2019/08/20

1416【戦争の八月(3)】アジア太平洋戦争で日本人戦没者より多い被侵略国の死者を想う千鳥ヶ淵戦没者霊園


千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ

 靖国神社遊就館ホールで涼んで一休みしたので、拝殿の前あたりで参拝客の列にその年齢性別の多様な人の様子を見物して、南に境内を出た。
 これから千鳥ヶ淵戦没者墓苑を目指すのだ。薄曇りながら暑い街のなかを歩くと、台風の余波で若干の風が吹いているので助かる。学校や共同住宅や事務所などのビル街を抜けて、千鳥ヶ淵に出ると豊かな緑の陰と水の涼しさが嬉しい。

 そうだ、この水と緑の空間は江戸城の北の丸であり、皇居の外苑の一部、つまり実は天皇家の領分であったことに気がついた。これから訪れる墓苑はもともとは宮家の邸宅地であった宮内庁管轄地であったし、そこでの埋葬者たちも天皇の命令のもとに外地に出かけて戦って死んだ人たちが大部分を占める。あたり一帯に天皇制あるいは天皇教とでもいう空気がみなぎる。


 靖国神社が民営の慰霊施設とすれば、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は国営である。だから宗教色はないはずだ。だが後でネット検索したら、この日に僧侶たちの団体が仏式の儀式をしているのがみつかったが、ほかの例えば神職たちのそれは見つからなかった。
 だからと言ってここが仏教による墓苑ではないだろうから、どの宗教も儀式をしてもよろしいのだろう。
 

 とは言いながら、ここには天皇制(天皇教)という日本独特の宗教性が色濃くあることを感じるのである。例えば、前屋をはいると左右に昭和天皇の大きな歌碑がふたつも待ち構えることがそれを表徴している。

 納骨の六角堂に各界からの献花がたくさんあるが、総理大臣や天皇からの花もある。どちらも靖国神社には行かないが、こちらには来るのか、あるいは靖国神社のように献花だけだろうかと思ってまとでネット検索したら、政府広報にアベサンが献花して拝礼する動画があった。

 献花者の名札を見てきて気がついた。どの名も敬称はつかないのは、死者への捧げ物だからあたりまえだろうに、例外が正面左右にある2つには「陛下」の敬称つきである。
  ということは、天皇の命令で死んだ者は、死後も天皇の隷下にあり、花を下げ渡されているということか。

 ところで天皇教の表徴である天皇の名札だけが2本もあり、しかもどちらも「天皇皇后両陛下」と表記されている。天皇と皇后とふたつではない。二人まとめては失礼のように思う。
 他は例えば、「内閣総理大臣安倍晋三」であり、「呉竹会長頭山興助」であり、「長崎県遺族代表団」である。「内閣総理大臣安倍ご夫妻様」ではないし、「長崎県遺族代表団殿」でもない。
 ここでは公的な職位や団体名を書くのならば、「徳仁天皇」だけであるべきだろう。せめて「徳仁天皇」「雅子皇后」の2本にすれば他とバランスするのだがと、眺めていて思ったのであった。


日本軍に押しかけられた国の死者は

 ここにはアジア・太平洋戦争で日本列島の外で死んだ人たちの内で、引き取り手のない37万人分の遺骨が埋葬されているとのこと。遺骨収集を今も継続していて、最近その遺骨が日本人ではないことが分ってきたとかのニュースもある。
 わたしは死ねば人は自然に還ってしまうと考えるから、わたし自身の父母たち墓にさえも疎遠であるように、霊を祭る神社も遺骨を保存する霊園にも何も感じない。もちろん他人がどう感じているのか、それは自由である。

 その遺骨の死者の数え方を「37万柱」と公式サイトに記しているが、「柱」とするのは神道によるの神の数え方である。国営墓苑でも、死者は神道による神になって祀られるのか。ここは宗教性を抱いている。
 大きな説明版が立っていて、アジア・太平洋戦争の15年で、日本人の軍人軍属一般人の戦没者は240万人と記されている。その戦争の区域の各国ごとの数が記されている。あんなに遠くまで出かけて、こんなにも多くの死者を出したのかと驚く。
説明版のアジア太平洋戦争区域戦没者地図(実に見づらい)
上の図を分りやすく書きなおした図(朝日新聞2019年8月16日)
地球儀に戦争のエリアを描くとそのあまりの広大さに兵站不能な戦争だったと、
 しかしその一方では、その日本人の死者たちがそこに戦争に押しかけたならば、その押しかけられた側の各地には人々が住んでいて戦争に遭遇し、やはり死んだはずである。そのことを忘れてはなるまい。
 他の戦争の資料では、例えばフィリピン人は110万人、中国人は1321万人、朝鮮人は20万人が死んだとされる。上の地図にその各国の戦没者数を書きこんでみた。
赤字は日本軍に押しかけられた側の国の死者数
押しかけた日本人よりも、押しかけられた側のほうがはるかに多くの死者を出している。それらは背中合わせの死者である。想像力をそこに働かせないと、死者の一部しか見ないことになる。
  そう、アメリカ軍に押しかけられた沖縄戦で多くの日本人が死んだように、各地の戦争でその地の人々が死んだのであった。わたしの父も日本軍の一員として2度の中国戦線にいった。父の世代はそんなにも多くの人々を殺しに出かけたのか
 そのことに暗然とすると共に、それを説明版のどこにも書いてないことにも暗然とする。戦争を相対化する表徴はどこにもないのか。それでは靖国神社と同じであるが、それでよいのだろうか。

