2009/09/10

177【老いゆく自分】理工学部卒引退後の趣味

 理工学部を出たものが現役を引退すると、どんなことを趣味にして生きていくのかと、自分のことはさておいて、同期あたりに興味を持っている。
 趣味も理工系かとおもうと、趣味とはそういうものではないらしいく、絵画、登山、旅行が普通だが、なかに日本舞踊のひともいる。

 昨日、横浜都心の大岡川沿いの画廊で、化学を出た同期生たちの展覧会とて、観にいった。
 洋画、日本画、写真、陶磁器と、これはまさに世の趣味一般である。なかに焼き物の金継ぎ(日本古来の修理方法)を趣味にしている人もいたのが、ちょっと理工系っぽいような、、。

 これを観に来たわたしの仲間6人の趣味がウォーキングで、これまた理工系と関係ない。
 数年前から誘い合って、春秋に5日間100キロを歩く旅をしている。なかには1日に50キロ以上も歩けるマニアもいる。

 この歳になると、建築、寮、山岳部など、年に数回あれこれと大学同期のあつまりがある。
 高校の同期会もあった。暇になって酒を飲む言い訳けをみつけることと、頭が未だナントカしている今のうちに昔の仲間の顔を見ておこうということか。

 先日は建築学課程(わたしの頃は学科制はなかった)のあつまりで、エンジンつき模型ヘリコプターを飛ばすのが趣味という、理工系のようだが、とても建築出とは思えない者もいる。孫は大喜びらしいが、。
 ではわたしの趣味はといえば、近所の裏町やら、地方都市の商店街やら、棚田の農村やら、それも名所でもなんでもないところを彷徨することが、かなりのウェイトを占めている。

 そしてそれをこうして駄文に綴ることが趣味であるが、これは明らかに建築から都市計画へと仕事をやってきた延長上にあるのだ。
 建築でも都市計画でも、街の構造を現場で調べて、それがどのような背景でできてきたのか、それはどんな方向に動こうとしているのか、今後どうあるべきかを考察する。
 そしてそれを文や図や写真で記述し、その町に暮らす人々にわかりやすく伝えること、これが建築や都市計画の仕事であるのだから、今もその延長を走っていることになる。

 違うのは、現役時代はそれによって報酬を得ていたが、いまは無料であることだ。この駄文が、時には社会の役に立つかもしれないと思いつつ、、。
 あ、そうか、もしかたら、わたしは趣味を仕事にしていたのかも、、、どうりで儲からなかった。

2009/09/02

176【老い行く自分】本に埋もれて逝く至福

 8月11日だったかに静岡でちょっとした地震があり、死者が出た。その人はなんと本にうずもれて胸部圧迫窒息死だったそうだ。
 これは他人ごとではない。そう思ってネット検索したら、やはり同じようなことを思った人たちがいる。
 わが狭小なる書斎兼PC部屋兼寝室兼物置兼工作室兼・・・の四周の壁全部が(つまり窓と扉部分を除いて)、床から天井間際まで本棚であり、本がぎっしり詰まっている。
 もちろん本棚そのものは、紐や針金で壁にひっくくったり、棒で押し付けたりして、どうやらこうやら倒れないように工夫はしているが、本そのものはとめようがないので、落ちてくるだろう、コブくらいつくるかもなあ、とは思っていた。
 でも、窒息死なんてことがほんとにあるんだ、、、、まあ、本にうずもれて逝くなら、それはなんとなく至福の感がないでもないが、、、。 

2009/08/31

175【世相戯評】選挙TV報道

 久しぶりに長時間TV放送を見た。選挙速報番組である。
 これで麻生さんと鳩山さんの動画を始めてみたのである。ふ~ん、こんなしゃべり方をするのかあ、。
 麻生さんは口をへの字に曲げて、それも中央からじゃなくて、文字通り「へ」の字に右寄りが曲るのだなあ、それで損をしている。どこかひねたような口調があるのも損をしている。
 政治家は人相と口調だなあとつくづく思う。
 鳩山さんは良くも悪くも先生口調で特徴はないが、麻生さんと比較されると得をしている。先生口調だと思ったら、政治家になる前は大学の助教授だっとか、そうかやっぱり。

 それにして開票速報報道は変なものである。
 アナウンサーが、「しだいに追い上げております」なんていうのだが、もう投票はとっくに終わってるんだよ、単に票を開けているだけで、この速報を見ながら投票してるんじゃないんだよ、。

