2025/05/30

1890【カスハラ連日】店でも役所でもカスハラごっこは機械も加わりどこまでも続きそうだ

 政府から手紙が来てあるマイナ―なことをやれという。メジャーな方が好きだが国から命令とあれば仕方ない。
 今日は国の下請け機関である区役所が、「マイナーカード」なるものを受け取りに来いと言うので、雨の中を行ってきた。雨に対応してパーカを着て、マスクも着けた。

●カスタマーのわたしがハラスメント受ける?

 窓口には大勢が並んでいる。やがてわたしの番が来て、カウンターの向うのマスク女性があれこれ指示してくる。

 まずは2件の暗証を入力せよという。4桁の数字は簡単に入力できたが、15桁の大小英数字入力は、画面キイボードの英字の並びがPCとは違うので、えらく時間がかかるのであった。なんで、PCのように並べないのか。国民というカスタマーをハラスメントしているぞ。

 最後にカウンター向こうのマスク女性が言う、
「では写真とお顔を照合しますので、マスクを外させてください
「え?、変だな、まあいいや、どうぞお外しになってください」
「マスクを外させてください」
「え?、あ、そうか、君のマスクじゃなくてわたしのだね、さあ、どうぞ外してください」
と、顔を突き出せどもマスク女性は手を出そうとしない。 

 ハタと気が付いた、この人はわたしのマスクをわたしの手で外すことを要求しているのだな、その言葉遣いを間違えているんだな、と。「・・させてください」と言えば何でもかんでも丁寧言葉になると思っているらしい。

 若い時だったらここで言葉遣いの講義をするのだけど、さすがに年取って人間が丸くなったし、わたしの後にも待つ人たちがいるので、我慢した。相手の言いたいことを頭で変換理解して素直に対応するのだ。自分でマスクを外して顔を突き出した。

 ここでもしもわたしが丁寧語の言葉使い講義を長々とやったら、それを「カスタマーからのハラスメント」というのだろうと思う。

 その一方で、カスタマーのわたしが迷うような言葉遣いで指示をするのは「カスタマーへのハラスメント」と言っていいだろう。まあ、おあいこ勝負無しってところか。

●機械も参加してカスハラごっこ

 そうやって予約呉れたカードのどこにもマイナーカードと記載がなくて、「個人番号カード」と書いてある。これは本物だろうか?
 そもそも名称がおかしいと思う、番号が書いてあるけど、それが重要じゃなくてそれにつながる個人情報のためのものだから「個人情報カード」というべきだろう。

 ついでに書くが、この後に必要あって手数料300円の証紙を買おうと、区役所内の自動販売機に1万円札を入れた。一万円札だけ出てきて、うんともすんとも進まない。
 おい、9700円釣りだろ、9千円しか出ないぞ、300円証紙もでないぞ、近くに案内係女性がいたので助けを求めた。彼女がいう、出てきた1万円札を数えろと、なんと10枚もある。

 「ということは、この機械は両替機ですか?」ときけば、「すみません、1万円札の時はいったん両替してから買ってください」「え、そんなことどこに書いてあるの?」「すみません、そう言うことなんです」「今どきバカな機械だね」「すみません」

 何度も「すみません」と言われると、これはカスタマーハラスメントしているように聞こえてしまうだろうと、困ってしまった。「まあ、まあ、謝らないでよ、あなたが悪いんじゃないよ」なんて、こちらが謝りそうになる。彼女の作戦勝ちである。

 この後に某役所に寄ったが、約束した係に至るまでに6階→7階→8階→7階とたらいまわしされた。典型的お役所カスハラである。
 ついでに今日は雨が降りしきる天気で足元から濡れてしまい、地球からもカスハラを受けたのであった。おかげで頭に刺激を受けてつづけてボケが止まる。

(20250530記)

 このブログの同趣旨の記事

2025/04/14・1879【粕腹面倒】
https://datey.blogspot.com/2025/04/1879.html

2025/05/29・1889【リベンジカスハラしたい】
https://datey.blogspot.com/2025/05/1889.html

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2025/05/29

1889【リベンジカスハラしたい】外食するたび店が客を酷使するカスタマーへのハラスメントが増える

 近ごろは外でめしを食うのが大冒険で、面白いがめんどくさい。
 今日は昼めしを横浜駅地下で食べようと店を探していたら、家の近くでコロナの前からよく仲間と飲みに行っている「ナントカ水産」をみつけて、名前が同じだから経営も同じだろう、慣れた店だからとて入る。

 テーブルに座って待てども、だれも注文取りに来ない。おやおや、ここもネット注文に変わったか見れど例のタブレットがない。
 しかたないからカウンター向こうで作業中の板前に「どうやって注文するの?」と聴きに行く。

 「はい、ここです」という。でもなあ、何の案内も出てないぞ。
 で、注文したら「これをもって待っててください。用意できたらそれに書いてある番号をお呼びします」、小さな番号札をくれった。で、席で待てども待てども「7番さ~ん、用意できました」てな呼び出しが聞こえない。

 番号札を見たら、何か星がチカチカしている。あ、これが呼び出しかな、また板前のところに行ってみると、果たして注文したマグロどんぶりができて角盆に乗っていた。
 味噌汁がついているが、お茶がない、そばに水差しと小さなペラペラの薬を飲むようなプラコップがあるので自分で注ぐ。

 ドンブリとみそ汁と水が乗る角盆を、左の片手で持つ。右手は杖を突いているからだ。
 角盆を落としそうで怖い、できるだけ近いテーブルにたどり着いて、ようやくに昼飯にありついた。水のお替りを注ぎにいくのがめんどう、持っていたペットボトル茶を飲む。

 やれやれ、外食でタブレットに出会うのは慣れたが、顧客酷使セルフサービス新方式がまだまだいろいろと登場して来るので、油断できない、年とっても杖ついたり、ましてやボケていられない、外食難民の恐れ十分だ。救済活動を待っている。

 客をこき使いだした分は、値段が安くなっているかとみれば、反対に値上げだ。コンチクショウメ、これこそカスハラだ、「カスタマーへのハラスメント」だ。
 いま、考え中は、店内で杖ついて片手で盆を持ったまま転んで、食い物と食器を床にぶちまけてやろうかという、「リベンジカスハラ作戦」である。 