天皇教の軸線設定

 靖国神社と違って、こちらの人出はまったくもって少なくて静かなものである。この違いはなんなんだろうかと、毎度思う。
 この施設の配置は納骨堂の六角堂に向かって、北北東から南南西への軸線を設定しており、したがって拝礼は南南西に向けて行うことになる。一般に神社なら本殿は南面し礼拝は北に向かい、仏教寺院なら本堂は東面し礼拝は西に向かうのが原則だから、ここではどういうことなのだろうか。南西の海の死者ばかりではないはずだ。
 ところで、靖国神社はほぼ東西軸配置であり、本殿は南面ではなく東面していて、礼拝は西に向かうのだから、これはまるで仏教寺院配置であるのは何故だろうか。

 そしてまた地図を見ていて気がついたのは、長屋門のような前屋を抜けて、その先にある納骨の場の六角堂に至る北北西から南南東に向かう軸線を、北北西に伸ばしていくと靖国神社の本殿に突き刺さるのである。ここで死者に礼拝したときの姿勢は、その背後の方向つまり尻を突き出す先に、もうひとつの死者を祀る神社本殿がある。
 更にまたその軸線を逆に南南東に伸ばすと、皇居の新宮殿に至るのだ。つまり死者を礼拝すれば、そのまま天皇を礼拝することになり、まるで天皇遥拝殿であるのだ。
 特に今は二つの献花の名札「天皇皇后両陛下」に向かって礼拝するから、これはあまりにも象徴的というか寓意的過ぎる天皇教の表徴である。
千鳥ヶ淵戦没者霊園の施設配置の礼拝軸線設定は、
後方は靖国神社本殿へ、先方は皇居新宮殿に至る
六角堂を礼拝するこの軸線上の向こうには皇居新宮殿があり、
背後には靖国神社本殿がある
 この寓意的軸線の設定は、敷地の制約からやむをえず出てきた配置には見えないから、意識的にそのように設定したのに違いない。
 それは造園家・内田剛によるデザインか、建築家・谷口吉郎によるものか。仏教系でも神道系でもない軸線、これは明確に天皇教の軸線設定である。

  こちらは靖国神社よりもずいぶん狭いと思う。ここは公園としての墓苑だから、もっとエリアを広げてほしい。今はまわりの高層ビルから覗き込まれている。
 敷地を広げることが今さらかなわないならば、千鳥ヶ淵の側を囲まないで、濠と一体的総合的にランドスープデザインをしてはどうか。千鳥ヶ淵に北の丸公園とつなぐ橋、あるは軸線の延長上に橋を架けてはどうか。
   谷口吉郎の建築は、このスケールならば、先生の得意とするところである。1959年建設だから、わたしが大学で教えていただいていた頃であったか。

あらたな戦争の予兆に出くわす

 疲れてきた、もう地下鉄九段下駅に向かって帰ろうと、千鳥ヶ淵に沿って歩いていると、なにやら喧騒な雰囲気に出くわした。
 路上に大勢のインド系の顔をした人たちが集まり、大声を上げ、旗を振っている。言葉も分らず、プラカードの文字も読めない。
 はて、今日はいつも東京で出会う外国人観光団体客に出会わなかったが、ここで出会うとは何だろうか。立派なモダン建築の前であり、みればどうやらインド大使館らしい。
パキスタンの国旗を振っている
それで思いついたのは、これは今や国際紛争になろうとしているインドのカシミール併合問題の余波だろう。インド大使館前でインド系の顔の人たちが抗議デモするとすれば、これはパキスタン人たちだろう。
 振っている旗に、星と新月が描いてあり、後で調べたらやはりパキスタンの国旗である。アジア太平洋戦争の残影のなかをよろよろと歩いてきたら、こんどはインド亜大陸の現実の紛争、もしかしてまたインド・パキスタン戦争再来か、新たな戦争の予兆に出くわすとは、まったくもって暑い地球である。

 もう足が疲れたから、九段坂を下って帰ろうと思う。(実はこの先で、更にまた戦争の表徴の数々に出会うのであるが、)

戦争の八月(4)】につづく

2019/08/19

1415【戦争の八月(2)】敗戦記念日は東京九段の靖国神社に戦争の残影を見物に


夏定例の九段徘徊へ

 今年(2019年)の8月15日も、毎年今日の定点観測地「東京九段あたり」を野次馬見物してきた。参拝ではなくて見物である。
 ちょうど西日本を台風が襲っていて、航空機、新幹線等の西からの交通機関が不通だし、関東の天候も不穏なせいか、例年と比べると人出はすくなかった。
 それでも九段坂の上下に毎年に出現する戦争お化けは登場してきて、今年も見物したのであった。神社祭礼には見世物はつきものである。
本日の徘徊ルート
(九段下ー靖国神社ー千鳥ヶ淵墓苑ー九段下昭和館ー元軍人会館)
12時半頃に地下鉄九段下駅に到着、地上出口あたりは出動服の警官たちが固めている。高曇りで台風余波の風が吹いているが、気温は高い。
 われながら物好き年寄りと思いつつ、参拝を終えて下ってくる人波を避けつつ、歩道に並ぶいろいろな香具師のごとき活動団体のポスターと呼び声の中を、九段坂をよろよろと登って行く。

