2024/02/14

1792【カリフォルニアの歌詠み】アリゾナの動くものなき荒野なる大岩割って初日登り来

  短歌を詠むのが今の流行らしい。わたしは短歌を詠むことはめったにしないが、狂歌をちょくちょく詠む。形式は短歌と同じだが、狂歌はダジャレと皮肉で時代を風刺するものと心得ている。

 短歌を読むことを好きである。各新聞が歌壇を設けて、読者の投稿欄としている。毎日曜日朝刊に載る「朝日歌壇」を読む。この2月11日の朝日歌壇に、知人が2首入選している。この人はちょくちょく入選する。

 まず、馬場あき子と高野公彦の二人の選者にダブル入選歌。

  動くものなきアリゾナの荒野なる大岩割って初日登り来
                 (アメリカ)大竹幾久子

 もう一首は永和弘選。

  戦禍にて生後三日で逝きし子のたった三日も人生とよぶのか
                 (アメリカ)大竹幾久子

 短歌は詠み人の口から出たら最後、その人の作品であってももう誰でもそれぞれの自己流の解釈で自由に読んでよいだろう。それが短歌を読む側の楽しみである。

 この二つの大竹幾久子作短歌を、わたし流に自由に読むことにする。それには前提がある。この作者が日本出身の人であり、今はUSAに市民権を得てカリフォルニア州に住んでいることだ。初日の歌のアリゾナは彼女の東隣の州である。その北にはネバダ州がある。

 「動くものなきアリゾナの・・」と初句と二句を七五としているが、普通なら「アリゾナの動くものなき・・」と五七順に並べるだろう(このブログ記事のタイトルのように)。この方がすらすらと読めるのに、この歌の破調は何を意味するのか、歌人の意図を勝手に考えて遊ぶ。

 アリゾナの北隣のネバダには核爆弾実験場があり、そこでは巨大爆発の火の球が、まるで太陽のように輝き、キノコ雲を天にめり込ませ、地を割って生じた大量の猛毒の放射性物質を、ネバダにはもちろん隣のアリゾナにもまき散らし降らせた。

 この歌が破調で揺らぐのは、このアリゾナの初日の出も核実験の巨大火の玉の暗喩と読むこちらの心だろう。歌人はそこを狙ったのかどうか知らない。かつて核実験初期には、このあたりの住民は、まるで遠花火を眺める如くに、核爆発火の玉やキノコ雲見物をしたそうだ。もちろんそれによる後遺症が続出したはずだ。

 そしてまたその暗喩が重要なことは、この歌人が1945年の広島で人類最初の戦争下の核爆弾を被爆している人であることだ。揺らぎつつ大地を割って昇りくる初日の出は、ヒロシマにもつながる火の玉かもしれないと、この歌人は詠んだのかと、勝手に深読みして遊べば、おめでたくない不吉な初日の出になるのだ。

 この歌人はその不吉さを詠んだとしたなら、もう一つの永田選の「戦禍にて・・・」の、たった三日の人生の赤子は、もしも生きながらえたとしても、核の火の玉のもとで逝く運命だったかもしれぬと、歌人は言外に詠んだのかも知れぬと、深読みをして遊ぶのだ。どこか不吉な遊びだ。

 このブログで大竹幾久子さんの歌について書いた記事は多い。その夫君と実兄がわたしの大学以来の畏友であるという縁がある。
●2011/09/26・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
●2012/07/31・日本人は5度目の…
   https://datey.blogspot.com/2012/07/648.html
●2012/11/12・原発事故調報告を読んだ… 
   https://datey.blogspot.com/2012/11/688.html
●2013/01/07・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
●2013/12/23・カリフォルニア閨秀歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/12/879.html
●2015/10/18・いまなお原爆と向き合っ…
   https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html
●2018/08/12・カリフォルニア夫婦歌人…
   https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html
●2018/12/23・カリフォルニアの旧友…
   https://datey.blogspot.com/2018/12/1175.html
●2019/03/03・カリフォルニア歌人登場…
        https://datey.blogspot.com/2019/03/1191.html
●2019/08/11・戦争の八月広島核爆弾…
   https://datey.blogspot.com/2019/08/1414.html
●2020/06/15・コロナ世界探検…
   https://datey.blogspot.com/2020/06/1469.html
●2022/10/03・朝日歌壇の歌人】カリフォルニア夫婦歌人
   https://datey.blogspot.com/2022/10/1549.html
●2024/02/14・アリゾナの動くものなき
   https://datey.blogspot.com/2024/02/1792.html

(20240214記)

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2024/02/09

1791【言葉の酔時記:無洗米】意味不明の高価なコメだが「無銭米」の変換間違いか

  妙な名前のコメを近くの食品量販店で買ってきた。5㎏入りの袋の中央に「あきたこまち」とあるのはコメの銘柄だろうが、その右上に「無洗米」と大きく書いてあり、さらに「とがずに炊ける」とも書き添えてある。

 はて、「無洗」とは「洗って無い」ということだろう。でも普通は買ったコメを洗って炊いて飯にしているのが日常のことだ。それなのにわざわざ洗ってないと断わるのはなぜだろうか。

 同じ「あきたこまち」の米袋でも、無洗米と書いてないものもたくさん積んである。それらとこの洗ってないのとはどう違うのかしげしげ眺めたら、値段が違う。「無洗米」の方が200円も高いのだ。洗う手間がかかってない方が高価とはなぜ?