(2025/05/28記)

このブログの関連記事
2025/04/14・1879【粕腹面倒】値上げ攻勢で商店に虐められた
カスタマーが恨みを”晴らす面倒”を起こすらしい https://datey.blogspot.com/2025/04/1879.html

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2025/05/26

1888【大阪駅で浦島気分】大阪駅乗降プラットホーム上空大屋根の巨大架構による大空間が凄い

 ●西方旅行の途中で大阪駅へちょっと途中下車

 5月半ばに西への旅の帰りに途中下車して、1時間ほど大阪駅から街を眺めてきた。
 大阪へは、市内に住む伯母の家を、少年時からよく訪ねたものだ。
 長じて、社会に出てすぐの60年代に2年ばかり、70年代も2年ほどを大阪駅近くの勤務先に通ったことがある。

 その後はめったに大阪に用もなかったので長いご無沙汰である。だから今度の米寿記念ともいうべき旅で、大阪へも最後かもしれないと、大阪駅あたりだけでも見ることにした。何年振りだろうか、大きく変わっているに違いない、浦島太郎気分が高まる。

●全く見も知らぬ大阪駅表口風景

 大阪駅の表口とでもいう南側の駅前風景は、昔と全く違う見も知らぬ風景になっていた。超高層ビル林立で空を見るには首が痛くなるほどに風景は大きく変わっていた。

 昔はせいぜい30~40mくらいの高さのビルばかりだった。丸ビルと名付けた円筒状のホテルがちょっと高かったくらいのものだった。そういえば駅前でよく入った店は「旭屋書店」だったと思い出したが、どこにも見えない。

大阪駅南の駅前で西方面街並みを眺める

大阪駅南口前から東方を見る 左に阪急?、右に阪神?

大阪駅東口前の阪神百貨店はこんな形になっていた

 少年の頃に伯母の家を訪ねるためには、大阪駅南口から阪神電車に乗り替えた。それには阪神百貨店の地下に入った。阪神電車駅は今もその位置らしいが、百貨店ビルは超高層に建て替わっていた。そういえばその地下にあった全国名産品店街とか薄暗い飲み屋街はあるかしら、階段横の串カツ屋はどうだろう?
 とにかく駅前の広場や道は、昔の通りの位置や広さらしく見えるのだが、どこもかしこも超高層ビルが道路際までいっぱいに建っていて、緑や空が見えなくて実にうっとうしい風景になっていた。

 緑らしきものは御堂筋にある梅田吸気塔の周りの樹木群だけのようだ。この村野藤吾デザインの吸気塔が今もその形で立っているのが、なんだか不思議であった。まさかこれも超高層にはなるまい。

村野藤吾デザインの梅田吸気塔と樹木

 歴史的近代建築としてどうなったかちょっと気になっていた大阪中央郵便局も、超高層建築に建て替わっていた。東京駅前のそれと同じKITTEとネーミングだそうだから、同じように下半身には元のデザインを生かしているかとみれば、つまらぬビルになっていた。遠目で見て、近くに行く気にはならなかった。

大阪中央郵便局舎が建て替えられてKITTE大阪に

 そんな大阪駅前に建って左右を見渡していたら、東京のKITTEのように昔の姿を継承しているビルがひとつだけあった。かつての阪急百貨店が超高層ビルになっているが、その下半身にはかつてのビルのイメージをかなり上手に生かして継承している。その阪急百貨店うめだ本店だけは、そこに昔は何が建っていたか、わたしにも思いだすことができて、浦島太郎気分ひとしおであった。

阪急百貨店が建て替えられて阪急梅田本店ビル

●大阪駅北側の操車場跡地開発もチラリ眺めた

 そうやって懐かしい表口をながめ、かつては無かった裏口(北口か)も眺めてきた。こちらは広大な鉄道操車場があったこと、その一部が開発されて梅田スカイビル(原広司設計)だけが建っていたころの風景までは知っているが、その後は全く知らない。

 しかし最近その再開発ができ上ったらしく、ネットにその風景がちょくちょく登場する。それには巨大商業ビル群、超高層ビル群、広大公園緑地空間が見える。なんだかよくある開発風景で、もう実物を見なくても分かった気になってきている。

 ここは再開発といっても事実上は新開発だから、昔の姿を思い出して、浦島太郎気分を楽しむことができなくて、つまらないのである。そこが表口とは大きく違うのだ。駅裏(北)に建った駅ビルから、チラリと眺めて見て引き返した。

大阪駅北の操車場跡地開発をちらりと遠望

●大阪駅プラットホーム空間再開発が素晴らしい

 実を言えば裏口の操車場跡地開発を見る前に、大阪駅そのものの再開発に大いに惹かれてしまったのだ。結論を先に言えば、大阪駅あたりの再開発で、もっとも感銘を受けたのが、大阪駅そのものの再開発であった。表も裏もホンのちょっとだけ見てそう言うも気が引けるが、いや、まったく大阪駅こそ物凄い再開発だった。

 大阪駅の沢山の列車乗降プラットホーム全部を、はるか上空に大屋根をかけて覆ってしまうとは、じつに大胆である。京都駅のコンコース大屋根もすごいと思っていたが、こちらはプラットホーム全部だからすごい。

鉄骨の架構がダイナミックに上空をよぎる コンコースのしつらえがチャチに見える


コンコースが中間にあるためにプラットホーム迄全体を見下ろせないのが残念


 外国の鉄道駅では、大きな鉄骨ドームをかけた駅は、ハンブルグ駅やミラノ駅などいくつか利用した経験はあるが、日本では初めてだろう。なんと2011年完成だそうだから、14年もわたしはそれを知らなかったのだ。浦島太郎である。

 上記の例のような外国のそれと違うのは、こちらはホームと大屋根の間に広いコンコースが架かっていることだ。だから鉄道の出入りや乗降客の動きが、大屋根の下に一目で見渡せないのが惜しい。あの大空間であの頻繁な鉄道列車の動きがあると素晴らしいダイナミックな風景になると思う。ヨーロッパで見たあのおおらかな空間ではないのが惜しい。

