2014/06/19

963・有楽町で村野藤吾設計の看板だらけビックカメラ屋建築に出会った

 有楽町で懐かしいけどヘンなビルに出会った。
 ここには1957年に建った村野藤吾設計の端正な姿の読売会館(元そごうデパート)があった記憶があるのだが、建て替えたのかなとしげしげとみたら、安売り電器屋に替わって、外装を黒い板のポツポツ窓にして大きな看板だらけデザインに変更したらしい。
 ふ~ん、まあ、三角ビルの外郭は変えようがないから、面影は残っているけどなあ。

 むかしの姿はこちら↓にある。
http://isisis.cocolog-nifty.com/i/images/2010/12/27/tokyosogo.jpg

 1957年と言えば、わたしが大学に入った年である。できたばかりの有楽町そごうの2階にあった喫茶店、いやティールームっていうべきか、に入ったことがある。
 フランク永井が歌う「有楽町で逢いましょう」が流行し、そのティールームが歌詞に出てくる。
 ここまで書いて、このことは以前にこのブログに書いていたことを思い出した。有楽町西武の閉店の時に書いたのであった。一部を再掲載しておく。

◆2010年12月28日http://datey.blogspot.jp/2010/12/362.html
 有楽町で百貨店閉店事件といえば、「有楽町そごう」のこともついでに書いておこう。
 有楽町駅前に「そごう」が開店したのは1957年5月25日だった。
 その年の3月、わたしは生まれ故郷の狭い城下町盆地を抜け出して、だだっ広い関東平野の一角に暮らし始めた。以後の高度成長底辺都市漂流人生の始まりだった。
 街にはフランク永井が歌う「有楽町で逢いしょう」がながれてた。
「あ、鉈を待てば、飴、が降る、濡手、粉糠と、木に掛かる、あ~あ、、」
 こんな風にしか聞こえなくて、妙な気分で聞いていた記憶がある。今、U-TUBEで聞いてみたら、やっぱりこう聞こえたが、元の歌詞を知らない人もいるだろうから書いておく。
「貴方を待てば、雨が降る 濡れて来ぬかと、気にかかる あ~あ」
    ◆
 後にその宣伝作戦の陣頭指揮した人から聞いて知ったが、大阪から東京に始めて進出するそごうの、有楽町開店のテレビ、映画、ラジオのメディアミックス宣伝作戦は、それが当たり前になる時代の端緒だったそうである。
 映画の方は吉田正の作曲でフランク永井の唄であった。テレビ番組「有楽町で逢いましょう」の主題歌が、三木鶏郎作曲で唄はデユークエイセスで、これらはまったく違う歌だったそうだが、こちらは覚えがない。
 この歌に出てくる外が見える2階の「ティールーム」に、大阪から修学旅行でやってきた従妹をつれて行ったことがある。そのときは有楽町駅東口の最近ようやく再開発されてできた「イトシア」あたりの路地の寿司屋に入り、日劇ではロカビリーも見た。
(今思い出したがフランクの歌の続きに「雨もいとしや、すすりなく~」とあったが、これでイトシアと名づけたのじゃないよなあ)
   ◆
 建築学生としては、あの村野藤吾設計の「読売会館」に興味がつきなかった。青味を帯びた硝子ブロックと何本もの深い陰の横ストライプで微妙にカーブする壁面、上層階の白い品のよいテッセラタイル壁面、百貨店の階段の巧みさ、読売ホール内部の玄妙とも言うべきデザインに、大いに惹かれた。
 関連して「新建築」事件というのがあったが、これは建築ジャーナリズム業界内コップの中の嵐。
 読売会館は、80年代だったか外装が似て非なるものに改装されて輝きを失い、更にそごうが撤退後に安売り電器屋がはいると電飾がやたらにとりついて、同じ建物なのにこうも変なものになるのかと驚くばかり。

2014/06/17

937【五輪騒動】新国立競技場の建築計画が先で都市計画が後決めは正しい順序だ

 新国立競技場計画について、喧しい。
 そのなかで、あの建築計画が先にあって、その後からそれに合わせて都市計画(地区計画)を決めたのは実にケシカラン、という意見がまかり通っているようだ。
 順序が違うだろ、先に都市計画があって、あとから建築計画はそれに適合するように作るもんだろ、あべこべだよ、ケシカラン、と考える人がいるらしい。
 つまり違反建築の設計を、あとから法が追いかけて違反でないように法改訂した、というのである。

 この論は、俗受けして分りやすいが、実はおおきく勘違いしている。地区計画を決める場合は、この順序ケシカラン論は間違いなのである。
 なんだか、お上が決めた法律に従えって、そういう論調をわたしは嫌いである。法律だっておかしい時は変えろっていうべきなのだ。
 地区計画をつくっていた昔プランナーとして、この順序論について、ひとこと説教しておきたい。年寄りだから話がくどくなるだろうが、我慢してもらいたい。

 新国立競技場について世に問題としているのは、地区計画の再開発等促進区における緩和規定である。特に高さが問題となっている。
 緩和規定の他に、「ヘンなデザインをするな」との規定も書いてくれていたら、あの競輪ヘルメットデザインも法的に問題にできたかもしれない。そういうことを書くこともできるのだが、それはなかったのが、反対論にはさぞ残念なことであろう。
 わたしはヘルメットデザインを好きとか嫌いとか言わないが(金食い虫には反対だが)、外苑の天皇賛美の風景ぶち壊しに役立つだろうなあ、とは思うのである。

 地区計画の地区整備計画、その中でも特にこの新国立競技場のような緩和型の再開発等促進区を決める場合には、都市計画に先立って建築計画をつくるのが、当然のことなのである。
 当然どころか、そうするべきなのである。順序が違うどころか、それが正しいのである。

 既成市街地のある地区で地区計画を決めるのは、それまでそこに決めていた都市計画(用途、容積、高さなど)のままでは、その地区の良い環境を保ったり、新たな環境を創造するには不都合がある場合に、その地区だけに適する例外措置を決めるということである。

 例外措置だから、どのような例外措置(規制、緩和、付加など)であるか、あらかじめ詳しくその計画をつくらなければならない。
 そのためには建築や道路公園など、例外措置のための建築や道路や公園などの図面や模型等をつくり、風、日照、景観など影響予測調査もして評価し、これならこの地区の適する例外措置であると、事前にしっかりと検証しなければならない。

 その検証結果で、不都合はない、むしろ地区のとってはよい環境となる、となれば、現在の都市計画の例外措置を認める都市計画手続きをする。これが地区計画である。
 だから、その事前建築計画の通りに実行しなければならないように決めるのが地区計画である。極端に言えば、ほかの建築はやってはならないのである。

 事前に建築や道路などの計画がないと、良い環境になるかどうかわからない。だから都市計画に先立って、例外措置の建築等の計画をつくるのは当然なのである。
 これがないままに、内容を厳しく審査しないで漫然と高さや容積率や用途を緩和をする例外措置を認めることは、厳に慎しまなければならないし、してはいけないことなのである。
 漠然を排して、厳密に事前に検討した建築等の計画の通りに導くのである。

 その例外措置の適用をしたい地区の人々は、自らその建築等の計画をつくって検証し、その内容を都市計画提案書として、都市計画の行政庁に提出することができるのである。今回の新国立競技場はそうしているのだ。
 では新国立競技場では、何が問題なのだ。そう、順序ではないのだ。その建築計画や地区計画の内容が、適正であったかどうかということなのである。
 そして、果たして十分な事前検証が行われたか、それがきちんと公開されたか、そして行政手続きは十分に行われたかということが、問題なのである。少なくとも順序は適正であった。

 法的な手続きだけからいえば、遺漏は全くない。東京都の都市計画官僚がそんなドジをするはずがない。役人を擁護する気はないけどね。
 だから、順序に係る手続き遺漏ではなくて、手続きにおける内容の検討が適正になされたか、という点に問題があるのだ。
 ちょっと、くどくなってきたな、もうちょっとだから我慢してね。

 行政内部での内容の検討は、都市計画官僚が自ら定めた再開発等促進区の地区計画運用基準に適合しさえすれば、機械的にOKとなる仕組みである。
 その基準がおかしかろうが、結果がどうなろうが、都市計画官僚はそこまで見ようとしない。
 その段階までは一般市民は全くわからない。

 表に出る都市計画の法的手続きは、計画素案説明会、素案縦覧、意見書提出、公聴会、条例縦覧、法定縦覧、意見書提出、都市計画審議会となる。これらは、それなりにきちんと公開されている。
 だが、一般には都市計画には関心が非常に薄いから、槙文彦さんが言い出すまで、建築家たちの誰もが知らなかったらしい。その槙さんも都市計画手続きは存じではないかもしれない。
 だから、資格がある東京都民の建築家のどなたも縦覧を見ていないし、意見書も出さないし、公聴会で述べることもなさっていないらしい。
 法手続きでは、後だしジャンケンで官僚に勝つことは、死刑囚の再審無罪判決くらいに難しいだろう。

 外苑地区地区計画の議題のある都市計画審議会の議事録が公表されているが(なぜか渋谷区は非公開)、あまりにもずさんな審議の仕方である。まったく審議をしていない。
 これに関連して我田引水をする。わたしは横浜市の都市計画審議会の市民公募委員を2年間つとめたことがあるのだが、一生懸命にやればやるほど、ドン・キホーテか車寅次郎かって有様になるのであった。あまりにその形骸化にガックリとしてしまった。(参照:横浜都計審委員独り相撲物語) 東京都や渋谷区、新宿区の都市計画も同じらしい。
 もう、新国立競技場に関しては、都市計画審議会はご用済みで、出番はない(都市計画変更でもあれば別だが)。

 この後の風致地区の高さ制限を越える緩和については、JSCは国の機関だから渋谷新宿両区の区長(実際は都市計画担当者)と協議(許可はいらない)すればよいのだ。
 まあ、国と区では勝負は決まってるでしょ。それにねえ、、協議とは、協議をすればよいのであって、協議で議が整う必要はないのである。「協議しました」って実績さえあればよいものらしい。
 でもねえ、それどころか、いつのまにやら、国立競技場地区は実態的には風致地区除外のような風致地区運用基準ができているから、国と都が揉めることはあるはずもあるまい。
 とにかく都市計画については、敵は用意周到着々であるぞよ!皆の衆!