 「とがずに炊ける 無洗米」は特別な栽培方法であり、販売前に洗うと、例えば超美味とかって効果がなくなるにちがいない。だから消費者に洗わないで売るのだろう。買ってから洗うのは、すぐ炊くから効果があるのだろうか。研ぐのもいけないらしい。

 近ごろは「コメを洗う」と言うのが普通だが、わたしが少年のころは「コメを研ぐ」と言ったものだった。コメに糠が多くまみれていたので、洗うときにしっかりと研ぐように何度もかき混ぜるのだ。近ごろは精米がきちんとしているから洗うだけでもよいと言う。

 そういえば少年のころ、米を入れた一升瓶に細い木の棒をさし込んで、何回も撞く作業をさせられたことがあった。あれはたぶん配給の玄米を家庭で精米する作業だったのだろう。撞いたコメを水で洗いつつ研いだのも、糠を拭うには洗うだけではなく研がねばならなかった。

 この「無洗米」のいう「とがすに炊ける」とは「研がずに炊ける」の意味だろうから、「洗ってない米を研がないでも炊ける」ということになる。つまりこれは「無洗米かつ不研米」ということかしら、どうもよくわからない。洗ってもないし研いでもない「無洗米」なるコメは、いったいどんな付加価値で200円も高いのか。

 ところで、新商品として開発してほしいコメがある。それは「無銭米」または「無円米」である。待っているぞ。

(20240209記)

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2024/02/07

1790【マンション名称】建物をマンションと詐称するだけあって地名も詐称する共同住宅

  ずいぶん久しぶりに雪が降り、しかもうっすらと積もった。南関東あたりでは大騒ぎである。北国の人々にいつものように嗤われているだろう。
 わたしも中越の山村に行かなくなってもう10年くらいだろうか、あの山村の雪は4mも積もる豪雪そのものだった。雪国育ちでないわたしは、人間はこのような酷な気候でもよくもまあ暮らせるものなんだなあ、と感心した。

 ようやく天候回復で街並み探訪徘徊も再開だが、日々に足の力が衰えるのを感じる。コロナ後にようやく建設が動き出した感のある横浜都心部街歩きは、街並みの変化を楽しむのだ。今日は昔々の遊郭だった街の中心にある通りを歩く。

 中央分離帯には桜などが大樹となって、ミニ公園通りである。かつては両側は紅い灯でにぎわっていたのだろうが、今は静かな住宅街である。


 おや、こんなところに共同住宅ビルの建設が始まった。でもこの土地のまわりは、前面道路の側だけは空いているが、他の3方はどれも高層共同住宅ビルに囲まれている。この敷地に共同住宅を建てても、ほとんど日照を期待できないはずだ。

道路のほか三方(東西南側)を高層共同住宅で囲まれた敷地

 そのような住宅でも売れるのだろうか。「マンション」と誇大言葉で日陰住宅を売るのかしら。しかも、ここのあたりは70年前まで迄は横浜遊郭とて、いわゆる赤線街だったところである。今は静かで便利な都心部の住宅街だが、かつての地域イメージを拭うのはなかなかにむつかしい。

 このあたりはかつての仕舞屋風の赤線名残の家々は次々と消え去り、いわゆるマンションなる高層共同住宅に建て替わってる。歩きつつそれらマンションなるビルの名称を読んでいて、おもしろいことに気が付く。どうも地域名をつけるのを避けているらしいのだ。

 このマンションの類のビル名称のつけ方は、ある程度の約束事があるようだ。まずはカタカナでなにか高級そうな言葉をあてて、そのあとに地名を続けるのが、ポピュラーな方式であるらしい。ここが永楽町とか真金町とかいうおめでたい町名だから、ビルの名に積極的に使っているかと言えば、そうではないらしいのだ。

 とりあえず歩いている昔の遊郭外の中心の道路(なんという名称か知らない)に面する、共同住宅の名称を拾ってみた。上の写真のように看板を撮ったが他にもまだまだある。どうやら「大通公園」が人気地名であるようで、中には「・・大通公園南」とあるそばに「・・大通り公園西」と名付けるものもあって混乱する。

 これを見てわかるように、正しいここの地名をビル名に充てているのは「アブニール永楽マンション」と「スカイコート横浜真金町」2棟のみであった。そのほかにもたくさん採集したが「・・大通公園」とか「・・伊勢佐木町」とか、この町の外にある地名をつけている。

 大通公園は隣だが、この公園は元が川だから長すぎて位置決めにならない。伊勢佐木町は鎌倉街道を挟んで差に無効だから、かなり離れている。「関内」とつけているものもあったが、駅名にせよ地名(正式にはこの地名はない)にせよ、あまりに遠すぎる。それで初めての来客が迷うことはないのだろうか。

