2015/06/22

1101【尻餅老人起臥戯録8】発症から50日目で大進化したと思ったらX線写真で実は退化とは、、

 この春に、大学時代の同期生10人ばかりと、一泊旅行に行った。驚いたのは、食事の時に薬を飲む奴が大勢いることだ。しかも何種類も飲んでいる。
 それなのに、わたしには飲むなにも薬がない。わたしだけが旅行にお菓子を忘れたみたいで、うらやましかった。
 それにしても毎食事に何種類も飲むって、どれ飲んだかわからなくるだろうし、飲んだかどうかも忘れるよなあ、いや、1日に3回もそれを考えつつやっていると、ボケの進行が遅くなるかもしれないなあ。

 本日2015年6月22日、第4腰椎圧迫骨折で50日目、第4回目の診察であった。そして、わたしもついに3種類もの薬を持つ身になったのである。ボケ防止薬飲み仲間に入れてもらった。
3種類の薬を、それぞれ週1回、朝1回、3食ごとの3種類の飲み方、
飲み方を間違えないように考えるだけでボケ防止になるな
 最初の瀕死芋虫状態から格段の進化をした状態を診てもらった。ところが、X線による冷徹なる事実は、進化どころか退化になっており、こりゃいかんと薬が出てきたのだ。
5月6日に撮った第4腰椎のX線写真の圧迫状態が、元のように回復しているのかと見たら、その逆で今日見ると前よりも潰れているのだ、え、なんだよ~、。

 これはわたしの生活態度が良くないからかと、医師に聞いたら、そうではないらしい。血液検査をして判断するとて、その検査をしたが結果は全く異状なしだった。
 結局医師が言うには、骨密度検査で骨粗鬆症の気配がなかったので、投薬しないできたが、X線写真を診ると骨の回復の薬を飲んだ方がよい、という。
 ふ~ん、早く言えば、診たてを間違ったんだね、とは言わなかったが、しょうがない、わたしもこれで遂に薬を飲む身になった。
 ま、これまでは検査だけだったのが、発症50日にしてようやく治療が始まったということだ。

 ズボンをはくときに、左脚が上がりにくいのは何故かときいたら、ベッドに仰臥せよとて、延ばした脚を医師が手で軽く押さえたまま、上にあげろと言う。
 押さえる力に抵抗して、右足をあげることはできたが、左脚は全然上がらない。押さえる手を外すと上がる。う~む、なさけなや。
 なぜかと聞くと、しばらく寝ている時間が長いので筋肉が弱ったのだろうという。腰のあたりの神経は膝に通じているそうだ。でも、それがどうして左脚だけなのか。当初から左脚が右脚よりも異常だと言っているのになあ。
 これについては、うっかり追及しないままになった。

 それまでは便秘なんてなったことがないのに、この怪我になった日から便秘になったのは、この怪我が原因で排便排尿するための神経系統に異常が起きたのか、と聞くと、そうではないだろうという。便秘薬を出すことになった。
 ということで骨を丈夫にする薬2種と便秘を治す薬とで、今日から3種の薬を飲む身になったのだ。
 これで一人前の老人になった気分である。
 
 今日も、待った待った、8時半に受け付けにはいってから、検査2回、診察2回、支払い終って出たのが13時だった。そのあと病院の前の薬局でまた30分も待たされた。
 まあ、病院通い4回目ともなると、待つ覚悟ができているのだが、なにしろ腰掛けて待つ姿勢ががつらいのだから、困ってしまう。つっ立ったまま待つ方が楽なのだ。
 待ち合いの長椅子に寝転んで本を読んでいると、眠ってしまいそうになるから、ときどき立ち上がってしばらく休み(?)、また寝転ぶ。

 薬局で薬剤師が、医者がどんな病状と言ったのか教えろと、聞いてきた。
 え、なんだよお、こんなに周りに人がいるところでかい、身体の故障なんて一番のプライバシーだぞ。
 こっちは病院でも薬局でも長く長く待ち草臥れている上に、朝から何も食っていないので超不機嫌だ。
 そんなことは医者に聞け、素人のおれに聞いても間違ったこと言うぞと、そっぽ向いた。
 医薬分業なら、医者と薬屋との連携をきちんとするのは、そっちの責任でしょ。医者の出した処方箋について、素人の患者に聞くなんて、チャンチャラおかしい。ここでも診察するなら個室を設けろよ。

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~


2015/06/17

1100【横浜都計審】今度の都計審には市街地再開発事業という難しい議題があるが審議会委員さんたちに審議する能力があるだろうか

 もうすぐ横浜市の都市計画審議会がある。毎度のように傍聴に行って、イチャモンをここに書いている。 
 だが、今度の6月22日には行けない。ただいま負傷中にて、行くことはできても椅子に長時間座っていることが無理なのだ。
 だから、ここに事前イチャモンを書いておいて、もしかしたら都計審委員の方が事前に読んでくださったうえで出席なさると、審議の参考になるだろうと期待している。

 今度の横浜都計審の議題は11件もある。1番から6番まではそれぞれ市内各地の特別緑地保全地区の決定や変更である。議題の内容は似ているが、場所はあちこちなので、それぞれの違いがあるはずだ。
 わたしがかつて都計審員をしていた時は、審議会の事前にそのあちこちを回ってみたから、けっこう忙しかった。わたしの外の委員は現地を見ていないようであった。
 委員を辞めてから毎度傍聴に行っているが、そこでの委員の発言を聞いても、だれも現地を見ていないようである。
 委員の方々は、ぜひとも事前に現地をご覧になるべきである。

 議題の7番から11番までは、じつは相鉄線の瀬谷駅の南側の同じ場所である。
 この一つの地区で5件もの都市計画を、同時に決定するのだが、目的は「瀬谷駅南口第1地区第一種市街地再開発事業」という都市計画事業を行うのが目的であり、その他4件はそれに付随する都市計画である。

 さて、まことに失礼な言い方だが、横浜市の都市計画審議会の委員に、市街地再開発事業について審議する能力があるのだろうか
 市街地再開発事業の都市計画は、都計審議題になることは少ないが、かかった時は審議会の無能が露呈される。
 市街地再開発事業の都市計画については、事業の仕組みを知らない者には、その議案書をみても、なにを審議すればよいのか、ここでの課題はなになのか、実はチンプンカンプンのはずだ。いや、チンプンカンプンであることさえもわからないだろう。
 そして現に委員のほとんどが素人なのだ。更に悪いことに事前に勉強さえしてこない。

 それは過去の都計審が証明している。
 去年1月の横浜都計審の議題になった「大船駅北再開発事業」について、ほとんど審議しないで原案通りに通したので、傍聴したわたしは唖然としたのであった。そのことはこちらにルル書いたのである。
 大船駅前再開発議案をまじめに審議していないぞ
http://datey.blogspot.jp/2014/01/890890.html
 またその前には二俣川駅南地区の再開発事業が議題となったことがあった。傍聴したが、まるで審議になっていなかった。
 大丈夫か横浜都計審:二俣川駅南再開発
https://sites.google.com/site/matimorig2x/110831yokohama-tokeisin
 ほかにも日ノ出町駅前市街地再開発事業の時も、ほとんど審議になっていなかった。
 
 上の二つの記事で、都市計画事業に対して都市計画審議会は、なにをどう審議するべきかを詳しく書いたので、横浜都市計画審議会の委員様方はぜひとも、今度の審議会までには、しっかりお読みいただきたいものである。
 そして重要なことは、審議会の前に必ず現地を訪問すること、そして事前配布資料を当日の席上で読むのじゃなくて、事前に勉強してから審議会に出席すること。なんだか小学生に説教しているみたい。

  そして、議題の範囲だけじゃなくて、長い歴史を持っている瀬谷駅周辺地域まちづくりにも、きちんと目を配って審議をなさってください。
 時間が足りない程の意見が出ればよいのだが、意見が無いので審議をはしょるなんてそんな恥ずかしいことをしないでください。
 そしてまた、つまらぬ質問しかしない都市計画質議会じゃなくて、委員としての意見を述べあい討論して、真面目に審議をしてくださいませ。

 わたしはこれらの再開発事業、あるいは今回の瀬谷駅南の再開発事業に、反対とか賛成とかの立場ではなくて、都市計画事業の都市計画決定にかんしては、他の都市計画決定とはかなり異なる諸課題があるのだから、、もっと真摯に審議せよと言うのである。なにしろ都市計画審議会なのだから。

 この都市計画決定によって、このあと事業認可から権利変換というドラスティックな現地を動かす事業なのに、余りに素人談義で済ます、いやそれさえもなくて、分らないままに原案賛成だけに手を挙げるのは、まちづくりに努力する地域のひとたちに失礼だし、なによりも都市計画の基本に悖ると思うのである。

 しっかりせよ、横浜都計審!!!6月22日の審議に期待しておるぞよ!

参照
●横浜ご近所探検隊が行く
http://datey.blogspot.com/p/blog-page_19.html
●都市計画審議会を改革せよ
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin
●あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning

2015/06/11

1099【中越山村の四季】中越震災から10年の法末集落、この山村はこれから先の10年どうなるか

 この美味い米の飯を毎日食うようになってから、はや10年経ったのか。あの豪雪の山里の棚田にできるコシヒカリを、毎月送ってもらうようになったのは、2005年のことだった。
 新潟ブランド米の「魚沼産コシヒカリ」が旧魚沼郡地域産の米に名づけられるのだが、わたしのコシヒカリはその地域にすぐ隣接する山里で採れるのだ。名乗ることはできないが、事実上は魚沼産と変らない。
 
 10年前にその米に出会ったのは、その前の年の2004年10月に中越大震災があって、わたしが所属していたNPOが復興支援で、その被災山里に入り込んだことからである。復興支援のひとつと思って、集落の営農組合から買い求めて10年となった。
 じつは、この米の飯に慣れてしまったわたしの舌は、外食で美味い飯を食うことをあきらめさせた。入院した病院の飯が不味くて、パンに代えてもらったこともある。

 中越震災復興というと山古志村ばかりが有名だが、あのあたりの山里はどこも山古志のような状態だった。
 わたしたちのNPOが入り込んだのは、そのような被災地山里のひとつである長岡市小国町法末集落である。
 平地はほとんどない傾斜地ばかりの集落、森林と棚田と伝統茅葺民家群が織りなす風景は、日本の山里の原型を想わせる。

