2013/06/19

797【横浜ご近所探検】戦後復興期の防火建築帯がこのまま老朽立ち腐れの道をたどるのは惜しい

 ふらふらと長者町通りの商店街を歩いていたら、店にシャッターが下りて「閉店のお知らせ」と書いてある。
 その理由として、「建物老朽化に伴い、お客様の安全が確保できない為」とある。
え、ちょっとまてよ、この店は、その名も「長者町8丁目共同ビル」なる4階建て共同ビルの1階にあるんだぞ、隣の店もその隣もさらに隣も同じビルだろ、建築構造体は一体だろ、ということはこのビルもついに取り壊しか。
 当然に、ほかの店も閉めているのかと見ても、普通に営業していて、他に閉店らしいところはない。なかには、内装工事中で新開店するらしいところもある。

 
 外から見たところでは、共同ビルの1、2階は各店舗のコマ割りのままに上下が続いている店らしいが、3階から上の住宅は全く別のところから階段で登るのだから、下とは関係なさそうだ。
 となると、この閉店した店だけが老朽化したからといって、ここだけ取り壊して建て直すことはできないし、安全でないと言ってここだけ耐震工事しても意味がない。
 ここで安全でないと宣言されても、ほかの店や住宅から文句は来ないのだろうか、なんて、大きなお世話の心配をするのである。
 たしかにこのビルは年季が入っている姿である。一回も修繕したことがないかのように、汚れに汚れているが、倒れる程かどうかは分からない。

 長者町通りには、戦後復興期の防火建築帯の4階建て程度のビルががたくさん建っていて、いまも現役として使われている。
 このビルもそのひとつで、資料「横浜市建築助成公社20年史」(1973年発行)で調べてみると、土地所有者8人が共同しており、1957年度に融資したとあるから、次の年くらいに竣工したのであろう。。
 ということは、建ってから55年ほどは経っているのである。

 ここのような横浜都心で、これくらいの規模の建物で、これくらいの年数が経っていると、普通なら老朽化という前にでも建て替えられているだろう。
 それができないのは、たぶん、その共同化による権利関係が複雑であることが原因だろう。
 柱や梁が続いているから、建築構造的に一部だけを取り壊して建て直すことが不可能である。

 全部を建て直すには、土地建物の所有者や賃貸借者の全員が同意しなければならないが、数が多いとなかなか難しいだろう。
 当初は共同所有者が8名だったらしいが、いまは相続や賃貸借でさらに増えているだろう。
 日ノ出町駅前で、再開発ビルを建設中だが、そこにも同じような共同ビルがあった。たぶん、複雑だった権利関係を、時間かけて解きほぐしたのだろう。

 
 ここ横浜都心部では、戦後復興期に耐火建築促進法による防火建築帯という助成制度を使って、主要な道沿いに積極的に共同建築を建てて、戦災と占領による復興の遅れを取り戻したのであった。
 それはまさに模範的な復興事業であり、横浜の街並みが整って行き、現在の都心町並み景観をつくっている。
 そして半世紀以上が経ち、その共同化があだとなって時代に対応する街の更新ができないでいる。

 それが横浜の都心が、関内関外から横浜駅周辺へそしてみなとみらい周辺と移行してきている原因でもあるだろう。
 ちかごろ伊勢佐木モールの店舗の変りようは、場末感がすすむような雰囲気である。
 だが、考えようでは、これだけ長く使ってきた街並みだから、これからも使っていくことができる様に、今の時代に対応すように修復して、生き返らせる方法がありそうなものである。
 技術的に耐震化修復が可能だろうし、デザインもあらたにして街並み景観の再生をしてはどんなものか。

 その目でこの長者町8丁目共同ビルを眺めると、なかなかにモダンでプロポーションも美しいデザインである。
 2階から上のファサードを特徴づける、縦格子は当時としては新しいプレキャストコンクリート板らしい。
 全体にあまりに汚れているが、磨けばよみがえる美しさを秘めているようだ。このまま老朽化立ち腐れの道をたどるのは惜しいことである。

 ところで、この共同化と建て替え困難問題にかんしては、今はやりのマンションなる虚名で売っている分譲集合住宅、正確には区分所有型共同住宅ビルの住宅についても、まったく同じことが言えるのだ。
 ホイホイとアホノミクス宣伝に乗せられて、あんな「名ばかりマンション」を買ってると、いまに面倒なことになっちまうよ、老朽化する前に大地震がやってくるらしいからね。

2018年6月3日追記
 長者町8丁目共同ビルは、昨日前を通ったら、きれいに撤去されてしまい、敷地は白い工事用仮設塀に囲まれていた。もうすぐ新建築の工事が始まるのだろう。



(2023年12月追記)
 今はこのような10階建てのビルに建て替わり、上層階に介護関施設(サービス付き高齢者住宅など)、下層階にドラッグストアが入る下駄履きビルになった。それはそれでかつてのように時代の先端を行く機能ではあろうが、先端を行くデザインとは言えない。


 
参照:横浜ご近所探検隊の横浜風景散歩コラム
http://datey.blogspot.com/p/blog-page_19.html
 ◆横浜B級観光ガイドブック
https://sites.google.com/site/matimorig2x/hama-b
 ◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
 ◆関内地区戦後まちづくり史
https://sites.google.com/site/matimorig2x/kannai-kangai

2013/06/18

796【横浜ご近所探検】寿町のドヤのほうがマシなマンボーネットルームが長者町防火建築帯に汚い店構え

 長者町9丁目の角に、1年くらい間だったか、見た目は何とも汚い広告だらけの店ができた。
 何だろうと近づいてみると、値段表示看板にNetRoomとあって、時間賃貸料金が書いてある。
 各部屋にTV,PC、ソファー、机、椅子があり、共同のトイレやシャワールームとかロッカーもあるらしい。

 ああ、これがネットカフェなるものか、ふ~ン、1時間100円かあ、忙しいビジネスマンが会社や家を離れて仕事するところか、あるいは書斎代わりに使う人もいるのかもなあ。
 あ、24時間2400円か、そうだ、この値段なら寿町ドヤなみだよ。これにエアコン、TV、PCがついてるんだから、ドヤよりこっちの方がいいなあ。ドヤ街から引っ越してくるやつがいるんじゃないかしら、なんて思ったのであった。

 ところがマスメディア情報によると、この事業者が建築基準法違反の超狭くて(3㎡から5㎡)、窓なし部屋を、しかもシェアハウスとして数人に共同貸ししていて、東京都から摘発されたそうである。
 シェアハウスとネットルームと違うのか同じか知らないが、実は同じようなもんだろう。寿町のドヤは5㎡で個室だから、広さはドヤのほうがましである。

 なんにしても、そんなものが流行るなんて、戦後68年たってもいまだに住宅難は解決してないってことだ。
 基本的人権である住まいさえもない階層が増えていて、それを食い物にする商売が成り立つなんて、アホノミクスで景気が良いなんて、ウソでしょ。

 ところでこの横浜長者町のマンボールームのビルは、どうやら戦後復興期の防火建築帯のひとつであるらしい。
 1、2階に店舗、3階から上に共同住宅を乗せた典型的な形である。建ってから、たぶん、50年以上は経っているから、よく働くビルである。


2013/06/16

795雑誌「本の雑誌」投稿雑文をここに注釈つきで掲載するが注釈の正否は読者が判断してね

 もう本を買うのはやめたが、雑誌「本の雑誌」だけは毎月買う。そこに投稿したら載せてくれた記事がこれ。
 間違って書いたところもあるので、ここに脚注*をつけて掲載する。

