2023/10/27

1721【おとなの性教育】人間の性が男女二つしかない時代が終る先の世界を見たい

 このところ新聞にちょいちょい登場する「外観要件」なる法律用語であるらしい言葉、それって要するにアレの恰好のことであるらしい。アレを想起させる見出しが新聞の第1面に登場するとはねえ、どうも居心地が悪い。尻のあたりがモゾモゾする。



 もしもそれが顔に関する「外観要件」ならば、美しいとか可愛いとか醜いとかって条件を備えていると、何らかの要請によリ「外観要件」になるんであろう。
 それがアレ、いやアレのことを法律用語で堂々と書いてあるから遠慮することはない、「性別の性器に似た外観」のことである。この「似た」と言うところを読むと、なんだかニタッとしてしまうのが恥ずかしい、いや、新聞第1面で恥ずかしがってどうする、続いて精巣・卵巣・陰茎などが登場するのだ。

 さて、それらの用語を語る大新聞記事、そのニュースソースの判決を語る裁判官、あるいは検察官など、これらの外形要件を大真面目に語り書くときに、そのブツの外形を頭の中に描くのだろうと思うと、ニヤニヤしたくなるのは、不謹慎だろうか。

 そこでこれはいかん、この記事は大人の性教育なんだなと、まじめに読みだすのだった。読んでいくと第2面ともなるともっと直截になり、陰核(クリトリス)、陰茎(ペニス)、精巣(睾丸)なんて医学用語?さえ出てくる。さてこの新聞を声を出して読むことになったら、ちょっと躊躇するだろうなあ。

 いやいや、いまや三面記事どころか第二面の記事に登場する言葉に、これらが堂々と登場する時になった、と言いうことは、いわゆる三面記事ともなると、チンポコ、ヘノコ、オマンコなんて堂々と登場、更には画像も登場するに違いないと、急いでそちらを見たのだが、どこにもないのであった。なんでだろう?、記事の出来が悪い。
 ついでに書くが、ヘノコなる言葉は今やだれでもどこでもいつでも堂々と発言するようになってしまって、男のアレの隠語であることを忘れられてしまったらしい。哀しむべし。

 この種のことにわたしはあまり興味を持たないでいたが、このところ急にこの類の大人の性教育事件がちょくちょく登場するようになった。優勢思想による強制断種手術事件もそのひとつである。またつい先ごろには、なんとかと言う芸人プロデゥサーの男が少年芸人たちをつぎつぎと性的暴行したと元美少年たちが訴える事件があった。

 私はTVを観ないから、これについても特に興味なかった。だがこの話題の新聞やネットの大騒ぎで、この男はどんなことをしたのか推理をしたら、要するに男色の相手を強制したらしいと分かった。おお、西欧のキリスト教的規範輸入の前までは、歴史的にも普通にあったのだな、でもそれが何をするのか詳細なことはどこにも登場しない。まさかTVには登場?

 これでは性教育にはならない感もあるのだが、その点で言えば今回の外観要件事件、いや、「性同一性障害特例事件」(性が2回も登場するのがオカシイ)の方が露骨に表現されていて、ワイセツ感ある用語が登場するのが、なんだかオカシイ。

 それにしても男と女というものは、生物的な自然科学の厳然たる分類と思って生きてきたのだが、それが人間の心や医学という文化的側面から次第に突き崩されていく現代に直面して、さてこれは面白いことになって来たぞ。

 こうなれば今に男女の分別が全くなくなる、あるいは両者は左右両極にあってその間は虹のごとくに各種の性がある、あるいはグラデーションを持って変化してゆく、そんな性同一性障害なる言葉が溶け去る時代が来るにちがいない。
 そうなればそうなれば文化的態様も大きく変わるに違いない。興味津々である。それならばそれを見届けてから死にたい気がしてきた。無理だろうな。

(20231027記)

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2023/10/26

1720【中越震災19年目のコメ】豪雪山村の棚田から毎秋にやってくる新米コシヒカリの美味いことよ

  新聞記事に、今年は異常に暑かったので、米の名産地新潟でも、品質の等級が下がっているとある。そのようなところに、越後の山村から、今年もうまいコメがやってきた。



 ここのコシヒカリの飯は実に旨い、冷めてもうまいのだ。その証拠にはこのコメを収穫す棚田は、有名なブランド米の南魚沼コシヒカリ産地に隣接するのだから、事実上は同じところである。

 その棚田のある集落の名は「法末」(新潟県長岡市)と言う。今から19年前の2004年10月23日の夕刻、大地が大きく揺れて、山地は崩れ、集落は崩壊した。中越大震災である。

