東京の街は意外に起伏が多い。水はけがよくて乾燥している丘の上には金持ちが住み、水はけが悪くてジメジメした谷底や傾斜地には貧乏人が住む、という様に昔から住み分けてきたようだ。
永井荷風が戦災で焼け出されるまで住んでいた「偏奇館」となづける家は、麻布市兵衛町の丘の上だった。その目の下には我善坊谷と呼ばれる谷底に小さな家々が身を寄せあう路地の街があった。荷風は愛人をその路地の奥に「壺中庵」と名付ける家に住ませ、三年坂を上り下りして通った。これついては当ブログに以前に書いた(「永井荷風をだました女」)。
現代になって地価が高くなって、海を埋め立てて土地を広げるとともに、急傾斜地でも谷底でも土木技術で伐ったり埋めたりして街を広げた。この谷や丘の切り崩しは、いわば陸の埋め立てである。
その丘や谷の埋め立て街づくりの典型が、六本木あたりでデベロッパー森ビルが進めてきた再開発である。その森ビル式再開発は初めは点だったが、次第に広くなってきた。
今日の新聞に、「麻布台ヒルズ」なる超高層ビルが開業したとある。そして東京版には見開き2面広告「AZABUDAI HILLS」が載っている。
このあたりは永井荷風が住みうろうろと坂道を行き来したが、きれいさっぱりと荷風の風景は消え去って、彼が毛嫌いしそうな明るすぎる風景が出現した。荷風とヒルズの取り合わせが面白い。
麻布台ヒルズの新聞広告 20231124朝日新聞東京版 |
麻布台ヒルズ開業記事 20231124朝日新聞東京版 |
我善坊谷谷底街へ下る三年坂は荷風さんが通いつめた道だったか 2013年7月10日 |
わたしはこれに何も関係ないが、あのあたりの街には興味あってよく歩き回ったものだ。森ビルが次々を街の姿を変えていく様子を、その最初の「アークヒルズ」再開発のころからしげしげと見ていた。一時は森ビル主催の「アーク都市塾」の講師として通っていた。
今日の新聞ニュースの焦点は、高さ330mの日本一高い「森JPタワー」ビルである。それが大阪の「あべのハルカス」を追い抜いて、東京に日本一のビルが戻ってきたという俗受けする話である。
もっとも、直ぐ近所の「東京タワー」を地盤の高さのゆえに追い抜いたこととか、その日本一もそう遠くないうちに大手町に移ることを書いてない。高さは庶民に最もわかりやすい開発風景だ。
これは単独のビルが建ったのではなくて、広い範囲の再開発事業として、3本の超高層ビルや道路や広い緑の空間を作ったのが特徴である。これは現今の話題の神宮外苑再開発と同じ手法の市街地再開発事業である(ただし内容は月とスッポン)。
1989年に再開発に乗り出して、区域の広さは8.1ヘクタール、地権者300人の規模という。たぶん、日本での民間施行の市街地再開発事業では最大の規模であろう。公共団体施行再開発では、東京のでは江東再開発、大阪では阿倍野再開発などの、これよりもはるかに大規模な例はある。
2012年当時に港区が発表した(実は森ビル作だろう)が、あのあたりの開発計画図がある。この図の下の方にある「虎の門麻布台地区」と「麻布郵便局地区」とをあわせた区域が、今回の麻布台ビルズ再開発の区域であろう。
この麻布郵便局が森JPタワーのJPの所以であり、そのタワーの位置には郵政省の局舎が建っていて、それなりに歴史的建築であったが、新ビルの腰巻にでもなったのだろうか。
2017年に森ビルが公表した再開発計画図 |
北の仙石山と南の麻布台という二つの丘とそれに挟まれる我善坊谷と呼ばれる谷間の街を一体的に計画している。丘の上はそれなりの街であったので、特に面白くもない風景であったが、我善坊谷は実に面白い街であった。
この街が再開発で消えるとしたら、今のうちに記録しておこうと思いつき、2013年に何回か尋ねて歩き回って写真を撮り、このブログに載せておいた。記録しておいて、後で再開発で出現する風景と比較して遊ぼうと思うだけで、保存しようなどとの考えは全くない。
そして今日の新聞に登場した広告写真を見て、やっぱりなあと我善坊谷の風景を思い出すのである。そのとんでもなく異なる風景の出現に、ちょっとは訪ねてみたいが、いやいや見なくても十分に想像できるいつもの超高層風景とも思う。
ただ少し興味があるのは、これまで交わることなかった丘の上と谷底が一続きになったが、どうやって建築で谷底街を埋め立てたのか、その落差の行方を見たいとは思う。そのうちにグーグルストリートに登場するだろう。
とりあえずここに、2013年に訪ねた記録のページURLを並べて置き、ときには繰って眺め、江戸期の下級武士たちと戦中に居た文士たちを偲ぶことにしよう。
◆東京路地徘徊・我善坊谷をゆく
●2013/07/12・806【1】谷底に緑に覆われる家々がひっそりと立ち並ぶ東京秘境
https://datey.blogspot.com/2013/07/806.html
●2013/07/16・807【2】谷底の落合坂を行く・近いうちに消えゆく街並み記録
https://datey.blogspot.com/2013/07/807.html
●2013/07/19・809【3】谷底の落合坂を行く・崖の上下の極端な出会いの風景
https://datey.blogspot.com/2013/07/809.html
●2013/07/21・810【4】谷底の落合坂を行く・南の路地とその上のレトロ建築
https://datey.blogspot.com/2013/07/810.html
●2013/07/25・812【5】谷底と丘上の交わらない二つの街の歴史 https://datey.blogspot.com/2013/07/812.html
●2013/07/26・813【6】我善坊谷の住人たちー永井荷風を手玉に取った女
http://datey.blogspot.jp/2013/07/813.html
●2013/07/28・【7】我善坊谷の未来を勝手に想像する
https://datey.blogspot.com/p/2013azabudai.html
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