◆東京駅復原反対論から考える風景の記憶論考

◆東京駅復原反対論から考える風景の記憶論考(一覧)

 赤レンガの東京駅が戦前の姿をコピー再現して、
ちょっとした東京観光名所になったらしい。
わたしはその復原に1985年頃から反対を唱えてきたのだが、
唱えているだけで復原阻止運動をしてきたのではないから見事に敗北。
 その反対を唱えた軌跡は下記に一部始終を載せている。
東京駅復原反対論」サイト
 ここに「伊達の眼鏡」ブログに載せた記事の一覧をつくっておく。
 復原反対論が世の中からほぼ無視されたので、
これは実は非常識な考えであったのかなあと、
なんだか恥ずかしい感もあるがもうどーでもよいのです。



105中央郵便局再開発と都市計画 2009年3月6日
http://datey.blogspot.jp/2009/03/105.html
東京中央郵便局の建て替えを巡って、部分保全再開発派(以下「部再派」という)と、重要文化財指定全面保存派(「重全派」)との争いが、マスメディアを賑わわせている。そこに総務大臣がオレにも一枚かませろって割込んできた図式である。

106江戸初春飛脚屋苦虫 2009年3月7日
http://datey.blogspot.jp/2009/03/106_07.html
江戸城の丸の内に駕篭屋の元締めがいる。そこに赤れんが姐さんと呼ばれている大姉御がいる。赤いレンガ色のおべべが、この姐さんのトレードマークである。近頃、姐さんはちょっと足腰が弱り、若い頃の火傷もうずきだし、色香が薄れてきた。姐さんはこの辺で起死回生若返りとて、大胆な方法で昔の色香を取り戻すことにした。


018丸の内の風景 2008年7月16日
この写真は1987年にわたしが撮った東京は丸の内の風景である。手前に新幹線から東京駅ホームの屋根、その向こうに赤レンガの「東京駅丸の内駅舎」の台形屋根が3つ並ぶ。これは後3年したら、両脇のふたつが台形から丸になる予定で ...
http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html

022文明批評としての建築 2008年7月26日
東京駅丸の内駅前広場の南にある東京中央郵便局の改築計画を、日本郵政会社が2008年6月25日に発表した。 1931年に竣工して現在に至るまで使っているビルであり、建築界ではヨーロッパからのモダニズムデザインを正面切って ...
http://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_26.html

093歌舞伎座の改築 2009年2月04日
東京東銀座にある歌舞伎座を建替えるそうである。 東京駅が昔の形に復原、中央郵便局は後ろに超高層を建ててファサード保全、さて今度はどうするのかと発表された絵を見たら、何にも特徴のない超高層ビルが後ろに建っていて、それは ...
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_04.html

103三菱1号館コピー出現 2009年3月04日
そして21世紀はじめ、この15階建て三菱商事ビルのほかに、9階建ての古河ビル、8階建ての丸の内八重洲ビルをまとめて壊して、丸の内パークビルという超高層ビルが建った。 なんとその足元には、三菱1号館の原寸大模型が、もとあった ...
http://datey.blogspot.com/2009/03/1031.html

106江戸初春飛脚屋苦虫 2009年3月07日
これの意味は、補修して3階建てで保全する東京駅赤れんが駅舎から、その余っている容積をJR東日本から買い取って、こちらに乗せる下話がついているのだが、もしその話がおじゃんになったら1410パーセントに下げるぞってことらしい。
http://datey.blogspot.com/2009/03/106_07.html

204浦島伝説テーマパーク 2009年11月23日
東京駅の前、丸の内に丸ノ内パークビルディングができた。 赤っぽい超高層ビルの足元に、赤レンガで3階建てスレート屋根、どことなく古そうな格好だがぴっかぴかの新しい西洋長屋である。 1894年に三菱1号館として建てられていたの ...
http://datey.blogspot.com/2009/11/204.html

319東京駅八重洲口風景 2010年9月21日
去年のはじめに東京駅の八重洲口に行ったら、巨大な真っ白な壁が出現していて驚いた。大丸取り壊し工事のための囲いである。この白い壁の架かる前は、ビルの黒いガラスのカーテンウォールであった。 ごたごたした八重洲駅前に、 ...
http://datey.blogspot.com/2010/09/319.html

359東京駅たそがれ 2010年12月14日
久しぶりに東京に行った。知人がオフィス開設40周年記念で大忘年会をするという。しばらく都市計画界の知人たちに顔を合わせてなくて、忘れられるのも癪なのでちょうど良い機会とでかけた。久方の方々に大勢であって、まあよかった。…
http://datey.blogspot.com/2010/12/359.html

364東京駅の移り変わりを追う 2011年1月07日
正月が終わって久しぶりに東京に出かける用事あり、ついでだから東京駅まで行ってきた。このあたりの変遷を追いかけていて、わたしのサイトに何度も写真を載せているが、また載せる。 丸の内側は赤煉瓦駅舎の大改造中で、仮囲いと工事幕 ...
http://datey.blogspot.com/2011/01/364.html