●「本の雑誌」2013年7月号「三角窓口」掲載投稿

「本の雑誌」5月号発売日に有隣堂に寄ったら、村上春樹『色彩を……』(長ったらしくて覚えられない)(*1)も発売日とてドサッと積んである。新刊だからだれも読んでいないはずなのに大評判てのが気に食わない。
 ハルキさんて君の名は(*2)、北欧の林業(*3)とか海辺の鱶(*4)とか知能指数(*5)とかの本で以前にも評判になったような。
 わたしはこの人の本を読んだことがない。実は読みたいのだが、毎度毎度世間が騒げばわが心中の天邪鬼偏屈虫も騒ぐので、これも読めないだろう。
 今回は、出版社のチラチラオモラシ宣伝がインタネットで事前評判になったと新聞にある。でも、インタネットサーフィン好きのわたしが発売日まで知らなかったとは、覗き込む先が普通とは違うのかしら。
 それにしても、本ってのは世間の評判(インタネット)とか、出版屋や本屋の推薦(直木賞、本屋大賞)とかに頼って読むものかいッ、本くらいは自分で選べよなあ。
 だが後期高齢ともなれば春樹と龍(*6)がこんがらかり、これに夏樹と春菜(*7)が参戦してきて脳内混戦中、やはり教えてくれる人が要るかなあ、ねえ、ツノさん
(*8)。


*1:たぶん、眼の病気の悩みを書いた本だろう。白内障手術したわたしには用がないな。
*2:1950年代の人気NHKラジオ大河ドラマ「君の名は」主人公の名が「後宮春樹」
*3:書名は「フィンランドの森」、いや、スエーデンだったかな。
*4:書名は「海辺の蚊不可」で、海水浴で蚊に刺された話ではないかしら。
*5:書名は「ⅠQ84」で、知的障碍者が主人公かしら。
*6:村上龍のことだが、これがまた村上隆(リュウと読める)とこんがらかる。
*7:池澤親子で混戦に参入して四つ巴になって困ったものである。
*8:津野海太郎のことで、「本の雑誌」に『百歳までの読書術』なる老人物コラムを連載していて、どうも同年輩らしく、これがまあ身につまされるんだよなあ。

2013/06/14

794復興庁のエライ役人がツイッタ―なるアホ道具使ってオコラレているらしいがこの人はエライもんだ

 復興庁の水野さんてエライ役人が、ツイッタ―なるアホ道具使って、あれこれとワルクチやらグチを書いて、あちこちからオコラレているらしい。
 ヒマなヤジウマのひとりとして、どんなこと書いたのかとネットサーフィンして探したら、あった、あった。
 よくまあ、こういうのがあるもんだよなあ、あきれた、いや、ツイッタ中身じゃなくて、こんな一部始終蒐集編集ページがインタネットにはあるんだ、ということに呆れた。書いた当人は削除してもムダな努力。

 さて書いてある中身だが、まず、エライと思ったのは、チャンと実名がわかってしまうところである。
 当人は覚悟して書いているのだ、いや、カクゴするほどの内容じゃないけどね。まあ、言いたいだろうなあ、グチ言いたいだろうなあ、と、同情する内容もある。
 天下に高言してバチバチ叩かれるほどの、ものすごいグチであるかといえば、アホツイッタ―と同じで、いまなになにしたナウ、どこどこだナウ、なんて、よくあるツイッタ―マニアのアホプライバシーさらけ出しも多い。

 中には読み方によっては、本当にスゴイかもしれないというのもある。一番感心したのは、これ。
「白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意しただけなんだけど、こういう解決策もあるということ」
 なかなか、含蓄あることですよ、なにのことでそうしたか分らないけど、なにか復興庁の担当する国策についてそうするなんて、よほど政治的な裏動きがあったんだろうなあ、
 うん、これって皮肉を装った内部告発なんだろうなあ。

 田舎町議会とか左翼のクソとかなんて、そりゃ言いたいことあるでしょうよ。
 その悪口グチを聞かされた相手が怒るのは、言ったのが役人だろうが、徘徊老人だろうが、それはしょうがないことだ。
 役人の場合は、怒られたらばっちりと論理だてて反論するべきと思う。それが役人たるべきことであろう。
 すぐに謝って逃げてしまうのが、よくある役人の手だが、この人はそうではなさそうだ。復興庁も覚悟を持って対決させてはどうか。
 もちろん、間違った反論すれば、ますます叩かれるだろうが、それは覚悟するしかない。

 徘徊老人なら、ごめん、ゴメン、ボケてるもんだから、と逃げるのである。
 わたしもツイッタ―アカウント持っているが、これはなんとも使えない代物である。ブログの書き込み紹介だけである。
 なぜ使えないかというと、この水野さんと同じで、短かすぎてグチになってしまい、言いたいことの1割も書けないからだ。
 ツイッタ―マニアの橋下さんも、長文をちょこちょこ区切って書いているので読みにくい。橋下さんのにかぎらず、わたしはツイッタ―を読まない。
 しょせんツイッタ―は、まとまった文章を書けない奴のアホ道具である。

 これを機に、役人はツイッタ―使うなとか規制するようでは、料簡が狭すぎる。
 お互いにしっかりツイッタ―でもブログでもやりあう方が、明るい社会になると思うよ。なんだかアホアホ会話の2チャンネル国家になりそうだけど。
 もうすぐ参議院選挙でそのアホアホぶりが暴露されるだろう。

793どうもピンとこないが日本は暑くなっているらしく先日は故郷の高梁が日本第2位になったとか

 ここ横浜はふつうに初夏であるのに、どうもおかしい。どうもピンとこないのだが、日本がもう猛暑になっているらしい。
 NHKnewsWEB 2013/06/12にこんなことが載っている。

日中の最高気温は、▽新潟県上越市で35度9分、▽岡山県高梁市で35度6分、▽兵庫県豊岡市で35度1分と、いずれもことし初めての猛暑日になりました。また、▽松江市では34度4分と、6月としては統計を取り始めてから最も高くなったほか、▽秋田県大館市で32度1分、▽北海道北部の名寄市で31度8分などと、広い範囲で30度以上の真夏日となりました。

 おお、高梁市とはわたしの生れ故郷である。
 惜しい、あと4分で日本一だったのに、へえ~、故郷はそういうことを誇る地位?になっているのか。

 関東に住んでいると、日本一は熊谷市とばかり聞いていて、内陸地の盆地が暑くなるんだとおもっていたが、そうか故郷も内陸盆地であった。
 居直って暑さで町おこししているらしい熊谷が暑いのは、新潟・群馬県境の三国山脈から乾いた熱い風が入ってくる地点にあるからだそうだ。

 ということは、高梁も中国山地から同じ現象が起きているのだろう。盆地の底に熱い風が吹き寄せられて溜まっているのだろうか。
 日本各地暑さランキングを見ると、なかなかすごいものである。故郷ももっと頑張って日本一になってほしい??。
 ということで、ふるさとのみなさま、早々と暑中お見舞い申しあげます。

 
 

2013/06/11

792【横浜ご近所探検】神奈川県庁舎屋上から港を眺めて歴史を生かすまちシンポでお勉強して収穫あり

 空梅雨で天気が良いし、暑くもなくて気持ちよい初夏である。ご近所探検隊も出動回数が多い。
 いつもの関内地区ぶらぶらで、神奈川県庁舎の前に来たら、今日は公開日ですと書いてある。

 え、公開?、昔、仕事してた頃は、県庁に用事あってしょっちゅう来たこともあるが、普通には入れたけどなあ。県庁は県民が用のあるオフィスだから、いつだって公開してるはずだよなあ。
 わざわざ公開しますなんてもったいぶっているのは、今は非公開にしたのかしら、おかしいよなあ。ああ、休日なのに公開しているという意味だろうなあ、それならわかる。

