2024/02/21

1795【みちのく潮風トレイル】太平洋岸の自然と文化を辿る旅路から福島第1原発を除外は何故か

 今日の東京新聞夕刊1面に「みちのく潮風トレイル」なる長距離遊歩道の紹介記事がある。環境省の仕事で、北は八戸から太平洋海岸伝いに松川浦までの1000km、その間の自然と文化をたどるそうだ。

 おお、あの福島原発事故現場も当然にトレイル上にあるはずだ。あの原発爆発写真は世界に知られているから、多くの外国人もトレイルを辿りに来ていることだろう。ましてや日本人はゆきたいだろう、なかなか良い仕事だ、さすが環境庁だ。

 と思って、ネットで公式サイトを見たのだが、どこにも福島第1原発あたりの地域をめぐる話はない。おかしいなあ、あれこそ超有名なみちのくの名所なのに、なぜ出てこないのかしら?

 環境庁サイトにはこう書いてある。
 「森、里、川、海のつながりから生まれた自然とそこで紡がれた物語は、このトレイルだけが持つ美しい魅力。そしてこの道から人々の暮らしが伝わり、やがて未来へと続いて行くことを願っています。どうぞ、東北を、この道を歩いてください。それが東北の復興の歩みとも重なっていきます。」

「みちのく潮風トレイル」のルート図に赤で福島第1原発を書き込んでみた

 東北の復興を言うのなら、あの3・11を辿るルートであるはず、それならその最も重要な場所のフクイチを外せるわけがない、しかも環境省の仕事ならなおさらのことだ。
 ところが、みちのく潮風トレイルには、どういうわけか、福島第1原発事故関連の場所も情報もないのだ。

 そのルートが八戸から南下して終点は松川浦であり、浪江町やいわき市へは届かないのだ。もしかして、みちのくとは松川浦から北であったかと調べると、いやいや、福島、宮城、岩手そして青森までを含む地域を言うのだ。

 みちのくの太平洋側海岸地域で、現在最も注目すべきところは、福島第1原発事故の地であることは、だれも異存ないはずだろう。これはどうしたことか。
 もちろん現地の中を通ることは無理としても、近くで眺める位置までは、みちのく潮風トレイルに含めてやってほしいと、切実に真剣に思う。

 わたしは3・11発災から3年目に、その第1原発を北から眺める被災地の浪江町請戸地区まで行ったことがある(ブログ記事参照)。漁港集落は津波に一切合切をさらわれてその時は草原になっており、向こうの丘陵上に原発が見え、手前の草原には漁港から流れて浮いた何隻もの漁船が転んでいた。廃墟となった小学校のみが建物らしい建物だった。

集落跡の草原に廃船や廃車、左向こうの丘陵の上に事故原発の煙突3本が見える

 この請戸地区は、結果は比較的放射線量は低かったのだが、発災時はそんなことは誰もわからず、放射線ゆえに救助隊が集落に入ることを阻まれて、地震と津波の2重被害で倒壊した家屋の下敷きになった多くの人々が、苛烈な死に方をしたのだった(ブログ記事参照)。

 今は人が住まない地になっているようだ。この請戸までみちのく潮風トレイルを、何故に伸ばさないのか。松川浦から30キロほどのところだ。今もあるかどうか知らないが、福島第1原発の煙突が3本立つのが見えており、被災地の苛烈な風景を忘れられない。

 トレイルが歴史文化を訪ねることも強調しているのだから、この原発事故という稀な人災という文化的巨大事件こそは、みちのく最大の歴史文化記念の地である。現在の今も歴史文化を築きつつある貴重な風景にあるのだ。これを除くルート設定をする理由がわからない。原発による危険な区域だけをバスによるトレイルとしてでも取り込むべきだ。そこだけをバスルートにすることに大きな意味がある文化イベントそのものになるのだ。

 ここで遊歩の道がいったん途切れるということさえも、それこそが3・11以後のみちのくの歴史文化として重要なのであることが、訪ね来る人々によくわかうことになる。みちのくの南端までトレイルを伸ばしてほしい。あ、もしかして只今整備工事中かもしれない、そう出すに違いない、そう思おう、さすがに環境庁だ、、、?

