渋谷駅の東側の広場を隔てて、「ヒカリエ」なる妙な名前の巨大建物ができた。
ここには1956年にオープンした「東急文化会館」(坂倉順三設計)が建っていた。プラネタリウムが有名であり、当時はもっとも栄えていた映画の上映館が4つもあったビルであった。
その開館の次の年、わたしは少年時代を過ごした小さな田舎町をようやく抜け出して東京の大学生になった。渋谷がいちばん近い繁華街であったので、まさに都会の文化の殿堂のような気がしたものだ。
プラネタリウムにも映画にも行った。どの映画館だったか覚えていないが、東急文化寄席なる演芸もやっていた。ホール落語のさきがけだった。
そのうちに映画の衰退し。プラネタリウムもあちこちにできて珍しくなくなった。東急文化会館に入ることも永らくなかった。
そして渋谷は西側のほうが奥深くへ繁栄しだして、ますます東側には用がなくなった。文化需要も東急文化村や、その奥の観世能楽堂などで対応するようになった。
10年ほど前だったかその閉鎖が報じられて、取り壊されて巨大な空き地となった。
1950年代から戦後高度成長期の終わりを象徴するような気分で、東急文化会館の欠けた駅前風景を見ていた。
そして2012年5月、新ビルが「ヒカリエ」と名づけて開館した。新しもの好きだからさっそく行ってみてきた。
以下全文は→渋谷駅20世紀開発の再開発時代
http://sites.google.com/site/dandysworldg/sibuya20120508
2012/05/08
2012/05/06
616端午の節句は原発0記念日そして遂に後期高齢者突入記念日
昨日の5月5日は、大昔から端午の節句であり、4昔弱ほどからはわたしの誕生記念日である。遂に人生初めての後期高齢者に突入した。
還暦いらいこのところ人生初めてのことちょくちょく起きる。このあと喜寿、傘寿、白寿なんて人生初事件を、もうやりたくないなあ。
で、昨日は日本原発前面停止の記念日となった。北海道の泊原発が定期点検のために停止して、いまや日本中の電力は核エネルギーに頼っていない状態だそうだ。
なんでも全発電量の30パーセントが原子力発電所、つまり核分裂エネルギーに頼っている状態だそうだから、それに代わるエネルギー源から電力に変える必要がでてきた。
ただ、面白いのは、原発も火発もガス発もいずれも、いったん熱エネルギーにしてからそれを運動エネルギーに変えて、さらに電気エネルギーに変えるって面倒な過程を経ないと電力にならないのだそうだ。だからその間にずいぶんロスがあるらしい。
で、どうだろう、いちばんロスがないのは雷エネルギー利用だろう。雷からいきなり電力を取り入れたらよさそうに思うのだが、できないのかしら。
原発ゼロ記念日だから、これまでわたしの「まちもり通信」サイトと「伊達の眼鏡」ブログに書いてきた地震津波原発日記の2011年版を編集してブックレットにした。
題して「福島原発を世界遺産に・地震津波そして原発の日々2011」、わたしの趣味の自家製DTP出版の第14号である。
引き続いて適当な時期に今年のそれも編集しよう。
●参照→「まちもり叢書」
http://homepage2.nifty.com/datey/matimori-sosyo.htm
還暦いらいこのところ人生初めてのことちょくちょく起きる。このあと喜寿、傘寿、白寿なんて人生初事件を、もうやりたくないなあ。
で、昨日は日本原発前面停止の記念日となった。北海道の泊原発が定期点検のために停止して、いまや日本中の電力は核エネルギーに頼っていない状態だそうだ。
なんでも全発電量の30パーセントが原子力発電所、つまり核分裂エネルギーに頼っている状態だそうだから、それに代わるエネルギー源から電力に変える必要がでてきた。
ただ、面白いのは、原発も火発もガス発もいずれも、いったん熱エネルギーにしてからそれを運動エネルギーに変えて、さらに電気エネルギーに変えるって面倒な過程を経ないと電力にならないのだそうだ。だからその間にずいぶんロスがあるらしい。
で、どうだろう、いちばんロスがないのは雷エネルギー利用だろう。雷からいきなり電力を取り入れたらよさそうに思うのだが、できないのかしら。
原発ゼロ記念日だから、これまでわたしの「まちもり通信」サイトと「伊達の眼鏡」ブログに書いてきた地震津波原発日記の2011年版を編集してブックレットにした。
題して「福島原発を世界遺産に・地震津波そして原発の日々2011」、わたしの趣味の自家製DTP出版の第14号である。
引き続いて適当な時期に今年のそれも編集しよう。
●参照→「まちもり叢書」
http://homepage2.nifty.com/datey/matimori-sosyo.htm
2012/05/02
615住宅展示場を見て住宅地の風景が貧しいのはここにも原因があるらしいと思った
ゴールデンウィークとて、横浜ご近所探検隊はいつもの散歩コースでご近所観光である。
MM21から山下公園そして中華街へとふらふらと行けば、なんとまあ大勢がいるもんだと、いまさらに横浜都市観光の成功を見てきた。
海辺の公園には家族ずれも多いが、面白い格好の若者たちがあふれていて、正しく言えばコスチュームプレイ、つまりコスプレをやっている。
アニメーションムービー(アニメのこと)の登場人物の格好を真似ているらしいが、そのオリジナルが何かは、TVを見ないわたしにはトンと分らない。