の位置に遊郭時代に大門があった 黄の位置に遊郭時代からの大鳥神社
この二つを結ぶ道が遊郭の中心部 共同住宅名はこの道沿いから採集

 マンション(庭園のある豪邸のこと)でもないのにマンションと詐称して売るのだから、地名だって大通公園とか伊勢佐木町とか、横浜でイメージが高いところを勝手に持ってきて、地域イメージも詐称するのだろうか。どこでもよいのなら「山手」とか「みなと横浜」とかつけてはどうか。普通の神経なら自宅をマンションというのも、わけのわからんカタカナも恥ずかしい。ファーストクラスとはすごいネーミングである。

 それにしても共同住宅ビル名は、わけのわからん外来語とカタカナ造語で不思議だ。わたしの住む高層共同住宅も、花の名前?らしいカタカナであるが、実は日常生活でその名を使うことはめったにない。地名と地番と建物番号で間に合っている。

(2024/02/07記)

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2024/02/03

1789【ミソジニー】外相にアッそうと超然見下され褒めたつもりの元首相ミソ爺

しこめぶおとこ
 ●政治家のミソジニー失言

 ヤレヤレ、またあの元首相自民副総裁のアソーおじさんの失言か、いやいや、あれは意図した発言だよな。上川外務大臣のことを大いに褒めたかったらしくて、ちょっとレトリックを弄したのだが、なんとも時代に歯向かうミソジニーであったとは、お気の毒。

 「そんなに美しい方とは言わんけど」といったん落としておいてから、「堂々と・・・英語できちんと・・・どんどん・・・云々」とほめちぎると、その落差が大きくなって褒め度合いがはるかに上昇すると踏んだようだ。ユーモアの効果も狙ったのであろう。

狂歌はブログ筆者まちもり散人詠

 ところがその前半がミソジニーだと、新聞屋の餌食にされてしまい、せっかくのレトリックを弄した褒め言葉が無駄になってしまった。あのモリキロー氏の「女は話が長い」以来だろうか。当人はユーモアのつもりだったのだろうが、それにしてもモリもアソーもちょっと古すぎた。言う場を今の時代として心得ていない、いや、老いの無頓着と言うべきか。

 さらに上川さんを「おばさんやるねえ」とほめたら、この「おばさん」を新聞屋はこれもミソジニーと言いたいらしい。でもわたしが思うに「おばさん」とは、中年以上の女性を呼ぶときに、普通にちょくちょく遣う言葉だからミソジニーではないだろう。え?、お前も味噌屋だ、といわれるかねえ。
 ただし、その場にいた新聞屋が聞いた麻生発言が、あの口ひん曲げ顔でいかにもミソジニー雰囲気であったとすれば、これもそうなのかと思うしかない。



 さてこれに対して上川さんはどう対応したかと言えば、言いたい奴には言わせておけと、動じていない態度を見せているとのこと。まあそうだろう、火に油を注ぐ様なことを、一国の外務大臣が言うはずがない。新聞屋や野党の焚き付けにも動じないで、超然黙殺外交であったのがすばらしい。

 それだけで麻生さんに発言撤回させてしまって個人外交の手腕も腕も確かなお方だ。さすがに一国の外務大臣のおばさんやるねえと、アソーさんは言うかしら。
 でもわたしとしては、上川さんに言ってほしいなあ、「アソーのおっさんは、顔も口も悪いお方ですけれども、なかなかにご立派なお方でいらっしゃいます」てなことね。

外相にアッそうと超然見下され 褒めたつもりの元首相ミソ

●わたしのBlack Joke失言

 ところで最近わたしも失言して、同年の旧友からから注意されたのである。まずはあらかじめミソジニーではないと言っておこう。ブラックジョークである。

 昔から親しい友人たちと会合や旅をした後で、そのときの顔写真をEメールで送るのがわたしの習慣である。古希を過ぎたころからその顔写真に、「今回の遺影です」と書き添えることをちょくちょくやってきた。もちろん、「もうそろそろあの世に行く歳だよ、これが役立つかもよ」というブラックジョークである。

 先日のこと、同年のその親しい友人たち十数人とZOOMミーティングをやり、その時のPCデスクトップの参加者が並ぶ顔をスクリーンショット、ZOOM終了後に「本日の遺影です」とメールで送った。これもちょくちょくやってきたことである。

 ところがその中の旧友のひとり(USA在住)が、゛遺影とは俺にはまだ早い、俺はもう少し生きるから、よせ“、なる意味の丁重な言葉で抗議の返信が来た。親友だから何を言いあってもわかるから、それに返信しておいた。「ゴメン、今後はBLACKな冗句JOKEを慎みます。(と言っても、すぐ忘れそうだけど、歳のせいで)」と。

 そこでちょっと考えた。う~む、これまでは、まだまだおれたちは死にっこないけど、立派な年寄りではある、だから遊び写真を遺影というブラックジョークが通じる、そう思っていた。ところが、八十路半ばになり、実際に同年配があの世に行きだした現今となると、本当に遺影になる確率が高くなった。こうなるともうブランクジョークではない。それに私は気付かなかった。

 そこでもう漫然とジョークとして遺影を使ってきたのを、今後はやめることにしよう。漫然としてミソジニーとなるのにも気をつけねばなるまい。
 ただし自分自身についてのブラックジョークはまだまだ続ける。例えばピンピンコロナ願望とか、災害から避難する超安全地帯はあの世、とか。