 ついでに書いておくが、わたしは3・11事故があってすぐに「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」との提案を、このブログに書いている。今もそう思っている。

(20240221記)

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2024/02/18

1794【プーチン戦争2年】西側諸国の支援疲れでウクライナは撤退とは日本軍末期の転進か

 ウクライナにおける戦争のニュースが、この半年ばかりのうちに急激に減ってしまったのは、戦況が膠着状態にあるから目新しいことが起きないのだろう。報道に目あったらしいことはなくても、死者たちはは毎日出ているに違いないのが戦争だ。報道の戦争の話は、パレスチナ戦争に話題をさらわれてしまったこともあるだろう。

20240218朝日新聞

 ウクライナを多額な支援をするUSAでは、その予算が政治的対立で議会で可決されないので滞っているのも、支援疲れのひとつなのだろう。ロシア×ウクライナ、パレスチナ×イスラエルのどの立場もそれぞれの言い分があり、どちらも多数の死者が出ていることは確かなのに、やめようとしない。もう、世も末である。そろそろ第3次世界大戦と言ってもいのかも。

 そんな時に今日はウクライナのニュースである。ウクライナ軍が「東部要衝から撤退」とある。つまりウクライナが膠着状態に耐えられなくなって、撤退つまり前線から逃げるらしい。西側の支援もむなしく、ここでは負けである。

 なんだか日本軍の戦争末期のようである。あの80年ほど昔のころ、太平洋で連合軍と戦っていた日本軍は、太平洋諸島のあちこちの要衝であった島で「転進」をしていった。そして敗戦へと突き進んだのであった。

 この「転進」とは、要するに「撤退」のことであり、逃げかえることだった。逃げると言えない軍は、言葉だけをこのように言いかえた。だが、会場も空域も制覇されて、島に補給もできなけれ逃げかえることもできないので、全滅するしかなかった。それを「玉砕」という言葉を使った。

 前にこのブログに戦中の言葉「疎開」について書いたが、これも「避難」というべきところを、逃げる意味のそれを軍が使わせなかったので、「疎開」を使ったとのこと。実は意味が違うのだが、実態としては空襲から避難したのだ。言い換えで済むようなことではない。

 さて、ウクライナ語ではどうなのだろうか。実はここでも「撤退」ではなくて「転進」と言っているのかもしれない。日本語に翻訳するときに何かバイアスが働いたかもしれない。いや、ゼレンスキーは正直に「撤退」と言ったのかしら。

(20240218記)

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2024/02/16

1793【せいぜいAI時代】これからは何でもかんでも誰もかれもが生成AI統一教にひれ伏す時代か

●出たとこ勝負凋落日本

 わたしはこんな経済の話なんて全くわからないが、たまたま見つけた今日の新聞の記事の一部に目が行った。

 1989年と2023年の諸統計数値比較だが、この1989年がバブル絶頂期と書いてある。そうだったか、この年にわたしは28年間所属していた組織を離れて、一介のフリーランスの都市計画家になったのであった。

 その時はよくわからなかったが、実はバブル景気の絶頂期にあったのだった。ということはそこからは景気が悪くなるばかりだから、フリーランスなんて不安定な人間になるべきではなかったのかもしれない。渦中にいる者にはそこが絶頂期とか没落期とかわからないものだ。
 
 10年くらいは結構面白いフリーランス人生であったが、やがてバブルパンクがやってきて、どんどん不景気になってきた。上の比較数値を見ると、その後の今までには、どんどん悪くなる方向らしい。
 それはまた、次のような新聞の示す数字を見るとわかる。


 日本はある時期はGDPとかGNPとかが世界一になったと喜び騒いでいたが、そのうちに中国に追い抜かれたとかって、悔しがっていた時期があった。それももうあきらめてドイツにも抜かれるというありさまである。

 へえ~、そうなかあ、コロナで逼塞中にそうなったんだなあ。でもわたしは実のところはもうどうでもよいのである。だって、わたしは超高齢になって先がないからだ。そのことは敷衍すれば、こうも超高齢者が多い日本全体としても、国家全体がもうどうでもよい、てなことになるに違いない。

 どうも最近の政治のデッコミヒッコミのバランスの悪さは、だれもかれももうどうでもよい日本になってしまっているからに違いない。出てくる問題を俯瞰する判断をしないで、その時に必要なことをその場で解決するばかりのような気がする。ああ、出たとこ勝負場当たり時代なんだなあ、考えようでは気楽なもんだ。

●新興宗教AI統一教

 そんな気楽な時にふさわしい便利な道具が出てきた。「生成AI」なるものだ。これがまさに出たとこ勝負の解決道具らしい。まるで新興宗教のように、AI神様に身の上も身の下も何でもかんでもお伺いを立て、出たとこの答えにとりあえずすがれば、とりあえずの日々何とかなるらしいのだ。
 