 地震で山林は崩れ、田畑は割れ、家屋は傾き、道路は壊れた。中越大地震のときの集落民119人・53戸の全世帯が麓の町に避難した。避難勧告解除は翌年の夏だった。
 法末集落の住民たちは、行政支援を待たずに震災直後に自力復旧にとりかかった。集落が生きる基盤の棚田の修復が最も急務で、来年に米の作付けできるかどうか大きな心配だった。
 年によっては4mも積もる豪雪がやってくる前に、土に埋もれ崩れた棚田や農道を修復したい。他の被災地域のほとんどの農地が、行政による復旧を待って1年の休耕をしたのに、この集落では次の年には3分の2の棚田が作付けをしたのは、自力復旧の故である。
 米つくり農業こそがこの集落民の生きがいなのである。そうやって、自力で家も神社も修復しつつ、集落に戻ってきた。


 あれから10年、集落ではその間にはいろいろなことがあった。今では震災時の6割の70人の住民がいる。高齢化率は73%である。
 あの大戦の終った頃には、今の10倍の700人も住んでいたとは、ちょっと信じられない。

 この10年、集落人口も世帯も減ったが、新たに4世帯が入ってきた。この村は内山さんと大橋さんばかりだが、そこに新たな姓が増えた。
 そのうちの1世帯は、わたしたちの仲間であり、とうとう棲みついて集落住民となり、米つくりに精を出し、山村活性化への策を起しつつある。

 わたしたちのNPOの支援活動も一段落して、時々遊びに行く程度になった。わたしたちも10年の歳を重ねて、高齢化したのである。
 
 この春、『和 震災復興 法末の10年』という冊子が、法末集落から発行された。この10年間の集落と住民たちのさまざまな物語が載っている。
 下記にその抜粋を紹介した。
  震災復興 法末の10年』
https://sites.google.com/site/hossuey/housue10
 さて、これからの10年、人口減少と超高齢化時代の日本のなかで、この集落はどのような道を歩むのだろうか。

●参照
中越震災から10年・復興の山村はこれから
https://sites.google.com/site/matimorig2x/hossey10

・法末集落へようこそ
https://sites.google.com/site/hossuey/
・中越山村の暮らし
https://sites.google.com/site/machimorig0/datemegane-index#chuetu
・山村の四季を愉しむ
http://datey.blogspot.jp/2013/05/775.html

2015/06/07

1098【15年安保騒動か】日米安保ガイドラインの自衛隊後方支援は英文ではlogosticsつまり兵站だから戦争そのものだよ

●60年安保騒動を思いだす

 なんだか国会議事堂あたりが、騒がしいようだ。今、6月、そうだ、1960年のこの頃、アンポ~ハンタイ、キシヲ~タオセ~、騒がしかったなあ、その中にわたしもいたもんだった。
 そして6月15日、デモ隊の中にいた学生が死んだ。樺美智子といった。
 今日の新聞に、6月14日、国会議事堂前の集まれとの、全面広告が出ているのを見て、ああ、そうだったと思い出して、心の底で波が立っている。

 ノンポリだったわたしさえもそこにいて、おかげで人生のコースが逸れたのだ。内定していた就職先からデモ参加を理由に断られて、別に変更した。もちろん人生はどちらが良かったのか、知る由もないが、わたしの人生の何かが、あの60年安保騒動で変ったことは確かだ。
 あれは60年安保騒動といったけど、55年後の今は15年安保騒動というのかしら。

●日米新安保ガイドラインのlogistic supportとは?

 国会の騒ぎの争点は、戦争に参加することができるように、憲法解釈を変えて、安保関連法も改定するのだそうだ。
 そうか、またアンポ~ハンタイだな。1960年は「キシヲ~タオセ~」だったが、今度はその孫の「アベヲ~タオセ~」なんだろうなあ。
 
 ところで、今話題となっている戦争について自衛隊が後方支援するって、なんのことだろうか。後方支援だから戦争参加ではない、なんて話が出ているらしい。
 昔々「銃後の守り」って言ったよなあ、あれかなあ。兵器生産のために金属供出とか、弾に当らないようにって千人針を縫うとか、竹槍で敵をやっつける訓練するとか、そういうのを後方支援というのか。
 いや、今どきまさかなあ。

 で、分らないから、英語の方に当ってみた。そのあたりの日本のやるべきことは、こうらしい。
「intelligence, surveillance, and reconnaissance (ISR), air and missile defense, maritime security, asset protection, training and exercises, logistic support, and use of facilities」
 この中で、どこにも「rear area support」と書いてないのだが、後方支援ってどれなんだろうか。
 intelligence, surveillance, and reconnaissanceなんて、スパイをやれってのかしら。
 training and exercisesって、竹槍訓練をやれってのかしら。

 logistic supportって、兵站のことだよな。
 つまり戦争をするための兵器や食料などを調達して補給し、輸送し、整備し、回収したり、関連施設を建設したりする仕事である。
 どうやら、これが後方支援らしい。企業活動なら物流機能である。
 あのなあ、兵站は戦争やるのに一番の基礎的な事だよ、この兵站がないと負けるんだよ、これが後方支援かなあ。なんだか誤訳のような気がするなあ。

●日本軍はlogistic兵站軽視で戦争に負けた
 
 日本軍は伝統的に兵站を軽視したのも、先般の戦争に負けた大きな原因だという説がある。日本軍は兵站軽視、つまり行った先の現地調達主義だった。
 だから中国戦線の日本軍は、民家に押し入って食料を調達したのだ。

 その証拠は、わたしの父の手記がある。1933年、満州事変で中国戦線に行った初年兵の父は、民家に押し入って芋を強奪する。「種イモだけは残してくれと哀願するニーコー(蔑称)が哀れだった」と写真つきで書いている。
 参照⇒「父の十五年戦争:第2章 満州事変(1)1933年」
https://sites.google.com/site/matimorig2x/15senso/part2
 後のビルマ戦線では日本軍もちょっとは反省したらしく、軍票で支払ったそうだ。これについては、インパール作戦生き残りの長老から話を聞いたことがある。そのインパール作戦こそが、悪名高い兵站無視の悲惨な負け戦だった。
 参照⇒大橋正平戦場物語
https://sites.google.com/site/hossuey/home/ohashi-syohei

 日本と戦っている中国の国民政府軍は、アメリカからの支援を、南方の兵站ルートで受けていた。蒋介石を支援するので援蒋ルートといった。
 だから日本軍はその援蒋ルートをたたくために、中国南部へと兵を進め、陸揚げ港をたたくためにフランス領インドシナへ、英領ビルマへと戦線を広げたのだった。
 
 兵站なら戦争に参加していない、後方支援だというのは、いかさまもよいところだ。
 つまり、いまだに日本軍は、兵站軽視の伝統を持っているのですな。
 兵站だから敵からも恨まれないと暢気に構えていたら、昔の日本軍が援蒋ルートでやったように、敵は日本を直接たたきに来るんだろうなあ。
 歴史を知らないことは、怖さを知らないことなんだなあ。

 あ、待てよ、だから迎え撃つ頃ができるように軍備を整える必要がある、だから憲法9条を改定する必要がある、だから今の騒動はその下準備中なんだよって、そう来るかもなあ。
 どうも、デキチャッタ婚みたいに、既成事実をつみ重ねて、周りからしょうがないから結婚せよと言われるように、軍備ガッチリに持ち込む作戦らしいな。

2015/06/05

1097【戦争できる日本へ】選挙権18歳に引き下げはアジア・太平洋戦争末期の徴兵17歳に引き下げを連想させる

 いま国会では、いみじくも「戦争法案」と野党が名付けた、安保関連法案の審議が続く。
 つまり、この法案が国会で承認されたら、色々条件は付くにしても、日本もついに戦争をすることができるようになるらしい。
 でもなあ、戦争の修羅場になってしまうと、条件もくそもないのが、戦争というもである。

 戦争をするとなったら、戦場に行く人間が必要だ。現行の自衛隊員だけでは足りなくなるだろう。そしてまた、戦争をやるのは若者でなくては無理である。
 ところが日本は超高齢社会になってしまって若い者が少ないから、戦争になったら困ることになる。
1944年も2011年も日本では戦場に行ける若者が少ない

 そこで、戦争法案が通って、いざ戦争となって、兵員が足りないから徴兵しようとなったら、堂々と18歳から徴兵適用できるようにしておきたい。それが、18歳選挙権である。
 この18歳選挙権法案を提案なさっている国会議員のお方たちは、こう深謀遠慮しておいでに違いない。そして戦争を知らない世代に選挙権を広げて、憲法改定を容易にする作戦も、、。
 なお、選挙権と徴兵の年齢の連動は、どこの国でも常識である。

 実は第2次大戦中に、日本はそうやって徴兵年齢を引き下げたことがあった。
 アジア・太平洋戦争の戦場で、日本軍の兵員をどんどん消耗してまい、志願兵がいても足りなくなってきた。
 1943年に20歳からだった徴兵年齢を19歳に引き下げ1944年には17歳に引き下げたのだった。更に志願兵は17歳未満でも可とした。ネコソギ徴兵といった。

 そんな日本の歴史を連想させるこの頃の世の中である。
 年寄りばかりの今の日本で、20歳徴兵では戦争に勝てないのである。

 これが、徘徊老人の杞憂であることを期待するばかりである。
 まあ、若いもんは頑張ってくれたまえ、こちとら早くあの世に逃げよう~っと、、。

2015/06/03

1096【尻餅散人起臥戯録7】瀕死の芋虫から直立猿人へと自分の身体が進化していく過程を観察するのは面白い

●全治3カ月のやっと3分の1でずいぶん進化した

 ちょうど1か月前のこと、自転車から降りようとして、尻餅を搗いたら動けなくなった。医者の診断は、第4腰椎圧迫骨折、養生していれば3カ月で治癒するとのこと。
 ちょっと動いても背骨に激痛がドキューンと走るので、瀕死の芋虫の如くの寝たきり老人だったのが、今では立って歩くのはほぼ普通になった。

 だが、背や腰に違和感がまだまだあって、動作がぎこちないから直立猿人か。
 完全復元するはずの全治3カ月のうち、まだ3分の1しかきていないのだから、しょうがない。
 余り早く治ってしまっては、あの孫娘のように可愛い医師に申し訳ないから、徐々に治していくのだ。と言っても、なんの治療も薬もないのだから、ただノンベンダラリと日を送るしかないのだが。

 瀕死の芋虫から、寝たきり老人、そして今の直立猿人にまで、日々進化してきたこの1ヶ月であった。
 自分自身の進化を観測するのは、けっこうおもしろい。今日できなかったことが、3日後には何とかできるようになって喜ぶ。
 そのうちに自分が何ができなかったのか忘れるだろう。あかんぼの頃に、這い、立ち、歩くと進んだのも、こうだったろうと思うが、もちろん忘れている。

●寝たきり治療でボケたり歩行不能になったりするとか

 インタネットで腰椎圧迫骨折を検索すると、こんなことが書いてある。
 「高齢者に多く、長期間ベッド上安静により、認知症の症状が進行したり、足腰が弱ってしまい、痛みが取れても寝たきりのままになってしまうことも少なくありません」
 う~む、わたしは高齢者には違いない。自分ではわからないが、認知不全にはなっていないような気がする。