 お祭りの神社参道に出てくる屋台店みたいなものだが、金魚すくいも綿飴も射的もなくて、どこか不穏な空気の諸活動プロパガンダである。
 台湾は中国ではないとか、ウィグル族や法輪功の弾圧やめろとか、なんだか東アジア反体制の宣伝隊が並ぶと思えば、新し教科書を作る会とてこれは日本体制側の宣伝か、いつものゲリラ喧騒である。

 九段坂上の昔の住宅公団本社、後の東京理科大学、今の日本工営のビルを過ぎて、靖国神社境内入口にたどり着く。
 いつものように天皇参拝を希求するとかなんとか演説などやっているゲリラがいる。5年くらい前までは境内の中もいろいろと右寄りゲリラ宣伝がいたものだが、今は境内からは排除されたらしい。
 このあたりに結界があるらしく、境内に入ろうとすると境内全体に薄暗い蚊帳が吊ってあるような感じがする。

九段坂上靖国神社境内へ

 去年と比べて境内に人が少ないのは、台風のせいで遠くからの参拝者たちが来られなかったからかもしれない。
 いつも境内をうろうろしている戦闘服に身を固めたウヨク的姿の男たちを、ことしはほとんど見なかったのは、ウヨクさんたちも台風で来られなかったのだろうか。
 そういえば茶店がなくなって石の広場になっている。このあたりにあった茶店とそのまわりには怪しげな軍服姿のオジサンやら旭日旗や日ノ丸がひらひらする風景があったのだが、きれいさっぱりなくなって白いテントの店が行儀よく並んで、保守派の著書を売っている。



 みまわせば境内の整備が進んでいるらしい。新たな建築も工事中だから、茶屋に変るものができるのかもしれない。
 今年はなんだかあの靖国神社独特の怪しい雰囲気を欠いてる感もあるのは、あながち台風のせいだけでもなさそうだ。神社側も排除してるのか。そういえばいつも周りの道路からやかましく叫び立てる右翼街宣車が、今年は一台もいない。
 それでも例年登場の軍服コスプレオジサンたちがいた。いつものように大灯篭の陰に固まって、ラジカセで軍歌を流しながら、平和に立ち話をしていた。カメラを向けるとポーズとって、アイドル気分らしい。

 家の戻ってからネット検索したら、この日に靖国神社にやって来たウヨク団体らしい姿をいくつか見つけることができた。健在である。



 第2鳥居をくぐって神門から内苑に入る。拝殿前で礼拝待ち行列がある。それが去年は内苑におさまらずに神門を抜けて第2鳥居当りまでも長かったが、今年の行列は拝殿と神門の中間ぐらいまでしかない。この暑さだから年寄りはあまり見えないが、若者が多いのは初詣気分だろうか。
 それでも神門を抜けて参集殿前から遊就館あたりまでの内苑広場はいつもの混雑であるが、今年はなんだか静かな感じである。騒がしいいつもの団体が台風で来られなかったか。

 国会議員たちが昇殿参拝のために車で寄りつく到着殿の前には、いつものように報道カメラが沢山待ち受け受けているが、なんだか手持無沙汰の様子でもあるのは、もう政治家たちの参拝はおわったのか、これからか。
 一昨年だったか、ちょうど国会議員たちの参拝の時に出くわして野次馬見物していたが、まわりの群衆から拍手と「よく来た」とか「よ~し」とか、男女の大声があがるのに戸惑ったものだ。

 ここに来るといつも感じるのだが、戦争と天皇制の賛美の空気がモヤモヤとたちこめている。あの戦争を賛美する空気が濃い。
 そのひとつに、東京裁判の弁護士だったインド人パール博士の顕彰碑がある。パールが日本戦犯の無罪を主張したことをもって、博士を称える碑と頌がある。
 だが、パールが無罪と言ったのは、戦争時にはまだ存在しなかった人道の罪を罰すると言う国際法による裁判を無効とする法理論上の言説であり、犯罪行為そのものがあったことを認めており、決して無実と言ったのでは無い。このギャップが、いかにもこの場らしい顕彰碑である。

 暑いので冷房で休もうとて、遊就館に入った。もちろん入場料を払って展示の見物はしないで、無料の1階ホールでゼロ戦やら兵器の見物して、戦争土産グッズ店を冷やかして、適当にへたり込む。
 天皇賛美、戦争や兵器の本、「新しい歴史」の本など保守系執筆者の書籍、軍歌CDなど、そして日ノ丸鉢巻、旭日旗などなど、ここは戦争フリークショップである。