でもあれこれと仮装大会のようで、見ていると面白い。
ちょうど今やっている野毛の大道芸イベントに負けない。海辺の公園よりも街の中でやってはいかがか。
MM21地区にはまだまだ広大な空き地があちこちにあるが、その一方でものすごい密度で開発が進んでいる街区もある。
超高層の共同住宅ビル群が、隙間なく並んで文字通り林立している有様は、屏風のようだ。街区の人口密度はどれくらいになるだろうか、500人/ヘクタールくらいになっているのだろうか。
寿町が1000人/ヘクタールだが、あそこは超高層ビルなどはなくてそうなのだからすごい。
おかしなことにMM21地区のその超高層ビルが立ち並ぶ中に、戸建住宅街がある。といっても人が住んでいない住宅展示場である。
住宅展示場にはいままで入ったことがなかったが、ちょっと覗いてみてびっくりした。
びっくりしたのは、戸建住宅という超高価な商品であるから、その展示場は理想的な住宅地の風景をつくって売っているのだろうと思ったのが、まったくその逆であったことだ。
そこはまるで郊外の安売り店舗街のように、派手な色の幟旗がヒラヒラ、広告板が派手にしゃしゃり出て、いかにも安っぽい風息であった。
住まいという環境を売っているのだろうと思ったら、住宅建築という物品を売っているのであった。
だから家の格好ばかりを見せていて、プライバシーはなく、道路から家に直接入るし、庭もない。もちろん隣同士の景観的配慮はなくて、それぞれが妍を競っている。こんなところに住みたくない。
そのような、家だけは立派だけど周辺環境が実に貧相な住宅地は、日本にはありこちにいくらでもある。
それはつまり、こんなところで家を買う人は、住宅地とはこういうもんだと思って買うだろうからそうなるのだろう。貧しい風景の原因はここにあったのか。
違和感を持って展示場の中を歩いたのであった。
違和感といえば、こんな風景もある。結婚式場らしい。なるほど、結婚式がおもいっきり非日常の出来事としての演出か。
こういう代物は広大な庭園のなかにあってこそ非日常だろうに、いきなり日常きわまる道端にあるのが、どうも解せない。
MM21から山下公園そして中華街へとふらふらと行けば、なんとまあ大勢がいるもんだと、いまさらに横浜都市観光の成功を見てきた。
海辺の公園には家族ずれも多いが、面白い格好の若者たちがあふれていて、正しく言えばコスチュームプレイ、つまりコスプレをやっている。
アニメーションムービー(アニメのこと)の登場人物の格好を真似ているらしいが、そのオリジナルが何かは、TVを見ないわたしにはトンと分らない。
でもあれこれと仮装大会のようで、見ていると面白い。
ちょうど今やっている野毛の大道芸イベントに負けない。海辺の公園よりも街の中でやってはいかがか。
MM21地区にはまだまだ広大な空き地があちこちにあるが、その一方でものすごい密度で開発が進んでいる街区もある。
超高層の共同住宅ビル群が、隙間なく並んで文字通り林立している有様は、屏風のようだ。街区の人口密度はどれくらいになるだろうか、500人/ヘクタールくらいになっているのだろうか。
寿町が1000人/ヘクタールだが、あそこは超高層ビルなどはなくてそうなのだからすごい。
おかしなことにMM21地区のその超高層ビルが立ち並ぶ中に、戸建住宅街がある。といっても人が住んでいない住宅展示場である。
住宅展示場にはいままで入ったことがなかったが、ちょっと覗いてみてびっくりした。
びっくりしたのは、戸建住宅という超高価な商品であるから、その展示場は理想的な住宅地の風景をつくって売っているのだろうと思ったのが、まったくその逆であったことだ。
そこはまるで郊外の安売り店舗街のように、派手な色の幟旗がヒラヒラ、広告板が派手にしゃしゃり出て、いかにも安っぽい風息であった。
住まいという環境を売っているのだろうと思ったら、住宅建築という物品を売っているのであった。
だから家の格好ばかりを見せていて、プライバシーはなく、道路から家に直接入るし、庭もない。もちろん隣同士の景観的配慮はなくて、それぞれが妍を競っている。こんなところに住みたくない。
そのような、家だけは立派だけど周辺環境が実に貧相な住宅地は、日本にはありこちにいくらでもある。
それはつまり、こんなところで家を買う人は、住宅地とはこういうもんだと思って買うだろうからそうなるのだろう。貧しい風景の原因はここにあったのか。
違和感を持って展示場の中を歩いたのであった。
違和感といえば、こんな風景もある。結婚式場らしい。なるほど、結婚式がおもいっきり非日常の出来事としての演出か。
こういう代物は広大な庭園のなかにあってこそ非日常だろうに、いきなり日常きわまる道端にあるのが、どうも解せない。
2012/04/29
614情けないゴールデンウィーク風景
ただいま世の中はゴールデンウィーク中。で、新聞にはいつものように、人出の写真。
今朝の朝日新聞1面にそういう写真があるのだが、見てなんだか情けなくなった。
なんでも東京湾の橋の向こうの千葉県側の海辺に、巨大なショッピングモールができて、そこにわんさかと人が集まってるんだなそうな。
情けなさその1:貴重な休みをショッピングセンターで過ごすのかい、なんてもったいないことを。
情けなさその2:わざわざ郊外にできた新しい買い物に行くということは、それだけ街なかが寂れているってことなんだろうなあ。