 それでもホームとコンコースを全部まとめて上空に架かる大屋根の架構のもたらす空間のダイナミックさにほれぼれした。文章でも写真でもとても表せない。体験するしかない。
 ともかくもこ こに途中下車して眺めた大阪駅とその周囲の景観ベスト3ランキングをしよう。もちろん駅とその周りでわたしが1時間ほど眺め体感した範囲の偏見と独断である。

 第1位:JR大阪駅プラットホーム上の大屋根空間(設計:JR西日本)
 第2位:阪急うめだ本店ビル(設計:日建設計)
 第3位:御堂筋の中に建つ梅田吸気塔(設計:村野藤吾)

(2025/05/26記)

このブログ掲載の西への旅日記

・2025/05/20・1887【故郷の浦島気分】もう30年も唱える「高梁盆地≒アルトハイデルベルク説」は故郷に通じなかった https://datey.blogspot.com/2025/05/1887.html

・2025/05/18・1886【わが設計の父母旧宅】築60年モダンリビング木造小住宅が今は古民家民泊施設として生き残るとは! https://datey.blogspot.com/2025/05/1886.html

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2025/05/20

1887【故郷の浦島気分】もう30年も唱える「高梁盆地≒アルトハイデルベルク説」は故郷に通じなかった

●故郷高梁盆地訪問

 久し振りに泊りがけで故郷訪問してきた。岡山県の高梁盆地である。高梁市であるが、わたしが過ごした幼少年時代とは、市域は膨大に拡張しており、単に高梁が故郷であると言ってもどこであるのかわからない。そこで近年は故郷は高梁盆地であるということにしている。

 巾着袋というか餃子というか、サツマイモというか、まあ、空から見るとそんな形をした盆地である。四方を小高い山並みに囲まれているから、季節によっては盆地は湖の底のように雲海に深く沈む。雲海からようやく頭を出す備中松山城の天守がほぼ唯一の歴史的観光資源である。わたしは雲海の城を見たことはない。

 少年の頃はこの袋の中から雲を突き抜けて、何とかして逃れ出たいと思っていたものだ。夢ではも空を飛んで逃げだそうと何度もしたものだ。
 大学に入る口実で遂に東京に逃れてから、後年に都市計画を専門とする大人になって初めて、高梁盆地の価値が分かったものだ。なかなかに捨てたものではない良い街だと気づいても、もう戻れなくなっていた。

 その後に何度か引越しをしたが、どちらも20年以上を居住した旧鎌倉横浜関外の地は、規模と地形が高梁盆地にどことなく似ているのであった。意識せずとも故郷の環境と景観が脳内にインプットされたままでいるらしい。

●高梁≒ハイデルベルク説

 それを特に意識させられた”事件”が起きたことがある。ドイツのハイデルベルクのオールドタウン(アルトハイデルベルク Alt-Heidelberg )を訪ねたのは1996年の5月だった。
 そこは高梁盆地とほぼ同じような山に囲まれた盆地地形であり、ネッカー川が高梁川のように流れている。街を歩くと街路や路地(小路)から向こうに必ず山並みの緑を見通すことができる。

 例えば上の写真(左ハイデルベルク、右高梁)のような風景が到るところで出現してくる。わたしは初めて来たのに再来の気分になってきた。覚えのないデジャビュ(既視感)に襲われて、変な気持ちになった。

 街からネッカー川を渡って右岸に行った。岸辺近くから山がたち上り、その中腹を川に沿う道があり、哲学の道と名付けられている。そこから街を見下ろして、おお、ここは高梁盆地だよ~、と、わたしはいっしょに行った4人の友人たちに叫んだ。街で起きた変な気分の理由が分かり、頭ががすっきりとしたのだった。

 ではどれほど似ているか、わたしが撮影した俯瞰写真を比べよう、そっくりだ。

写真(上)はアルトハイデルベルク、ネッカー川右岸の哲学の道から望む1996
写真(下)は高梁盆地の旧城下町、高梁川右岸の蓮華寺への山道から望む1997

 そのアルトハイデルベルク景観は、高梁盆地の天守がある臥牛山、城主館(御根小屋)、旧城下町、方谷橋と川そして背後を囲む山並みが作る景観とそっくりなのだ。色彩は異なる。
 わたしはこれ以後、チャンスあるごとに「高梁盆地≒アルトハイデルベルグ説」を唱えている。(参照「異国で発見した故郷2010.07」)

 このブログに何回もそのことを書いており、高梁市で大勢の市民対象の講演(2012年)の機会にも話したし、高梁高校の同窓会誌にもこの話を寄稿したりして、自分としてはけっこう宣伝したつもりだったが、だれからもこれに乗ってくる話は一向にないのである。

●再び故郷にハイデルベルク景観を求めて

 今回、久しぶりの故郷訪問(たぶん最後)だから、この景観の確認をしておきたかった。以前に写真を撮った高梁川の右岸の山の中腹にある蓮華寺に期待して登りついた。おお、なんとまあ、展望台を設けてあるだ、感激した。もしかして、「ここからハイデルベルグと同じ景観眺められます」、なんて掲示板があるかもと思ったくらいだ。

 その展望台で撮った写真がこれ↓、ガックリ~、なんだよ、はるばる来たのに~。

蓮華寺から高梁盆地を望むも肝心のお城山、旧城下町、方谷橋など左方は全く見えない

  がっかりしてとぼとぼと蓮華寺からの山道を下っていたら藪の切れ目があった。
藪の切れ目から下に方谷橋、正面にわたしの生家があった御前神社の森が見える


上の写真の中央部ズーム、わたしの生家があった御前神社参道の脇に立つ鐘楼がみえる

 蓮華寺や方谷林あたりの山腹を探せば、どこかに旧城下町全部を俯瞰できるところがあるかもしれないが、老体で山道を登り降りや藪をかき分けるのは無理だからあきらめた。
 蓮華寺から北へだらだらと下ったあたりで、ようやく藪が切れて旧城下町が見える。位置が低すぎるけれども、ここから眺めてがまんしよう。
 これ↓が今の日本のアルトハイデルベルクである。
左は松山城天守がある臥牛城山、正面が旧城下町、秋葉山、右に方谷橋、愛宕山