 去年はここにいるときにちょうど正午になり、近くの武道館で行われている式典の中継音が流れてきて、一同起立、3分間黙祷の指示に出くわした。
 そんな他から強いられる儀式を大嫌いなわたしは、ひとり座り込んでいて居心地が悪かったので、今年はその時間をわざと外して、今は13時過ぎである。
 人ごみなのになんだか違和感があるような感じがしていたが、ふと思いついた。東京の人が集まるところには必ず団体観光アジア系の人たちがおおくいるのだが、ここにはさっぱり見かけないのだ。どうしてだろうか、避けているのかしら。
 さて、そろそろ腰をあげようか、

●参照:2018靖国神社  2017靖国神社  015靖国神社 
    2014靖国神社  2005年、2013年靖国神社


2019/08/11

1414【戦争の八月(1)】広島核爆弾体験少女の短歌、本土と植民地で戦時体験少年たちの記憶簿、中国大陸と南方戦場の父世代の体験記録

アメリカ歌人が原爆被爆体験を詠む

 原爆証言聞きにしあともなお核が抑止力として要ると君らは

 原爆を日本がつくったと仮定して使ったかと問わる使ったと思う
         (アメリカ)大竹幾久子

 上に掲げた2首の歌は、今朝(2019年8月11日)の朝日歌壇の入選歌である。詠者の夫と兄がわたしの大学同期生である。
 この人は広島の被爆者であり、いまはその被爆させた国に生きて、被爆体験を語り、それを英語の本にして出版している。
 
●参照:『いまなお原爆と向き合ってー原爆を落とせし国でー』大竹幾久子著
     https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html

大学同期仲間たちが戦時体験記憶を記す

 今年も戦争を思い出す月が来た。1945年夏の真昼、雑音交じりのラジオ放送が晴れわたった日本列島を沈黙列島にした。
 わたしの年齢は、戦争の時を体験した最後の者にあたるかもしれないと思いついて、大学同期仲間たちの戦時戦後の体験記憶を集めた。
 仲間だけで読むのはもったいない、戦時の空気を後代に伝えたいと、ブログサイトを作って公開した。

 東京の大学に各地からやってきた若者たちの戦争体験の場は、日本列島の各地ばかりか、当時の植民地であった満州、朝鮮、台湾にも及ぶ。
 わたしのように静かな田舎町で敗戦放送の日のみ記憶鮮やかなものもいれば、植民地から内地にもどる過酷な旅をしたものもいる。広島で核爆発に被爆したもの、そのキノコ雲を遠くから眺めた者もいる。
 
●参照:昭和二十年それぞれの戦 七~八歳児の戦争体験記憶簿 
  https://kgr36.blogspot.com/2019/07/00520170711.html

父親世代の戦場体験を記録する

 日本は19世紀末から断続的に国際戦争をしてきた。大雑把に見ると次のようになる。
 1894~98年日清戦争、1904年~05年 日露戦争、1914年~18年第一次世界大戦、
 1931年~33年満州事変、1937年~45年日中戦争、1941年~45年太平洋戦争
 1950年~53年朝鮮戦争(直接参戦していないが兵站基地となり事実上参戦)、
 1990年~91年湾岸戦争(直接参戦していないが戦費1.2兆円負担して事実上参戦)

 このうちで国際的にも身近にも戦争の悲惨を未だにとどめているのが1931年から1945年までの戦争で、「アジア・太平洋戦争」あるいは「十五年戦争」ともいう。
 この十五戦争において実際に戦場体験をした二人の記録を、わたしはつくっている。ひとりは中越山村の長老であり、もうひとりはわたしの父である。

 中越山村の法末集落で90歳の長老・大橋正平さんに出会ったのは、2004年に起きた中越大震災の被災地であるその集落へ、復興支援の手伝いにボランティアで通っていたときあった。
 農作業の合間に話していると、正平さんはあの悪名高いインパール作戦の数少ない生き残りのひとりと知り、ぜひにと頼んでその家に上がりこんでじっくりと聞き記録した。
 兵役に出て行ったきり7年半も戻ってくることができなかった戦場体験を、その語り口を保ちながらオーラルヒストリーにした。
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 参照●大橋正平戦場物語 インパール作戦戦場の悲惨j

 もうひとつは父の戦場体験記録だが、父から直接に聴く機会を逸してしまって、その遺品のなかに発見した自筆の戦場記録を、わたしが解読して書いたものである。
 父は十五年戦争(支那事変、満州事変、太平洋戦争)の間に、通算7年半にわたり3度の兵役に就いた。その間に結婚し、1人の娘を失い、3人の息子を得た。
 わたしはこの父の戦争記録を書いて、15年戦争を俯瞰することができたとともに、わたしの戦中史にもなった。8月15日体験も、このなかに記した。

 参照●父の十五年戦争神主通信兵伊達真直の手記を読み解く
https://matchmori.blogspot.com/p/15senso-0.html

わたしの戦後における戦争定点観測

 もうすぐ8月15日が来る。定点定時観測地点「靖国神社」に今年も見物に行って見るかなあ、でも暑いなあ。
  集る人たちを眺めて哂ったり考えたりする、夏休みの宿題レクリエーションである。ここでこの日に毎夏に、いかにもアナクロな現象が出現するので、もしかしてアナクロじゃなくて現実になりつつあるのかと、怖くなってきている。
 なお、どんな宗教施設でも墓地でも、わたしは礼拝することはない。
 