395江戸城本丸から 2011年3月09日
その超高層建築申請に始まる景観論争で、丸の内はなんとなく100m限度の暗黙の了解ができていたのだが、丸ビルの建て替えを契機に今はそれも破られた。 今では赤いタイルで特徴ある東京海上ビルは、その後の超高層に紛れ込むほど ...
http://datey.blogspot.com/2011/03/395.html

466森まゆみさんと立ち話 2011年8月07日
森さんたちの赤レンガ東京駅保存復原運動には、わたしは復原反対なので、そのひとりキャンペーンをネットでしていましたが、これは惨敗しました。次は、福島第1原発世界文化遺産登録ひとりキャンペーンに転進します」 「あら、ネットで読んだ ...
http://datey.blogspot.com/2011/08/466.html

521見世物建築ちょい顔見世 2011年11月04日
東京駅と丸の内は、何十年ものわたしの定点観測地点である。 今の赤レンガの東京駅舎は、クリストのアートのごとくに布で梱包されていて、復原という名目をつけて、歴史的風景の破壊工事中である。 来年半ばには完成らしいが、先日(2011 ...
http://datey.blogspot.com/2011/11/521.html

522紙ヒコーキ超高層 2011年11月05日
 丸の内の東京駅の斜め前では、中央郵便局舎の建て替え工事が進み、下半身の旧ファザード一部保全工事部分はまだ梱包の中だが、上空にガラスのタワーが全部見えてきた。 おお、やっぱり、どうみても紙ヒコーキだ ...
http://datey.blogspot.com/2011/11/522.html

585出戻りお目見え近い東京駅姐さんと紙ヒコーキビル 2012年2月19日
今朝の新聞に一面広告、「2012年10月3日東京ステーションホテル開業」とある。この3年前だったか、お化粧のためにしばらく休業だった。 1914年開業だから98年目のお化粧直しのお目見えである。丸髷結って、カンザシいっぱいさして、赤い ...
http://datey.blogspot.com/

605日本橋上空高速道路撤去反対論 2012年4月11日
東京駅復原反対論がついに失敗したから、次はこれだっ。 今朝の朝日新聞に、東京・日本橋の上にかかる高速道路を、地下道路を掘って付け替えようというという検討を再開したしたというニュースがある。 「日本橋付近の地下化検討を 首都高 ...
http://datey.blogspot.com/2012/04/605.html

630赤レンガの東京駅が花魁頭の姿を見せてきた 2012年6月15日
東京丸の内にある東京駅丸の内駅舎が、ながらく工事用の囲いで覆われていたが、姿を見せてきた。2012年6月13日に丸ビルの5階から撮った写真。 復元工事前の2007年11月に同じく ...
http://datey.blogspot.com/2012/06/630.html

649歴史とは継続する文化の重層であるはずだが突然百年飛ぶ東京駅 2012年8月03日
今朝の新聞の広告に、東京駅の写真が出ている。こう書いてある。100年の歴史に、 新しい100年が積み重なる。 Over The century 東京の玄関として歴史を歩んできました。数えきれない思い出を見つめてきました。 戦災で姿を変えていた ...
http://datey.blogspot.com/2012/08/649.html

673赤レンガ東京駅が戦災前の姿に厚化粧して出戻り 2012年9月30日
明日(2012年10月1日)から、東京駅丸の内駅舎が新しくて古い姿で正式登場だそうです。 その東京駅については1988年に、建て替えて当然という時代の中にありながら、国の方針として保全継続使用方針を決めたのでした。 それからず~っ ...
http://datey.blogspot.com/2012/02/585.html

674東京駅復原出戻り譚(その1)これは「記憶を守る」仕業か 2012年10月01日
東京駅の丸の内駅舎、いわゆる赤レンガの東京駅が戦災前の姿になって、今日から正式に出戻りのお目見えだそうである。 これからしばらくこの「事件」について、世の人々があれこれ言うだろうから、わたしはそれらの世間のウワサをとりあげ ...
http://datey.blogspot.com/2012/10/674.html

676東京駅復原出戻り譚(その2)2012年10月13日
ようやく腰を上げて、昔の姿で出戻りした東京駅を見てきた。 実はわたしは見なくても、20年以上の研究知識と近頃のネット情報で、どうなっているか分かっているのだが、一応は見ておかなばなるまい。 で、現実にはわかっている通りであった ...
http://datey.blogspot.com/2012/10/676.html

678東京駅復原出戻り譚(その3)お供に引き連れて戻った 2012年10月17日
わたしが1987~88年に撮った東京駅とその周辺の写真がある。これは国が行った東京駅周辺再開発調査(これで保存が決定)のときの資料だが、今の風景と見比べると実に面白い。 髷を結い直し、簪を取り揃え、真っ赤に紅の厚化粧で出 ...
http://datey.blogspot.com/2012/10/678.html