(2024/02/03記)

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2024/02/01

1788【コロナ三密忘却日本】東京圏に人口集中し観光地に外国人集中しコロナ再発容易な日本列島

●コロナ終わればまた集中する人間

 コロナが終わろうとして、またまたコロナ前の状況がいろいろと戻ってきているそうだ。それには割ることもよいこともある。
 その一つは、外国人観光客の流入が著しく増加して、またもや観光公害ーいまどきは格好つけてオーバーツーリズムというそうだがーが起きてきているという。これは短期的人口移動が繰り返し起きていることと言えよう。

20240118朝日新聞より

 観光事業者にはよいことだろうが、観光地に住む人にとては望ましくないことだ。わたしが鎌倉に住んでいたのは22年前までだったが、わたしの家のような谷戸の奥の住宅地にも、観光客らしい人々が来て玄関前で弁当を食うなんてこともあったようだ。

 もう一つの顕著になってきたことは人口の東京一極集中という長期的人口移動である。総務省の発表によると、2023年の東京圏の転入超過人口は、19年以来9年ぶりに10万人を超えて、東京一極集中が顕著になったとのこと。ま、仕方ないかな、コロナで移動の抑制が起きていたのが、タガが外れたということだろう。

 東京への一極集中は、生活環境が悪化して嫌われてきていたが、今や集中が集中を誘うのはなぜだろうか。集中生活圏形成の方法が上手になってきたのだろうか。例えば再開発事業のやり方とか、交通機関の新設とかだろうか。よくわからない。

(総務省サイトより)

朝日新聞2024年1月31日より

 上のグラフで東京圏の上への突出ぶりで、「東京・神奈川・埼玉」、「大阪」・「福岡」という3圏域集中状況がよくわかる。だが、気になるのはその反対の下に突出の様子である。つまり集中の反対の転出の超過する地域である。

 それらは集中よりも全国に分散しているが、それでも中国地方の広島と岡山、関西地方の兵庫、東海地方の愛知、静岡などの、その地方の中心的な県の人口転出ぶりが気になる。今後中央新幹線が開通すると、これらが更に進むのか、反対に鈍化するのか、どう変化するのだろうか。あるいは能登地震がどう影響するだろうか。

●コロナ禍の集中災禍を忘れた人間

 わたしはこのような状況から考える。人間はどんな災厄に出会っても、ほとんど反省しないのだなあ、ということだ。それはコロナパンデミックにおいて、最もよくないこと避けることは大勢の人間が密に集まることであったはずだ。三密なんて仏教用語を意味を替えてまで流行させて、密な集合行為を避けることを強要したのをもう忘れたのだ。

 観光産業振興とて、コロナにかかっているかもしれない外国人観光客を大勢招き入れて観光地に密に集中させているが、これはコロナ禍中は最も避けるべきことだった。しかし今はこれがもっとお必要なコロナからの復活策であるらしい。そういうものなのかしら。
 あるいは東京圏への顕著な人口集中が再び起きている。都市再開発を進めて人口集中をさせる政策促進は、コロナ禍のときは人口分散こそが災禍を避ける行動であったはずだ。

 つまり東京圏には居住者を一極集中し、全国各地にある観光地には観光客を集中し、日本列島は中心部の周縁部も三密状態が再現しつつあるというのだ。コロナから見ると再び蔓延への道筋をつけてくれていると喜んでいるに違いない。

 コロナが去った(らしい)とになると、とたん真反対の政策になってしまった。あの時の三密禁止は、コロナが存在するときにやればよかったことなのか、コロナがいないとその必要はないのか。もうコロナは地球上から消えたのか。

 次にコロナが発生したら、人間はまたもやあの時の騒動から始めることになるに違いない。それまで何年かあるるのだろうが、その間に人間はコロナを忘れて、繁栄すればそれで幸福なのである。これってもしかしたら、そろそろ地球上の人間が過飽和になろうとする時に起こる「終末期のヤケクソ行動」が始まっているのかもしれない。 そのあとに来るコロナでどうなろうと、今の人間は関係がないってことだ。

 それならそれで、わたしも今のうちに楽しんでおいてから死にたいものだ。(20240201記)

(2024/02/03追記)
 
今朝の東京新聞に、関東一都三県のコロナ感染者数につき、去年5月からの動向を示すグラフが載っている。昨年夏の第8波がおわり、12月から今年にかけて第9波が押し寄せているのだ。


 この右上がり尻尾のコロナ第9波は順調に上昇するにきまっている。だって、去年の第8波の時と違って、今じゃあコロナを忘れて街は三密だらけだものね。横浜中華街なんて超混雑して、店は食い物屋ばかりだし、だれもかれも歩き食いしているし、マスクしてる人はほとんどいないし、さてさてこの先がタノシミだなあ。

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2024/01/29

1787【世界選挙年】今年は世界人口の半分が選挙資格ある各国政重要選挙年とて怖い来年の地球

 朝日新聞(2024年1月28日朝刊)によると、今年2024年は地球上の多くの国や地域が、国政上で重要な選挙を行うそうだ。その投票できる人口は、世界人口の半分に達するというから、まるでコロナパンデミック並みである。そう、結果によっては、コロナよりもひどいパンデミック地球になってしまうかもしれない。


