2025/01/18

1863【大地震記憶】阪神淡路・中越・東日本・奥能登の大震災現地そして幼少期の大震災記憶

 これまで88年もの長い人生でありながら、幸いにして南キャリフォニアのような大火災にも、能登のような大地震にも直接に被災したことは無く過ごしてきた。これからどれほど生きるかわからぬが、大災害に合わない保証はない。できればそんな体験の無いまま今のうちに、この世からおさらばしたいものだ。

●阪神淡路大震災の現場へ

 昨日、2025年1月17日は、あの1995年阪神淡路大震災からちょうど30年目の日であった。わたしはそのような時間と事件とを結びつけて記憶するのは良いとしても、それから10年目とか30年目とかに特別な意味があるとは思えない。身内の死を何年忌とか言って覚えるのと同じかもしれない。わたしはあまりその記念日に興味はないが、事のついでにこれまでに出会った直接間接の地震について、まとめて書きとめておこうおこう。

 1995年の阪神淡路大震災は、長い人生でも飛び切り記憶に刻まれれている。自身が体験したのではないが、幼いころから比較的よく知っている大阪神戸あたりがどうなったか、どうなるのか大いに気になったので、関東住まいであったが仕事で関西に出かける度に、都合つけて神戸を何度も見に行ったものだった。もちろんそれには都市計画家としての興味が一番大きな動機だった。

 1月17日からTV映像を見続けて、すぐに行きたかったが支援する勇気はなくて、見学にゆっくには交通機関が通じてからと思っていて、3月4日になってようやく三宮に入ることができた。

 そこから破壊しつくされた街々を歩き歩きめぐった。何回も何日も見にいった。西は明石、東は芦屋まで歩きに歩いたものだった。カラー写真を何本も使って写真を撮り、スライドに残していた。今や一部をデジタルデータにしてPCに入れたほかは、最近になりすべて終活破棄した。30年とはそういう時間である。

 この地震は、最大震度7、死者・行方不明者6,437人であった。このときは何も復興支援にかかわることは無かったが、とにかくこの目で見ないと災害についてはわからないことばかりであると、心底知ったのが収穫であったと言える。

 以下は初めて神戸に入った1995年3月4日から5日にかけての写真のほんの一部。



 



●中越大震災の現場へ
 
 その次の地震災害地に入った体験は、2004年10月の新潟県中越大震災であった。このころわたしはNPO日本都市計画家協会の事務局長をしており、協会としての震災復興支援活動を行うことになった。
 この中越震災復興現場のひとつである長岡市の法末(ほっせ)という山村集落に、わたしもNPO仲間たち十数人のメンバーと頻繁に通うことになる。10年ほども続く長い支援活動がはじまり、初めは毎週末には泊りがけで通ったものだった。

 私的には豪雪の地域の生活に大いに驚いたものだった。生まれ育った山陽の地はめったに積雪はないし、その後に住んだ関東も同じようなものだったから、全く知らなかった北国の暮らしを知って、本業の都市計画に大いに役立った。

 復興支援とはいったい何だろうかと迷いつついろいろなことをした。要はその小さな被災山村を持続するための多様な活動だったが、人口減少がどこでも起きている日本で、これが果たして成功したのだろうか。






 美しい集落は復興したが、定住人口は減っている。減るとこの山村を支える農業者が減ることになる。生活圏としての山村は、元の緑の自然にもそどっていくばかりである。
 ひとつだけ成功と思うことは復興支援活動仲間の一人が、その山村に住み着いて農民となり、耕作放棄される棚田を引き付けて、美味い米つくりをしていることだ。
 その間のことをわたしの「まちもり通信サイト」の「法末集落復興日録」に載せている。

●東日本大震災の現場へ

 次の大災害現場は、2011年東日本大震災の東北地方であった。地震動災害に加えて津波災害、さらに加えて原子力発電所事故による核毒災害という三重苦巨大災害である。わたしはもう支援に加わる体力はなく、NPO日本都市計画家協会の一員として、何回か災害現場視察企画に参加して訪れ、人間と自然との対応にあれこれと思いをいたすばかりであった。