 わたしはよく知らないのだが、この後に、景観委員会とか開発審査会とか建築審査会にかかるのかもしれない。そこに都民か区民かが、法による物申す機会がありそうだ。


参照◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

 

936【東京風景】超低く狭く長く暗いJR線ガード「高輪橋架道橋」下を潜り抜けて閉所恐怖症は2度と通りたくない

 このところ運動不足だから、田町の建築学会図書館で調べものした後、品川駅まで歩くことにした。
 調べもののことは別に書くつもりだが、山口文象が1949年に設計した建築を「新発見」したので、当時の雑誌に載っているか探したのだ。

 国道15号を南に向かって、単に品川駅に行くことだけを目的にてくてく歩いて、ふと思い出した。
 たしかこのあたりのどこかに、JR線路の下をくぐって東側に抜ける、ものすごく天井が低くて、狭くて、暗くて、しかも長~い、奇妙なトンネルがあったはずだ。今もあるのだろうか。
 最後に通ったのは、もう30年くらい昔のような気がする。探検してみることにした。
 あるとき歩いて通り、普通に歩くと頭を擦ってしまう低い天井が延々と続くのに驚いた。その後にタクシーでも通ったことがあるから、レッキとした普通の道路であるらしい。

 さてどこにあるのかと、国道15号の東側を注意して歩いてたら、歩道の真ん前に、大きな背丈以上の石垣とその上に繁る大木とが、立ちはだかった。
 国道にさえも伐り倒しを許さない大木と石垣なら、なにかタタリでもある代物かとそばによる。石垣は車道の路側帯にまではみ出している。

 案内板があって「高輪大木戸跡」とある。江戸の町への南の入り口として、旧東海道の左右に石垣を築いて間に門扉をつけていたそうだ。そういう史跡だから道路もよけて残したのだろう。
 実際はもっと石垣ははみ出ていたのを切ったのかもしれないし、あったはずの対になった道の反対側の石垣らしきものはなにも見えないから、残したとしてもかなり申し訳程度の感がある。残さないよりは良いが、。


この大木戸跡のすぐ南に、ただいまの目的の道への入り口はあった。
 このあたりはJR車両基地があるから、線路敷の幅はかなり広くて200m以上ありそうだ。
 そして東西に抜ける道は、ここから北には札の辻、南には八つ山だから、その間は4~5キロになるのだろうか、ずいぶん間があいている。道路交通の原則から言えば、このあたりに狭くても東西に抜ける道がほしいことはよく分る。

 久しぶりにその道に入っていった、というより、穴にもぐりこむ感じに近い。いくら東西の道がほしいからと言って、これがまともな道だろうか、それにしても奇妙な道だと、感慨を新たにした。
 車の交通は西から東への一方通行である。西の入口の手前で、一台の乗用車が初めてらしく、戸惑って引き返していた。それなりに通過交通はある。
西側の一方通行入口 左の自転車はすいすいと出てきたが、右の白い車はここで引き返して行った
歩いている人も10~20m間隔くらいにはいる。歩行者よりは少ないが自転車で通る人もいる。通っている人たちは、たぶんいつも使っている人たちだろう。
 車両制限高1.5mと掲示してあるように、天井高さ1.6mちょっとくらいらしく、大人歩行者も自転車に乗る人も、そのままだと頭がつっかえてしまう。わたしは身長1.73mだから首を傾けて帽子を天井にこすりながら歩いた。
だれもかれも頭を下げて行き交う

閉所恐怖症のわたしはちょっと閉口している
 東の出口にあった表示で分ったが、この道の名前は「高輪橋架道橋}という。
この道に入るには、地表を走る鉄道線路の下に潜り込むので、わたしはてっきり地下トンネルと思っていたが、そうではなくて橋なのであった。
 そうい言えばそうだ、頭の上には土があるのじゃなくて、低い橋があるのだった。そう、コンクリートでつくった溝の中を歩かされるのだ。
東側の一方通行出口
わたしは閉所恐怖症なので、こんな狭くて長くて低くて暗い道は大嫌いである。途中で逃げ道はないから、歩きとおすしかない。ヒエー、怖かった。好奇心だけで再び歩いたが、もう2度と歩きたくない。
 近いうちにこのあたりに新駅ができるらしいから、多分、それに合わせて広い東西道路が整備されそうな気がする。いずれにしてもこれが見納めになるだろう。
 2度と歩きたいたくないと思った道で、これと反対に上も左右も下も広々とした、閉所恐怖症向きの道のことを思い出した。レインボーブリッジの歩道である。
 景色はひろがってよいのだが、車による振動、騒音、排ガスで、あまりにひど過ぎる道だ。せっかくの金がかかった歩道なんだから、あれはなんとかせい。

2014/06/14

935世界球蹴り運動会の記事ばかりで新聞という紙くずをカネ出して買う日々がつづく

 観戦スポーツを嫌いである。野球とか球蹴りとか、あのいい年の大人たちが、球を打ったり蹴ったりして遊ぶのを観るだけなんて、かなりバカらしい。自分がやればいいのに。
 そして更に、それを見物する大勢の人たちが、同じ色の服を着て、一斉にそろってひとつの方向に動く様子が、見ていて気持ちが悪くて仕方がない。

 と言っても、わたしは現物を見たことはなくて、新聞に嫌でも目に付く写真による。北朝鮮のマスゲームさながらである。
 でも、うちの近くの横浜球場あたりを徘徊していると、その一団に出くわすことがよくある。無邪気な人たちの様でもあるが、その無邪気さがどうにも不気味である。

 世界球蹴り運動会が地球の裏で始まるらしく、その記事が新聞の朝夕刊の一面にも登場し、スポーツ欄はもちろん4,5ページも占め、社会面も2ページくらいを占めてしまう。
 わたしは隅っこの残りの記事を、重箱の隅をほじくるように読むしかない。
 毎日、毎日、読むところのない新聞が配達されてくる。ゴミをカネ出して買う日々がつづく。
 たぶん、TV番組もそうなんだろうが、わたしはTVそのものを見ないからいっこうに構わない。
おいおい、いつのまに朝日新聞はスポーツ新聞になったんだい、
スポーツ新聞ならエロやゴシップ記事を満載しろよ
この世界球蹴り運動会報道への腹立ちを解決する方法をよく知っているのだが、どれも実行しないだけである。
 そのひとつめの方法は、この際すっぱりと新聞購読をやめてしまうことである。心理的にも経済的にも一番良い方法だと思うが、暇つぶしの種がなくなるのが困るのだ。
 ふたつめの方法は、この際しょうがないから観戦スポーツファンに宗旨替えすることである。これは周りの誰かに嘲笑の喜びを与えそうで、癪にさわって体調に良くなさそうだから、いまさらやらないのだ。
 
 こんな記事ばかり載せていると、そしてこんな記事ばかり喜んで読んでいると、いつの間にか憲法の改悪をされてしまっているぞ、いいのかよ。
 2020年の東京世界五輪運動会のときは、もっとひどいことになるのだろうが、幸いなことに、その頃のわたしはボケているか、あの世にいるか、そのどちらかである。

◆関連記事
028ゴミを買う日々
・277世界たまけり運動会
652新聞のスポーツ記事はポピュリズムの権化であるよなあ




2014/06/11

934【五輪騒動】ザハデザイン新国立競技場は槙デザイン東京都体育館によく似合うとJSCの都市計画提案書

 新国立競技場について、JSC(日本スポーツ振興センター)が2012年12月に東京都に提案した、神宮外苑地区の地区計画についての都市計画案の中身を知った。市民団体の方が情報公開手続きで手に入れたらしい。
 普通はそれを審査する特定行政庁(この場合は東京都)の都市計画関係のサイトページで公開されるものだが、その頃にわたしはネット検索してもひっかからなかった。
 横浜市ではネット公開するが、東京都や区では公開していないのかも知れない。

 もっとも、こうやって手に入れることができる提案書というものは、提案事業者と行政担当部局との間で、事前調整がほぼ整ったものであるとみてよいから、既に都市計画決定したものと中身は同じである。
 ただ、都市計画決定文書には載っていない、いろいろな計画立案上の考え方が載っているので、かなり専門的だが、それを見て事業者側がどう考えたかを観察するのは面白い。
 なお、この提案書は、都市計画設計研究所がJSCから受託して作成したらしい。コンペ当選のザハハディドデザインをベースにしている。

 長たらしい内容なので、気が付いた興味深いこと、しかも専門家でなくても面白いことを、二つだけ書いておく。
 ひとつは、そのザハデザインが両隣の建築とどう対応するかということである。そのことを書いたページの一部をコピー引用した。
 要するに、東京都体育館(槙文彦デザイン)とは「類似的で連続性を保つ」としており、絵画館とは「対比的な空間デザイン」であるとする。その上で「全体として躍動感にあふれたデザイン」とするのだそうである。

 ほう、なるほど、そうだねえ、東京都体育館は、これも実はザハハディドのデザインだと言っても、おかしくないような感もあるよなあ。
 ということは、絵画館と東京都体育館とは「対比的なデザイン」であることになる。そのとおりだと、わたしも思う。

 両者の間に国立競技場が建っているから、気が付かなかっただけだったのだ。槙デザインは、実はこの神宮外苑あたりの景観にはマッチしない建築であったのだ、と、これまでだれも言わないのが不思議である。
 まあ、現国立競技場だって神宮球場だって第2球場だって、ほとんど絵画館とは関係ないデザインですがね、だれも、それをいやだって言わないのも不思議だし、高さだって絵画館を含めて、どいつもこいつも風致地区条例違反(既存不適格)ですが、それを言わないのも不思議だよなあ。

