の変化に対応する機能更新のために、隣接してすでにかなり前に新館が建っており、当初のこの棟は本館と言っていた。それでも時代要請に対応できなかったので、本館と新館共に建て替え案や図書館全体の他地区移転案もあったようだ。

 結局は本館を歴史的建築としてリニューアル保全して、隣の街区に本館を建てることにしたらしく、それがこのほど完成したようだ。これら3棟をどう機能分担して使うのか知らないが、先日前を通りかかったら隣の街区に新しい図書館建築が建っていて、まだ開館していない状況だった。

●設計者名が命名された建築

 案内板を見ると、新築のこれを本館とし、これまでの本館を「前川國男館」と名付けたらしい。まさか前川國男関係だけの図書館にするのではあるまいに、設計者の固有名詞を公共建築に名付けるのは珍しい。特定建築家の作品展示のミュージアムならば、伊藤豊雄建築ミュージアムや谷口吉郎・吉生記念金沢建築館のように公共建築でも個人名を付けたものもあるが、それは当然である。

 あ、そうか、これはもしかしたら、その館だけが前川國男を軸として、日本の近代建築史関係の図書に特化した図書館にリニューアルするのだろうか。そして前川作品の図面や模型の常設展示室もある、なんてあるかな、そうか、それなら納得できる。そうに違いない、いいことだ。神奈川県はなかなかやるよなあ、再開を待ち遠しい。

 とすると、これまでの新館はなんと名付けたのか、それは書いていない。その新館の設計者は前川でないことは、その姿を見ただけでわかる。本館をそう名付けたら、新館もその設計者の名をつけるべきだろうが、そうは案内に書いてない。差別である。

 で、「前川國男館」の後継者となった新しい本館建築の姿は、どうかと眺める。
 う~む、これは、この設計者は誰だろうか、まさか前川設計事務所ではないだろう。

新しい図書館本館
 現新館といい、これといい、名作といわれる前川國男館にそれなりい敬意を払い、それなりに景観的な連携を図ってもよさそうなものだが、まるで関係がないのはどういうわけか。

●建築と建築家

 ところで、日本の通常の公共建築にその設計者名を付けた例があるのだろうか。そもそも日本では建築が新たに建っても、それが誰の設計によるのか、専門家は別にして一般に興味を持たれることはめったにあるまい。
 例えば新国立競技場の場合のように、それについて事件があったとか、あまりに奇妙な恰好とか、そのような場合だけマスメディアに建築家の名が出るが、それもすぐ忘れられる。

 今回の県立図書館のような設計者名の命名は、建築家にとっては喜ばしいことであろうが、さてこれが世の一般の風潮になるだろうか、かなり怪しい気もする。
 何しろ「建築」は建物であり建屋とか物件とも呼ばれるし、「設計者」は設計士とか建築屋とか言われても「建築家」と呼ばれることはめったにない風土なのだから。

 新しい建築どころか、歴史的建築でさえもその設計者をマスメディアが伝えるどころか、その現場の案内に記されることもめったにない。そういえば欧米の外国で都市を観光旅行すると、ガイドが名所建築説明に必ずその建築家の名前を言うが、日本では聞いたことがない(めったに観光旅行しないが)。

 そうはいっても、建築家はまだよいほうである。わたしのような都市計画家は、ほとんど世に知られることはない。それはいずれ知られるのか、それとも永遠にないのか。
 例えば、新国立競技場が話題になり建築家の名が出たけど、都市計画家の名は一度も登場しなかったよね。

●復元して悪くなった広場環境
 

 さて、その新命名の前川國男館の前にやってきて、音楽堂そしてこれも後年の前川設計の青少年会館とともに形成する広場から眺める。
 この姿は一昨年にリニューアルされた。広場のリニューアルの方針は、当初の姿に復元であると、広報されていた。1954年の当初はこの広場は砂利敷きであったが、できがったのはコンクリート敷きだった。

  わたしは2019年にその工事中にここに来て、掲示と現場を見てこう書いた(2019/06/27)。

広場整備の方針
「あの広場には樹木がたった一本しかなくて、全部が駐車場に占められているし、広場から昔は海が見えたろうけど、今じゃあ周りは高層共同住宅でその上から超高層ビルに見下ろされて、なんとも鬱陶しいねえ。広場はクルマに占拠されてるし、夏は暑くてたまんない、だから緑を植えて木陰のある庭にして人が集まるようにするのかと思ったら、この絵を見るとやっぱり駐車広場ですよ、写真見ると砂利敷きだから、水の浸透性をよくするように砂利を復活するのかな。https://datey.blogspot.com/2019/06/1406.html

 さらに去年春にきてみて、こう書いた(2021/03/22)

この文化ゾーン施設を県が再整備してのが1昨年、けっこう繁っていた樹木をり倒した。管理上それは仕方ないとも思うが、この音楽堂前の殺風景広場をなんとかしてほしかった。
 広いコンクリート駐車場にタブノキがたったの一本だけ、夏はとてもいられたものではない。駐車場が必要なのはわかる、駐車場でよいからその中に樹木を植えてはどうか、復元的整備とてこのようにしたのなら、それが間違っている。
 これが建った頃はまわりには樹木の多かったし、広場は砂利敷きだったし、音楽堂には楽屋がなかった。そう復元するのでないなら、現代に対応する復元をするべきである。東京駅のように復元さえすればよいとの考え方は間違っている。
https://datey.blogspot.com/2021/03/1523.html