●参照:2018靖国神社https://datey.blogspot.com/2018/08/1157.html
    2017靖国神社https://datey.blogspot.com/2017/08/1282.html
    2015靖国神社https://datey.blogspot.com/2015/01/1045.html
    2014靖国神社https://datey.blogspot.com/2014/08/983.html
    2005年、2013年靖国神社
        ttps://sites.google.com/site/dandysworldg/yasukuni20130815

(追記2018/08/19)
 大竹幾久子さんが2019年8月18日朝日新聞朝日俳壇(選者:高山れおな)に入選している。
   板橋を渡り終えれば散る蜥蜴      (アメリカ 大竹幾久子)
 原爆歌人であることを知っていればこそ、この平和で平凡な風景を詠むことが、心に沁みる。
(追記2018/08/25)
 大竹幾久子さんが今週も原爆の歌で朝日歌壇に入選、選者は高野公彦と馬場あき子の2人。
   父は死に我は生きたり原子雲の下で二キロを離れただけで
 その父君は広島市内の兵営にいたはずだが、地上から消えてしまった。


2019/08/01

1413【フェイスバカ孤乱夢7月まとめ】叱られ展覧会、参院選挙いろいろ、杢尾雪絵さん、主戦場、デジャビュ、棒しばり見物

7月1日【叱られ展覧会】
昨日もまた展覧会場で叱られた。同年輩仲間と横浜市歴史博物館の企画展を見ながら、あれこれ素人談議を楽しんでいたら、館員らしき女性がやってきて、「お声を小さくお願いします」
 実はこのところ展覧会に行くたびに、ヤカマシイと叱られる。地声がよく響くし、興に乗ると大声だし、耳が遠い年寄り仲間は自然に大声になるのだ。ヤカマシイと苦情を館員に言う人がいるのだろうなあ、トホホ。
 でもなあ展覧会ってものは、比評や解説しあいながら見る方が、黙りこくって見ているよりもはるかに面白いし、意義があると思うのだけどなあ。
 次は常設展会場で、ひそひそと話しつつ観ていたら、胸に名札をぶら下げた男がやってきた。あ、また叱られる、いや、アレッ、大きな声で解説をしてくれ出した。解説ボランティアだ。こちらも堂々とあれこれしゃべって、気が晴れた。企画展と常設展のこの違いは、なんなんだろ。
 展覧会って、どんどんしゃべっても良い日と、黙って見る日と分けてもらうといいかなあ。ついでに写真撮って良い日と、いけない日もね。
 ついでに、横浜の3万年を15分に圧縮した特別映像を見たが、なんと50人くらいは入れる立派な映像ホールが、わたしたち3人借りきり状態、日曜午後なのに。立体音響、3画面映写、ジオラマやゆるキャラロボットも登場するカネかけた映像、ありがたやもったいなや、聞けば、映像はこれ一本しかないとのこと、いやはやもったいない、でも内容は小中学生学校教育用だね。
 企画展を15分くらいに要領よく編集した映像をつくってくれると、それを観てから企画展を観ると、ずいぶん理解が進み興味が湧くのになあ。

7月2日【ニッポンコリア対立深刻】
お~「冷WAR」時代再来、米中冷戦ばかりか、日韓冷戦も到来だよ、それと言うのも、レイワなんてつけるからだよ

7月5日ブログ【参院選挙:乱立政党】
なんだか沢山のきいたことない政党があるもんだなあ。
 2010年の参院選挙の時は、「あきつ新党、改革党、共産党、公明党、幸福党、国民新党、自民党、社民党、女性党、スマイル党、世界経済共同体党、大地党、たちあがれ日本党、日本創新党、新党フリーウェイクラブ、新党本質、民主党、みんなの党」、
 ひゃあ、たくさんあったな~、さて、今回は???

7月5日【木に鉄を接ぐ】
国立競技場の写真がネットに登場しています。これはその中の、観客席の上の屋根を見上げたところ、さすがに材木屋の隈さんらしいデザインで、構造体は木材で作って、それを鉄骨で補強しているように見えます。いや、鉄骨で造って、木材で補強してるのかしら、ま、なんでもかんでも木の板を貼り付けとけば、デザインしましたってことね、クマさんは、。

7月11日ブログ【誤報と偏見】
「懶」を「ハンセン」と言い換えは、それも偏見の歴史なのだろうか、言い換えると偏見がなくなるものでもあるまいし、あ、そうだ、痴呆症を認知症と言い換えたら痴呆じゃなくなるわけじゃなし、ツンボ、メクラ、オシ、ビッコ、イザリなど(こうやって並べて気がついたが、いずれも超高齢者に充てはまるのだなあ、わたしのことか)の偏見言葉の言い換え歴史をちょっと考えていたら、同じ朝日新聞一面に登場している別の2つのニュースにも気がついた。

7月11日 関外徘徊点描




7月13日【ハンセン病判決】
なんだかよく分らないなあ、「判決内容は法律に違反しているけど、原告へのお情けをもって、被告は控訴しないのだ」って、どういうことなんだろうか。これなら法律や判例違反と反論する部分についてだけ控訴した上で、国家としての謝罪と賠償金支払いを速やかに実行すれば、筋が通るような気がするけど、これってオカシイの?