 でもそれを聞いて思ったのだけど、例えば、年齢の奇数の人は今日、明日は偶数の人って、2日にわたって投票するのはどうか。。
 開票は初めの日の投票後にも行なって、得票を発表するのだ。そうしたら次に日はそれを参考に投票するであろう。
 どうですか、こうすれば前回や今回みたいな翼賛選挙じゃなくて、2日目にある種のバランス感覚が働くような気がする。

 横浜市長選の結果を見てから寝ようとして、ついに午前2時半までTVを見てしまった。なんでも開票ミスでトラブルがあったらしい。
 これまで官僚→政治家(社会党)→官僚→官僚→政治家とやってきた歴代横浜市長とは違って、女性・企業家市長となれば、なにかCHANGEが始まるだろうか。

2009/08/30

174【世相戯評】選挙あれこれ 

 昨日は土曜日、銀座通りは歩行者専用道路となっている。新橋から歩き出したが、行く手のほうから景気の良いクラシック音楽が聞こえる。
 これはタンホイザーかな、だんだんと大音響になってくる、右翼街宣車もちかごろはしゃれた音楽なんだ、でも、もう5分以上経つけど一向にいつものガラガラ声の演説が始まらない、そのうちに、ポップスになった。

 あれ、銀座通りに下町商店街並みにBGMかしら、ようやく4丁目交差点にきた。
 なんと交差点の真ん中に白い乗用車を止めて、ルーフのハッチを開けて立ち上がっている男がいる。楽団の指揮でもとるかっこうで両腕を頭の上でふらふら振っている。
 なになに、マック赤坂って書いてるけど、どこの右翼サンなの?、よく警察が許すもんだなあ、と近づけば、おお、選挙街頭演説の幟がたっている。え、スマイル党って?、ああ、例の新聞が書く諸派、世の言う泡沫候補なんだ、、。

 これはなんと総選挙候補者の街頭演説会であるらしい。これじゃ警察も手が出ない。
 ただ、一向に演説をする気配はなく、軽快なポップスが大音響で延々と銀座の街に響いている。男は屋根から上半身出してマラカスを両手に振って踊っている。
 ふ~ん、まあ、こういう選挙演説もあるんだなあ、さすが東京は人材?が豊富?なんだなあ、と、踝をかえした。

 今朝の新聞に立候補者一覧表があって、その諸派は343人とあるのだが、注意書きがついていて、「諸派には幸福実現党337名を含みます」とある。
 え、ほかの諸派はどうしたの、書かないの?、マックさんのスマイル党は書かない?、それって幸福党の肩を持つ偏向報道じゃないかしら、などと、昨日チラと見かけただけのお方に、どうでもいい同情をしてしまった。

 ほかにどんな面白い諸派がいるのだろうか。

<後日追記090831>選挙が終わった。マックさんは東京1区、987票を獲得、1位と14万票余の差をつけて9人中の堂々ビリから3番目であった。

   ◆◆
 新聞一面を使った選挙広報というか広告というのか、政党や候補者の広告がこのところ何ページも占めている。 裁判官裁長官の国民審査投票への意見広告である。何回だされてだろうか、全国紙数社の全国版にだしたら数億円の広告費だろう。名を連ねている人は20名くらい、わたしが名前だけを知っている有名人も幾人か名を連ねているが、この人たちがだしたのだろうか。
 結構なことだが、ちょっとその金持ちぶりに、鼻白む思いもある。

 で、そこに書いてあるのを読むと、高知県の選挙区の3区と比べると、東京3区はその0.5倍しかないのだそうだ。
 つまり、高知では50人で1人を国会に送り込めるのに、東京では100人でひとりしか送り込めないってことだろう。
 さて、高知3区の選挙権者はどれくらいの投票率なんだろうか。

 算数のことはよく分からないが、もし投票に高知3区では投票率が50パーセント、東京3区で100パーセントだったら、1票の重さはどう計算するのかしら。
 なんにしても高知3区のお方の責任は重いようですよ、どうします?

<後日付記090831>
 選挙が終わった。最高裁判官審査の結果はこのアピールが少しは効いたらしく、1票の不平等を容認判決をした二人の裁判官への×印が、他のそれ比べて2~3割も多かった。
 高知3区では74489票で当選、東京3区では121699票で落選、これはものすごい格差であるよなあ、、。ついでに最低得票当選者を探したら、高知1区の44085票であった。

 今回の選挙では0票でも当選が出たらしい。
 仕組みが不可解だが、なんでも民主党が票を取りすぎて比例区の候補者が足りなくなって、残余の票が自民党にまわってタナボタ当選者を出したそうだ。
 おお、補給作戦がいい加減で前線では敵の武器や住民の食糧をかっぱらって戦った日本軍の伝統が生きている、、な~んて、、。