 さてそれでは、対比的な空間」となる絵画館と新国立競技場を、どう考えるか。
 提案者のJSCは、多分、対比的な空間からは「躍動感」が「溢れ」てくる、それがスポーツの空間というものだよ、キミ、って言ってるんだろう。
 まあ、権威の権化のような姿の絵画館が、突然に躍動感に溢れさせられちゃって、余計なお世話だっていうのか、時代に対応して変化しようって張り切るのか、そこは知らない。

 わたくしとしてはですね、時代に対応して変化していただいて、もうそろそろ明治帝政の残滓をお捨てになっていただくときだと思いますがねえ。
 そもそも外苑をスポーツの場としたのも、身体健全なる青年を兵士として育てる強兵策のひとつだったんですからねえ。日本青年館はそのためのものでした。なんせ、元が青山練兵場ですから。だからこそ、1943年に第1回学徒入隊の壮行会が、外苑競技場で開催されたのでしょう。

 絵画館がいくらそれは嫌だと言っても、アカンベ48とかエクセルとかって芸人たちで「躍動感溢れる」新時代の空間にならざるを得ないし、そうなるべき平和の時代でしょう。
 日本の20世紀前半を支配した天皇制権威主義の風景よ、いまこそ、さらば!
 あ、まてよ、アホノミクス集団的自衛権とやらで、やっぱり富国強兵策競技場であるべきなんですかねえ。

 さて二つ目の興味あった記述である。
 これは新国立競技場の法的な高さ限度の計算である。
 提案書には法制度の運用基準による高さ緩和の計算をしてある。元になるのはザハ案である。
 しかしザハ案をもとにして運用基準に当てはめると、高さ限度66mまでにしかならず、「現計画の建物高さは、有効空地の確保に基づく高さの最高限度を超過している」と記述してある。
 そして「今後、計画・検討を深化させる中で、有効空地確保の制度と合わせ、運用基準との適合を図る」とある。

 ところで、都市計画決定した新国立競技場用地の緩和高さ限度は75mである。ということは、この提案書を出した後で、75mになるようにザハ案をいじって有効空地を広げたのだろう。それをどうやったのか、わたしはそこまで読み込む興味は起きない。
 まあ、これから建築審査会が思案するのでしょう。
 なんにしても都市計画審議会の議事録には、その説明も質疑もなかった。

(追記20140612)
 「躍動感溢れる」で思い出したことがあるので書いておく。1952年5月1日の日本独立後初の第23回「統一メーデー」は、神宮外苑の絵画館前広場で約40万人もの参加で開催された。まさに躍動感溢れる空間となっていたのであった。
 絵画館前広場は40万人も収容したのだから、新国立競技場が8万人収容とかだそうだけど、何とかなりそうなものだと思ってしまう。
 ただし、1952年メーデーは躍動感が溢れすぎてしまって、集会後のデモ行進は皇居前広場に入って行って「血のメーデー」となったから、あまり収容人数が多すぎるのも問題なんでしょうな。

参照◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

 

933右手で殴って左手でなでる安売り屋イオンの戦略

 「助成総額1億円、環境活動の助成策を募集」との大広告が、今朝の新聞に載っている。
 植樹、森林整備、砂漠化防止、里地・里山・里海の保全等の活動団体に、助成金を与えるらしい。

 その奇特なお方は誰なんだろうとみれば、なんとイオンである。
 イオンと言えば、あの郊外大型安売り屋さんである。ちょっと前までは、ジャスコと言っていた。日本の安売り屋を次々に飲み込んで大きくなった大蛇である。
 
 そう、ジャスコのイオンは、あの大型安売り店舗をあちこちの地方都市で作っては、その中心街の商店街をどんどん衰退化させ、それにつれて街は空洞化し、焼畑商業で地方都市疲弊を促進してきた「功労者」である。

 郊外の田畑山林を広くつぶして、大きな殺風景なショッピングセンターをつくる一方で、森林とか里山とかの保全にお金を出すってのだから、これって矛盾しているような気がする。
 いや、そうじゃないか、一方で緑を壊すから、一方で緑を保全するというのだから、これはミチゲーションをやってるつもりなのだろうか。罪滅ぼしかしら。

 今じゃあ郊外店舗さえもが廃れそうなので、中心市街地の安売り屋に戻ろうとしているらしい。
 昔々、イオンが中心市街地に店を出す時は、反対運動が激しかったが、今はどうなんだろうか。
 既に疲弊してしまった中心街は、反対運動する人は消えてしまって、むしろ歓迎しているのだろうなあ。イオンのボロ勝ちである。癪だ。

 とにかく、日本の街を壊してきたお方が、日本の環境を守ると言って金を出すのが、どこかウサンクサイ。

参照
・怖いぞ、郊外の開発は生活圏を破壊する
http://homepage2.nifty.com/datey/kougaiSC.htm
・イオンの反省だって?http://datey.blogspot.jp/2009/03/109.html
・津波を起こすイオンhttp://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
・イオンの津波(続き)http://datey.blogspot.jp/2012/02/584.html

2014/06/08

932・平和な時代の恐怖連想はAKB48からAKG47そしてFKS50

「アカンベー48人衆」って、「AKB48」の日本語訳です。
 そう書いても何のことかわからない老人がいるでしょうから、ちょっと説明すると、双子や三つ子どころか、なんと四十八子という同じ顔をした女子多胎児たちがいるのですね。
 
 その子たちが同じ顔して同じ歌を歌い、同じように踊って、どの子も目じりが下がっていて舌が長くて、舞台で一斉にアカンベーをするらしい。
 それが評判になり、若い男どもが夢中になってるんだそうです。
 昔、「ピーナッツ」とか、今もいるのかどうか知らないないが「こまどり姉妹」とかって、双子芸人はいたが、四十八子芸人とはすごいもんだなあ。

 あんまり人数が多いんで、誰が誰かわからない。そこで順番をつけようってことになって、その子たちの歌、踊り、顔立ちなどを品定めをすることにした。
 で、東京のどこかの野球場に7万人もの男どもが、昨日の豪雨をものともせずに集まって、投票イベントをやったそうです。
 これって超平和な風景です。あんまり平和すぎて怖い! こんな暢気すぎる平和は、長続きしないような気がしてきて、心配したくなるのです。
新聞第1面のアカンベーイベント記事

 ところが心配したとおりに、平和じゃなかったらしい。
 数日前にテロ男が襲ってきて、その四十八子の中の二人が負傷させられたそうで、昨日の雨の会場では、金属探知機による持ち物検査をやってから入れたそうです。
 7万人も検査するのって、大変だよなあ。屈託無げに歌って踊る女の子たち、それを見て品定めするこれも屈託無げなアホ男の子たち、その間に入って刃物の検査をしなけりゃならない厳戒態勢なんて、この恐怖の平和!

 四十八子というと、老人がどうしても連想するのは、四十七士である。
 そう、「赤穂義士47士」ですよ、つまり「AKG47
 この47人組のテロ事件は、当時の江戸では大評判になり、芝居やら講釈やら舞台に登ったのは、今のアカンベー並みだったらしい。
 これも、平和な時代に起きたテロ事件でしたよね。
 
 もう一つ思い出した、「FKS50」ってのがあったな。「FUKUSHIMA50」、つまり「福島原発50人衆」とでもいうのだろうか。
 なんでも、2011年3月11日の大地震で事故を起こした福島第一原発から逃げないで居残って、事故処理にあたった「英雄」たちが50人いたのだそうです。
 
 でもなあ、おかしいと思うよ、何で英雄なんだろ。だってじぶんちが火元で火事を出して、周りに燃え移って大火になろうって時に、火元の家族がそれを消そうとするのは、英雄的行為じゃなくて、当たり前にやらなければならない義務でしょ。
 しかもそれが、出火を防ぐべき手当(万全の非常用自家電力供給装置)を怠っていたってせいだって、いうのだからねえ。

 更にしかも、その火消しに大失敗して、いまだに10万人を超える人たちが焼け出されたままになっているのです。
 火元責任者の吉田所長以下、火元の原発にいた人たちは、巨大な責任を背負っているはずだ。彼らは英雄どころか、その責任は大罪にも通じていると思います。
 その責任者の証言を隠蔽するなんて、今の政府は何を考えているんだろうか。

 話が、平和のアカンベー48から、恐怖の原発に逸れてしまった。

2014/06/05

931・わざわざクサくしたシャツを売りだすなんて世の中だんだんとクサイことが多くなって困ったもんだ

 エレベーターや電車の中で、クッサイ女が乗ってきて、ほんとに困ることがある。
 ブサイクな女には、そっぽ向くとか目を閉じればよいが、クサイ女対策は、もう逃げるしかない。せっかく座った電車の席を明け渡すこともしばしばある。

 それが今度は男である。男のシャツを、わざわざクサくして売るのだそうだ。「香りを繊維に付着させた」と書いてある。
 これからは男からも逃げなきゃならんのかよ、いいかげんにしてくれよ。
 こんなクサイシャツを売ってもらっては、ほんとに困るんだよなあ。
2014年06月05日掲載:男のシャツの新聞広告

 大音声でイヤホンから音漏れを構わず、音楽を聴くやつもいる。でも、これは注意すれば聞いてくれる。
 でも臭いには、クサイシャツを脱いでくれと、いうわけにはいかない。クサイ香水女も、どうしょうもない。

 おかしなことには宣伝文句には、「衣類用消臭スプレーセット」も付けると書いてある。
 臭いをつけて売っているに、臭いを消す薬付きとは、これいかに。多分、他の衣類に臭い汚染しないようにする為なんだろう。
 福島の事故原発対策に凍る地下壁をつくるから、その凍結装置の電力の原発が要るってのと似てる。