 かのウクライナでコロナをしのぐかの禍をもたらしているプーチンがいるロシア、そのプーチンと並ぶ禍をもたらす惧れあるトランプが優勢のUSA、世界一の14億人以上の人口を擁するインド、どちらも2億人以上もいるインドネシアパキスタン、そしてEU議会などなど、いったいどうなるのか。

 来年からトランプ・プーチン・習三強支配地球が出現するのかしら、それは何をもたらすのだろうか。コロナという災禍を通過した世界は、地球的規模の災禍に一丸となって対応できるように教訓を得ているのだろうか。政治的災禍にはワクチンはあるのだろうか。

 いや、もしかしたら新型コロナウィルスに感染した人間、そのワクチンを接種した人間は、その後遺症や薬物のせいで、これまでとは異なる知性を持つ生物に変化しており、これまでとは異なる投票行動をするかもしれない。それは良い方向に動くのか、災禍拡大へと動くのか。

 USAのトランプ騒ぎを高みの見物していると、人間はどうやらおかしな方向へ、知性劣化へと落ち込みつつあるような気がしてならない。それがUSA特有のことなのか、それとも人間の一般的な推移の方向なのかさっぱりわからない。いやいや、そうではなくてコロナパンデミックのせいなのだと誰かに言われると、無理やり納得できそうだが、。

 日本の政界の今の知性を失いタガを外したドタバタ騒ぎ(自民党派閥ネコババ事件)を見ていると、これってコロナの後遺症としか思えないし、そう思うとなんだかほっとする。あんな政治家を選出する投票行動は、コロナ後遺症しか思えない、あ、いや、今の国会議員はコロナ前の選出であったかしら、それならばもっとたちが悪い。

 思想家の内田樹氏が、維新的民主主義と題して東京新聞にコラムを書いている。今や選挙民は自分より優れた人に政治を託するのではなくて、自分が理解できる範囲の言動の程度の人に政治を託する時代になった、ポピュリズム政治とはそういうことである、という。


 今の自民党騒動対象の人々を選ぶことと、USA大統領にトランプを選ぶことは基本に同じであるらしい。こうも東西南北に広く災禍がおこるのは、やはりコロナやら気候変動やらの地球規模の災禍が、人間の知性の衰えを招いている証拠であろう、そう無理矢理にでも思いこむことにする。
 こうなれば身に直接に災禍が及ぶ前に、絶対安全圏のあの世に避難を急ぐしかないと、ますます思うばかりだ。

(2024/01/29記)

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2024/01/27

1786【神宮外苑再開発】20年前策定の再開発構想は進行中の現再開発計画とはどう違うのか

 今朝(2024/01/27)の東京新聞に、近ごろ東京で話題の明治神宮外苑再開発について、新発見資料の存在を伝えている。曰く「緑の外苑守る「幻」構想』ー20年前 専門家ら取りまとめ」と題して、2003年に明治神宮が専門家たちに依頼して作った外苑再開発構想があったというのである。

 今日の新聞記述を読むと、どうやらそちらの構想の方が現再開発計画よりも優れている、という論調らしい。これからこれを基にして(かどうか知らないが)、外苑再開発を検証する連載を始めるとのことで、オリンピック国立競技場騒動以来の外苑騒動野次馬としては楽しみである。

 ところでこの構想があったことについて、わたしは2015年にこのブログに既に二つの記事を書いている。なお、これらは競技場騒動のの都市計画家不在(に見えること)へのイチャモンブログだが、現在の外苑再開発騒動では大西隆さんと大方潤一郎さんという学系都市計画家が二人登場している。

●参照1:2015/09/29・1129【新国立競技場騒動】神宮外苑地区に十数年も前から関わり国際コンペの企画や技術支援やら都市計画の変更など本質的なことを担当してきた都市計画家の重い存在

●参照2:2015/12/29・1160【五輪騒動】建築家はあれこれやかましいが都市計画家は新国立競技場や神宮外苑の都市計画に何にも言わないのは何故か https://datey.blogspot.com/2015/12/1160.html

 この2003再開発構想は、明治神宮が日本地域開発センターに委託し、都市計画家の伊藤滋東大名誉教授を委員長として数名の学識専門家による委員会が策定した。だから明治神宮が作った構想である。この時の計画策定作業を担当した委員は、都市計画家は今井孝之(都市設計研究所)である。

 昔ある人からこの構想を見せてもらったが、部外秘と言われたので、上の二つのブログ記事にも簡単にしか触れていない。わたしはこれを見たこともその内容も、歳のせいでほとんど忘れていたので、今朝の新聞記事でアッと思った。

 あの構想にも神宮外苑用地内の公園指定区域内に、超高層ビルが2本もあったことを思い出した。そこで今朝の新聞記事の写真にある構想図を拡大してしげしげと眺めた。
 構想外となっているラグビー場と銀杏並木の間に、高層あるいは超高層ビルらしい建築が2本並んで建っている。その2本のビルの影が地上の落ちている長さから見て、これは超高層ビルにちがいない。思い出したのはここだけだ。