7月16日【杢尾雪絵さん】
ユニセフ・キルギスのトップ杢尾雪絵さんが、レバノン勤務となったそうだ。キルギスの前はウクライナだった。
 昔々、東京で一緒に仕事した人だが、あるときから途上国支援に一念発起、アメリカ留学して国連ユニセフに入り、トルコ、モンゴル、コソボ、タジキスタン、ウクライナなど、中東から中央アジアのユニセフを歴任して、紛争の中で虐げられる子どもの救援支援活動を続ける。
 敬服するほんとにすごい国際人だが、また次のレバノンでも、どうぞ元気に活躍してください、期待し、祈るばかりである。
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/1130/

7月18日ブログ【映画:主戦場】
ドキュメンタリー映画じゃなくて、謎解きエンターテインメント映画だ。いい大人がオチョクられる面白さもあった。
日韓教育における情報の量と質の大きな非対称が、現今の慰安婦から徴用工へと問題をひろげ、更に経済へと日韓対立に傷を深くしているのだろう。
歴史の真実は多様にして、真実とはいったい何のことかと、ちょっと考える。


7月21日【デジャビュ:湾岸戦争】
おお、またアメリカから戦争協力要請かよ~………、え~と、なんだかデジャビュだなあ、そうだ、湾岸戦争だったな、あれは。
1991年にアメリカのブッシュ大統領から湾岸戦争協力を求められて、当時の自由民主党政権の海部俊樹内閣は、なんと90億ドル、つまり1兆2千億円もの大金を出した。
 それで憲法上の制約ありとて、自衛隊派遣を勘弁してもらったんだけど、事実上の参戦だったなあ。
 今度もまたアメリカのトランプ大統領からの要請、さて、また何兆円かのカネ出して参戦するのかしら、それとも今や憲法解釈変更で堂々自衛隊派遣かもなあ。カネあるの??

7月21日【参院選挙:投票証明】 
こんなもの始めてもらったぞ、前には無かったよなあ、10枚集めると投票用紙を2枚貰えるとか?、27年後が楽しみだなあ、生きてるか?

7月22日【参院選挙:沖縄と福島】
あの沖縄では相変わらぬ自民拒否にあの福島では相変わらぬ自民支持デジャビュ、東京選挙区に野末陳平デジャビュ、憲法改正唱える安倍晋三に赤尾敏デジャビュ、トランプから戦争参加勧誘で湾岸戦争デジャビュ、長く生きてると面白いことに再々出くわすが、どれもこれもウンザリでもある。


7月23日【参院選挙:お遊び投票】
あ~あ、やっぱり自民党かよ~、どうせ自民党が勝つから、初登場泡沫党に投票しようか、バカのひとつおぼえのこいつにするか、なんて投票したN国、ありゃ百万票だよ、一人当選しちゃったよ、まさか、タハハ、日本バカ百万人

7月29日ブログ【歌舞伎「棒しばり」】

 そのもとを知っていればこそ、パロディは面白い。歌舞伎はパロディだらけらしいのだが、観てもさっぱり分からないから面白くない。今回ようやくひとつだけ分かって面白がったら、なんと14世紀まで遡ってしまった。う~む、なんだかすごい様な、いや、まあ、全くどうでもよいヒマツブシ事だが、それをヒケラかす場にブログを使ったのが、ちょっと今風である。
 ブログってのは、嫌がると分っている人に聞かせるのとは違って、誰にも読まれなくても平気だから、年寄りのひけらかしに向いている。

7月30日【故障エアコンの治し方】
これをお読みのあなた、エアコン故障したら、お試しくださいませ。
 昨日、このクソ暑いのに空調機が、単なる壁掛け扇風機になってしまった。買った電器屋コジマに電話したら、いくつか状況を聞かれた上でご指示あり。
「では、空調機設定温度を最低にしてしばらく運転してください。今どきの機はそれで復旧するように設計されていますので、やってみてください」
 おお、それは簡単でいいなあ、1時間ほど16度で動かしたけど、相かわらず壁掛け扇風機、また電話したら修理担当者を手配してくれた。
 今朝一番にやってきて手際よくガス注入修理した職人さんに、昨日の電話指示の修繕方法を話したら、苦笑しつつ「そんなバカなこと、全くいい加減なこと言ってすみません、誰ですか言ったのは、」
 なお、これは妻の部屋の空調機であり、わたしの部屋は今年になってまだ一度も冷房にしたことがない。いつまでこれでいられるか毎年の行事、熱中症っていつ来るのかなあ。

2019/07/28

1412【能楽の眼で歌舞伎見物】歌舞伎の棒しばりを観てその元となった能楽の棒縛・融・松風・汐汲みを想う

 
うちの近くの劇場でやるので、歌舞伎「車引き」と「棒しばり」を観に行った。歌舞伎には詳しくないが、「棒しばり」は松羽目物なので、能狂言と狂言舞踊はどう違うかなあと、ちょっとは勉強心もあるヒマツブシであった。
 そういえば、この前に新橋演舞場で観た歌舞伎舞踊「紅葉狩り」も、松羽目物だった。能との違いを面白がりながら観たものだった。
紅葉ヶ丘ホール
●能楽の狂言「棒縛り」と歌舞伎舞踊「棒しばり」