中越地震による法末集落の大崩落

 その集落からこのコメはやってきたのだ。そう、法末集落も1年もの間、集落民みんなが避難していたが、いまや復興してまた米作りをやっているのだ。

 わたしは震災翌年からNPO仲間たちと一緒に、この住民100人ほどの集落の復興支援を手伝うようになり、次第に後退しながらも10年も通った。わたしたち仲間でできることは、その集落の生活仲間となって、一時避難で消えようとする集落の生活を、また元の様に戻そうとする人々を応援することであった。一軒の大きな茅葺屋根の家を手に入れて拠点とした。

 中でも耕作放棄されていた棚田を復活して、米作りをさせてもらったのは貴重な体験であった。NPO仲間の誰も知らない米作り術を、集落の人たちに手とり足とりで教わると、美味いコメができて嬉しかった。
 一方の教える集落民にも楽しいことであり、初めての収穫のときは集落の人たちを集会所に集めて宴会をして食べてもらったものだ。
 年中行事の復活など、多くの交流がここから生まれ、10年ほど素人米作りを伴う集落維持支援活動が続いた。

 その仲間のひとりが集落に居ついてしまい、米作りで生計を立てることなり、仲間で出資して営農会社を立ち上げた。その会社は今もつづいており、毎年秋に新米ができると出資への配当として5kgがやってくる。
 今年は異常に言暑い夏だったが、どうやら平年並みのできを保つとのことである。そして味は、やはりうまいのであった。でも、今年から3㎏に減配となったのが残念。

法末集落展望

 わたしは雪国育ちではないので、この集落が豪雪の地であり、毎冬2~3mの積雪が普通で、時には4mを超える雪に出くわす冬も体験して驚きつつ、雪国の暮らしに大いに興味を覚えたが、さすがに住みつく気は起らなかった。
 その真っ白な景観に魅了されたが、冬のほかの緑の景観はもっと素晴らしかった。春から夏そして秋へと移り変わる田畑や野山の日々の景観を、まるでわが身にまとっている日々は、実に楽しいものだった。冬にあまりに深い季節の底へと誘われたから、反動的に春夏秋が浮きたつ日々であった。

法末集落棚田の四季

 さてあの大震災から20年にもなろうとしている今、集落はまた静かに老いてゆき、耕作放棄の田畑も増えているらしい。農業会社はその棚田の耕作を引き受けることで、米を作り続け、東京で直接販売も手掛け、それが豪雪山村を維持しているようである。

 美味いコメを食いつつ、それを産むあの巧みな水利技術が支える美しい棚田に、新幹線で米作りに通っていたころを思い出し、集落人同様に老いたわたしはもう行くことはないであろうと考えている。あそこはもしかしたら、いったん出るともう二度とは入れない別天地はたまた桃源郷であったかと思うのだ。

(20231026記)

これに関連するこのブログの記事
・1496【中越大地震発災16年目】2020/10/23 
中越大地震被災山村復興お手伝い日録2005~2020 

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2023/10/25

1719【言葉の酔時期:直火】今どきのキャンプ場では肉や魚を直火で焼くのは禁止らしい

 言葉は時代に連れて変わると承知している。
 焼ちくわなる食品に「直火」(チョクヒではなくてヂカビと読むのだろう)と書いてある。竹輪だから魚の練り物を丸いパイプ状にして、火で焼いて作るのだろう。
 それが当然に思うのだが、わざわざ直火と書いてあるのはどうしてだろうか。どうでもよいけどちょっと気になった。

 ネット検索してみたが、なぜ直火とわざわざ言うのか分からない。推察するに、現代の製法では直火に当てて焼くのではなく、例えば熱風とかで焦がすのかもしれない。それが普通の製法となったから、ここでわざわざ直火と書いて付加価値があるごとく見せているのだろうか。

 そんなどうでもよいことをネット検索していたら意外なことを発見、日本のあちこちの野外キャンプ場で、「直火禁止」なる標識が立っているらしい。
 え、キャンプで火を焚いて、その直火で食材を焼くって昔から当たり前でしょ、鍋とかフライパンを強制使用させるのかしら。直火竹輪持ち込み禁止か
 ついでにどうでもよい解説すると、八百屋お七とかジャンヌダルクの様に、直接に火あぶりされた刑罰は直火だが、石川五右衛門の釜茹での刑は直火とは言わないのだ。

 今のキャンプ場で直火禁止とは、いったい何が起きているのだろうか、なにか衛生的な問題があるのかしら。
 不思議なので、ネットのあちこち見ていて、わかった。地面の上で直接に火を燃やすことを直火(右中寫眞)と言うのだそうだ。それで「直火禁止」とは、地面から脚付きの鉄板とかの上で焚火をして、地面から火を離せと言う意味だそうだ(右下写真)。

