2013/11/03

852建築家山口文象がデザインした家具を観に行った

「建築家と天童木工」なる家具の展覧会を、天童木工東京ショールームに観に行った。
会場には、山口文象、丹下健三、黒川紀章、坂倉順三、オスカー・ニーマイヤーなどの有名建築家たちのデザインした家具が展示してあった。もちろん、天童木工が製作したものだけである。
●「建築家と天童木工」展覧会風景

わたしのお目当ては、もちろん山口文象デザインの座卓である。
1961年第1回天童木工家具デザインコンクール金賞の作品である。展示の説明にこう書いてある。
整形合板を立体的に用い、美しい造形の座卓。特に甲板は水滴の波紋を連想させるようなカーブをしている。その美しさの反面、甲板に狂いが生じやすく平面を保つことが難しいため、商品化は見送られた。
●山口文象デザインの座卓


そしてまた、そのコンクールのことも書いてある。
1961年、民間では初めてとなるコンペを開催、審査員に剣持勇(審査員長)、丹下健三、豊口克平、渡辺力、長大作、建築評論家の浜口隆一など、豪華な顔ぶれが並ぶ。応募規定は「成型合板を一部または全体に使用したものであること」。

このテーブルがあることは知っていたが、現物を見るのは初めてである。山口文象やRIAの建築作品紹介の雑誌写真には、自分の設計した家具が登場してることがよくあるので、これを探したら、あった。
●山口文象邸のサロン風景(1969年発行『新訂建築学体系・木造設計例」彰国社より)
山口文象の自邸の写真の中に写っている。座卓としてではなくて、小テーブルとして使っている。その向こうの椅子も山口文象デザインかもしれない。
この写真は、1961年~1969年の間に撮ったのだろうから、とすれば、わたしは山口邸で見ているはずであるが、忘れていた。
展示室の係りの人に、この座卓は天童木工の収蔵品かと聞いたら、どこかのお宅から借りてきたが、それがどこか知らないという。では、山口邸から来てるのかもしれない。

山口文象はいくつもの家具デザインをした。新制作派協会展覧会にも出品している。1953年にRIAを結成してから、メンバーの近藤正一と組んでいるようだ。
この小テーブルの前には、1954年全国工業デザインコンクール最優秀賞をとった小椅子がある。二次元カーブのプライウッドを組み合わせた量産向きの家具である。
●小椅子(通称チリトリ椅子)
口の悪いRIAの連中は、「これは通称チリトリ椅子というのだ」、そして「椅子にもなるチリトリなんだ」とも言った(今やチリトリは死語かもしれない)。
RIAの会議室にいくつもあったが、二つのチリトリの接合部の金物が外れやすくて、そっくり返らないように座ったものだ。

戦前の山口文象の建築作品の写真には、彼のデザインした家具が写っていることが多い。既製品の洋家具がない時代だから、建築家が家具の設計をするのがあたり前であったらしい。
●1928年三宅やす子邸の家具
山口文象が石本喜久治の下にいたころに担当した住宅であるから、山口のデザインかもしれないが石本のデザインかもしれない。

●1934年日本歯科医科専門学校付属医院の家具

 ●1934日本歯科医科専門学校付属医院の手術見学教室の机

●1950年久が原教会の椅子と講檀(プライウッドによる簡素なデザイン)

●参照⇒建築家山口文象サイト(伊達美徳)
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html

2013/11/02

851【エッセイ版】あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている・独り相撲都計審委員物語

まちもり瓢論2013年11月号
エッセイ版
あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

独り相撲都計審委員物語
(『建築の研究』2013年10月号掲載)

伊達 美徳
 
◆ひとりの市民として都市計画審議会の委員になったけど

 まちづくりは市民参加で進める時代です。これは、ひとりの市民が自主的に、巨大都市・横浜市の都市計画行政に愚直なる参画をして、多くの考えさせられる問題に直面した2年間の物語です。横浜市固有ではなく、日本各地の大都市の問題かもしれないと思うのです。

 わたしは長らく都市計画を専門としています。主として行政からの委託により、既成市街地の整備についての計画を市民と行政の間に立って進める仕事で、全国各地で経験を重ねました。
 続けていた日本都市計画家協会の常務理事事務局長を退任し、都市計画の仕事からも半リタイアして時間にゆとりができたので、純粋にひとりの市民として専門的な知識を生かして自分が暮らす地域社会に役立ってみようと思いつきました。

 そこで2008年、わたしの住む横浜市が公募していた都市計画審議会の市民委員に応募したところ、2人の枠に応募者30人で15倍もの競争率の中から幸運にも委員に選ばれました。
 都市の生活環境や生産活動の相互に問題が起きないように、土地の使い方に規制や誘導をし、道路や公園などの配置を決め、都市空間を整備するのが都市計画です。
 この都市計画法、都市計画法によって知事や市長が定めますが、決定するときには必ず、都市計画審議会に諮らなければなりません。横浜市の都市計画審議会 の委員は、市議会の正副議長と各委員長、関連分野の学識のある専門家、公募して選ぶ市民など25名で、年間に4回の審議会を市長が招集して議案を出しま す。

 わたしが任期中の2010年半ばまでの2年間に計7回の審議会があり、議題数は計50余、地区数は計150余でした。念入りに事前調査し、積極的に意見を述べ、議案のひとつやふたつに反対の挙手をして、20余人の無口な委員を相手に毎回たった一人の反乱のようでした。
 図らずも演じてしまった、ドン・キホーテあるいは車寅次郎のようなドタバタの独り相撲をお読みください。

続きの全文は「エッセイ版 あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning

2013/11/01

850東京駅は丸の内の赤レンガだけじゃないよ、八重洲側の変貌が著しくて面白いよ

東京駅の八重洲側に久しぶりに出てみた。長らく続いた工事中のうっとおしい構内の囲いが無くなって、すっきりした。
表に出てみると駅前広場ははまだまだ工事中だが、すぐ頭の上にデッキがかかり、更にそのデッキの上には布の大きなテントが張ってある。
このテントはなんだろうか、雨除けか、日除けか、ただの格好つけか。
日除けにはなるだろうが、雨除けとしては、あまりに高いところに張ってあって、ちょっとの風で横から濡れそうだ。もちろん台風では役に立たないどころか、もしかしたら飛んでいくのではあるまいか。
格好づけとしては、真っ白な(そのうちに灰色になるだろうが)大きな横長の帆は、面白い。
●2013年10月東京駅八重洲口駅前広場の姿