 まあ、よろしい、このところ県庁に用がないので長らく入ったことがなかったので、入ってみることにした。
 屋上に登って景色を見るのと、県知事の部屋を覗き込むのがちょっと面白いくらいで、ほかには特に面白くもない。廊下を歩き回るだけなら、平日に用ありげにやってくる方が立ち入り制限が少ない。

 この神奈川県庁の本庁舎の建物は、1938年にできた建物で登録文化財となっている。
 その姿は、いかにも権威主義的な帝冠様式といわれたデザインで、その当時のはやりの官庁建築である。戦前お役所建築の典型で、愛知県庁舎名古屋市庁舎静岡県庁舎も似たようなものである。

 これをつくる前に、公開競技設計をやって案を募集したとて、その応募案の絵が展示してあったのが面白かった。
 一等当選案もその他も、ほとんど同じように見える。まったく独創性のがないのが、時代の様相を見せていて、面白くもあるがなんだか怖くもある。
 

 屋上にのぼったのは初めてである。新館のほうはよく行っていたので、展望レストランから港を見ていたものだが、こちらの屋上は視野が広くてよい。
 真ん前に「象の鼻」が見えて、開港当時の港の風景をしのばせる。
 左前に見える塔が、「ジャックの塔」よばれる横浜税関である。

 この県庁舎の屋上に建つ塔が「キングの塔」で、近く開港記念館には「クイーンの塔」がある。

 3階の大会議室では、「明日の歴史を生かしたまちづくり」なるシンポジウムがあるとて、野次馬気分で出席、けっこう大勢の参加者であるが、見渡せば、横浜歴史まちづくりフリーク感のある仲間内的顔ぶれの感もある。

 わたしのこのシンポでの収穫は、発言された横浜の歴史的建造物の権威者たちの中のおふたりから、「歴史的建造物として、戦後復興期の防火帯建築をどう考えるか」という趣旨のおことばが、ほんのちょっとだけだが、とにかく発言があったことである。

 ようやく、すこし日が当たりそうかなあ、ぜひ歴史的建造物の仲間に、群としての防火建築帯も入れてやってくださいませ。
 わたしは保存原理主義者ではないが、せめて今のうちに何らかの評価をしてあげてほしい。一顧もされずに消えていくのは、さびしい。
 なお、「防火建築」という方が横浜には多いようだが、その街並みを作った根拠法の耐火建築促進法には「防火建築」と書いてある。

◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
 

2013/06/09

791【金継ぎ】琉球の焼き物のマグカップが割れて伝統技法の金継ぎ修理してわが家宝になったのだが…

  「筒井筒とよばれる茶碗があるそうだ。朝鮮李朝期の焼き物で、重要文化財となっている名器だが、それがなんと割れたのを修理している代物だ。
 元は筒井順慶がもっていたが、豊臣秀吉の不興を買ったときに詫びに献上したもの。

 あるとき、秀吉の小姓がそれを割って、手打ちにされかけたのを、細川幽斎が能「井筒」にある和歌をもじってとりなし、事なきを得て金継ぎ修理したという物語がある。
 筒井筒 五つにわれし井戸茶碗 咎をば我に負ひにけらしな
 元歌は伊勢物語にある
筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 生いにけらしな 妹見ざる間に
 だから重文になったというのでもないだろうが、面白い。

 話の出だしが格調高いが、わたしもそうなるかもしれない物語を持つ茶碗、というよりも湯呑、いやマグカップを持っているのだ(実は、正確には持っていた、だが)。
 物語の始まりは、いつか忘れたが沖縄に行ったときに、どこか忘れたが、幾らだったか忘れたが、この物語の主人公たる陶製マグカップを買ってきた。
 どうもこれでは出だしからして物語性に欠けるなあ。そこは庶民だから、しかたがない。物語を続ける。

 で、なんとなく日々の酒飲みに使っていた。この3月末のこと、洗っていたらポクッと欠けた。
 捨てようとして、かけらはひとつで簡単にはめ込むことができるので、ふと畏友のFが接着剤の専門家であることを思い出し、どんな接着剤を買ってくればよいか、教えてもらおうと考えた。

 翌日さっそく現物をもってFに会ったのだが、エライことになってしまった。
 日本古来の「金継」なる陶磁器修復方法の講義を聞かされてしまった。金継なる手法があるということくらいは知っていたが、Fがやっているとは思わなかった。
 そのFが物の状況を診断しつつ、1時間半ほどの金継方法を実におもしろく教えてくれて、すっかりその伝統手法でやる気にさせられた。

 ということで、金継師匠のFに弟子入りしたのである。Fにはこれに限らず、化学一般や白内障やらで弟子入りしている。白内障手術は、師匠は片目だけだが、わたしは両目やったから、師匠を越えた。

 さて、金継を始めた。といっても、道具も材料もF師匠に頼りっぱなしである。
 何段階もの工程があり、工程のほとんどはウルシの乾燥待ちである。なんと2カ月はかかるというのだが、急ぐことではさらさらない。
 もしかしたら入門した弟子にだけ教えるF師匠の秘伝の術かもしれないので、ここに細かいことは書かない。

 汚れを入念に落す作業が1週間、欠けたところのほかにある細かいひび割れの接着に2週間かかり、ようやくにして肝心の欠けた破片を元の位置に復して、継ぎ目に塗った漆に金粉を蒔いて最後の作業が終われば、いつしか春は過ぎて初夏になっていた。
 ここから3週間置いたままで乾燥して、仕上げはついている余計な金粉やらウルシやらを丁寧に真綿で磨いてとりされば、おお、金線輝くマグカップが再登場した。
 

 さて、わが宝物になった物語の込められたその琉球マグを、何はともあれ師匠に一番に使ってもらいたいと、これはやはり沖縄料理店で、沖縄ビールを飲むに限ると思って、共に店を訪ねると、昼日中でまだ準備中。
 しょうがないので安居酒屋にて、まずは師匠にできぶりを褒めていただき、黒ビールを飲んでいただいたのであった。
 めでたし、めでたし、、、と、、。
  ・
  ・
  ・
 さて、次の深夜のこと、読書しつつ、寝酒を金継ぎ家宝で飲む至福の時が過ぎていく。
 時計が零時を回った、もう寝ようかと立ち上がったら、ガチャンと足元の床で破壊音が、、、。みればわが宝物は、7つに分かれて転がっている、、、トホホ、、。
 

 ここで細川幽斎のように、なにか古歌を引いてしゃれたこと言いたが、、う~ん、と、
 割れても末に 買わんとぞ思う
 これは落語の崇徳院である、格調が低い。

 袖にからみ床に落ちたる金継碗 割れてももはや継がぬとぞ思う
 ま、このくらいか。

 というわけで、金継物語はあえなくこれでおしまいである。
 まあ、金継師匠にお褒めをいただき、お使いいただいた後であったことをもって、この物語はハッピーエンドとしよう。
  ◆
 東京駅の復原にいちゃもんつけ、高田の奇跡の一本松復元にその意味を問う、なんてことやってて、自分の茶碗の復元と破壊にはどう評価しようか、なんて思う。
 金継ぎ(金繕いともいう)という手法が面白いのは、元の割れる前の姿に復元をするものではないことである。
 割れて継いだその姿を、新たな創造とみてしまうのである。
 割れ目を縫うように蒔かれた金粉の線状を眺めて、それを「景色」とさえいうのだから、風流なものである。景色を作るためには、割れなかったところにさえ金線をほどこしてしまう。
 これが進んでくると、製作時の釜の中で割れた陶磁器は普通は捨てるのだが、それを金繕いして創作にしてしまう。嵩じると、割れるように焼いて、金繕いする。そのような名器があるらしい。
 建築の保存修復についても、その視点で見ると、面白いことがありそうだ。