 そいつには、こんな使い方があるそうだ。

 まあ、上等なの占いのようなものだろう。これからはこのAI教の教祖様に何でもかんでもお伺いを立てる世界が来るようだ。この安易な宗教がこれからどんな社会を生み出すのか楽しみだが、わたしが生きているうちはまだAI統一教会にはなるまい。

 でも、そういう世界のドタバタって面白そうだから、もうちょっと生きて面白がって眺めてから死ぬことにしたい。それにしても何でもかんでもAI様に聞いていると、だれもかれもが同じような頭の構造になるだろうから、それもつまらない世界だ。やはりそれが来る前にあの世に避難しようかな、、。 
(20240216記)

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2024/02/14

1792【カリフォルニアの歌詠み】アリゾナの動くものなき荒野なる大岩割って初日登り来

  短歌を詠むのが今の流行らしい。わたしは短歌を詠むことはめったにしないが、狂歌をちょくちょく詠む。形式は短歌と同じだが、狂歌はダジャレと皮肉で時代を風刺するものと心得ている。

 短歌を読むことを好きである。各新聞が歌壇を設けて、読者の投稿欄としている。毎日曜日朝刊に載る「朝日歌壇」を読む。この2月11日の朝日歌壇に、知人が2首入選している。この人はちょくちょく入選する。

 まず、馬場あき子と高野公彦の二人の選者にダブル入選歌。

  動くものなきアリゾナの荒野なる大岩割って初日登り来
                 (アメリカ)大竹幾久子

 もう一首は永和弘選。

  戦禍にて生後三日で逝きし子のたった三日も人生とよぶのか
                 (アメリカ)大竹幾久子

 短歌は詠み人の口から出たら最後、その人の作品であってももう誰でもそれぞれの自己流の解釈で自由に読んでよいだろう。それが短歌を読む側の楽しみである。

 この二つの大竹幾久子作短歌を、わたし流に自由に読むことにする。それには前提がある。この作者が日本出身の人であり、今はUSAに市民権を得てカリフォルニア州に住んでいることだ。初日の歌のアリゾナは彼女の東隣の州である。その北にはネバダ州がある。

 「動くものなきアリゾナの・・」と初句と二句を七五としているが、普通なら「アリゾナの動くものなき・・」と五七順に並べるだろう(このブログ記事のタイトルのように)。この方がすらすらと読めるのに、この歌の破調は何を意味するのか、歌人の意図を勝手に考えて遊ぶ。

 アリゾナの北隣のネバダには核爆弾実験場があり、そこでは巨大爆発の火の球が、まるで太陽のように輝き、キノコ雲を天にめり込ませ、地を割って生じた大量の猛毒の放射性物質を、ネバダにはもちろん隣のアリゾナにもまき散らし降らせた。

 この歌が破調で揺らぐのは、このアリゾナの初日の出も核実験の巨大火の玉の暗喩と読むこちらの心だろう。歌人はそこを狙ったのかどうか知らない。かつて核実験初期には、このあたりの住民は、まるで遠花火を眺める如くに、核爆発火の玉やキノコ雲見物をしたそうだ。もちろんそれによる後遺症が続出したはずだ。

 そしてまたその暗喩が重要なことは、この歌人が1945年の広島で人類最初の戦争下の核爆弾を被爆している人であることだ。揺らぎつつ大地を割って昇りくる初日の出は、ヒロシマにもつながる火の玉かもしれないと、この歌人は詠んだのかと、勝手に深読みして遊べば、おめでたくない不吉な初日の出になるのだ。

 この歌人はその不吉さを詠んだとしたなら、もう一つの永田選の「戦禍にて・・・」の、たった三日の人生の赤子は、もしも生きながらえたとしても、核の火の玉のもとで逝く運命だったかもしれぬと、歌人は言外に詠んだのかも知れぬと、深読みをして遊ぶのだ。どこか不吉な遊びだ。

 このブログで大竹幾久子さんの歌について書いた記事は多い。その夫君と実兄がわたしの大学以来の畏友であるという縁がある。
●2011/09/26・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
●2012/07/31・日本人は5度目の…
   https://datey.blogspot.com/2012/07/648.html
●2012/11/12・原発事故調報告を読んだ… 
   https://datey.blogspot.com/2012/11/688.html
●2013/01/07・カリフォルニア歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/01/705.html
●2013/12/23・カリフォルニア閨秀歌人…
   https://datey.blogspot.com/2013/12/879.html
●2015/10/18・いまなお原爆と向き合っ…
   https://datey.blogspot.com/2015/10/1134.html
●2018/08/12・カリフォルニア夫婦歌人…
   https://datey.blogspot.com/2018/08/1156.html
●2018/12/23・カリフォルニアの旧友…
   https://datey.blogspot.com/2018/12/1175.html
●2019/03/03・カリフォルニア歌人登場…
        https://datey.blogspot.com/2019/03/1191.html
●2019/08/11・戦争の八月広島核爆弾…
   https://datey.blogspot.com/2019/08/1414.html
●2020/06/15・コロナ世界探検…
   https://datey.blogspot.com/2020/06/1469.html
●2022/10/03・朝日歌壇の歌人】カリフォルニア夫婦歌人
   https://datey.blogspot.com/2022/10/1549.html
●2024/02/14・アリゾナの動くものなき
   https://datey.blogspot.com/2024/02/1792.html