 わたしは臭いに敏感であるとかアレルギーがあるとかではないが、物事はできるだけ自然がよろしい。シャツに臭いをつけるなんて、大きなお世話である。
 あ、そうだ、ホテルなんかで部屋がクサイことがある。花の香りだと、サービスのつもりらしいが、大きなお世話を越えて迷惑である。無臭が一番よろしい。

 さて、わたしには加齢臭なるものが発生しているんだろうなあ、自分ではわからないけどね、あっ、ってことは、もしかしたらこのシャツは、高齢者に向けて売る気なのか? う~む、、、。



2014/06/02

930気象台ができてから急に暑くなった故郷の盆地

 昨日(2014年6月1日)のNHKニュース岡山県版にこうある。
「1日の岡山県は高気圧に覆われてよく晴れ、厳しい暑さとなりました。このうち高梁市は日中の最高気温が35度1分とことし県内で初めて猛暑日となりました。また6月1日に猛暑日となるのは県内の観測史上、最も早いと言うことです。」

 と言うこと、だそうですが、誰が言ってるんでしょうかね、気象台ですかね。
 近ごろは異常気象が多いけど、気象台は対策をとらないのか、なにをしているか?
 気象台ってのは国土交通省の機関だそうだから、これはやっぱり安倍内閣が無策なのがいけないっ。

 上のニュースに出てくる高梁とは、実はわたしが少年時代を過ごした生まれ故郷である。
 一昨年だったか、日本一暑い街って全国ニュースに出たことがある。今年はもう、県内で最初の猛暑日を迎える「栄誉」に輝いたらしい。
 関東では熊谷とか高崎とか甲府などの、内陸部盆地地形の街が猛暑としてしょっちゅうあがっていたから、高梁盆地も例外ではない地形だ。
 思い出したが、20年以上前、高崎で40度という気温の日の記憶がある。燃えるような暑さだけが高崎の記憶である。

 そうなると居直って「アツイぜ!高梁市」とかって、キャッチフレーズで売り出そうとしているとか。
http://www.city.takahashi.okayama.jp/soshiki/2/atsuizetakahashi.html
 でもなあ、「暑いぜ」なんて関東方言のような気取った言い方が、なんだかおかしいよなあ。
 高梁弁ならば「あちーがあ!たかはしゃあ」でしょ。え、これじゃあ読んでもわからんか。

 それにしても、わたしの少年時代には、自分の住む街が日本一暑いなんてニュースを聞いたことがない。どうしてなのかと、故郷にいる旧友に尋ねたら、思いがけない答えが返ってきた。
 高梁が暑いというニュースが多くなったのは、高梁盆地の中に気象台の観測所ができてからのことだというのである。いつできたか聞きのがしたが、そう遠くない前だろう。
 そうか、急に暑くなるはずがないと思っていたが、気温を計るようになったので、他の地域と比べて暑いことが分かった、というわけだ。

 気温が高いから暑いのではなくて、暑いから計ってみたら気温が高いのだが、感覚というものはおかしなもので、気温が高いから暑いのだと思う。
 気象台の発表する今日の天気の気温を、予想や結果よりも2、3度低く発表し、日本全国にある温度計を2、3度低く表示するよう改造したら、どうだろうか。そうすれば、ちょっとは涼しいと思いこむかもしれない。簡単な避暑方法である。
 

2014/05/29

929【五輪騒動】高さだけが景観なら新国立競技場の高さを0mにする名案があるぞ!

 本日(2014/05/29)のニュース
建築家などから景観を損ねると反対意見があることから、従来の想定より建物の高さを5メートル低い70メートルとし、周りの景観に配慮しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140528/t10014801481000.html

 ということで、オリンピック運動会用の新国立競技場は、当初発表の計画よりも高さを低くするそうである。
 まあ、なんというか、75mならダメ景観、70mなら景観配慮ってのは、面白いお話であるよなあ。
 不動産屋が15階建ての名ばかりマンション計画を発表して景観破壊だと騒がれて、それじゃあ14階にしますと言って納める、とか、本日3割引き大安売りと言って、もともとが3割高い値段だったという、あのもともと上乗せ戦術なんでしょうか、JSCさんも。
 ならばもうちょっと騒げば、65mになるかもしれないなあ、そうすれば景観はますますよろしい方向になるというわけですな。

 そもそも景観とはなんだよ~、高さのことかい?
 昔々になってしまったが、京都景観論争ってのがあった。お寺さんの見物お断りまで騒動が広がって、京都駅から北は低く、南の方は高くてよろしいなんて、妥協があった。
 でもなあ、5重の塔なんてのは高いんだよ、あれならいいのかい?

 そうそう、丸の内でも景観論争という名の、高さ論争があったよなあ。
 あの赤い東京海上超高層ビルが出現するにあたっての、総理大臣まで出てくる騒ぎは、どうやら皇居を見下ろすのがケシカランという天皇制へのおもんぱかりが、もとだったらしい。
 そこに三菱地所の不動産作戦のゴチャゴチャが絡んで、その後あれこれあって、高さ100mで妥協した。本質的な意味での「景観」はどうでもよかった。
 ところが今じゃあ、高いも高いの200mほどにもなってきて、皇居はしっかり覗ける(のだろう)。
 景観イコール高さとすれば、もう丸の内はめちゃめちゃ景観になっているぞ。いいのかい?

 え~っと、何の話だっけ、あ、そうそう、新国立競技場の景観問題だった。
 そう、そうやっていろいろな事件を経てきて、景観とは高さのことなんだと、普通の人たちは思い込んだんだよなあ。
 だったら、新国立競技場なんて簡単でしょ、観客席を地面を掘って下へ下へと擂鉢にすればよろしい。いろいろな部屋も地下に造れば、もしかしたら高さ0mの深刻じゃあない新国立競技場だって可能でしょ、これなら風致地区制限15m見事にクリアー、え、どうです?
 こういうのを伊東ナントカさんに作ってもらって提案したらどうでしょうかね?
世にはくそまじめな人いるので念のために書いておくが、これはパロディですからね
ついでに言うけど、高さが問題なら、いまの国立競技場も神宮球場も第2球場も、そしてそして、あの聖徳記念絵画館さえも、1970年指定の風致地区では高さ制限に違反している建築(既存不適格)なんですね。
 だから、これらを早く取り壊すべきなんだけど、だれもそんなこと言ってないのはどうして? それどころか、今の国立競技場を壊すなという人たちがいるらしいのが、不思議。

 あのね、景観てのは、高さもあるでしょうが、もっと総合的なもんでしょ。
 高さで景観がどうとかって騒ぐのなら、スカイツリーが高すぎるって、だれか騒いだのでしょうか。あの下町の低い街並みの中に、にょっきり異物も異物、あんなもの建てて景観はよろしいのでしょうか。
 ね、分ったでしょ、景観ってのは高さじゃないんですよ。 

 要するに建築家の下手な設計がいけないんです、わかりましたか。
 え、わからん? ウン、そうでしょうねえ、わたしも建築家の上手な設計って、分りませんからねえ、。
 最後に一言、国立競技場がらみの景観論には、どうも天皇制が背景にある権威主義がちらつくのが、わたしには気に食わない。景観とはそういうものだ。

◆参照→◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html


2014/05/28

928・講演「松岡駒吉と山口文象が青雲荘に込めたメッセージ」

 「コンドルと惟一館/山口文象と青雲荘」と題する展覧会が開催中である。会場は友愛労働歴史館(東京都港区芝2-20-12)、会期は2014年3月10日から8月30日まで。

 コンドルとは、日本の明治政府がイギリスから招へいした建築家で、19世紀末から日本に洋風建築をもたらし、日本人建築家を育てた人である。
 山口文象とは、コンドルよりも2世代ほど後の建築家で、20世紀前半のモダン近代建築で一世を風靡した人である。
 この二人の建築家の作品、イギリス人の設計した19世紀末の和風建築「惟一館」の隣に、日本人が設計したモダン建築「青雲荘アパートメント・友愛病院」が、並んで建ったのが1936年のことだった。

 そして、このことについてわたしに講演を依頼されたのである。依頼主は展覧会主催の友愛労働歴史館と労使関係研究協会であり、聴衆は労働組合関係者を主とする。
 その講演題名は「松岡駒吉、山口文象が青雲荘に込めたメッセージ」であり、労働組合団体関係者にこの青雲荘と友愛病院の建築的意義を話せとの求めである。
 都市建築関係者や学生院生たちを相手に講演は何度もしてきたが、労働組合関係者相手とは珍しい体験である。
 聞く方も、労働運動などについての講演は聞くことはあっても、こういうテーマは珍しいことであるらしい。こちらにとっても、なにか新しい情報が得られるかもしれないと、楽しみである。

 ということで、2014年5月27日の午後の2時間を、有意義に過ごしてきた。
 なんと47名もの聴講者がいらして、研修会場が満員になった。その世界のことはよく知らないが、参加者リストにはUAゼンセン、JP労組、CSAなどの団体名が書いてある。山口文象創設のRIAから数名参加している。
 ドイツでの左翼活動とか、労働者への医療、あるいは東京駅の容積移転などについての質問や意見があって、こちらが勉強になった。

 勉強になったと言えば、この講演のために、松岡駒吉という戦前から戦後にかけて日本の労働運動の強力な指導者について、にわか勉強をして、これは面白かった。
 松岡がどうして山口文象を起用したか、そこをを知りたいが、憶測の遊びしかできない。

 話の基本的なことは、既にこの「まちもり通信」に、「コンドルの和風建築と山口文象のモダン建築の出会い」と題して書いているが、講演だからいろいろと派生する話題にも広げるし、ほとんど憶測になることもどんどん話したのであった。
 当日講演会で使用した映像資料は下記を参照のこと。
講演画像「松岡駒吉と山口文象が青雲荘に込めたメッセージ5MBPDF 2014)

参照:◎1936青雲荘・友愛病院診療所(東京市)
まちもり通信総合目次

 