 そしてこの暑い暑い夏の日に、またここにやってきた(目的は横浜能楽堂であったが)。

左に「前川國男館」、正面「音楽堂」
気温35度の夏の日、広場にある唯一のタブの木陰から撮影した

 広場はカンカン照りの太陽で暑いのなんの、予想通りでとてもいられるものではない。
 それでもこの広場に憩う5人の姿があったが、それらは当然のことに唯一のタブの木陰に座っていた。今からでも遅くないから、数十本のタブの木を植えてほしいものだ。

 折からこんなニュースもある。6月22日ニューヨークタイムズ記事に、パリのノートルダム寺院の火災からの修復工事に関して、その広場に植栽をして、歩行者に快適にするとともに気温上昇から守る、というのである。あれもこれも歴史的空間の復元ならば、見習ってはどうか。
再整備計画の鳥観図

現況 グーグルマップより

参照:2019/06/271406【1950年代モダニズム建築の再生】3:神奈川県立図書館・音楽堂は本当に保存に値する名建築か

(2022/06/30記)

2022/06/18

1625【核毒被害に国家は無責任】核毒が降る日々十年コロナ来てはや二年余こんどは戦争

●国家に賠償責任はない核発電核毒加害

 日本の核発電施設の事故による核毒被災について、国に加害責任がないから損害賠償は加害者の電力会社だけで負担せよとの最高裁判決が出た。3・11の福島核毒被害者からの賠償請求が却下されたのだ。

 この判決については、諸問題を含むようだがそれはさておき(いや、さて置くのはおかしいが論ずる能力がないので)、では、われら庶民はこれからどう対処するべきか、それが気になる。

狂歌<庶民の心得>
国家さえ責任無いと言う核発電  覚悟してスマフォ炊飯洗濯

 とにかく核発電所の事故で周辺住民などが核毒被災しても、その発電事業者に補償させるしかないとなると、その額があまりにも莫大で大変、それは現在も続く裁判が示している。 電力事業者は賠償能力を備えなければならないとなると、事業的に成り立つのか。もしもこれから核発電事業を始めようと考えるものがいるだろうか。

 もちろんその補償金となる原資を、電力使用料金に含めて広くから徴収して超足するのだろうが、当然に料金値上げがものすごいことになるだろう。それが企業や生活者などの電力使用者に負担可能なのだろうか。
 国が保証金負担しないとなったからには、電力事業者の責任が膨大に重くなったことになる。事業者はその責任に耐えられるのか。
 東京電力が現在の当事者だが、使用料金を大値上げするだろう。東電の電力を使っているところは、どこもその値上げ重圧に耐えなければならない。

●どこか核発電所の無いところに移住するか

 耐えられないとなると、東電管内から逃げ出して別のところに移住するしかない。でも行く先でも核発電所があるから、同様の事故は起きて、同様な値上げになる可能性は十分にある。逃げ場はないのか。

 核発電所からはるか遠くに住んでいれば、その事故の影響を受けないかと言えば、電力使用料金でしっかりと影響を受ける。
 となると核発電所を持っていない沖縄電力の管内だけが安全なのだろう。沖縄に移住しようかな。

日本列島とその周りの核発電施設分布状況

 あるいは核発電でない発電施設をもって供給する電力事業者と契約するのがいいのだろうか。再生エネルギ発電が良いのかしら。安定供給できるのかしら。よく分らない。
 自家発電という方法もあるか。屋根の上に太陽光発電設備を載せるのは昔からあるが、その発電量はどれくらいだろうか。
 敷地内を川が流れる土地を買ってそこに水力発電施設のある住宅を建てる。小さな水力発電設備があるらしい。
 いろいろ考えるが、分からないことばかりだ。

 ウクライナのプーチン戦争によって、チェルノブイリとかザポリージャとかの核発電所が戦場となったニュースがある。
 チェルノブイリでは敷地内に塹壕を掘っていたロシア戦闘員が放射線障害で倒れたらしい。核発電施設の管理は、ウクライナ側の専門家に保たれているらしいが、戦争激化すればそのまま核兵器になる可能性は高い。

 日本でも核発電所が無いのは沖縄電力のみだから、九州から北海道まで核兵器配備の列島である。怖いことである。
 でもそう考えると、日本の核発電施設に国として責任がない、と言いきってよいのだろうか。もっとも、責任持つからとてじゃんじゃん設置されるのは、もっと怖いけどね。

 これは3・11以前から考えていたが、核発電施設を地上に作るのではなくて、核発電船にすればよいのだ(参照:このブログの2008年9月記事。航空母艦のようなは巨大な船が核発電で動くのだから、民生用の巨大核発電船を作ることはできるだろう。
 船ならば事故があっても、海洋汚染はあるとしても、生活や生産の兄影響は少ないだろう。電力需給の地域的アンバランスにも、必要な地域に移動して電力供給すればよいだろう。地震で津波が来る前に、遠い海洋に移動して避難すればよろしい。あるいは津波を乗り切ることができるかもしれない。