 それなりに安静にしているつもりだが、痛くない姿勢を積極的にとるようにしている。
 その典型が直立歩行であり、2週間ほどで立つことが可能になってから、ベッドで安静にしてはいない。
 ときどきスクワットはいかないにしても、膝の屈指運動もやっている。
 今、PCのキイボードを打っているが、椅子に座らず立ったまま、足踏みしながらやっている。多分、歩行のリハビリになるはずだ。

●人間がウンコしなくなると良いことだらけ

 ただ今の問題は、背や腰が姿勢によってまだ痛むのもあるが、実は、汚い話だが、ウンコが出ないのに困っている。いや、出ないのだからきれいな話か。
 もともと便秘の習慣はなかったから、あきらかに今回の事故に伴って起きている。
 初めの頃、便器に座る姿勢がつらくてつらくて、油汗を流して座っていたから、それで身体が便をすることを忌避することを覚えたのかもしれない。

 まあ、大便が出なくてもいいのなら、それはまことに結構なことである。健康であっても、毎日の面倒なあの義務がなくなれば、どんなにかせいせいすることか。 
 もしも人間がクソしなくてもよくなったら、この世界はどう変わるだろうか。昔々なら、作物の肥料として大便が必需品だったから、そうなると困っただろうけど、今はそんなことはない。

 小便だけになると便所も小さくてよいし、下水道施設もずいぶん簡単になるだろうなあ。便を経由する伝染病も無くなるだろう。
 大便がなくなっても、世の中で困ることは、なにもないばかりか、むしろ良くなるような気がする。
 そうだ、身体が摂取した食物を全部を消化して血肉エネルギーにすれば、食べる量も少なくて済むから、食糧問題が解決するぞ。
 いいなあ。そういう研究を誰かやってるかしら、イグノーベル賞になるような。

 3日もウンコしなくて、そんなことを考えていたら、腹が猛烈に痛くなってきた。駄目かあ。
 やっぱりウンコってものは、しなければならないものらしい。
 便秘薬を飲んで凌いでいるが、これからずっとそうなるのだろうか。
 もしかして、排便系統の神経に支障が起きたのだろうか。治るのだろうか。
 この際、ウンコしなくてもよい身体に改造するか。つづく

参照

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~


2015/05/31

1095【小笠原地震】大揺れ天災人災列島だけどすこしでも安心して暮らす場所を探してもう逃げだそうと思う

●天も地も右も左も上も下も大揺れの日々

 久しぶりに大揺れだったなあ、小笠原のあたりが震源だとか。
 うちの7階空中陋閣借家は、ユッサユッサ、歩くとフラフラしたのは、ただいま第4腰椎圧迫骨折の身の身障者体験中のせいもあるが、歩行する足を上げておろそうとすると、そこの床が逃げるのであった。ユラユラ歩く。
ひび割れガラス板に乗る日本列島

 やや、なにやら家の中でザ~ザ~水が流れる音がする。7階まで津波がやってきたか。
 なんとまあ、風呂の湯が大波となって蓋を押し上げ、津波となって洗い場をバチャンバチャンと襲っているのである。
 この風呂の湯の流失による損失が、今回の唯一の震災被害であった。

 このあたりは幕末の開港の街として、入り江を埋め立てつくったから、地盤が悪い。
 こういう類の地震があると、なにやら長周期地震動とか言って、高層ビルはユルユルと大きく揺れるのだそうだ。それが嵩じるとポキンと折れたり、バタンと倒れるのだろう。
 倒れなくても歪んだら、鉄ドアが開かなくなって幽閉さてしまう。あわてて玄関を開けたのであった。

 一昨日は奄美群島の口永良部島で火山の噴火、近くの箱根山が噴火するらしいなんて言ってたら、遠くでこの噴火、それに桜島も噴火だそうだ。
 そういえば御嶽山の噴火があったなあ、こうなれば近くの富士山も負けていられないって、噴火したくてウズウズしているんだろうなあ。
 火山ばかりにいい格好させたくないって、地震ナマズが奮い立って、小笠原あたりで大地震を起したらしい。次はもうちょっと北に寄って、東南海トラフで暴れるぞって、ナマズも健在を誇示している。地球がきな臭い。
 そういえば、つい先日茨城県あたりでも揺れたなあ。だんだん近づくずくなあ、楽しみだなあ。

 きな臭いのは地球ばかりじゃなくて、人間の方だよなあ。集団的自衛権行使問題なんて、東京のあたりを震源地にして、人間ナマズが暴れている。
 遠くのISとか凹ハラムとか北コリアとかって人間ナマズも暴れているらしい。
 もう、この地上では、どこにに行けば安心して暮らせるのか、皆目分らない。日本列島はなんだかひび割れガラス板に乗っているようだしなあ。

 それでもいくところがないから、せめて日本列島の中で暮らすに安心できそうなところを探してみよう。
 その条件は次のようである。
(1)地震がないって無理だろうからせめて他と比較して少ないこと
(2)海で地震があっても津波がやって来ないこと
(3)噴火する活火山から遠いこと
(4)核発電所(原発のこと)から遠いこと
(5)軍事基地から遠いこと
(6)気候が寒冷あるいは猛暑でなくて温暖なこと
(7)山間や荒蕪の僻地でなくて適当に便利なこと
 
 この中での「~から遠いこと」の条件だが、実はどれくらい遠くなら良いのかわからないから、まあ100~200kmくらいにしておこうか。

●日本列島で安全なところは、ここだ!

 実は、先ごろそう思って、あれこれ調べていたら、その結果が実に意外なところにおさまったのであった。そこは、わたしの生まれ故郷(岡山県高梁市)だったのだ。
 ぴったりとあてはまったのは、客観的データによるのであるから、贔屓目じゃなくて、本当ですよ。
 このブログにそれを書いていたのだが、一部補足整理してここに採録する。
高梁の位置
(1)の地震問題である。
 これ↓を見てください。高梁のあたりは地震が少ない。
  日本全国広域 最新30日間の震央分布図 (独立行政法人防災科学技術研究所)
 http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/

 (2)の津波問題である。
 そして今の一番怖い四国沖での南海大地震が起きても、何とか大丈夫のよう。
 中央防災会議資料 http://www.jjjnet.com/image/shindo_nankai.gif
 東南海トラフ大地震が起きても四国の向うの事件だし、津波が起きても瀬戸内海から高梁川を遡上して到達するには、あまりに遠すぎる。

 (3)の火山問題は、鳥取県の大山が一番近いが、それでも結構遠い。富士山が爆発しても、高梁まで灰が降ってくることはなかろう。

 (4)の核発電所問題である。
 島根原発が、高梁に一番近いがそれでもかなり遠い。下記のサイトで島根原発のところの図を見てください。
  全国の原子力発電所の周辺人口(2005年)埼玉大学谷謙二研究室
 http://ktgis.net/tohoku_data/genpatsu/

 (5)の軍事基地問題は、一番近い米軍基地は山口県岩国だから、これもかなり遠い。

 (6)の気候問題は、住んでいた少年時代の記憶では、雪はめったに降らないし、猛暑でもない、温暖な地であった。
 ところが最近、ときどき日本一の猛暑ランキングに高梁市が登場する。この50年ほどで気候変動が起きたのか。不思議だ。
 故郷に住む旧友に聞けば、昔と変わらないけど、その原因は、最近、数年前に気象台の測候所ができたことだという。え、なんのこと?
 住民が肌寒い日であっても、「今日は日本一の高温」と発表されて、奇妙かつ不思議な気分だそうだ。「気温を測ってる場所がおかしい」とのこと。ということで、(6)も、まあ問題なしとしよう。

 (7)の僻地問題は、地方都市としては、そこそこに便利なところであるから、良しとしよう。

 というわけで、生れ故郷は良いところと分ってはいたけど、こういう意味でよいところと今頃になって知ったのである。
 わたしの生まれ故郷だけがそうではないが、各地域がこの地こそ安全な条件にあることを宣伝すれば、日本列島の人口再配分が進みそうな気がする。
 この場所は危険だという情報はたくさん出てくるようになったが、ここなら安全だという情報が意外に少ないのは、どういうわけだろうか。

 もっとも、わたしは今の地から逃げ出すには、もう間に合わない。生まれ故郷にはもうひとりの親戚もなし、父母の住んだ家も空き家問題解消のために処分した。
 だが、わたしには、ひとつだけ逃げ出すべき安全な場所が、かなり近くにあるのだ。これを思うと気楽なもんだ。
 それは、あの世である。。

2015/05/29

1094【世相いちゃもん】公的機関でもないFIFAの役員が公金でもない裏金もらって何が悪いんだ?

 プロスポーツとかって、見るだけスポーツを大嫌いである。TVをもともと見ないし、新聞スポーツ欄も読まないで飛ばしている。だから、毎日毎日、屑紙に金を払っている。
 でも時々スポーツ欄を読むことがある。それはときどき起きるスポーツスキャンダル記事である。

 たいていが八百長とかって金が絡んでいるのが、その業界とスポーツ好きの人々の体質を現している。
 スポーツ好きの体質と言えば、フットボール(サッカー)の見物人たちが、世界中でしょっちゅう人種差別するってのが、なんともいやらしい。
 だからわたしはプロスポーツとかって、見るだけスポーツを大嫌いなのだ。

 ところで、そのフットボール業界の世界元締めというか胴元の、FIFA(これはファイファと読むんだろうなあ)って団体の役員たちが、アメリカにしょっぴかれているとか。
 何十億円とかの巨額の収賄で、アメリカ司法当局に起訴されたそうだ。TV放映権を獲得のために動いた関係業者から、金をもらったのだそうだ。

 どうしてそれが犯罪なんだろうか、それがわたしにはわからない。
 だって、FIFAって公共機関でもなし、その金は公金でもなし、勝手にやり取りすればいいでしょ。
 もとは企業の広告料だろうから、まわり回ってその企業の売ってる物の価格に反映してるのだろう。オリンピックだって、いつかそんなことがあったなあ。
 アメリカではこういうのも犯罪なのだろうか。日本では民民の取引だから贈収賄罪にはなるまい。

 スポーツ世界大会の裏に、こういう行為があることが嫌なら、プロフットボールなんか見るのを止せばよいでしょ。
 でも実際は、こんなことが起きてもスポーツファンは、すぐ忘れてまた応援に見に行ってしまうおバカさんであることとは、大相撲が良い例であろう。
 賭博やら八百長やらやっても、すぐに忘れて見に行くんだもんなあ、スポーツ見物好きは、ほんとにおバカさんである。
 