2013/06/07

790【横浜ご近所探検】古建物の一部を残して新建築に貼り付ける歴史保存デザインの意味はどこにあるのか

 また昨日の横浜ご近所散歩の続き。
 神奈川県庁の近くに、大きな空き地ができて、建築工事をしている。
 いつもの散歩コースなのに、こうやって壊されてしまうと、ここにはなにがあったか思い出せないのが、なんだか悔しい。
 そういうことがよくあるが、どうも年寄りになって忘却力が増大したからではなく、昔からそういうことが多かった。知人に聞いてもそうだという。

 その工事空き地に、一枚の穴あき壁が建っている。幅3mくらい、高さが3階くらいの一枚のコンクリ板だから、鉄骨で支えてある。
 これから作るビルの一部を模型にして検討しているのかと思ったが、それにしては汚れているし、デザインが模型にして見るにはあまりに変哲もないのである。
 どうも、元ここに建っていた建物の一部を残す形で、その場で切り取ったままに立たせているらしい。これから作る新建築の一部にはめ込むのだろう。

 そうか、これは横浜市のがお得意?の歴史的建築保存の手法のひとつだ。
 馬車道の旧保険会社(元のビルから取り外した部品を新ビルに張り付け)とか、北仲通りの旧横浜銀行本店(玄関部分だけ本物曳家で他はレプリカ)とかのビルでやってきている。
 このビルは、銀行のような石で造った立派な代物ではなくて、変哲もないコンクリートの板であるところがちょっと面白い。これはモダンデザイン建築だったのか。

グーグルストリートで見る元の建物(2012年か)
 
2013年6月の風景 
 

   ネットで調べて分かった。
 1938年に竣工した「神奈川県産業組合館」であり、取り壊される前は「神奈川県中央農業会館別館」だったとある。なるほど日本モダニズムデザイン流入初期の建築であったか。
 戦前モダニズム建築と言えば、東京中央郵便局が1933年に竣工している。東京駅の隣にあって、赤レンガ東京駅はごてごて飾ってあって分かりやすいので、大衆的保存運動が起きたが、こちらは玄人筋だけの保存運動であったのが、興味深いことであった。

 この旧神奈川県産業組合館を、横浜市が「横浜市歴史的建造物」として認定しているのだが、それが今年の1月である。
 ということは、こわされる直前にでもあわてて認定したのだろうか。そして一部だけでも残すとなったのだろうが、その間のやり取りを聞いてみたい。
 それにしても、歴史的建築物としての一定の評価軸が、これまではごてごて飾り立てた様式建築ばかりにあてられていたようだが、ようやくこのような、いわば「町場のモダン」デザインにまで及んできたことを素直に喜ぶものである。

 横浜市のサイトにはこう書いてある。
「こうした意匠をもつ建物は1930年代に世界各国で建てられており、この建物は、同時代の建物の1つの典型といえる建物です。
 周辺の建物とあわせて、関東大震災以降の、戦前の横浜の都市形成の歴史を物語る貴重な遺構であるとともに、神奈川県の農協の歴史としても時代を画すモニュメントといえる存在で、今後、現在進められている隣接地も含む建替計画のなかで、壁面を一部保存しながら外観を復元し、歴史的建造物を保全活用していきます。」
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/press/20130129183422.html

 わたしがこれを「町場のモダン」というのは、やがてこのようなデザインが木造の商店建築のファサードに及んで、現代の日本の都市風景を造ることになるからだ。
 その系譜はやがて戦災から戦後復興期の横浜都心をつくった防火建築帯にいたることになる。今の関内・関外の町場のモダン景観はそうやってできたのだ。
 さて、県庁隣の新しい農協ビルは、どのような現代町場モダンの姿を見せてくれるのだろうか。

 ちょっと気になることがある。
 いま工事現場に突っ立っている保存壁は、たしかに元の歴史的建築物の一部なのだろうが、それを現物として残すほどの価値がどこにあるのだろうか。
 現物として残すには、それが現在では希少であるとか再現が難しい技術とか材料で作られていて、学術的な意義があることが必要条件だと思うのだが、これがそうなのだろうか。もしもそうなら、それがわかるように見せてほしいし、キレイにしないで汚れて年季が入った姿で生かしてほしい。
 そのうちに1950年代の戦後復興期の建築も歴史的建築物になって、その一部を保存して建て替えにするときがくるだろうか。

参照:横浜ご近所探検隊の横浜風景散歩コラム
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#yokohama
◆横浜B級観光ガイドブック
https://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-bkyuu-kankou-gaidobukku
◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
◆歴史の証言としての建築記録保存
https://sites.google.com/site/dateyg/matimori-hukei/miyosi-syogakko
◆関内地区戦後まちづくり史
http://homepage2.nifty.com/datey/kannai200609.pdf

2013/06/06

789【横浜ご近所探検】北仲通北再開発が動きだしたが美しい景観出現にあまり期待し過ぎないようにしよう

 昨日の横浜ご近所探検隊報告の続きである。
 新港地区の運河パークから建設中の結婚式場と大観覧車を眺めて、頭をぐるりと左に回せば、運河越しに大きな空き地があり、何やら工事中である。
 ここは帝蚕倉庫と公団住宅団地などがあったところで、北仲通北再開発地区として事業計画があり、対応して地区計画もかかっているところである。

 帝蚕倉庫跡地は数年前に東京の不動産事業者が買収して再開発するはずが、リーマンショックで止まっていたのだが、動き出すらしい。
 WEBサイトで見たら、事業者が都市計画提案で計画変更を行政当局に出しているようだ。合計床面積33万平米もの高層・超高層建築が立ち並ぶらしい。

 ついこの間まであった公団住宅団地が消えている。
 今は正式には都市再生機構の住宅団地でUR団地とかいうのだろうが、やっぱり公団住宅団地という方がしっくりくるのだ。
 あの5階建て、階段アクセスの公団住宅は懐かしいとおもうのは、若いころに同じ形の公団住宅に住んでいたからだ。公団住宅団地は、戦後の先進的な居住環境づくりのリーダーであった。
 去年、団地の半分くらいは建て替えられて、高層住宅になっていたが、残りもいよいよ建て替えらしい。
2008年 昔の公団住宅がまだある
 
2012年 旧公団住宅が半分建て替えられた
 
2013年 公団住宅が全部なくなった
  空き地の一部に元帝蚕倉庫の赤レンガ建物が、2棟建っている。
これらは再開発の中において、保全再生して再利用することになっているはずだ。ほかにも2棟の赤レンガと白い建物が1棟あったのだが、取り壊された。

  このブロックには、国の出先機関が入っている庁舎があり、もとはそこに赤レンガの生糸検査所の建物があったのだが、これは取り壊されて超高層建築となった。その腰回りに、もとの外観をコピー再現された。
 その再現したデザインが、いま建っている元帝蚕倉庫の赤レンガ建物とそっくりであるのは、横浜の生糸関係の一連の建物だったからだろう。
 道を隔てた向かいには、元横浜銀行本店だった様式建築の一部が、一部曳家した現物だが、これもほとんどコピー再現されて建っている。
  
   複数の民間事業者のコンソーシアムであるらしい帝蚕倉庫跡地再開発と、都市再生機構の公団住宅建て替えの両事業は、この運河に面する横浜でも屈指の景観を誇る地区にあって、どのような姿で再登場するのであろうか。
 対岸で工事中の結婚式場が、横浜市の都市美審議会でそのデザインが揉めたのだが、こちらではどうなるのか、また揉めるのかもしれないと、変な楽しみがある。