 なんにしても、核発電施設の無いところに逃げ出したいものだ。簡単なことではないが、実はわたしには比較的簡単に逃げ出すところが用意してある。超高齢のわが身には遠くない時期にあの世が待っているのだ。
 だから、核毒・コロナ・戦争と続けさまにやって来るとは、地球は狂っているらしいが、どこか気楽であるのが、われながらオカシイ。

●コンテンポラリーアートとしての福島核発電所事故

 核施設事故で思い出したことがあるので、書いておく。
 先月末にChim↑Pom展を六本木の美術館で観て来た。福島核発電所事故がらみのコンテンポラリーアート2作品が展示されていて、どちらも興味深く観た。

 その一つは水素爆発直後の現地アート活動映像。水素爆発の直後のまだ立ち入り禁止措置が出されていないとき、近くの山上展望台に核毒の危険を冒して登り、そこに日の丸を模して作った真っ赤な核物質マークの旗を立てたのだった。すぐ近くに爆発で歪んだ核発電施設が見えており、強風に中の核毒が降り続くであろう現場、それは弾丸が降りくる戦場の旗のようだ。アーチストたちはもちろん真っ白な防護服である。
 その時の映像が出品されていた。社会問題に切り込む現代アート活動の神髄である。

 Chim↑Pom作品のもう一つ核関係展示は、まったく何も展示されていない大きな展示室である。そこは人の声だけが流れていて、いま、福島の帰還困難区域指定されて誰のいない集落の民家数軒に、数名の現代アーチストの作品(Chim↑Pom、艾未未など)の展覧会が行われてることを伝えている。ここに存在しない作品を展示しているのだ。


何も作品展示の無い展示室 Don't Follow the Wind(Chim↑Pom)

 その集落が指定解除になったら展覧会は公開されるそうだから、もしかしたらもう見ることができるのかもしれない。
 こうして、立ち入り禁止地域の中で、あえて展覧会を開催すると行為自体が、社会に深く介入し告発するコンテンポラリーアート作品である。面白い。
 真っ白な箱のままの部屋の大きな窓の外に東京の風景が広がる、その先に福島があるのだろうか。思いをはせるしかない。
 他にも面白いChim↑Pom作品を観て来た。

狂歌<ヤレヤレ、>
核毒が降る日々十年コロナ来てはや二年余こんどは戦争

 (20220618記)

2022/06/17

1624 【コロナとプーチン】コロナ規制も緩和のようで飲み会やるかな、プーチン戦争長引きそうで食糧危機かも

 2022年の6月半ば、定例の月半ば二つの戦争報告を書いておく。実情を書くと言うよりも、わたしの尋常を書いておくのである。

●コロナが緩んだのかしら

 このところウクライナのプーチン戦争に気を取られていて、新型コロナ戦争のことを忘れそうになる。政府もコロナ対策はどう緩めるかばかりやっているようだが、コロナはどんな具合なんだろうか。

日本コロナ最近半年間の感染者の発生状況

日本コロナ最近半年間の死亡者発生状況

 感染者も死者も第6波が下がってはいるが、ダラダラとロングテイルの蛇で、感染者は相変わらず毎日万を超す発生で、ちっとも消滅しないのだが、これって収まっていると言ってよいのかしら。

日本コロナの都道府県別感染者と死者状況

 こんな状態なのに、御上の言うことには、マスクは真面目につけなくてもいいよ、酒飲み会を少人数ならやっていいよ、旅行にも行っていいよ、外国からのツアー旅行者たち団体を入れてもいいよ、そしてどうやら7月からはまた強盗GOTO助成金復活らしい。
 沖縄では東京や大阪並みの感染発生が続くのに、観桜客入れてもいいのかねえ。島根県や鳥取県にも観光客が行っては、せっかくの日本の防疫先進県も感染先進県になるかも。

 2年以上もマスク強要日本だったから、今になって外していいよと言われても、戸惑いがある。では今日はマスク無しで遊びに行くぞと出かけたら、周りの他人はマスクしているし、みんあから睨まれているような気がするし、居心地が悪い。

  小学生が新聞投稿していたが、物心ついてずっとマスクしていたから、急に外してよしと言われても、外すと裸みたいで恥ずかしい、とのこと、ごもっともである。いっそのことマスクも学校制服にしてはどうか。マスク着けてて悪いことはあるまい。外す必要があっればその時だけはずせば宜しい。

 まあ、いずれにしても会食や飲み会してもよいと言うのだから、うれしいことはうれしい。この2年半も逼塞して、わずかにネットのメールとかZOOMだけでバーチャル顔合わせしてたのを解除して、さっそく死ぬ前に旧友たちと一杯やっておきたものだ。
 さあて飲み会段取りするぞーっ、と思ったら、今日、大学山岳文化魔だった男から飲み会野郎のメールが来た。同じこと考えるもんだ、大賛成。

 コロナで困った企業などに税金使って支援する助成金の制度が数多くあるが、このところそれを悪用して詐取する奴が多く出てきているようだ、やっぱりなア、そうなると思っていたものだ。

 支給する政府側も出だしは性善説に基づいてできるだけ早く支給しようとするのはよいのだが、大金が動けば必ず悪用が出る。しかも支給する政府や自治体の役人側にも、国会議員にも悪人が登場するのだから、世の中はやっぱり性悪説にならざるを得ないのだな、情けない。