 なんだよ、直火って言葉の使い方を間違ってるだろ。昔から直火とは、焼くべきものに直接に火の熱を当てて炙るとか焼くとかを言うものだ。それを禁止かと思った。
 そうか、それに加えて新たな直火の意味ができたのか。

 しかしそれだけでは、その直火禁止キャンプ場で例えば何か脚付きの鉄板の上で火を焚いて、それを直火(今までの意味で)にして肉や魚を炙り焼いて食うのは、NOかOKかどちらか分からないけど、どっちなんだ?
 昔の言葉しか知らない年寄りは、もはやキャンプ場にお呼びでないらしい。

 初めの直火竹輪に戻ると、この竹輪は地面での焚火で焼いたのかしらと思い、直火でないものとの間にどんな味の差があるのか、わたしには分からなかった。

(20231025記)

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2023/10/24

1718【言葉の酔時期:マンション】日本でマンション住まいの人は英米語圏の人にそれを言うにはご注意を

  ウクライナやガザで、戦火によって人々が死ぬ報道に日々接しているが、ちょっと不思議なことがある。あちらには日本で言うところのマンションという共同住宅ビルが存在しないらしいのである。

 大きな共同住宅ビルがロケットやミサイルで破壊されても、新聞にもネットにも集合住宅が被災したと書いてあるのだ。だがその写真を見れば、日本ではマンションと言うであろうような共同住宅ビルである。ネット検索をしてもマンションと書かれたあちらの戦火記事は見あたらない。あちらにはマンションはないのか。

 

 日本の共同住宅ビルの被災記事には、ほぼ例外なくマンションと書いてある。

 中には同一記事内でマンションと集合住宅の両方を使っているものもある。

 いったいマンションとは何者か?、そう考えて日本文のマンションがある記事を、ネットにある翻訳サービスページで英文にしてみた。
 ①例1・原文:集合住宅にロシア軍がミサイル攻撃、5人死亡…ゼレンスキー大統領「邪悪な国家が民間人を攻撃」(10/19(木) NHK)
 同上英文翻訳:Russian missile attack on a housing complex kills five people... President Zelensky: 'Evil state attacks civilians'.

 ②例2・原文:ミサイル着弾で集合住宅倒壊、18人負傷 ガザ(2014年8月24日 AFP BBnews)
 同上英文翻訳:Missile impact collapses apartment block, injuring 18 people, Gaza.

 なるほど、集合住宅は英文ではhousing complex、あるいはapartment blockと言うらしい。apartmentと言われると、日本の木造2階建て賃貸借アパートを連想するが、あちらの被災写真では堂々たる共同住宅ビルだから、日本とは根本的にアパートの意味が違うようだ。

 そこで、日本語のマンションがあるニューズを英文に翻訳させてみた。
③例3・原文:9階建てマンションで火災 1人心肺停止 名古屋市(2023/10/18朝日新聞DICITAL)
 同上英文翻訳:Fire in a nine-storey apartment building, one person cardiopulmonary arrest, Nagoya, Japan.

④例4・原文:「すごい煙だった」集合住宅の7階で火事 火元の部屋で高齢男性を心肺停止の状態で発見(2023年10月18日CBCニュース)
 同上英文翻訳:'It was a huge smoke' Fire on the seventh floor of an apartment block Elderly man found in the room where the fire started with cardiopulmonary arrest.

 ということで、マンションはapartment buildingあるはapartment blockと言うのである。つまりアパートなのであるが、これで良いのかしら?
 そこで、「私はマンションに住んでいます」を英文に翻訳させてみたら、「I live in a flat.」あるいは「I live in a condominium」または「I live in an apartment building」と出てきた。おやおや、アパートだけじゃないのか、これらはどれも同じ意味らしいな。

 だが不思議なのはmansionがなぜ登場しないのか?、これこそマンションの英文であるはずだろうに、どうしたことだ。
 そこで今度は英文の「I live in a mansion」を和文に翻訳させてみたら、出てきたのは「私は豪邸に住んでいる」あるいは「わたしは大邸宅に住んでいる」とある。とあるから、空中にあるのではなくて地に着いた低く平らな屋敷であるし、広い庭園があるのだろう。

 ということは、mansionとは豪邸であり大邸宅であるらしい。日本のウサギ小屋が積み重なってもマンションと言うのは、大誤訳であるようだ。
 そういえば、わたしがUSA人から直接に聞いたことがあるが、USAでマンションmansionと言えば、大統領一家が住むホワイトハウスのような邸宅と教えてくれた。日本なら首相公邸であろうか。
これが本物のマンションmansionだ! USA White House