2015/05/25

1093【くたばれマンション】北風政策の空き家強制撤去新法って日本の居住政策のなんと貧しいことよというよりも不在なんだな

●増えた空き家を強制撤去させる法律とはねえ 

 「空き家の強制撤去」だそうである。
 空き家が増えて、倒れてきて危ないとかで、持ち主に強制的に撤去させる特別措置法だそうである。

 おいおい、自分の持家をどんどん建てろ、政府はそう言って来ているような気がするけど、違うのかい。
 ドンドン買え、持ち家にはドンドン融資するから借金しろ、税金も負けてやるぞって、確かそう言ってるぞ。
 あのなあ、一方では借金しても建てろ建てろ買え買え、一方で壊せ壊せ壊さないと罰金とるぞって、この日本には居住政策なんてものは、全然ないんだなあ。

 住宅に住むってのは基本的人権nなのだから、居住政策は社会政策であるべきなのを、日本では経済政策の景気対策にしてしまったから、持ち家ばかりを増やしてきた。
 それも土地が高価だから、土地が安い遠い郊外にどんどん広げていって、一戸あたりを安くするから狭い宅地に狭い家ばかりが建ち並んだ。
 だから今、人口減少超高齢化で、それらが空き家になってしまった。人口減少も高齢化もとっくに分っていたことなのに、こんなことになるのだよ。
 
 人口変動に対応して調整の効く、公的あるいは民営の賃貸住宅の供給政策を、全く怠ってきたから、こういうことになるのだ。
 先日、川崎でドヤが焼けて死者が出たのも、居住政策が社会政策でない日本の恥部が表出したのだ。
 一方で大借金させて建てた空き家の続出、一方でドヤ街のような超劣悪居住環境の蔓延、いったいこれはだれの責任だ。格差社会はますます進む。

 では、この空き家対応が解決かというと、単なる弥縫策に過ぎないのは誰でもわかることだ。こんな北風政策では解決しないぞ、泥縄とはこのことだが、縄にさえなっていない。
 これってモグラ叩きそっくりだよなあ。こんあことしても、日本中のモグラ退治は無理でしょ。モグラをたたくのじゃなくて、モグラが発生しないような居住政策が必要なのになあ。

 どうもこの話は、一戸建てとか木造アパートが対象らしいが、大問題が控えているよ。共同住宅ビルのの空き家である。
 日本じゃ共同住宅を「マンション」なんて誤訳してるけど、区分所有の共同住宅ビルが、どんどん虫食い状態に空き家になると、空き家問題は深刻だぞ。いやもう起きているか。
 権利関係が複雑だから、壊すのが一戸建てのようにはいかない。空き家だらけのスラムビルがあちこちに立ちあがって、都市問題になるに違いない。
 これははもうモグラじゃなくて、モンスターだよなあ。モグラ叩きで遊んでる場合じゃないよ。

●総合的な居住政策をやるべきなのに

 この空き家特別措置法は、そのような時代に対応できるようになっているのだろうか。
 空き家対策は、空き家を取り壊すのではなくて、総合的な居住政策のひとつとして、いかに再活用するか、その政策が本質にあるべきなのに、全然見えないのは何故か。
 取り壊した跡の空き地がまた問題になるにきまっている。根本的な点で間違ってるぞ。

 実は住宅困窮層はまだまだいるし、格差社会の進行、高齢化による人口移動が、新たな住宅困窮者を発生させているはずだ。
 空き家対策が必要になったこれまで住宅政策の背景をよく反省し、これを契機に日本の居住政策の社会政策への転換をしてもらいたいものだ。

 はは~、これも相変わらず経済政策で、壊すことで建設業の仕事が増えるって、そんな景気対策なんだろうか。
 経済政策として庶民に借金させる持ち家政策はとっくに破たんしているのに、一向に賃貸住宅促進に転換をしない政府は、いったいなにしてるんだよ。

 東北地方で災害公営住宅の整備が遅れているのも、これまで公営住宅整備をさぼって、その建設や運営のノウハウがなくなっていたからだろう。
 あるいはまた、これまで公的な賃貸住宅の供給がきちんとあれば、災害避難時への対応ももっと円滑だったろうにとも思う。もうすぐ次の大地震が来るんだぞ、どうする?

 高齢社会の居住、人口減社会の居住、少子社会の居住、災大規模害など、それぞれが連動した総合的な居住政策が今こそ必要だろうに、どうなっているのか。


参照◆父の家を売る 
http://datey.blogspot.com/2015/05/1083.html
くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2015/05/24

1092【消されゆく戦争の記憶】5月25日の日本の悲惨な記念碑の東京駅を70年経つと積極的に改装して記憶を消してしまった

 5月25日は、東京の悲しい記念日なんだけど、それがなにか知っていますか?
 深夜数時間のうちに死んだ人7415人、22万戸が燃えた、しかも天災じゃなくて人災によって。そう、1945年のこと、戦争である。
 USAB29爆撃機が、東京都心に焼夷弾をばらまいたのだった。

 「日米開戦以来当局は、『東京の守りは万全で、敵一機たりとも侵入を許さない』と発言し続けてきた。にもかかわらずB29はゆうゆうとして侵入。・・・ 
 当夜は 警報発令後数分にして駅前広場に焼夷弾が落下、一面火の海と化した。とみるうちに降車口が焼夷弾を受け出火した。ホテルの部屋続きのため、延焼を防ぐため バケツを持って駆けつけたが、火を吹いてるのは天井でバケツを必死に操作しても火に届かない。
 駅側に手押しポンプ一台があったが、それも役に立たなかっ た。かくするうち、西端の食堂部分からも発火、続いて中央郵便局も火を吹き始め、それまで微風であったものが一五㍍ぐらいの強風が西側より吹き荒れ始め た。・・・

 これは1945年5月25日の深夜、空襲により炎上した東京駅丸の内駅舎にあるステーションホテル支配人だった井上三郎さんの手記の一部である(「東京大空襲・戦災誌」第2巻763ページ)

 その前の1945年3月10日には、罹災者約100万人、焼失家屋は約27万戸、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した。このときは東京駅は罹災しなかった。
 あまりにも多くの死者で、その数は明確ではないが推定10万人とされる(「東京大空襲・戦災誌」第1巻26ページ)。たったの2時間半で10万人が死ぬ惨劇であった。
 なお、1923年の関東大震災の死者が10万人~14万人と、これもあまりに多すぎて正確な数字はわかっていない。

 その前、日本が太平洋戦争を始めた次の年の1942年4月18日、さっそく東京は米軍機による空襲を受けていたのだった。
 日米開戦以来当局は『東京の守りは万全で、敵一機たりとも侵入を許さない』と発言し続けてきたから、誰もが びっくりし当局でさえもうろたえた。
 この初空襲では、下町方面が爆撃を受けて死傷者346名(死者39名)。焼失破損家屋251戸であった(東京大空襲・戦災誌第2巻22p)。

 というわけで、今朝の朝日新聞に戦後70年連載記事として、1945年5月25日の空襲に関連して、その当時の建物の写真と被災した人の記事が載っている。
 このような庶民の悲しい歴史は、70年も経つと埋もれてしまうから、今のうちに発掘しなければなるまい。

 だが、8年前までは、そのような東京の悲惨な5月25日の記憶の記念物のなかでも、東京だけでなく日本中の人々が知っていた、最も有名だったを戦災記念の建築物があったのだ。
 そして、それを積極的に消滅させてしまった事件があったことを、覚えている人はどれくらいいるだろうか。

 それは、東京駅の赤レンガ駅舎のことである。
 赤レンガ駅舎は1945年5月25日に空爆により炎上したが、木造内装や鉄骨などは燃えたが、赤レンガの壁などは残った。
 鉄道省はすぐさま修復にとりかかったが、終戦を経て、占領軍からの要求なども取り入れて、1947年に修復が完成した。

 その修復された姿は、設計者である辰野金吾(1854~1919)の西洋様式意匠への憧れ時代の下半身に、修復設計者の伊藤滋(1898~1971)のモダニズム意匠の上半身が、実に巧みに乗っていた。
 あの物資がない戦争直後の時期に、よくまあ、あれほどのことができたものである。
戦後修復による東京駅赤レンガ駅舎(2007年再度修復開始直前の姿)

 まさにそれは戦争とそこからの復興の記念碑であり、修復デザインのお手本と言っても良かった。
 それが2007年に壊されるまで60年も保っていたのだから、それは戦災前の1914年から31年間よりも倍も長かったのである。

 それなのに、あれは仮の姿だから早く元に戻したいものだと、世間では言うし、辰野金吾の系譜にある東大系の建築史学者もそういう。多くの建築家もそう言った。
 そして東大大御所の伊藤滋(1931~修復建築家と同姓同名だがこちらは存命の都市計画家)と鈴木博之(1945-2014)がその音頭をとったのが、このために発明した特例容積制というという都市計画の荒業であった。東京駅に身売りをさせて、500億円の御化粧代を稼いだ。
 その金を使って今の辰野金吾式の賑やかな花魁頭の昔の姿をレプリカコピーで再現してしまった。戦争と復興の記念碑としての価値に見向きもせずに、。
 そして誰もそのことによって、あの日本の悲劇の記念碑が消滅したことを、考えようとしない。

 「あれは仮の姿だから、昔に戻そう」という言葉で連想するのは、「あれは占領軍に押し付けられたから、、、」という、どなたかたちの声高の発言によく似ている。
 そういえば東京駅修復も、占領軍からの推進圧力があった。道路が悪い日本では、鉄道が全国占領統治策に有効だから、その中枢機能(RTO)として東京駅修復が必要だったのだ。

 その現実の価値よりも、出自に問題があるというのは、まるで人種差別みたいなものである。
 戦争が終わって70年、東京駅が炎上して70年、あの戦争記念碑を積極的に消滅させて、あの戦争を積極的に忘れようとしている今の時代を、なんだか怖い。
再度修復でコピー再現された現在の東京駅 
容積移転制度で東京駅が身売りをした揚句がもたらした超高層の風景

●参照
東京駅復元反対論
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki

2015/05/23

1091【言葉の酔時記】~してもらってもいいですか?という頼まれ方で誤解したぞ

 5月初めに尻餅搗いて第4腰椎圧迫骨折で寝たきりになり、その16日目に3度目の病院である。
 長時間待ちに待った問診がおわって、医師が言った。
 「では、コツミツドケンサしてもらっても、いいですか?」

 え?、してもらってもいいか、って?、「もらいたい」というからには、この医師はこのわたしにむかって、ご自分の身体のなにかを検査してもらいたいらしい。
 え?、患者はわたしなのに、なぜ医師がご自分の検査をするのだろうか。しかも素人のわたしに頼んでいる。

 「はあ?、で、どうやるんですか?」と聞けば、看護師がこちらへどうぞと検査室の前に案内してくれて、「ここで待ってもらっていいですか」という。
 では、後から医師が来るのだろう。だが、待てども一向に来ない。

 コツミツドとは骨密度のことだろうか、骨の硬さを調べるのか、ということは肌の上から骨をつまんで、固いか柔らかいか確かめるんだろうなあ、あ、この若い女医さんにそんなことやったら、ホントのお医者さんごっこだよなあ、妄想が膨らむ。
  
 と、検査室のドアが開いて、むくつけき男が「お待たせしました、こちらで検査します」と出てきて、中に引きずり込まれた。
 「上着を脱いでもらっていいですか」、「ここに座ってもらってもいいですか」、「ここに腕を置いてもらってもいいですか」と、矢継ぎ早の「もらってもいいですか」攻撃である、え?、え?