もう一度、高梁盆地≒アルトハイデルベルグを空中から見よう、そっくりである。


 というわけで、わかったのは、わたしの唱える「高梁盆地≒アルテハイデルベルク」説の宣伝は何の効果もなかったということだ。
 ハイデルベルクと言えばドイツでも日本でも有名な古都だから、高梁盆地観光の種になるかもと思わないでもなかった。でも今や学生王子の小説や映画やミュージカルさえも誰も知らないよな。

 高梁盆地≒アルトハイデルベルク説をひっこめる気はないが、歳と共に薄くなった故郷の街への思いいれらしきものが、これでさらさらと溶け去った。
 そこで思うのだが、都市や地形を景観的な視点で認識するのは、わたしのような建築や都市計画を専門としたものでなければ、眼で見ても気が付かないかもしれない。誰もが気が付くだろうとの思いは、専門家の一方的思い込みで誤謬のようだ。
 それが証拠には、高梁生まれのわたしの弟でさえも、ハイデルベルクに行ったけど高梁と似ていると気が付かなかったというのだから。
 そうだ、どこか別の日本のハイデルベルク説が有効な城下町を探そうか、さてどこだろうか。

●高梁盆地の観光目玉は今

街にもホテルにも山田方谷幟旗ヒラヒラ
 ところで、目下の高梁盆地観光の大きな売り出し目玉は、山田方谷らしい。方谷は幕末に備中松山藩を立て直した陽明学者であるようだ。街に中のあちこちに山田方谷と大書するヒラヒラ幟旗が立ち並ぶ、売り出し軽薄風景であった。

 街のあちこちに方谷に由来する”遺跡を発掘”している様子だった。地元銘菓にも「方谷柚餅子」があり、友人への土産に買ってきた。猿煎餅があったから方谷煎餅とか方谷饅頭もあるだろう。

 山田方谷を主人公にしたNHK大河ドラマ実現運動をやっているらしい。方谷さんが司馬遼太郎の小説の一部に登場することは知っているが、ミーハーにも受けるほどの全国的有名人であるとは知らなかった。

 わたし個人としては、幕末ドラマにしてみたいと思う主人公は、方谷が仕えた藩主板倉勝静である。幕末の幕府老中首座として開国騒動から戊辰戦争の渦中で右往左往、東北列藩同盟の参謀にされて榎本武揚と北海道へ逃避行なんて、この人のほうが方谷よりよほど面白そうだけどなあ。もっとも、わたしはTV嫌いで受像機ないけどね。
                       (2025/05/20記)

ーーーーこのブログの高梁・ハイデルベルク関連記事ーーーー


◎高梁:日本のハイデルベルクは今(1997.11)https://matchmori.blogspot.com/2021/08/takahasi1997.html

◎異国で発見した故郷ー高梁盆地そっくりのハイデルベルク(2010.07)
https://matchmori.blogspot.com/2021/09/taka-heide2010.html

◎ふたつのアルテシュタット(2012/01/17)
https://datey.blogspot.com/2012/01/572.html

◎高梁盆地とハイデルベルク(1)コンパクトタウン(2012.0120)
https://matchmori.blogspot.com/2021/07/takahasi1.html

◎高梁盆地とハイデルベルク(2)街と道(2012.0120)https://matchmori.blogspot.com/2021/07/takahasi2.html

*高梁:盆地の山並み風景(2012.01.13) https://x.gd/PS0ho

◎【望郷と忘却:『荘直温伝』読後感想2】高梁盆地を縦断した山陽山陰連絡鉄道(2020/08/22)https://datey.blogspot.com/2020/08/1486.html

●【ふるさと高梁論集あれこれ】
https://matchmori.blogspot.com/p/west-nippon.html

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2025/05/18

1886【わが設計の父母旧宅】築60年木造モダン小住宅が今は古民家民泊施設として生き残るとは!

 久し振りに旅先に宿泊する長距離の旅に出てきた。本当はそんな気はないのだが、歳相応にこれが故郷見納めの旅というと、いかにも格好がよろしい。
 横浜ー三原ー備中高梁(2泊)ー岡山・庭瀬ー大阪駅ー横浜だった。予定通りに円滑に終えたのは、介護役の息子がいっしょに行ってくれたからだ。もう、一人旅は無理かもしれないと、浦島太郎気分でもあった。

 ちょっと面白かったのは、岡山市内のかつて父母が住んでいた家が、なんとまあ古民家民泊として今も生きていることだ。今回の旅のためにホテルをネット検索していて発見した。
 あの1966年にわたしが設計して建てたのだから、いまや古民家と言っても嘘ではない年代物だが、イメージとしては古民家ではない。その当時のモダン小住宅として設計したものを、幾分かの増築と改装がなされている。

父母の旧宅が民泊の広告としてフェイスブック登場

 この小住宅の顛末をこのブログに書いているから、ここに簡単に書く。
・1966年 高梁盆地内の神社宮司で高校職員だった父が退職、岡山市西郊に小住宅を建てて移り住んだ。その設計は駆け出し建築家の私だった。父は岡山市内の神社の権禰宜となった。
・1993年 老齢のために権禰宜を退職し、息子がいる大阪市内の共同住宅に移転、岡山の家は空き家となった。日本の高齢化と空き家問題の典型的事例となった。
・2015年 岡山の空き家を不動産業者に売却した。業者は取り壊さずに改装して賃貸住宅にしているようであった。
 
 今度の旅でこれを訪れる予定はなかったが、ネットで発見して急に興味が湧いて途中下車して、外観だけ見てきた。岡山西郊の駅から徒歩十分ほどの住宅地は、それなりに整備されてきており、大学もあって若い者たちも多く住む街の雰囲気だった。

 父母の旧宅は、細い路地を入ったところにある。路地手前の右側の家は建て替えられていたが、左側のアパートと住宅は昔のままだった。父母の旧宅は板張り外壁を黒く窓枠を白く塗った程度、庭の植栽がなくなった程度の変化で、その他は特に変わりはない。家の西側の水路もそのままである。

 こうすれば民泊としてネット宣伝になるものかと、ちょっと奇妙な気もする。路地に立って眺めていると玄関引き戸が開いて、幼い少女が出てきた。金髪の外国人のようだ。つづいて男児らしい赤んぼが這いながら出てきた。これは泊り客かしらとみていると、その子らの母親と思しき女性が出てきて這う子を抱き上げて、こちらにちょっと会釈して3人ともに中に入った。