情けなさその3:こんなにたくさんの自動車が遠くからやってきて動き回り、なんというエネルギーの無駄遣いか、節電なんて口だけのことかよ。
情けなさその4:見たところ樹木が一本もないようだ。よくまあ、こんな殺風景なところを作ったもんだ。そしてよくまたこんなところに行きたがるもんだ。駐車場所と店舗の間をテクテクと炎天下を歩くんのかあ、ご苦労さん。
仕事しない休日が1週間続くことをそういうのなら、自慢じゃないが、わたしなど毎週ゴールデンウィークである。
自慢じゃないというのは、日常が忙しいと異日常のゴールデンウィークが嬉しいのに、毎週じゃあ面白くも可笑しくもない。
しかし、こんな情けない、薄ら寒くなる風景に出会うために出かけたくはない。
今朝の朝日新聞1面にそういう写真があるのだが、見てなんだか情けなくなった。
なんでも東京湾の橋の向こうの千葉県側の海辺に、巨大なショッピングモールができて、そこにわんさかと人が集まってるんだなそうな。
情けなさその1:貴重な休みをショッピングセンターで過ごすのかい、なんてもったいないことを。
情けなさその2:わざわざ郊外にできた新しい買い物に行くということは、それだけ街なかが寂れているってことなんだろうなあ。
情けなさその3:こんなにたくさんの自動車が遠くからやってきて動き回り、なんというエネルギーの無駄遣いか、節電なんて口だけのことかよ。
情けなさその4:見たところ樹木が一本もないようだ。よくまあ、こんな殺風景なところを作ったもんだ。そしてよくまたこんなところに行きたがるもんだ。駐車場所と店舗の間をテクテクと炎天下を歩くんのかあ、ご苦労さん。
仕事しない休日が1週間続くことをそういうのなら、自慢じゃないが、わたしなど毎週ゴールデンウィークである。
自慢じゃないというのは、日常が忙しいと異日常のゴールデンウィークが嬉しいのに、毎週じゃあ面白くも可笑しくもない。
しかし、こんな情けない、薄ら寒くなる風景に出会うために出かけたくはない。
2012/04/28
613横浜戦後復興の痕跡がまた消えた
鎌倉から横浜に引っ越してきた10年前の2002年、ご近所探検を始めてうろうろ、裏通りでものすごい蔦の葉の緑に包まれた街並みを発見して興奮した。
どうやらもう住んでいない公的な賃貸住宅らしい。
どうやらもう住んでいない公的な賃貸住宅らしい。
その緑の家のと背中あわせの大通り沿いに、これも汚れがものすごい5階建ての共同住宅が2棟建っている。これも公的な賃貸住宅らしいが、こちらは一階が店舗群となっていて営業している。住宅も空き家が多いが一部に住んでいるらしい。


これらはどうやら戦後の公的な住宅開発として建てられたものらしい。戦後復興遺産としてどう位置づけられているのか興味がわいた。
発見の次の2003年に、その緑の家は壊されて、倉庫が建った。5階建て共同住宅はまだそのまま。
残りの棟もすぐにたて変わるかと思ったら、どうも入居者ともめているらしく、永らく秋や状態であったが、ついに2012年の春、こちらも民間事業者の分譲型共同住宅がたった。
元の建物は、普通の人が見たらただの汚い古ビルだろうが、わたしには横浜の戦後復興の努力の記念碑のように見えていた。
ここにあった住宅のことを記録したものはもうないのであろう。誰か戦後復興の研究で、これも記録されているのだろうか。
戦後復興の時代の痕跡は、東京駅の復原に見るごとく、その評価をされることなく、どんどん消えていく。
●参照→347横浜ご近所再開発
http://datey.blogspot.jp/2010/11/347.html
http://datey.blogspot.jp/2010/11/347.html
2012/04/25
612空中陋屋からの風景
ここ7階にある空中陋屋に2002年9月から住んでいる。
バルコニーからの風景が、すこしづつ変わっていく。
いちばんの邪魔だったのが、日産自動車のビルの屋上広告塔であった。
真っ赤で、夜はライトアップする。ニッサンの車は買わない乗らないと決めた。
2012年の今、今度はその広告塔があったビルが撤去された。
バルコニーからの風景が、すこしづつ変わっていく。
いちばんの邪魔だったのが、日産自動車のビルの屋上広告塔であった。
真っ赤で、夜はライトアップする。ニッサンの車は買わない乗らないと決めた。
2012年の今、今度はその広告塔があったビルが撤去された。
●参照「まちもり通信」関連ページ「横浜・わが家からの眺め」
2012/04/24
611震災ガレキによる森づくりで思い出す
津波の防波堤として、森の長城を「宮脇方式」で海岸沿いに造れという、宮脇昭さんの提言が実現しそうだ。
震災ガレキを使って防波堤となる20~30m高さの連続盛り土を海岸沿いに築く。
それで思い出したことがある。1974年にドイツでこれと似たようなことをしてしている現場に行ったのだ。
宮脇さんと共に行った「ヨーロッパ自然保護・環境創造調査団」の旅で、ハンブルグでの北方郊外でのことである。
広い原野の中を市が買い取り、大きな穴を掘る。この穴掘りは、出てくる砂利販売をセットで民間業者にやらせるので、収益になるそうだ。 聞けば、ゴミを積んだら次は土を積むというように、ゴミと土で何層も重ねるのだそうだ。こうすれば腐敗は起きないので、現場は臭わなかった。
最下層のゴミは、水質に影響を及ぼさないものとする。