 さすがに分った。
 この病院用語で「○○せよ」との意味で「○○してもらっても、いいですか」と言うらしい。そんな専門語を使わないでもらいたい。
 「○○してください」と言えばよいのに、クソ丁寧語のつもりかよ。誤解したぞ。
 
 でもなあ、例えばだよ、菓子屋の店先で女性に「このケーキを買ってもらっても、いいですか」って言われたら、あなた、どう思います?
 だれでも、その女性がケーキを食べたいから、買ってくれと言ってるって思うでしょ。まさか、わたしにそのケーキを買って食えと言っているとは、普通は思わないよなあ。

 で、わたしの身体の骨密度検査結果は、
医師「骨は年齢相当で丈夫ですから、今回の負傷はよほどひどく転んだのですね」
わたし「はい、実に立派な演技で、オリンピック尻餅搗き競技でしたら優勝ですね」
2015/05/18骨密度検査結果



2015/05/19

1090【尻餅散人横臥戯録6】病院とは行列して待つために行くところ、待つ間に症状を悪化させるところか

【尻餅散人横臥戯録5】からつづき

●行列待ち大嫌いなわたしなのに

 うちのちかくの薄汚いラーメン屋の前に、いつも10数人の行列がある。ここは店名からして「ニ郎」という名のイッコク親父が、ここだけの特別な味で食わせるのかと思っているが、行列待ちを大嫌いだから、入ったことはない。
 あのなあ、たかがラーメンで並ぶなよ。
 その行列待ち嫌いのわたしが、今月になって3度の病院通いで、延べにして6時間も行列待ちをやっている。ラーメン待ちじゃなくて、診察待ちである。大嫌いでも、やむを得ない。

 最初の病院通いは、いきなり3時間待たされて、問診3分、待ち15分、X線15分、待ち15分、問診10分、支払い終って釈放されたのは入ってから3時間半後だった。そのうち待ち時間が、87パーセントを占めた
 2度目は、時間予約してのMRI検査と問診だったが、全部で2時間、そのうち待ち時間が50%を占めた。

 3度目の昨日は、病院に入ってから出るまでに171分、そのうち問診と検査で32分、行列待ちで139分、つまり全体のうちの待ち時間が81パーセントを占めていた。
 受付(10:24)…待ち69分(11:33)…問診7分(11:40)…待ち10分(11:50)…骨密度検査15分(12:05)…待ち45分(12:50)…問診10分(13:00)…待ち10分(13:10)…診療費支払(13:15)。
2015年5月7,8,18日の病院通いであまりに待たされたのでグラフにしてみた

自分の順番が来て呼び出されるのを、ただただ待つばかりの病院とは、診療に行くところじゃなくて、待つために行くところであると悟った。
 診療を目的と思うから待つのが腹が立つ。しかし、真の目的は待つことにあり、そのなかで退屈しのぎに診察やら検査を行うのだと思えば、腹も立たないのである。
 
 しかしなあ、実は今のわたしの症状は、椅子に腰負けると腰回りが痛くて痛くて、最もつらい姿勢なのである。
 10時40分予約だから、30分くらいはしょうがない、と思えども、1時間たってもお呼びでない。もう、我慢できない、空いている長椅子にごろりと横たわった。これなら楽だ。お行儀悪くてもここは病院だから、お許しを。7日も8日にもこの姿勢で待った。 

 問題は、問診や検査に入っている間にその長椅子を誰かに取られることだ。長椅子が一本空いていることはめったにないから、空きができるまで我慢するしかない。
 家で寝ていればこんなに痛くないぞ、だんだん症状が悪化しているような気がする。
 病院に来ると病状が悪化するってのは、いかがなものか。

●病院は待ち行列マネージメントをせよ

 さて、本日の診察の結果は、骨が固まるまで後1ヶ月の静養とて、薬も必要なし、これまでどおりの寝たきり生活継続となった。
 そこでひとこと、わたし「ところで、この待ち時間の超長いのは、何とかなりませんか。病院に来ると、待っている姿勢が苦しく、症状が悪化してきて、かえって良くないようです」
 医師「大勢の方が来られますのでねえ。本当に治療の必要な方を、早く診療してあげられるといいのですがねえ。すみません

 あれ、謝られてしまった。わたしはそういう回答を求めているのではなくて、予約しているのだからきちんと待ち行列のマネージをしてはどうか、とのつもりだった。
 待たなくても良いマネージメントもあるだろうし、待つものにスマホを持たせて呼び出せば、狭い廊下で行列していることもあるまいにと思ったのだ。
 まあ、それ以上に話ししだすとゴチャゴチャするだろうし、わたしの後に待つ人たちを待たせることになるから、それでおしまいにした。

 でも、この医師の言外に感じたのは、病院には診療を受ける必要がないような症状の人々も大勢押しかけてきているらしい。医師側も患者側も問題らしい。
 ラーメン屋に見るように、行列待ちを好きな人もいるかもしれないが、病院にそういう人が来そうにはない。普通の人ならが、なにか痛い症状が出るとつい病院に行くこともあるだろう。それを一概に悪いとは言えないが、いっぽうでは本当に診療の必要な人にしわ寄せがいくことも事実だろう。

 それにしても、この病院でざっと見て常時80人ほどが、待ち行列をつくっている。たぶん、どこの病院も同じように待っている人がいるのだろう。
 日本中では膨大な待ち行列、何十万人か、何百万人か、そしてものすごく膨大な時間が、ただ待つだけに浪費されているのだ。
 う~む、これを活用できないものか。なにか待ち時間ビジネスなんてのがありそうだ。待ち時間パワーなんてものがあれば、なにかエネルギーに転換するとか。

 とにかく、昨日は待ち時間中に寝ころべない時間が長くて、腰回りはどんどん痛くなり、病院で症状が悪化してしまった。病院とは待つために行くところ、病状を悪化させるところである。
 でもまあ、最初と比べると、ずいぶん動きやすくなったもんだ。
 それにしても、ああ、ヒマである。(つづく)

参照
・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~


2015/05/15

1089【尻餅散人横臥戯録5】寝たきり事件発生から2週間、立ったきり生活試行を開始

尻餅散人横臥戯録4】からつづき
 
●突発寝たきり事件2週間目で直立試行へ

 医師によれば全治3か月の第4腰椎圧迫骨折事件から、今日で2週間になった。
 ベッド便所往復の外は、平臥専門の寝たきり老人をやってきた。でも、寝たきり生活にホトホト飽きた。そろそろ脱するかと模索中である。
 平臥姿勢と直立姿勢になっていて動かなければ、ほとんど痛むようなことはない。ということは、ここらあたりで直立生活も加えて、立ったきり老人も交えてみることにしようと考えた。
 立ったきりはできても、中腰とか腰曲げをできない。要するにお行儀良い姿勢を、わたしの身体が要求するのだ。

 まず、PCをどうやるか。はじめは横臥して半開きノートPCを横に立ていた。でも目が疲れるし、打ちにくい。
 そのうちに思いついて、PCを床に置いてベッドに腹ばいで身を乗り出してキイボード打ちをやっていた。これは胸が痛いし、垂れる頭を支えて首が疲れる。
 直立できるようになって、ようやくPCをもとの机の上に戻した。だが、椅子に座ると痛い、腰を曲げると痛い。机上にスツールを乗せ、その上にPCを置くとちょうどよい高さになった。
 今、これはそうやって使っている。楽である。脚が疲れるけど、この2週間ほとんど歩かなかったので、リハビリテーションである。

 この直立PC打ち姿勢を、枕元食事ケータリングの家人に発見されてしまった。これで寝たきり上げ膳据え膳の快楽は廃絶、せっかく寝たきり飲食文化を起そうとしたのに、やむを得ない。
 だが、食卓の椅子に腰掛ける姿勢は、右の腰回りが痛くてかなわない。椅子を引いて、直立して食事することにした。毎度の食事が立ち食い、立食パーティだ。まあ、これもよし。
 
 残る問題は、平臥と直立の両姿勢の間の移行を、いかに円滑に進めるかということである。痛い腰をかばってのヨロヨロ立ち上がり動作は、他人には見せられない。だがこれも、次第に上手になりつつある。赤ん坊の立ち上がり時期と同じだ。
 そしてもうひとの問題は、座位の時に発生する右尻腰痛にどう対処するかである。まあ、そのうちに治るんでしょう。待つしかない。

 でも、全治3か月との宣告を受けている身だから、あまり早く治癒しては、医師に失礼だろうと思う。早くても2カ月くらいにしないとなあ、って言ってもまだ先は長いなあ。
 そしてまた、わたしにはこれは実に貴重な体験だから、あまり早く元の身体に戻っては、なんだかもったいないと、思わないでもない。
 ユルユルと行こうと思う。

●雑踏の中で座り込んでいた事件発端尻餅の日のこと

 寝たきり生活2週間、ヒマだからあれこれ考える。まあ、脳だけは活性化しているんだろう。
 この突発寝たきり事件の発端は、商店街モールで自転車から降りようとして転んで、派手に尻餅を搗いたことである。その搗き方は、スットーン、模範演技であった。
 搗いたとたんに、あ、こりゃしばらく動けそうにないぞ、ヘンに立ち上がる努力して不様な格好になるよりも、しばらく尻餅姿勢を保つことにした。
こんな様子の都心商店街の雑踏に小一時間も座り込んでいた
土曜日の午後、目の前に地下道出入口があり、人通りの多い都心の繁華街の道の真ん中に、転んでいる自転車とへたりこんだ老人がいては邪魔だろう。
 でも、さっとは位置を変えられない。尻を地に着けたままズルズルと、転んだ自転車を引きずり、近くの街路樹のもとに匍匐前進移動、幹に寄りかかって一息。
 さて、このまま動けないとなると、転んだ自転車を前にして、どうしたものかと思案する。

 そうやって小一時間もすわっていたろうか、この間、誰もわたしに注意を払ってくださった人はいない。
 ま、こちらも若干見栄を張って、苦痛の顔でない努力もしていたのだが、。
 それに、ここの商店街にはけっこう年寄りの酔っ払いが、真昼間からベンチに座り込んでいるからなあ。風体からしてわたしがそれのひとりと見えてもしょうがない、決して横浜の人情が冷たいわけじゃない、、、。 