2003外苑構想新聞写真の一部拡大

 構想図全体を見ると、このほかにも外苑外の土地に、超高層(高層か)のビルが4本立つのが見える。そのうちの2本は、都営霞ヶ丘住宅団地の建て替えの住宅ビルのようである。現実としては国立競技場のはみだしのせいで、今は建て替えもされずに消えてしまった都営住宅である。
 さて、東京新聞が詳しく書くであろう今後の記事で、これら超高層ビル構想をどう評価するのだろうか。

(2024/01/27記)

(20240210追記)東京新聞の蒸気の記事について、個人的資料として連載全部をまとめてストックしておいた。→「202401外苑再開発連載東京新聞

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●当ブログの関連記事一覧
 【五輪外苑騒動】国立競技場改築騒動と神宮外苑再開発騒動瓢論集https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

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2024/01/26

1785【矛盾する人間】月までも飛んでウサギを捕まえてもすぐそばの壊した窯の中のごみを取り出せない

  残念!、JAXAは月のデブリ採取を断念したのか。

 はるばる宇宙を飛んで、見事にデブリだらけの月に着地したロボットの奴は、ウルトラ演技に嬉しくて舞い上がって逆立ちをしたまま、これじゃあデブリを採取して持って帰ることはできない、今朝のニュースである。

 ところが東京新聞にはそう出ているけれども、どういうわけか朝日新聞には出ていない。新聞というものは紙面の編集によって、いくつかの事実を並べて別の意味をもたせることができる、いや、読者の独断というか誤解というか深読みを招く技がある、というべきか。

 こう読むべきかもしれぬ、宇宙に飛んでいって月のウサギを捕まえることだってできるのに、すぐそこの東北片田舎の壊れ窯のゴミ取り出しを、10年以上かけてもできないのは、どうしたことか。

 どちらも同じように、特殊ロボットをピンポイントに送り込み、そこにあるガラクタや石ころを採取するのだろう。いや、こちらはピンポイントで月にゴミ(そのうちにそうなる)を投げ入れ、フクシマではピンポイントでゴミを取り出そうとするのである。同じ金をかけるなら月よりも東北片田舎だろうがねえ、なんだか大きな矛盾をはらむ気がする。どちらもミツビシなる軍需企業が絡んでいるらしいのが、なんだか気になる。

 今朝のニュースには、もうひとつ人間のやることに大きな矛盾を感じることが出ている。
 5年前の京都での放火殺人事件、その犯人の裁判で死刑の判決を下したことだ。犯行時にその犯人も重火傷で瀕死となったが、捕らえた国家は金と時間をかけて治療してこの世に呼び戻した。その男を再び人間の手により死に送り込むことにしたのだから、考えてみると矛盾したことを人間はやるものだ。
 これを深く考えると、こんがらがって老いのボケが進行しそうなので、やめる。

(20240126記)

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2024/01/23

1784【黒部峡谷探訪】峡谷の山口文象モダンデザイン建築やダムにはTV放送のタモリは無関心

 富山県の黒部川における電源開発事業の軌跡の現在を、現地探訪で紹介するTV放送番組をPCで見た。「ブラタモリ秘境黒部峡谷」と題して、黒部川を発電所とダムを下流から開発の順に順に訪ねて遡り、黒部ダムまでたどり着く行程の映像紹介だった。
 開発した当時は日本電力といったが、いまは関西電力が所有して運営管理している。そこの専門家の案内はなかなかに適切でよく分かった。紅葉の黒部峡谷は美しい風景だし、その急峻な山岳と峡谷の地形に挑んだ先人たちの意気込みも面白く、秘境探訪として楽しんだ。

●建築家山口文象の秘境の仕事

 実はわたしがそのTV放送番組を見た目的は、秘境を見たいのではなかった。わたしがその生前に師事した建築家の山口文象が、この秘境でひとつの発電施設に関わっていたからだ。それは1936年に完成した黒部川第2発電所とそこに黒部川を渡る目黒橋、そこに水を送るために取水する小屋平ダム、そして送る水から砂を取り除く施設の小屋平堰堤沈砂池の設計などである。山口は日本電力の嘱託技師であった。

 わたしは1993年にこの発電所までは見に行ったが、そのほかは見ないままであるので、TVに登場を期待した。しかし結果は、第2発電所と目黒橋がほんの少し登場したが、その他はまるきり出てこなかった。

山口文象設計の黒部川第2発電所と目黒橋 19930731伊達撮影

 わたしはこれまで山口文象のこの仕事については、このブログにも掲載している(参照:1936黒部川第2発電所・小屋ノ平ダム等)。竣工当時1938年には土木系や建築系の雑誌に大きく掲載されて、ドイツの建築雑誌にも載っているのは、ベルリンでW・グロピウスのもとで働いていた縁であろうか。わたしが編集担当し一部著述した『建築家 山口文象 人と作品(相模書房1988)に、戦前の代表作品として大きく載せた。

 TVで黒部川第2発電所とネズミ返し岩壁の映像を見て、そうだこれと同じシーンの山口文象によるスケッチがあったと思い出した。山口は第2発電所のデザイン途上で、その得意なコンテによるパースをいくつも書いている。