そうして30m程度に積みあがった最後は、この土地にもともとあった表土を20~30cmの厚みでかぶせる。この表土はここでの作業のはじめに、あらかじめ剥ぎ取って保存しておいたものである。
この表土に、この土地の潜在自然植生種の苗木を植える。5年もすれば立派な森になるそうだ。ここではこれから植えるのだが、別のところで、このようにして作った森の小山をいくつも見せられた。レクリエーションの場となっている。
その調査団の報告書をかねた出版物「緑のヨーロッパ・環境創造への道」(1976年 神奈川新聞社)を引っ張り出してみた。そこにこのような図が載っている。
この調査旅行の頃は、宮脇さんのいる横浜国大は建設中で、そこに実験として後に宮脇方式といわれる植栽方式が始まったころであった。それは今は見事な森になっている。
震災ガレキを使って防波堤となる20~30m高さの連続盛り土を海岸沿いに築く。
その上に潜在自然植生の各種郷土種樹木の苗木を、1平米に4、5本も密に植える。
その苗木は、毎年1mづつほども成長して、やがて森の長城つまり緑の山脈をつくりあげる。これが津波に対抗するというのである。
どうやらこれが復興政策として実施されるらしいが、これには震災ガレキを埋め、積み上げてよいものかという、廃棄物処理の問題が背後に横たわっているらしい。
化学的な毒物もあれば、降り注いだ核毒に汚染されているかもしれない。それを選別して一切除けることが可能だろうか、あるいは、ある程度に選別すれば埋め立て利用可能だろうか、というのである。法的な問題もあるらしい。
現実にはどのようになるのか、わたしには分らないが、ある程度選別すればよいというのが、宮脇さんの考えらしい。
これが復興政策になったのは、野田首相の一声というかなり政治的な局面かららしく、政府や自治体の施策現場では戸惑いもあるようだが、どうかがんばってもらいたい。
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宮脇さんと共に行った「ヨーロッパ自然保護・環境創造調査団」の旅で、ハンブルグでの北方郊外でのことである。
訪ねたそこは、ゴミ処理場のゴミの山であった。案内して説明してくれたのが、市役所の自然保護局の人であった。
ゴミの焼却は一切しないそうで、ここに埋め立てるのだ。広い原野の中を市が買い取り、大きな穴を掘る。この穴掘りは、出てくる砂利販売をセットで民間業者にやらせるので、収益になるそうだ。
最下層のゴミは、水質に影響を及ぼさないものとする。
そうして30m程度に積みあがった最後は、この土地にもともとあった表土を20~30cmの厚みでかぶせる。この表土はここでの作業のはじめに、あらかじめ剥ぎ取って保存しておいたものである。
この表土に、この土地の潜在自然植生種の苗木を植える。5年もすれば立派な森になるそうだ。ここではこれから植えるのだが、別のところで、このようにして作った森の小山をいくつも見せられた。レクリエーションの場となっている。
その調査団の報告書をかねた出版物「緑のヨーロッパ・環境創造への道」(1976年 神奈川新聞社)を引っ張り出してみた。そこにこのような図が載っている。
この「ゴミ+土+現地の表土+その土地本来の植生」という組み合わせを見て、その後もアウトバーンの緑化でも同じようなこと見たりして、宮脇さんの言うことが現地でよく理解できた旅であった。
ただし、それがドイツでは一般的になっているかというと、そうでもないことも分ったのは、ドルトムントで同様にして作ったレクリエーション施設で現地側の説明を受けているときに、市民団体の人からからゴミの埋め立てに反対という言葉に出会ったのだった。
写真はそのときの模様である。右の坊主頭が宮脇さん、その右に白髭のチュクセンさんが見える。チュクセンは宮脇さんの師匠で、潜在自然植生という概念の確立とその応用による国土緑化を進めた人である。
ドイツとは気候や植生が大きく異なる日本で、その日本流の理論と実践を研究して成果を挙げたのが宮脇さんであった。
この調査旅行の頃は、宮脇さんのいる横浜国大は建設中で、そこに実験として後に宮脇方式といわれる植栽方式が始まったころであった。それは今は見事な森になっている。
70年代は日本の公害問題で緑の復権を唱える宮脇さんは引っ張りだこになり、今は東日本大震災で自ら現地へ足を運び提言をして実施へと、傘寿を超えた身で忙しいようだ。
宮脇さんが活躍しなくてもよい時代が来ることを期待するばかりである。
●参照「まちもり通信」サイト関連ページ
道路緑化の文化史的考「高速道路 成熟へ向かう現代の意志の道」
http://homepage2.nifty.com/datey/dororyokka3.htm
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
609森の長城が津波災害を防ぐ
http://datey.blogspot.jp/2012/04/609.html
583イオンの森と津波
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
560核毒の森づくりが始まる
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
001ふるさとの森の大学キャンパス