 例外的にひとりだけ、一部始終を見て、こちらを注視してくださっている人がいた。商店街に直行する車道に車を止めて客待ちしていた、タクシーの運転手である。
 あのタクシーに乗ってうちに戻ろうかなあ、それとも救急車を呼ぶかなあ、それとも歩けるようになるかなあ、などと、うじうじと考えていたら、タクシーは客を拾って行ってしまった。
 
 しょうがないから立ってみようかと、膝を付けて四つ這いから、ヨッコラショと何とか立ちあがった。背中や脚が猛烈に痛い。
 今から考えると火事場の馬鹿力だった。とにかく自転車に乗って自宅まで200mをイテテイテテと漕いで帰り着いた。今ならとてもできない。
 そのあとは寝たきりである。

 その時は気が付かなかったが、世の中はその日から5連続の休日で、医院も休診であったのが、つらかった。大型連休を発明した人を恨んだ。
 救急車を自宅に呼んで病院に行くべきか、このまま連休あけまで寝たきりか、もしかしたら手遅れでこんごは寝たきりになるかもなど、悶々と寝たきり週間をやった。
 そして思ったのは、あのときの3つの選択肢のうち、救急車を呼ぶのが正解だったようだ。
 まあ、連休明けの病院で、手遅れ宣告がなかったのには、正直にホッとした。(つづく

参照

・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/13

1088【世界遺産登録騒ぎ】お隣から文句言われて屁理屈こねてる明治日本の産業革命世界遺産登録

 またぞろ世界遺産である。このへんには世界遺産を好きな人たちが多いらしい。
 こんどはお隣から文句を付けられて、屁理屈こねている。

 ニュースによるとこういうことらしい。http://www.asahi.com/articles/ASH5D56BKH5DUHBI01B.html
「韓国国会は12日の本会議で、日本政府が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を推進していることを糾弾する決議を可決、採択した。朝鮮半島出身者が強制労働をさせられた施設が含まれていると強調し、登録するかを最終決定する世界遺産委員会に慎重な対応を求めた。
 韓国側は、対象となる23資産のうち、高島炭坑など7資産で計5万7900人の朝鮮半島出身者が徴用されたとしている。決議は、日本政府が登録を進めることを「外交的な挑発行為」などと批判。韓国政府にも厳しく対応するよう求めた。」
 
 これに対して日本側は、こう言うのだそうである。
http://www.sankei.com/world/news/150511/wor1505110041-n1.html
「超党派の日韓・韓日議員連盟の合同幹事会が11日、ソウル市内で開かれた。日本側は「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録に韓国政府が反対していることについて、政治問題化しないよう韓国側に理解を求めた。日韓議連幹事長を務める自民党の河村建夫元官房長官が会議終了後に明らかにした。
 河村氏は会議で「徴用を否定しないが、(遺産の対象となる年代と)時期がずれている。日本が近代化を遂げた際の歴史的、文化的遺産だ」と韓国側に説明した。これに対し韓国側は「微妙な問題だ」とし、賛否について回答しなかったという。」

 この「(遺産の対象となる年代と)時期がずれている」とは、こういうことらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150508/k10010072911000.html
「これについて岸田外務大臣は「今回の遺産は、対象の年代が1850年代から1910年とされており、韓国が主張しているような朝鮮半島出身の旧民間人の徴用工の問題とは年代や歴史的な位置づけ、背景が異なる。あくまで産業遺産としての顕著な価値に着目したものだ」と述べ、韓国側の主張は当たらないという認識を示しました。」

 どうもよく分らない。
 今回の世界遺産登録に出した構成資産は、日本の近代化時代の産業遺産であるらしいが、当然のことに産業だから1910年に、ばたり突然に廃墟になった遺跡ではない。
 なかにはいまだに工場で活躍している施設も構成資産である。そして、近代の構築物だから、今生きている人にも記憶に生に存在しているものでもある。
 韓国会が言わなくても、日本人にだってけっこう悲惨な歴史の記憶があるはずだ。現に私だって、三井三池炭鉱の大災害や大争議は、同時進行に新聞で毎日見ていた記憶がある。

 それを1910年以前にできた施設だから、関係がないと言っては、歴史文化資産に失礼というものである。
 歴史とは、それら悲しいことも、嬉しいこともすべて包摂することでなりたつものだ。ある時点でとどまることはないのだ。
 1910年以前だからというところが、いかにもわざとらしい。韓国併合以前だから、文句は言わせないって、姑息極まる。
 これって、たぶん、隣国から文句が出たらそう答えるんだと打合せしつつ、1910年以後の資産を除外して登録手続きに出したのだろう。姑息である。
 
 朝鮮半島の人だろうが日本列島の人だろうが、近代日本の発足時の追いつけ追い越せと励んだときに、悲惨な労働環境で低賃金で働いた人々がいて、ようやくテイクオフできたという事実は否定できない。
 炭鉱労働が囚人の懲役の場であったことが、物語るところは深い。
  韓国会は、登録に反対するよりも、そのような強制徴用工の悲惨な歴史も、これらの文化遺産のコンセプトに込めるように働きかける方が、はるかに賢明であると、わたしは思う。

 端島炭鉱が軍艦島といわれて、ヘンに廃墟観光名所になっているが、あの超過密な孤島牢獄のような生活環境に暮らし、その地底や海底に働いた人々は、はたして幸せだったのか。どんな暮らしで、どんな労働だったのか。
 現場にいたことで負の思いをもつ人たちは、日本人でもいるはずだが、隣国からのように声をあげることはできない気分かもしれない。
 いまや世界遺産反対なんて言うと、国賊あつかいだもんなあ。
 美名だけが大手を振って、それが世界遺産の本質なんだろうか。だったらやめなさい。

 韓国会の抗議に真摯に応え、そのような事実も含めて、日本近代化の遺産の持つ正の価値も負の価値も包摂して、登録したければすればよろしい。
 だって、日本にはすでに原爆ドームがあるでしょ。あれだって、登録時は政治的な反対が太平洋の向うからあったのですよ。
 ビキニ環礁を世界遺産登録するときに、あの久保山さんが死んだ被曝事件をもとに、登録に抗議しなかった日本政府は、寛容なんだろうか、それとも単なる無知か、アメリカさんの言うことに反対不可能だったのか。
 
 三菱長崎造船所は、戦争中はたくさんの戦艦、兵器をつくった、いわば戦犯級の施設である。そのことに頬被りしてはなるまい。
 この幕府の長崎製鉄所の末裔が登録になるならば、これよりも先に起きた横須賀製鉄所の末裔であるところの、横須賀米軍基地をなぜ登録しないのか。
 歴史的価値ならば同等以上のはずだ。こちらには1871年にできた日本最初の船渠があるぞ。今回の登録にかかる三菱第3船渠の1905年より歴史は古いぞよ。
 だが、これこそまさに政治的に登録不可能な代物だ。まったく同じかそれ以上に貴重なコンセプトのうちにありながら、登録不可能な現実に眼をやることもなく、一方の登録に熱をあげるのも何かヘンである。
横須賀アメリカ軍基地内にある横須賀瀬鉄所時代の船渠 1998/04/04 DATEY
あの端島の廃墟を保全しようと考えているらしいが、やめてもらいたいものだ。廃墟になったことそのものに歴史的意味があるのだから。
 あのような人間が住む働くようなところでない環境に築いた人工の構築物が、いま、自然の揺り戻しで海に戻りつつあるのだから、そのまま自然の手に返してやればよい。
 廃墟が次第に自然に戻っていく姿、やがて消滅する過程をしっかりと見つめて、人間の営為とは何であったtかと思い考えることこそ、歴史文化遺産の価値である。
 廃墟に人工的な手を加えた途端に廃墟でなくなり、観光施設という物見遊山の見世物になってしまう。それは歴史と自然に対して、あまりに失礼千万である。
 レリホ~って歌が流行ってるんじゃン、ねッ。

 さて、近い将来、朝鮮半島あるいは中国大陸あるいは南アジア地域における戦争遺跡が、世界遺産登録の話題になる日が来るに違いない。
 文禄慶長の役、日中戦争、太平洋戦争について、歴史観をそれらの地域から問われることになるであろうことを、覚悟しておく必要がある。

裏長屋の世界遺産談義(2009.12)
再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよ(2013.4)

 

2015/05/10

1087【尻餅散人横臥戯録4】毎日朝夕寝転び飲食なのに身体はちゃんと出すべき所から出すべきものを出してくるのが不思議

1086【尻餅散人横臥戯録3】からの続き

●寝ころんで飲食するとクソダメ人間になるか

 尻餅搗いて第4腰椎圧迫骨折全治3か月の今日は9日目、まだ全行程の1割しかきていない。
 連続寝たきり食事である。椅子に座る姿勢が一番痛いからである。以前からのように1日2食だが、さすがに量は少ない。
 横臥姿勢で飲食するって、けっこう面白いような、アホらしいような。自分の手で口に運んでいるが、一口で入るように料理製作してもらう。
 寝ころんだ姿勢で食っても、以前のように椅子に座って食っていたように、口から排泄口まで体内運搬が、はたしてうまくいくのだろうか。

 だって、上の口から入れて、下の口から出すんだから、摂取食物類は万有引力というか重力に従って動いているはずだ。それが横になったままだと、重力は身体に横向きだよ。
 仰向けばかりだと背中に溜まるから、時々右や左に寝返っているけど、こうやっても下の口に向かう力が働らかないよなあ。
 現に初めの3日間は、便秘に困ったから、これは重力問題だと確信した。まさかと思うが、ナニが口に逆流してくるかも。

 寝たきりクソダメ人間になるのは嫌だから、芋虫が立ち木によじ登る如くに柱にすがって(人には見せられないヨロヨロ苦闘)、痛さをこらえて重力が体の上の口から下方向に働くように直立をする。
 しかし直立姿勢だと腰回りが痛くてたまらないから、すぐに横になる。これでは重力が体内流通運搬システムに効果をもたらすことは、全然なかったようだ。
 クソダメになってもしょうがないや、いや、便秘薬だ。

 そんなこんなで5日も寝転び飲食をやっていると、だんだんわかってきた。
 どうも体内には、上の口から下の口へと動くベルトコンベアが仕込んであるらしく、横になっていても出口に水もクソも届くらしい。
 そうか、わたしの体はうまくできているんだなあ、こういう時に備えて。

●寝転び飲食は平和の表徴かもしれない

 そうなると、考えた。これからはずっと、寝転んで飲み食いやろうかな。なにも腰掛けてやるべき理由はないような。
 そうですよ、飲み屋でも、みんな寝転び飲み会やればよいのだ。やったことないでしょ、これ、なかなか快適ですよ。やってみて初めて分った、いや、飲み会はまだだけど。
 