NHKTVブラタモリのワンシーン 背後にネズミ返し岩壁、
手前に山口文象設計の第2発電所と目黒橋

 山口文象設計の第2発電所の前に高い塀ができて、半分以上も見えなくなってしまった。

設計時の山口文象によるコンテパースのひとつ(1930頃か) 
背後にネズミ返し岩壁、手前に第2発電所と目黒橋

 山口の仕事はほんの少ししか登場しなかったが、この番組で目黒橋について新たに二つの知見を得たのが収穫である。一つは目黒橋の竣工は、第2発電所よりも2年早い1934年であったことだ。同時にできたとばかり思っていたが、考えてみれば建設資材を運ぶための橋が先行するのは当たり前である。
目黒橋の鉄骨に昭和9年とある記録

 もうひとつつは、目黒橋の橋台となっている構造物は再利用であったこと。実は建設前のこの位置には、下流の柳河原発電所の取水堰堤があり、その構造物の一部転用であったそうだ。だからコンクリートの橋台構造物の方が、橋の鉄骨本体より幅が広すぎるのだ。なるほどすでにあるものを活用は、資材運搬が困難な地であるだけに重要なことであろう。

 ところで目黒橋のデザインも転用であるのだ。実は東京の隅田川支流の日本橋川にかかる豊海橋とそっくりデザインである。その豊海橋は、関東大震災復興で1927年にできたのだが、復興局に在籍していた山口文象がデザイン担当していたのである。フィレンデールという構造体だが、若干プロポーションを美しく変えて、ほぼ同じ形で目黒川に援用したと、山口がそう述べているから確かである。

 全く異なる環境にもちこんで、しかも豊海橋が落ち着いた白系統の色であるあるのに対して、こちらは鮮やかな朱色である。この色に対して何か論争があったかもしれない。そもそも第2発電所のデザインについてはあれこれとあったらしいのだ。当時も自然と人工物の取り合う景観について、あれこれとやかましかったことを、山口は語っている。
黒部川の朱色の目黒橋(1934年)とその大きすぎる橋台

隅田川支流にかかる豊海橋(1927年)

 TV放送番組を見ていて欅平の手前の小屋平ダムがでてくると期待していたら、通り過ぎてしまった、残念。このダムについては、山口文象がドイツ遊学時に水理学の専門家を訪ねて形態について指導を得て設計に生かされているようだし、ダムのデザインスケッチもあって、今の姿を見たかった。
小屋平ダムと沈砂池 コンテパース山口文象

小屋平ダム コンテパース山口文象

●1957年このルートを辿った大学山岳部

 1957年の夏休みに、わたしの大学の山岳部はこのトロッコルートを阿曽原まで通り抜けて入山して、北アルプスの劔岳に夏山合宿に行った。残念にもわたしはこれに不参加だが、当時の記録がある。そのころは関電の工事専用ルートであり、そこを無理に頼み込んで乗せてもらったらしく、珍しい体験をしたものだ。

 参加した山岳部16人のうち、わたしの同期生だった一年生は10人である。その10人のうちで今も生き残りは、わずか5人のみである。この時の不参加のわたしも含めて山岳部同期仲間8人の生き残りが、今も親しく付き合っている。このTV放送を懐かしく見た者もいる。

山岳部仲間1958年夏山合宿下山時の写真 左から5人目が私、いま何人が生き残るか

 
 最後にテレビ番組なるものに小言を。
 わたしは日常でテレビ放送なるものを見ない。もう40年くらいは見ない。もちろん大災害時の現場の放送だけは見ているから、能登地震の発災当時も見た。
 今回も知人から教えてもらって、見逃しネット配信なるものをPCで見たのである。黒メガネの案内役というか狂言回し役のタモリという人は、昔にTVを見ていたころにお笑い芸人だった記憶がある。今はこのようなことをしているのか。
 それにしても、今回の主役はタモリではなく、関電の案内役の人であった。場所ごとにクイズ形式にして、タモリがどんどん正解をして、毎度毎度「おっしゃる通りでございます」と案内役が褒める。台本がそうだろうが、実に詰まらん、オウム返しと同じである。タモリと一緒の女性もなぜそこにいるのか、二人は有名芸人で客寄せパンダかしら。
 これって単発番組なのかしら、あるいは連続番組でいつもこうやっているのかしら、TV放送番組とはなんとつまらないものとあらためて思った。あ、そうだ、途中に広告がひとつも出てこないのが実によかったと褒めておこう。

(2024/01/23記)
本ブログ関連記事
建築家山口文象+初期RIAアーカイブズ
1936黒部川第2発電所・小屋ノ平ダム等
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伊達美徳=まちもり散人
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2024/01/20

1783【遭難用語】避難は疎開へ死者は犠牲者へと言い換える言葉いじりが犠牲者を生む

 大災害が起きた時に、新聞がたたびたび使う用語で、ずっと前から気になっている単語がいくつかある。ここで「避難」と「犠牲」を取り上げたい。

●避難と言うな疎開と言え(昔)

 能登地震に遭難した中学生高校生たちが、加賀にある大きな施設に集団避難して、戻れるようになるまで短期時滞在して、もろるまで集団生活をするそうである。はたしている戻れるのか、この機会に故郷を離れるものが多いような気がする。