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html
●参照「まちもり通信」サイト関連ページ
道路緑化の文化史的考「高速道路 成熟へ向かう現代の意志の道」
http://homepage2.nifty.com/datey/dororyokka3.htm
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
609森の長城が津波災害を防ぐ
http://datey.blogspot.jp/2012/04/609.html
583イオンの森と津波
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
560核毒の森づくりが始まる
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
001ふるさとの森の大学キャンパス
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html
2012/04/23
610「森の長城」は「みどりのきずな」か
今朝、「609森の長城が津波災害を防ぐ」という記事を掲載したら、こんな今日のニュースがでてきた。
●被災地の防潮林整備を年度内着手 がれき活用策で首相
民放のテレビ番組に出演した野田首相=23日午後、東京都港区(代表撮影)
野田佳彦首相は23日のTBS番組収録で、東日本大震災で発生したがれきを盛り土形式で使う防潮林整備について、対象となる青森県から千葉県までの沿岸部約140キロのうち約50キロ分を本年度中に着手すると表明した。
事業名は「『みどりのきずな』再生プロジェクト」で、細川護煕元首相が3月の首相との会談で提言していた。
(2012.4.23 18:48 msn産経ニュース)http://goo.gl/LdLoj
なんで宮脇さんじゃなくて細川さんなんだろうか。そこが政治の世界なのかしら。
事業名も「森の長城」じゃなくて「みどりのきずな」だってさ。
もしかして、宮脇方式じゃない植栽かもしれないなあ、造園業界や林学派への政治的配慮とかで、、、まさか。
ここまで書いて、さらにネット検索したら、3月20日野田・細川会談があり、そこには宮脇さんも同席していて、この提案であったとのニュースが見つかった。
http://www.asahi.com/politics/update/0320/TKY201203200350.html
そうか、それならよかった。
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
609森の長城が津波災害を防ぐ
http://datey.blogspot.jp/2012/04/609.html
583イオンの森と津波
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
560核毒の森づくりが始まる
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
001ふるさとの森の大学キャンパス
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html
●被災地の防潮林整備を年度内着手 がれき活用策で首相
民放のテレビ番組に出演した野田首相=23日午後、東京都港区(代表撮影)
野田佳彦首相は23日のTBS番組収録で、東日本大震災で発生したがれきを盛り土形式で使う防潮林整備について、対象となる青森県から千葉県までの沿岸部約140キロのうち約50キロ分を本年度中に着手すると表明した。
事業名は「『みどりのきずな』再生プロジェクト」で、細川護煕元首相が3月の首相との会談で提言していた。
(2012.4.23 18:48 msn産経ニュース)http://goo.gl/LdLoj
なんで宮脇さんじゃなくて細川さんなんだろうか。そこが政治の世界なのかしら。
事業名も「森の長城」じゃなくて「みどりのきずな」だってさ。
もしかして、宮脇方式じゃない植栽かもしれないなあ、造園業界や林学派への政治的配慮とかで、、、まさか。
ここまで書いて、さらにネット検索したら、3月20日野田・細川会談があり、そこには宮脇さんも同席していて、この提案であったとのニュースが見つかった。
http://www.asahi.com/politics/update/0320/TKY201203200350.html
そうか、それならよかった。
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
609森の長城が津波災害を防ぐ
http://datey.blogspot.jp/2012/04/609.html
583イオンの森と津波
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560核毒の森づくりが始まる
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479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