2009/08/29

173【横浜都計審】市民委員は審議会でまたもや独り相撲であった

 公募に応募して昨年11月から委員となった横浜都市計画審議会に、昨日はわが4回目の出席であった。
 議題は3つあったが、図らずも、またもや、わたし一人がしゃべったのだ。委員のみなさまどなたも、ご意見を出されなかったのであった。
 いつも寡黙なるわたしが、なぜに都市計画審議会では饒舌になってしまうのか、われながら不思議である。もちろん饒舌であるか否かは、他の委員との比較にすぎないのだが、。

 前回と同様に今回も廃棄物処理場の新設許可議案があった。前回はわたしは現地を見てきて、その周辺を住宅立地規制をする附帯決議を提案したのだが通らなかった。
 今回も現地を見てきて、前回のような混在可能な立地ではなかったし、環境アセスメントで審査会が専門的な注文をつけているので、内容的には特に異議はない。
 ただし、手続きおいて法的な疑問があったので、その指摘をしたのだ。これが今回の審議会の唯一といってよい審議であった。

 しかし、である。その法的解釈が実はわからなかったのであった。
 え、こんなこと、法に基づいて執行する行政庁が知らなかったのか。
 法学部教授の学識委員が解釈を披瀝されたが、それが定説というものでもないらしい。
 ふ~ん、そうなのか、法律を読めば誰もが疑問に思うはずと、そう思ったわたしは、どうも変な人らしい。 

参照→ ●横浜市都市計画審議会報告

2009/08/27

172【世相戯評】またもや翼賛選挙

 8月30日が衆議院選挙投票日とて、大勢の立候補者名の一覧が新聞に載っている。
 さて、年寄りがどの程度いるものかと、70歳以上を数えていったら、いるわいるわ、20名を越えたところであほらしくなってやめた。
 では80歳以上だ、いるのかしら、いた、81歳!、名前を見れば、おお、ドクトルナカマツだよ、あの、発明と選挙でいつも出てくる、あのお方である。そうかあ、さすがに80歳を越えたのか、なになに、あれ、幸福党なの?ふ~ん、まあ、お元気でね。
 もう少し見ていったら、いた、今度は85歳!!、全くもって後期高齢爺バンザイである。よくやるものだ。以上二人であった。

 まてよ、65歳から74歳までが前期高齢者とすれば、そこから先の10年の75歳から84歳までが後期高齢者かしら、ならば85歳からはなんというのか、末期高齢者か、その先は晩期とか、ああ、なんだか終期が見えてくるなあ、、。
<後日追記090831>選挙が終わった。ドクトル中松は落選、というよりも幸福党が泡沫党というか、全国で惨敗であった。   

 ◆◆

 今朝の朝日新聞には「民主320議席獲得も」なんて、予想記事が出ている。これがあたるかどうかは別にしても、なんだか民主党翼賛選挙ムードであるのが、いやな感じである。民主党がいやとかいいとかじゃなくて、翼賛選挙がいやなのだ。
 2005年の郵政解散(そういえば、今回の解散はなんというのかしら)のときに、こんなことを「まちもり通信」コラムに書いた。

 ===まちもりコラム2005・10月号===
●翼賛選挙でだいじょうぶかしら
 私が生まれて3年目の1940年、大政翼賛会なる組織ができて、政党はみな解散してこれに加わり、東亜新秩序建設に邁進、つまり戦争体制が整い、次の41年に戦火が始まった。
 2005年9月11日、戦後55年体制の総決算がされたようだ。自民公明民主大政翼賛政治が始まった。まさか戦争じゃないだろうが、何か不安でしょうがない。
 カウンター勢力かとおもっていた民主党の若旦那党首の言うことが、自公と大差ないように聞こえてきて、つまり翼賛選挙だったとわかった。
 最近はこういう状況を招いたことをポピュリズムというそうだが、昔は衆愚といった。 5年前の9月11日のニューヨークでの事件でも、衆愚が原因にも結果にも悲惨を招いている感がある。(051002)
  ============

 さて2009年8月である。あのときの衆愚の結果が自民党にお任せ政治をさせてしまい、今の世相に至り、今度は民主党にお任せ衆愚になるんじゃあるまいか。
 あの時に自民党お任せ政治にさせてさすがにこれはいけないなと、衆愚も若干は「衆賢」を取り戻したのが、参議院選挙の結果で、いわゆネジレ国会で自民党チェック体制を作り出したのであった。
 さて、こんどは衆議院でも民主党にボロ勝ちさせたら、もう本当に翼賛選挙になっちまうぞ。高速道路タダなんてアホな政策が通って、地方都市は疲弊するぞ、。
 適当に勝たせた方がいいですよ、。
<後日追記090831>選挙が終わった。まったくもって、この前も今回も翼賛選挙そのもの、ちょうど自民と民社を裏返しにしただけである。これからの政治も、これまでと同じになるのだろうか。新人と女性の頑張りが通じるか、、。