 わたしたちも親子だが、その親子をあっけにとられてみていた。空いたままの玄関戸の向こうの板の間で、大きなおもちゃで幼女が遊んでいたし、庭には子供の洗濯物がたくさん干してあり、雰囲気としては旅行者ではなくて長期滞在者のようだった。もともと住宅だから、一戸貸しの民泊は長期滞在者には向いているだろう。なるほどそのような使われ方もあるのかと、何となく納得して引き返した。

 あの当時のモダン小住宅が、こうして今も使われているとは、それなりにわが設計が良かったからだと勝手に思うのである。わたしは当時の住宅金融公庫の木造住宅設計仕様に忠実に、基礎や木組みを設計しておいたのだ。
 建築当時に父が工事業者から、「高梁の方は基礎をこんなにも頑丈に作るんですね」と言われたという言葉を思い出す。更に、建って50年後にわたしが不動産業者に売った時にも、「この家は珍しくこんなに古くても傾いていませんねえ」と言われたことも思い出す。

 これがいまだに取り壊しも建て直しもされずに未だに建っている理由を、実はわたしは知っている。それはこの土地が狭い路地の奥の旗竿敷地だから、破却ゴミや建設資材を運ぶ自動車が直接に入れないため、人力運搬を余儀なくされるから、一般よりも余計に多くの費用がかかるからだ。壊さずに修理して使えるならその方が有利なのだ。

 それにしても外観の変わらなさと比べて、内部のプランの変わりようが興味深い。民泊にするにはこのような妙なプランが好まれるものなのかしら、面白い。

  現在の民泊の平面図(ネット広告から)    父母が住んでいた当時の平面図

1966年の建設当初の姿
2025年5月父母の旧宅は改装されて民泊に。玄関前に泊り客らしい幼児二人

路地入り口から見る

水路から眺める 両隣はどちらも建て替え済、左は戸建て住宅、右は2連戸2階建て住宅

 この地は近世の庭瀬城がすぐそばにある歴史的には古い町らしい。さすがに岡山駅まで2駅の山陽本線の駅前で便利な地だからだろうか、住宅地の整備が進んでいるようだ。特に何○○メゾンと名付ける低層共同住宅がたくさん建つ傾向だ。○○マンションと名付ける高層共同住宅ではないところが、こちらの流行だろうか。他にも古民家民泊があるのだろうか。
(20250418記)

ーこの住宅に関するこのブログの記事ー
・2025/04/263【西方への旅に】久しぶりにホテル宿泊を電話予約https://datey.blogspot.com/2025/04/1883.html
・2014/11/11いま日本中で起きている空き家問題にわが身が直面
・2015/05/01【父の家を売る】日本の空き家問題がひとつ解決かも https://datey.blogspot.com/2015/05/1083.html

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2025/05/06

1885【言葉の酔時記:柱】戦死者は誰もが神道という日本宗教の神々になると新聞屋は思うらしい

 いまだに使っているのかあ、遺骨を柱(ハシラ)という助数詞で勘定している、いいのか?
それって、日本の神道(しんとう)という宗教上の言葉だよ、その遺骨の遺族は神道信者ばかりじゃないだろう、他の宗教を信じる遺族から文句がでるだろう、いいのかい?

 2024年5月5日の朝日新聞朝刊一面トップ見出しに、『日本兵遺骨1000収集へ』とある。ここで取り上げるのは、新聞記事で遺骨を助数詞「」で数えていることだ。

 

 これと同じようなことが、4月14日の東京新聞にもあった。『戻らぬ遺骨112万 収集事業のいま』と大きな見出しである。

 ここでなぜ、「1000分の遺骨」とか「112万分の遺骨」と言わないで、という助数詞を使うのだろうか? だって、「柱」という助数詞は、日本の宗教の神道における神の数え方であり、キリスト教やイスラム教やヒンヅー教の神々には使わないはずである。仏教はもちろんだろう。

 もちろん、その遺骨の死者が、既に何らかの手続きで神道の神として祀られているならば、柱を助数詞として使ってもよいが、そうでない者の遺骨も一括して、神道の神に勝手に祀ってしまうと、宗教上のことだから何か不都合が起きるような気がする。

 そのもめごとの典型的な例が、東京九段の靖国神社で起きている。神社が戦死者を一方的に遺族の了承もなく合祀するということによる、遺族と神社との争いである。特定宗教上の神として一方的に祀るという行為が、神社の現場以前に孤島にある遺骨にまで及んでいることを、それが柱の助数詞で呼ばれることで、わたしたちは知るのである。

 個人的なことを書くと、わたしは神社の宮司の子に生まれたから、日本の神道の神を「柱」で数えることは常識的に知っていたし、宮司の親族が死ぬと霊神という神として祀ることも知っている。神社境内にある「霊神社」という小宮に祀られ、「柱」の助数詞で数えられる。

 だからその立場にいたことがあるわたしから逆に言えば、なぜ神道でないものなのに、その死により「柱」で数えられる神になるのか、それが不思議であるのだ。もっと言えば、神道でないものが神道の領域を犯していることになるような気がするのだ。

 もしかして、靖国神社問題で、神社が祀る死者を柱で数えることを聞いて、新聞屋(あるいは世の中全般も)は戦死者とかその遺骨というものは柱と数えるものだと、勘違いしているのかもしれない。
 あるいは、朝日も東京も新聞社は靖国神社を崇敬しているのかもしれない。新聞社が靖国崇敬しても一向にかまわないけど、言葉は厳密に使ってほしい。

 この件に関しては、わたしはすでに2018年7月にも。このブログで指摘している。その時の新聞は、外国人戦死者も柱で数えて日本の神として祀っているのだ。
 参照:2018/07/29・1153【言葉の酔時記:柱】アメリカ軍兵士の遺骨を「柱」と数えて日本神道の神様にしてしまってよいのか  https://datey.blogspot.com/2018/07/1153.html

(2025/05/06記)

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2025/05/02

1884【警察からまた電話が】今年三度目の”警察沙汰”は東京方面からこんどは千葉方面かよ~

●今年三度目の警察”沙汰” 