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001ふるさとの森の大学キャンパス
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609森の長城が津波災害を防ぐ
東日本大震災復興への提言として、植物社会学者の宮脇昭さんが、「森の長城」づくりを提言している。津波が襲った三陸から東北地方の太平洋側海岸に、300kmの森による防波堤を築こうというのである。
しかもこの万里の長城は、震災ガレキを使って土を混ぜて高く盛り上げ、その上には潜在自然植生種の苗木を、市民参加で植えていくのだ。
これはもう40年以上も前から、宮脇さんが提唱して実施している通称「宮脇方式」といわれている森づくり手法で、全国の学校の環境林、道路の騒音防止、工場緑化、ダム緑化などに実現している。
今回の提言はそれらの延長上にあるのだが、これまでと大きな違いは、宮脇さんが特定のプロジェクトとして提言していることだ。これまで宮脇方式は、どちらかというと開発計画が先にあって、これに対応して宮脇さんに指導を受けて森を造るのであった。
推測だが、宮脇さんが自らのプロジェクトとして実現した森は、横浜国大のキャンパスだけのように思う。これは宮脇さんが最初に手がけた、ご自身の研究拠点であり、これが成功したことが、次へのステップとなったのである。
そして潜在自然植生という宮脇理論と、それによる宮脇方式「ふるさとの森づくり」を、宮脇さんは繰り返し唱え続けてきている。
だが、それが緑化のメインストリームとはならない。
宮脇方式を導入する森づくりは、いつも彼にたまたま共鳴した奇特な人々による特殊な事例であり続けるのだった。
宮脇さんは浜岡原子力発電所の防災林作りのための調査も行っていて、海側に津波よけの森づくりを提案したが、海側は津波対策は大丈夫だからと断られ、裏山を切り崩してできた崖地に宮脇方式の森をつくったそうだ。
宮脇方式が普及しないのは何故だろうか。
そこには日本の森に関する研究と実践において、宮脇さんの理学部系の生態学派と、農学部系の林学及び造園学派の対立があるらしい。宮脇さんの提唱する常緑広葉樹林に対して、造園学派からの強烈な反駁の文章を読んだことがある。
今回の宮脇さんの提言には、根こそぎ津波にやられた松林の海岸林は、その植生が間違っていたと痛烈に述べる。
宮脇さんに言わせると、津波で何万本も根こそぎ倒れたのに一本だけ残って有名になった陸前高田の奇跡の一本松は、健気どころか失敗の象徴であることになる。
海岸に松を植えることは、全国的に当たり前に行われている。この松林の海岸林を作ったのは林学派だろうから、そちらの反発が多分ありそうな気がする。
わたしから見れば、生態学派は森へ人間も含む生物の生命からアプローチし、林学造園学派は森へ人間の生活・生産からアプローチしていている。盾の両面だ。
その両者の間には、自然林、二次林、生産林、里山、庭園、田畑などの、いくつかの森や緑の様相がある。それが環境というものである。対立する意味がない。
ただし、造園業界からの反発は分る。だって、1本が百円かそこらの苗木では儲からない。お庭に立派な成木を持っていくと1本百万円だってとれるのになあ。
さて、ここに来てようやく宮脇さんからナショナルプロジェクトの提案である。一部の自治体や学校などで実行に移しているらしい。
この構想がこれまでどおりに、一部の奇特な人々による一部のプロジェクトで終わるのだろうか、それともナショナルプロジェクトに位置づけて、300kmの「森の長城」が実現するのだろうか。
宮脇さんの今回の提言を述べる最近の著書、『「森の長城」が日本を救う』(河出書房2012.3)を読んだ。「列島の海岸線を「いのちの森」でつなごう!」と副題がついている。
宮脇さんの著書は、1972年の「植物と人間」をはじめとして何冊もあって、わたしは宮脇研究室に出入りしていた頃、名著「日本の植生」(学研1977)の制作を手伝ったこともある。
一般書の内容は、ほぼ変わらない主張(キーワードは、潜在自然植生、鎮守の森、ポット苗、本物の森、混ぜる)が繰り返されており、今年の新著にもそれが述べられる。
昔と変わったところといえば、よく言えば思想的、はっきり言うとお説教的な言説が多くなってきたこと、そして同じことの繰り返しが多くなったことだ。
この繰り返しは、初めは気になるが、何回もいろいろな話の局面で登場すると、それはもう歌のリフレインのごとく、こころよく聞こえるのである。宮脇教の教祖様の唱える宮脇経である。
植物社会の秩序概念を人間社会にアナロジーとする言説は、分りやすいが人間はそうは行かないものだろうと気になることもある。
提言は三陸から福島にかけての300kmの森の長城プロジェクトだが、これは実は東海道ベルト地帯の海岸線にこそ緊急プロジェクトのはずである。
東北被災地がガレキをどこかに引き取ってもらいたいなら、こちらに持ってきて森の長城の基盤となるマウンド作りに使ってはいかがですか。
宮脇さんの提案そしてその理論と実際を知るには、下記のサイトが最も適切である。
●IGES 地球環境セミナー基調講演 (2012.3.23)
「効果的がれき処理と自然の再生:緑の防波堤構想」
横浜国立大学名誉教授 (財)IGES 国際生態学センター長 宮脇 昭
