いまだに使っているのかあ、遺骨を柱(ハシラ)という助数詞で勘定している、いいのか?
それって、日本の神道(しんとう)という宗教上の言葉だよ、その遺骨の遺族は神道信者ばかりじゃないだろう、他の宗教を信じる遺族から文句がでるだろう、いいのかい?
2024年5月5日の朝日新聞朝刊一面トップ見出しに、『日本兵遺骨1000柱収集へ』とある。ここで取り上げるのは、新聞記事で遺骨を助数詞「柱」で数えていることだ。
これと同じようなことが、4月14日の東京新聞にもあった。『戻らぬ遺骨112万柱 収集事業のいま』と大きな見出しである。
ここでなぜ、「1000人分の遺骨」とか「112万体分の遺骨」と言わないで、柱という助数詞を使うのだろうか? だって、「柱」という助数詞は、日本の宗教の神道における神の数え方であり、キリスト教やイスラム教やヒンヅー教の神々には使わないはずである。仏教はもちろんだろう。
もちろん、その遺骨の死者が、既に何らかの手続きで神道の神として祀られているならば、柱を助数詞として使ってもよいが、そうでない者の遺骨も一括して、神道の神に勝手に祀ってしまうと、宗教上のことだから何か不都合が起きるような気がする。
そのもめごとの典型的な例が、東京九段の靖国神社で起きている。神社が戦死者を一方的に遺族の了承もなく合祀するということによる、遺族と神社との争いである。特定宗教上の神として一方的に祀るという行為が、神社の現場以前に孤島にある遺骨にまで及んでいることを、それが柱の助数詞で呼ばれることで、わたしたちは知るのである。
個人的なことを書くと、わたしは神社の宮司の子に生まれたから、日本の神道の神を「柱」で数えることは常識的に知っていたし、宮司の親族が死ぬと霊神という神として祀ることも知っている。神社境内にある「霊神社」という小宮に祀られ、「柱」の助数詞で数えられる。
だからその立場にいたことがあるわたしから逆に言えば、なぜ神道でないものなのに、その死により「柱」で数えられる神になるのか、それが不思議であるのだ。もっと言えば、神道でないものが神道の領域を犯していることになるような気がするのだ。
もしかして、靖国神社問題で、神社が祀る死者を柱で数えることを聞いて、新聞屋(あるいは世の中全般も)は戦死者とかその遺骨というものは柱と数えるものだと、勘違いしているのかもしれない。
あるいは、朝日も東京も新聞社は靖国神社を崇敬しているのかもしれない。新聞社が靖国崇敬しても一向にかまわないけど、言葉は厳密に使ってほしい。
この件に関しては、わたしはすでに2018年7月にも。このブログで指摘している。その時の新聞は、外国人戦死者も柱で数えて日本の神として祀っているのだ。
参照:2018/07/29・1153【言葉の酔時記:柱】アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」と数えて日本神道の神様にしてしまってよいのか https://datey.blogspot.com/2018/07/1153.html
(2025/05/06記)
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伊達美徳=まちもり散人
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