(20240214記)

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2024/02/09

1791【言葉の酔時記:無洗米】意味不明の高価なコメだが「無銭米」の変換間違いか

  妙な名前のコメを近くの食品量販店で買ってきた。5㎏入りの袋の中央に「あきたこまち」とあるのはコメの銘柄だろうが、その右上に「無洗米」と大きく書いてあり、さらに「とがずに炊ける」とも書き添えてある。

 はて、「無洗」とは「洗って無い」ということだろう。でも普通は買ったコメを洗って炊いて飯にしているのが日常のことだ。それなのにわざわざ洗ってないと断わるのはなぜだろうか。

 同じ「あきたこまち」の米袋でも、無洗米と書いてないものもたくさん積んである。それらとこの洗ってないのとはどう違うのかしげしげ眺めたら、値段が違う。「無洗米」の方が200円も高いのだ。洗う手間がかかってない方が高価とはなぜ?

 「とがずに炊ける 無洗米」は特別な栽培方法であり、販売前に洗うと、例えば超美味とかって効果がなくなるにちがいない。だから消費者に洗わないで売るのだろう。買ってから洗うのは、すぐ炊くから効果があるのだろうか。研ぐのもいけないらしい。

 近ごろは「コメを洗う」と言うのが普通だが、わたしが少年のころは「コメを研ぐ」と言ったものだった。コメに糠が多くまみれていたので、洗うときにしっかりと研ぐように何度もかき混ぜるのだ。近ごろは精米がきちんとしているから洗うだけでもよいと言う。

 そういえば少年のころ、米を入れた一升瓶に細い木の棒をさし込んで、何回も撞く作業をさせられたことがあった。あれはたぶん配給の玄米を家庭で精米する作業だったのだろう。撞いたコメを水で洗いつつ研いだのも、糠を拭うには洗うだけではなく研がねばならなかった。

 この「無洗米」のいう「とがすに炊ける」とは「研がずに炊ける」の意味だろうから、「洗ってない米を研がないでも炊ける」ということになる。つまりこれは「無洗米かつ不研米」ということかしら、どうもよくわからない。洗ってもないし研いでもない「無洗米」なるコメは、いったいどんな付加価値で200円も高いのか。

 ところで、新商品として開発してほしいコメがある。それは「無銭米」または「無円米」である。待っているぞ。

(20240209記)

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2024/02/07

1790【マンション名称】建物をマンションと詐称するだけあって地名も詐称する共同住宅

  ずいぶん久しぶりに雪が降り、しかもうっすらと積もった。南関東あたりでは大騒ぎである。北国の人々にいつものように嗤われているだろう。
 わたしも中越の山村に行かなくなってもう10年くらいだろうか、あの山村の雪は4mも積もる豪雪そのものだった。雪国育ちでないわたしは、人間はこのような酷な気候でもよくもまあ暮らせるものなんだなあ、と感心した。

 ようやく天候回復で街並み探訪徘徊も再開だが、日々に足の力が衰えるのを感じる。コロナ後にようやく建設が動き出した感のある横浜都心部街歩きは、街並みの変化を楽しむのだ。今日は昔々の遊郭だった街の中心にある通りを歩く。

 中央分離帯には桜などが大樹となって、ミニ公園通りである。かつては両側は紅い灯でにぎわっていたのだろうが、今は静かな住宅街である。


 おや、こんなところに共同住宅ビルの建設が始まった。でもこの土地のまわりは、前面道路の側だけは空いているが、他の3方はどれも高層共同住宅ビルに囲まれている。この敷地に共同住宅を建てても、ほとんど日照を期待できないはずだ。

道路のほか三方(東西南側)を高層共同住宅で囲まれた敷地

 そのような住宅でも売れるのだろうか。「マンション」と誇大言葉で日陰住宅を売るのかしら。しかも、ここのあたりは70年前まで迄は横浜遊郭とて、いわゆる赤線街だったところである。今は静かで便利な都心部の住宅街だが、かつての地域イメージを拭うのはなかなかにむつかしい。

