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2023/11/23

1747【酉の市風景】かの遊郭時代の歴史的空間が毎年霜月に時間限定で出現

 いつものように遠まわり買い物徘徊に出かけた。脚力維持のために、わざと遠い商店街に遠回りして行ってくるのだ。なお、脳力保持のために、わざと長たらしくこのブログを毎日書くのだ。

 商店街の裏のいつもは静かな都心部住宅街が、大雑踏で屋台群が立ち並び喧噪極まりない。あ、そうか、今日はあの神社の酉の市であったかと気が付いた。コロナ中はほんの小規模であったが、コロナ退散で去年から大雑踏復活になった。

 どこから湧いてくるのかこの人並みの多さ、そしてこうも雑多な屋台群もどこに隠れていたのかと思う。食品を焼くにおいが雑踏に充満する。そしてキンキラ熊手を売る店も立ち並んで、売れるごとに「お手を拝借!」と両手を打ち鳴らす賑わい。

 どれもこれも初めて見た20年前とちっとも変わらない、あまりにも日本的な風景である。変わったのは、あれから確実に一世代分の歳をとったわたしであり、久しぶりのこの超雑踏を歩くのが怖くなったのだ。そう、周りの人たちの予期しない動きに、こちらのヨロヨロ足がついていかないのだ。早々に退散するしかない。










  今日は平日なのに、小学生たちが大喜びで走り回っている、コロナが明けて親たちも喜んで鷹揚なものだ。なんて思ったら、なんと今日は勤労感謝の日なる祭日であった。そう、その日であることはPCのカレンダーでわたしも知っていた。だが、近頃は祭日は毎年動くので、記憶にある祭日を信用しなくなっているのだ。

 最近では敬老の日も9月15日ではなかった記憶がある。ではなぜ勤労感謝の日は動かないのかしら、動く祭日と動かない祭日があるなんて、不公平である。今日のような日に、また動いて平日だろと思って医院とか区役所に行くと、ひどい目にあう。全部動くか全部動かぬかどっちかに決めろ!。

 静かな都心型住宅街が、突然に非日常の賑わい空間に年の暮れ近くのこの日の(年に2日または3日)だけ変身するのは、実に面白い。この辺りは今は2階建ての仕舞屋と高層共同住宅ビルが混じる住宅街になっているが、実はここの街は戦前から1956年までは横浜永真遊郭だった。その名残は十年くらい前までは風呂屋と婦人科医院があったが、いまでは数軒のラブホテルのみになった。
 思うに、この酉の市の日の賑わいこそは、あの横浜遊郭の雰囲気を伝える唯一でしかも時間限定で復元的に出現する歴史的空間かもしれない。

 20年前に撮った、今と全く変わらぬ風景をのせておく。




(20231123記)

参 照
2022年の酉の市 ・2011年の酉の市 

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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
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2023/11/21

1745【ぶら下がり健康法か】街なかの小公園に鳩のウンコに烏の針金の巣そして私の鉄棒

 日々の徘徊のたびに通る小公園には、ぶら下がって身体を延ばすのにちょうどよい高さの鉄棒がある。よく利用する。
 鉄棒体操とか懸垂とか逆上がりとか、子どものころにやったことをやるのではない。いや、もうそんなことはできなくて、ただただぶら下がるだけである。

 ある日もいつもの様にぶら下がり、ひょいと真上を見あげた。公園には欅の木が大きくそだち、枝と葉をを広げている。見上げる枝に鳩がたくさん留まっている。
 アッと気が付いた、あの真上の尻の穴が見える、奴が糞をしたら面倒なお土産が来る、と。早々に鉄棒ぶら下がりをやめたのだった。



 この公園の欅の木には、それぞれ別の3本の木の高い枝の間に、烏が作ったらしい巣がある。よく観察しなければ存在が分からないのだが、わたしは鉄棒にぶら下がりながら発見した。巣としては不細工な作りである。

 その巣の材料が、なんと針金であり、しかもそれは洗濯物ハンガーである。田畑があれば藁や草や小枝で作るのだろうが、ないからとてハンガーとはなぜだろうか。あの形のままに組み合わせるのだから、どうも巣にまとまりをもたせることは不可能だろう。居心地悪い巣のようだが、それで子育てしているらしい。
 せめて小枝にしてはどうかと思うのだが、都心のカラスは火災に備えて不燃性材料にするのだろう。あ、そうか、外装は針金だが内装は小枝かも知れないが、見えない。

 このぶら下がりを、もう20年くらい2,3日に一度はやっている。そうやって自重で身体を延ばすのは健康法らしい。経験的には腕や肩が痛いということがなくなっていくのだ。ぶら下がり健康法なるものが昔にはやってことがあるが、それなのかもしれない。

 面白いというか悔しいのは、この20年間に同じ高さの鉄棒でやって来て、次第に手が届きにくくなることである。昔はちょっと爪先立ちすれば鉄棒に届き、しばらくぶら下っていると、靴ばペタンと地面につくようになっていた。つまり背が伸びるのである。
 ところが今では、うんと背伸び爪先立ちしないと届かないし、次第に足が地に着くようなこともない。ということは、歳のせいで背丈が縮んでもう伸びようがないのであろう。そういえば身長を測った記憶がもう何十年もないなあ。

(20231121記)

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2023/11/20

1744 【まだやってる紅白歌合戦】TV見ぬ老人でも名だけ知る歌手10人、いまに紅青白歌合戦になるか

 個人的にはなにも感じないが、クリスマスとか年末が近いらしい。

 クリスマスが近いということについては印象深い記憶がある。
 あれは30年も前だったか、仕事でヨーロッパのあちこち訪問する旅があったとき、仕事とは関係のないウィーンに泊まった。11月25日の夜のこと、前の日までは静かだった街が、その夜から電飾がきらめき、街の広場は明るく照らされて沢山の屋台が出ている。

クリスマス市が立つウィーンの電飾 1994年11月25日

 クリスマスのちょうど1カ月前の今日から、クリスマス用品を一斉に売りだす習慣があるのだ。街のあちこちの広場に市が立つし、商店街はイルミネーションの飾りつけで明るい。それはクリスマスがもうそこにやってきたという、期待のある賑わいの雰囲気だった。
 そうか、キリスト教の国の街ではこうやるのか、さすが日本ではやらないなあ、日本のお正月飾りのようなものもあり、けっこう珍しくも楽しかった。最近は日本でもやっているのだろうか。

 日本では年末が近いとて、例の今年の新語流行語大賞候補の発表とか、年末恒例のNHK放送の紅白歌合戦出場者発表とかがあると、若干は季節の節目を感じる。
 だが、わたしはTVを全く見ないから、紅白歌合戦なんて忘れてしまった。今日の新聞の漫画にその話題が載っていて気が付いた。

 ネット検索して、今年の紅白歌合戦出場者名簿を探し出した。その番組を観ようというのではない。この漫画や新語流行語と同じで、わたしが出場者とかその歌とかをどれほど知っているかを調べてみたかったのだ。

