2023/11/05

1730【怪しいハイテク】突然に蛍光灯の禁止とは実は家庭に水俣病かも、コワッ・・

 電灯の蛍光灯がもうすぐ製造禁止になるとの新聞記事にちょっと驚く。蛍光灯はわたしの世代で言えば、それが世に登場してきた頃は、例えば今のAIに似たほどに、前衛的にして身近な技術になろうとしていたものだ。

 わたしが蛍光灯に(たぶん)初めて出会って、強烈な印象を受けた記憶がある。1952年のこと、中学校の修学旅行で最初に降り立ったのが京都駅であった。それは昼頃であったろう、ぞろぞろと改札口を出て、大きなホールに出たわたしたちは、まばゆいほどに明るい光が満ちた大空間の中にいた。

 外の光ほどにも明るいのに、そこが青天井ではなくて、天井一面が白い光で広がる。あれ、ここは外か、それとも中か?、なんて、200人ほどもいた田舎中学生たちは、一様に見上げ見回していたのだ。
 これこそ(たぶん)当時では最先端の建築設備の蛍光灯天井であったのだ。

 その京都駅舎は、その頃にちょうど完成したばかりであった。今ある駅舎のひと世代前の駅舎である。その時代の国鉄建築は最先端技術だったから、最先端の照明器具の蛍光灯を存分に使用したのだろう。子どもの目で見てもモダンな姿の駅舎だった。それも1997年に今の姿に建て替わった。

モダン建築だった京都駅

 その修学旅行では、京都と奈良のあちこちに行ったらしいが、わたしの記憶はこの京都駅と、奈良公園でパンパンに出会ったことの2件だけだ。
 その頃は朝鮮戦争中であり、それに派兵されたアメリカ兵たちの一時帰休時の慰楽施設として奈良にRRセンター(もちろん後になって調べて知ったこと)があり、彼らの享楽相手の女性たちをパンパンと俗称した。

 修学旅行生のわたしたちが遊ぶ奈良公園には、その男女たちが幾組も仲良くじゃれあいつつ闊歩しており、子どもは驚き眺めていた。 この彼女彼らの風俗絵巻は戦後解放の明るさを振りまいており(実は戦争の暗さが裏にあるが)、駅の明るすぎる蛍光灯ほどに驚いたのであった。
 そう、わたしにはバッチリと時代の最先端の学を修めたあった。

 やがて蛍光灯は家庭にもはいってきて、電灯よりも光まばゆい蛍光灯が白熱電球を駆逐してゆき、それが現代文明だと思わされていた。ところがそのうちに蛍光灯の明るすぎる青白い光に飽きが来て、白熱電球が見直されるのである。

 そして今や、白熱球に続いて蛍光灯も駆逐される時代が来たのである。今度は熱効率での悪さの故ではなくて、蛍光灯が含む水銀が公害を及ぼす危険があるからと言うのである。
 蛍光灯に替わる照明器具としてLEDが登場したからでもあるが、これってLEDを売る作戦のためではないだろうね。

 だって、これまで蛍光灯がこれほども普及してしまっているということは、水銀公害も普及してしまっているはずだが、どうなのだろうか。蛍光灯水俣病なんてのが、あるのか、ないのか?

 実はあの水俣病の様に、気が付いたら蛍光灯を使う各家庭には水銀による病が行き渡っている、そんなことがあるのかもしれない、なんて思わされる。だって突然に蛍光灯廃止なんて言うなんて、怪しい、怪しい。

 そういえば思い出したが、「あの人蛍光灯だね」という悪口があった。スイッチを入れてもちょっと間があって反応することであるが、ラピッドスタートが普通になってこの言葉はすたれてしまった。蛍光灯水俣病が蛍光灯でありませんように。

 いま見回して気が付いたが、わたしのうちの蛍光灯はキッチンに5本と冷蔵庫の中に1本がある。そのほかはLEDだが、よりによって食品のあるところが蛍光灯とは、うちは夫婦とも水俣病になっているのかもしれない。まあ、いいや、もうすぐ死ぬ老人だから、。

 これまでの白熱球→蛍光灯→LEDという電灯ハイテクノロジーの歴史から見て、これでしばらく経ったら、今度はLED禁止のお触れが出てくるにちがいない。その頃には私はいないから、もう知ったことではない。

(20231105記)

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伊達美徳=まちもり散人
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