さて、八重洲通りからの東京駅への眺めを、年代とともに追ってみよう。

●1987年8月東京駅を八重洲通から見た姿
真っ黒な壁のような鉄道会館が建っている。中には大丸百貨店が入っていた。
わたしは80年代半ばまで勤め先がこの近くだったので、通りすがりによく寄ったものだ。
このビルの上の方の階に、全国の自治体の出先の物産売り場や観光案内所が並んでいて、わたしが好きだったところである。
このビルは、はじめのころは途中まで建っていて、しばらくしてから上に増築したような記憶がある。まだ延ばすつもりだったかもしれないが、その前に取り壊されて、今のようにただのテントになってしまった。

これより前の写真は撮っていないのに、なぜこの年があるかと言えば、その頃、東京駅周辺地区再開発調査の仕事をやっていたからである。
仕事の大元の発注者は国土庁、建設省、運輸省、委員会は八十島義之助を長として、石原舜介、芦原義信、村松貞次郎などそうそうたるメンバーだった。
そのときが始まりとなって、丸の内赤レンガ駅舎の保全や八重洲側の整備などの基本方針が決まり、今に至っているのである。
●参照⇒東京駅周辺地区総合整備基礎調査報告書(1988年3月)

 わたしはその時の調査の知見をもとにして、丸の内赤レンガ駅舎の復元反対論を唱えて、ウェブサイトでも論考を書き、毎年の大学での講義で学生や院生を洗脳してきたつもりだが、残念ながら全く相手にされることなく、現物が復元されてしまって完敗した。
●参照⇒「東京駅復原反対論

●2009年3月東京駅を八重洲通から見た姿
鉄道会館が取り壊しになると聞いて、あわててて撮りに行った。真っ黒なビルが真っ白なビルに替わっていたのが面白かった。向うに、建て直した新丸ビルの上の方が見えている。

●2011年1月東京駅を八重洲通から見た姿
鉄道会館がすっかり消えて、新幹線がむき出しで見えるようになった。
丸ビルと新丸ビルが並んで見えるのだが、八重洲通りと行幸通りは一直線にとおっていないので、芯がずれて新丸ビルが真正面に見える位置に来る。
どうして、この二つの道路を一直線になるように、市区改正時代のプランナーは決めなかったのかと、不思議である。

●2013年10月東京駅を八重洲通から見た姿

 ヒラヒラの布庇がかかっている。この仮設的な雰囲気が、この風景の中では突然変異の感があって、このデザインを選んだ事業者の意図がどんなところにあるのか、興味深い。丸の内側が様式建築のガチガチなら、こちらはモダンなカルガルデザインというところか。
アメリカの建築家ヘルムート・ヤーンのデザインであるという。そういえば、丸の内側にある中央郵便局再開発のJPタワーの折り紙ヒコーキも、ヘルムートヤーンのデザインであるらしいから、東京駅周辺御用達米国建築家かしら。

では駅前のビルから見る八重洲駅前を見よう。
●1987年10月東京駅八重洲口駅前の姿

 これは住友信託ビルの会議室から撮ったような記憶がある。
 堂々たる鉄道会館健在で、その向こうに観光会館ビルも鉄鋼ビルも見えているが、どちらも今は消えた。その更に向こうには新日鉄ビルが見える。
新幹線の向こうには、今は無き元鉄道省、元国鉄本社のビルが健在である。

●2013年10月東京駅八重洲口駅前の姿

 八重洲ブックセンターから撮った。
 鉄道会館は布庇に替わった。向うの高いビルは、丸の内赤レンガ駅舎から容積移転して建てたJRのビル。その足元の鉄鋼ビルも消えて、今は建て替え工事中。

●2013年東京駅八重洲駅前広場正面の姿

 東京駅の八重洲側の駅前広場は、丸の内側に比べると貧弱である。外堀を埋めて作った道路の、ちょっとしたふくらみが駅前広場であった。
 そこにバス、自家用車、タクシーの乗降場ははもとより、地下駐車場やら長距離バスセンターなどもあって、交通処理がまことに不便であった。そこで鉄道会館をどかして、そこまで広場を広げることにしたのある。

 関東大震災のあとの復興事業で、八重洲側にも広い立派な駅前広場をつくり、赤レンガの駅舎も作る計画だったが、広場は地主の反対でできなかった。
八重洲側の赤レンガ駅舎もできなかったが、その構想の姿を両国の震災記念堂で見ることができる。

●2013年10月東京駅八重洲口駅前広場整備中の看板と住民

 駅前広場はただ今整備工事中であり、大きな説明看板が立っている。
 そのそばには、どうやらここの住人らしい方の住居がある。この人もそのうちに整備されるのであろう。移転補償はあるのかしら。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2013/10/31

849赤レンガ東京駅見物ついでに東大博物館を探検してあの「零円札」に遭遇して感動した

東京駅の夜景を、東京中央郵便局、じゃなかったKITTEの前から撮った写真で、お化粧前2005年とお化粧後2013年の比較をしてみる。
●お化粧前の2005年9月の姿

●お化粧後の2013年10月の姿

 さてどこが変ったか、背景に容積率を移転した高いビルが見えている。これはご自分の資産を一部身売りした先で、いわば分身ともいえるビルだから、一緒に見えて不思議ではないだろう。
 もちろんもっとも大きな違いは、角帽を丸帽に取り替えたことである。こうやって見ると角帽も白線を光らせてしゃれたもんだった。

 隣の中央郵便局も、上に東京駅から容積移転した紙ヒコーキ折り紙デザインのファサードを乗せて完成しているようだ。

 その中央郵便局の中に入ってみたら、KITTEという名のショッピングビルになっていた。ネーミングの由来は切手なんだろう。
 その一部に東京大学の博物館があったので、そこの窓から丸の内駅前広場を眺めた。広場の整備はこれからやるらしい。

 東大博物館は、種々雑多なものが脈絡もなく並べてあって、なんといおうか、なんだかかび臭い懐かしい変古珍奇型の博物館の趣があった。多分、学問の府の権威ある博物館だからとて、わざとそういう展示をしているのだろう。その展示の仕方そのものが博物館である。
現代的なビルの中なのだが、実は70年以上も前の建物である一角にあることも含めて、なんだか面白い場所である。

 世界中からどうやって集めたのか気になるが、それぞれのマニアが見たら垂涎であろうの代物がところ狭しと並んでいるのである。
 時間をかけてじっくりと眺めたなら、ずいぶん発見がありそうだ。
 なんとなく入りづらい、というか、入ってもしょうがない雰囲気だから、超一等地にありながら隠れた名所かもしれない。