全世界のこの半年間のコロナ感染者発生状況 ロングテイル

全世界のこの半年間のコロナ死亡者発生状況 これもロングテイル

●ウクライナ局地で長期戦か

 ウクライナのプーチン戦争は、東部の都市世ベロドネツクに集中してロシアによる攻撃がはげしいそうだ。ウクライナ側は西側諸国の兵器援助を求めて叫び、それに応えてたくさんの中古兵器が持ち込まれているらしい。

 ロシアとしては、西の国境に接する国々が、NATOやEUに加盟すると恐怖らしく、一皮の緩衝地帯となる国が欲しいらしいことが戦況図からよく分る。でも、その恐怖心からの行動が、東欧諸国はもちろん北欧スカンジナビア諸国もバルト三国そしてウクライナもNAOとEUを招き寄せてしまうのだから、政治的に稚拙としか思えない。

 ウクライナは劣勢ながらも持ちこたえているらしいが、いつまでこの状況が続くのだろうか。ロシア国内でのプーチン支持率は高いとの報道あり、日本の戦中と同じ様相らしい。ロシアはどれほどの国力があるのだろうか。国土は広いが実際の富は大国ではないらしい。それにしても西と東の違いが激しくて、ひとつの国になりうるのかと思う。たぶんに陽が足と西にと見の差が大きすぎて、西が東に従属せざるを得ないので一国になりえているのだろう。

 今朝の朝日新聞に、この戦争についてロシアの心情を解説している。
 ロシアとしては、西側諸国かからこれまで何回も何回も侵略されては跳ね返してきた。一度もこちらから侵略したことは無い。今回もアメリカがNATOを使ってウクライナ東部に侵略して来たので、国土防衛のために戦っている。第1次大戦から続く祖国戦争であり、今回も祖国を守っているのだから、国民の支持を得ている、というのだ。
 実際はロシア側からの侵略は、わたしの記憶の範囲でも、チェコやハンガリーあるいはアフガンなどで侵攻加害者になったことがあるのだが、国内では被害者意識ばかりらしい。

 国際関係についてはまったく事情を知らないのだが、戦中の日本もそうだったと思い出すことがきる。ロシアはこの戦争の後のことをどう考えているのだろうか。
 ある日、プーチンがコロナで死ぬとか、CIAかMI6に暗殺されるとかで、一気に終戦になるってことは、、、あるかなあ。

 それにしても、西側から兵器の供給がこうも続くと、兵器産業が栄えることだろう。その一方では、世界の小麦生産輸出国のロシアとウクライナからの輸出が止まって、これからの世界食糧事情がどうなるのか。ウクライナでは今年の小麦生産ができるのだろうか。
 わたしの戦争体験は、とにかく腹が減っていたことだから、これがいちばん気になる。

(2022/06/17記)


2022/06/01

1623【地球侵略病原体】昨夏はオリパラ第五波暑苦し今年はプーチン第六波の初夏


 いま地球を侵す2大病原体、コロナとプーチン、願わくはこの2病原体が合体してくれんことを、たぶん、毒を以て毒を制する結果になるだろう。クレムリン宮殿の一室をピンポイントで狙う生物兵器ってあるかしら。
 2022年も6月を迎えた。いつものように先月の状況まとめを書く。

●日本コロナ状況

 まずは先輩格のコロナの話からはじめよう。2020年正月に始まって以来2年5カ月、さすがに飽きたという感もあるが命にかかわるからそうもいかない。地球上どこでもそれなりに大変らしい。
 地球上の人間は生物としてはみな同じだから、命にかかわるとなると同じような行動をするものだと思っていたが、国家という囲い込みの中でそれぞれ異なるのが、面白いと言うかヘンだと言うかコワイというかバカというか。



 まず日本コロナは、第6波がピークを越えてから減衰するそぶりを見せながらも、ぶり返したりして、コロナのヤツはなかなかしぶとい。みんなしびれを切らして、とうとう堪忍袋の緒が切れた経済界の圧力で、政府は新たなコロナ対策を出さざるを得なくなった。

 要するに、マスクしなくていいよ、飲み会やってもいいよ、あちこち動いてもいいよ、外国からの観光客を呼び込んでもいいよ、緩和緩和また緩和である。要するにコロナ以前と同じってことである。

 ただし、さすがにまだコロナが居座っていて、日に万を超す感染者が出ている状況なので、なんだかへっぴり腰緩和で、段階的な緩和策を手探りで始めている。ぶり返したらまた緩和取りやめにするのだろう。臨機応変と言えばよいことだが、へっぴり腰と揶揄される。
 とにかく、コロナを克服したぞ、いや、克服しつつあるぞ、いや、克服したかもしれない、てなところが、政府も専門家もそして普通の人(わたしのこと)の思いである。

 わたしは5月中に東京の美術館へ1日だけ出かけた。飲み会に誘ってくれる人はいない。ましてや仕事のお誘いは皆無である。
 老人に残される社会はもうネット空間の中にしかない。少なくなるばかりの友人知人たちとの日常やり取りはSNSやEメール、年寄りの好きな同期会はZOOMでやる有様だ。
 これがコロナがもたらした高齢社会の現実である。