 その結果は、意外と言うべきか、少しでも知っていた人たちがいたのが奇跡のような感である。
 全出場者数44人(組)のうち、名前を聞いたことがあり歌も何だったか聞いた記憶があるお方(印)はわずか3人である。
 名前だけは聞いたか読んだかした記憶があるが、歌は全く記憶にない人(印)が7人、後は全く名も歌も知らない。

 TV観ないから当然のことに惨憺たるものだが、わたしとしては少しでも聞いたことある人が、10人もいることが驚きであった。
 それにしても紅白歌合戦なんて、少年のころに聞いたような記憶があるが、何時からやっているのかしら。
 そう思ってネット検索したら、なんとラジオで1951年1月からとあるから、わたしの記憶は正しい。5球スーパーラジオだったかしら。

 さらに続くとすれば、近いうちに歌合戦になるだろう。男と女とを別の組にし分けて競わせることに、異議を唱える人たちが必ず登場してくるに違いない。世に性別で競う遊びや文化はたくさんあるが、これから面白いことになりそうだ。

(20231120記)

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2023/11/19

1743【都市の高齢化率比較】歳取ればどの街に住むのが得なのかとZOOMで考えた

●年寄りにはZOOM同期会が適している

 リアルに出会ってやる飲み会とか同期会とかは、この4年間コロナで止められていたが、コロナが終わった(らしい)からもう解禁である。
 ところが、コロナ期間中に同期仲間は後期高齢者から末期高齢者に突入してしまった。そこで起きたのが、高齢化による身体やら家族やら、でいろいろな不都合なことである。コロナが終わっても、リアル飲み会の復活は無理になってきたのだ。悔しい、コロナの奴に腹が立つが、どうにもしょうがない。

 そこで登場したのがコロナ中にビジネス世界で大流行のZOOMである。それを動けぬ老人たちの遊びに取り込んだのである。ヒマツブシばかりではないが、それに近いことをだらだらと、同年のヨイヨイ同期生たちとPCに向かって話すのである。

 その老人無駄話ZOOMを、これまで1年ほどあれこれやったが、これははっきり言って、老人のボケ対策にまことに有効であると分かった。老人のボケ防止と言うか、ボケ進行遅延策と言うか、あるいは社会復帰の機会になるかもそれない。

 同じ釜の飯を食った大学寮仲間10人前後で、毎月2回の定例ZOOMである。話題はその時の持ち回り担当者が適当に決める。みんなにアンケートで話題を組み立てることもある。
 つい先日のZOOM話題は、「先般、敬老の日があったが、自治会とか自治体とかが、何かお祝いのようなことをしてくれたか」というものであった。

 参加者がそれぞれ自分の場合を話したのだが、内容はわたしのような「全く何もない」を最低にして、最高は「外国旅行券(くじびきだが)」というのまで、各種各様で地域の貧富の差というか、コミュニティの緊密度と言うか、それぞれだった。
 饅頭を10個ももらって老夫婦で20個もどうするかと問題にもなったとか、羨ましい話もあった。それらの話は措いておく。

 ZOOM参加者はみな85歳前後の後期高齢者どころか、今や末期老齢者になりつつあるものばかりである。本州の東から西へ11都市の11人、太平洋を越えたCALIFORNIAから1人であった。男ばかりというのが当時の理工系大学の様相だ。

●年寄り日本列島

 わたしが個人的に気になったのは、それぞれの暮らす街には、高齢者はどれくらいいるものかということである。そこでそれぞれの住む自治体の人口統計をネット検索して、参加者の住む都市の高齢者比率を比べてみることにした。それがこの表である。


 東から西へ並べた。大都市から小都市までそろっていて、高齢率も様々で面白い。久しぶりにこんな表を作った。少し驚きつつ、ほう、日本の高齢化はこうなのかと眺めてみた。なお、こっれらどの都市にも仕事か遊びで訪れたことがある。

 昔々、日本全体の人口のうち65歳以上が7%になると高齢社会に入り、その倍の14%になると高齢化社会に入ると、勉強したものだった。そしてある時14%になって、おやおやと思った記憶があるが、今調べたらそれは1995年のことだった。そうか、直接関係ないが、その年は阪神淡路大震災があったなあ、その年に死んだ父親よりも長生きしてるなあ。

 なお、7%を越えたのは1970年だそうだが、そのときの記憶はない。若くてあまり老人のことに気が回らなかった証拠か。2倍になるのに四半世紀かかって、今や28.22%だから酷いもの、いや、すごいものだ。
 なお、21%を超えると超高齢社会と呼ばれるそうで、わたしもそれに立派に寄与している。まさにその時代にいるのだ。

 高齢者を分類して、65歳以上~75歳未満を「前期高齢者」といい、75歳以上85歳未満を「後期高齢者」と政策的に言うそうだ。では85歳以上を何と言うか。政策的には超後期高齢者と言うそうである。
 でもこれはあまり聞かないなあ、わたしは語感から言って末期高齢者」と言えばよいように思う。末期とはマッキと読むが、マツゴとも読めるから適していると思う。

●年寄り比率の意外な都市

 こうして11都市を比較して見て意外に面白方。
 浦安市は高度成長時代に東京湾を広大に埋め立てて市域を5倍ほどにも広げ、隣接する東京都区内からあふれる人口を計画的に受け止めた。若い人たちやってきたから、いまも高齢者比率が低い。日本一の若い都市である。
 なお、わたしは1970年ころから10数年、浦安市の埋め立て地に何にもない頃から、都市計画の仕事として土地利用計画を作り、ディズニーランド周辺構想にも関わった。懐かしい街であり、それほどにも若い街であるのだ。

 関東の南近郊都市の横須賀市が、意外に高齢都市であるに驚いた。ここも80年代初から90年代末ころまで、仕事で都市計画にかかわった懐かしい都市である。
 この横須賀市に高齢状況が似ているのが、阪神の近郊都市の宝塚市であるのも意外だ。どちらもイメージが良い巨大都市近郊都市なので老後に住みに来る人が多いのだろうか。

 三鷹市宝塚市は地政学的に似た立地と思うのだが、宝塚市の方が高齢化率では大きくリードするのはなぜだろうか。
 同じ東海道筋の都市でも、三島市豊橋市の違いはなにだろうか。豊橋の方が若いのは工業化かによる違いか。
 韮崎市三次市は、いずれも地方小都市であり、予想通りにずれも日本の典型的な高齢化と人口減少中である。どちらも山間部の盆地都市であることが似ている。

 私が住む横浜市中区は、大都市としては古い都心部だから高齢化率が高いと思っていたが、意外にそうでもないのである。都心部だけに人の出入りが多いのだろうか。
 これらいろいろ私が意外に思うことは、人口学者には常識的なことかもしれないが、ちょっと興味をそそられている。

 年取るとどこの町に住むのが得だろうかと昔から考えていて、高齢者仲間に入ると同時に今のところに移り住んで20年になった。個人的には生活圏としては移転成功したと思う。
 しかし、あまりにも課題が多く積み残し過ぎているのが今に日本の居住政策だ。いや日本には住宅政策はあったが、居住政策はなかったし、いまもないと思うのだ。

(20231119記)