 ここんところ警察なるお役所あるいは警察官なるお役人とご縁が続く感がある。今年になってもう3度目の「警察沙汰」である。このブログに書いている(参照:2025/04/17【平和な日本も】 、2025/01/27【警視庁から電話】)が、こういうのも「警察沙汰」かなあ。

ネットで拾った防犯ポスター入選作

 先日は警視庁から電話がかかってきたが、今度は千葉県のN署からだ。警視庁からの電話は確認しようとしたら切られてしまったから、あれは偽ものだったのだろう。こんどの千葉県からは、何となく本当らしい。それなりに筋の通るように聞こえる話なので、辛抱して聞いて長く続いたのだ。本物の感もあるので、ここではイニシャルで書いておく。

●医師の診療報酬架空請求事件らしい

 電話の刑事の話では、その警察管轄内のあるすでに廃業したクリニックが、架空の保険診療費を請求した容疑で捜査しているが、その診療を施したとする複数の者の名前に、わたしと同姓同名がいるというのである。そういえば、1月の警視庁からも、新潟での捜査線上にわたしと同姓同名が登場したといった。

 刑事は、2020年5月から2022年9月迄の間に、そのクリニックにかかったかと訊く。もう一つ別の東京港区にある心臓関係の医院にも同様にかかったかとも訊く。もちろん、わたしはどちらもそんな遠い医院に行くわけがない。

 そもそも、わたしは去年12月よりも前は、めったに医者にかかることない健康老人そのものだった。ときたま転んだり、顔にオデキがでたりして、近所の医院にかかることもあったが、かかりつけ医なるものが居ない状態だった。それでも今年正月から病気持ちと言われてしまい、さすがのわたしにもかかりつけ医師ができて、これで世間並みの年寄りになった。

 電話の主のN署刑事Sさんは(女性らしいの声)、警察らしくないと言っては失礼だろうが、じつに丁寧な口調だった。わたしも丁寧に答えた。そういえば、先日話した警視庁機動隊のセキさんも丁寧な口ぶりだったから、近ごろの警察教育の成果か、オイコラ警察脱皮か。

 それでもわたしは、先日、警視庁捜査2課から怪しい電話を思い出して、今回も何となく怪しい気分になったので、つい言ってしまった。
 「ところで、あなたは本物の警察官でしょうねえ、先日、実はこんなことが、、、」と、ひとくさり警視庁からの怪しい電話のことを話したのであった。
「ああ、そうでしたか、本当にすみません」
「ああ、いやいや、あなたが謝ってくださることではないですよ。ごめんなさい、余計なこと言って、、でもねえ、あなたが本当に本物警官かどうか、どうやって確かめるのか、その方法が分からないからねえ、どうしましょ」
 「ハア、そうですねえ」

 とにかくそれらの医院にかかったことは全くないことを証言?をしたから、それでおしまいらしい。こちらに面接調査に来るのでもないらしいし、何かカネ請求らしき言い草もなかった。まあ、よしとするか。

「お忙しいところをありがとうございました」
「いえいえ、暇老人だから喜んでお相手しました。暇つぶしにつきあっていただき、ありがとう。早く悪徳医師をやっつけてくださいね」

●警察はわたしの携帯電話番号をなぜ知っているのか

 さて、この電話は本物警官か偽物警官かモヤモヤは3分方ほど残るが、それにしても警官も仕事とはいえ面倒なことやらされるものだ。捜査協力米寿市民はヒマツブシに格好な事件とばかりに喜んで、なんだかんだと余計なことをしゃべり訊くから、暇つぶしに付き合って相手しなければ捜査にならないしねえ、本物ならごめんね、どうぞ頑張って下さいね。

 もやもやの気持ちの中に、なぜ警察はわたしの携帯電話番号を知ってるのか、ということがある。1月の警視庁からの電話は、先方の話の中にわたしの名前を出したから、ランダムに電話したのではなく、わたしの電話番号を知っていて狙ったのである。

 今回の千葉の警察からの電話は、最初は別の住所の息子にかかってきた。そのあとで会った息子から話を聞き、彼の携帯電話からN警察に電話した。だから警察は息子の電話番号を知っていたが、わたしのを知らなかったことになる。

 N警察は息子に電話する前に、わたしが5年ほど前だったかに契約解除したわたしの有線電話番号にかけて通話不能だったので、わかっている息子に電話したそうだ。
 そこで思い出したのは、近所の警察署員が1年に1回やって来て居住者名と緊急連絡先を聞き取っていることだ。それで警察網で調べて電話してきたのだろう。

 でも、そこにはわたしの電話番号もあるのだが、なぜ息子に電話したのだろうか。そこで突然に気が付いた、そうか、それにはずっと前に詐欺電話がかかってきた機会に廃止した有線電話番号のままだったと。携帯電話をおしえていなかったは故意ではなく忘れていたのだ。そうか、それで息子経由の電話になったのか。

 それはわかったが、では1月の警視庁を名乗る奴は、どうしてわたしの携帯電話番号に直接にかけることができたのか?、その疑問は残ったままだ。

(2025/05/02記)

(20250617追記)
 このブログの書いた千葉県のN署からの架空保険診療費詐取事件の、延長であるらしい調査書類は郵便でやってきた。これを見ると正確には「不正診療報酬請求事件」というべきらしい。

 神奈川県後期高齢者医療広域連合の給付課長の名で、千葉県習志野市にある「クリニックあらい」で診療を受けたことっがるかとの問い合わせである。この前の電話の内容を忘れたたが、そんな名の医院だったかもしれない。その医院の架空診療受診者名簿にわたしの名があったので、千葉県警は神奈川県警を通じて、神奈川県のこの連合に調査依頼をしたのであろう。

 この前の千葉の習志野署からという電話では、東京麻布の何とか問い医院の名も上げていたが、そちら端折るにないのはどうしてだろうか。どうでも良いが、警察や保険組合に余計な金を使わせている詐欺犯だよなあ。 