 こちらは生糸検査所跡の再開発に見るように、近代開港時の歴史的デザインコードが低層部にはあるとみてよいだろう。そこから大きく外れるには、デザインの力量がいるだろう。
 でも、外れてもいいから、これは美しいと思うことができる空間の出現も期待する。同じような赤レンガコピーなら無難だとされるのも困る。

 問題は高層部、超高層部だろう。今ここに既に出現している国の合同庁舎も都市機構建て替え住宅も、高層部のデザインは良くも悪くもなし、はっきり言えば美しい風景が登場したわけではない。
 どうも、丸の内でも西新宿でも超高層建築群となると、群としての都市景観がさっぱり美しくないのはどうしてだろうか。てんでに勝手な方向を向いて、てんでに違う格好している。ちがっていてもよいのだが、なにかが欠けているような気がしていならない。

 わたしが超高層建築群を群として美しいとみた経験は、ニューヨークのバッテリーパーク開発によるフィナンシャルセンターだけである。
 北仲通り北地区の再開発によって、どんな素晴らしい風景が横浜港に生まれるのか、おおいに期待もするが、あまり期待してがっかりしないように心構えも必要である。

 ついでに、美しいばかりではなく、賃借都市主義者のわたしにとっては、UR都市機構にはアフォーダブルな賃貸住宅を建てることをお願いしたい。民間並みの家賃で貸すようでは、URの存在価値がない。
 日本の戦後の庶民住宅を引っ張ってきた伝統をわすれず、そこをがんばってもらいたい。
2008年 旧公団住宅とランドマークタワー
               ↓
2012年 同じアングル


2013/06/05

788【横浜ご近所探検】新港地区に景観で揉めた結婚式場のほかにも結婚式場が銀色の姿で登場

 日本各地で暑い暑いとのニュースだが、横浜は海風が吹くのか、初夏の心地よい日が続く。
 横浜ご近所探検隊は、港あたりに出かけて、面白い発見をいくつか連続掲載する。

 昨年の春から夏にかけて、「みなとみらい21地区」の新港地区に出された結婚式場計画が、その景観デザインが横浜市の審議会で否定されて、あれこれともめた(と言ってもいかにもギョウカイ的だったが)事件があった。(そのことはこちらの横浜港景観事件を参照

着工前の風景(2012年3月)
 
 現在それが工事の真っ最中である。コスモクロックなる観覧車を背景にして、大きな工事中の建物に青いシートがかかっていて、奇妙な風景である。
 
工事中の風景(2013年6月)
 
 

 現場の塀に看板がかかっていて、「都市景観形成行為のお知らせ」と書いた2種類の立面図が書いてある。
 そのひとつは、昨年に横浜市都市美審議会でもめた当初案であるらしく、もうひとつがそれを横浜市が協議して是正させた実現案であるらしい。
 
工事看板など
 
景観協議の前(上)後(下)の立面図だけを取り出して比較する
 
  その絵だけとりだして、どこが違うのか比較しても、違うとはっきりわかるのは、赤い屋根が何色かわからないが薄い色に変わったことだけである。
 形態も変わっているのかもしれないが、違い探しクイズの絵みたいで、見つけることができない。
 この建物では、景観を良くするのは色彩の是正だけだったようで、形態については是正の対象ではなかったらしい。

 はて、昨年もめた事件を思い出してみても、もめたのは色彩だったかしら。
 それもあったかもしれないが、それよりもむしろラブホテル的というか西洋様式コピーというか、その形態だったような気がするが、違ったかしら。
 ともかく、どんな形が現実として現れて、世間がなんというか楽しみである。

 新港地区には他にも新建築が姿を見せつつある。チキンラーメン発明者の安藤百福記念館の赤い建物の隣には、ここも結婚式場らしいが、なんと銀色の穴あき金属板が張り巡らされている。

左の安藤百福記念館と右のJICAは赤レンガイメージだが
新建築はアルミ穴あきパネル外装

 JICAとカップヌードルの両レンガ色に挟まれて、むこうには赤レンガ倉庫も見える位置なのだが、今度はすっぱりとレンガ色コンセプトは廃止にしたらしい。
 もめたほうの結婚式場が、赤レンガ倉庫と調和させて茶系統にするとかデザインの説明に書いてあった様な気がしたが、こちらの新結婚式場はそんなことは全く必要なかったというか、配慮しなかったらしい。
 横浜市も協議で求めなかったのだろうか。なんとなく気になる、興味がわく。

参照:横浜風景コラム
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#yokohama

2013/06/04

787陸前高田の「奇蹟の一本松」レプリカ復元保存はどのような意味を持つのだろうか

陸前高田市では、3・11津波によって、ご自慢の「高田の松原」が壊滅した。
その中で、1本だけ突っ立っていていて、感激させた松も塩枯れしたのだが、これを「奇跡の一本松」と名付けて、レプリカ復元工事が完了したそうだ(2013年6月4日のニュース)。
 そこには「奇跡」として、多様な被災者たちが、それぞれの多様な物語を、このレプリカに込めていればこそ、1.5億円もかけても復原したかったのだろう。
 松も土地もユースホルテルのものらしいが、だれが管理するのだろうか。

 その復原工事の最後に、ひと騒ぎあったとのこと。
  くだんの枯死した松は切り倒されて、どこかに持って行って、幹や枝はプラスチック注入強化され、鉄の心棒を差し込まれ、葉は(たぶん)プラスチックでコピー再現された。つまり松はサイボーグになった。
 そしてまた元の場所に戻ってきて、元の姿に組み立てられた。
 ところが、市民から異議が出た。枝ぶりの曲がり方が、以前とは違うというのだ。やり直してどうやら完成したようだ。

 どうも地元でも、これについては復元是非論があるらしい。余所者のわたしには、この一連の事件を理解することは難しい。
 どんな気持ちが込められているのか、一人一人違うだろうから、それを類推しても仕方ないのでよそ者なりの感想を書く。

 この続きは「東北に大津波被災地を訪ねて【陸前高田】」https://sites.google.com/site/dandysworldg/rikuzentakada


2013/06/03

786こんな英文借金お願いメールが来て国際的な振り込め詐欺に引っかかりそうになった

 5月29日のこと、下記のような金を貸せとのBccメールが来た。発信者は、1か月半ほど前に旅先で初対面の方である。

Unexpected Sad Trip!!! Need Your Help!!!

 I really hope you get this fast. I could not inform anyone about my trip, because it was impromptu. I had to be in Manila, Philippines for a program. The program was successful, but my journey has turned sour. I misplaced my wallet and cell phone on my way back to the hotel i lodge in after i went for sight seeing. The wallet contained all the valuables things i have. Now, my passport is in custody of the hotel management pending when i make payment.

 I am sorry if i am inconveniencing you, but i have only very few people to run to now. i will be indeed very grateful if i can get a loan of $2000  from you. this will enable me sort our hotel bills and get my sorry self back home. I will really appreciate whatever you can afford in assisting me with just let me know what you can afford. I promise to refund it in full as soon as I return. let me know if you can be of any assistance. Please, let me know asap. Thanks so much..