2014/05/23

927・集団的自衛権と原発とは何が共通するのか分ったぞ

 今朝の新聞(朝日,2014/05/23)に、新聞屋の各社が集団的自衛権に対して、どのような態度か一覧表が載っている。
 ふ~ん、そうなんだあ、、。

 これを眺めていて、似たようなことを思い出した。
 ずっと前に、これと同じような分類を、自分で作ってみたことがあったなあ、そうそう、原子力発電に賛成か反対かの分類を、新聞屋別にやってみたんだよなあ。ブログに書いたような気がするが、見つからない。
 そう、集団的自衛権への態度と、原発への態度は、キレイに相関関係にあるように見えるのだが、どうだろうか。

 でも、なぜ相関するのか不思議なので、しばらく考えてみたら、これらに共通するのは、おお「」だよ~、、、核兵器と核発電であると気が付いて、こわくなった。
 う~む、原発は核兵器のもとになるプルトニウムの生産装置だと聞いたことがあるからなあ、相関関係にあるのは確かだよなあ、。

 集団的自衛権の行使を確実にするためには,今や核兵器は欠かせない、そのためにはプルトニウムの生産を絶やしてはならない、そのためには原子力発電所が必要だ、と、まあ、こう言うことなんだろうなあ、これって、風が吹けば桶屋が儲かるよりも、はるかに現実味があると思うよ。

 う~む、ホントかあ、怖いなあ、、まあ、集団的自衛権も原発事故も、わたしより若い人たちが推進しているらしいので、とにもかくにも、わたしが死んでからその威力を発揮してくださいね、おねがい、、。


2014/05/19

926・霧の海に浮かぶ故郷の古城が天空の城とて急に評判とか

 小さな盆地の城下町で、わたしは生まれ育った。四周を囲む山稜の鍋底の街に、江戸時代から今に至るまで、1万人ほどが暮らしている。岡山県の高梁盆地である。
 城下町の景観が今に伝わり、盆地北端の山上には古城があって、昔からそれなりにマニアの観光地となっている。ところが最近、急に観光客が増えてきたと、故郷の旧友からの便りである。

 その故郷の山上の古城が、盆地を埋める深い霧の海のうえに、その姿をぽっかりと浮かべてみせる幻想的な風景が、今、評判になっているそうだ。

 城郭建築を愛でる旅は珍しくないが、ただ、古城があればよいのではなくて、その古城をめぐる個性的な風景をめでるようになったらしい。
 雲海に浮かぶ城址と言えば、朝来市にある竹田城である。天守は失われているが、壮麗な石垣が有名である。その竹田城と並ぶ天空の城ともてはやされているらしい。

 わたしが少年時代を過ごしたその街は、朝起きるとあたりはすっぽりと深い霧に埋もれてしまっている日が、しょっちゅうあったような記憶がある。
 そのような日は、旅人は今日は雨が降るかなと思うのだが、霧の底に暮らす者は、霧が深ければ深いほど今日はしっかり晴れるぞと思うのである。そして10時頃から急に霧は消え去って、抜けるような晴天が盆地の蓋となって現れる。あの敗戦の日も、そうであった。

  お城山(正しくは臥牛山というが地元では誰もそう言わない)には、多分、故郷で過ごした少年時代に100回は登ったような気がする。そこから盆地をめぐる丘陵の稜線を歩いて回ったことも何度もある。
 だが実はわたしは、その備中松山城が雲海に浮かぶ姿を見たことはない。
 雲海に浮かぶ天守が幻想的風景であるとは聞いてはいたが、それを観るには時期、時刻、場所がかなり限られるから、わざわざその気にはならなかった。
 地元に住んでいればいつでも見られるさということもあったかもしれない。そして見ないままに故郷を離れた。

 故郷の旧友からの便りには、天空の城を観る術が書いてある。
「高梁では3月初旬~4月初旬、2~3日前に雨が降った後で前日との最低気温と最高気温の差が大きく、当日、晴天・風が弱い日の7時30分~8時30分の間です。
 場所は楢井から大松山へ向けての山道に天空の城展望台があります。

 条件が揃っていてもシャッターチャンスに遭遇するにはキャンプを張るぐらいの気持ちで一か月ぐらい臨戦態勢で撮影場所へ通う気構えが必要と思います。朝起きて、家から山を見て霧が出ているからと走って行っても遅いのです。
 高梁へ帰られることがあれば展望台から城を眺めるのは何時でも案内をします。」

 いまでは雲海の天守を遠くから眺める展望台ができているらしい。山城の周りの森は切り払われて、その姿を遠くからも見える。もちろん雲海のない時にも眺められるから、多くの観光客が山上にやってくるのだろう。
 わたしが少年時代に遊んだ山城は森の中にあって、滅亡した歴史上の城主たちの怨念が見えたものだが、今はあっけらかんと明るい城である。それはそれでよい。


参照:故郷の風景


2014/05/14

925・PCを壊してみたら少年時代のいたずらした気分で楽しかった

 これまでに物書き用の電子機器をたくさん手に入れては捨ててきた。
 始めは今から30数年前だろうが、各種WP(word processor)から始まり、各種PC(personal computer)を、いったい何台を使い潰してきたことか。
 今も3台のPCがあるのだが、そのうちの1台(A4ノート版、MSmilenium)はもう何年も棚の上でほこりまみれになっているので、お払い箱にすることにした。

 昔の簡単に捨てていた時代と違って今はヒマなので、こいつの中はいったいどうなってるんだろうと、壊してみることにした。


小さな小さなビスを、いくつもいくつも外していく。今、そのビスを数えたら41個であった。いくつか落しているから実際はもう少しあるだろう。こんな小さなビスを、人間がいちいち締めて作っているんだろうか。

 小さいビスで思い出したが、鯖江市に仕事で一時通っていたことがある。鯖江は眼鏡の弦の生産で日本一の地である。
 眼鏡には小さな小さなビスが使われている。そう、そのビス製造技術が、いまの電子機器に活かされているのだ。

 『高圧電流に注意』なんて書いてあるので、多少はびくつきながら、裏蓋を開けると、黒い膜につつまれた中身が見えてきた。

 黒幕を取り除くと、おお、これは芸術的な模様であるよなあ、プリント基板とかいう言うものなんだろうか。
 眺めていても何が何をするのかさっぱりわからないが、唯一わかったのが右の方に見える扇風機である。こんな小さなやつが一生懸命に回って、出てくる熱を追い出していたのか、けなげなやつ。
 右上に四角な鉄板の薄い箱がある。何かあ入っているらしいが、ねじが特殊で開かない。これが、たぶん、心臓部のハードディスクなんだろう。熊の肝を切り取った気分である。

 ナンダカンダトあるが、どんどん引きちぎってバラバラにした。上の方に2台の生き残りPCが見える。

 キイボードの裏側はこんな模様なのか。

 少年のときに「4球スーパーラジオ」を組み立てたり、古時計を分解したりしたときの気分を想い出した。
 一時はどこにでも持ち歩いていて、携帯電話機につないでメール送受信をしていたもので、ヨーロッパアルプスにも行ったが、最後に楽しい思いをさせてくれた。


2014/05/13

924【五輪騒動】建築家って何でもどんな条件でも設計できるスゴイ人なんだなあ

 これはひとりの建築家への悪口である。ご当人が、悪口を言われも構わないと、おっしゃっていたので遠慮しないで言う。
 昨夜(2014年5月12日)、新国立競技場に異議申し立てをする人たちが主催するシンポジウムがあった。これで4回目だったかの集まりであり、その粘り強さに敬服する。
 今回のテーマは、現競技場を壊して建替えるという現在の計画を止めて、現在の競技場を修繕改修して2020年の東京オリピック会場に使おうということであった。
 要するに、治して使えば使えるし、その方が安いのに、もったいない、というのである。

 それはそれで、まことに結構なことであると思う。1964年のオリンピックの記念建築のとして、修復保存の意義もあるだろう。
 もっともわたしは1964年のオリンピックを観た記憶はないし、もともとオリンピック嫌いだから興味はない。

 わたしは昨夜のネット中継を、途中から視聴したのだが、気になったのは、その現施設修繕改修案の提案者が、伊東豊雄という建築家であったことだ。
 わたしは伊東については、どんな建築家でどんな設計するのか、ほとんど知らないが、有名な建築家であるらしい。

 ビックリしたのは、この人はこのシンポの主催者が異議申し立てしている新国立競技場コンペに応募して、落選した人であることだ。
 なかなか骨のある人だなあ、落選したのに粘り強くこうやって落選案を持ち込んで、異議申し立てをするんだもんなあ、偉いなあ。

 昔々、前川國男という建築家が、帝室博物館のコンペに落選して(当選案が今の上野の国立博物館)、その落選案をジャーナリズムに堂々と発表して、負ければ賊軍と居直って、コンペに異議申し立てをした事件があったが(といっても建築界のコップの中の嵐だったが)、あれ以来である。
 今、伊東豊雄は、その先輩をなぞっているんだろうが、それでもエライ。

 と思って聞いていたら、どうも、そうじゃなくて、昨日の改修案は主催者側の中沢新一に頼まれて、新たに作ったというのである。
 え、違うの? じゃあ落選案は今の当選案のようなものだったのか。いや、もちろんデザインというか姿は違うだろう。

 しかしコンペ条件からして、高さは70mもあって、巨額工事費と巨額管理費がかかるって応募案だったろう。つまり、シンポ主催者の異議申し立て対象となる。
 もしも伊東応募案が当選していたら、昨日は「被告」の立場で登壇しただろうか。
 なんだか奇妙なのである。

 中沢新一が伊東に改修案づくりを頼んだという。伊東は「悪口を言われてもかまわない、応募したからこそ条件をよく知っているから改修案をつくることができる」という。
 そうか、伊東は自主的に考え直して、応募案はよくなかったと反省して、改修案が良いと発表なさったのではないのであったか。じゃあ、応募案はいったいなんだったんだ。

 でも、よく知っているのなら、応募の時にこのコンペ条件はおかしい、とは思わなかったのか。
 つまり、建築家として頼まれれば、あるいはやる気になれば、どんな前提でも何でも設計をやれるのであるらしい。それもなんだか、ものすごいことである。
 そういえば思い出したが、今、ザハ・ハディドの監修のもとに、ザハ・ハディド案をもとに設計作業をしているのは、なんとまあコンペでザハ・ハディドに負けた日本の建築家だそうだ。商売、商売!