 人間はいつごろから、座ったあるいは立った姿勢で飲食するようになったのだろうか。楽な寝ころび姿勢を放棄したのはいつからだろうか。
 あ、違うかもなあ、大昔から人間は座ったり立ったりして食事していたのだろう。だって、食事中に他からの襲撃で、食い物を取られるとかあるだろう。食いながら逃げ出すとか、襲撃に備える姿勢としては、寝転んでいるのは圧倒的に不利だもんなあ。

 だからと言って、寝転び飲食が肉体的生理的に不可能ではないことを、わたしは今回発見したのである。
 立位座位飲食は防衛体勢が生んだ単なる習慣に過ぎない。寝転び飲食の方がむしろ快適なのである、便秘問題はあるにしても、。
 そうか、わかったぞ、今は食料を取り合いしなくてよい平和なわが街、わが地域だから、寝ころび飲み食いをできるのだな。
 寝転び飲食は平和の表現だ。これで地域から新たな文化を発信するのだ。寝転び飲食を地球上のどこでもできるように、国際貢献しよう。

 そうだ、どなたかがお好きらしい積極的平和主義の表現の為にも、寝転び飲食を広げよう。
 まずは、「寝転び飲食推進運動国民会議」を立ち上げるのだ。
 家庭では畳の食事室を復活して、今日は寝ころびスキ焼きだとか、学校給食は教室で寝転んで食う、ホテルバケットも寝転びタイプを売り出すとか、、そうだ、茶道も横千家を興す、とか。

 もうひとつ効用を思いついたぞ、日頃から寝転び飲食していると、本当に寝たきりになっても、食事に戸惑うことはないはずだ。
 そうだ!、寝転び飲食が、寝たきり老人が食べさせてもらう受動的寝転び飲食となっている現状を打破して、人間自らの手で摂取する能動的寝転び飲食文化、を確立しよう。
 あ、この際、寝転び文化そのものを目指して、「国際寝転ん党」(INP:international necoround's party)を結成しようかな。

 ああ、ヒマである。 つづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~







 

2015/05/08

1086【尻餅散人横臥戯録3】ムリ検査証拠写真で医師の判決は有罪にして自宅禁固安静療養全治3か月の刑に処す

【尻餅老人横臥戯録3】からつづき

MRIって妙な機械に襲われてウンザリ

 人生初の寝たきり老人1週間、病院で昨日はX線では異常なし、今日はMRI検査である。さあ、丁と出るか半と出るか、じゃなくて吉か凶か。
病院前にて、ロシナンテ号に乗り槍を立てて、いざ出陣
昨日は予約なしの病院ランド入園だったから、目的の整形外科は大人気アトラクションらしく、予約入場希望者の婆さん爺さんの長蛇待ち行列、その後に回されて3時間待ち。

 今日は予約済みだから、希望アトラクションMRI検査室に直行すれども30分待ち。
 ヒマだからいいようなものだが、座って待つ姿勢がつらいのが問題。また今日も果報は長椅子に寝て待つのであった。
 ヒマなのはわたしだけで、車椅子押し付添いの息子は仕事を休んできてくれている。

 それにしてもMRIって、名前も“無理”なんて変だし、実物も妙な格好の遊具というか機械であった。
 仰臥しているこちらの鼻先5センチのところまで、全身に襲いかかり覆いかぶさってくる。この人間様を下に機械上位の体位のままに、約40分間も黙って対峙し続けるのだった。
 こりゃ、あの、どうも、犯されてるみたい。そうかムリヤリ体位だから、ムリ=MRIというのだな。
 閉所恐怖症のわたしは、パニックにっこそならかったが、かなりうんざり気分がきわまった。

 しかもヘンなことには、わたしは黙って寝転んでいるのに、上にいるMRI君は、妙にアナログ的な饒舌マンであった。
 トントントントン、ジーコジーコジーコ、ジャージャージャージャー、コンコンコン、、ときどき止まって考えこんでまた始める。いったい何やってるんだよ。ノコギリと金槌で、わたしの故障を修繕しているのか。
 さらに可笑しなことに、そのバックにドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が聞こえるのである。う~む、この検査の後には、寝たきり老人の世界が新しく開けているのか。どうもこれはムリ技師の趣味の室内BGMらしい。


●ついに寝たきり老人に判決下る

 そうやって賑々しく犯されつつ作成したMRIの証拠写真により、医師の判決は、アア、有罪であった。
 罪名は「第4腰椎圧迫骨折」、収監はしないが、自宅禁固3か月安静ノ刑に処する。

 いやまったく、実に立派な名称の症状である。これなら連休をMLで仲間たちを騒がせたわたしも、まあまあ恥をかかないで済んだ。
 ホンの打撲傷です、なんて判決だったらどう言い訳けしようかと思っていたからだ。あ、勿論この恥かきの方が良かったのですが、。

 で、これがMRIによって作成された証拠写真である。今回の寝たきり老人事件の発生源である。
 背骨の途中で、なんだか潰れた風船みたいなの(椎間板というらしい)が顔を出している下の、白っぽいのが、圧迫骨折している第4腰椎だそうだ。
わたしの脊椎あたりのMRI画像
これはネットから拾った説明用模型

普通なら他の腰椎と同じ形だから、ここに異常があり、それが腰背中の痛みをもたらす。
 不幸中の幸いは、骨の損傷程度がひどいと入院手術だが、比較的軽くてその必要はない、安静にしていると3カ月くらいで自然治癒する、と、医師の御宣託である。
 その医師は、もしも私に孫娘がいたならこんなかもしれないなあ、って可愛い人。 

 即時入院コルセットはめて治療、そしてリハビリという刑をやってもいいけど、それも必要あるまいとのこと。薬もなし。
 まさか見放されたのではあるまいが、わたしの口と体の元気さをみて、積極的平和主義じゃなくて積極的治療の必要なしというところだろう。 
 まあ、違憲まではいかないが、違憲状態である、ってところかな、わたしも流行最先端だよ。

 ヤレヤレ、寝たきり老人やってりゃ自然治癒して、寝たきりを卒業できるんだあ、よかった、よかったあ。
 自然治癒と言えば、12年前に罹った「不治の病」と医師宣告の「大腿骨頭壊死症」を、わが念力で自然治癒した偉大な実体験実績を持っているわたしだから、えへん、自然治癒には自信があるんだよ。
 その件はこちらを参照・https://sites.google.com/site/machimorig0/handicapped
 さあ今度も念力だあ~。でも、どうやったっけかなあ。

 次は10日後に検査の約束をして、車椅子を息子に押してもらって帰宅。
 それにしてもだよ、尻餅から今日で7日目だが、わが芋虫身体には、いまだに曙光が見えないなあ。
 10日後は、病院往復100mを自力歩行したいものだ。
【尻餅散人横臥戯録4】へつづく

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/07

1085【尻餅散人横臥戯録2】にわか寝たきり老人状態で待ちに待った病院であったが判決は明日に持ち越し

 【尻餅老人横臥戯録1】よりつづく

 あっちに寝返り打ってイテテテ、こっちに向いたらイテテテ、よいやく立ち上がってもイテテテ、寝たきり週間がようやく終わって、朝一番に病院へ。
 仕事を休んできてくれた息子に、近所の総合病院に車椅子で連れて行ってもらった。

 5月2日に自転車で転倒、派手に尻餅を搗いたら、腰に激痛、動けなくなった。
 なのに、世の中は6日まで5連休、医院も連休、しょうがないから人生初の寝たきり老人週間をやっていた。
 ちょっと動くとイテテイテテと、寝てるしかない。つらいけど、つまらない日々なので、寝ころんだままの姿勢であちこちにメール、今わたしはこんな有様ですと、誇大広告ぎみに宣伝。
 ブログにもface bakaにも書き込んで、じゃっかんお騒がせ気味の寝たきり老人週間であった。昔から、果報は寝て待てというのだが。

●果報は寝て待て、だが
息子がどこからか調達してきてくれた
古典的松葉杖で寝たきり週間の便所往復に活躍
でも寸法が短くて脇の下に届かないので
今日病院でアルミ製の松葉杖を借りたら快調
これが本日の唯一の収穫。

 いやまあ、それがその、なにしろ寝たきり老人初体験だし、もしかして脊椎損傷で、このまま本物の寝たきり老人になるかもなあ、とか、よくても3か月はギブスで固められる病院生活かも、とか、いやいやただの打撲で痛いだけだろ、とか、この大型連休はあれこれたっぷりと妄想に忙しかった。
 ただし、5日も寝てたのに、ぜんぜんよい方向にならない。

 そうやって今日は、5日間待ちに待った憧れの病院ランドである。開店と同時8時半に一番の入場客なのに、11時半にやっとミッキーマウスじゃなくて医師に出会えた。
 椅子に座る姿勢では痛いので、待ち時間の前半は待合室の長椅子に寝ころんで、後半は寝台ストレッチャーを出してもらって寝て、延々3時間の果報は寝て待て。
   
 で、果報はあったか。それがどうも、あったような無かったような。
 X線撮影で見る限りは骨に異常はないと医師はいう。そして明日またMRI検査することになった。
 このまま入院かと、不安の塊に期待のトッピングをまぶしつつ朝早くからやってきたのに、ふ~む、無罪釈放でも即時勾留でもなし、ホッとしていいのか、いや、病院ランドお泊り入院かもって期待を裏切られた気分も、、、、、。

●痛さと薬の関係は?

