じつは老人問題についてもっと高尚なことを書くつもりで、厚生省とか総務省の高齢者人口を調べていたら、つい、腹が立ってしまってこんなイチャモン文章になった。
ネットに出てくる人口統計のグラフはものすごくたくさんあるのだが、まずこんなものをダウンロードした。
これがいつのグラフなのかしらと眺めていて、ふと気が付いたのは、「平成62年」と書いてあるのだ。わたしは昔から元号を使わない主義なので、平成ってけっこう長かったのだと思った。でもその数字の傍に西暦2040年と併記してある。未来の数字である。
はて、じゃあ、これは平成62年も未来のことか、え、平成天皇はそこまで生きるのか、そんな年があるはずないだろ、そして元号はとっくに令和とかって変わってるのに、これはどうしたのだろう。
政府の文書にありえない年代が堂々と載っている。虚偽そのものである。そこまでして元号を使いたいのか。
グラフによる人口増減について調べることを忘れて、怒りが頭に登った。なんだ、このいい加減な年代は!、ありえない年号を記してはずかしいと思へ。
ほかのダウンロードしたグラフも元号と西暦と両方書いてあるから、煩瑣で見づらくて仕方ない。そこで元号年を消してみたら、実にすっきりして見やすくなった。
庶民のわたしでも日常に扱う羽目になっている、いくつかの政府機関や自治体機関等の統計ばかりか、書類に元号が書いてある。それがいつのことか分からずに迷うが、こちらが書き込む欄には、必ず西暦にすることにしている。
以前には明・大・昭のどれかを選べと指示するる書類ばかりで、西暦を選ぶ欄がなかった。だからわたしは元号を無視して西暦を書いているのだが、それで突き返された経験はない(もしかして先方が抗議敬遠して勝手に書き換えているかも)。近ごろは元号でも西暦でも選べるようになってきて、なかには西暦だけになっている書類もある。じょじょに西暦化するらしい。やればできるのだ、はやくやれ。
統計のような長い時間とか国際的な比較をするには、同じ時間の物差しを使うのが常識である。
日本人が世界史的歴史観に欠けるのは、元号で歴史を考えるからだろう。官公庁が率先して西暦にするべきだ。このグローバル時代に狭い島国根性のままでよいはずがない。義務教育で教科書はどうなっているのだろうか。まさか元号一点張りではあるまいな。
わたしが昔から西暦を使うのは、その方が内外の歴史的事件を、あれは何年前だったかと計算するのが便利なためであった。
昭和のころは和暦西暦換算式を覚えていたが、これに平成と令和の換算式が加わると、もうその式を覚えられない。もちろんそれにはわが頭の老いも加わっている。元号使用は高齢者虐待になっているのだが、役人どもは高齢にならないと分らないのであろう。
このブログの2019年4月の記事に書いた和暦西暦換算呪文を再掲する。わたしは歳とって、もはやこの呪文を覚えることさえできず、おぼえていても暗算ができなくなった。
和暦西暦換算呪文(元号年に括弧内の数字を加えると西暦年変換)
・明治いやむなしい(1867)
・大正ひどくひどい(1911)
・昭和ひどくにごる(1925)
・平成ひどくはんぱ(1988)
・令和じわっといや(2018)
考えようによっては、この換算式を毎日頭の中で働かせて暗算していると、ボケの遅延策になるかもしれない。そうか、元号使用の強制政策は、政府による高齢者者健康福祉政策であるのかもしれないな、、。
というわけで、これは2023年11月4日の記録である。
2 件のコメント:
全くもって同感です
元号そのものを否定するつもりは毛頭ないのですが
国民一人一人の頭の中での
「西暦〜元号の変換の煩わしさ」がもたらす社会的な不経済を
どなたか定量化して貰えないでしょうか?
山本さん 伊達美徳より
コメントありがとうございます。
元号を使いたい人はそれぞれご自由にどうぞですが、
官公庁が市民に強制するのはどうしてなのか、不思議です。
もしかして保守系尊王攘夷派の方々の政治的隠某と思ってしまいます。
要するに「年寄りは困るからやめてくれ~」ですよね。
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