 このあとに、お名前と東京の住所が書いてある。
 発信者の方は大学名誉教授であり、弟子だけでも多くいらっしゃるだろうに、Bccであるにしても一回会っただけのわたしにまで、送金依頼とは常識的にみてもヘンである。

 ご当人をよくは知らないのだが、この英文をしげしげと読みかえしても、発信者を特定させるところが全然ないし、ホテルの名前さえもない。
 どうもこれはインチキ偽メールであるにちがいない。とは思えど、気にはなる。どうしようか、誰かに聞こうかなどと、少し思い悩んでいた。

 6月2日夜、ご当人からBccメールが来て、やっぱりインチキ偽メールで、メールアカウントを乗っ取られた結果だそうだ。
 アメリカで多発している国際的振り込め詐欺の一種という。返信したら振込先を教えてくるのだろうか。
 ま、気を付けましょう。と言っても、どうすれば、、。
 あ、6月2日のメールが本当にご当人からなのかしら、、なんて。

追記:(130604)
「外務省海外安全ホームページ」
http://www.anzen.mofa.go.jp/の「フィリピンに対する渡航情報(危険情報)の発出 2013年03月08日」という記事があり、そこにこう書いてある。
(4)その他(振り込め詐欺と思われる標的型メール)
 2012年以降,実際に存在する個人のメールアドレス(Yahooなどのウェブメール)を用いて本人になりすまし,その家族及び知人等に対して外国送金を依頼するといった振り込め詐欺と思われる事案につき報告が寄せられています。
 メールは英文で書かれており,その内容は,概ね,フィリピンを旅行中に強盗被害に遭い,所持金を盗られてしまい困っていると切り出した上で,帰国旅費,ホテル等の支払いにお金が必要であるとして,外国送金サービスや指定した口座に至急振り込みをして欲しいとするものです。
 万が一,この種の内容のメールを受信した際には,メールの内容を鵜呑みにせず,まずは本人に事実関係を確認する等十分警戒する必要があります。


2013/06/02

785めったに見ないTVを見たら5千年前の凍死男が素っ裸でいじくり回される映像にちょっとびっくり

 
 10年くらい前、「五千年前の男」という本を買って読んだことがある。
 日本だと縄文時代か、ヨーロッパアルプスの氷の中から、5000年間凍ったままの死体を発見した物語である。詳しいことは忘れた。
 昨夜,ふと新聞TV欄に「アイスマン」の番組があることに気が付き、久しぶりにきちんとTV番組を見た。
発見したのは1991年で、あれから冷凍保存してあったのを、このたび初めて解凍して、あれこれ調べて新発見があったという。
 その死体発見から解凍、検査などの一連のことを映像にした番組だった。本の写真で見ていた死体が、映像で生々しくでてきた。
 当時の生活という考古学的発見から、実は殺されたらしいなんて猟奇的発見など、類推も含めていろいろ興味深い事実がわかったらしい。
 それはまあ、現代科学技術で可能なことなのだろう。

 わたしはそんなことよりも、面白いというか興味持ってみたのは、素っ裸の死体がいじくりまわされ、切りとられる様子を、そのまま映像にして公開していることである。
 TV番組をほとんど見ないから知らないのだが、こういう類のTV映像は、今では当たり前なのだろうか。
 5000年前に死んで、たぶん、もう親類はいないから、プライバシー侵害だと抗議は来ないだろう。

 それにしても、死体をこうやってTVで見ることが、当たり前の時代になったのかしら。わたしはリアリストだから平気だが、世間一般に平気な時代になったのかと、ちょっと気になったのであった。
 今に、現代死人も何か珍しいことでもあれば、こうやって公開映像に出るかもしれない。いや、もう出されているのだろうか。
 TV界文化の進歩はすごいもんだ。


 
 

2013/06/01

784道端で変な人に言い寄られたがこれは押し売りとか詐欺とかのきっかけづくりか

 知人がFACEBAKAに、新手の詐欺師かなにかに出会った話を書いている。
 路上で呼び止められた人から、突然500万円の札束を見せられて、奇妙に思い急いで立ち去ったというのである。
 それでわたしも思い出した、似たような、似ないような話をここに書いておく。

 10年ほど前、東京虎ノ門近くのNPOの本部に出入りしていた頃のこと。
 歩道を歩いていると、すっと寄ってきた乗用車に中年男2人、「シャチョーシャチョー」という。
 他に人はいないので何事かと寄れば、窓から小さな箱を手で突き出している。
「近くにたくさん卸しに行ったのですが、余ったのでさしあげます。どうぞ持って行ってください」

 その箱の中には、高級万年筆のようなものが見える。押しつけてきて、「ちょっと他にもあるのですが見てください」とて、ごそごそして、「それをさしあげますから、こちらを安くするので買ってください」という。
 はは~ん、新手の押し売りかと、箱を投げ返して、すたすた逃げた。

 それから1か月くらい、同じところで車から「社長、社長」、…「あんたねえ、わたしを覚えてないの?」と言い捨ててすたすた。
 それからまた数日して同じことがあったが、こんどはゲラゲラ笑ってしまい、向こうも苦笑。

 そして今年2月、代官山を歩いていると、すっと寄ってきた乗用車の中年男二人、「社長、社長、これさしあげます……」
 おお、今はこっちに河岸を変えて、まだ頑張ってるのかい~、サイナラー。
 それにしても、わたしは、ひっかけやすい風体なのだろうか。5度目に出会ったら、じっくり聞いてみたい。


2013/05/31

783国会議事堂・首相官邸周辺での原発反対デモはまだまだ続いている

原発やめろ~
福一事故は終わっていない~
福一事故の補償も終わってない~
福一事故被害に見合う補償をしろ~
 
シュプレヒコールが国会議事堂の壁に反射している。今日は定例金曜日、国会周辺原発反対デモの日、昨年7月から久しぶりに行ってきた。
 この前にきたときは議事堂正門前だったが、今日は気分を変えて、議事堂裏の首相官邸公邸前である。
 この前とは違うところだから比較できないが、参加者数は少なくなったようだが、衰えぬデモ風景である。継続している主催者の努力に頭が下がる。

 隣に日の丸の旗を振りまわす男がいる。
「原発反対に右も左もないんだよ、おれは月に1回は来てるよ」
 そのとおりだけど、なんだかあの珍妙な(一度だけだが横浜で遭遇したことがある)ガイジンヘイトデモとかみたいで違和感がある。
 まあ、このデモも原発ヘイトデモではあるが、。

参照「半世紀ぶりの国会デモ」http://datey.blogspot.jp/2012/08/6501960.html


2013/05/30

782白内障手術でよく見える眼になったが鏡の中のあのイケメンのオレはどこに消えたのか

 白内障両目手術での医者通いから、ついに卒業した。
 最初の検査が去年7月、手術が9月、予後の検査がやっと終わったので、あれからから10カ月である。 
 なにしろ医者なるものにはめったに行かないし、体内にメスが入って入院なんて、わが身には前代未聞であり、実に興味深い面白い一大事件であった。

 昨日が最後の検査、視力は両目とも裸眼で1.2、眼内を覗き込んだ医師が言う。
「ああ、きれいですねえ、レンズを覆っている膜に1年くらいで濁りがでることがあるのですが、両目ともきれいなものです。はい、これでおしまい、卒業です」
 というわけで、日常生活は眼鏡なしで遠くも近くも見える。

 問題があるのは、鏡の中のわが顔を見て、その老醜に愕然とすることである。そんなもの、よく見えるようにならなくてもよいのに。
 だんだんとその老顔にも慣れてきたが、それにしてもあの鏡の中にいた美少年のオレは、どこに行ったのだろうか。
 若いころは視力2.0であったから、駅で線路向こうプラットホームにある時刻表を読めたものだ。だからリアリストであったが、老眼になり乱視になり白内障になってロマンチストになっていただろうに、またリアリストに戻ってしまった。

 もうひとつ問題は、風景が深みに欠けてきたことだ。白内障手術前には、色彩に奥行と深みがあったのだが、手術後はどうも浅薄で明るいのだ。極端に言えば、油絵が水彩になった。目玉の濁りが無くなっったかららしい。
 若いころはこう見えていたのだろうから、その日を取り戻したことになるので、まあ、良しとしようか。これはもう手術前の記憶が薄れて、今は気にならない。