 ここで伊東の大学先輩の建築家たちが、あの1945年の敗戦を境にして見せた変わり身の素早さを、彼も見事に受け継いでいる、とまでの悪口を言うほどのレベルではなさそうだ。
 でも、初めに、さすがスゴイ、闘将前川の再来か、と思ったのを見事に裏切られて、悪口のひとつも言いたくなる。

 もうひとつ別のことで気になったことは、改修案は文部科学省でもとっくに久米建築事務所に委託して作っているし、この前の前だったかのシンポジウムで、他の建築家が提案していた様な気がする。 だから事新しい案でもないのだ。
 それらを俎上にあげずに、なんでまた伊東に頼んだのだろうか。これまでの案がよくないから伊東に頼んだのだろうと思って、ネット中継を見ていたのだが、そういうのでもなかった。

 なんだか知らないが、伊東が有名建築家だし、落選建築家だから、このシンポジウムの人寄せパンダをなさったのだろうか。(でもその役は槇文彦さんが自らかって出ておられる)
 わたしは、その異議申したて運動にケチをつけるつもりはないし、反対もしないのだが、この建築家の態度はなんなんだろうかと、妙に気になる。
 という、お許しいただいて、一介の徘徊老人の悪口雑言である。

(追記20140515)思いついたのだが、伊東は審査員の建築家の安藤と内藤をおびき寄せるための餌のつもりかもしれんなあ、う~ん、食いつきそうにないなあ。

 なお、新国立競技場計画に関するわたしの意見は、下記に載せている。
新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2014/05/11

923【言葉の酔時記】天気予報放送用語は気象予報士の的中自信度合いに左右されるか

 ラジオで今日の天気予報の放送を聴く。
「関東南部は、晴れ」 
 おお、晴れって、自信ありげに断定、よしよし、出かけよう。
「関東北部は、晴れるでしょう」 
 おや、ちょっと違うなあ、自信ないのか。
「甲信地方は、晴れの予定」 
 あれれ、予め定まってるんだな、自信あるんだな。
「新潟地方は、晴れのようです」 
 また自信失ったな。
 
 この語尾の違いはどういうことなんだろうか。単に同じ言い方じゃあバカみたいだからとて変えてるのか、それともそれぞれ意味が違うのだろうか。
 予報的中の確率というか、予報的中の自信の度合いというか、それが異なるのだろうか。「晴れ」なら100%、「晴れのようです」ならば70%とか。
 「今日の天気は晴れ、ところにより曇り、あるいは雨、寒いところでは雪かもしれません」てな具合で言えば、的中確率100%。

 天気予報の放送を、「気象予報士の●●がお送りしました」なんて、個人名を名乗っている場合がある。これはその人が予想した天気なんだろう。
 でも、それが当たらなかったとしても、「昨日は当たらなくて、お詫びします」って、謝っているのを聴いたことがない。いいのか。
 まあ、お天気まかせというぐらいだから、いちいち謝っているときりがないか。

 確率と言えば、降水確率というのが、なんだか分らない。
 本日の降水確率50%といえば、1日24時間のうち半分の12時間を雨降りって意味だとばかり思っていたら、何だか違うらしいが、どう違うのか知らない。

2014/05/08

922・大型連休が終ったらしいが終身大型連休服役中のこちとらは関係ないなあ

 大型連休が終わったらしい。こちとらは終るのがいつになるか見当がつかない超々大型連休を服役中だから、関係ない。
 世の中の大型連休の意味が分らない。たった4日間連続した休日なら、これを大型というのか。だって、3連休がしょっちゅうある今時、おかしいでしょ。

 近ごろ国民の祝日なるものがじわじわと増えていて、何のことかわからなくなった。
 海の日とか緑の日とか、いったいなんのことだよって思っていたら、こんどは山の日をつくろうって策動があるらしい。その次は、空の日と言い出して、陸海空3軍そろい踏みなるんだろう。
 まあ、なんでも作ればよろしいでしょう。こちとらはもう関係がないのだ。

 で、大昔の祝日はどうだったんだろうかと、気になって、わたしの亡父の遺品の小さな手帳をとりだして見た。
 1931年に軍隊に初年兵として入ったときに支給されたものらしく、発行は昭和五年紀元二千五百九十年とある。その初めの方のページに、当時の祝日が書いてある。

・大祭祝日
四方拝(1月1日)、元始祭(1月3日)、新年宴会(1月5日)、紀元節(2月11日)、春季皇霊祭(3月21日)、神武天皇祭(4月3日)、天長節(4月29日)、秋季皇霊祭(9月24日)、神嘗祭(10月17日)、明治節(11月3日)、新嘗祭(11月23日)、大正天皇祭(12月25日)

 これらのうちで現在も法による祝日は、元日(1月1日)、建国記念の日(2月11日)、春分の日(3月21日)、昭和の日(4月29日)、秋分の日(9月24日)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)である。

 紀元節、天長節、明治節という天皇制に由来を持つ日が、いまだ名前を替えて存続しているのに、神武天皇祭はともかくとしても、近代以降の天皇で大正天皇祭だけが消えたのが、妙に興味深い。
 こうやって見ると、戦前の祝日は、天体の運行による特定日のほかは、すべて天皇制に連動しているのであった。
 ところが、新しくできた現今の祝日の海の日が、明治天皇の行動に由来するというから、いまだに戦前をひきづっている。

 いまの祝日は、このあたりで法律で決めてくれる休みがあるといいのになあ、有給休暇を取りにくいからなあ、って、いかにも戦後日本的な事情で決めているらしい。
 だから、日曜日と重なると月曜日が代理で祝日になるとか、週の中日だとどっちかによって連休にするとか、もともとの記念日の意味がほとんどなくなってきた。それでいいけどね。
 
 要するに、勤め人がもっと休むためには、お上に頼って法による祝日で決めてもらわないと、有給休暇をとる権利を行使しにくいって、そういう事情が裏にあるんでしょうねえ、ナサケナイ。

2014/05/05

921地震で目覚めるわが生誕記念日の朝

本日、わたしの生誕●●周年記念日の朝、空中陋屋の夢の寝床がギシギシと揺れ続けるので目覚めた。地震だ、大きい。
大きいなあ、いつまで続くのだろうかと思いつつ、起き上がりもしないで、揺れる電燈を眺めていた。まわりの書棚から本の滝が降ってくるのを危惧しないでもなかった。
今、ネットニュースを観たら、東京・神奈川などで17人けがと出ている。けがの原因は、あわてて避難するときに転んだりしたらしい。
年寄りは慌ててはかえって危ない。地震がなくても死ぬ時はもう近いんだから、いまここで地震で死んでも大差ない、あわてないほうがよろしい、と、思っている。
わたしは多分、本棚から降ってくる本の滝に打たれて打撲傷で動けず、うずたかく積もった本のページに包まれて窒息死するだろうと思っている。それは本望(ダジャレだよ)である。

じつは前例があるのだ。http://datey.blogspot.com/2009/09/176.html

追記
 本日、PCのgoogle検索画面のトップに、こんな画像が出てきた。昨日はオードリーヘップバーンの生誕何年だったかの記念で彼女のイラストがでていたのが、今日は、こうである、小癪なことを、、。

 この「美徳さん、誕生日おめでとう」の「美徳さん」って、まさか、わたしのことじゃないよな。
 だって、グルグル屋がわたしの生誕記念日を知ってるわけはないし、家族でも親戚でもないのに、「美徳さん、おめでとう」って、いかにも親しげに名前で、しかもタメクチで言うことはないだろう。
 知らない間柄なんだから、もしも言うならば、「伊達様、お誕生日をお祝い申し上げます」って、言うべきでしょ。
 それに、辛党のわたしに、こんなにお菓子ばっかり出されては、ゲッと言ってしまう。
 これは、もう、よその人に違いない。

2014/05/02

920淫種液スプローラ-大欠陥で苦労無に乗り換え、真っ黒ソフトは真っ青ソフトになってるか

 今、真っ黒ソフト屋さんが、真っ青ソフト屋になっているらしい。ブラウザーのMS淫種液スプローラ―に、欠陥の大穴が見つかって、使用禁止令が行き渡っている。
 欠陥があるものを平気で売り出してもいいし、なんの補償金もくれないのが、この業界のおかしなところである。普通は欠陥商品を買わせたら、大いに謝って、補償してくれるものだろうに、どういうわけか。
 買って使いはじめる時に読まなかったが、「この商品は欠陥があっても一切補償しません」と、書いてあったのだろう。

 欠陥商品使用禁止になっても、いまどき世の中の人々も企業も官庁も、インタネットなしでは生きられないので、しょうがないからgoogle Chrome(苦労無とはよく言うよ)に乗り換えをしているようだ。
 真っ黒真っ青ソフトは修正IEの配布を急いでいるらしいが、いったん乗り換えたらいろいろ設定をするから、そこからまた元のIEに戻るのがめんどくさいので、多分、グーグルの勝ちになるだろう。
 そういえば、最近、Ahooがメーリングリストのサービスをやめて、MLグループが乗り換えを余儀なくされている。わたしが関係するいくつかは、どれもfreeMLに乗り換えた。多分、freeMLはにわかに利用者が増えただろう。