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2023/11/17

1742【難病再来?】ふた昔前の記憶にある痛みが身の内よりまた湧き出てくる不気味さよ

 あれ?、また例の難病か??、10日ほど前から、左の尻の奥の芯のあたりが、何となく痛むのだが、実はこの場所でこの痛み方には、苦い記憶がある、あの時によく似ている。

 それは2002年から2年間ほど悩まされた、不治の病と医師に宣告されたのに、実は自然治癒してしまったという、妙な誤診事件である。
 その病名は「大腿骨頭壊死症」であった。これな治療が公費負担されるほどの難病である。これが別の病目になって治ったのだ。

 仕事が忙しかった頃なので、痛みを辛抱して杖を突いて、全国各地のどこにでも出かけていた。医師は言う、今は痛くても歩ける、そのうちに股関節がぐじゃりと潰れて歩けなくなる時が必ず来る、今のうちに手術して金属製の関節に取り替えておくこともできる、などともいう。

 そういえば母の骨上げをしたときに、人工関節のセラミックボールが、きれいに焼け残っていた。母の様に手術するかな、どうしようかなあと悩みつつ、忙しい日々を過ごして半年ほどたった頃から、次第に痛み薄れてきた。医師が言う不治の病が治るはずがないからと、それでも杖を離さず、骨の壊死破壊を恐れつつ歩てていた。

 そして発病から1年半後のある定期診断の日、それまでとは別の医師がでてきて、おもむろに言った。これは病名が違っていた、実は「大腿骨頭萎縮症」と言う病で、数カ月で自然治癒する病だ、と。妊婦がかかりやすいとか。
 え、え?、ほんとう?、オレは妊婦か?、大逆転というか、地獄から突然天国へと言うか、いや、なんでもいいや、治ったあ~。

新旧杖2本
 つまり、もう痛くないないということは、とっくに自然治癒していたのであった。大誤診であると言うべきか。あまり落差にちょっと呆けつつも、良いことなので医師の気が変わらないうちに病院を逃げ出し、ニヤニヤと笑いつつ、杖を肩にかけて帰宅したのであった。

 さて、そんな体験のある病が、またも舞い戻ってきたのだろうか。日々少しづつ痛みが増してくる感がある。だが、これが大腿骨頭萎縮症ならば、この前の様に放っておけば自然治癒するのだから、半年ほどの辛抱ですむだろう。

 だが、もしも今度こそ骨頭壊死症ならば、ある日歩けなくなる。今の段階で医師の診察を受けて、骨頭壊死症と言われても、あるいは萎縮症と言われても、どちらも信用できない。いや壊死症と言われても絶対に信用したくない。

 ということは、要するにまだ当分は医師に見せたくないということだな、まあ、20年前と比べるともう末期高齢者だから、たとえ手術すると言われても、もう体力がないから無理だろうし、手術したとしてもすぐに死ぬ時が来るから、コストパフォ-マンスが悪すぎる。

 と言うわけで、近頃また20年前の杖を出して使ってみている。不治の病を治した縁起が良い杖だからとゲンをかついでいるのではない。
 今や老いと言う病で脚がふらつき気味なのを、杖でサポートする身になっている。ウォーキング遊び用の杖をそのメインにして、20年前の杖も予備としている。

 実はやってみて、老いの杖曳きは道を譲られる確率がかなり高い。こちらは譲られるほどのよぼよぼでもないのになあと恐縮がっているのだが、病の故の杖ならば、なんだか堂々と譲られてもよい気がする。 

 なんてことをくよくよ考えてヒマツブシの種が一つ増えたので、ここに書いておくのだ。 

(20231017記)

関連ページ:
思い出エッセイ「杖」
にわか身障者顛末記:大腿骨頭壊死症難病誤診事件

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2023/11/16

1741【コロナ後廃頽】コロナ消えまた街にあの喧騒そして地球にひろがる戦火

 コロナでバッタリだった外国から日本にやってくる人たちの数が、ようやくコロナの前の水準に戻ったのだそうだ。このグラフの訪日客の全部が観光客かどうか知らないが、まあ、ほとんどがそうなのだろう。


 思えばコロナのおかげで、日本も静かになっていたのに、あの喧噪な人々がまたどどっとやってくるのかと思うと、うんざりである。典型的なのが、近所の横浜中華街である。
 観光業で食っている人達は良いだろうが、地域生活者にとってはちっとも良いことはない。まあ観光地帯に近づかけねば良いのだろうが、日々の徘徊で時には気になるので、どんな感じだろうかと野次馬に出かけては、毎度毎度のガキの騒ぎに辟易するのである。
 コロナ中は中華街も港あたりも、静かでよかったなあ。

人影まばらで静かな横浜中華街大通り 2020年5月

 この訪日観光客相手に儲ける観光事業関係者は、地域生活者になにか慰謝料と言うか、迷惑料と言うか、呉れているのだろうか。観光収入を基にする税金がまわりまわってこちらにも何か恩恵があるのかしら。気が付かないなあ。

 その一方で、日本の実質GDPはこの7~9月期では、マイナス成長だそうである。良く分からないが、この外来観光客回復とGDPダウンとは無関係なのだろうか。不思議である。


 そしてこのままいけば、名目GDPはインドにもドイツにも追い抜かれそうとあるのだが、これもどういうことだろうか。

 生活者にとっては、この数年間はちっとも豊かにならないどころか、むしろ貧乏になろうとしている日常感覚が、このように数字に現われるのだろうか。

 生活圏は観光客に荒らされるばかり、日常物価は上昇するばかり、年金は目減りするばかり、地球は人間がいがみ合い、空気は汚くなってきたし、こうなればもう超高齢者は生きているうちに、この先に良いことはなさそうな世の中である。まったくロクでもない時代を生きたものである。ヤレヤレ。

 それにつけても思うが、あの静かな街を懐かしいなあ、またコロナがやってくることを期待しているぞ!

(20231116記)

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2023/11/13

1738【外来白物家電】終活の最中なのに老朽洗濯機を買い替えたらチャイナ製がやってきた

 とうとう新しい洗濯機がやってきた。それがなんとチャイナ製品である。
 ひと月前にこんなブログ【ハイテクも歳には負ける】を書いた。13年前に買った洗濯機が壊れた話である。

 自動注水機能が故障したので、人力注水などしてだましだまし使いながら思案していた。これを買い替えてもまた13年先まで使うことは、確実にない。いや、新品買った途端に不要になる恐れもある。終活中なのに新品買ってどうする、などなど。

 かといって今更に盥で手もみ洗濯もできないしなあ、いや、できなくもないかな、もう年取って運動量が少ないから汚れ物は少ないからなあ、いやいや、これから介護段階になるともっと多くの汚れもの出るかなあ、なんて、どうでもよいことを悩み楽しむのである。

 ネットや近所の電器屋で、なにか安いいいやつはないものかと、探す楽しみもやっていた。意外にも近所にたくさんの古物屋、いまではリサイクルショップと言うらしいが、そこで中古洗濯機を売っているのも見つけた。ほう、こんなところにもあるのか、いつも前を通るのに気がつかなかったのは、用がなかったからだ。

 そうして1カ月、結局は近所の大型電器店で一番安いヤツを買ったのが、ハイアールなるチャイナメーカー製品だった。これまでいわゆる白物家電でうちに入ってきたものは、すべて日本メーカー製品だった。初めてのチャイナ製品である。小物の電気製品はチャイナ製がちょこちょこあるが、、。