 窓から東京駅の写真を撮るだけの目的で入ったわたしが、偶然にも発見して大興奮したのは、赤瀬川原平制作「零円札」である。
 この零円札裁判事件は同時進行で知ってはいたが、本物(画像はこちら)を見たのは初めてで、これはこれはとけっこう感動した。
 これがどうして博物館にあるのかと思ったが、なんと古銭類と一緒に並んでいるのであった。おお、なんという面白さだ!、原平さんが見たらなんと言ってこれを喜ぶだろうかと、気になる。

(追記)「零円札裁判」ではなくて「千円札裁判」であり、零円札と裁判は別らしい。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2013/10/30

848東京駅赤レンガ駅舎のスカイラインはどうもゴチャゴチャしている

東京駅に久しぶりに行ってみて、東京都道404号皇居前東京停車場線(通称・行幸通り)から真正面の風景を見た。
赤レンガ駅舎の3階に昔のコピー建築が乗っかったので、以前と比べて両肩が吊り上った感じである。
後ろの鉄道会館(大丸)が無くなって、赤レンガ駅舎のスカイラインがすっきりするのかと思ったら、意外にゴタゴタしている。
左の方から、新しい大丸の大きなビルが張りだしてきているし、八重洲駅前のネオン看板類がかなり明るすぎてハレーションを起こしている。
八重洲駅前はJR開発ではないから仕方ないが、JR開発の新大丸の建物は、せっかく大金をかけて赤レンガ3階をコピー再現した風景を邪魔しているよ。
もったいないことでしたねえ、この容積率を他に持って行ってでもして、ここは引っ込めてもらいたかったなあ。

●2013年10月の行幸通りからの見通し風景は、
赤レンガ駅舎のスカイラインが意外にゴチャゴチャしている
 
●2006年9月の赤レンガ3階コピー再現前の風景は
鉄道会館が赤レンガ駅舎のスカイラインを支配していた 

●独りキャンペーン:東京駅赤レンガ駅舎の復原反対
http://homepage2.nifty.com/datey/tokyo-st/

2013/10/25

84【五輪騒動】7神宮外苑の絵画館のアカアカと陰りもないライトアップの向こうに新国立競技場を幻視した

四谷に所要あっての途上、ふと思いついて、ただいま話題となっている国立競技場と聖徳絵画館のあたりを通り抜けて眺めてきた。
夕闇が迫る中、夜の絵画館のあたりは、どうにも騒々しいのは、あちらには赤々と照らされたゴルフ打ちはなし練習場の鳥かごがあるし、こちらには室内競技場やテニスコートがあって、車や人の出入りや騒音がするからである。
絵画館前広場は駐車場となっていて、ライトアップされた絵画館の全景を入れて写真を撮るのは邪魔であるが、こうやって、明治天皇のご聖徳のおかげで禁苑は開放されて、万民の一般市民が夜も楽しむことができる広場となっているのである。
絵画館はアカアカと一点の陰りもないナトリウム等のライトアップで、まるで外苑に横たわる仏壇のお燈明の列のごとく輝いている。建築を見せるなら、こんなに影なしライトアップはやりかたが違うだろうと思うが、お燈明ならまあ、よろしいか。
いやまてよ、これは明治大帝の陰日向無きご聖徳を象徴しているつもりだろうか。

このお燈明の向こうの森の上に見えるのが、国立競技場の照明塔であるが、2020年東京オリンピック主会場となるころは、新しい国立競技場が建ちあがっているだろう。
あの黒い森の上に、自転車ヘルメットのお化けのような曲線の綾なす小山が、光り輝くことであろう。
20世紀初めの日本帝国の残影と、21世紀初めのグローバル日本の新光、これらふたつの出会う皇紀二六八〇年、これまた明治大帝のご聖徳なるかや?




2013/10/20

846【五輪騒動】長屋談議2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ

この前の東京オリピックが残したもの

八五郎ご隠居、元気ですねえ、ストレッチ体操なんかやってて。まさか7年後のオリンピックまで生きようってんじゃないでしょうね。

隠居おお、八ッツァン、なに言ってんだい、あのな、わたしはオリンピックてのが嫌いなんだから、そこまで生きなくてもいいんだよ。

え、嫌いですかあ。

ああ、嫌いだねえ、あんな国威発揚運動会は大嫌いだよ。国際親善だから勝とうが負けようが参加することに意義があるだろうに、あのメダル競争はなんだい、国家代表じゃないのに国旗を揚げて国歌を演奏するって間違ってるよ、戦争がない時に戦争の好きな奴が代わりにやってるのかい、あれは。

まあ、まあ、まあ、興奮しないで。あっしは好きだねえ、わくわくしますよ、早く来ないかなあ。そういや、この前のオリンピックの時は、ご隠居はどうしました?

1964年東京オリンピックだな、やったってことは知ってるけど、見てないし、ほとんど何も覚えていないなあ、アベベってマラソンのヒーローがいたような。建築設計をやってた頃だから、代々木の国立体育館のできたのが一番の思い出だねえ。

あのオリピックを機会に東京の都市づくりが進んだんでしょ。高速道路とかね。

そうだ、あれは1960年か61年かなあ、東京の日本橋を渡っていたら、その川の中で工事しているんだよ。基礎になる杭を打ち込んでるんだけどね、なにしろメタンガスが臭うドブ川で、底にはヘドロが積もりに積もってるから、杭が自分の重さでズブズブともぐり込んでしまうんだよ。またその上に杭を継ぎ足してから機械ハンマーで打ち込むんだけど、はじめはスカンスカンなんて空振りしてて、そのうちにドカンドカンと本格的に打ち込むようになる。そうやってできたのが日本橋の上をまたいで、もうひとつの日本橋になった首都高速道路だな。

そうそう、あんまり不細工なんで、その高速道路をどけようって話が起きてるようですよ。

うん、だいぶ昔からその話が出ては消えてるな。まあ、首都高全部を取っ払ったとしても、日本橋の上だけでも門形にして高速道路を保存してもらいたいね
え、わざわざ保存するんですか、なんでですか。

隠▲
だってさ、戦後復興を乗り越えてオリピックに向かう日本の高揚期の記念物だし、その後の都市公害や景観破壊を引き起こした負の記念としてね。

以下、続きは
■国立競技場は神宮外苑にあるのじゃないよ
■新国立競技場案について有名建築家がイチャモンつけた
■法律違反計画を法律が後から追いかけて追認した
■歴史的文脈の中でやるなら国威発揚だよ
■こうなりゃ聖徳記念競技場だあ~