 眼の調子が眩しい暗い濁るボケるなんて、白内障かもしれないってお方は、わたしの白内障手術の一部始終をこちらからご覧ください。なにか参考になるでしょう。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo

2013/05/29

781南海の虎がもうすぐ暴れてそこらじゅう壊して水浸しにするらしいが明日か20年後か予測がつかない

 こういう図が何度も出てくると、だんだんと不感症になりそうだ。
 今朝(2013/05/29)の朝日新聞に載った、南海の虎が暴れたらこんなになるンだぞ、という恐怖予想図である。覚えのためにここに載せておく。

 3・11以来、パンドラの箱か地獄の釜かの蓋が空きっぱなしになって、津波やら火山やら原発稼働やら地滑りやら洪水やら子殺しやら憲法改悪やら、コワいぞコワいぞなんとかしなくちゃ災害情報が、次から次へと出てくる。
 ええい、勝手にしてくれと、言いたくなる。

 でも情報を拒否はしない。不感症になってもきちんと見ておかなくっちゃ、とは思うのである。それは、自分が死ぬ原因くらいは知っておきたい、と思うからだ。
 わたしのこれまでの人生は、戦争直後の少年時の空腹の日々はひどかったが、そのほかはそれほど悪くはなかったのに、これはどうも最後に来てどえらいことに遭遇しそうだ。
 まあ、こちとらは歳が歳だから、明日にでも閻魔さまがこちらに避難しなさいって、お迎えにいらっしゃるかもしれないが、あの世の地獄とこの世のそれとどっちがいいかなあ。

 明日にでも南海の虎が暴れるぞって、その筋の専門家たちがもう20年くらい言ってるような気がするが、待ちわびてるのじゃないけど、まだ来ないのかよ~。
 とうとう、先生たちも、もういつ来るか予測がつかないよ~、って匙を投げたと、今日のニュースである。
 まあ、人間の時間と地球の時間とが、あまりにスケールが違いすぎていて、とても人間の時間で測れないってことだろう。

 

2013/05/28

780いったん出した鎌倉世界遺産登録推薦を成績不良だって取り下げるってカッコウ悪いだろうなあ

 「不登録」というのか、「不記載」というのか、分かりやすく言えば「失格」か、鎌倉世界遺産登録「逆お墨付き」が、ユネスコから出てきそうな騒ぎになっている。
 当局はしょうがないから、逆お墨付きが出てしまう前に、こちらから登録推薦の取り下げをすると決めたそうだ。
 大学入学試験の1次テストの成績が受験資格剥奪になりそうなほど悪すぎたので、2次テスト辞退して、傾向と対策の勉強しなおして、また先々に受験しなおすってことか。
 

熊さん「ねえ、ご隠居、もういつになるか分からないけど、こうなりゃ、このままず~っと世界遺産登録運動し続けるってのも、まちづくりの前向きの動機になって、なかなかいいかもしれないって、あたしゃ思うんですよ」
ご隠居「そうだね、もたもたしているうちに200年もたって、歴史文化感が変わってしまう、鎌倉時代よりも昭和時代のほうが遺産価値がある、なんてことになるかも」
ご隠居「その間に、本気で世界遺産に登録したけりゃ、ああもしよう、こうもしよう、そうもしようって、誰もかれもが一緒になってお節介さん(世界遺産)に、、、なんてね」

 
●裏長屋の世界遺産談義(2009/12/05)
http://homepage2.nifty.com/datey/kama-sekaiisan.htm
●鎌倉若宮大路景観戯造
http://homepage2.nifty.com/datey/keikangizo/wakamiyaoji.htm

2013/05/27

779中越震災から再生した山里の棚田で田植えして東北震災地の農業のことも気になった

 今年も山里の棚田で田植えをしてきた。2004年中越大震災復興の手伝いが縁で仲間たちと行くようになった、長岡市小国町法末集落である。
 ひんやりとした田んぼの泥水の中に両脚を踏ん張り引き抜きつつ、黙々と早苗を植え進んでいく。近くの林からカッコウ、ウグイス、ホトトギスのさえずりがひっきりなしに聞こえる。
 晩春の陽にゆるゆる照らされ、草木の緑に染まるほどに囲まれて、静謐な山里の風景に自分が融け込んでいることがわかる。

 もちろん遊びの米つくり(GIFアニメ参照)であるが、今年でもう8年目である。
 3段の小さな棚田を合わせて7アールの広さだが、10人ほどで1日半の田植え作業は、8年前のわたしに比べるとそれなりに年とったので、あの半端な中腰の姿勢を続けると、体にこたえることおびただしい。アミノバイタルを飲んだくらいでは効かない。
 周りの田んぼはどこも機械農業の中で、この3段棚田だけが手で植えて、手で刈って、自然乾燥という、古典的な手法をつかう米つくりである。
 もっとも、はじめは手による草取りもやっていたが、さすがにできなくなって今は除草剤を入れている。

 
 田植えしてきたといっても、田植えまでには現地でいろいろな作業がある。それは現地住まいの仲間がやってくれる。
 次は稲刈りだが、そこにいたるまでにはいいろいろと日常作業がある。植えておけば稲が勝手に育つのではない。
 夏には緑、秋には黄金の敷物で覆われる美しい棚田風景は、天候を見ながらの絶え間ない管理があればこそである。

 だが、集落のあちこちの棚田が耕作放棄されて、草が生い茂り、萱原となり、木々が育つ風景が見える。農業機械が入らない場所や、震災で水の道が絶たれたり、営農者が高齢化しても後継者がいないなどが主な原因である。
 営農をしたいと新住民が入るには、豪雪の棚田の山里はなかなかに難しいようだ。でも、冬は近くの街の中に住まい、雪解けになったら山里に住んで農作業するという生活スタイルはありうる。
 現に山里生まれ育ち山里住まいであった人たちの中で、街に住まいを持ち、いわゆる2地域居住をしている人たちもいる。

 今、こうして平和な風景だが、2004年からの数年は、今、東北地方で起きていることがここでもあったのだ。地が割れ、棚田は崩れ、道が切れ、家が傾き、集落全員が避難所生活を強いられた。
 話題は漁業集落のことが多い東北でも、実は農業集落で広大な農地が津波で潮をかぶって被災している。
 中越地震被災の山里では、崩れた棚田をブルドーザーが動き回り、幾何学的な棚田に作り直した。風景としては味気なくなったが、農作業をしやすくなった。営農者は減ったが、棚田面積は増えた。
 さて、東北の津波塩害農地は、どう復興するのだろうか。

 

参照:中越山里の暮らしコラム


 
 

2013/05/24

778昔々山岳部のオレも三浦雄一郎みたいに広告媒体になってもいいからヒマラヤに登りたいものだ

 三浦雄一郎なる80歳の年寄りが、チョモランマ(ネパールから登ったのだからエベレストじゃない)に登頂したとて、報道屋が騒いでいる。
 先般、ネパールに行ったが、聞くところによれば、近頃はヒマラヤの高峰でもカネさえ出せば、シェルパたちが背負って連れて行ってくれて、ヤッコラサと押し上げてくれるのだそうだ。あ、三浦さんのチョモランマのことじゃないよ、あくまで一般論、、。

(この写真は本文と関係ありません。2011年4月にわたしが撮ったポカラから見るヒマラヤ)

 ポーラー法登頂時代から、ルートハンティング時代になり、無酸素とか単独行とかのプロフェッショナル時代も過ぎて、今じゃあヒマラヤ高峰に登るのは女性でも珍しくない時代になった。
 だから、年齢とか回数とか特別のことだけがニュースネタになる。