http://www.iges.or.jp/jp/news/event/20120323earthquake/pdf/1_miyawaki.pdf
宮脇さんの書いた本はどれも読みやすいが、その理論と実践を一番よくわかるのは、皮肉なことに宮脇さんの自著よりもノンフィクションライターが書いたものである。
「魂の森を行け―3000万本の木を植えた男」(新潮文庫 一志治夫 2006)
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
583イオンの森と津波
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
560核毒の森づくりが始まる
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
001ふるさとの森の大学キャンパス
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html
しかもこの万里の長城は、震災ガレキを使って土を混ぜて高く盛り上げ、その上には潜在自然植生種の苗木を、市民参加で植えていくのだ。
これはもう40年以上も前から、宮脇さんが提唱して実施している通称「宮脇方式」といわれている森づくり手法で、全国の学校の環境林、道路の騒音防止、工場緑化、ダム緑化などに実現している。
今回の提言はそれらの延長上にあるのだが、これまでと大きな違いは、宮脇さんが特定のプロジェクトとして提言していることだ。これまで宮脇方式は、どちらかというと開発計画が先にあって、これに対応して宮脇さんに指導を受けて森を造るのであった。
推測だが、宮脇さんが自らのプロジェクトとして実現した森は、横浜国大のキャンパスだけのように思う。これは宮脇さんが最初に手がけた、ご自身の研究拠点であり、これが成功したことが、次へのステップとなったのである。
そして潜在自然植生という宮脇理論と、それによる宮脇方式「ふるさとの森づくり」を、宮脇さんは繰り返し唱え続けてきている。
だが、それが緑化のメインストリームとはならない。
宮脇方式を導入する森づくりは、いつも彼にたまたま共鳴した奇特な人々による特殊な事例であり続けるのだった。
宮脇さんは浜岡原子力発電所の防災林作りのための調査も行っていて、海側に津波よけの森づくりを提案したが、海側は津波対策は大丈夫だからと断られ、裏山を切り崩してできた崖地に宮脇方式の森をつくったそうだ。
宮脇方式が普及しないのは何故だろうか。
そこには日本の森に関する研究と実践において、宮脇さんの理学部系の生態学派と、農学部系の林学及び造園学派の対立があるらしい。宮脇さんの提唱する常緑広葉樹林に対して、造園学派からの強烈な反駁の文章を読んだことがある。
今回の宮脇さんの提言には、根こそぎ津波にやられた松林の海岸林は、その植生が間違っていたと痛烈に述べる。
宮脇さんに言わせると、津波で何万本も根こそぎ倒れたのに一本だけ残って有名になった陸前高田の奇跡の一本松は、健気どころか失敗の象徴であることになる。
海岸に松を植えることは、全国的に当たり前に行われている。この松林の海岸林を作ったのは林学派だろうから、そちらの反発が多分ありそうな気がする。
わたしから見れば、生態学派は森へ人間も含む生物の生命からアプローチし、林学造園学派は森へ人間の生活・生産からアプローチしていている。盾の両面だ。
その両者の間には、自然林、二次林、生産林、里山、庭園、田畑などの、いくつかの森や緑の様相がある。それが環境というものである。対立する意味がない。
ただし、造園業界からの反発は分る。だって、1本が百円かそこらの苗木では儲からない。お庭に立派な成木を持っていくと1本百万円だってとれるのになあ。
さて、ここに来てようやく宮脇さんからナショナルプロジェクトの提案である。一部の自治体や学校などで実行に移しているらしい。
この構想がこれまでどおりに、一部の奇特な人々による一部のプロジェクトで終わるのだろうか、それともナショナルプロジェクトに位置づけて、300kmの「森の長城」が実現するのだろうか。
宮脇さんの今回の提言を述べる最近の著書、『「森の長城」が日本を救う』(河出書房2012.3)を読んだ。「列島の海岸線を「いのちの森」でつなごう!」と副題がついている。
宮脇さんの著書は、1972年の「植物と人間」をはじめとして何冊もあって、わたしは宮脇研究室に出入りしていた頃、名著「日本の植生」(学研1977)の制作を手伝ったこともある。
一般書の内容は、ほぼ変わらない主張(キーワードは、潜在自然植生、鎮守の森、ポット苗、本物の森、混ぜる)が繰り返されており、今年の新著にもそれが述べられる。
昔と変わったところといえば、よく言えば思想的、はっきり言うとお説教的な言説が多くなってきたこと、そして同じことの繰り返しが多くなったことだ。
この繰り返しは、初めは気になるが、何回もいろいろな話の局面で登場すると、それはもう歌のリフレインのごとく、こころよく聞こえるのである。宮脇教の教祖様の唱える宮脇経である。
植物社会の秩序概念を人間社会にアナロジーとする言説は、分りやすいが人間はそうは行かないものだろうと気になることもある。
提言は三陸から福島にかけての300kmの森の長城プロジェクトだが、これは実は東海道ベルト地帯の海岸線にこそ緊急プロジェクトのはずである。