 それらについては、「まちもり通信サイト」の「災害日本オロオロ日録」に載せている。

地震災害に加えて核毒でゴーストタウンになった富岡町


津波と核毒に襲われた浪江町の漁港の街の廃墟の陸上のあちこちに漁船が

除染という核毒集塵掃除作業の結果は膨大な核毒ゴミ黒袋の山

浪江の村のどこもかしこも核毒汚染された田畑の一番豊かな土をはぎ取る

 特に福島第1発電所の原子炉の事故による巨大災害には、心底驚き、あきれるばかりのことばかりである。広範囲に核毒を振り撒いて国土を取り戻しようがないほどの汚染するという大事件である。今それから14年がたつのに、もはや忘れたように核発電所が、列島おあちこちに生き返りつつある。その後の処理がいまだに完了しないのに、忘れたとはどういうことだろうか。

●かつて訪れた能登半島地震の現場の今は?

 さて現在の地震災害主役は2024年能登半島地震であるが、もうわたしは現地を訪ねる気力も体力もない。2004年に訪ね巡ったあの奥能登の地は、今どうなっているのだろうか。
 じつは個人的には2004年の中越地震による大きな揺れを、偶然にも比較的近くの奥能登で身をもって体験したのであった。その地は輪島であったが、そこはまさに昨年2024年元日の能登半島大地震の地である。

 この能登半島で中越地震に遭遇したときのことはこのブログに載せているので、一部引用する。 
ガタガタみしみしとゆれる、地震だ、大きい。余震もきた。
2004年の奥能登ウォーキングコース
能登半島の輪島市の郊外、漁村集落の民宿について、やれやれと一休みしていた。大きな木造2階家は、古くて客が歩くとみしみしがたがた足音がする。音だけではなくてゆれたので、これは地震だ。コンクリ長屋の上のほうでユルユル揺れるのとは違う、ナツカシイゆれ方だ 
囲炉裏部屋のテレビを見ていると、震源は新潟といいつつ、しだいに被害が広がるのが分かる。能登は震度4だった。外では防災無線放送が津波の心配はないと言っている。
2004年10月23日夕刻から始まった中越地震に、こうして旅先で出会ったのだった。この旅は、わが大学同期の翁12人が、能登空港を起終点にして奥能登をひとまわりする120キロの行程を、5日間かけて歩きとおす企画である。
           (全文は『奥能登100キロウォーク』参照のこと)

 わたしが今も所属だけしているNPO日本都市計画家協会は、この能登半島震災復興のために、門前町に入っているようだ。わたしの奥能登の旅ではその街の黒島で一泊した。あの伝建地区の街並みどうなっているのだろうか。

●幼少期の大地震記憶

 ところで私の震災に関する記憶で最も古いものは、1943年9月の鳥取地震であるらしい。幼少時に揺れた記憶は一つしかないからこれであろう。わたしは7歳の時である。
 鳥取県の南隣の岡山県の高梁盆地で少年時代を過ごした。家が揺れるばかりか、周りの巨木もゆさゆさと揺れて倒れ掛かるのかと、怖かった記憶がある。わたしの生家は丘の中腹にある神社の森の中であったから、境内には巨木が立ち並んでいたのだ。
 それ以後でも、台風の時などは、巨木が揺れて枝が折れて落ちてくることはしょっちゅうで、森の中に住むのは平素の見た様子とは大いに違って、けっこう怖いのであった。

 その次の地震の記憶は、1948年の福井地震であった。新聞に載った百貨店建物の被災写真に強い記憶がある。
 また別の記憶につよい地震に関する新聞写真は、コンクリート中層共同住宅建築が横倒しになった悲惨な光景であるがいつのことか思い出せない。ネットを探したらあった、意外に最近で1964年の新潟地震であった。

 1957年からわたしは関東に住むようになったのだが、こちらは生まれた西の地と違ってずいぶん地震が多い地域であると思ったものだ。しょっちゅう体感地震があり、2年くらい離れなくてその度に怖くて胸がドキドキしたものだった。そのうちに慣れた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/01/15

1862【介護保険へ】米寿ほども老いたのでもう資格あるだろうと介護保険適用手続きを始めたが、、


「これから詰まらぬ質問しますから答えてください。では第1問です。貴方の年齢はいくつですか」

「87歳です」

「では今日は何年何月何日ですか」

「2025年1月、えーと、13日だっけ」

「14日が正解です」

 ここは近所のクリニック診察室、目の前の看護師の女性が質問してくる。風邪ひきの薬を出してもらいに来たのに、なんでこんな質問かしら。

「ところで、なんですか、これって?」

「あれ、言いませんでしたか、貴方が区役所に出された介護保険適用の認定の調査ですよ」

「あ、そうですか、そうですか、今日は風邪薬もらいに来ただけなもんで、、。ああ、あの申請した介護の必要度合いの調査、介護を必要とするほどにどれほど老いたかボケたってテストね、まあ、ちょうどよかった、続けてください」