 昔々1950年代から70年代だろうか、日本製品は安かろう悪かろうの国際的な評判であった。金のあるうちではアメリカ家電を買ったものだ。そのうちに日本製品の質が上がってきたら、次はコリア製品が安く入ってきた。これが次の安かろう悪かろうの評判であり、それにチャイナ製品が追随したものだった。

 しかし今では、コリアもチャイナも技術向上で品質が良くなってきた。なにしろその大陸や半島のメーカーたちは、U.S.A.や日本のメーカーを買収して製品を作るようになったからだ。ハイアールはいつだったか日本の三洋電機の白物家電を買収したから、うちに来た洗濯機は実はサンヨーの洗濯機なのだろうか。
 こうして安かろう悪かろうの波は、日本から半島へ大陸へと西へ移っていったが、今はもっと西の方に行ったのだろうか。例えばインドとか。

 やってきた洗濯機だが、白物であるがどうも白物過ぎるのだ。表示がすっきりと統一されていて、ひところのモダンデザインなのだ。年寄りにはどの表示も同じに見える。どれが何か迷う。

ハイアール製洗濯機

 どこから押せば洗濯が始まるのかもよく分からない。そこで、とりあえずスイッチにフェルトペンで丸を書いて番号を付けておいた。モダンデザインだいなしである。
 まあ、洗濯機なんてどのメーカーも同じようなものだろう。適当にやっていればそのうちに分かるだろう。でもなあ、こちらのボケる方が先にくる恐れもあるよなあ。

(20231113記)

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2023/11/12

1737【老いとネット】八十路半ばヨレヨレ学校同期仲間ZOOM交流にも迫りくる老い

 高齢者にとって、ネット社会は果たしてよいものかどうか、考えることが多い。とくに例の変な名のマイナーカードによる、何でもかんでも取り込もうとする政府の暴走騒ぎで、思うことが多い。

 わたしとしては、人生がネット社会に間に合ってよかったと思っている。年寄りになって動きにくくなっても、ネットシステムを使って、あれこれ情報を手に入れ、情報発信し、情報交換することができる。よほどのことでもないと図書館に行かなくてもよくなった。USAにいる友人とも気楽に話し合える。

 わたしと同年代の人たちとの情報交流も、いまではネットを使っているから、ネットの無い時代と比べると格段に長い期間の交流が可能になっている。同年仲間は1930年の半ば以降の4年くらいの間の生まれだから、今では八十路の半ばあたりにいる。ネットへの親和性の有無は半分半分くらいだろうか。

 わたしの高校から大学時代までのいろいろな同期生たちとの交流は、実物の顔を合わせる同期会から始まり、当初はもちろん電話と手紙で連絡しあっていた。
 それが21世紀になってからはEメールを使うようになった。これによって格段に連絡しやすくなったが、一方でこれを使わない(使えない)人たちが、急激に疎遠になって来るという弊害もある。

 このわたしの同期生仲間は、高校、大学専攻コース、大学寮、大学運動部のそれぞれにメーリングリストで4グループがあるが、それらの人数を合わせると現在計109人になる。もちろん当初はもっといたが、死亡脱落等がじわじわと進んで来ている。母数はよく分からないがそれら合わせて300人以上いただろう。
 これらの間にメールが行き交うのだが、実際は積極的に発信する者はそのうちの1割くらいなものである。その他は読むだけ、もしくは見てもいないかもしれない。

 それらのメール仲間でほかのネットツールを使うものは、ごくごく少数である。ブログのようなネットページを発信する者はわたし一人だけのようだ。フェイスブックを使っているものが、確認できるだけで5人のみである。Twitter(現)など他のSNS利用者はいないようだ。ラインの利用者は結構いそうだが、最近わたしがやめたので数を分からない。
 
 その中でZOOMを利用するものが20人いるのが、意外と言えばいえる。これはコロナ中に年寄り外出が極端に制限されたことから、仲間の一部がこれを使って同期会をやろうと頑張って、仲間を誘い込んだことによる。
 なかでも活発と言えるのは、月に2回の定例ZOOM会をやっている大学寮同期仲間である。同じ釜の飯を食ったというしがらみが働いているのかもしれない。

 とにかく外出しなくても仲間と無駄話できるのが、八十路のヨロヨロ高齢者にはまことに都合がよいのだ。更にすごいのは、太平洋へだてた仲間も顔を見せて一緒に話すことだ。

八十路半ばヨレヨレ仲間のズーム談議風景

 しかし好事魔多し、ズームにも老いが迫り来る。そう、難聴だ、目がかすむ、指が震える、忘れてたなんてことで、ZOOMから脱落せざるを得ないことが起きるのだ。ボケや死で脱落は仕方ないが、その直前まで何とか続けたいものだ。
そこで待っているのだが、目や耳や指が不自由でもできる超高齢向けバージョンアップしてほしい。ZOOMでなくても同じようなものでもよいのだ。
 いろいろなハードウェアには高齢者対応製品が出てきているが、PCソフトウェアにもシニア・アプリケーションがあってもよい時代になっているのだ。

 
 

(20231112記)

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2023/11/08

1733【史上最高暑い夏】コロナニモ夏ノ暑サニモマケズ生きのこる老いの柳腰

 言われなくてもそんな気配があったが、今年の地球の気温は、1940年以来の史上最高だったと、EUの気候情報機関が発表した。地球の平均気温がどんどん高くなっているのだそうだ。このままトレンド通りに上昇ると、いったいどうなるのか。


 そもそも平均気温とはなんだ?、世界各地の毎日の気温を記録して、それらの平均値をとり、それの1年分の平均値をとるのかしら。そこには人間が住むことのできない場所の温度も含まれるのだろうあ。分っていないが、まあいいや。

 過去最高ってやっぱりなあ、とは思うものの、本当かしらとも思う。そもそも人間が暑い寒いというのは、人間の感受性を基準とするものだ。そう、気温が高いから暑いのではなくて、暑いから気温を見ると高いと知るのだ。人の個性によって暑い寒いは異なる。温度の高低と暑さ寒さとは一様に連動しない。

 とすればこの新聞見出しの「史上一番暑く」とか、文中の「2023年が記録上最も暑い年なる」とかの記述は間違っている。「史上一番高気温」とか「記録上最も気温が高い年」というべきである。ま、どうでもよいことだが。

 現にわたし個人の皮膚感覚として、今年が最も暑かったとは言えないようなのだ。わたしの夏の暑さを客観的に表現するのは、自室のエアコンである。ここに住みだして20回の夏を過ごしたが、昔の方が冷房にした夏の日がはるかに多かった。今年は冷房にしたの日は5回もなかった。

 住んでいる住宅ビルのまわりの環境は変わらないから、今年が特に暑かったのではないと客観的に言うことができる。これはおかしいと言うべきであろうか。
 よくよく考えてみると、住いのハードウェアとしての物理的な環境は変わらないのだが、そこに住んでいる自分の身体が変わってきているのであった。