 ということで、日本の中でマンションに住む人たちは、英米語圏の人たちにむかって「私はマンションに住んでいます」と言うときには、本当に豪邸・邸宅住まいの人はよいが、日本流マンション住まいの人は、うっかり自宅に招かない方がよろしい、見栄の張り過ぎで恥をかくだろうから。そういうわたしは共同住宅ビルの地上20m空中陋屋暮らしである。

 話は最初に戻るが、ウクライナにもガザにもmansionがないことはないだろうが、それが爆弾で燃えても被害者が少ないからニュースにならないのかなあ、どうなんだろうか。
(2023/10/24記)

●このブログの関連記事:
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2023/10/23

1717【杖曳く身に】老いゆけば4本の足に杖5本ころばぬ先にも見えぬその先

 今やわたしには外出に杖が必要な身になってしまった。若い頃から歩くことだけわたしの取り柄であったのに、さすが八十路半ばともなると、時によろけるようになり、去年いつぞやは路上転倒してしまった。

左から百円杖、今や日常外出に曳く杖、妻が使っていた花模様杖

 そこでステッキと言うか、いやシュトックというか、要するに杖を曳いて歩くようになった。今年に初めころまでは時々に持ち歩いていたが、いまや外出に必需品となった。老いたものだ。 

 だが、今持ち歩き身を支える杖は、最近に購入したものではない。30年以上前から山登りに行くとか、同年大学仲間の歩く会とかで、歩き遊び用に持ち歩く為に持っていた杖があり、それを日常的に使うようになったのである。だから急に馴れない杖曳きを始めたのではなく、ある程度杖の使い方に習熟はしているのだ。(上の中央写真参照

 実は、ある時期だけ本当に足の病で杖を突いて歩いてことがあった。2002年夏から右足付け根が痛くなって、歩行困難になった。医者に診てもらったら、なんとまあ「大腿骨骨頭壊死症」なる不治の病と診断された。

  「今はまだ歩けるがそのうちにガクッときて股関節が壊れる」と言われて、恐れをなした。その頃は仕事で遠くへの出張が多い頃だった。いつ転倒するかとびくびくしつつ、杖を仕入れて持ち歩いていた。

  だが半年ほどたった頃、痛みがなくなってしまったのだが、杖を離さなかった。  1年経った頃、医師の診たてが変更となり、似たような症状の病「大腿骨骨頭萎縮症」とされて、これは放っておけば治癒する病であると言うのだった。

  ということはつまり、その頃はもう治っていたのだった。拍子抜けしつつも、まあよかったと思った。その杖を事件の記念として今も保存している。その杖は百円均一店で息子が買ってきてくれたのだった。御利益物である(上の左写真参照)。これについてはここに書いている。

  妻が10年ほど前に、外出に使うとて購入した杖は、花模様がついていた。わたしの百円杖とは品格も価格も段違いらしい。(上の右写真参照
  そしてわたし同様以上に老いた妻が去年から使い出した杖は、石突部分が四俣になってて、横に倒れにくい構造である。介護的要素が入ってきた。だがどういうわけかずいぶん重いので、それを嫌がっていた。(下の右写真参照

 そこで最近になって使い出した杖は、アルミ製らしくずいぶん軽いものだ。石突部分の四俣は同じだが、立ち上るパイプ部分が特異な形をしている。途中で横に左右に曲がりつつ立ち上るのだが、まるで蛇の鎌首だ。(下の左写真参照
 これは利用者が床や低い椅子に座った姿勢から立ち上がるときに、この曲った場所の水平部分を握ってつかう。介護用品そのものだ。そういえば街で見かけたことはない。
妻が使い出した介護向けの杖
 
 こうして年寄り2人の家には、その4本の足のために杖が5本もあるのだから、若い頃とは異なる用具が次第に増えてくるようだ。今のところは杖だけだが、そのうちにあれやこれや(いったい何があるのか?)と出現するだろう。そしてそのうちに、それらを使うわたしたちが消えてゆき、それらの道具も消えるのであろう。
(20231023記)

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2023/10/22

1716【生成AI】自分の経歴を質問してみたらどう答えてくるかやってみたところ、、

 世の中でいま評判の生成AIなるもののカシコさに驚いている。ときどき暇つぶしの遊びに、どうでもよいことを聞いてみると、それなりの答えを真面目な文章で返してくるのが、奇妙におかしい。文章が一応はそれらしい言葉なので、つい信用したくなる。
 これに関連して以前にこんなブログ記事を書いたことがある。