●隣国コロナ状況

 さて、海の向こうのお隣ではどうなのかと見れば、南コリアは感染数累計は、いつの間にかロシアを追い抜いて、世界ランキング7位に登場している。新大統領がつい先日に就任、さっそく腕前を試されるから大変だ。
 北コリアも突然に大感染とて、キムジョンウン親分さえもマスクして登場するくらい大変らしい。でも南コリアからのワクチン支援の申し出を断ったそうだから、コロナにも負けない親分だ。


 そしてチャイナでは大都市の上海で3月に突然大流行となり、そこは最初の武漢での封じ込め成功体験がある国家だから、上海でも強烈な都市封鎖で2500万人もの住民の外出禁止を約2カ月も続ける。シーチンピン親分が率いる強権国家ゼロコロナ政策はすごい。

 2ヶ月も封鎖すると、社会経済文化コミュニティー崩壊が起きてきて、さすがに市民や企業からおおいに不平が高まったらしい。だが、とうとう不平もコロナも押さえつけ成功、この6月1日ようやくロックダウン解除だそうだ。チャイナではそのロックダウンが都市崩壊ともいうべき数々の問題を、今後どう立て直すかが問われるのだろう。

 チャイナがゼロコロナ政策であるのに対し、日本も含めて世界各国が免疫論によってどちらかと言えば共生コロナ政策により、あいまいな動きでコロナ延命状況が続く。
 どちらが良いのかわからないが、もしもこれで強権国家賛美が起きると今後世界にどう影響するのか、考えるとコワイ。プーチン戦争が世界各国にもたらしている軍事国家賛美と通底するものがある。

 このところなんとなく感じるのは、地球はまた東西2陣営の対立時代になりそうなことだ。一方はロシア・チャイナを中心とする陣営、もう一方はアメリカ・EUを中心とする陣営である。東西冷戦時代の再来だろうか、よく分らない。

●プーチンは対西側兵糧攻め

 コロナウィルスと並ぶもう一つの地球病原体プ-チンロシアがやっているウクライナ侵略戦争は、2月下旬に始まって今やもう4カ月になったが、まだ止まない。1か月ほどで作戦変更して、ウクライナ全体制圧方針から、南部と東部を占領するらしくそちらへの侵攻が激しい。

 ウクライナも西側諸国から武器援助を受けて、果敢に抵抗しているが実際の戦況はそれほど良くもないようだ。だが、ここにきて世界への影響は一段と著しいものがある。地球上の各地区の経済はどこもかしこもネットワークして動いてるので、西側諸国がロシアを経済制裁すると、その跳ね返りがやってきているようだ。

 まずはロシアがガスエネルギー小麦の世界的な供給国であるので、制裁措置でそれらが途絶えると世界で物価上昇になる。ヨーロッパはエネルギーのロシアへの依存度が高いらしい。その点で、アメリカは平気なのだろう。

 ウクライナも実は小麦の輸出国なのだが、ロシアが侵攻してきて黒海の港の封鎖をして、輸出を邪魔している。ロシアからもウクライナからも小麦が輸出されないと、世界は食糧危機となる。港の封鎖を解くには経済制裁解除が条件だとプーチンは言う。ポーランド方面の陸続きで輸出する策が講じられるようだが、果たしてうまくいくのか。

 どうやら分ったのは世界を兵糧攻めする作戦である。プ-チンの側にはガスエネルギと小麦という人質があるのだった。更に言えばウクライナのザポリージャ核発電所も人質と言える。ロシアにある核兵器を使わなくても、それと同様の効果を持つのだから、始末に悪い。

 これらは西側諸国では分かっていたことだろうに、どうするのだろうか。わたしはコロナで世界各国がそれぞれ食料囲い込みに入るだろう、だから食糧危機が来る怖れがあると、去年中ごろに心配しだしたのだが、今になってプーチン戦争でそれが急に現実味を帯びるとは思わなかった。

●コロナにプーチン敗北の日を待つ

 ウクライナでのプーチン戦争は、2014年のクリミヤ半島侵略以来もう8年も続くが、コロナと合わせてどこまで地球の疲弊が進むのだろうか。厄病神プーチンがコロナに罹って倒れ敗北の日が来ることを期待するばかりの地球世界である。どうやらプーチンは基礎疾患があるらしいから、コロナに期待する価値は効果あるだろう。

 それにしてもプーチンさえ倒れれば解決するって、地球世界はそんなに簡単な原理で動くものなのか、どこか騙されているような、夢でも見ているような、SF世界に入り込んだような、何とも不思議な気分である。

 いまウハウハ儲かっているのは兵器産業と言われている。プ-チン戦争をやらているのは彼らだと言う陰謀論もあるようだ。



 ならばぜひとも開発してほしい兵器がある。クレムリン宮殿のある一室だけピンポイントで狙うことができる、コロナウィルス搭載の生物兵器である。できそうな気がするが、これができると戦争が終わるから、兵器屋さんが開発するってのは技術的に可能でも、まったくのおとぎ話であろう。

 コロナ後の世界を見たくて長生きしようかと思ったが、どうやら見える日はまだまだ遠いようである。日々のコロナと戦争のドタバタに好奇心を持って、野次馬根性だけで暇つぶしして生きているが、もう疲れて来た。
 去年夏はオリパラとコロナ第5波で大迷惑だったが、今年はオリパラなくて半分せいせいと思ったら、コロナ第6波ぐずつく間にプーチン戦争が来て、もう暑苦しい初夏である。