 わたしは、そんなことと無関係に、最近になってMSIEからChromeに乗り換えをしていた。IEよりも総じて使いやすくて、動画を見やすいと分かったからだ。
 クロームの問題は、縦書きタグを読んでくれなくて、全部横書きになってしまうことである。こらグーグル、なんとかせい。
 このところグーグルを使うことが多くなって、ちょっと癪にさわる。わたしが一番使っているのは、グーグルが提供するブログとインタネットサイトで、わたしのサイト「まちもり通信G版」と「伊達の眼鏡」である。
 これらの使用料が無料であることは他のインタネット事業者の提供サイトと同じなのだが、大きな違いはグーグルでは広告が画面に出ないことである。そこが気に入って使っている。

 ところで、今日のグーグル検索サイトトップ画面は、なんだかほんわかした絵になっていて、「樋口一葉生誕142周年」とでてくる。ふ~ん、半端な周年であるが、まあよろしい。
他に今日が生誕記念日の有名人を探したら、ほとんど聞いたことない人ばかりだったので、徳川 秀忠、エカテリーナ2世の二人だけあげておく。
 あと数日でわたしの生誕●●周年がくるが、グーグルはどんな絵にしてくれるかなあ。
 


2014/04/26

919桃源郷で徘徊老人の野外宴会は老人力増強自慢ごっこ

【桃源郷の春景色2014年4月25日】
 山梨県韮崎市の新府城跡から、花盛りの桃畑の向こうに、残り雪の八ヶ岳を望む。
 5年前から毎年、徘徊老人仲間と一緒に、穴山駅から桃畑の中をゆっくりと歩き、武田家滅亡の舞台となった新府城跡の小山に登り、桃源郷の眺めを楽しみつつ野外宴会をする。

 道々で採った山菜を天ぷらにあげつつ、美味い煮しめを食い、酒を酌み交わし、さて、来年は花はあっても、こっちが無くなるかもなあ、などと駄弁を弄している。駄弁の中心は、老人力(赤瀬川原平による)向上度自慢である。

 毎年やってだんだん分ってくるのは、食べる量が減り、飲むビールの本数が減り、たった高さ50mたらずの新府城址に登る時間が増え、老人力が確実に増強してくることである。昔は直登階段をつかったが、今では裏から山道をよろよろと登る。
 来年あたりは、たぶん、登るのをやめて、桃畑の花の下での宴会になるような気がする。再来年は、たぶん、駅前で宴会か。




 ことしは花見に行くのが遅そかったので、花盛りを少し過ぎた。
 いや、実は花盛りなのだが、桃を実らせるために農家による摘花が進んでいたのだった。
 桃畑は自然ではないから、電線が横切るし、桃の枝を吊る鉄柱が林立し、トタン屋根の作業小屋も点在する。それらを頭の中で映像調整して、八ヶ岳と桃の花だけを眺めるのであった。

関連ページ:260今、甲州は桃源郷
http://datey.blogspot.jp/2010/04/260.html

2014/04/21

918紛争地ウクライナの国連機関で活動する杢尾雪絵さんの現地報告をきいた

ウクライナ問題が毎日のマスメディアの話題です。
先日(2014年4月17日)、その紛争の国から一時帰国したユニセフ・ウクライナ代表の杢尾雪絵さんによる現地報告会を聴きにいきました。
そのNHKニュース番組がでていますので、ご覧ください。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140418/k10013837051000.html

ウクライナの内政問題が東西対立時代を彷彿させる国際問題となり、それが子ども世代や少数民族に直接的な被害をもたらすことになり、ユニセフの活動が大きな役割をもっているのだそうです。
ロシアに占領されたクリミアからの多数の避難民の問題は、福島原発核毒に占領された地からの避難民の問題に重なって聞こえました。

わたしは国際問題にはあまり関心がないのですが、こんどのウクライナ問題には、知人がウクライナに住んでいて、この騒乱に関わらざるを得ない立場にいることから、毎日のメディア報道に目が行きます。
そのウクライナの知人が、この報告者の杢尾さんなのです。

かつて杢尾雪絵さんは、わたしと一緒に都市計画の仕事をしていましたが、23年前にアメリカのコーネル大学院に留学後、国連機関のユニセフに入りました。
今はウクライナユニセフの代表者として、現下の困難な状況下での少年、少女、子どもを守る活動をなさっています。

モンゴル、コソボ、モンテネグロ、タジキスタンそしてウクライナと、彼女の行く先々が紛争地であり、国連の立場で政府と交渉しつつ、子ども支援に活躍しているそうです。
留学直前には、緒方貞子さんの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の国連ボランティア(UNV)としてトルコに行き、イラクからきたクルド難民救援をしたのでした。紛争地で弱者を支援する筋金入りの国際人です。
次は中央アジアのキルギスに転属とのことです。

日本を出てから23年、人なつっこい容貌もほんわかとした話しぶりも変わらないけど、国際人としての堂々たるその態度と言説に、すっかり感服しました。
私自身はなにもできなないのですが、一緒に仕事していた人がこのような国際人として活躍していることを誇りに思い、ちょっと自慢げに紹介します。

伊達関連ページ
タジキスタンでアフガン難民救援をしている友人(伊達美徳)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/mokuoyukie-tajik

外部関連ページ
◆いつも心に青空を ユニセフ タジキスタン代表・杢尾雪絵(NHKオンライン)
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1130/

2014/04/15

917建築家山口文象の自邸がTV番組に登場「古くて新しい家」

 本に書評があるように、TV番組にも「映評」ってのがあるのかもしれないから、いちおう書いておく。もっともTVをめったに見ないので、他の番組をみて比較する批評にはならない。
 2014年4月13日夕方、建築家山口文象の自邸を写した番組が、フジテレビで放送された。わたしも取材に協力をしたので、めったに見ないTVをその時間だけ見た。
 しかし、たった2分ほどの番組で、その前後途中に見たくもないたくさんの商業広告がでてきて、これだからわたしはTVを嫌いなのだ。

 番組名は「ロマン建築の旅」といい、有名建築家の住宅作品を順次放送するそうだ。
 その1回目は坂倉順三による「岡本太郎邸」であり、2回目が「山口文象自邸」(1940年竣工)をとりあげた。
 自邸の外観、中庭、サロンを中心の映像に、自邸と同じころにできた山口の作品である「黒部第2発電所」と「林芙美子邸」の写真を挟み、山口文象の子息の音楽家山口勝敏さんが語り、プロのナレーションによって概括する。

 ナレーションが、「古くて新しい家」、「74年前に建てられたが、いまだ未完成」という通り、できてから実に多様なる変遷があって、いつも新しいことがあったこの家、それが最も面白いところなのである。
 山口の頭の中の常に変更中の設計図によって、金ができると始めてしまう毎度の改変工事が続いて、金がなくなると工事が止まり、とりあえずの完成、入れたコインの額だけ動く器具(そのときはベルリンで住んだアパートの暖房器具を例にとりあげた)みたいなもんだと、山口当人から聞いたことがある。毎度動かされる家族は大変な目にあっていたらしい。
 いつも新しいこの家は未完成こそが本来の姿であるのだが、山口文象がいなくなったいまでは、これが完成した姿だと言わざるを得ない。

 2分やそこらの超短時間番組では、その変遷を詰め込むのはとうてい無理だろうが、当初のコテコテの民家風のインテリアと、いまの姿を重ね合わせるbefore-after映像を見たかった。
 家族や生活様式の変化によって、また山口文象の気分によって、間取りが何度もドラスティックに移り変わったてきたが、実に面白いのだが、。

 勝敏さんがそれについて、「いつまでも和と洋のデザインの間で、悩みつつ矛盾に揺れていた自作の実験場」と語るだけで、映像に出なかったのが残念だった。
 和と洋の両方の名手だった山口文象の世界を、ひとつの建物で長期間にわたって見せた建築作品であるが、建築は今の姿しか見えないので、この作品の真髄は見えないのである。

 ナレーションで気になったところ。
東京大田区、閑静な住宅街にひときわ目を惹く、一軒の家がある
 ふむ、一般の眼から見ると、あの家は「ひときわ目を惹く」のであるか。わたしは何回も訪ねて見慣れたせいもあるかもしれないが、そうでなくても、あの家は目を惹く代物だろうか。
 あのような道から平入りの瓦屋根の和風の家は、できたとき1940年の昔からの普通の住宅地の風景であった。モダンデザインで売り出した山口文象だが、実はこのような和風はお得意だった。
 それが今や、ナニヤラハウスとかナントカホームという大衆好みの今風住宅が建ち並ぶのが、この久が原でも当たり前の風景であり、山口邸は居ながらにして特異な姿になった、ということだろう。

浅草の大工の棟梁の息子として生まれ、独学で建築家になった
 ふむ、独学でねえ、わたしは山口文象自身の口から、独学だと言っているのを聞いたことも読んだこともない。わたしもこれまで山口についてはいろいろ書いてきたが、独学と思ったことは全くなかったので、ちょっと意表を突かれた。
 建築の専門家である大工を育てる中学校(職工徒弟学校大工分科)では「学」になならず、大学の建築学科を出ていないから、これを「独学」というのかしら。
 山口文象に建築を教えた師匠はいなかったのかと言えば、当人の口から出る彼が師匠とした建築家の名前は、山田守、岩元禄、石本喜久治(後に大喧嘩するが)、グロピウスである。
 特に、18歳で就職した逓信省営繕課で、多くの大学出のエリート建築家たちの下で修業をしたのだから、これを独学と言ってよいのだろうか。

 独学と自分でも言っているらしい有名な建築家に、安藤忠雄がいる。その彼とても、水谷頴介の下で働いたこともあるし、大阪工業大学に籍を置いたこともあるようだ。
 実は山口は学歴コンプレックスを持っていたようで、東京帝大の偽学生として伊東忠太の講義を聴いた(ほんとうならば時期的には東京美術学校であろう)とか、ドイツでグロピウスアトリエにいた頃にベルリン工科大学大学院で学んだとか、しゃべっている記録がある。それは後に東京工業大学の講師になったことで解消したようだ。
 大学で専門的に勉強しないで一流になることを独学というなら、学歴社会の象徴のような言い方の感がある。