 ある時、わたしの専門的なこと(都市計画関係)を聞いたことがあるのだが、その答えが明らかに間違いであることに気が付いて、それを指摘しつつ何度か追加質問をしても、いつも同じ間違いをするのだった。もっとも、可笑しくも奇妙なことに、”不正確な答えをすることもある”というような言いわけが付いてくるのだった。。

 そうか、既存ネット情報の中を検索して質問に対応する答えを出しているのだから、検索先が同じなら同じ間違いを繰り返すだろうと気がついた。この場合はわたしの専門分野だったから、その間違いを指摘できるのであるが、あまりに普通に読める文章なので、専門外の人が読めば信用するに違いないと思ったことだった。

 これはどうも、まだまだあまり近づくものでもないなと思って、しばらく敬遠していたが先日ふと思いついて、面白半分にわたし自身の名前を書いて経歴を教えてほしいと、グーグルの生成AIに訊いてみた。
 どんな答えが出てもその正誤については、当然のことにわたしが最もよく分かるので、生成AIの信用度合いを測ることができると考えたのだ。

 その回答が出てきた。いかにもちゃんとしたお答えの文章形式は整っている。
 簡単な年代形式の履歴の記述は正しい。その出典はわたしのブログの中の経歴ページから抜き取っていると分る。
 ところがわたしの著書の一覧は、どれも書いた覚えのない書名である。それが、いかにもわたしが書きそうなタイトルであるが、その一方では書名としては当たり前すぎるネーミングでもある。これはどなたのネット情報が元だろうか。それにしても私の本当の著書名が、ひとつもないのが不思議だ。

 さらに驚いてニヤニヤ笑えて来たのは、受賞歴である。自慢ではないがわたしは無冠である。いや小学校で皆勤賞があったな。いかにもそれらしい賞の名が並んでいるのだが、これはどなたの経歴を持ってきたのだろうか。

 さらに数行の人物紹介の文章があるのだが、これはまあ、なんというか、いかにも有能で素晴らしい働きをしてきたと、要領よく簡潔な文章になっている。ほほう、こう言われたいものだと思わせるが、内容は全然が違うのである。一体どなただろうか、いくぶんわたしも覚えのある記述もあるが、これではいかにも提灯持ち文章である。

 というわけで、はじめニヤニヤして読んでいたが、もしかして同姓同名のお方がいるのかと不審な気分が湧いてきた。
 どうやら、生成AIは質問者に取り入る技術を持っているらしい、とも思えてきた。利用者に嫌われることを避けて、へつらうようにプログラムされているのだろうか。なんだか生成AIって、ある意味ではもの凄く賢いのかもしれない。バカにされているのかもしれない。

 これをお読みのお方も、お試しあれ、自分が何だか偉くなったような、いや、生成AIにからかわれているような気分になる。

 これを書くためにグーグル検索で生成AI作の画像を検索してみたら、若い女性の顔ばかり登場するのだ。え?、生成AIは女であるのかとしげしげ見れば、これらの顔は生成AIが制作したものらしい。
 そうか、商業広告に実在の有名女性を使うよりは、生成AIに作らせるとタダで済むってことなのだろうか。それにしても不思議なのは、どの画像も女性の顔ばかりであることだ。どうしてだろうか。

(20231022記)  

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2023/10/21

1715【横浜随一の商店街の変化】コロナ後の伊勢佐木モールはどんどん貧乏人向きの街へ

 横浜一番の繁華街とされてきた伊勢佐木モールの商業的変化が著しい。これは多分衰退と言うべきだろうか。
 わたしが鎌倉からこの近所に越してきてからはや21年、横浜都心部日常徘徊コースのひとつであるから、買い物はめったにしないけれども、かつて都市計画家であった名残でその都市的消長を眺め続けてきた。といってももう分析などしないのだ。変転を見て楽しむだけ。

 コロナ後の現在は、かつての買い回り商店街から飲食店街への転換が、日に日に目に見える。それは街歩き趣味徘徊老人には、その変転を日々楽しむことができるから嬉しい。
 あれ、ここは前にはなんの店だっったっけ?、ということがしょっちゅう起きる。こちらがボケてきたから以前を思い出さないのもあるが、頻度が高いから覚えきれないのだ。おお、ここも空き店舗か、次はどんな店かなあと思っていると、たいていは安い飲み屋になる。

 今の伊勢佐木モールには、安売り屋と安飲み屋がどんどん増えている。コロナ後に著しい。貧乏年金暮らし老人には、これは歓迎すべきことである。そういう街ならば安物衣服でふらふらと安酒のみでかけられる。と言いつつも一方では、こんな安っぽい街に住んできたのだったかなあとも、この21年を思い返すのだ。