 そしてただ今のニュースでは、現地で81歳の男がチョモランマ登頂準備中だそうだ。ネパールの人だそうだから、もしかしたらシェルパか。
 考えてみると地元のシェルパの登頂はニュースにならないが、かれらはもう何十回もそして超高齢者も登頂しているに違いない。
 次は若さ競争になって、少年が、いや乳幼児が登頂する時代になるんだな。

 今朝の朝日新聞(2013年5月24日)の一面に大きく、三浦さんが旗を持っている写真が載っている。そこにこの登頂の金蔓らしい企業名などが書いてある。(こちら
 なになに、酒屋、原発屋、金貸し、車屋かよ、、、ふ~ん、なるほどそうか、マラソンのゼッケンと同じで、これも広告媒体の三浦さんであったか。
 ああ、昔々山岳部のオレも、チョモランマ登りたいなあ、、だれか、、。
 
参照→156昔山岳部 
http://datey.blogspot.jp/2009/07/156_18.html


2013/05/23

777津波被災地再生にも流行らしい太陽光発電メガソーラーって本当にいいものなのかしら

 メガソーラー発電所を野蒜につくるそうだ。こんなニュースは普通は見逃すのだが、たまたま津波で被災した東松島市の野蒜地区のことを書いていたので、目に留まった。
 メガソーラー発電所とは何のことか、よくはわからないが、広い土地に太陽光発電装パネルをいっぱい並べて、大規模な発電をするところらしい。

 野蒜海岸のそばの津波で一切が壊れた公園跡地に、先般、行った時に工事中だったのを見たことを思い出した。
 東松島市が発表した資料を見ると、発電事業に参入した企業がつくって営業するようであり、不毛になった津波被災跡地の活用策として、市が市有地を貸して誘致したのだろう。公園の再建をあきらめたのか。
 ここで発電して電力会社に売るのだろうか。

 その技術的なことやら経営的なことやらはわからないが、この立地が本当に良いのだろうか。
 絵を見ると野蒜海岸に近い松林(復旧するのだろう)の中にあるようだが、ここは津波でやられたところだから、次の津波にもやられるような気がするが、それでも立地するのだろうか。
 まあ、確率的に言って次の大津波は100年先とすれば、メガソーラー発電はそれまでには十分に採算が取れる商売なのだろう。

 どうも福島原発事故以来、いま、ソーラー発電は時流に乗っているらしい。津波がもたらした時代の新しい流れである。そこに発電事業参入企業も目をつけている。
 そしてまた同じ津波による被災地においても、集団移転跡の広大な空き地に、その発電所を誘致して新たな産業を起したいとする復興計画を考える。東松島市だけではなくて、あちこちでその動きがあるらしい。
 発電所はできたとしても、作った電気は電線で他に持っていけばよいのだろうから、それが被災地に他の産業を誘致する種になるのだろうか。

 産業誘致も難しい地理的条件で、人間が住めない広い土地となれば、土地代も安いだろうから、発電新規参入企業もこれをチャンスに被災地への発電所立地を意図するだろう。
 もちろん津波被災地だけではなく、農業地域の農業後継者がいなくなって広がるばかりの耕作放棄地も、目をつけられているようだ。ちょっとまえは、稲を植えるよりも住宅や大型店を植えると儲かると田畑がつぶれていったが、今や植えるものがなくなって発電機を植える時代となった。

 
 ところで、太陽光発電は、発電原資エネルギーが太陽熱なので、エコロジカルともてはやされているが、大規模な太陽光発電所そのものは果たしてエコロジカルなのだろうか。
 ネットでいくつかのメガソーラー発電所なるものの画像を見つけたが、どうも気にかかる。すなおに受け入れられないのである。
 とにかく草も木も生えない広大な土地を必要とするらしい。地表を一面に真っ黒な板で覆いつくしてしまって、これはとても生態的つまりエコロジカルではない。

 なにしろ太陽の光だけが頼りだから、地上に設ける場合は、周りにビルがあるとか、枝葉の繁る樹木や背の高い草とかで、日陰ができるような環境はもってのほからしい。建物の屋根や屋上に設けるのは良いが、建物によって設置が制限される。
 だから広い、真っ平ら、あるいは緩やかな南下がりで、何もない土地でなければならないらしい。
 発電パネルの下から草や木が生えてきては困るので、コンクリートで固めたり、砂利やシートを敷き詰める。
 これでは広大なる荒地であり、まるで砂漠である。

 普通の大規模工場でも敷地周りや構内に緑を配しているし、工場立地法によって発電所は敷地の25%以上緑化義務がある。ところが、このソーラー発電工場は、工場立地法から除外されていて緑化義務がない。よくわからないが、環境アセスメントも必要ないらしい。広大な砂漠をつくってもよいのである。
 そこには従業員はほとんどいないらしいが、ほんとうに何ヘクタールもの広大になってくると、はたしてよいものだろうか。熱風が吹くとか、周辺地区の微気候に影響がでるような気がするが、どうか。野蒜ならば、せっかく松林を復元しても、枯れるかもしれない。
 景観的にも、真っ黒パネルの広がるのは、おぞましい風景である。

 中山間地で耕作放棄地が広がっているから、平地の田畑ばかりか、なだらかな南斜面地の棚田空間も狙われやすいかもしれない。ここがメガソーラー発電所になると、いったいどんな風景になるのだろうか。
 放棄された田園は、それなりに草木が生えてきて緑豊かな自然空間に戻っていくのが、日本の気候風土である。
 それがエコロジーだとか土地の有効利用とかの美名に聞こえる仕業のもとに、一面の鉄とガラスのパネルで真っ黒に覆われてしまって、実質的に砂漠化するといったいどうなるのか。

 海面埋め立て地のような平らなところは好都合だろうから、津波被災移転跡地や売れない工業用地などの海辺立地も多くでるらしいが、津波が来るとどうなるのだろうか。
 津波で破壊されても原発のように核毒を出すことはないが、発電機能は絶えるだろう。電力が絶えること自体が問題だろう。
 そもそも津波や地震で危ない立地に発電所をつくること自体に、根本的な問題があるだろうと思う。

 ネットで見るメガソーラー発電所のメリット・デメリットの記事には、こういう土地利用面や景観面のことは出てこない。いろいろと疑問がある。



 

2013/05/22

776鎌倉の谷戸の住宅地の20年の変遷の定点観測をGIF動画にしてみた

(これは2010年の記事ですが、GIF動画にしたので再掲)
 
鎌倉市の十二所という深い谷戸の奥に四半世紀住んでいました
鶴岡八幡宮まで2kmほどのところでしたから
滑川沿いに自転車や徒歩でブラブラしながら
四季の遷り変わりや街並みの変化を楽しんでいました
報国寺や釈迦堂遺跡など鎌倉名所もあります

その途中の住宅地に囲まれて大きな田圃がありました
鎌倉街道の裏道からのその風景は
向うに衣張山が見事な山容を見せていて
春の田植えの頃は田圃の水面に映る逆さ冨士のようにも見え
夏は稲の緑のじゅうたんが涼しく広がり
秋は稲穂が輝く金色の大池となり
冬は冬で土の色を懐かしく思い
四季折々を楽しみながら通ったものでした

2000年頃からだったでしょうか耕作放棄されたらしく
草ぼうぼうの空き地となってしまいました
それはそれで四季の情緒がありました

2002年にわたしは鎌倉から引っ越したので
しばらくご無沙汰していて2007年秋のこと
久しぶりに通りかかったら宅地造成して田圃は消滅
そしてまた2010年秋に通りかかると
10数軒の小住宅が建ちならんでいました
その定点観測をGIF動画でご覧ください
 
その場所の空中写真で黄色矢印の位置から見ています(google earth)