 このあたりはかつての仕舞屋風の赤線名残の家々は次々と消え去り、いわゆるマンションなる高層共同住宅に建て替わってる。歩きつつそれらマンションなるビルの名称を読んでいて、おもしろいことに気が付く。どうも地域名をつけるのを避けているらしいのだ。

 このマンションの類のビル名称のつけ方は、ある程度の約束事があるようだ。まずはカタカナでなにか高級そうな言葉をあてて、そのあとに地名を続けるのが、ポピュラーな方式であるらしい。ここが永楽町とか真金町とかいうおめでたい町名だから、ビルの名に積極的に使っているかと言えば、そうではないらしいのだ。

 とりあえず歩いている昔の遊郭外の中心の道路(なんという名称か知らない)に面する、共同住宅の名称を拾ってみた。上の写真のように看板を撮ったが他にもまだまだある。どうやら「大通公園」が人気地名であるようで、中には「・・大通公園南」とあるそばに「・・大通り公園西」と名付けるものもあって混乱する。

 これを見てわかるように、正しいここの地名をビル名に充てているのは「アブニール永楽マンション」と「スカイコート横浜真金町」2棟のみであった。そのほかにもたくさん採集したが「・・大通公園」とか「・・伊勢佐木町」とか、この町の外にある地名をつけている。

 大通公園は隣だが、この公園は元が川だから長すぎて位置決めにならない。伊勢佐木町は鎌倉街道を挟んで差に無効だから、かなり離れている。「関内」とつけているものもあったが、駅名にせよ地名(正式にはこの地名はない)にせよ、あまりに遠すぎる。それで初めての来客が迷うことはないのだろうか。

の位置に遊郭時代に大門があった 黄の位置に遊郭時代からの大鳥神社
この二つを結ぶ道が遊郭の中心部 共同住宅名はこの道沿いから採集

 マンション(庭園のある豪邸のこと)でもないのにマンションと詐称して売るのだから、地名だって大通公園とか伊勢佐木町とか、横浜でイメージが高いところを勝手に持ってきて、地域イメージも詐称するのだろうか。どこでもよいのなら「山手」とか「みなと横浜」とかつけてはどうか。普通の神経なら自宅をマンションというのも、わけのわからんカタカナも恥ずかしい。ファーストクラスとはすごいネーミングである。

 それにしても共同住宅ビル名は、わけのわからん外来語とカタカナ造語で不思議だ。わたしの住む高層共同住宅も、花の名前?らしいカタカナであるが、実は日常生活でその名を使うことはめったにない。地名と地番と建物番号で間に合っている。

(2024/02/07記)

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2024/02/03

1789【ミソジニー】外相にアッそうと超然見下され褒めたつもりの元首相ミソ爺

しこめぶおとこ
 ●政治家のミソジニー失言

 ヤレヤレ、またあの元首相自民副総裁のアソーおじさんの失言か、いやいや、あれは意図した発言だよな。上川外務大臣のことを大いに褒めたかったらしくて、ちょっとレトリックを弄したのだが、なんとも時代に歯向かうミソジニーであったとは、お気の毒。

 「そんなに美しい方とは言わんけど」といったん落としておいてから、「堂々と・・・英語できちんと・・・どんどん・・・云々」とほめちぎると、その落差が大きくなって褒め度合いがはるかに上昇すると踏んだようだ。ユーモアの効果も狙ったのであろう。

狂歌はブログ筆者まちもり散人詠

 ところがその前半がミソジニーだと、新聞屋の餌食にされてしまい、せっかくのレトリックを弄した褒め言葉が無駄になってしまった。あのモリキロー氏の「女は話が長い」以来だろうか。当人はユーモアのつもりだったのだろうが、それにしてもモリもアソーもちょっと古すぎた。言う場を今の時代として心得ていない、いや、老いの無頓着と言うべきか。

 さらに上川さんを「おばさんやるねえ」とほめたら、この「おばさん」を新聞屋はこれもミソジニーと言いたいらしい。でもわたしが思うに「おばさん」とは、中年以上の女性を呼ぶときに、普通にちょくちょく遣う言葉だからミソジニーではないだろう。え?、お前も味噌屋だ、といわれるかねえ。
 ただし、その場にいた新聞屋が聞いた麻生発言が、あの口ひん曲げ顔でいかにもミソジニー雰囲気であったとすれば、これもそうなのかと思うしかない。