 近ごろは古着屋やら家電雑貨のリサイクルショップやらが目立つ。ところが、伊勢佐木モールではかなり好立地のリサイクルショップが先日に閉店して、テナント募集看板が出ている。この店は2年くらい前にできたばかりだったのに、店舗自身がリサイクルになってしまったのか。南へ(正確には南西へ)下るほどに安売りが増える。

 そして安売り王者のドンキホーテが、今や伊勢佐木モールで唯一の大型物販店になってしまった。この20年で大型店の百貨店松坂屋や量販店ユニーが消えた後がこうなのだ。

松坂屋があたころの伊勢佐木モール 2007年
 近ごろの安売り王の衣料屋のユニクロと、なんでも百円屋のダイソーがひとつビルに入ってダイクロとでもいうビルがあった。それがこの春に空きビルになった。はてどこに行ったのか、これは貧乏人は困る。ところがなんとダイクロ揃って、同じ伊勢佐木モールの昔松坂屋後の4階建てビルに移っている。まあよしとしよう。

 さてその跡の大きなビルに、つぎはどんな安売り屋が入るかと期待していたが、秋が来ても空きビルのまま。それが昨日の徘徊で近づき見れば、一階の壁に小さな張り紙には「解体工事のお知らせ」とのこと。
 えっ、この大きなビルを壊すのかあ、そう古いビルでもなさそうだが、もったいない、例えばホテルのような業態にリニューアルできないのだろうか、跡に入るテナントがみつからないのだろうなあ、伊勢佐木モールの商業的落ちぶれぶりを象徴する。

ユニクロダイソービルは取り壊しへ、もったいない

 このダイクロビルの斜め前のあたりには、あのレイモンド設計の戦前モダン建築の不二家ビルが、店を閉じて解体を待っている。その跡には不二家が戻ってくるのだろうが、さてどんなビルが建つのか、もはや元のような高いビルではないような気がする。

 松坂屋跡が4階建てビルだから、もう伊勢佐木モールには高層店舗が成り立つ能力を失ったのかもしれない。

この夏から閉店して今や取り壊しに取り掛かる不二家ビル

 今や伊勢佐木モールの中のビルで、3階以上を物販店舗にしているものは、北から順にパチンコ屋、元松坂屋のカトレヤ、書店の有隣堂、元松坂屋の場外馬券売り場(これは物販ではないか)、中古本雑貨のブックオ、なんでも安売りドンキホーテ、これだけである。 

 百貨店はもちろん、大型量販店も閉店して、これらの中で有隣堂だけが老舗であるのが、なんともはや伊勢佐木モールの今を象徴する。今わたしが危惧するのは、有隣堂さえも閉店するときが来るかもしれぬことだ。だって、別館が消えてアパートビルになったのだから、本店だっていつのことやら。

 でもわたしは伊勢佐木モールが買い回り型の商店街から、最寄り型で慰楽型の商店街になることを嘆いているのではない。
 ドンキホーテ、ユニクロ、ダイソー、ブックオフそしてリサイクルショップに安居酒屋ときては、貧乏年寄りには過ごしやすい街になってきたものだ。いいことだよ。
 そのような中でも、せめて有隣堂だけは、この街のかつての格式を維持して生き延びてほしいものだ。(20231021記)

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2023/10/20

1714【救急搬送病院で看護師と口論】誰でもカメラ携帯時代に院内撮影禁止一点張りで素人患者は困惑

 先日のこと救急車に乗った。老家人が板の間で転倒し、後頭部を打って外傷出血、傷の場所が問題とて脳外科のある病院へと救急搬送された。


 その日の傷治療(二針縫う)とMRI検査、そして医師からの状況報告と、あわただしい日だった。負傷当人は特に問題なく日常生活に戻り、1週間後に抜糸もおわった。
 治療や検査についてはプライバシーなのでここには書かないが、看護師と口論になったことを、病院の運営として一般的にも重要な問題と考えるので書いておく。

 最初の救急搬送の日に、脳外科医からMRI映像をもとに説明を受けたが、1週間後の抜糸の日にもさらにMRI映像で追加説明を受けた。わたしは先日と同じように、医師の説明を聴きながら、その説明個所のMRI映像の写真を撮っていた。重大な話だった。

 後に立って見ていた白衣の看護師が突然に口をはさんできた。
「院内で撮影禁止なので写真を撮らないで下さい」
「え、だってこの前は撮影自由っだったよ」
「いいえ困ります」
「いいから黙ってみてなさいよ、患者家族のわたしには必要なんだから」

 医師が言う。「わたしが不注意だったので先日は寫眞OKにしましたが、今日はここまでは良しとして、あとは撮らないで下さい」
 看護師が言い募る。「必要なら有料ですがCDに焼き付けて差し上げましょう」