続きと全文は
⇒「長屋談議・2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

参照⇒なぜ今頃になって建築家は新国立競技場に異議をいうのか
http://datey.blogspot.com/2013/10/842.html

2013/10/14

845初めての文楽見物で「生写朝顔話」を観てきて歌舞伎よりもちょっと面白かった

神奈川県青少年センターに文楽公演を観に行った。住処の近くだから、国立劇場に行くより便利である。
演目は「生写朝顔話」(しょううつしあさがおばなし)の、明石船別れの段、笑い薬の段、宿屋の段、大井川の段。
ストーリーは、恋する男女のすれ違い譚で、昔話「君の名は」である。あ、君の名はもいまや昔話であるよなあ。

実は文楽の実物を見たのはこれが初めてである。映像などで一応は知っていはいたが、舞台が大きいのには驚いた。人形劇だから小さいと思い込んでいたが、実物の7割くらいの大きさだろうか。

人形遣いの姿を見慣れないうちは気になるが、やがて慣れてきて気にならなくなった。
それにしても3人でひとつの人形を動かすのは、なかなかその息を合わせるのには厳しい修業がいるのだろうと思う。

竹本あるいは豐竹大夫の浄瑠璃は、それ自体が顔と声で泣き笑い怒り狂う演技であり、なるほど、昔はこれを美しい娘がやって大人気だったということが分るような気がした。

文楽のどこが面白いのか、これ見ただけではわからないが、初めての文楽は、それなりにおもしろかった。
人形の所作と浄瑠璃語りの面白さが、歌舞伎とは違う面白さのような気がした。歌舞伎のように人間が演じたら臭くなる演技も、人形にやらせるとみられるということもありそうだ。

演技者の中に浄瑠璃の豊竹咲大夫と三味線の鶴澤燕三がいたが、このふたりだけは知っている名であった。だいぶ前に、能楽師の野村四郎の謡かたり三人の会の公演に出ていた人である。

これを見て昔を思い出したのは、少年時代に読んだ講談本である。そのなかに朝顔日記というのがあって、これが本日の出し物の講談版であるらしい。
大井川のほとりで盲目の女が恋しい男を探してうろうろする話だった、覚えているのはこれだけ。

参照:謡かたり三人の会「隅田川」
http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/2005utaikatari.htm
参照:コラボレーション能「謡かたり隅田川」を見る
http://homepage2.nifty.com/datey/nomura-siro/nomura-utaikatari.htm

2013/10/13

844金木犀の花が香り銀杏の実が臭う公園で懐かしい記憶の中の嗅覚風景がよみがえる

 秋たけなわという今日の晴天、大通公園をふらふら徘徊していると、ウンコのにおいと金木犀の花の香りが同時に鼻を刺激してきた。オッ、これはなんだか記憶にある懐かしい組み合わせだぞ。

 昔々のこと、まだ下水道が普及していない頃、汲み取り便所の糞尿の悪臭をいくぶんか中和させようとて、金木犀の花の香りがする香料を入れた壜を便所に置くことが流行した。今それが秋晴れの公園に漂っているのだ。
 ああいうことをされると本当に困る。わたしの嗅覚の記憶は、金木犀はウンコに臭いになってしまった。
でも、こんな都心で汲み取り便所はもちろんなくて、これは毎年のことだが今の季節に実がなる銀杏が落ちて、あの糞尿そっくりのにおいをばらまいているのだ。
 たまたまその銀杏の木の下に、金木犀の花が咲き誇っていて、これまた香りを競って振り撒いている。嗅覚で懐かしいと思うことは少ないが、今日はそれに出会った。
  
 ネットで調べたら、エステー化学株式会社で販売し、70年代初頭に出して90年代前半まで主流商品だったそうだ。さらにネット検索したら、金木犀の香水があるようだ。
 それはそれはなんともはや、金木犀の香りの女性に出会ったら、わたしは逃げざるを得ませんな。バスやエレベーターの中だったら途中下車だな。それとも「お懐かしい!」と近づくか。
 ま、ご当人は知らぬが仏だけどね。

2013/10/11

843村上春樹はもしかしたらイグノーベル文学賞をとったのだろうか

今日、本屋(伊勢佐木町有隣堂)に行ったら、入り口すぐに「ノーベル賞受賞」と大きな字で印刷した紙の下に、村上春樹の本が山と積んである。
え、違うよ、カナダの女流作家だろうって、よく見たら、その紙に「2013年のノーベル文学賞はカナダのアリス・マンロー」って、書いた小さい紙がはりつけてあった。

はは~ん、村上春樹だとヤマをかけて、ウンと仕入れてたんだな、ははは、当て外れオキノドクさま。でも肝心のアリスマンローの著作は置いてないのであった。

ところが、こんな画像がFACEBAKAから流れ着いてきた。
http://gohoo.org/alerts/131010-2/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

はは~ん、こちらもヤマかけて予定原稿を書いていたのを、早とちり勇み足うっかり配信してしまったのか。
それとも、実は村上春樹はイグノーベル文学賞をとったのか。だって、この写真はどう見ても受賞の喜びを語るムラカミサンだよ。

842【五輪騒動】なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのか

 オリンピックの前哨となるそよ風が、建築設計業界に吹きはじめたたらしい。
 国立競技場の建て替え計画で、コンペで一等になったザハ・ハディドの案その絵はこちらに対して、建築家の槇文彦さんが異議申し立てをJIAの会報(2013年8月号)に書いて、動きが出ているようだ。
 本日、それについてのシンポジウムをやるそうである。

 さて、建築(家への悪口)を趣味としているわたしとしては、面白いことになったと模様眺めを楽しむことにするのだが、ちょっと気になることがある。
 このコンペ当選案は、安藤忠雄さんを審査委員長として、鈴木博之、内藤廣、ロジャース、フォスターなどの、れっきとした方々が審査員として選んだ結果である。これが発表されたのは、2012年の11月のことである。問題の根本にあるコンペプログラムはさらに前に公表されている。

 なぜ今ごろになって槙さんは異議を唱えるのだろうか。わたしは異議を唱えるのがいけないと言ってるのではなくて、ずいぶん遅いよなあ、と思うのである。
 さらにまた、槇文彦と言えば今や老大家である。生きのよい若手建築家はどう思っているのだろうか。門下生たちはどうしているのか。実はあの案に賛成なのか。俺ならもっとうまくやるのになあと、思っているのだろうか。

 反対としても、なぜ今まで黙っているのか。国家的行事の施設だから、老大家でなければ異議を唱えにくい今の世の中なのか。実は老大家は、若手から異議申し立てが出るのを待っていたのだが、だれも言わないので腰を上げたのかもしれない。
 なにしろオリピックに異議を唱えるのは、いまや国賊並みだからなあ、アマちゃんを見ないのは非国民だしなあ、、若手がビビるのはわからないでもないような、、。