 そう、後期高齢者ともなると、身体の感受性が衰えているに違いなくて、当然に温度への感度が鈍り、当然に夏の暑さも感じなくなる。そうに違いない。「老人には暑さ寒さがこたえる」と言うのは嘘と、身をもって実証している。暑ささえも柳腰でやり過ごすのだ。

 と言うわけで、今年の夏も、自分が気が付かないうちに熱中症になり、コロリと逝くかと期待していたのだが、コロナニモ夏ノ暑サニモマケズに生き残った。
 気温が高いことと暑いこととは違うことなのだと、改めて思う。

(20231201追補)今朝の朝日新聞に同じような記事があるので記録のために載せる。


2023/11/06

1731【分らぬ宗教と戦争】ほのぼのとコロナ世の暗夜明けゆけば いくさ世の暗雲立ち込める見ゆ

ウクライナとパレスチナの紙面での扱い
 なんともはや、コロナが落ち着くと戦争と政争との地球が浮かびあがって来た。
 その戦争もつい先ごろまではウクライナ可哀そうロシヤ憎しばかりだったようなのに、今やパレスチナ可哀そうイスラエル憎しにどんどんと傾くのである。

 ますます可哀そうなのはウクライナである。もう新聞やSNSの片隅にしか出てこない。あれ、あの戦争はついに終ったのかと間違うほどの、このところのウクライナ登場の少なさである。

 ゼレンスキー氏がイライラらしているに違いない。でもよく分からないのは、彼はイスラエルに味方すると言ったそうだが、それって自分ところの戦いに武器支援してもらっている大スポンサーのU.S.A.がイスラエルの味方をしているから、そっちにつくしかないのだろう。
 戦争当事国が別の戦争の国への対応は、なかなか政治的に難しいだろうなあ、気の毒になあ。

 こんなマップをネットから拾ったが、なるほど地球の人間は大きく5宗教に分かれて、あちこちでいがみ合っているのか。困ったもんだ。
 特に緑と水色の二つのキリスト教系と、赤色のイスラム教系との確執が高いらしい。なぜいがみ合うのか無宗教のわたしにはまったく理解できない。

 この地図を見ていて思ったのは、アフリカから中東にかけてのイスラム系レッドゾーンが、人口爆発を起こしており、その溶岩がヨーロッパに流れ出しているのだなあ、と見えることだ。
 もうひとつへえーそうなのかと思ったのは、ロシアの北半分はロシア正教ではないということ。人口は超少ないのだろうが、これってどうしてなんだろうか。

 いま、キリスト教系とイスラム系の争いの先端を行くのが、パレスチナ戦争である。これもそのあまりに深い歴史の底から始まり、近現代における植民地政策の原因と結果らしいので、東アジアの島国で育ったものには、複雑すぎてなにが何やらさっぱり分からない。

 ユーラシア大陸の端から端までなんだかんだともめていても、南北アメリカ大陸あたりは同じ色の系統だから比較的に平穏と思っていた。ところが世界の警察としてその平穏を保ってきたU.S.A.において、そのリーダ選びドタバタで民衆主義さえ危ういという。
 あの国がねえ、困ったもんだ、トランプなんて与太者ひとりにかき回されてなんて、あの国の人たちはいったいどうしたんだろ。俺たちは昔お手本にしたものだよ、嘆かわしい。

 こりゃもうもう地球はダメだな、人間どうしがいがみ合うところにもってきて、温暖化が進んで人間が住めなくなる地球になる方向にあるらしいから、もういいことはないね。早くオサラバした奴が勝ちですな
 コロナ後に良い世界が来ると思っていたのになあ、辞世の歌でも詠うか。
  コロナ世の後を継ぐらし戦の世 もはや地球に見切りつけなむ
(20231106記)


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伊達美徳=まちもり散人
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2023/11/04

1729【お願いだから元号やめて】役所が元号を強制して西暦を嫌うのは高齢者虐待か福祉か

 じつは老人問題についてもっと高尚なことを書くつもりで、厚生省とか総務省の高齢者人口を調べていたら、つい、腹が立ってしまってこんなイチャモン文章になった。

 ネットに出てくる人口統計のグラフはものすごくたくさんあるのだが、まずこんなものをダウンロードした。


 これがいつのグラフなのかしらと眺めていて、ふと気が付いたのは、「平成62年」と書いてあるのだ。わたしは昔から元号を使わない主義なので、平成ってけっこう長かったのだと思った。でもその数字の傍に西暦2040年と併記してある。未来の数字である。

 はて、じゃあ、これは平成62年も未来のことか、え、平成天皇はそこまで生きるのか、そんな年があるはずないだろ、そして元号はとっくに令和とかって変わってるのに、これはどうしたのだろう。
 政府の文書にありえない年代が堂々と載っている。虚偽そのものである。そこまでして元号を使いたいのか。
 グラフによる人口増減について調べることを忘れて、怒りが頭に登った。なんだ、このいい加減な年代は!、ありえない年号を記してはずかしいと思へ。

 ほかのダウンロードしたグラフも元号と西暦と両方書いてあるから、煩瑣で見づらくて仕方ない。そこで元号年を消してみたら、実にすっきりして見やすくなった。

 庶民のわたしでも日常に扱う羽目になっている、いくつかの政府機関や自治体機関等の統計ばかりか、書類に元号が書いてある。それがいつのことか分からずに迷うが、こちらが書き込む欄には、必ず西暦にすることにしている。

 以前には明・大・昭のどれかを選べと指示するる書類ばかりで、西暦を選ぶ欄がなかった。だからわたしは元号を無視して西暦を書いているのだが、それで突き返された経験はない(もしかして先方が抗議敬遠して勝手に書き換えているかも)。近ごろは元号でも西暦でも選べるようになってきて、なかには西暦だけになっている書類もある。じょじょに西暦化するらしい。やればできるのだ、はやくやれ。

 統計のような長い時間とか国際的な比較をするには、同じ時間の物差しを使うのが常識である。 
 日本人が世界史的歴史観に欠けるのは、元号で歴史を考えるからだろう。官公庁が率先して西暦にするべきだ。このグローバル時代に狭い島国根性のままでよいはずがない。義務教育で教科書はどうなっているのだろうか。まさか元号一点張りではあるまいな。

 わたしが昔から西暦を使うのは、その方が内外の歴史的事件を、あれは何年前だったかと計算するのが便利なためであった。
 昭和のころは和暦西暦換算式を覚えていたが、これに平成と令和の換算式が加わると、もうその式を覚えられない。もちろんそれにはわが頭の老いも加わっている。元号使用は高齢者虐待になっているのだが、役人どもは高齢にならないと分らないのであろう。

 このブログの2019年4月の記事に書いた和暦西暦換算呪文を再掲する。わたしは歳とって、もはやこの呪文を覚えることさえできず、おぼえていても暗算ができなくなった。

 和暦西暦換算呪文(元号年に括弧内の数字を加えると西暦年変換)
  ・明治いやむなしい(1867)
  ・大正ひどくひどい(1911)
  ・昭和ひどくにごる(1925)
  ・平成ひどくはんぱ(1988)
  ・令和じわっといや(2018)