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2025/04/26

1883【西方への旅に】久しぶりにホテル宿泊を電話予約すればなんだかひっかかる言葉遣い

●西方への旅に 

 久し振りに泊りがけの旅に出かけることにして、ホテルに予約電話を入れた。今どきはネットで予約するのが普通だろう。それをわざと電話にしたのは、近ごろネット予約業者にトラブルがあるとニュースを読んだからだ。

 生まれ故郷の街にある国際ホテルと銘打った宿である。代表電話に出てきた女性が予約を受け付けるという。

「宿泊予約お願いします。5月14日と15日の連泊で、大人二人ツインをお願いします」

「はい、ありがとうございます。その両日とも空き室がございます。おとなお二人さま、ツインですね」

「はい、お願いします」

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

(え、名前を言わなくて予約できるのか?)え、伺ってもよろしいかどうかと、わたしにお聞きになるということは、よろしくないと申し上げてもよいのでしょうか」

(へんな客だなあ)お名前をおしゃらないと、ご宿泊を受けることができません」

「それならば、お名前を教えてくださいと、普通におっしゃいよ、はい、ダテヨシノリと申します」

(なんだか面倒な客らしい)はい、ダテヨシノリ様ですね。なお、ツインのお部屋は禁煙ですが、よろしかったでしょうか」

(おお、懐かしき過去形会話だ)えー、まだ禁煙希望とも何とも何も言ってませんが、はい、禁煙でお願いします」

「はい、では禁煙でよろしいですね」

「いやいや、禁煙でよいのではなくて、禁煙のほうよろしいのです(意味が通じたかしら)

「は、(ヘンな客だなあ)、ハイ分かりました」

 この後、朝食付きとか、料金とか、キャンセル条件とか教えてもらって、ようやく予約完了、ほっとした。さて当日はちゃんと泊めてくれるのだろうなあ。
 ネット予約手続きも、あちこち飛ばされたり余計なこと書かされたりして面倒くさいけど、電話会話予約も、言葉にひっ掛かってけっこうめんどくさい。こういうのを年寄りというのだろうなあと、近ごろつくづく思う。

●私の設計の古民家が宿泊施設に

 その地域あたりのホテルをネットサーフィンしていたら、意外な宿泊施設のサイトを発見した。古民家一棟貸しの民宿と言うのか民泊と言うのか、岡山市内にあるそれは、なんとまあ、昔々1966年にわたしが設計した今は亡き父母たちが住んでいた木造の小さな家である。まさに築60年の古民家であるが、あれが宿屋になるものかしら。

 父母が出て行ってから20数年もの空き家のままだったのを、10年前に地元の不動産業者に売却した。それを修復して貸家にしていたらしいのは知っていた。その小さな古家が壊されるのではなく、内外共にきれいに改修されて今は宿泊施設になっているを発見して、驚いた。

 あの住宅地の周りの家々は建て替えられているのに、これだけは改修されながら生き続けているのは、元の設計がよかったので、傾いたりしていないからだな、えへん。
 今度の西への旅では数少なくなった幼馴染に会うのが目的だが、旅目的をもうひとつ加えて、泊ろうとは思わないが見てみたいので途中下車しようかな。
 そのことは現地訪問できまたここに書きたいが、とりあえずそれが建った当時の写真(右)と、現在の写真(左、宿泊施設のネットページから引用)をのせておく。

(20250426記)

(20250605追記)
 2025年5月16日に、この民泊となった父母の旧宅を外から眺めてきた。
・参照:2025/05/18・1886【わが設計の父母旧宅】築60年木造モダン小住宅が今は古民家民泊施設として生き残るとは!https://datey.blogspot.com/2025/05/1886.html

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2025/04/22

1882【白石加代子も八十路半ば】白石の妖気だけを鑑賞した児童漫画原作による朗読劇

 白石加代子が出演すると言うだけで、昨日は久しぶりに演劇鑑賞に行った。特に演劇好きでもないし白石ファンでもないのだが、なんだか気になる俳優である。
 これまでに何回か演劇で彼女を見たが、不思議な妖気というか雰囲気にひきつけられる。このまえ見たのは2019年の「常陸坊海尊」であった。面白かった。

 今回は「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」とのタイトルだが、どうやら原作は子供向け漫画らしいから、もちろん読んだこともないし、その存在さえ知らない。その店主役が白石で、共演は大原櫻子という知らない人だ。

 白石出演とのことだけでチケットを買ったが、なんだか知らない演劇だ。なまじっか事前に調べるよりも、全く白紙で芝居見物ってのも面白そうだ。白石加代子がどんな妖気を漂わせるか、それだけでもいいや、なんて思って何も知らずに、近くの県立の劇場に行った。

 その白石は、おどろおどろしさを身にそっくり背負って出てきたのだった。それでよしと思うしかないのだが、朗読劇という形式であるから、白石はいつも台本を両手に持ってそれに目を落としながら演技するのが詰まらない。
 けっこう舞台を動き回るので、単に朗読しているのではない。だが、動きはワンパターンであるし、言葉も朗読を基調とする。

 実は朗読だけの公演はこれまで何度か見ているが、朗読劇なるものを見るのは初めてである。たとえれば演奏会形式のオペラのようなものか。なんだか白石加代子の使い方がもったいない気がした。もっと演技を見せてほしい。

 ド派手な紫の和服は面白いが、白無垢打掛衣装の姿はなんだろうか、どうにでも染まる、つまり彼女も髪飾りや帽子で象徴的にあれこれと化ける場面があるから、という意味だろうか。ド派手着物で通す方がよかったのになあ。

 白石は何歳だろうかとパンフを見たら1941年生まれとある。わたしよりも4年若いが、世の中一般から言えば、役者としてはかなりの歳だ。もしかしたらセリフ記憶力が衰えたのか、それで台本を持っても舞台に立つことができる朗読劇にしたのだろうか。演劇のことを知らないから、これはずぶ素人の推理遊びである。

 さて朗読劇というのだが、ダンサーの舞踏あり、大原の歌ありで、ミニミュージカルの感があるのだが、あくまで演劇らしく舞台は固定だし暗い。見た目はともかくとして、演劇としては、はっきり言ってあまり面白くなかったので、時に居眠りがやってきた。