「あのね、今ここで先生が話し中の脳内映像が、そのCD映像のどこにあるか素人がこのシームレスな映像をみても探せないよ、ここで話を聞きつつその所を撮るしかないんだよ」
「なぜ写真が必要なんですか」
「わからん人だね、あのね、だって素人がこれらの映像と先生の話を、両方とも全部ここで記憶できるわけがないでしょ、それに家族の重要な脳内映像を写真に撮って、今日の先生の話と一緒に記録を作っておきたいのは、後のために当然ののことでしょ」

 医師が困った様子で、「では画像プリントを出しましょう」と白黒印刷紙を出してくれた。わたしはまだ言いたい文句があったが、医師に気の毒な感じがしてきてそこで引き下がった。
 だが、話し中だった医師の説明を聞くことができないままになった。いや、医師は説明を終えたのかもしれないが、わたしは怒りで忘れてしまった。同席の家族が聞いていたからいいようなものだが、看護師には怒りが残り不愉快になった。

 なお、持ち帰ったMRI映像CDを、うちのPCで見ても、あまりに多すぎる似たような映像情報であるために、医師の説明映像がどの部分であるのか見tけることをできないのだった。案の定だが、あのにっくきバカ女看護師め!

 院内撮影禁止は、プライバシーだらけの病院だからそれはわかる、だが今ここで写しているのは、わたし自身の家族のプライバシーである。なんの文句があるのか。
 病院宛にクレームを書いて送ってやりたい気分である。院内撮影禁止について、素人の患者と家族の身になって、その現実についてよーく考えろ、と言いたい。(20231020記)

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2023/10/19

1713 【吹けば飛ぶよな…】地球の西方で何百人もが戦争で死ぬ日々に日本の新聞は、、、

  

 これは2023年10月12日に、フェイスバカに書いた記事である。

 こんなことがなんで新聞のトップニュースなんだ?、世の中もっと大切なことがあるだろうに。

2023/10/12 各新聞のトップ記事

 いや、これは平和な世の中の証拠だから、と言うには、今の地球上はあまりにあちこちで戦争紛争や巨大自然災害が起きているのに、マスコミはボケているに違いない。 ここまでの一文は、先月9月9日にも似たようなことを書いたが、その時はジョニーとか言う芸人会社の社長が、美少年強姦魔だったという事件である。

 今回は吹けば飛ぶようなプロ将棋勝負である。なんでも誰かが8大タイトル全部を取ったとかって言う。そんなにたくさんタイトルがあるって、タイトルに権威がない証拠みたいだ。それぞれに企業スポンサーがついているらしく、読んでいて噴き出したのは「おーい、お茶」王位タイトルは茶業者がスポンサーのようだが、そのコマーシャル文句は旧弊な家庭内格差の表現だから今どきいかがかと思うし、駄洒落タイトルって権威ないよなあ、なんて将棋好きの人たちは思わないのだろうなあ。

 わたしはジョニーも将棋も囲碁もスポーも、見世物勝負ごとに興味がない。お好きな方はご勝手にだが、新聞の一面を占めるような(見ないけどTVもそうだろう)バカらしいことを、マスコミややめてほしい、購読料を返せ。 

 ここからは2023年10月19日に書く記事である。

 上の10月12日第1面トップ将棋記事新聞の第3面には、こんな記事があったのだ。

10月12日第3面の記事(朝日新聞)

 世界が注目している大事件、そして今日の10月19日には、ガザの病院が爆発して数百人が死んだという記事がある。



 そしてその爆発の原因者は、ガザのハマスに言わせるとイスラエルの空爆であり、イスラエルに言わせるとガザから発射したロケット弾による誤射、それぞれが非難の応酬、世界各国もそれぞれの味方になって政治声明とか、それぞれの味方をする市民たちのデモとか、いま地球は割れつつある。

 そんな時に、吹けば飛ぶよな将棋の駒いじりとか、美少年レイピストさわぎとか、マスコミの報道の重点がヘンだ、いや世間の目がおかしくなったのか、う~ん、そんなバカばかりの地球なら、大戦争が近いな。

 このところ毎日が、イスラエルのガザへの侵攻が、今起きるか明日起きるかのハラハラの日々である。USA大統領が大西洋を越えて、イスラエル訪問して応援すると言いつつも牽制して進行を遅らせる時間稼ぎとか、よくやるもんだと思うが、こんな危ない橋を渡るのは、世界の警察を今も任じているのだろうか。

 ところで、あのウクライナはどうしているんだろうか、新聞登場情報は激減したが、戦争が止んだのではないらしい。それがジャーナリズムと言うもんなんだろうなあ、どうもわからない。
 どうやら東ヨーロッパから中東にかけてが地球の火薬庫として、ウクライナを発火点となり、パレスチナは爆発起点となり、第3次世界大戦になるのだろうか。シリア、レバノン、イランなど、巻き込み巻き込まれて戦火拡大か?