 考えようによっては、この換算式を毎日頭の中で働かせて暗算していると、ボケの遅延策になるかもしれない。そうか、元号使用の強制政策は、政府による高齢者者健康福祉政策であるのかもしれないな、、。
 というわけで、これは2023年11月4日の記録である。

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伊達美徳=まちもり散人
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2023/11/02

1727 【老いの日々】老人がぶつぶつ解からぬ独り言をしゃべるのはボケの故ではないのだ

 太平洋を隔てた地に住む大学同期仲間の畏友が、こんなことをEmailしてきた。

ーーーーー

老人のボケ現象は、大きな化け物の如く、掴みようがない。
でも、人はそれぞれこの化け物に対処しているらしい。
私は、自分と話をする。

  独り居で声出し自分と会話するバイリンガルだと話がはずむ
            アメリカ 大竹 博(朝日歌壇・高野公彦選2021) 

キャリフォルニアでどこかへ出かけると、数時間運転しっぱなしでいることがおおい。
ただ運転しているとボケの化け物が意識に入り込んできて、邪魔をし悪さをはたらく。
そこで架空の助手を側に置き、一人で二人会話をはじめる。この状態を外から観察すると、
"気が狂った"様に見えるかもしれないが、とにかく面白いし、ボケ除けにもなっている。

言葉の選択も考えて、時には米語だけではなくて、日・独・仏の知っている単語を加えてバイ・リンガルやトライ・リンガルにする。
妻が外出して、独り居のときも同じようなことをする。

ーーーーーー

 これを書いてきたのは、文中にある短歌詠みその人である。大学時代の寮生活と登山の仲間で、今はUSA市民権を得てCALIRORNIAに暮らしている。
 この20年くらいは毎年のように訪日してきて、昔の山岳部仲間と飲み会をしていたが、この数年はコロナでそれが叶わなくなっている。だが、ネット時代だからEmaleとZOOMでのやり取りは頻繁で、年寄りにはまことに都合が良い道具だ。
 上記のようなことを先日書いてきたのは、わたしが同期仲間たち宛の下記のようなEmailへの返信の一部である。了解を得て引用した。

ーーーーーーー

 わがボケ遅延策にご助力を!    20231031 伊達美徳より

暑い暑いと言っていた夏がようやく終わったと思っていたら、もう11月ですよ、冬ですな、歳をとると月日が速く過ぎる。
そしてわが身の老い具合にも加速度がつく気配です。それに無駄な抵抗をしようと決心したのは、先ごろある契機で妻を介護する身になろうとしている現実を知り、これはもうちょっと生きねばならぬと悟ったからです。「願わくは花のもとにて春死なむ・・・」なんてうそぶいていられない。

そこで脚腰を保つために毎日の買い物を遠回り歩きすること、頭の中を保つために毎日わがブログに駄文泣き言を書くこと、とりあえずこの二つを実行してみることにしました。今日で2週間連続記録中です。
そしてお願いは、その毎日のブログ駄文を読んでいただきたい、できれば時にはコメントをいただきたいということです。それを毎日書くための張り合いにしたいのです。
恐縮ながら、わがボケ遅延策にご助力を、、、。

 ●ブログ「伊達の眼鏡」URL https://datey.blogspot.com/

年取りはコロナのせいで遠くに見聞に出る機会が激減してしまい、ブログに書く記事も昔のことを引き合いに出して、今の世にイチャモンをつけるしかない、なんとも情けないと思いつつ日々を送っております。
ではお元気でお過ごしください。

ーーーーーーーー

 ということで、老人が何か解からぬ独り言をしゃべっているのに出くわしても、あいつもついにボケた、なんて断定してはいけないのだ。
 今日のブログ記事は、太平洋を隔てる八十路半ばの老人二人の、コロナとネット時代における老境の記録である。

(20231102記)

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2023/10/26

1720【中越震災19年目のコメ】豪雪山村の棚田から毎秋にやってくる新米コシヒカリの美味いことよ

  新聞記事に、今年は異常に暑かったので、米の名産地新潟でも、品質の等級が下がっているとある。そのようなところに、越後の山村から、今年もうまいコメがやってきた。



 ここのコシヒカリの飯は実に旨い、冷めてもうまいのだ。その証拠にはこのコメを収穫す棚田は、有名なブランド米の南魚沼コシヒカリ産地に隣接するのだから、事実上は同じところである。

 その棚田のある集落の名は「法末」(新潟県長岡市)と言う。今から19年前の2004年10月23日の夕刻、大地が大きく揺れて、山地は崩れ、集落は崩壊した。中越大震災である。

中越地震による法末集落の大崩落

 その集落からこのコメはやってきたのだ。そう、法末集落も1年もの間、集落民みんなが避難していたが、いまや復興してまた米作りをやっているのだ。

 わたしは震災翌年からNPO仲間たちと一緒に、この住民100人ほどの集落の復興支援を手伝うようになり、次第に後退しながらも10年も通った。わたしたち仲間でできることは、その集落の生活仲間となって、一時避難で消えようとする集落の生活を、また元の様に戻そうとする人々を応援することであった。一軒の大きな茅葺屋根の家を手に入れて拠点とした。

 中でも耕作放棄されていた棚田を復活して、米作りをさせてもらったのは貴重な体験であった。NPO仲間の誰も知らない米作り術を、集落の人たちに手とり足とりで教わると、美味いコメができて嬉しかった。
 一方の教える集落民にも楽しいことであり、初めての収穫のときは集落の人たちを集会所に集めて宴会をして食べてもらったものだ。
 年中行事の復活など、多くの交流がここから生まれ、10年ほど素人米作りを伴う集落維持支援活動が続いた。

 その仲間のひとりが集落に居ついてしまい、米作りで生計を立てることなり、仲間で出資して営農会社を立ち上げた。その会社は今もつづいており、毎年秋に新米ができると出資への配当として5kgがやってくる。
 今年は異常に言暑い夏だったが、どうやら平年並みのできを保つとのことである。そして味は、やはりうまいのであった。でも、今年から3㎏に減配となったのが残念。

法末集落展望

 わたしは雪国育ちではないので、この集落が豪雪の地であり、毎冬2~3mの積雪が普通で、時には4mを超える雪に出くわす冬も体験して驚きつつ、雪国の暮らしに大いに興味を覚えたが、さすがに住みつく気は起らなかった。
 その真っ白な景観に魅了されたが、冬のほかの緑の景観はもっと素晴らしかった。春から夏そして秋へと移り変わる田畑や野山の日々の景観を、まるでわが身にまとっている日々は、実に楽しいものだった。冬にあまりに深い季節の底へと誘われたから、反動的に春夏秋が浮きたつ日々であった。

法末集落棚田の四季

 さてあの大震災から20年にもなろうとしている今、集落はまた静かに老いてゆき、耕作放棄の田畑も増えているらしい。農業会社はその棚田の耕作を引き受けることで、米を作り続け、東京で直接販売も手掛け、それが豪雪山村を維持しているようである。

 美味いコメを食いつつ、それを産むあの巧みな水利技術が支える美しい棚田に、新幹線で米作りに通っていたころを思い出し、集落人同様に老いたわたしはもう行くことはないであろうと考えている。あそこはもしかしたら、いったん出るともう二度とは入れない別天地はたまた桃源郷であったかと思うのだ。