東北被災地がガレキをどこかに引き取ってもらいたいなら、こちらに持ってきて森の長城の基盤となるマウンド作りに使ってはいかがですか。
宮脇さんの提案そしてその理論と実際を知るには、下記のサイトが最も適切である。
●IGES 地球環境セミナー基調講演 (2012.3.23)
「効果的がれき処理と自然の再生:緑の防波堤構想」
横浜国立大学名誉教授 (財)IGES 国際生態学センター長 宮脇 昭
http://www.iges.or.jp/jp/news/event/20120323earthquake/pdf/1_miyawaki.pdf
宮脇さんの書いた本はどれも読みやすいが、その理論と実践を一番よくわかるのは、皮肉なことに宮脇さんの自著よりもノンフィクションライターが書いたものである。
「魂の森を行け―3000万本の木を植えた男」(新潮文庫 一志治夫 2006)
●「伊達の眼鏡」サイト内関連ページ
583イオンの森と津波
http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
560核毒の森づくりが始まる
http://datey.blogspot.com/2011/12/560.html
479●21世紀の「谷中村」は「核毒の森」
http://datey.blogspot.jp/2011/08/47921.html
001ふるさとの森の大学キャンパス
http://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html
2012/04/22
608伊勢佐木モールの新顔店舗
伊勢佐木町の商店街に中型の店舗「カトレアプラザ」が開店した。そこは208年10月に閉店した百貨店の松坂屋があった跡地である。
伊勢佐木町の松坂屋は、横浜の関内・関外という昔からの横浜都心にある最後の百貨店であった。
その松坂屋の建物は、石に細工をした装飾をまとった5階建てで、デザイン的にはそれほどのものでもなかったが、かつてのデパート繁栄時代を偲ばせる堂々たるファサードだった。
わたしはこの松坂屋には買い物の用事はほとんどなかったが、4階にあった郵便局が自宅から一番近かったのでちょくちょくよったものだ。なんだかガランとしている印象がいつもあった。
それが閉店してから3年半、取り壊してまた何か建築していて、伊勢佐木町モールの重要な一角に長い板囲いで店が途切れていた。
ようやく再開した店舗は、3階建てで、一階には量販店、2階には安売り衣料や百円均一安売り店など、3階には美容院やマッサージなどがある。
これらの新たな店舗構成を見ていると、百貨店時代は確実になくなった、伊勢佐木町モールのどこか低落する様子を思わせる。
それは、この新ストアーの前に最近出店した安売り靴屋が、店頭路上に乱雑に商品を張り出し、客引き男が大声を上げていることに象徴される。
チェーン店やゲーム屋がだんだんと侵食してきている。老舗はどうなるのだろうか。わたしが用事がある唯一の老舗は有隣堂書店である。がんばってくれい。
さてこの新ビルは、表の3分の1ほどのエレベーションに、旧松坂屋ビルのファサードの一部をコピー再現している。その努力には敬意を表するが、あまり上手ではない。ファサード全部を再現する必要はないとしても、新旧の取り合わせが安易である。
内部にもちょこちょこと旧松坂屋デザインを継承している。以前のそれらを知っていると面白い。せっかくだから、その案内を掲示してはどうか。
伊勢佐木町の松坂屋は、横浜の関内・関外という昔からの横浜都心にある最後の百貨店であった。
その松坂屋の建物は、石に細工をした装飾をまとった5階建てで、デザイン的にはそれほどのものでもなかったが、かつてのデパート繁栄時代を偲ばせる堂々たるファサードだった。
わたしはこの松坂屋には買い物の用事はほとんどなかったが、4階にあった郵便局が自宅から一番近かったのでちょくちょくよったものだ。なんだかガランとしている印象がいつもあった。
それが閉店してから3年半、取り壊してまた何か建築していて、伊勢佐木町モールの重要な一角に長い板囲いで店が途切れていた。
ようやく再開した店舗は、3階建てで、一階には量販店、2階には安売り衣料や百円均一安売り店など、3階には美容院やマッサージなどがある。
これらの新たな店舗構成を見ていると、百貨店時代は確実になくなった、伊勢佐木町モールのどこか低落する様子を思わせる。
それは、この新ストアーの前に最近出店した安売り靴屋が、店頭路上に乱雑に商品を張り出し、客引き男が大声を上げていることに象徴される。
チェーン店やゲーム屋がだんだんと侵食してきている。老舗はどうなるのだろうか。わたしが用事がある唯一の老舗は有隣堂書店である。がんばってくれい。
さてこの新ビルは、表の3分の1ほどのエレベーションに、旧松坂屋ビルのファサードの一部をコピー再現している。その努力には敬意を表するが、あまり上手ではない。ファサード全部を再現する必要はないとしても、新旧の取り合わせが安易である。
内部にもちょこちょこと旧松坂屋デザインを継承している。以前のそれらを知っていると面白い。せっかくだから、その案内を掲示してはどうか。
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