このところ新聞にちょいちょい登場する「外観要件」なる法律用語であるらしい言葉、それって要するにアレの恰好のことであるらしい。アレを想起させる見出しが新聞の第1面に登場するとはねえ、どうも居心地が悪い。尻のあたりがモゾモゾする。
もしもそれが顔に関する「外観要件」ならば、美しいとか可愛いとか醜いとかって条件を備えていると、何らかの要請によリ「外観要件」になるんであろう。
それがアレ、いやアレのことを法律用語で堂々と書いてあるから遠慮することはない、「性別の性器に似た外観」のことである。この「似た」と言うところを読むと、なんだかニタッとしてしまうのが恥ずかしい、いや、新聞第1面で恥ずかしがってどうする、続いて精巣・卵巣・陰茎などが登場するのだ。
さて、それらの用語を語る大新聞記事、そのニュースソースの判決を語る裁判官、あるいは検察官など、これらの外形要件を大真面目に語り書くときに、そのブツの外形を頭の中に描くのだろうと思うと、ニヤニヤしたくなるのは、不謹慎だろうか。
そこでこれはいかん、この記事は大人の性教育なんだなと、まじめに読みだすのだった。読んでいくと第2面ともなるともっと直截になり、陰核(クリトリス)、陰茎(ペニス)、精巣(睾丸)なんて医学用語?さえ出てくる。さてこの新聞を声を出して読むことになったら、ちょっと躊躇するだろうなあ。
いやいや、いまや三面記事どころか第二面の記事に登場する言葉に、これらが堂々と登場する時になった、と言いうことは、いわゆる三面記事ともなると、チンポコ、ヘノコ、オマンコなんて堂々と登場、更には画像も登場するに違いないと、急いでそちらを見たのだが、どこにもないのであった。なんでだろう?、記事の出来が悪い。
ついでに書くが、ヘノコなる言葉は今やだれでもどこでもいつでも堂々と発言するようになってしまって、男のアレの隠語であることを忘れられてしまったらしい。哀しむべし。
この種のことにわたしはあまり興味を持たないでいたが、このところ急にこの類の大人の性教育事件がちょくちょく登場するようになった。優勢思想による強制断種手術事件もそのひとつである。またつい先ごろには、なんとかと言う芸人プロデゥサーの男が少年芸人たちをつぎつぎと性的暴行したと元美少年たちが訴える事件があった。
私はTVを観ないから、これについても特に興味なかった。だがこの話題の新聞やネットの大騒ぎで、この男はどんなことをしたのか推理をしたら、要するに男色の相手を強制したらしいと分かった。おお、西欧のキリスト教的規範輸入の前までは、歴史的にも普通にあったのだな、でもそれが何をするのか詳細なことはどこにも登場しない。まさかTVには登場?
これでは性教育にはならない感もあるのだが、その点で言えば今回の外観要件事件、いや、「性同一性障害特例事件」(性が2回も登場するのがオカシイ)の方が露骨に表現されていて、ワイセツ感ある用語が登場するのが、なんだかオカシイ。
それにしても男と女というものは、生物的な自然科学の厳然たる分類と思って生きてきたのだが、それが人間の心や医学という文化的側面から次第に突き崩されていく現代に直面して、さてこれは面白いことになって来たぞ。
こうなれば今に男女の分別が全くなくなる、あるいは両者は左右両極にあってその間は虹のごとくに各種の性がある、あるいはグラデーションを持って変化してゆく、そんな性同一性障害なる言葉が溶け去る時代が来るにちがいない。
そうなればそうなれば文化的態様も大きく変わるに違いない。興味津々である。それならばそれを見届けてから死にたい気がしてきた。無理だろうな。
(20231027記)