 これを読んで思い出したのは、太平洋戦争末期に行った学童集団疎開である。そのことについては、すでに1月16日の本ブログに書いたが、ここで別に言いたことは、ほぼ同じ行為であるのに戦中は疎開と言い、現代は避難というはどうしてだろうかということである。

 ウィキペディアの「避難」に下記のような記述がある。本当かどうか出典がわからないが、ありそうなことなのでここに引用する。

 当時の政権が「避難」や「退避」という言葉を正直に使用しなかった理由は、当時の軍部が撤退・退却を誤魔化して「転進」と表現したのと同様、「軍事作戦の1つであり、決して逃げるのではない」と糊塗する(ごまかす、取り繕う)意図があったとされ、それゆえ当時の新聞紙上等においては外国で行われた(外国政府による、外国人の)疎開について、「避難」「撤去」「疎散」などと表現している。

つまり人災である空爆の焼夷弾を避けて難を逃れる意味の「避難」は、戦火から逃げ出す意味となり、戦意高揚に差し支えるというのである。実際にもバケツリレーと火たたきで消し止めろと指導し、実際にも空襲下に屋根に上って火消しに努めて多くの死者を出した。まことにもってバカな用語遣いであった。

 それもそうだが、疎開と言う言葉をまさに戦中疎開があった頃から当事者として知っていたが、長じてその言葉にどうも違和感を持っていた。使い方を間違っているようなのだ。
 そもそも疎開とはその字のごとく疎らに開くことであり、人を集団で移転させるのとは全く違うだろう。そうだとしてもあまりにも派生の派生すぎる。避難ではなくて疎開を使われたのは、軍部による横やりであったと知ると、なるほど違和感があるはずだ。

 コロナから避難するときはようやく去ったようだが、疎らに開くならコロナ三密制限こそがそれにふさわしい言葉であったのだ。そのことはすでにコロナ疎開という言葉が出てきた2020年にこのブログに書いた。
 今は素直に避難と言ってよい世の中になったこを素直に喜ぼう。もっとも避難なんて言葉を使うことがない方がよいのだが、もしかしたら戦中よりも使うチャンスが増えているかもしれない。

●誤用された疎開という言葉

 ここまで書いてはじめて気が付いたが、そもそも戦時中の児童疎開における疎開の使い方は言葉として全くの誤用であると思う。疎らに開いて空間を設けるのが本来の意味だから、建物疎開のように空襲の延焼を止めるための空地を、鉄道などの重要施設のまわりの建物を壊して空地にすることには、言葉として疎開は正しい。

 しかし、元の学校には児童がいなくなって疎らに開いた施設になったからこちらは疎開だが、避難先はむしろ密になったのだから疎開とは言えない。田舎に避難させた児童を疎開児童と言い、避難先を疎開先と言うというのは明らかに誤用である。

 たぶん、建物疎開が先にあり、その後に児童避難が始まる時に、軍部が避難を使わせないために行政側がしかたなく疎開を転用してしまったのであろう。避難元を疎開地と言うのは正しいが、避難先や避難児童に疎開を使うのは、まったくの誤用である。このあたりのことはどこかに研究者による調査があるかもしれない。

(追記20240220)こんな報道があった。ウクライナでは「疎開」といっているだろうか。


●死者を犠牲者と言うな

 災害による死者を一律に犠牲者と新聞は書くのだが、本当に犠牲者と言うべきだろうか。この疑問もすでにこのブログに書いているので繰り替えさなない。要するに天災なのだから、誰かが何かために犠牲になったと言うべきではないのだ。

2013/02/17・722戦死者も津波被災死者も犯罪被害死者もどれも犠牲者と呼ぶ風潮に引っかかる。https://datey.blogspot.com/2013/02/722.html

2015/04/18・1081【言葉の酔時記】津波被災者は誰の何の「犠牲」になったのか?https://datey.blogspot.com/2015/04/1081.html

 1995年の阪神淡路震災追悼記事でも今回の能登地震でも、死者のことを犠牲者とマスコミ報道に書いてある。もしかして行政関係者もそうかもしれない。今や辞書にも大災害での死者のことを犠牲者と言うと書いてあるが、違和感を拭えない。それならば地震は人為によるものとなり、死者たちは生き残った者たち全員の犠牲になったことになる。そんなはずがない。

 どうやらそこには忌み言葉として死を避ける世間の風潮(他界、成仏、逝去、、)が、言葉について厳密であるべきジャーナリストにも影響をもたらしているような気がする。そうした言葉遣いが、生き残りの者たちに無用の心理的負担をさせていると気が付かないのだろうか。もしもわたしが生き残りになったならそう思うに違いない。なぜそこまで考えないのだろうか。いや、もしかして私の考え過ぎなのか?

 もちろんだが、例えば3・11における福島原発の不作為による核毒拡散事故とか、手抜き工事で地震倒壊した建物による被害のような場合は、被害者は犠牲者である。この時に死者だけをそういうのではなく、人為による被災者は誰もが犠牲者である。大災害が来るたびにこの言葉で考え込んでいる。言葉の意味が時代とともに変わるとはわかっているが、これでよいのか。

(20240121記)

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伊達美徳=まちもり散人
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