 それで思い出したが、ある建築史家は、山口文象が大工から転身して建築家になったと思い込んでいたそうだ。
 山口は大工の子だが、当人は大工を仕事にしたことはなくて、その兄の山口順造が父を継いで大工となり、この山口自邸も彼の仕事であった。
 学歴ついでに、山口文象がバウハウスで学んだと書いてある建築史の本があるが、それは間違いである。山口が弟子入りしたしたグロピウスは、既にバウハウス校長を退任し、ベルリンでアトリエを持っていた。
  
離れには、下町情緒あふれる長屋
 ふ~ん、下町情緒ねえ、何だか雰囲気が違うよなあ。
 ここは当初は書生部屋だったのであり、その後は親戚や弟子たちが住んだこともあり、自邸改造中の家族の避難場所であったりした。まあ、形は長いから長屋だろうが、下町情緒はどこにもない。裏に路地があるくらいか。
 このナレーションの作者は、山口が下町の長屋で生まれ育った出自を、ここに文学的に託したのだろうか。

ヨーロッパ建築をとりいれた黒部川ダム
 あれ、これはダムじゃないよ、発電所だよ、正確には「黒部川第2発電所」、ついでに言えば、これにつながる山口がデザインしたダムは「小屋平ダム」。
http://www.suiryoku.com/gallery/toyama/kuro2/kuro2.html

「明治から昭和へ駆け抜けた建築家は、古い殻を破りたいとあがき続けていたのかもしれない」
 おお、これはうまくナレーションを納めてくれましたねえ、そのとおり。
 江戸の残る旧弊な下町から抜け出て山手のこの地に家を構えこと、和風の名手でありながら西欧モダンデザインで世に出たこと、個人作家と集団オルガナイザーの間で悩み続けたこと、そう、あがき続けた建築家であった。

「山口文象+初期RIA」アーカイブズ
https://bunzo-ria.blogspot.com/p/buzo-0.html


2014/04/13

916寮仲間メーリングリストをAhooからfreeMLへ移行したがインタネット屋は信用ならん

 仲間内でのインタネットで情報交換する仕組みにはあれこれあるだろうが、なんといっても伝統的なのは「メーリングリスト」だろう。
 fase baka(face bookともいう)やツッツイタ(ツイッタ―ともいう)が出る前からの道具で、今や伝統的情報交換道具といってよいのだろう。
 Ahoo(Yahooともいう)が、「Yahoo!グループ」なる無料で使わせるメーリングリストの仕組みを造っていて、けっこう大勢が使っているらしい。

 ところが、そのAhooがこんなことを言っている。
「2014年5月28日(水)午後3時(予定)を持ちましてYahoo!グループはサービスを終了させていただきます。10年もの長きに渡り、ご利用いただきありがとうございました」(「させていただきます」とは言葉を知らん奴だ、こちらが頼んだのじゃないぞ)
 TVがデジタル放送になって、アナログ受像機がパアになったが、これはそうはならないが、チャンネルをあわせてもダメだよ、もうヤーメタってことらしい。
 ということで、これまでこの情報連絡システムを使っていたものは、今慌てて、別の同じような仕組みを探して、移行しつつあるらしい。

 ところがその移行ってけっこう面倒なのである。どうして面倒であると知っているかというと、実はわたしもその“被害者”だからである。
 大学時代の寮仲間40数人のメーリングリストに、このahooグループを使っていたのだ。しょうがないから、あれこれ探してahooグループとほぼ同じことをやっている「freeML」なるところに移行したのだが、その移行作業を私がやったのである。
 いやなに、面倒な作業だから、無為徒食の身には、ちょっとは暇つぶしかつボケ防止、もしかしたら仲間のためにもなるかもしれない、なんて思ってやったのだから、それはそれでよいのである。

 たぶん、ただ今、日本中で、あるいは世界中で、AhooグループからfreeMLに移行作業をやっている連中が、たくさんいるのだろう。家賃がタダだからとて、借家を追い出されても、文句を言わずに引っ越し作業をするしかない。
 どれくらいの人がこれに関わっているか知らないが、移行しても得になることはなんにも無い。まったくもって無駄なエネルギー消費であって、暇つぶしにしか役に立たない。
 
 ahooはどうしてこのシステムを廃止したのだろうか、ちょっと考えてみた。
 思うに、たくさんのMLグループが使っているが、かなり多くのもう使っていないMLグループもあり、そのメールがahooのサーバーの中にたくさんたまりすぎて、邪魔になって来たのだろう。
 そこで、それらを一掃したいのだが、それには、いちいち使っていないグループに問い合わせて削除するのは手間がかかる。システム自体を全部やめちまえば、手間が一番かからない、という判断だろう。乱暴である。

 無料と言っても、毎度毎度メールごとに広告だらけの汚い画面を見せられつづけてきているのだから、こちらに借りがあるってことじゃないんだぞ。
 それなのに、都合が悪くなったら家ごと取り壊すから出て行け、タダだから勝手でしょ、なんてことをやっていると、汚い無料画面を我慢しつつ、メール情報を預けているこちとらは、もうお前なんか信用できないぞと思ってしまう。

 しょうがなくて移行した先のfreeMlだって、広告だらけの汚らしい画面を見せながら、やめた~っ、無料だからいいでしょって、いつ居直るかわからない。
 たぶん、このfreeMLの利用の初めに何やら条件が書いてあって、そこには「いつ止めても文句言わないこと」なんて書いてあるのだろう。
 以前にグーグルにも同じような仕組みがあったが、ある日ヤーメタってことがあったから、インタネット業界は、信用ならない。

2014/04/10

915【横浜ご近所探検】日ノ出町あたりの特徴のない街は、これから再開発でどう変る?

◆大岡川べりに再開発ビルの工事中
 大岡川の桜はほぼ散った。その長者橋の袂に、工事中の巨大な日ノ出町駅前再開発ビルが見える。
2008年に再開発事業の都市計画決定をしたのだが、直後のリーマンショックのせいだろうか、しばらく動きがなかったのが、ようやくここまで姿を現した。
完成予想図   ・着工前の現地風景


 工事の囲いに、なにか建物ではない絵が掲げてある。ほほ~、長者橋の際に船着き場をつくって、道から降りる階段もつけるとある。大岡川でボートや乗合船による船遊びのためらしい。
 再開発組合の名前で書いてあるから、この護岸再整備も再開発事業の一環で行うらしい。河川の整備を再開発事業で行うのは珍しい例だろう。横浜市はなかなかやるものである。

 数年前に黄金町にこれと同じ物をつくって、先日の花見の時にはイベントに活用していた。日ノ出町でも、これを活用すれば面白くなるかもしれない。
 横浜都心徘徊老人のわたしとしては、再開発ビルができ、このような環境整備で、日ノ出町はこれからどう変わるのだろうか、楽しみである。

◆いっそのこと「京急野毛山駅」に改名してはどうか
 日ノ出町の昔のことは知らないが、太平洋戦争直後は占領軍に接収された関内・関外から移ってきた商人たちによる闇市の街であったらしい。
 今は浄化作戦できれいになくなったが、かつては私娼の巣窟街であった黄金町の隣続きである。
 だから、かなり怪しげなところであったようだが、今もその伝統を受け継いでいるらしいストリップ劇場とエロ映画館がある。

 日ノ出町というところは、京浜急行でやってくると、横浜の伝統的な都心部の北の玄関口の位置にある。それなのに駅から降りてみると、なんともしょうがない街である。
 街に特徴ある施設もなし、特徴ある風景もない。あると言えば、京急の駅と例の劇場があるくらいなものだ。
 すぐそばに、野毛飲み屋街があり、野毛山公園があり、動物園中央図書館があり、大岡川を渡れば伊勢佐木モールも近いのだが、それらとのつながりイメージにならない。
 

 野毛の飲み街へは駅から便利であるが、野毛山公園にはちょっと厄介である。
 駅を降りても、花見にも動物園にもどう行ったらよいか、さっぱりわからない。水平距離は300mほどだろうが、標高差が100mはあるだろうから、歩くのも結構大変である。
 例えば、「京急野毛山駅」とでも改名してくれるとイメージがわくし、駅前から野毛山に登るシャトルバスを出してくれるといいのにと思う。

 せっかく、このあたり唯一の文化施設である市立中央図書館があるのに、日ノ出町から坂を登ってようやく建物までたどり着けば、そこからまた階段を登れという構造になっていて、年寄りや子連れにはけっこう厄介である。
まあ、年寄りには、図書館通いが足腰を鍛え、ボケ防止に役だつ、ということにしておいてもよい。だが、子連れにはそうはいかないだろう。

 あ、そうだ、日ノ出町駅前の再開発ビルに中央図書館を移転してくれたら、年寄りだけではなく市民一般に便利になり、日ノ出町もイメージを一新できるだろう。今の図書館を売れば、移転費用は出るような気がするが、いまさら言っても遅いか。
 あ、そうだ、いい考えがあるぞ、日ノ出町から黄金町までの京急の高架の下に市立中央図書館を持っていけばいいんだ、これなら便利だし、地域イメージ大きく上昇するし、投資も少なくて済むし、京急だって助かるだろう。どんなもんだろう。

 野毛山斜面地の住宅街が、このあたりの特徴的風景あるいは環境と言えるかもしれない。横浜にはあちこちに斜面住宅地が多いのだが、野毛山の四方の斜面も典型的なそれである。
 迷路のような細い坂道に、びっしりと重なるように建つ小さな住宅群は、街歩き好きの徘徊老人には、実に興味深い空間体験をさせてくれる。
 だが、いまや高齢社会になってしまったし、近いうちに大地震がくるし、この先どうなるだろうか。


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◆横浜ご近所探検隊が行く全目次