 さてこれに対して上川さんはどう対応したかと言えば、言いたい奴には言わせておけと、動じていない態度を見せているとのこと。まあそうだろう、火に油を注ぐ様なことを、一国の外務大臣が言うはずがない。新聞屋や野党の焚き付けにも動じないで、超然黙殺外交であったのがすばらしい。

 それだけで麻生さんに発言撤回させてしまって個人外交の手腕も腕も確かなお方だ。さすがに一国の外務大臣のおばさんやるねえと、アソーさんは言うかしら。
 でもわたしとしては、上川さんに言ってほしいなあ、「アソーのおっさんは、顔も口も悪いお方ですけれども、なかなかにご立派なお方でいらっしゃいます」てなことね。

外相にアッそうと超然見下され 褒めたつもりの元首相ミソ

●わたしのBlack Joke失言

 ところで最近わたしも失言して、同年の旧友からから注意されたのである。まずはあらかじめミソジニーではないと言っておこう。ブラックジョークである。

 昔から親しい友人たちと会合や旅をした後で、そのときの顔写真をEメールで送るのがわたしの習慣である。古希を過ぎたころからその顔写真に、「今回の遺影です」と書き添えることをちょくちょくやってきた。もちろん、「もうそろそろあの世に行く歳だよ、これが役立つかもよ」というブラックジョークである。

 先日のこと、同年のその親しい友人たち十数人とZOOMミーティングをやり、その時のPCデスクトップの参加者が並ぶ顔をスクリーンショット、ZOOM終了後に「本日の遺影です」とメールで送った。これもちょくちょくやってきたことである。

 ところがその中の旧友のひとり(USA在住)が、゛遺影とは俺にはまだ早い、俺はもう少し生きるから、よせ“、なる意味の丁重な言葉で抗議の返信が来た。親友だから何を言いあってもわかるから、それに返信しておいた。「ゴメン、今後はBLACKな冗句JOKEを慎みます。(と言っても、すぐ忘れそうだけど、歳のせいで)」と。

 そこでちょっと考えた。う~む、これまでは、まだまだおれたちは死にっこないけど、立派な年寄りではある、だから遊び写真を遺影というブラックジョークが通じる、そう思っていた。ところが、八十路半ばになり、実際に同年配があの世に行きだした現今となると、本当に遺影になる確率が高くなった。こうなるともうブランクジョークではない。それに私は気付かなかった。

 そこでもう漫然とジョークとして遺影を使ってきたのを、今後はやめることにしよう。漫然としてミソジニーとなるのにも気をつけねばなるまい。
 ただし自分自身についてのブラックジョークはまだまだ続ける。例えばピンピンコロナ願望とか、災害から避難する超安全地帯はあの世、とか。

(2024/02/03記)

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2024/02/01

1788【コロナ三密忘却日本】東京圏に人口集中し観光地に外国人集中しコロナ再発容易な日本列島

●コロナ終わればまた集中する人間

 コロナが終わろうとして、またまたコロナ前の状況がいろいろと戻ってきているそうだ。それには割ることもよいこともある。
 その一つは、外国人観光客の流入が著しく増加して、またもや観光公害ーいまどきは格好つけてオーバーツーリズムというそうだがーが起きてきているという。これは短期的人口移動が繰り返し起きていることと言えよう。

20240118朝日新聞より

 観光事業者にはよいことだろうが、観光地に住む人にとては望ましくないことだ。わたしが鎌倉に住んでいたのは22年前までだったが、わたしの家のような谷戸の奥の住宅地にも、観光客らしい人々が来て玄関前で弁当を食うなんてこともあったようだ。

 もう一つの顕著になってきたことは人口の東京一極集中という長期的人口移動である。総務省の発表によると、2023年の東京圏の転入超過人口は、19年以来9年ぶりに10万人を超えて、東京一極集中が顕著になったとのこと。ま、仕方ないかな、コロナで移動の抑制が起きていたのが、タガが外れたということだろう。

 東京への一極集中は、生活環境が悪化して嫌われてきていたが、今や集中が集中を誘うのはなぜだろうか。集中生活圏形成の方法が上手になってきたのだろうか。例えば再開発事業のやり方とか、交通機関の新設とかだろうか。よくわからない。

(総務省サイトより)

朝日新聞2024年1月31日より

 上のグラフで東京圏の上への突出ぶりで、「東京・神奈川・埼玉」、「大阪」・「福岡」という3圏域集中状況がよくわかる。だが、気になるのはその反対の下に突出の様子である。つまり集中の反対の転出の超過する地域である。