昨夏はオリパラ第五波暑苦し 今年はプーチン第六波の初夏

●「戦争プロパガンダ10の法則」

 こんな本を読んだ。原書が出版されたのは2002年、つまり例の9・11事件の後、USA軍が戦争を起こしたばかりの時に書かれたもの。


 内容は、それまでの数多くの戦争を振り返ると、戦争当事国の政府や国民たちは、戦争を正当化する宣伝文句をあれこれと声高く言うが、整理すると「十の法則」がある。その本の目次が法則項目なのでここに載せておく。今、ウクライナでプーチン戦争3か月目、この法則が当てはまるかしらと読むと、実に面白かった。
 その法則とはつぎのようである。(目次のページ)

 だが著者の前書きには、更にこれにもうひとつの法則を書き加えているので、そこのくだりもここに載せる。

(2022年6月1日記)

 

2022/05/30

1622 【横浜寿地区観察徘徊】簡易宿泊所ドヤ街に登場した新築分譲共同住宅マンションのコンセプトは

 横浜の古い都心部にもう20年も住んでいる。
 年寄りの健康維持のために行く先の宛てもなく近所を徘徊する日常である。経路になる場所はある程度一定しており、それらの順番は日によって気分で異なる。
 繁華街、観光街、エスニック街、ドヤ街、元赤線街、元青線街、裏路地街、急坂町、墓街などなど、単に歩くだけではつまらぬので、キョロキョロと横浜都心風景の変化を追う。
 住宅街は静かだが、何年も同じところを見ていると、じわじわと変わるが実に興味深い。今日はドヤ街の観察徘徊記録である。
横浜都心部の寿町から松蔭町を中心に「寿簡易宿泊所街」がある











 





●寿簡易宿所街は繁盛らしい

 その徘徊住宅街のひとつに、大勢の貧困階層が高密度に集まって、林立する簡易宿泊所(通称「ドヤ」)という低級ホテルで暮らしている街で、通称「寿地区」あるいは「寿ドヤ街」である。
 正確に言えば住宅ではないが、実態は簡宿の泊り客たちのほとんどが住み着いているから住宅街である。実際にその街の風景は、知らない人が街を通ってみると、ワンルームの共同住宅ビルが多い街だなあと思うだけだろう。

横浜寿地区簡宿街メインストリート風景


寿地区簡易宿泊所分布状況


  横浜都心に住みだしてからもう20年、その間に寿町あたりも徘徊観察を続けて、このブログにも折に触れて観察記録を載せている。観察するだけで研究とか活動を一切しないのは、そんな気力がない老人だからだ。寿徘徊はその名称からおめでたい気分になる。

 それにしてもこの20年間、寿町の簡易宿泊所は増えこそすれ、減るようには見えない。ということは普通の住宅に住めない貧困階層は減らないということらしい。古くなった4~5階の簡宿が、次第に10階程度の高層ビル簡宿に建替えがじわじわと進んでいるようだ。
 新築簡宿ビルの入り口あたりに、エレベータ、インタネット、車いす対応等が完備と、時代に対応する設備を宣伝している。特に増える傾向にある老人対応が今の最先端らしい。

2020年1月 5階建て簡宿ビルが取り壊されて空き地に

2021年1月 その空き地に新築高層簡宿ビルが建った

看板アレコレ

●建替えられて高層化する簡宿

 今月(2022年5月)の寿徘徊で見つけた新しい動きのひとつは、周囲を簡宿ビルに囲まれた大きな空き地に、建設工事のお知らせ看板が登場したことである。読めばこれも簡宿である。その規模は10階建て、延べ床面積は2400㎡余とあり、部屋数とか宿泊定員を書いてない。例えば1室をグロス15㎡としても160室、160人くらい寿町の収容力が増えるようだ。

この空き地に新築お知らせ看板が立った

そのお知らせ看板を読むと高層簡宿ビル

 この寿町地区で去年に建て替えた簡宿が、観察徘徊では5棟あり、いずれも4~5階建てだったのが8~10階建ての高層ビルに替った。元に比べてかなり収容数が増えただろう。
 そして今年になって取り壊して空き地になった簡宿ビルが2棟ある。これらもいずれ新たな高層簡宿ビルになるだろう。この貧困ビジネス事業は景気が良いらしい。

 いずれにしても簡宿は簡宿であり、一室が3畳間から6畳間程度便所とシャワー室共用の構成には変わりはないらしい。何しろ泊まる客(実は暮らす客)の大半が生活保護費受給者だから、その収入から逆算して一泊1700円から2000円程度が支払い可能額だから、オーナーの投資もそれに対応するレベルで、できるだけ高密度に建てることになる。

新旧たち並ぶ簡宿ビル群

簡宿の典型的な部屋と基準階平面図

 その証拠には、どの簡宿ビルも同じような建築の姿になっている。中廊下を挟んで両側に3畳か4畳半の部屋がずらりの並ぶプランが標準らしい。
 住宅なら隣との建築の距離が採光通風のために法的に必要だが、宿泊施設はそんな考慮は不要で、隣との隙間もなく建てるから、窓と窓が真正面に向き合う。もっとも、近頃はファサードだけ妙に建築的デザインしている簡宿ビルが登場しているが、その中身はこれまでと同じらしい。
 思うに、その辺のドヤ建築と経営ノウハウは、これまでの長い歴史からしっかりと構築されているだろう。その運営受託を専門にする業者もいるらしい。