「では何曜日でしょう」

「火曜日だね、あのねえ、私ぐらいの歳のものはたいてい曜日に関係ない生活をしているものですよ、だから曜日を聞いて答えられなくて当たり前でしょ、それなのにボケの度合いの調査にそんな質問しても意味がありませんよ、質問がおかしいでしょ」

「あ、そうですねえ、調査書をつくったところに言いましょうかね。では次です。ここはどこでしょう」

「え、ここってクリニックの一室でしょ、貴方がお勤めのクリニックのね、これでいいのかしら、横浜とか日本とか地球とか言うのかしら?」

「はい、では次、これからいう三つの言葉を覚えておいてください、またずっと後で聞きますから、では、サクラ、ネコ、デンシャ、いいですかサクラネコデンシャ」

「はい、サクラネコデンシャね」

「では次の質問、100から7を引いてください」

「そんなの93でしょ」

「はい、ではそこからまた7を引いてください」

「えーと86」(バカバカしいな、あ、ボケ度調査なら間違い回答するべきだな)

「では次です。これからいう数字を逆に言ってください、6,8,2」

「286」

「3529」

「えーと9253」(あ、いけね、また正解しちゃった)

「先ほど覚えてもらった三つの言葉を言ってください」

「サクラデンシャネコ」(いけね、また正解だ、うまくじゃなくてまずく答えちゃった)

「ハイ正解、お歳にしてはずいぶん明晰ですねえ」

「アッ、いけねえ、そうか、これは介護保険適用のボケ度合い調査でしたね、こんなに正解してはいけなんだ、間違いやらないと介護適用してくれないんですよね、う~む、失敗したなあ、これからの質問には間違うように気をつけます」

「いやいや、もうおそいですよ」

「そういわないで、何とか不合格、いや合格するようにしてくださいよ」

「では次です、ここに並べたえんぴつ、かぎ、時計、くし、ハサミを見て覚えてくさい。はい、ではこれらをかたづけます、では何があったか言ってください」

「え~と、えんぴつ、時計、くし、ハサミ、え~ともうひとつなんだっけ、思い出せないなあ」(今回はうまく失敗するぞ)

「それは鍵です」

「次の質問です。果物または野菜の名前を10個行ってください」

「じゃ野菜を言います、キャベツニンジン白菜ホウレンソウジャガイモ玉ねぎモヤシサツマイモニンニク里芋、これで10個、あ、いけね、またやってしまった、ここは8個しか言えなかったことにしておいてくださいよ」

「いや、そうはできません、以上でおしまいです、おつかれさま」

 というわけで、正解してはいけない、いや間違い回答するべき質問についつい正解してしまうというバカなことをしてしまった。これでは目的とする介護保険適用がなされないオソレが十分にある。

 年齢とともに次第に弱りつつある身体機能、特に歩行機能の回復のために行う活動費用、例えばリハビリジムに通うとか、リハビリ用具のレンタルや購入などに介護保険を適用して、老後生活費用の節約を目指していたのに、これでは失敗したかもしれない。

 どうも身体機能の内のボケ機能介護にばかり保険適用をするらしい。運動機能への適用はどうなっているんだろ。なんだか偏っている調査のようだ。
 後でネット検索したら、これは長谷川式という介護度調査様式とて、点数をつけるとのこと。わたしのそれを自主採点したら満点30点に対して27点となった。点数が低いほどボケ度が高い、つまり保険適用にふさわしい判断になるらしい。

 どうもわたしはふさわしくなさそうだ。あきらめるしかないか。喜ぶべきか悲しむべきか。それにしても介護保険料は高いよなあ、後期高齢者医療保険料も高いし、これらをなんとかして取り返したいものだ。

(2025/01/15記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/01/13

1861【LA大火事】森林から都市へ拡大した大火災の原因に異常気象があるとすれば他人事ではない

 