 それらは集中よりも全国に分散しているが、それでも中国地方の広島と岡山、関西地方の兵庫、東海地方の愛知、静岡などの、その地方の中心的な県の人口転出ぶりが気になる。今後中央新幹線が開通すると、これらが更に進むのか、反対に鈍化するのか、どう変化するのだろうか。あるいは能登地震がどう影響するだろうか。

●コロナ禍の集中災禍を忘れた人間

 わたしはこのような状況から考える。人間はどんな災厄に出会っても、ほとんど反省しないのだなあ、ということだ。それはコロナパンデミックにおいて、最もよくないこと避けることは大勢の人間が密に集まることであったはずだ。三密なんて仏教用語を意味を替えてまで流行させて、密な集合行為を避けることを強要したのをもう忘れたのだ。

 観光産業振興とて、コロナにかかっているかもしれない外国人観光客を大勢招き入れて観光地に密に集中させているが、これはコロナ禍中は最も避けるべきことだった。しかし今はこれがもっとお必要なコロナからの復活策であるらしい。そういうものなのかしら。
 あるいは東京圏への顕著な人口集中が再び起きている。都市再開発を進めて人口集中をさせる政策促進は、コロナ禍のときは人口分散こそが災禍を避ける行動であったはずだ。

 つまり東京圏には居住者を一極集中し、全国各地にある観光地には観光客を集中し、日本列島は中心部の周縁部も三密状態が再現しつつあるというのだ。コロナから見ると再び蔓延への道筋をつけてくれていると喜んでいるに違いない。

 コロナが去った(らしい)とになると、とたん真反対の政策になってしまった。あの時の三密禁止は、コロナが存在するときにやればよかったことなのか、コロナがいないとその必要はないのか。もうコロナは地球上から消えたのか。

 次にコロナが発生したら、人間はまたもやあの時の騒動から始めることになるに違いない。それまで何年かあるるのだろうが、その間に人間はコロナを忘れて、繁栄すればそれで幸福なのである。これってもしかしたら、そろそろ地球上の人間が過飽和になろうとする時に起こる「終末期のヤケクソ行動」が始まっているのかもしれない。 そのあとに来るコロナでどうなろうと、今の人間は関係がないってことだ。

 それならそれで、わたしも今のうちに楽しんでおいてから死にたいものだ。(20240201記)

(2024/02/03追記)
 
今朝の東京新聞に、関東一都三県のコロナ感染者数につき、去年5月からの動向を示すグラフが載っている。昨年夏の第8波がおわり、12月から今年にかけて第9波が押し寄せているのだ。


 この右上がり尻尾のコロナ第9波は順調に上昇するにきまっている。だって、去年の第8波の時と違って、今じゃあコロナを忘れて街は三密だらけだものね。横浜中華街なんて超混雑して、店は食い物屋ばかりだし、だれもかれも歩き食いしているし、マスクしてる人はほとんどいないし、さてさてこの先がタノシミだなあ。

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2024/01/29

1787【世界選挙年】今年は世界人口の半分が選挙資格ある各国政重要選挙年とて怖い来年の地球

 朝日新聞(2024年1月28日朝刊)によると、今年2024年は地球上の多くの国や地域が、国政上で重要な選挙を行うそうだ。その投票できる人口は、世界人口の半分に達するというから、まるでコロナパンデミック並みである。そう、結果によっては、コロナよりもひどいパンデミック地球になってしまうかもしれない。


 かのウクライナでコロナをしのぐかの禍をもたらしているプーチンがいるロシア、そのプーチンと並ぶ禍をもたらす惧れあるトランプが優勢のUSA、世界一の14億人以上の人口を擁するインド、どちらも2億人以上もいるインドネシアパキスタン、そしてEU議会などなど、いったいどうなるのか。

 来年からトランプ・プーチン・習三強支配地球が出現するのかしら、それは何をもたらすのだろうか。コロナという災禍を通過した世界は、地球的規模の災禍に一丸となって対応できるように教訓を得ているのだろうか。政治的災禍にはワクチンはあるのだろうか。

 いや、もしかしたら新型コロナウィルスに感染した人間、そのワクチンを接種した人間は、その後遺症や薬物のせいで、これまでとは異なる知性を持つ生物に変化しており、これまでとは異なる投票行動をするかもしれない。それは良い方向に動くのか、災禍拡大へと動くのか。

 USAのトランプ騒ぎを高みの見物していると、人間はどうやらおかしな方向へ、知性劣化へと落ち込みつつあるような気がしてならない。それがUSA特有のことなのか、それとも人間の一般的な推移の方向なのかさっぱりわからない。いやいや、そうではなくてコロナパンデミックのせいなのだと誰かに言われると、無理やり納得できそうだが、。