 本日のシンポジウムは、槙さんを囲んで行われるようだから、どうやら異議申し立ての場であるらしい。出演者など見ると、どうも槇さんの論に対して異を唱える会ではなさそうだ。
 その場には、コンペの審査委員長あるいは審査員のかたがたを招いているのだろうか。あるいはコンペ参加した落選者たちも参加されるのだろうか。そのような方々と一緒にシンポジウムをしてこそ、新たな展開があるだろうとおもうのだが、どうなんだろうか。
 コンペに参加もできずにいて、悔しがっている建築家たちだけで、異議を唱えても迫力がないぞよ、、頑張りたまえ、若手建築家たちよ。

 槙さんの異議申し立てのJIAマガジンを読んだが、ご自分が設計した東京都体育館との対比で論じられると、若干鼻白む感がある。
 また、絵画館との対比についても、わたしはあの王権賛美の出自、威圧的なデザイン(坊主頭を何とかせい)、偏頗な展示内容を大嫌いだから、つい槇論をあまり肯定したくなくなる。
 へそ曲がりのわたしとしては、いっそのことザハ・ハディドの異教徒的空間(わたしには自転車乗りのヘルメットにしか見えないのだが)の出現で、明治神宮内外苑が抱えている20世紀前半の亡霊を追い払ってほしいとさえ思う。


(追記 2013.10.11 2030 face baka書き込み)
 ネット中継でシンポジウムを、たった今見終わった。面白くなかった。
 危惧していた通りに、コンペ審査員も応募者もいない。コンペから外された建築家ばかりが、あれは困るみたいな話ばかりだし、学者は常識的なことしか言わない。
 こうなると、言い出しっぺである槙さんは、それだけでえらいなあ、と、思うばかりであった。
 都市計画に対する異議申し立て発言が多かったが、公園緑地系の専門家をなぜよばなかったのか。
 もしも一等当選者が、建築家協会会員であっても、あるいは日本人であっても、こういっただろうか。一等当選案に負けない巨大建築で応募した建築家に、JIA会員はいないのだろうか。
 どうでもいいけど、壇上の5人全部が東京大学閥でいらっしゃいました。

(追記2013・10・12 face baka書き込み)
 昨日のシンポジウムでも問題なっていた新競技場の高さは、コンペ当選の建築の後追いで、今年6月にそれまでの制限高さ20が75mに緩和される地区計画を都市計画決定しています。
 新国立競技場一等当選案に反対の建築家たちは、もちろん、この縦覧時に反対の意見書をお出しになったのでしょうね。また公聴会で反対意見をお述べになったのでしょうね。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/keikan01_001070.html

 今回の件は、建築計画案がコンペによって先につくられ、後から都市計画(地区計画の再開発促進区)が追いかけていますね。わたしはこの地区計画を6月に見たとき、なんだか順序がヘンだなあと思いました。
  この地区計画決定について、東京都と新宿区の都市計画審議会の議事録を読んだのですが、東京都のほうはいい加減な審議で可決しています。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/keikaku/shingikai/pdf/giji201.pdf
 新宿区は決定権はなくて意見具申するのですが、こちらはそれなりに問題をとらえて審議をしているようです。でも追及が全然足りませんね。どんな意見具申(まるきり無視されたらしいが)したのでしょうか。
 以前に東京中央郵便局を超高層化して建て替えることについて、やはり建築家たちが反対の集会を建築学会ホールで持ったことがありますが、すでにその超高層計画の都市計画決定がなされた後のことでした。
 わたしはその会場で、いま、反対派の建築家はその都市計画案縦覧時に反対意見書を出したかと聞きましたが、どなたも回答なさいませんでした。
 市民もそうだけど、専門家である建築家が、公開されている都市計画手続きに、日頃から関心を持つ必要があると思います。

参照:現代のプレゼン技術のすごいことよ!
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/ceremony.html


(追記 2013/10/17)
後だしジャンケン提案。そのうちに解説をここのブログに書きます。(なお、これはパロディですからね、世の中には、時にくそまじめな人がいて、質問されて困るときがあるものですから、念のため)。

   

 参照
建築家たちの新国立競技場デカ過ぎ論には肝心の都市計画問題が抜けている
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnatinalstadium2
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言いhttp://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

【長屋談議】2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

2013/10/09

841「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」という長題名の本が出た

 本を出版する時にその題名をどうするか、短すぎても長すぎてもいけないと悩ましいことだ。昨年だったか、村上春樹がなんだか長いタイトルの本を出した。
 長いタイトルの本をウェブ検索してみたら、横尾忠則になんと114文字の本があるそうだ。http://kmktwo.blog95.fc2.com/blog-entry-82.html

 さて、最近わたしの身近な方が出版した本のタイトルが、
疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69
 横尾忠則の足元にも及ばないが、けっこう長い。
 著者は「RIA住宅の会」、RIAの近藤正一を代表として、編集者の磯達雄たち、発行は彰国社。

 内容は、戦後復興期の日本で、庶民住宅にモダンリビング思想を植えつけて、生活様式に革新をもたした建築家集団・RIAの仕事ぶりを語る本である。
現代の庶民住宅は、なんとかハウスとか、カントカ住宅という名の住宅産業によって、耐久消費財なみの商品として供給されているが、そうなる前の時代のことである。

 冷蔵庫でも買うように商品として住宅を買うことができる今、建築家に住宅設計を頼むのは、金持ちか、変わり者であろうが、住宅が大不足して社会問題であった戦後復興期に、新しい生活様式を求める庶民に対応した建築設計集団RIAがあったのである。
 

 この本を、今もそのまま通じる住宅建築の本と読んでもよいし、戦後の生活改善運動の記録の本と読んでも面白い。
 建築家・近藤正一による、住宅設計について当時の建築ジャーナリズムに載せた解説や論考の再掲と、新たに書き下ろした現代での論考を比較すると興味が尽きない。

 1953年から69年間でに400軒を超える住宅設計をして、そのなかの118軒のプランを載せている。いまの商品となった住宅のプランと比べると、その革新的(前衛的ではない)な凄さがつくづくと分かる。
 普通の一般庶民の建て主たちに、新しい生活像を提案し説得したRIA建築家の思いも大変なものだが、このプランを納得して大金を工面して建てて暮らした庶民建て主の心根に思いを致すと、あの時代の空気にほおをなでられるような気がする。
 これらが「モダンリビング」という名称で、やがて世に普及していく。なにもかも若い日本であった。

 RIAとは、今は「株式会社アール・アイ・エー」と言っているが、60年前に創立したときは「RIA建築綜合研究所」、その頃は通称「リア」と言った。
 そのRIAにわたしが所属していたのは1961年から89年までだが、住宅設計をしたことはなくて、もっぱら都市系の仕事ばかりだった。

