2013/04/14

755開園30周年祝賀の東京ディズニーランドを計画した頃の思い出とこれからの津波の心配と

 下から地震、横から津波、上からミサイルとPMナントカとサーズ鳥、これに加えて懐に値上げときては、もう日本中に安心して住むところはない。
 どこか安心できる国を探して、移民として引っ越すしかない。
 よく知らないけど、あの世は安心して住めるのだろうと、わたしはそう遠くないうちに行くことになっているから、いま、じたばたしないことにした。

 あの世にもよその国へも避難できない日本人は、とりあえず今の不安を忘れようと、いろいろとやりだす。
 てっとりばやいのは酒での憂さ晴らしだが、それは家族には通じない。そこでナントカランドにいって、とりあえずその日だけは現実の不安を忘れようってことになる。

 東京ディズ二ーランドが開園30周年だそうである。とりあえず今の不安を忘れるための、有名な装置である。
 いまじゃあ東京ディズニーリゾート(TDL)っていって、ディズニーランドはその一部で、ディズニーシーってのもあるらしい。
 実は、わたしはまだ行ったことがないのである。もうこれだけ有名な遊び場で、行ったことのないものは少数だろうから、こうなったら一生行かない人って希少価値を狙うしかない。ついでにスカイツリーにものぼらないぞ。

 でも、白状すると、一回だけディズニーランドに入ったことがある。しかも裏口から。ある会議が浦安市であり、その後の懇親会で特別招待客としてディズニーランドに入れてもらったのである。
 一般客とは別のルートで招待客用のルートがあった。一部施設とエレクトリカルパレードを楽しませてもらった。その裏口入門の一回だけがわたしのTDL経験である。
 正門から金を払って入ったことはないから、まだTDL童貞としておこう。
 なお、カリフォルニア・アナハイムのディズニーランドには、正面から金を払って入ったことがある。

 実はとまたいうが、40年も前のこと、わたしはディズニーランドの計画に携わっていたのである。まだ何もない野っぱらの浦安埋立地の頃のことである。
 だから1983年の開園の前から、舞浜(まだ鉄道はなかった)にあったオリエンタルランド会社(浦安の埋め立て会社でありTDLの経営会社)には、打ち合わせにはしょっちゅう行っていた。
 開園してからも拡張計画などでたびたび行った。その事務所はディズニーランドの裏手にあった。そこの会議室の窓からスタッフたちの部屋が見えていた。ミッキーマウスがぬいぐるみを脱ぐのが見えた、ってことはなかった。

 手もとにあるわたしの仕事の記録を見ると、1970年から広大な浦安埋立地の利用計画をオリエンタルランドの委託でやっているから、その頃からディズニーの話もあったような気がする。
 ディズニーランドそのものは、アメリカのそれを忠実に作るものだったから、中身については日本の法律に合わせる仕事が日本側の専門家の仕事であった。
 わたしは建築的なことにはタッチしなかったが、都市計画的な土地利用などに携わった覚えがある。たとえばTDLも含む埋立地全体の人口や施設配置計画とか、TDLのホテル配置計画があった。

 思い出したが、ディズニーランドが開園してしばらくたって、まだ土地を半分くらしか使っていないので、残り半分に何をつくるかという指名提案コンペを、オリエンタルランドが募集したことがあった。
 わたしは日本的な遊園地を新しいコンセプトで提案したが、落選した。もっとも、他のコンペチターも全員落選、当選者なしであった。
 そして今、その場所にできているがディズニーシーである。これができた経緯は知らない。

 浦安ではオリエンタルランドの広大な埋め立て地計画での仕事は、TDLばかりではなく、舞浜駅前の商業地や住宅地の都市計画も面白かったし、昔の漁村からつづく旧市街地の街づくり計画も興味深いものであった。
 1970年頃からほぼ30年にわたってTDL会社や浦安市役所の仕事をして、全く新しい土地の都市計画から、既成市街地の改善計画まで、いろいろと勉強もさせてもらった街である。

 あの何もない茫漠たる千葉の埋め立て地に、東京と詐称した遊園地(もっともTDLの東京とは東京湾のことだそうだが)ができたときは、わたしはその仕事はしていたが、どこかうさん臭さを免れなかったものだ。
 それがこれほどにも時代に受け入れられて、浦安は東京都内と思わせてしまったのだが、ディズニーなる天才の仕業に脱帽するばかりである。そしてTDL経営者の力量にも。

 浦安はTDLによって、かつての山本周五郎が書いた「青べか」の漁師町から、東京のリゾート的居住地として大きく地域イメージが変わっって、20世紀型開発の都市の理想像のようになった。
 関西方面から関東に転勤する人たちは、浦安に居を求める傾向が強いと聞く。住み始めて初めて、ここは東京ではないのか、と気が付くらしい。

 さて、はじめの地震の話にもどると、3・11地震の時に浦安埋立地は、みごとにその元漁師町の正体を現したのであった。埋め立て地下からの昔の海が顔を出そうとしてきたのだ。これを液状化現象という。大地は海に戻ろうとしたのだろうか。
 もしも大津波が来たら、東北被災地のどこかの海岸平地のように、海の底になったまま、陸に戻らなかったかもしれない。
 いや、それはこれから起きるかもしれないことだ。

 TDLで遊んでとりあえず今の不安を忘れているところに、不安の種のほうから追いかけてくるかもしれないのである。
 時あたかも淡路島で95年再来の大地震、考え込んでしまう海辺軟弱地盤リゾート30周年である。


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