679東京駅復原出戻り譚(その4)2012年10月21日
東京駅の赤レンガ駅舎は、1945年5月に空爆によって炎上して、残ったのはレンガ壁とコンクリートの床だけになった。 その壁と床を再利用して再建したのが1947年の「復興」東京駅で、2007年まで62年間を姿を見せていたであった。…
http://datey.blogspot.com/2012/10/679.html

684東京駅復原出戻り譚(その5)  2012年11月01日
なんだか東京駅あたりの丸の内が、近頃は休日も夜もにぎやからしい。 昔は(年寄りはすぐこう言う)丸の内なんて夜は暗いし、休日はガラ~ンとしてさびしかったものだ。 1988年に4省庁の東京駅周辺再開発レポートを出した八十島委員会で ...
http://datey.blogspot.com/2012/11/684.html

750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いのは歌舞伎はもう傾奇時代じゃないってことか  2013年4月02日
隠 ああ、三菱一号館美術館、東京駅、歌舞伎座とコピーデザインが続くと、建築家の創造性ってなんだろうねえ。あ、そうだ、今思い出したけど、大阪に村野藤吾が1950年代に設計した新歌舞伎座ってのがあってね、これはあの時代のいかにも ...
http://datey.blogspot.com/2013/04/750.html

848東京駅赤レンガ駅舎のスカイラインはどうもゴチャゴチャしている 2013年10月30日
http://datey.blogspot.jp/2013/10/848.html
東京駅に久しぶりに行ってみて、東京都道404号皇居前東京停車場線(通称・行幸通り)から真正面の風景を見た。赤レンガ駅舎の3階に昔のコピー建築が乗っかったので、以前と比べて両肩が吊り上った感じである。

849赤レンガ東京駅見物ついでに東大博物館を探検してあの「零円札」に遭遇して感動した  2013年10月31日http://datey.blogspot.jp/2013/10/849.html
東京駅の夜景を、東京中央郵便局、じゃなかったKITTEの前から撮った写真で、お化粧前2005年とお化粧後2013年の比較をしてみる。さてどこが変ったか、背景に容積率を移転した高いビルが見えている。これはご自分の資産を一部身売りした先で、…

850東京駅は丸の内の赤レンガだけじゃない、八重洲側の変貌が著しくて面白い 2013年11月1日http://datey.blogspot.jp/2013/11/850.html
東京駅の八重洲側に久しぶりに出てみた。長らく続いた工事中のうっとおしい構内の囲いが無くなって、すっきりした。表に出てみると駅前広場ははまだまだ工事中だが、すぐ頭の上にデッキがかかり、更にそのデッキの上には布の大きなテントが張ってある。…

884都市計画談議(その10)東京って権威的景観がご自慢なのね
http://datey.blogspot.jp/2014/01/884.html
東京都には「首都東京の象徴的建築」と称して景観保全策を講じている建築がある。国会議事堂、赤坂離宮、明治神宮外苑絵画館そして東京駅であるから、どれもこれも権威主義そのものの景観であるのは、いったいどういうわけだろうか。

1040東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅を誰も問わない2014/12
http://datey.blogspot.jp/2014/12/1040.html
2014年12月は赤レンガ東京駅が開業して100周年を迎えたとて、昔の姿に戻ってヨカッタヨカッタってお祭り騒ぎで平和なこと。1947年に出現した戦争記念碑としての赤煉瓦駅舎が消滅したことをだれも言わない。


【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド】
1269【その1】現在の東京駅丸の内赤レンガ駅舎は4代目の姿
1270【その2】空爆廃墟「1945東京駅」を不必要に華麗に復興した「1947東京駅」は米軍への復讐戦か
1271【その3】頭の上の空気をあちこちに販売して保全修復費用を捻出した「2012東京駅」
1272【その4】東京駅を近代日本戦争時代の開幕記念碑とするならばJPタワーは現代世界戦争時代の開幕記念碑かもしれない
1273【その5】40年前に重要文化財指定を嫌って取り壊した三菱一号館が美術館になって出戻り
1274【その6】丸の内に40年ぶりに浦島太郎が美術館になって戻ってきた理由はなんだろうか
1275【その7】明治建築を再現したんだから次は丸の内に昔あって今は上野にある江戸大名屋敷黒門を連れ戻しましょうよ
1277【その8】明治生命館は今や丸の内では超一級重要文化財、自社オフィスなのに一般公開しているのがいまどき偉いなあ
1278【その9】キメラ建築DNタワーがになう歴史的景観の背景にある日本の戦争
1281【その10】DNタワーの設計者たちと歴史的建築の保存と再生の表現
1282【その11】攻め寄せる超高層建築の大群に包囲されつつある江戸城西の丸下皇居外苑
1284【その12】超高層建築の東京海上ビルがタブーに触れて起きた美観論争のなれのはてのこの現実はいったいなんだろ


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