 最近、昔のことを聞かれることが多くなったのは、それなりの年寄りになったから当たり前である。ときに大学院生に論文種にされると、戦後復興期の都市再開発の現場について、あるいは建築家山口文象について、古老として喜んで語り部となるのだ。
 先般、建築学会の会誌編集委員会から、RIAという共同設計集団における建築家という職能について書けとリクエストをいただいた。

 そこで書いたのが、1952年から60年代末までの「住宅のRIA(リア)]が、70年代以降は「再開発のRIA(アールアイエー)」に転換する間に、建築家=設計者という古典的なアーキテクトから、都市プランナーへと多様に展開して、新たな建築家職能像を獲得する時代を回顧した論考RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡(2013/10/)である。
 この論考は「建築雑誌」2013年11月号に掲載の予定であるが、ちょうどこの時に「住宅のRIA]時代の本が出版された。学会誌のわたしの論考に誤りがあると大変だと読んだが、また別の側面からの論考となったようで、ホッとした。
 その論考は「建築雑誌」の発行を待って、この本とあわせてお読みいただきたい。ここに論考の付図だけを載せておく。量的な駆け抜けぶりがわかるだろう。

 また、RIAが創立から60年とて、その記念誌を新建築社から近いうちに発刊するそうである。そのなかにわたしも、「アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯」を寄稿した。

●参照
RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡  (2013)
体験的書評「まちをつくるプロセス RIAの手法」 (2013)
アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯 (2013)

山口文象+初期RIA

2013/10/08

840人気作家ダンブラウンには日本文化のアドバイザーがいないらしい

 歳をとってきたから、やるべきことをやれるうちにやっておかなければ、近いうちにやろうと思ってもやれなくなるだろう、と、若干は焦り始めている。
 とはいうもののの、その「やるべきこと」が実はどうでもよいことで、「やるべき理由」が特にあるわけでもない。だから、まだいいやと思って先延ばしにする理由をかんがえてしまう。

 その「やるべきこと」のひとつが、うちの本棚にある何百冊かの未読本を、読み切って制覇することである。
 仕事ですぐに必要なものは買ったらすぐに読んだが、趣味的に面白そうだなあ、とりあえず買っておいて、あとでヒマな時に読もう、そう思って買った本が、暇になった今も未読のままになっているのだ。もったいないなあ。だからもう、本を買うのはやめた。

 いまこそ暇だから制覇しようととりかかるのだが、なにかの調べごとで市立図書館に行くと、いろいろな本に目がくらんで、ついつい借りてきてしまう。だから未読本制覇はなかなか進まない。

 市立図書館で借りてくる本に、英語のペーパバックの3文小説がある。読むのに日本語よりも時間がかかるからヒマつぶしになる。こんなものを読むよりも、うちの本棚にある未読本を読むべきだと思いつつも、うっかり借りてきてよんでしまう。

 それでただいま読んだのが、Dan Brown著『Digital Fortres』である。1998年刊行だから、もう翻訳物『パズル・パレス』となっているらしい。
 読んでしまって、バカバカしかったなあ、時間の無駄だったと後悔したが遅い。
 その内容はネタバレになるから書かないが、ちょっと妙なところが気になったので書いておく。

 重要なキイとなる人物として日本人が登場する。その名がEnsei Tankadoと言う。
 これは漢字でどう書くのだろうか。姓は丹角なんてのは聞いたこともないし、名を円生と書いたら噺家になってしまう。
 Takado高戸とすればよさそうなものを、と思いつつ読んでいくと、あとのほうでこのTankadoのnが英語的に意味を持ってくるのであった。それにしてもおかしいよなあ。

 Tokugen Numakataという人も出てくる。この“沼形徳元”?さんは、akuta sameと業界では呼ばれているのだそうだ。akuta sameの説明が書いてあり、the deadly sharkだそうである。sameは日本語と分かるが、akutaも日本語なんだろう。どんな字を書いてdeadlyの意味になるのだろうか。
 この沼形さんの嗜好品にUmami cigerがある。旨味煙草であろうか。こういう銘柄の葉巻タバコがあるのだろうか。

 Soshi Kutaなる日本人らしい女性が登場する。この“苦田素子”?さんは、日本文化の基底には素数があるといい、俳句は3行に書き、5,7,5音だと解説する。なるほど和歌も都都逸も素数並びである。でも能は8拍子が基本であるよなあ。

 ダン・ブラウンには、日本文化についてチェックする人がいないのだろうか。これらは翻訳本にはどうなっているのだろうか。
 以前にJ・アーチャーの三文小説に、日本にはビルを倒してしまう草があることが書いてあり、その小説で重要な役割を持つのだが、これにはびっくりしたことがある。彼の本にも日本人が登場するが、D・ブラウンほどおかしな名ではない。

2013/10/05

839新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった

 東京の歌舞伎座に芝居見物に行ってきた。建替えられた歌舞伎座建築の見物の意図もあった。
 芝居は昼の部で、通し狂言「義経千本桜」の序幕「鳥居前」、二幕目「渡海屋、大物浦」、三幕目「道行初音旅」であった。
 夜の部は見ていないが、四の切りが菊五郎で面白そうである。

 昼の部の芝居見物として面白いのは、「大物の浦」の場で、平知盛が船の大きな重そうな碇をかついでに海に投身入水する場面である。この知盛役は中村吉衛門であった。
 同じ役なのに幕が変わると、幹部級は別の役者に替わる。いろいろの名役者の芸を見られるのはいいのだが、違和感もある。
 たとえば、静御前は序幕では中村梅枝は細めだが、3幕目では坂田藤十郎となるとあまりに太目すぎて、どうにも興がそがれる。菊五郎との舞狂言は優雅なのだが、役者なんだから歳とってもそこのところは何とかしてもらいたい。

 それにしても能の「船弁慶」をもとしたこの二幕目は、よくまあ、ここまで改作できるものだと、実に面白い。
 能での知盛は、とっくに壇ノ浦の戦いで源氏に滅ぼされていて幽霊で登場するのだが、歌舞伎では、あの戦いではうまくのがれて、実は安徳天皇も生きていて、船宿の渡海屋のオヤジと娘に化けて、義経への反攻の機会を狙っている。だから大物の浦で源平合戦が行われて、ここで本当に平家は滅亡して知盛は死ぬのである。

 能では死んでいる知盛や平家の軍勢の幽霊が義経の船に襲いかかって、追い払われるのである。能には知盛が碇を担いで入水する「碇潜」(いかりかづき)があるから、これと「船弁慶」を合わせたのが二幕目であろう。
 もっとも、能の「碇潜」はそのもとを「平家物語」によっているのだが、平家物語で碇をもって入水自殺するのは、知盛ではなくて平教盛と経盛だから、そこでも改作がある。
 それが歌舞伎ではさらに改作が進んで原作から遠ざかり荒唐無稽にさえなるのだから、まさにそこが「傾奇」(かぶき)である。