2009/08/25

171【世相戯評】日の丸・軍旗・御真影

 なんでも民主党のどこかの会で、あの赤だるまみたいな党マークをつくるのに、日の丸の旗布二枚を切り張りして使った。
 そうしたらTVの党首討論会で、自民党の麻生さんが「国旗を切り刻むとは何事か」って噛み付いて、民主党の鳩山さんが謝ったのだそうだ。

 これで連想するのは、戦時中の御真影(天皇の写真)と軍旗である。
 政府が各学校に配布して拝ませた御真影を、火事から助けだそうとして校長が焼死したのが美談であったし、軍旗はそれこそ戦場だから命と引き換えた兵士が無数にいた。 どちらも天皇の分身として、文字通りに死んでも守らなければならなかった。
 抽象的シンボルが具象的物件に偶像化して取り替わり、人の命までも奪った時代が、私がこの世にいるときにさえあったのだ。
 星条旗模様グッズが下着まである垂れ流し的偶像文化のあちらと、党首討論の政治争いの種にまでなる不可侵偶像文化のこちらと、その文化の違いが興味深い。

 御真影で思い出したが、小学校(国民学校といった)にそれを格納する奉安殿なるものがつくってあり、朝礼では「奉安殿に敬礼!」と号令がかかった。ワルガキどもは「オオアンゴウにケツレイ」と言って無邪気に遊んだ(アンゴウとは阿呆の方言)。
 この記憶によれば「御真影に敬礼」ではないから、偶像化は写真から容れ物に移っていたことになる。そう、偶像は目に見えてこそ偶像なのである。

 わたしはこの日の丸合成事件で、おお、民主党赤だるまマークは実は日の丸のアレンジだったのか、ふ~ん、そうだったのか、と、麻生さんとはまるで正反対のことに気がついたのであった。
 偶像崇拝化が進み、民主党マークもダイエーのそれも偶像損壊と目の仇にされる時代が来るかもしれない、赤い水玉模様も、、、あ、日の丸弁当もか、いやこれは戦時中は推奨されたなあ、?、、。

2009/08/24

170【各地の風景】はるかなるベルリン

 偶然にTV放送の女性マラソン中継放送に行き当たり、ベルリンを走るらしいので見た。もちろん目的はマラソンじゃなくて、ベルリンの街並みを見たかったのだから、音を消している。

 なるほどベルリンの街はこうだったかなあ、と思いつつ見ても、何しろ行ったのは1973年だから、おおいに風景は変っているし、それよりも全く覚えていないのである。
 それとわかった建物は国会議事堂だけだった。例のドームをくっつけたヤツである。
1973年10月 西ベルリン中心街のクーダム


1973年10月 西ベルリンの中心街ウンターデアリンデン

 もちろんそのときには見ていないが廃墟だったはずだ。そのリニューアルの姿を雑誌で見て、これはすごいと思った。
 なにしろ国会をガラスの上から、一般の見物客がのぞくのだそうである。
 ついでに思い出したが、ブラジリアに行ったときも、あの国会議事堂の丸い屋根まですたすたと屋上を行けるのだから驚いた。日本だったらたちまちに逮捕である。話が逸れた。

 さてマラソン放送のマラソンのバックの風景を見ていたら、同じ風景が何度も出てくるのである。どうも同じところを何回もぐるぐる周るコースらしい。
 考えてみればそのほうがコース設定も進行運営も楽になるはずだ。ドイツ的合理主義か。もっとも、一周遅れなんてのが出てきたらこんがらかるだろうが、。