 「車引き」は能楽に関係ないし、特に面白くもなかったので、ここでは能狂言「棒縛」をアレンジした歌舞伎「棒しばり」について感想などを書いておく。
 歌舞伎の「棒しばり」は長唄による舞踊劇だが、ストーリーはほぼ能楽狂言そのままである。違いは、歌舞伎では踊りや囃子や唄に主眼を置いているのに対して、能狂言の方も小舞はあるもの演劇に主眼を置くことだろう。勝負どころが異なる。
 演出上では舞台装置は似ているが、歌舞伎では舞台上に総勢20人以上の歌、囃子方の楽団が登場して賑やかに唄い演奏するのが大いに異なる。
 
 わたしの耳には、聞きなれている能狂言役者のセリフのメリハリと間の具合が、歌舞伎役者のそれはまるで素人芝居のように聞こえた。
 能楽を真似たと初めから広言している松羽目物だから、もう少しは狂言師を真似た方がよさそうに思った。それともこの役者が下手なのか、歌舞伎舞踊ではセリフよりも踊りが主だから、これで良いのだろうか。

 さて、舞台では酒に酔った太郎冠者と次郎冠者が気持ちよく踊るのだが、そのなかの次郎冠者の長唄に、聞いたことのある文句が出てきた。
 「あずまからげのしおごろも、、、、しおぐもりにかきまぎれて あともみえずなりにけり
 え~っと、エート、なんだっけ、あ、そうだ、これは能「融」(とおる)の一節だぞ、でも、どうしてそれがここに出てくるのだろうか、あ、そうか、次郎冠者の格好が「融」の汐汲み老人そっくりだから、何の関係もないけど、ちょっとしゃれてパロディにしたのか、なるほど、なるほど。
左は公演パンフから採った「棒しばり」の汐汲み姿の次郎冠者(松緑)
右は観世能謡本から採った「融」の前シテ(汐汲み姿の融の大臣の幽霊)
この件については家に戻ってから、ネットで長唄「棒しばり」の文句を調べたら、能「融」前場のキリを唄っていると分かった。
持つや田子の浦 東からげの汐衣 汲めば月をも袖に望汐の 汀に帰る波の夜の 老人(長唄では「翁」)と見えつるが 汐曇りにかき紛れて 跡も見えずなりにけり 跡も見えずなりにけり

 この汐汲み踊りが歌舞伎での「棒しばり」の一番の見せどころらしい。しかし、そのもとになったという能狂言での「棒縛」にも狂言小舞はあるが、能「融」パロディは無いのである。
 まあ、違いがないと歌舞伎にした意味がないだろうが、両者の見せ所の違いが面白い。
 なお、狂言「棒縛」には、能「松風」のもじりパロディ場面もあるのだが、長唄舞踊「棒しばり」ではそれがないのも、面白い。
 
●能楽と歌舞伎の「汐汲み」について

 ネットでいろいろ見ていたら、この「融」のパロディを「松風」のパロディと書いている歌舞伎解説がある(参照「歌舞伎見物のお供」)。そうか、汐汲みを扱う能は融のほかに「松風」があったな。
 もしかして日本舞踊の流派によっては「松風」パロ版もあるのだろうか。でも、それではちょっとおかしいと思うのは、松風の汐汲み道具は天秤棒に桶ではなくて、桶に車が付いた(大八車に桶を載せているのかもしれないが)汐汲み車を、紐で引いて出てくるのである。「棒しばり」の格好をしていないのである。
左は舞踊汐汲みの人形 右は能「松風」の汐汲み車(観世流謡本より)
だから松風のパロディとするのは間違いであろうと思った。ところが日本舞踊に長唄「汐汲み」があり、これは明確に松風をもとにしているそうである。ネットで何でもわかるなあ、、。
 そしてこれに登場する汐汲み女は、能「松風」の汐汲み車ではなくて、能「融」の天秤棒タイプの汐汲み道具を担いでいる。

 はて、オカシイな、松風に天秤棒バージョンがあるとは聞いたことがない。でも、この長唄と舞踊「汐汲み」を創作(1811年初演)した人たちは、汐汲みの格好は「融」から、ストーリーは「松風」から採ってきたのであろう。
 それは汐汲み車を曳くよりも、天秤棒で桶をかつぐ格好の方が、動的な絵になるからだろう。融の汐汲み演技と松風のそれを比較すれば納得できよう。

 長唄「棒しばり」は1916年初演だそうだから、「汐汲み」より100年ほどの後だが、このときなぜ「汐汲み」ではなくて「融」のパロディにしたのだろうか。
 狂言「棒縛」には最後のあたりに「松風」のパロディが登場する。これは汐汲みの格好とは関係がないのだが、長唄ではこの松風を削除している。どうせならこれも生かして、その前の踊りも舞踊「汐汲み」パロディにすれば、松風パロディが続いて面白かっただろうに、とも思うのである。