 芝居そのものは歌舞伎ファンではないから、今日の出来が良いのか悪いのかわからない。外国人も見ているのだが、イヤフォンガイドがあっても、歴史的素養がないと面白くないだろう。
 劇中に入る時事ネタギャクが全くなかったのは、近頃はそういうのはやらないのだろうか。

 新しい歌舞伎座に建て替えられてからはじめて行ったのだが、中の見物席はなかなかよかった。祝祭空間としての華やかさはもちろんだが、椅子が大きく前後間隔が広くなったのが一番よろしい。

 問題は外観である。このことについては計画図面が発表されたときに書いたことがあるが、実物ができてもやはり同じように思った。
 つまり、新しい歌舞伎座の建築デザインは、傾奇(かぶき)になっていないのであった。歌舞伎が傾奇を忘れて、伝統に胡坐をかく芸能となったのか、なろうとしているのか、そんなことを思わせる復古コピーデザインである。

 傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
 まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。

 そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
 これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。


しかし、せっかく隈研吾さんのデザインなんだから、あのドリックオーダーがぎょろりと突っ立った出世作のように、タワーの頭中央に千鳥破風(岡田信一郎デザインにあったように)でも載せた「傾奇タワー」にしてほしかった。こうすればようやくモダンデザインと伝統デザインが対決して、隈さんの現代建築家としての力量を発揮できたのだろうに、と思うのである。

  では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
あれ、なんだかチャイナっぽくなっちゃった感があるけど、
タワーが黒衣をやめてしっかりカブいて立ち上がったなあ。

●関連参照記事
・750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いの ...
http://datey.blogspot.com/2013/04/750.html
・093歌舞伎座の改築
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_04.html
・716こないだ勘三郎が逝ったと思ったら團十郎までも死んで
http://datey.blogspot.com/2013/02/716.html
・459義経千本桜を能の目で見る
http://datey.blogspot.com/2011/07/459.html

2013/09/30

838TV番組を見たことがないけど「あまちゃん」と「半沢直樹」を論評してみるのだ

 TV放送を日常的に見ることはない。3年前の震災当時はよく見たが、最近はたまに震災関連のNHKスペシャルぐらいなものだ。
 そんなわたしにも、「あまちゃん」とか「半沢直樹」とかってTV番組が評判になっているらしいと、それとなくわかるのは、新聞記事とfacebakaのせいである。

 で今、日本中のいい歳をした男ども(女もか)が、あまちゃん放送終了で落ちこみそうとか、半沢直樹の終わり方が気に入らないので続編を待ち望むとか、ヤレヤレ。
まあ、なんと言いましょうか、「なんとまあ日本は平和なことであるよなあ、TVごときで…」との一言で片づけることもできる。

 あまちゃんは、言ってみれば要するに女の子の出世物語(らしい)って、昔からシンデレラの典型的な物語だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 半沢直樹は、言ってみれば要するに、サラリーマンの悲哀と復讐(らしい)って、これもまあ、昔から敵討ち時代劇だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 そういえば、「おしん」が映画リバイバルしているそうだ。
 思い出せば、あれはもう大昔、いつだったかしら(今、ウィキペディアで調べたらなんと30年も前)、寒い朝だったなあ、山形駅で乗り換え時間をつぶすために待合室でウトウトしていたら、急に人が増えてきて、みんなTVを見つめだした。

 え、なんなんだよ、大事件かって見たら、これが「おしん」番組の放送だった。ほう、これがいま評判のあれかと見たが、前を知らないから面白くもなかった。
 これもまあ、シンデレラと同類の刻苦勉励努力出世物語である(らしい、もちろん中身は知らないが)。

 世の中、人間の心の中の営みは、何年かごとに同じことが繰り返されていて、平和なもんである。そしてまた、人間の身体の外の自然の営みは、大地震や大洪水など、これも何十年か何百年ごとに同じことが繰り返されている。

 この自然にとっては当たり前の時間間隔による繰り返しが、人間には当たり前でない時間間隔であり、それが災害となる。
 つまり、人間のほうが自然よりも短いサイクルで生きていることが、忘れたころに災害がやってくることになるのだろう。
 この時間間隔のギャップを人間は心で埋めようとして、「あまちゃん」へ、「半沢直樹」へ、「おしん」へ、宗教へと走るかかもしれない。

 そうか、わたしもこれら人間癒し用の物語を見ておかないと、この先の心の平安がないかもしれないなあ、いまから「おしん」でも見にいくかなあ。
 いや、へそが曲がり徘徊老人には、もう手遅れだろうから、どうでもいいや。


2013/09/25

837こんなに売れてこんなにゴミになるスマートフォンなんて買ってやるものか

 ハイホー、ハイホー……今、世界中の哀れな小人たちが、マック王妃に騙されて食った毒入り林檎で脳がマヒしてしまって、次から次へと毒りんごを食わされる羽目に陥っている。(現代グリム童話)
 マック王国の王妃様は、今年も5sとか5cとかのバージョンの毒林檎を売り出し、それをふらふらと買わされて喜んでいる小人たちが世界中に、売り出し3日で900万人もいたのだそうだ。

「GigaOMによると、今年のスマートフォン出荷台数は合わせて8億9700万台に達する見込みで、昨年の7億1200万台に比べて26%ほど増加することになりそうだという。それに対して、昨年あわせて1億3400万台を記録したiPhoneの販売台数は、今年1億5000万台程度に留まる可能性が高いという。なお、前年(2011年)のiPhone販売台数は9300万台前後で、2012年には対前年比44%増加していた。(wirelesswire news)」

 ヤレヤレ、毎年7億台以上を売るってことは、毎年どれほどの機械が捨てられているのだろうか。毒りんご食わされた小人どもは、廃棄するゴミという本物の毒を排出していることになると気が付かないのだろうか。
 あ、そうか、毒りんごで脳が麻痺してるんだな。

 では、このわたしはどうなのか。そう、昔からこういう類の大人のおもちゃが大好きである。小さなハイテク機が出るとすぐ買ったものだ。
 マイクロテープレコーダー、ポケットコンピューター、スパイ用デジタルカメラ録音機、携帯ワードプロセサー、携帯PC、携帯電話、iPodなど、次々と死骸になっていった。