(20231026記)

これに関連するこのブログの記事
・1496【中越大地震発災16年目】2020/10/23 
中越大地震被災山村復興お手伝い日録2005~2020 

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2023/10/23

1717【杖曳く身に】老いゆけば4本の足に杖5本ころばぬ先にも見えぬその先

 今やわたしには外出に杖が必要な身になってしまった。若い頃から歩くことだけわたしの取り柄であったのに、さすが八十路半ばともなると、時によろけるようになり、去年いつぞやは路上転倒してしまった。

左から百円杖、今や日常外出に曳く杖、妻が使っていた花模様杖

 そこでステッキと言うか、いやシュトックというか、要するに杖を曳いて歩くようになった。今年に初めころまでは時々に持ち歩いていたが、いまや外出に必需品となった。老いたものだ。 

 だが、今持ち歩き身を支える杖は、最近に購入したものではない。30年以上前から山登りに行くとか、同年大学仲間の歩く会とかで、歩き遊び用に持ち歩く為に持っていた杖があり、それを日常的に使うようになったのである。だから急に馴れない杖曳きを始めたのではなく、ある程度杖の使い方に習熟はしているのだ。(上の中央写真参照

 実は、ある時期だけ本当に足の病で杖を突いて歩いてことがあった。2002年夏から右足付け根が痛くなって、歩行困難になった。医者に診てもらったら、なんとまあ「大腿骨骨頭壊死症」なる不治の病と診断された。

  「今はまだ歩けるがそのうちにガクッときて股関節が壊れる」と言われて、恐れをなした。その頃は仕事で遠くへの出張が多い頃だった。いつ転倒するかとびくびくしつつ、杖を仕入れて持ち歩いていた。

  だが半年ほどたった頃、痛みがなくなってしまったのだが、杖を離さなかった。  1年経った頃、医師の診たてが変更となり、似たような症状の病「大腿骨骨頭萎縮症」とされて、これは放っておけば治癒する病であると言うのだった。

  ということはつまり、その頃はもう治っていたのだった。拍子抜けしつつも、まあよかったと思った。その杖を事件の記念として今も保存している。その杖は百円均一店で息子が買ってきてくれたのだった。御利益物である(上の左写真参照)。これについてはここに書いている。

  妻が10年ほど前に、外出に使うとて購入した杖は、花模様がついていた。わたしの百円杖とは品格も価格も段違いらしい。(上の右写真参照
  そしてわたし同様以上に老いた妻が去年から使い出した杖は、石突部分が四俣になってて、横に倒れにくい構造である。介護的要素が入ってきた。だがどういうわけかずいぶん重いので、それを嫌がっていた。(下の右写真参照

 そこで最近になって使い出した杖は、アルミ製らしくずいぶん軽いものだ。石突部分の四俣は同じだが、立ち上るパイプ部分が特異な形をしている。途中で横に左右に曲がりつつ立ち上るのだが、まるで蛇の鎌首だ。(下の左写真参照
 これは利用者が床や低い椅子に座った姿勢から立ち上がるときに、この曲った場所の水平部分を握ってつかう。介護用品そのものだ。そういえば街で見かけたことはない。
妻が使い出した介護向けの杖
 
 こうして年寄り2人の家には、その4本の足のために杖が5本もあるのだから、若い頃とは異なる用具が次第に増えてくるようだ。今のところは杖だけだが、そのうちにあれやこれや(いったい何があるのか?)と出現するだろう。そしてそのうちに、それらを使うわたしたちが消えてゆき、それらの道具も消えるのであろう。
(20231023記)

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2023/10/20

1714【救急搬送病院で看護師と口論】誰でもカメラ携帯時代に院内撮影禁止一点張りで素人患者は困惑

 先日のこと救急車に乗った。老家人が板の間で転倒し、後頭部を打って外傷出血、傷の場所が問題とて脳外科のある病院へと救急搬送された。


 その日の傷治療(二針縫う)とMRI検査、そして医師からの状況報告と、あわただしい日だった。負傷当人は特に問題なく日常生活に戻り、1週間後に抜糸もおわった。
 治療や検査についてはプライバシーなのでここには書かないが、看護師と口論になったことを、病院の運営として一般的にも重要な問題と考えるので書いておく。

 最初の救急搬送の日に、脳外科医からMRI映像をもとに説明を受けたが、1週間後の抜糸の日にもさらにMRI映像で追加説明を受けた。わたしは先日と同じように、医師の説明を聴きながら、その説明個所のMRI映像の写真を撮っていた。重大な話だった。

 後に立って見ていた白衣の看護師が突然に口をはさんできた。
「院内で撮影禁止なので写真を撮らないで下さい」
「え、だってこの前は撮影自由っだったよ」
「いいえ困ります」
「いいから黙ってみてなさいよ、患者家族のわたしには必要なんだから」

 医師が言う。「わたしが不注意だったので先日は寫眞OKにしましたが、今日はここまでは良しとして、あとは撮らないで下さい」
 看護師が言い募る。「必要なら有料ですがCDに焼き付けて差し上げましょう」

「あのね、今ここで先生が話し中の脳内映像が、そのCD映像のどこにあるか素人がこのシームレスな映像をみても探せないよ、ここで話を聞きつつその所を撮るしかないんだよ」
「なぜ写真が必要なんですか」
「わからん人だね、あのね、だって素人がこれらの映像と先生の話を、両方とも全部ここで記憶できるわけがないでしょ、それに家族の重要な脳内映像を写真に撮って、今日の先生の話と一緒に記録を作っておきたいのは、後のために当然ののことでしょ」

 医師が困った様子で、「では画像プリントを出しましょう」と白黒印刷紙を出してくれた。わたしはまだ言いたい文句があったが、医師に気の毒な感じがしてきてそこで引き下がった。
 だが、話し中だった医師の説明を聞くことができないままになった。いや、医師は説明を終えたのかもしれないが、わたしは怒りで忘れてしまった。同席の家族が聞いていたからいいようなものだが、看護師には怒りが残り不愉快になった。

 なお、持ち帰ったMRI映像CDを、うちのPCで見ても、あまりに多すぎる似たような映像情報であるために、医師の説明映像がどの部分であるのか見tけることをできないのだった。案の定だが、あのにっくきバカ女看護師め!