モダンぽいファサードデザインの簡宿

 近年はコロナ禍による観光低迷で普通のホテルなら経営難だろうが、ここは毎日を生活している宿泊者ばかりだから、宿泊客はコロナに何の関係もない。むしろコロナによる生活困難者の増加は、簡宿へと吹き寄せられて、宿泊客は増えているのかもしれない。
 ということで、この伝統ある貧困ビジネス街は、どうやら盛況らしい。
 その簡易宿泊所街の中に、この春になんと高層分譲マンションが登場した。

●マンションじゃなくて共同住宅という

 ここでちょっとマンション談議をする。マンションmansionとはアメリカ人に聞いたたら英語の意味は、大統領のホワイトハウスのような広大な庭もある邸宅、つまり日本語ならば御屋敷のことだそうだ。
 ところが日本語のマンションときたら、兎小屋のような狭い住居もあれば、オクションなる超広い住居もある共同住宅ビルのことであり、どっちにしても庭園なんてものはない。このようなビルを英語ではアパートメントハウスapartment houseというそうだから、要するにアパートである。

 ところが日本語のアパートときたら、2階建て程度の兎小屋が並ぶ共同住宅のことだから困ったものだ。もっとも、戦前は中層以上のコンクリ造共同住宅をアパートメントと言っていた。ちょっと高級感があった。
 それが戦後になって中高層共同住宅ビルが登場し、不動産業者がそれまでのアパートメンハウスと差別するために誇大広告としてマンションと言って売り出した。そのうちに世間ではアパートメントは取り残されてアパートとなり、共同住宅ビルはマンションと言うようになった。更に奇妙だが「マンション建て替え円滑化法」なんて行政用語にもなった。

 マンションという日本語には、外国人に話すときにこんがらかるし、業者の誇大広告にのせられるのも癪にさわるし、わたしにはどうも違和感が大きい。建築基準法が言うように「共同住宅」ということにしている。丁寧になら「区分所有型共同住宅ビル」とでも言うか。

●簡宿街の中に一般分譲の共同住宅ビルが建った

 話を寿町に戻して、簡宿街の中に1棟の10階建ての共同住宅ビルが立ち上り、この春から入居が始まっている。ということは、この街の中で普通に暮らしたい家族が大勢住み始めつつあることだ。

周りは簡宿ビル街の中の登場した分譲共同住宅ビル 2022年5月

 もちろんこの街は簡宿専用ではなくて、普通の街として店も事務所も診療所もある。事務所ビルの上層階が共同住宅のビルもいくつかあるし、市営住宅もあるから普通の住宅も少ないが存在する。
 この新登場共同住宅ビルも、じつはその土地には以前に1,2階が民間事務所で3~5階が都市再生機構(UR)賃貸住宅であった。UR前身の日本住宅公団が市街地住宅を幾つも建てているが、そのひとつが建替えられたのだ。

上の写真の共同住宅ビルが建つ前にはこんなビルが建っていた 2018年11月

 寿地区(正確にはこのビルは松陰町にあるのだが)ではかなり大きな敷地の建築であり、それが取り壊された2018年から跡地に何が建つのか興味を持って徘徊観察していた。
 その工事看板に分譲式の共同住宅が高さが2倍くらいなになって登場すると知った。この立地で普通に売れるものだろうかと興味があった。
 先にその結果を書くと、当該共同住宅ビルの公式サイトによると、既に「完売御礼」とあった。どんな販売作戦だったのか気になる。

●外人専用かとカン違いした

 まずはその共同住宅ビルのネーミングであるが、竣工間近らしい2月中頃に、看板など付いただろうかと見に行った。入り口上の壁に「DEUXFLE YOKOHAMA ISHIKAWCHO」とある。また一階壁面の照明器具に「THE LIGHT HOUSE」ともある。元かドアの横に小さな字で内部の施設案内らしいこと掲示があるが、これも全部英語らしいローマ字である。ほかに日本語の掲示を探したが全くない。

どれがこの共同住宅の名前なのだろうか

 おおそうか、外国人専用のAPARTMENT HOUSEにするのだな、なるほどそれなら地域的偏見がない市場開拓でなかなか良い作戦だ。5月初めに行ったら、引っ越し荷物トラックが来て入居者たちらしい姿もあるが、どうも外国人には見えない。

 そのローマ字名でネット検索したらあった。「THE LIGHTHOUSE(デュフレ横浜石川町)」というらしい。各項目のタイトルは英語だが、説明文などは日本語であり英訳はない。内容を読めども外国人専用ではないらしい。
 周りにある簡宿群の名は〇〇荘とか〇〇館とかが多く、なかには〇〇ホテルもあるから、ローマ字だけでしかも読めないDEUXFLEとは、簡宿との差別化の意図があるのだろう。