 でも、実は、わたしはスマートフォンなる代物をもっていない。携帯電話機だけである。しかもこれはインタネット接続できないのである。もちろん接続しないという契約をわざわざしたからである。
 だから正真正銘の電話機なのだが、ごくたまにショートメールをやり取りするから、それなりの利用もしている。
 いちばん利用している機能は、時計である。昔から時計を持つ習慣がないので、街で歩きながら店先を覗き込んで時刻を知っていたが、いまはこれである。
 携帯電話をいちばん必要としたときは、超高齢の母がそろそろ危ないころだった。それが終わった今は、こちらが危なくなって必要を感じているのが、哀しくも可笑しい。

 TVを見る習慣がないからワンセグなんていらないし、買い物もめったにしないからおサイフケータイなんてアホらしいし、写メールもデジタルカメラとPCで十分、なにがスマートフォンだよ、いらない機能ばかり売りつけようたって、そうはさせるもんか。
 白状すれば、softbakaを嫌いなのでこれまで買わなかったのだが、doromoがiPhoneを売ると聞いて、あ、買い換えようかなと思った。
 だが、こんなに世界中で毒林檎中毒小人がいると知って、ヘソが曲がってしまった。
 ふん、一緒にされたくないぞ、買うもんか。
 

2013/09/21

836【横浜ご近所探検】恨めしオコゼ、絶品料理サンプル

 右足親指の爪が肉に食い込んで化膿、外科医院で切開して爪切りをしてもらった。自分で自分の身体を攻撃する自傷作用とは、これも老人力のひとつだろうか。

 医院から帰りの道々、横浜橋商店街を徘徊、魚屋でオコゼが恨めしそうな顔をして売られている。

  ちょっと休んでいこうかと喫茶店のショーケースを見て、そのサンプルの作り方のうまさに驚く。
 これほど上手に、いかにも不味そうにつくるのは、かなりの技術がいるだろう。つい、本物の料理を並べたままに、月日が経ったのかと思った。



2013/09/18

835横浜港景観事件(14)あの結婚式場が姿を現したがどうもつまらない風景だ

 ようやく暑さも控えめになった日、みなとみらいホールに出かけた。
 途中の桜木町駅前からみる新港の風景の中に、例の景観問題になった結婚式場の工事用の囲いが取り外されて、その華麗なる?姿を現しているのであった。
 ほお、これがあの騒ぎの結果であるかと、日本丸パークからしげしげと眺めたのであった。
 まずは汽車道からの新港、北仲にかけてのパノラマをご覧あれ。

 記憶を戻して、例の結婚式場の最初に事業者から出された絵である。これが横浜市都市美対策審議会でNOと言われたのであった。設計者は清水建設である。

 その案をもとに横浜市当局と事業者が調整して、結論としてGOとなったのが、この絵↓である。上の絵とはどこが違うか、クイズになる。

  そうして、今、これが現実に姿を見せた実物である↓。さて、上の絵と同じだろうか。

 わたしの第1印象は、計画時に示されていた絵よりも、なんだかボケているなあ、であった。色もメリハリがないが、建築の形もごたごたしていてメリハリがないのである。
 隣のワールドポータースの建築デザインは、なんともまとまりがないが、その延長上でまたゴタゴタデザインが登場した。なんだか増築に見えるが、それは相互に商業的には成功かもしれない。

 どうもつまらないのだが、なにが詰まらないかと考えて、いわゆる遊園地型の商業建築としてのデザインを狙ったのだろうが、万事中途半端なのである。いろいろな形態が登場しているのだが、その間に統一感はないし、ひとつひとつにも美しさに欠ける。
 かといって、異なるものの組み合わせによるポストモダンやハイブリッドのもつ面白さもない。
 全体的にプロポーションがよくない。基壇部とその上という二つに分けているのだが、その間のプロポーションが悪いし、基壇上部の建築プロポーションもよくない。

 どう見ても、お隣の遊園地にある大観覧車と一体になった遊園地施設である。その点では、周辺景観と調和していると言える。
 以前に観覧車を人質にとったデザインだと批評したことがあるので、もしもこの観覧車が無くなったらどうなるか(仮設だから)、いたずら戯造をやってみた。
 おお、なんだかしまりのない風景になったなあ。あとからあとから増築を重ねた旅館のようである。悪い景観が出現したというよりも、つまらない景観になってしまった、というところだろう。 
     
   ちょっと悪乗りして、こんな戯造をやってみた。
 ふふふ、もしも、こういうのが出てきていたら、どうする?

もうひとつ悪乗り、こんなのだったら?

だんだん過激?になる 結婚式場に洲崎弁天復活か
  
ついでに右のほうにも、へへへ

参照:これまでのこの件のブログ記事
723横浜港景観事件(13)キリンが見ている横浜新港の結婚式場工事
660横浜港景観事件(12)ほぼ当初計画でGOサインの結婚式場計画
647横浜港景観事件(11)新港地区という島全体をどうしたいのか
646横浜港景観事件(10)横浜の景観行政見に新港地区へ
640横浜港景観事件(番外2)建築家の言うことはよくわからない 

634横浜港景観事件(番外)神戸の港でもコスプレ建築の結婚式場が
633横浜港景観事件(9)新港登場「新擬洋風」建築は新ランドマークか
632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島かと思ってたら
628横浜港景観事件(7)現代の結婚式場は鉄柵の中の異教徒礼拝所
                                        
                
626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思うけど、
624横浜港景観事件(5)ラブホは愛の空間、結婚式場は幸福の時間
623横浜港景観事件(4)幸せと愛の空間は教会と城郭と神殿にある  

622横浜港景観事件(3)隣の遊園地と景観的調和を図りました
621横浜港景観事件(2)下手な模倣デザインをするなとデザイン指針
620横浜港景観事件(1)かの有名な横浜市の景観政策が座礁気味 
 
599横浜港景観事件(序2)非日常・異日常そして日常の風景
592横浜港景観事件(序1)市場における都市美とは?

2013/09/12

834【横浜ご近所探検】金庫屋さん、未来はない住宅展、タダ乗りデー


 街をふらふら徘徊すれば、ヘンなものに出くわす。

 道をはさんで左に「城南信用金庫」の看板、右に「山形金庫」の看板。
 はて、どう違うのか違わないのか。

 
 道端にポスターが貼ってある。「カーフリーデー」だそうである。カーとは自動車のことかしら、フリーとは自由とか無料のことかしら、デーとは日のことかしら。
 ということは、9月22日はバス代とタクシー代が無料乗り放題になるんだな、ありがたい。

 地下鉄に乗ればぶら下がり広告に、「未来をのぞく住宅展」とある。
 うん、そりゃそうだ、過去と現在の住宅は展示できるけど、未来を展示することは不可能だから、わざわざ「除く」と言わなくても当たりまえだろうに。