 院内撮影禁止は、プライバシーだらけの病院だからそれはわかる、だが今ここで写しているのは、わたし自身の家族のプライバシーである。なんの文句があるのか。
 病院宛にクレームを書いて送ってやりたい気分である。院内撮影禁止について、素人の患者と家族の身になって、その現実についてよーく考えろ、と言いたい。(20231020記)

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2023/10/19

1713 【吹けば飛ぶよな…】地球の西方で何百人もが戦争で死ぬ日々に日本の新聞は、、、

  

 これは2023年10月12日に、フェイスバカに書いた記事である。

 こんなことがなんで新聞のトップニュースなんだ?、世の中もっと大切なことがあるだろうに。

2023/10/12 各新聞のトップ記事

 いや、これは平和な世の中の証拠だから、と言うには、今の地球上はあまりにあちこちで戦争紛争や巨大自然災害が起きているのに、マスコミはボケているに違いない。 ここまでの一文は、先月9月9日にも似たようなことを書いたが、その時はジョニーとか言う芸人会社の社長が、美少年強姦魔だったという事件である。

 今回は吹けば飛ぶようなプロ将棋勝負である。なんでも誰かが8大タイトル全部を取ったとかって言う。そんなにたくさんタイトルがあるって、タイトルに権威がない証拠みたいだ。それぞれに企業スポンサーがついているらしく、読んでいて噴き出したのは「おーい、お茶」王位タイトルは茶業者がスポンサーのようだが、そのコマーシャル文句は旧弊な家庭内格差の表現だから今どきいかがかと思うし、駄洒落タイトルって権威ないよなあ、なんて将棋好きの人たちは思わないのだろうなあ。

 わたしはジョニーも将棋も囲碁もスポーも、見世物勝負ごとに興味がない。お好きな方はご勝手にだが、新聞の一面を占めるような(見ないけどTVもそうだろう)バカらしいことを、マスコミややめてほしい、購読料を返せ。 

 ここからは2023年10月19日に書く記事である。

 上の10月12日第1面トップ将棋記事新聞の第3面には、こんな記事があったのだ。

10月12日第3面の記事(朝日新聞)

 世界が注目している大事件、そして今日の10月19日には、ガザの病院が爆発して数百人が死んだという記事がある。



 そしてその爆発の原因者は、ガザのハマスに言わせるとイスラエルの空爆であり、イスラエルに言わせるとガザから発射したロケット弾による誤射、それぞれが非難の応酬、世界各国もそれぞれの味方になって政治声明とか、それぞれの味方をする市民たちのデモとか、いま地球は割れつつある。

 そんな時に、吹けば飛ぶよな将棋の駒いじりとか、美少年レイピストさわぎとか、マスコミの報道の重点がヘンだ、いや世間の目がおかしくなったのか、う~ん、そんなバカばかりの地球なら、大戦争が近いな。

 このところ毎日が、イスラエルのガザへの侵攻が、今起きるか明日起きるかのハラハラの日々である。USA大統領が大西洋を越えて、イスラエル訪問して応援すると言いつつも牽制して進行を遅らせる時間稼ぎとか、よくやるもんだと思うが、こんな危ない橋を渡るのは、世界の警察を今も任じているのだろうか。

 ところで、あのウクライナはどうしているんだろうか、新聞登場情報は激減したが、戦争が止んだのではないらしい。それがジャーナリズムと言うもんなんだろうなあ、どうもわからない。
 どうやら東ヨーロッパから中東にかけてが地球の火薬庫として、ウクライナを発火点となり、パレスチナは爆発起点となり、第3次世界大戦になるのだろうか。シリア、レバノン、イランなど、巻き込み巻き込まれて戦火拡大か?


 火薬庫から遠くのアジアやアメリカでは、その戦争に兵器供給で大儲けを企んでいる死の商人が多くいるに違いない。このところながらく地球各地に小戦争はあっても大戦争が無くて、各国がこれまで作り貯めててきた兵器が老朽化していたころだ。ここで世界大戦が起きてくれると、兵器一新の巨大産業活動がはじまり、地球は景気良くなるに違いない。

 日本が第2次世界大戦敗北のどん底から回復したのは、朝鮮戦争のおかげだったし、飛躍的に高度性と要した陰にはベトナム戦争があった。兵器産業の世界ではあの景気よ再来せよとの願望が叶いそうなのだろう。
 もちろんそれにはその兵器で死ぬ人間の山が、地球上の各地にできるのだ。そんなことがあった時代を経験した最後の世代なんだなあ、わたしは。

 ヤレヤレ、わたしはこんなにもバカらしい時代に、地球に生まれ出て死ぬのかあ、日本の十五年戦争の真最中に生れ、いま第3次世界大戦前夜か、うっかりすると戦中に死ぬのだろうなあ、良い日々も無かったわけではないが、初めと終わりが悪ければ、すべてが悪いとなる人生世だな。(2023/10/19記)


2023/10/17

1712【戦争とTV放送】中東の戦争悲劇と美少年強姦魔事件と商品広告が同棲するTVに羞恥

 中東のイスラエルとパレスチナとで、なにかスポーツの大会があるようで、TVが騒がしい。つい先日もラグビ-試合で騒がしかったから、今度はサッカーとかだろうか、わたしには興味がないのにうるさいだけ。

 わたしはTVを見る習慣がまったくないのだが、最近になって家人が難聴になり、そのTV視聴時には音が大きくて、こちらもついつい聞かされてしまう日々を送っている。

 冒頭のいちゃもん文句はもちろん、ハマスの攻撃(反撃か)に対するイスラエルの攻撃(報復か)という、またまた始まった中東戦争であると知っている。はるかに氏の彼方のことだが、ふと思えば、日本だって中国東北部で満州というパレスチナの悲劇を作ったのだ。

 だが、それがTVの中ではスポーツ関係の放送に聞こえてしまう。いまに試合が始まるぞ、双方の選手が入場しようとしている、ハラハラドキドキの実況中継だ。聞いているこちらの心が、期待と不安、はっと気が付いて羞恥、そのあいだでで奇妙に揺れる。

 昨日までの悲劇よりももっと大きな悲劇が、今にも起こりそうだ。そう思って聞いていると、突然に音声が切り替わって、バカらしくも陽気なコマーシャル放送が延々と続く、これはいったいなんだ、いまや娯楽番組かよ、戦争さえも、、、。




 わたしが30年くらい前まではTV放送を時には見ていたが、今は全く見ない。このまえにTVを熱心に視聴したのは、東日本大震災の時だった。ニュースはPCのネットで見ればよろしい。

 TVを完全無視することにした動機は、あのコマーシャルなるバカらしくて、ガキが喜ぶような寸劇が、そこまでの放送内容とは全く無関係に割り込んできて、延々と居座るのにまったくもって辟易したたからだ。

 TV放送とはそんなものかと漫然とおもっていたが、あるとき事情があってTVをしばらく見ない日が続いたら、気が付いたのだ。こんなもの無くてもいっこうに困らない、ネットから発するニュースでを、自分の好きな時間に好きなように選んで視聴すれば、時間も内容も押し付け一方のTVよりも、はるかに短時間で必要な情報が得られると分かった。
 もう、もうTVオサラバだ。

 今、はからずも音だけTVを聞くと、あの辟易したころと全く変わらない様子である。何でもないことを大げさに大金をかけて放送に仕立てるようだし、ということはそれを提供する金持ち企業がいるのだろう。そし「TVで放送中」とわざわざ書く新聞の広告欄を見ると、TV放送が何か権威となって来ている世の中に、ただ嗤うしかない。

 一方でTVで売り出した(らしい)芸人たちが、実は次々と美少年好き強姦魔の魔手にかかっていたとかって、現代のシモネタ怪談ときたら、もうTVからはみ出してしまい、中東の悲劇と並んで新聞やネットを賑わわせている。

 いやはや、世も末じゃよ、なあ、熊さんよ、もう嫌になったよこの世がね、いいかげんにせい、ああ、やっぱり長生きはするもんじゃないね。(20231017記)