●販売宣伝文の中の寿地区表現

 デュフレ横浜石川町の住戸構成は、129戸の1LDK~3LDKの専有面積は34.80㎡~75.47㎡で、普通の世帯向けの分譲区分所有型共同住宅、つまり世間でいうマンションである。
 デュフレビルの姿かたちも簡宿とは大きく異なるかと言えばそうでもない。また、いかにも共同住宅に見えるようでもなく、街並み景観を乱すほどの差異化デザインでもない。

簡宿とデュフレがつくる街並み景観

 デュフレ横浜石川町のウエブサイトに、寿町地区(松蔭町も含む)の環境についてどう書かれているか、そもそも書かれているだろうか。いわゆるマンションポエム流の説明が、英語の項目で日本語で書かれている。

 寿町に触れているのはTOWN LIFEの中のAREAページにあった。寿町地区でホステルヴィレッジという地域活動を続けている岡部友彦さんへの取材形式で地域の歴史を語っている。寿町地区ではなくて松蔭町エリアとして、その多様性とコミュニティの存在に触れるが、寿町地区の実像には遠い。

 LIFE INFORMATIONに近隣の公園や公共施設がリストアップされてるが、そのなかに最も近い「寿公園」はない。寿公園では休日に、ボランティアによる貧窮者たちへ炊き出しで食事提供がなされる。

寿公園で炊き出しを待つ人々 2020年元旦
 また、この地区の最も重要な公共施設である「横浜市寿町健康福祉交流センター」も載っていない。そこは市民に日常的に開かれ、広いラウンジには図書室もあって住民たちが静かに昼間を過ごしている。
横浜市寿町健康福祉交流センター
 これらがデュフレ公式サイトに載ってないということで、この共同住宅販売の意図的な寿簡宿街無視の方向を察することができるが、現に住めばすぐわかることだ。

●共同住宅は簡宿を駆逐するか

 わたしの興味は、簡易宿泊所街の中に登場した新たな普通の共同住宅が、これから街に変化をもたらすきっかけになるのか、あるいは何の影響もないのか、である。もちろんこのあたりにこれまでも共同住宅ビルがあるのだが、それらはいずれも寿地区の外郭の幹線道路沿いに面している。四週を簡宿ビルの囲まれてこれほど大きな共同住宅ははじめてである。

 実は今年になってこのデュフレ共同住宅のある通り沿いの2軒の簡宿ビルが取り壊されて空き地が発生している。これらの跡地利用が簡宿の再建か、それとも普通の共同ビルが出現するのか気になっている。
 このデュフレを契機にして、ゼントリフィケーションが始まるかもしれないとも思う。だが一方では初めに述べたように簡宿需要は盛んな様子もある。

デュフレ近くで6階建て簡宿が取り壊されて空き地になった
(追補2022/06/11)この跡地に8階建て簡易宿泊所建設工事が始まった

 






   デュフレの価格を知らないが、ネットスズメ情報に8階75㎡5,930万円(坪単価260万円)とあるが、市場でどの位置かわからない。ネットには投資目的の購入者だろうか、すでに賃貸住宅として市場に出ている。2階、賃料(管理費等)13.8万円(10,000円)、39.63㎡とあるから、㎡あたり約3500円/月である。

 周りの簡宿の宿泊料は、一室6㎡くらいで一泊2000円くらいだから約330円/日、9900円/月である。これはデュフレの賃貸住宅の3倍近い稼ぎになる。荒っぽく見ても不動産運営事業としては簡宿の方が断然に利益が高い。

 ということは現在の簡宿経営者が一般賃貸住宅事業に乗り換えることは、現状では予想しがたい。むしろ分譲共同住宅を簡宿に改造する事業者が登場するかもしれない。
 つまり簡宿駆逐のゼントリフィケーションは起こりにくいことになる。う~む、これって、正しい見方だろうか?

●木造飲み屋街を再開発して

 松蔭町も含めて寿地区の現在の簡宿群は、時代の要請に対応すように内容を変えて建替えられていく。だが気になる街区が一つある。
 そこは細い路地を挟んで、零細な木造2階建て飲み屋が密集して立ち並んでいる。簡宿でさえ堂々たる不燃中高層建築が立ち並ぶのに、この一角だけが取り残されている。見ようによればこここそは横浜戦後混乱期プータローの街の雰囲気を今に伝えている。

飲み屋街 2015年

懐かしいような街並みの飲み屋街 2016年



 



ちょっと怖い雰囲気の飲み屋街路地

 この街区はかつては日ノ出川であり、1956年に埋め立てて街になった。わたしは実情を知らないが、その埋め立ててできた公有地の不法占拠があり、その状況が今も継続しているのだろうと推測する。それならば戦後混乱期の建物が今に続くことになる。

 この街区がその内にどう変わるか、簡易宿泊所が林立するか、それとも共同住宅ビルが林立するか、あるいは公共施設が登場するか、楽しみである。もしもこの飲み屋街の土地が公的所有地ならば、再開発をしてこの地域にふさわしい都心型老人福祉施設を創ると良いのになあと夢想している。

寿地区当たり空撮2018年 google map

(2022/05/30記)

●もっと寿地区を知りたいお方はどうぞ
◎【コロナ正月】寿町・中華街・元町・伊勢佐木へ旧横浜パッチワーク都心新春徘徊2022
◎【コロナ横浜徘徊】コロナどこ吹く風の繁華街とコロナ景気が来たか貧困街2020