【六本木美術館徘徊その1】からの続き
●新美への道でタヌキに化かされた
篠原一男展のギャラリー間(下図の①、以下同様)のあとは、国立新美術館に行こうと、受付の人に道を聞く。地下鉄乃木坂駅に沿う地下通路を行けば、直線で近いし日も照らないから熱くない近道だと教えてもらった。礼を言ってまた階段を地下の通路に降りたが、地下自由通路はない。
では地下鉄ホームを通り抜けようとチケットを買おうとして傍らに張り紙に気づいた。地下鉄では同じ駅で入ってまた出るのは禁止とある。ケチな地下鉄だ。しょうがないから地上にまたえっちらおっちら昇って、地下鉄の上になる道路上をてくてく歩く。だがこの広い道はバタッと行き止まりになった②。左横にある細道に入った。左の金網の中のすぐそばに新美の建物が見えている。これを行けば何とかなるだろう。細道はいつの間にか歩道橋になっている。右下に見える道に並行している。変な道だ。
歩けどもすぐそばにある新美の敷地に降りる階段がない。だんだんと離れるようだ。おお、なんだか白昼夢になってきたぞ。空には夏の日が輝く。歩けど歩けど人2人がやっとすれ違えるほどの狭い歩道橋から降りる階段がない。
熱中症で頭がおかしくなってきたか。そうだ、昔このあたりの森に棲んでいて開発で追い出されタヌキが、歩くやつを化かしに来たのか、なんて思う。え~い、それならそれで面白い、とことん化かされてみよう。
どんどん歩く。何の案内標識もない、だれも通らない。おかしいなあ、地下鉄乃木坂駅から直結する入り口③があると聞いたから、このあたりに新美に導く階段があってもよさそうなものを・・・。新美が遠ざかる。
ようやく左に細い階段④を見つけた。階段の向こうに車が通る広い路が見える。ここでタヌキと別れることにして階段を下りれば、目の前に左矢印の先に新美術館との標識がある。やれ嬉しやと広い歩道を歩けどまだ新美は見えない。スガさんが大嫌いな学術会議ってこんなところにあるんだ④。
![]() |
ギャラリー間から国立新美術館への”遠い近道” |
大回りしてやっと新美西門⑤、入ってさらに正面入口へ坂道をよろよろと登れば、ようやく新美玄関⑥に着いた。いやはや近道と聞いていたから余計に遠かった。だって③の出入り口そばまで真っ直ぐに来たのに全くつながっていない。ぐるりと正面迄も大回りさせられたのは、どういう計画で作った道だろうか。タヌキに化かされたみたいだ。暑かった、でもまあよいリハビリ運動になった、ありがたや。歳取ると心も広くなる。
左に新美術館に西門がようやく現れた 正面には六本木ヒルズのドデブビル |
●久しぶりの国立新美術館で見たのは、
久し振りの新美だ。今、このブログを検索したら2016年3月に、大学同期仲間5人とともにここを訪れた記録がある。倉敷の大原美術館の出張展示を見に来たのだ。思えば、その時の5人の内の2人はもういない。(そのブログ記事)
まずはかつての東大生産技術研究所の建築の残骸を眺める。美術館別館となっているが今日は土曜日は閉館中、ここだけ見て帰ってもよい気もしていたが残念。この生研には何度か訪ねてきた記憶がある。思い出せば訪問先は池辺陽、村松貞次郎などだった。新美設計者の黒川がほんの少しだけ残してくれた歴史建築だが、今では誰も覚えていないだろう。
新美術館に入り、昼なのでロビーでサンドイッチと紅茶を買って昼食。そばのTV画面にこれから見ようと思う「リビングモダ二ティ展」の映像が流れている。見ても興味が湧かない。でもせっかく来たのだから見ようと展示ホール入り口に行くと長い行列、さすがに篠原展とは大違いだ。
わたしはなんでも行列して待つという行為を大嫌い。2階の出口に行って会場内をのぞき込むと、モダンデザインらしい家具や照明器具などが並んでいるのが見える。とたんに、なんだまた例のモダンリビングかと、もう展示を見るのが嫌になった。菊竹も藤井もミースも土浦もカーンももういいやという気になった。早く言えばもう建築はいいやという気分だ。
でもせっかくここまで久しぶりに来たのだから何か見ようと探す。書の展覧会が二つもあるが、同じようなものがいっぱいぶら下がる。マンガアニメゲーム展という私には最も縁が薄い展示がある。これでも見ようと入った。興味がわかぬままに一応見て出てきた。
●六本木徘徊目的は、、
さあ、これであとは六本木の街を見て帰ろうとしたら、美術館から地下鉄乃木坂駅に直結している出口を発見、なんだ最初からこちらに来れば、階段の昇り降りしなくてよかったのだ。とたんに疲れがどっと出てきて、地下鉄駅にエレベーターでスムースに入って帰宅した。
久しぶりの六本木行きは街を全く見なかったが残念だ。この街には夜の遊びには行かなかったが、六本木駅につながる共同ビル計画で1年くらい通ったところだ。あのビルはまだ建っているだろうか。アークヒルズにも社会人相手のまちづくり塾講師として毎週通った。あの辺りも建て替えが進んでいるだろうな。
無事に帰りついたが、かつてあの辺りを何度もうろうろしているから、そのころの自分を思い出して比較すると、わが身体の衰えを知るのだ。
街歩きは街の変化を楽しむのだが、同時にわが身体の衰えを自覚して悲しむことにもなる。いやいや、これもリハビリになった運動だったと慰める。
(2025/06/22記)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━