 2種の薬を買わせられた。一つは痛み止めと書いてあるが、もう一つは胃薬とある。
 怪我人になんで胃薬だよ、間違ってるでしょと薬屋に電話で言うと、痛み止め薬を飲むと胃病になるからだという。おい、怪我人を胃病人にしてどうする、それでも薬屋か、。

 痛くなったら服用せよという。だけどね、ベッドに寝ころんでるいつもは痛くないけど、動いて立ち上がると腰回りがずずっと痛いのだから、便所に行くために立ち上がったとたんに飲めばいいのかと聞けば、薬の効果発生は飲んで30分後だという。
 え、おい、それじゃあ、効いたころはとっくに用は終ってるよ。ってことは、便意があったらのんで、ちびりそうになるのを30分間我慢するのかい、え?、

 そもそも最大の痛さ問題は、背中と腰の継ぎ目くらいの真ん中に、動きの途中の不意打ち瞬間激痛である。この恐怖で動けないのだ。
 激痛発生、それ飲めって言われてもそんな余裕はないし、飲む余裕が出るころは激痛は去っている。いや、飲んで30分後に効いてきても手遅れだよ。あ、次の不意打ち激痛に備えるのか。

 5日間も初心者寝たきり老人やっていて、初めの2日間はどう動いていいかわからないから、ちょっと寝る姿勢を変えても、よろよろ立ち上がる時も、しょっちゅう激痛に見舞われたものだ。
 それはもう、聞くところの戦場最前線だった。どこから撃ってくるか分らない銃撃が、不意打ちに必ず背中に命中、ズキュ~ン、アイテテテ。

 しかし3日目くらいから、脚の曲げ方、寝返りの打ち方、立ちあがり用にすがりつく家具類の使い方など工夫して、こう動けば激痛の銃撃に見舞われない寝返り、この道なら銃撃を回避することができる立ちあがり方など、無痛動きコースを学習し、身辺環境を構築していったのだ。
 6日目の今ではベテラン寝たきり老人になっており、よほどへまをしない限り、激痛に出会うことはない。
 
 ということで、痛み止め薬は役に立たないぞ、なんて、ごちゃごちゃ言って薬屋を困らせる、いや、困らせられたのだった。ヒマだから電話が長くなった。
 へいぜい飲み薬に縁がないから、こういう時は興味津々である。
 結局は、医者に聞いてくれとのこと。おいおい、医薬分業で指導料をとっていながら、そりゃないでしょ。それでも薬屋か。

 明日のMRI検査(無理検査??)って、なにするんだろ。めったに医者に行かないから、こういうときは興味津々、病院ランドで大冒険している気分。
【尻餅散人横臥戯録3】へつづく) 

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/05

1084【尻餅散人横臥戯録1】大型連休で医者がいないので、転んで動けなくなったわたしは大型寝たきり老人週間だよ

●尻餅搗いたら動けなくなっちまった

 世の中は連休が始まる5月2日の午後、商店街の路上で自転車から降りようとして、ついよろけて尻もちついたら、超腰イタタタタ、無理無理ヨロヨロ帰宅してベッドへ。
 そのまま連休は寝たきり老人週間になっちゃった。
 医院も連休で、近所の救急病院に電話したら、来ても医者がいないし、X線も動かないから診察できないと、つれない。
 休日診療電話相談にも聞いたが、救急車呼ぶしかないという。う~む。

 救急車呼ぶかとも考えたが、御大層すぎるし、遠くの病院に放り込まれても困るなあ。
 寝ている分には痛くないから、しょうがない、2日から6日までの大型連休は、大型寝たきり老人デイにすることにして、7日の朝まで我慢することにした。
 誰だよ、連休なんて、しかもなんでもない5月6日も休みなんて、迷惑なことを発明した奴は。

●ネット時代のありがたさ
 
 インタネット時代だから、ML仲間にさっそくに経験だとか助言を求めたら、親切にたくさん教えてくださった。感謝。
 とにかく救急車呼んで病院にいけというおかたが多くて、心にしみる。
 その助言にもかかわらす、上のような状況で、いまだにうちでネタキリ老人強行中。この先後悔するんだろうなあ。

 なかにおひとり、わたしと同じように尻もちついて歩けなくなった人がいて、脊椎圧迫骨折との診断にて、3か月のコルセット暮らしだったという。
 おお、これだな、、ふ~ん、骨折かあ、、、。
 グーグル検索で、あれ読むと頭でっかちにはなっても、腰の痛みはなおらない。ちょっとした下手な動きで電撃激痛が立て続けにやってくる。

 明後日、近所の病院で、この診断が出る可能性が高いなあ。
 どうです、賭けますか、ギックリ腰か脊椎圧迫骨折か、このままネタキリ老人か、復帰するか、さあどっちか、

 明日5月5日は生誕78周年記念日なれど、なんともなさけない。
 寝返りも立ち上がるのも、芋虫そのものである。あ、そういう小説があったな。
 横臥姿勢でキイボードうつのは疲れるなあ。ま、そのうちになれるだろう。
  (【尻餅散人横臥戯録2】へづく)

参照・尻餅搗いて突発寝たきり老人になったが、、、2015/05/05~

2015/05/01

1083【わたしの終活】父の家を売る:日本の空き家問題がひとつ解決したかも

●空き家が増えるのに新築住宅が増えるヘンな日本
 日本の空き家問題がなんだか深刻であるらしい。空き家法なんてできたりして。
 総務省のウェブページには、「2013年住宅・土地統計調査(速報集計)結果の要約」としてこう書いてある。
 http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.htm
・総住宅数は6063万戸と,5年前に比べ,305万戸(5.3%)増加
・空き家数は820万戸と,5年前に比べ,63万戸(8.3%)増加
・空き家率(総住宅数に占める割合)は,13.5%と0.4ポイント上昇し,過去最高
・別荘等の二次的住宅数は41万戸。二次的住宅を除く空き家率は12.8% 
 これを見ると、空き家が増えているのに、住宅の総戸数が増えているという、妙な状況である。更に人口が減少しているのだから、これはどうもヘンである。
●大借金を背負わないと家に住めない変な日本
 日本の住宅政策は、社会政策じゃなくて経済政策だから、なんでもいいから景気対策として新築工事しろ、そうすりゃ金が動くからってことである。
 公共住宅も賃貸住宅も促進政策はなくて、個人の持ち家ばかり優遇する政策だから、庶民は泣き泣き大借金を背負って家を手に入れなければならない。借金できない人はロクな家に住めない。

 どうも、何かがおかしい。
 住むって基本的人権の行使が、大借金をしなけりゃできないなんて、そういうことでいいのか。
 人口が減ってるってわかってても、持ち家優遇策が続くのは、いったいどういうことなんだろうか。

 空き家が増えすぎたので、今度は空き家を壊せという法律が、近ごろできたそうだ。
 なんだかおかしいよ、作れ造れと借金までさせておいて、今度は壊せ壊せとは、いったいどういうことか。
 はは~ん、壊せっていうのも景気対策なんだな、壊すことで金が動くからって、、マッタクモウ。

●いつのまにか空き家問題の渦中に
 さて、わたしは、その日本の空き家問題の渦中に、ながらくあったのだった。
 父から相続した家を20年も空き家の儘にしておいたら、いつのまにか日本の空き家問題の渦中に入っていたのだ。まあ、わたしも時代の先端を行っているってことだな。
 去年、売りに出したが、一向に売れないままに過ぎて行った。

 以前から処分しなければ、ご近所迷惑だと思いつつ、そのままになっていた。不動産屋に知り合いはないし、安心して処分するにはどうればよいのかと、たまには思案しているうちに20年も空き家にしていた。

 2014年春に、岡山市からの固定資産税請求書に同封して、岡山市空き家情報バンク制度の紹介がはいっていた。
 この制度を通じて、地元の不動産屋を紹介されて、3か月間の専属媒介契約をしたのが去年の夏のことだった。売却価格は、不動産屋の助言もあって、固定資産税評価額と同じにした。
 幾人かが見に来たらしいが、3か月間で成約なし、また3か月の契約をしたが、またもやなにもなし。
 ここまでのことは、ここに書いた。
1024・いま日本中で起きている空き家問題にわたしが直面とは、(2014/11/11)
http://datey.blogspot.jp/2014/11/1024.html 

●大値下げしたらやっと売れた空き家
 半年たっても売れないとは、ちょっと思案投げ首状態になった。
 このままでは息子の代まで持ち越すのかなあ、先が思いやられる。そうか、これが、いわゆる空き家問題なんだな。
 不動産屋が言うには、これがいわゆる「旗竿宅地」であることが、売れない理由だそうだ。

 敷地の場所が表通りから巾2mの路地の10mほど奥にあり、表通りから車を入れようにも、隅切りがないため角を曲がれなくて、入れないのが最大の難点だという。
 車を持つ人には住みにくいし、家を壊すにも直すにも、表通りから路地を手運搬しなければならないから、高くつくのだそうだ。
 その分、かなり安くしないと売るのは無理という。

 しょうがない、3度目の媒介契約では、それまでの半額にした。そして1カ月後、ついに買い手が登場して、めでたく売買成立となり、先日、手続きをすべて終えた。
 買主は個人だったが、不動産屋の話では、この方は空き家を買取って、修復して賃貸することを、既に何軒かやっているとのこと。この家もそうするとて、素人が買って住むのではないらしい。

●良い設計きちんと工事安い値段が売れた理由
 なぜ、その方はこれを買ったのか。買主と不動産業者の話を総合すると、価額と古家の質であったらしい
 古家の質については、わたしに買主がこう言った。
 「古家をいくつも見てきたが、50年もたつ家はたいていは傾いたり一部壊れてひどい状態なのに、この家は、外観はともかくとしても、屋根瓦もきれいだし、傾きもないし、床も普通の家よりも高い。内部は50年も経つとは思えないほどしっかりしている」

 まんざら素人でもない人が、既に買ってしまってから言うのだから、たしかだろう。
 わたしの設計は、住宅金融公庫仕様に忠実に従ったし、これを工事した人も真面目にやったのだろう。
 だからこそ、50年の古家でも、修復して賃貸することができるのだろう。よかったのである。いまどきのエコロジー風潮にも対応できる。

2015年4月の姿

2015年4月の姿
1966年建設当初の姿

2015年現在の平面図(1965年設計図面に南と西の広縁増築部分を加筆修正)
父母がこの家に移る前まで住んでいた高梁盆地にある神社境内(わたしの生家)
 価額については、修復に300万円くらいかかるようで、今回の土地代ならばそれに加えても、採算のあう住宅賃貸事業となる、ということらしい。
JR山陽線の駅から歩いて5分の立地だから、すぐ売れるだろうと、わたしは初めには思っていた。しかし地方都市では車社会なので、どうもそうはいかないらしい。
 でも、地方都市こそ高齢化が進むから、このような立地は、車を運転できなくなる高齢者向きと思うのだが、どうだろう。

岡山市空き家バンク制度を不動産業界は活用せよ
 こうして空き家問題として、長年にわたって迷惑をかけた隣の奥方にお詫びをして、帰途へ。
 帰途の大阪で途中下車、空き家問題に共に悩んだ弟たちと、20年忌の父に献杯して、問題脱出の祝杯をあげた。

 というわけで、岡山市の空き家バンク制度利用は、わたしにとって役に立った。
 不動産屋に聞いたら、この制度活用はまだそれほど進んではいないらしい。現に岡山市の空き家情報バンク登録物件紹介ページを見ても、登録数が少ない。
 岡山市も地元不動産業界も、この空き家バンク制度の活用策を積極的にやってほしいと思う。わたしには、こうして役に立ったのだから。

(2016年4月28日追記)
 岡山に遊びに行った弟がここを訪ねて、売却1年後の姿の写真を送ってくれた。リニューアルした家には、大学の美術系の先生が入居しているとか。 

黒くペンキ塗りかえただけでモダンに見えるのがオカシイ

元の形のままにペンキを塗り替えたらしい


庭は賃借入居者の趣味だろうか