 ロス・アンゼルスで高級住宅地が大火事だそうである。7日発生から今日(20250113)現在も燃え続けていて、東京山手線内面積の倍以上も燃えたとのこと。
 データ的には、被災面積160平方キロメートル、死者16人、被災建物は1万棟以上、避難の指示や警告の対象になっている住民はあわせて30万人だそうだ。
 これでは山火事とはもう言えなくて、都市火災というべきだろう。

 昨夜はPCのSNS(youtubeとX)でいくつもの現地中継(LIVE)を見続けた。特に空中からの現場の火災進行実況は、まったくもって凄い、怖い、酷いものである。

 これはまるで炎の津波である。裏山から炎の横列の津波が下って襲い来るのを、なすすべもなく見る住民の気持ちを思うとやり切れない。ということは、あの大津波の時の沿岸の人々の気持ちもそうだったのだ。大自然からの攻撃に人間はなすすべもない。



 燃え広がる炎の空中写真を見ていて、ちょっと気になったのは、全く別の場所が何か所も燃えていることだ。飛び火とみるのは遠すぎる。同じ条件化なら自然発火するところが何か所もあるのか、あるいはいくつかは人為的な発火かとも思えるのだ。


 SNSには例のごとくに、陰謀論はもちろん、被災画像に人種差別的コメントとか、AI製の偽画像とか、怪しい書き込みがある。
 そんな妙なときにトランプは政権に就くのだが、どうするのだろうかと思っていたら、さっそくに民主党知事の失策だと言っているらしい。困った人だ。USAは大丈夫か。

 なぜこれほどに火災が拡大するのか。日本でも近年では2024年元日の能登輪島の朝市通りとか、2016年の糸魚川大火とかあるが、LAほどの大規模ではない。USAの住宅地の住宅の建て方(材料とか防火対策)とか、住宅地の都市計画(山林と住宅地の配置)とかに原因があるような気がするが、正確なところはわからない。

燃え尽くした山と住宅地

 LAの郊外には広大な住宅地がとめどもなく広がっている。まさに自動車社会の国である。緑に覆われた広い宅地に大きな住宅が、たぶん木造でびっしりと建てられている。燃えた跡の住宅地のあまりにもひどさに驚くしかない。画一的に作られた住宅地らしいが、全く画一的に廃墟になっているのが痛ましい。

 この森林火災の拡大から大規模都市火災への展開の原因を言う識者によれば、近年の異常気象によって森林が燃えやすい条件になっていたとのとこと。それが分かっているなら、森林火災拡大防止対策を取り入れた居住地づくりの都市計画があってもよいはずだ。


 例えば、延焼拡大防止のために、広い幅の空地の延焼防止帯を設けることが有効だろう。しかし、この写真に見るように、LAの郊外住宅地開発は野放図に森林を侵食している。特にキャリフォニアにおける乾季の山火事騒動は、毎年のことだからとっくに分かっていたはずだ。

ここは被災地ではないが広大な郊外住宅地が山を切り開いてい広がる

 そもそも森林地帯で人間が住むようなところじゃなかったのに、無理やり開発したのである。人がいなければどんなに森林が燃えても災害とは言わないだろう。
 そんなところに住み込んだ人間に、自然が土地を返せと迫っているのが、この大火災かもしれない。

 異常気象がこの大災害の原因ならば、日本列島も同じようなことが起きないとは限らない。太平洋を挟んだ対岸の火事ではなくなる。
 特に人口が減少しつつある郊外住宅地や地方小都市では、いったん燃え広がるとそれを止める人手がないから、拡大するばかりになるおそれは十分にある。
日本の都市の郊外住宅地開発も似たようなものだ

 コロナ禍は終わるらしいが、異常気象禍は今後ともつのるばかりのようだ。このところあちこちで戦争が多いのも、異常気象が人間の生存本能を掻き立てている現象かもしれない。右傾化する世界、強権国家の出現はまさにそうだろう。
 なんとも嫌な時代に生きることになったものだ。

 (2025/01/13記)

(20250114追記)14日朝のNHK報道では、死者は24人に増え、避難指示や警告対象住民数は、ピーク時には30万人以上だったが、13日時点では18万人余りに減少。一方、LA近郊では14日早朝から15日正午ごろまでは「特に危険な状況」に風が強まるとのこと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2025/01/10