 20世紀初めの創作の長唄「棒しばり」の話から始めたら、15世紀前半に作られた狂言「棒縛」、能「松風」そして「融」へとさかのぼり、更に19世紀初めの長唄「汐汲み」に飛び火した。
 ところが観世流能謡本の解説によれば、能「松風」は15世紀前半に世阿弥による作とされるが、これは実は14世紀後半の亀阿弥作「汐汲み」の改作であり、その改作には世阿弥の父の観阿弥の手が入っているとある。

●600年もさかのぼる伝統芸であったか

 ここまで登場した芸能演目を成立順に時間を遡って書くと、歌舞伎「棒しばり」→長唄「汐汲み」狂言「棒縛」能「融」→能「松風」能「汐汲み」の順になるらしい
 21世紀の「棒しばり」の話が、14世紀まで6百年もさかのぼってしまった。
 歌舞伎の松羽目物は、どれでもこうなるのだろうか。研究者ならさらに追っかけるのだろうが、ヒマツブシ趣味としてはこれで十分である。

 う~む、なんだかすごい様な、どうでもよい様な、、、いや、まあ、全くどうでもよいことを書いているのだ。
 要するに歌舞伎の楽しみ方のひとつに、そのパロディの元を思い出させて、ちょっと老人的教養人的趣味人的境地にに浸ってみて、それをひけらかす場にブログを使ったのが今風である。
 パロディを面白がるには、そのもとを知っている必要がある。どうも歌舞伎はパロディだらけらしいのだが、観てもさっぱり分からないから面白くない。今回一つだけようやく分かって面白がったのであった。

 能については長らくたくさん見てきたから(→趣味の能楽鑑賞)、半分くらいは何とか分るのだが、歌舞伎もそうなるには20年かかるだろうから、いまや無理と言うもの。
 今回の公演には、本番開演前に解説番組はあっても、こんな話は無かったのだが、マニアックすぎるのだろうか。

●歌舞伎に普及について

 まあ、どうでも良いことを言っているのだが、研究者でもないわたしとしては、そうやって歌舞伎を楽しんでいるのである。
 ところで今の観客のどれほどが、松羽目物の元になった能や狂言を観ているのだろうか。それを観ていて覚えていればこそパロディであると分って、楽しみがぐんと増えるのだが、既に能狂言の棒縛り見ていたわたしでも、ようやくそれと分っただけだった。

 能狂言から歌舞伎に移植されて、歌舞音曲主体になって面白くアレンジされても、今やもう元の面白さは忘れられただろう。古典芸能がそのまま生きるのは難しそうだ。
 今回観たのは、国立劇場の地方公演の歌舞伎鑑賞教室であり、本番の前にしっかりと解説番組もあって、若い世代向けの伝統芸能普及公演であるらしい。
開演前の解説番組 中村玉太郎 ここだけ舞台撮影OK
だからわたしのような年寄りが見ては申しわけない。でも、貧乏な年寄りには、銀座の歌舞伎座は高価だし、三宅坂の国立劇場は遠く不便だし、どちらも敷居が高いから、近くて安いこれはなかなかよろしい。
 観客は年寄りも多かったけど、若い人たちも多かった。地下に階段で降りる便所って、年寄りにはつらいな。

 まあ、歌舞伎の観巧者や評判大物役者びいきには物足りないだろうが、こういう公演は東京の外の観客に、そして出演する若い役者たちはよいことと思う。
 それにしても歌舞伎とはストーリーの前後をカットして一部だけ見せるのだから、しょっちゅう見るとか特別事前勉強しないと、なんとも不可解で次も見ようと思わない。
 ストーリーが不可解でも、評判役者が出てきて、華やかな舞台を眼で楽けめば良いのだろうが、それで長続きするだろうか。

 その心配があるから、こうやって地方まわりの鑑賞教室だろうが、でもなあ、これをみて歌舞伎好きになるもんだろうか。歌舞伎ってのはその荒唐無稽さを楽しむのだろうが、これではそれが足りないような、もっと無茶な場面を見せてくれといいのになあ、お得意の血みどろ殺人の場とかケレンとか、、ね、。

国立劇場の次の26日が紅葉坂ホールだった
第96回 歌舞伎鑑賞教室 
2019年7月26日1430~1650 紅葉ヶ丘ホール

解説 歌舞伎のみかた 坂 東 新 悟

菅原伝授手習鑑ー車引ー 
舎人松王丸 尾上 松緑
舎人梅王丸 坂東 亀蔵
舎人桜丸  坂東 新悟
舎人杉王丸 中村 玉太郎
藤原時平  中村 松江

棒しばり
次郎冠者 尾上 松緑
太郎冠者 坂東 亀蔵
曽根松兵衛 中村 松江

 なお、劇評家の渡辺保が、このシリーズの浅草公演について、松緑の棒しばりを褒めている。
・渡辺保の歌舞伎劇評 2019年7月国立劇場 松緑の「棒しばり」
http://watanabetamotu.la.coocan.jp/REVIEW/BACK%20NO/2019.7-1.htm