 火薬庫から遠くのアジアやアメリカでは、その戦争に兵器供給で大儲けを企んでいる死の商人が多くいるに違いない。このところながらく地球各地に小戦争はあっても大戦争が無くて、各国がこれまで作り貯めててきた兵器が老朽化していたころだ。ここで世界大戦が起きてくれると、兵器一新の巨大産業活動がはじまり、地球は景気良くなるに違いない。

 日本が第2次世界大戦敗北のどん底から回復したのは、朝鮮戦争のおかげだったし、飛躍的に高度性と要した陰にはベトナム戦争があった。兵器産業の世界ではあの景気よ再来せよとの願望が叶いそうなのだろう。
 もちろんそれにはその兵器で死ぬ人間の山が、地球上の各地にできるのだ。そんなことがあった時代を経験した最後の世代なんだなあ、わたしは。

 ヤレヤレ、わたしはこんなにもバカらしい時代に、地球に生まれ出て死ぬのかあ、日本の十五年戦争の真最中に生れ、いま第3次世界大戦前夜か、うっかりすると戦中に死ぬのだろうなあ、良い日々も無かったわけではないが、初めと終わりが悪ければ、すべてが悪いとなる人生世だな。(2023/10/19記)


2023/10/17

1712【戦争とTV放送】中東の戦争悲劇と美少年強姦魔事件と商品広告が同棲するTVに羞恥

 中東のイスラエルとパレスチナとで、なにかスポーツの大会があるようで、TVが騒がしい。つい先日もラグビ-試合で騒がしかったから、今度はサッカーとかだろうか、わたしには興味がないのにうるさいだけ。

 わたしはTVを見る習慣がまったくないのだが、最近になって家人が難聴になり、そのTV視聴時には音が大きくて、こちらもついつい聞かされてしまう日々を送っている。

 冒頭のいちゃもん文句はもちろん、ハマスの攻撃(反撃か)に対するイスラエルの攻撃(報復か)という、またまた始まった中東戦争であると知っている。はるかに氏の彼方のことだが、ふと思えば、日本だって中国東北部で満州というパレスチナの悲劇を作ったのだ。

 だが、それがTVの中ではスポーツ関係の放送に聞こえてしまう。いまに試合が始まるぞ、双方の選手が入場しようとしている、ハラハラドキドキの実況中継だ。聞いているこちらの心が、期待と不安、はっと気が付いて羞恥、そのあいだでで奇妙に揺れる。

 昨日までの悲劇よりももっと大きな悲劇が、今にも起こりそうだ。そう思って聞いていると、突然に音声が切り替わって、バカらしくも陽気なコマーシャル放送が延々と続く、これはいったいなんだ、いまや娯楽番組かよ、戦争さえも、、、。




 わたしが30年くらい前まではTV放送を時には見ていたが、今は全く見ない。このまえにTVを熱心に視聴したのは、東日本大震災の時だった。ニュースはPCのネットで見ればよろしい。

 TVを完全無視することにした動機は、あのコマーシャルなるバカらしくて、ガキが喜ぶような寸劇が、そこまでの放送内容とは全く無関係に割り込んできて、延々と居座るのにまったくもって辟易したたからだ。

 TV放送とはそんなものかと漫然とおもっていたが、あるとき事情があってTVをしばらく見ない日が続いたら、気が付いたのだ。こんなもの無くてもいっこうに困らない、ネットから発するニュースでを、自分の好きな時間に好きなように選んで視聴すれば、時間も内容も押し付け一方のTVよりも、はるかに短時間で必要な情報が得られると分かった。
 もう、もうTVオサラバだ。

 今、はからずも音だけTVを聞くと、あの辟易したころと全く変わらない様子である。何でもないことを大げさに大金をかけて放送に仕立てるようだし、ということはそれを提供する金持ち企業がいるのだろう。そし「TVで放送中」とわざわざ書く新聞の広告欄を見ると、TV放送が何か権威となって来ている世の中に、ただ嗤うしかない。

 一方でTVで売り出した(らしい)芸人たちが、実は次々と美少年好き強姦魔の魔手にかかっていたとかって、現代のシモネタ怪談ときたら、もうTVからはみ出してしまい、中東の悲劇と並んで新聞やネットを賑わわせている。

 いやはや、世も末じゃよ、なあ、熊さんよ、もう嫌になったよこの世がね、いいかげんにせい、ああ、やっぱり長生きはするもんじゃないね。(20231017記)