 子供の漫画が元だからだろうが、少年少女の姿もちらほら見たが、舞台を見て笑うには難しかったようでその笑い声は聞こえなかった。いや、大人の笑い声もなかった。わたしは2~3回含み笑いしたが、わはっはにはなりようがなかった。終わってから、ホワイエで原作漫画を売っていたが、買う気にはならなかった。

 この劇場は前川国男設計だが、若いころの作品だからか、年寄り相手にはまったく向かない。何しろホワイエから階段を何十段も(2階分くらいか)降りなければ座席に座ることができなかった。座席は舞台近くのほぼ真ん中の一等席と言ってよい位置だった。わたしがチケット予約の時にそこを指定した。

 ここは初めてではないのだが、それほども階段を下るとは思わなかった。ということはこれまでここに来た時はそれが気にならなかったのだ。コロナ前のことである。わたしが齢とったせいだが、困ることだ。

 このことは先般音楽堂でオペラを見たときは、階段を何十段も登らざるを得なかったのと同じである(その件はこちら参照)。その時も今回も思ったのだが、ホールの両サイドの壁沿いの上下方向通路の壁に、手すりを付けてくれると足の不自由になった年寄りも都合よくなるということだ。

(20250421記)

ーこのブログの白石加代子関係記事ー
・2019/12/23【演劇:秋元松代「常陸坊海尊」】https://datey.blogspot.com/2019/12/1432.html

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2025/04/21

1881【口に出せないカタカナ語】ケアマネ、カスハラ、マイナー、スーパー、マンション、ライン、

 今日の新聞に「ケアマネ3割カスハラ経験」の大きな見出しがある。その記事内容は年寄りには結構深刻なのに、わたしはなんだか変な気がしたのは、その見出しの言葉の軽さである。

 ケアマネもカスハラも、英語期限の外来語(らしき言葉)を、更に短く縮めたカタカナ言葉だが、音感がなんとも軽々しい。

●ケアマネ

 ケアマネージャーがケアマネとは何だよ。介護のケアの真似してるだけってことかよ、そんな気持ちでやってるのじゃあるまい。
 介護をケアというのも軽々しいが、ワザとそう言うのもあるかもしれない。わたしは昨年夏まで数年間、深刻な日々の介護を夢中でやらざるを得なかったが、介護の日常を語るとき、それをケアと軽く言うことで、その深刻度に引き込まれないようにしていたかもしれない。

 だが、その介護の専門家を、ケアマネなんて軽々しく呼ぶのは、感情としていかにも抵抗があったので、いつもケアマネージャーと呼んでいた。正式には「介護支援専門員」というそうだが、それなら「専門員さん」と呼ぶべきだろう。「ケア真似さん」なんて、軽すぎるよ、バカにしているみたいだよ。だからでもあるまいが、ケアマネをいじめてカスハラ対象にするバカな奴が出てくるのかもしれない。

●カスハラ

 そしてまた「カスハラ」とはなんという軽い語感だろうか、カスハラやっても大したことないって、そんな語感だ。そもそもカスタマーハラスメントなんて、日本語で「乱暴来客」とか「店員いじめ客」とかって言う方がはるかに分かりやすいのに、この軽々しい四つ文字カタカナ語をなぜ使いたいのだろうか。

 もしかして、ワザと分かりにくい言葉にしているのか、わかりやすくすると都合悪い何かがあるのか。そもそもカスタマーがハラスメントをする側なのか、される側なのかもわからない。近ごろは買い物に行くと、例えばコメのように、ものすごい値上げになって、これは店によるカスタマーいじめのハラスメント、いや、これは政府と農協が結託して国民というカスタマーへのハラスメントである(詳しくはこちら

●マイナー

 さらにカタカナ四つ文字言葉をあげつらうと、「マイナーカード」である。政府があんなにも重要なカードだと莫大な税金を使って強制しているのに、言うにことかいてそれがマイナとは、どんな頭の構造をしているのか、ここはメジャーカードであるべきでしょ。いや、そう言えと言うのではなくて、正式な「国民個人番号カード」というべきでしょ。略語にしたいなら「個番カード」と言いなさいよ。

 いやいや、ちがうぞ、カードの番号に意味があるではないのに、個人番号カードとかナンバーカードというのはおかしいぞ。ここは「国民情報管理カード」というべきでしょ。略称を言いたいなら「国菅カード」だね、カードの本来の意図に忠実に、国民を管理するって意味もよく分るでしょ、なにがマイナーカードだよ、よく言うよ。

●マンション

 マンションとは何だよ、どこがmansion(大邸宅)だよ、ただのアパートメントハウスだよ、世間は不動産業界のほら吹き宣伝誇大用語にに乗せられてるよ(詳しくはこちら
 ところが今朝の新聞を見ると、なんとまあ、その値段だけはmansion(大邸宅)並みになってるよ、東京23区では一戸の価格が1億円超えたそうだ。
 この際ちょうどよい機会だから、マンションをオクションと言い換えを大々的に正式に法的にやってはどうか、変な言葉が解消するぞ。

●スーパー

 スーパーも、わたしは日常語で使えない、不便だけど、量販店と言っている。だってさ、スーパーとはなんだよ、どこがsuper(極上の・素晴らしい、特大の・巨大な)だよ、何でもかんでもセルフサービスをさせる小売り量販店の、どこが素晴らしいんだよ、バカにするな。
 思い出すのは、1960年代だったか、日本にセルフサービスの小売店が登場したころ、それをSSDS(selfservice discount store)と言っていた記憶がある。これがいわゆる今のスーパーの発祥だが、どこでsuperが入ったのかしら。これもマンションと同じく、業界の誇大宣伝用語であったのだろう。

●ライン

 ラインは一般に発音しているイントネーションが[裸淫]としか聞こえない。世間は裸で淫らことを大好きで公然と口に出しても、わたしは恥ずかしい。(詳しくはこちら
 だから、語源のLINE[láin]と発音して、日常的に使っている。

(20250421記、20250422一部補綴)

ーこのブログの関連記事ー

・2018/08/05・1155【言葉の酔時記:裸淫】https://datey.blogspot.com/2018/08/1155.html

・2023/10/24・1718【言葉の酔時期:マンション】https://datey.blogspot.com/2023/10/1718.html

・2025/04/14・1879【粕腹面倒】
https://datey.blogspot.com/2025/04/1879.html

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