1860【新春長屋政談】よれよれの地球はコロナ禍後遺症よわり目にたたり目トランプ禍到来

「やあ、ご隠居、謹賀新年です」

「うむ、アケオメだな。簡単年賀には簡単返事にするよ。 また今年も明けてしまったね、もうこの歳になると新年なんて珍しくもない、飽き飽きだよ」

「まあ、そういわないで付き合ってくださいよ」

「だってさ、コロナが明けたら、何か特別な良い世界がやってくるかもしれない、それを楽しみで生きてきたんだよ、この4年をね。だけども、実はちっともいいことが起きないねえ、気候変動で災害ばかり、あちこちで戦争で殺し合いの世だよ」

コロナ禍にプーチン禍トランプ禍インフレ禍温暖禍右傾禍地球は禍星
(221116詠)

「まあそういわないで、もう少し人生を楽しみましょうよ。そうそう、今年はトランプが出てきて面白そうですよ、あのお騒がせ男が」

「ウンそうだね、アメリカって変な国だねえ、あんな人を大統領に選ぶんだもんなあ。いやいや、アメリカだけじゃない、ロシアでもプーチンを選んだんだものなあ、近ごろはヨーロッパでも極右政権が登場しそうな気配だしなあ、変な世の中になったね、これらの変なことつづきの原因は、地球全部がコロナ後遺症に罹っているにちがいないょ」

「こうなったら、あのトランプが、どんな変なことや奇妙なことを言い出してやりだすか、それを積極的に楽しみましょうよ、それが庶民にできる災難を楽しむ術ですよ」

「おっ、なるほど、何にも関係ない庶民は弥次馬根性丸出しで、トラさんの無教養丸出し政策で世界が右往左往する、それを眺めて楽しもうってのかい、う~む、世も末だね、でもそれも面白いな」

「そうでしょ、もうそれが始まっているんですよ。トランプのUSA大統領就任は1月19日ですから、まだ大統領じゃない、でも大統領でもある、そんな位置にあるもんだから、いい気になって無責任な発言をやってますよ」

(東京新聞20250106)
「わはは、これは面白い、そうかそうか、末世的な不健康さがあるが、しばらく楽しむことにするか。わたしは前にこんな狂歌をこのブログに書いたが、いよいよ何か起きそうだ」

もしかして「棚からトランプ」かもしれぬ いや「泣き面にトランプ」かもしれぬ

「USA衆愚連中はあんな人を大統領の選出するとは、なんと乱れた地球になったかと、がっくりしていましたが、これは第一級のエンターテインメント世界がやってきたんですよ」

「チャイナのシーさん、ロシアのプーさん、北コリアのキムさん、EUは誰だっけ、そう言えばメルケル後にリーダー級がいないね、だれか知らんがみんなトラさんと丁々発止とやっとくれ、野次馬として楽しむからさ」

ジャパンのイシさんはどうするんですかね、この前のトラさん大統領の時に尻尾ふってじゃれてたアベさんのようにやりますかね」

「面白そうだね、今年の春こそ西行の辞世の一首「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のコロナ(頃)」に追いつきたかったが、もうしばらく生きてみるか、そんな気になってきた。そこで狂歌一首」

よれよれの地球はコロナ禍後遺症よわり目にたたり目トランプ禍到来

(2025/01/10記)

ーーーこのブログのトランプがらみ瓢論ーーー

・2024/11/20・1850【選挙狂歌】付和雷同したネットの衆愚 https://datey.blogspot.com/2024/11/1850.html

・2024/11/09・1849【分断の地球】トランプ再登場また分断地球新冷戦時代かhttps://datey.blogspot.com/2024/11/1849.html

・2024/11/05・1848【もしトラ】トラとリス民意を割って真っ二つhttps://datey.blogspot.com/2024/11/1848.html

・2024/07/26・1824【トランプ対ハリス】トランプは一転してヨボヨボ爺にhttps://datey.blogspot.com/2024/07/1824.html

・2024/07/15・1823【トランプ狙撃事件】Hey Mr.Trump! YOU'RE FIRED! https://datey.blogspot.com/2024/07/1823.html

・2024/02/27・1797【もしトラ】実現するい地球リスク「トラプーシ世界」https://datey.blogspot.com/2024/02/1797.html

・2024/01/29・1787【世界選挙年】今年は世界人口の半分が選挙 https://datey.blogspot.com/2024/01/1787.html