 日本の政界の今の知性を失いタガを外したドタバタ騒ぎ(自民党派閥ネコババ事件)を見ていると、これってコロナの後遺症としか思えないし、そう思うとなんだかほっとする。あんな政治家を選出する投票行動は、コロナ後遺症しか思えない、あ、いや、今の国会議員はコロナ前の選出であったかしら、それならばもっとたちが悪い。

 思想家の内田樹氏が、維新的民主主義と題して東京新聞にコラムを書いている。今や選挙民は自分より優れた人に政治を託するのではなくて、自分が理解できる範囲の言動の程度の人に政治を託する時代になった、ポピュリズム政治とはそういうことである、という。


 今の自民党騒動対象の人々を選ぶことと、USA大統領にトランプを選ぶことは基本に同じであるらしい。こうも東西南北に広く災禍がおこるのは、やはりコロナやら気候変動やらの地球規模の災禍が、人間の知性の衰えを招いている証拠であろう、そう無理矢理にでも思いこむことにする。
 こうなれば身に直接に災禍が及ぶ前に、絶対安全圏のあの世に避難を急ぐしかないと、ますます思うばかりだ。

(2024/01/29記)

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2024/01/27

1786【神宮外苑再開発】20年前策定の再開発構想は進行中の現再開発計画とはどう違うのか

 今朝(2024/01/27)の東京新聞に、近ごろ東京で話題の明治神宮外苑再開発について、新発見資料の存在を伝えている。曰く「緑の外苑守る「幻」構想』ー20年前 専門家ら取りまとめ」と題して、2003年に明治神宮が専門家たちに依頼して作った外苑再開発構想があったというのである。

 今日の新聞記述を読むと、どうやらそちらの構想の方が現再開発計画よりも優れている、という論調らしい。これからこれを基にして(かどうか知らないが)、外苑再開発を検証する連載を始めるとのことで、オリンピック国立競技場騒動以来の外苑騒動野次馬としては楽しみである。

 ところでこの構想があったことについて、わたしは2015年にこのブログに既に二つの記事を書いている。なお、これらは競技場騒動のの都市計画家不在(に見えること)へのイチャモンブログだが、現在の外苑再開発騒動では大西隆さんと大方潤一郎さんという学系都市計画家が二人登場している。

●参照1:2015/09/29・1129【新国立競技場騒動】神宮外苑地区に十数年も前から関わり国際コンペの企画や技術支援やら都市計画の変更など本質的なことを担当してきた都市計画家の重い存在

●参照2:2015/12/29・1160【五輪騒動】建築家はあれこれやかましいが都市計画家は新国立競技場や神宮外苑の都市計画に何にも言わないのは何故か https://datey.blogspot.com/2015/12/1160.html

 この2003再開発構想は、明治神宮が日本地域開発センターに委託し、都市計画家の伊藤滋東大名誉教授を委員長として数名の学識専門家による委員会が策定した。だから明治神宮が作った構想である。この時の計画策定作業を担当した委員は、都市計画家は今井孝之(都市設計研究所)である。

 昔ある人からこの構想を見せてもらったが、部外秘と言われたので、上の二つのブログ記事にも簡単にしか触れていない。わたしはこれを見たこともその内容も、歳のせいでほとんど忘れていたので、今朝の新聞記事でアッと思った。

 あの構想にも神宮外苑用地内の公園指定区域内に、超高層ビルが2本もあったことを思い出した。そこで今朝の新聞記事の写真にある構想図を拡大してしげしげと眺めた。
 構想外となっているラグビー場と銀杏並木の間に、高層あるいは超高層ビルらしい建築が2本並んで建っている。その2本のビルの影が地上の落ちている長さから見て、これは超高層ビルにちがいない。思い出したのはここだけだ。

2003外苑構想新聞写真の一部拡大

 構想図全体を見ると、このほかにも外苑外の土地に、超高層(高層か)のビルが4本立つのが見える。そのうちの2本は、都営霞ヶ丘住宅団地の建て替えの住宅ビルのようである。現実としては国立競技場のはみだしのせいで、今は建て替えもされずに消えてしまった都営住宅である。
 さて、東京新聞が詳しく書くであろう今後の記事で、これら超高層ビル構想をどう評価するのだろうか。

(2024/01/27記)

(20240210追記)東京新聞の蒸気の記事について、個人的資料として連載全部をまとめてストックしておいた。→「202401外苑再開発連載東京新聞

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●当ブログの関連記事一覧
 【五輪外苑騒動】国立競技場改築騒動と神宮外苑再開発騒動瓢論集https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

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