・2022/11/16・1655【禍多き星よ】コロナプーチントランプ禍地球は禍星 https://datey.blogspot.com/2022/11/1655.html

・2020/11/07・1499【困惑する政治の季節】アメリカでも日本でも政治的騒ぎ中https://datey.blogspot.com/2020/11/1499.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


2025/01/02

1859【高血圧事件③】 老いぬればわれも放哉をきどりたし「屁をしてもひとり」ナンチッテ

 【高血圧事件②】から続く

 この年末年始は、近来まれなほどに実に詰まらなく過ごしている。
 2024年1月24日クリスマスイブから喉が猛烈に痛くなり、今年の正月3が日もゲホゲホグチュグチュである。なさけない。

 昨年12月23日夜、のどが痛くて寝れらない。開院を待ちかねてクリニックに行った。
 なんとまあ、ビルの廊下に待たされてクリニック待合に入れてくっれない。感染対策だな。寒い寒いと言ったら、看護士が懐かしやニクロム線が赤く輝く電熱器を足元においてくれた。
 別入り口から入って、看護師に両鼻穴に白いひもを突っ込まれて、コロナとインフルエンザの検査だった。始めてやったがあれは痛かった。

 やがて医師が廊下に出てきて、検査結果はコロナでもインフルでもないと分かったとて、大きく開けさせられた喉の奥をちらりと見て、「うん、赤くなってるね」と一言で診察おしまい。4日分薬を処方してくれたから、そんなもので治るのだろう。まあよかった。

 さてどっこい、今日はそれから10日たったが、まだ治らない。4日分の薬はとっくにのみ終えたが、いまだに喉が痛くて日夜ゲホゲホグチュグチュやっている。
 熱がないから、病の気分でなくて、3食を食っているが、夜中にも襲い来る咳ゲリラに負けて、睡眠不足の日々である。ごくたまには呼吸困難になるほど咳ゲリラが活躍する。それには鼻水と涎という水軍ゲリラが伴うのが汚らしい。

 風邪なんて珍しくもないと思ったが、日記を見ると最近は2022年の10月にひいているが、去年も2021年にもひいていないから、近ごろは珍しいようだ。
 それにしても記憶の風邪は、こうも長くゲホゲホと苦しんだことは無いはずだ。これはてっきりわが身の老化が、風邪ごとき奴にも抵抗力を落としたに違いない。

 若い時は10日も寝込むことは無いし、たとえ寝込んでも治ればすぐに回復するだろうと、気楽に構えていたものだが、歳とるとそうもいかないと気が付いた。
 こうも長く外出しないでいると、足腰が弱ってしまう恐れがある。弱ると他の病が来るかもしれない。怖いことだ。

 そこまで考えたところで、アッと気が付いた。わたしはこの12月から高血圧事件に巻き込まれているのだった。
 そうそう、200もある高血圧発見でその治療に入っているのであった。この風邪のゲホゲホ騒ぎに気を取られてしまって、血圧問題をすっかり忘れていた

 でもこの間も医師処方の血圧薬(その名は安室美人と薬袋に書いてある)を指示通りに服用して真面目である。
 だから風邪の処方薬の3種類ものっでいた4日間は、朝昼夕と食事のたびにどれをいくつ飲むのか、クイズ解いている気分だった。その薬をの飲む習慣だけは高血圧事件を思い出したが、血圧を測るのはすっかり忘れている。

 そしてそれまでは朝飯食わない習慣だったのに、12月からは薬を飲むために朝昼夕の3食を食う結構な習慣が、戻ってきたのは良いことかもしれない。
 でも、高血圧の診察時に「太るな」と医師から言われたのに、3食食うとリスクがあるけどいいのか。

 ヒマな老いの日のヒマツブシを探していたが、この風邪ひきは見事にヒマツブシになった。ゲホゲホジュルジュルと不意にやってくる咳ゲリラと戦うのに忙しいこの年末年始の日々である。もっと違うヒマツブシものにすればよかったと後悔している。
 さていつまでこれが続くのか、日々わずかづつゲリラの威力が衰え行く気配はある。もうすぐ勝つだろうと希望の年始である。めでたい。そこで狂歌一首。

老いぬればわれも放哉をきどりたし「屁をしてもひとり」ナンチッテ

(20250102記)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━