 だから終わりのほうは風景見物に飽きて、マラソンを見たら、なんと日本・中国・エチオピアの3女性がデッドヒートで、結局は一位は中国の女性であった。その名は白雪、おお、白雪姫がマラソンする時代になったのだ。
 この人が勝つだろうと思っていた最も体格もスタイルも良いエチオピア女性は3位だった。 日本女性が10歩のところを5歩で走る長い脚である。
    ◆◆
 今から36年前のベルリンは、まだ冷戦まっただなかの時代で、東西に分かれていて、その間を壁が厳しく隔てていた。
 壁の西側に接して見物のタワーが建っていて、そこから東を覗き込むと、壁の向うにもうひとつ壁があり、壁と壁の間に2重にバリケードがあり、その向うに鉄砲を構えた警備兵がいる。
 東西境界の川に沿う金網に花輪が掛けてあって、ガイドの説明でそれは最近に東から西に脱出しようとして、東の警備兵に討たれて死んだ人のためだという。
 西から東に観光バスで見物に行ったが、検問所の厳しさに驚いた。写真を撮ると討たれるとガイドに脅されるし、兵隊はバスの下の車の間に鏡を入れてそこに越境者が隠れていないか調べているし、そこらにいる兵隊はみんな銃を構えているし、国境とはこういうのなのかと信じられない思いだった。
 その検問所「チェックポイントチャーリー」(東側では「フリードリヒ通り検問所」と言ったそうだ)は、ル・カレのエスピオナージュ小説にも出てくるところである。
 東ベルリンでは、ソ連がナチスドイツに勝った記念施設ばかり見せられてうんざりした。
 とにもかくにも、マラソンなんて平和なことが、ブランデンブルグ門をゴールにして行なわれる時代になってよかった。
 参照→032オリンピックマラソンの風景

2009/08/21

169【都市政策】的はずれ緊急住宅対策

 今日の朝日新聞夕刊に「持ち家支援、利用4割 補正2600億円、大半残る」という見出しの記事がある。
 緊急経済対策のために「住宅金融支援機構」から住宅ローンを借りやすいように、09年度補正予算に盛り込んだ住宅取得支援策が、実際は4割しか効果を発揮していない。緊急対策になっていないのだ。
 あいかわらぬ持家政策偏重で、住宅政策を景気対策の経済政策にしていている。

 そもそも不景気な時代そしてこれからの低成長時代に、個人に巨大借金を奨励する政策が誤っている。今借りている住宅の借金返済ができなくて、住宅難民が出ている時代である。
 住宅を単に戸数だけで見ると足りているが、地域偏重、高額価格などで、実際は居住需要状況とマッチしていないのだ。住宅づくりが社会政策ではなくて経済政策だった誤りが出た。

 誰にでも必要な居住という権利の基本となる住宅を、西欧のように社会政策としてしない日本がおかしい。住宅建設という物的な経済政策であって、居住政策といわないところからいて間違っている。
 公営住宅を建てず、住宅公社を廃止し、都市機構の賃貸住宅を民間に移行しようとか、とにかく住宅賃貸住宅政策をないがしろにして、大借金国民を増やすのが景気対策なのか。

   ◆◆

 このところ新聞をにぎわす賃借人「追い出し屋」なんて商売が成り立つのも、賃貸借住宅が少ないから、つまり政策がないままに市場任せだからである。
 わたしの住む県公社賃借住宅は、追い出し屋はなさそうだが、それまがいのことがある。3年くらいごとに家賃改定、つまり値上げをするのである。
 その言い分は、周りの賃貸住宅が上がったからこちらも上げるというだけある。

 その根拠資料を示せと言いに行ったら、なんと「入居者には見せないことになっている」と回答。こちらは大いに腹を立てて情報公開請求をしたのだが、こんどは資料がないと回答してきたのであった。
 そんなことをもう2度も繰り返した。全くオハナシニならないのである。追い出したいのだろう。言っておくがわたしは家賃はきちんと払っている(いつまで払えることやら)。

 今度の選挙に向って、この住宅政策を転換して社会政策としての居住政策を打ち出している政党は、ない。
 各党の党首でも誰でも、いちどは民間の木造賃貸アパートなるものに住んで見ればよい。日本の住宅政策の至らなさがわかるはずだ。大邸宅に住んでいては本当の居住政策は見えないだろう。
参照◆賃貸借都市の時代へ

2009/08/19

168【世相戯評】新興宗教政党?

 いつもの表が騒がしさに今日から衆議院選挙立候補者宣伝カーが加わった。
 新聞に候補者の届出の一覧表が載っている。単独とか比例とかってわけがわからない。

 政党の名前が一覧表にずらーッと並んでいるが、聞いたことがあるようなないようなものもある。
 諸派という政党名と思ったら、その他の分類に入る雑魚政党らしい。かと思ったら、300人以上も立候補者がいる幸福実現党なる連中もここに含むと書いてある。
 え、人数じゃないのか、そういえば、政党名が堂々と書いてあるのに、立候補者1名という欄もある。では諸派という分類の基準はなんなんだろうか。わからん。(法による政党要件と新聞用語の諸派とは関係ないだろう)

 神奈川の立候補者一覧表の諸派欄に人数が書いてあり、欄外注に「諸派は幸福実現党です」とある。なら諸派じゃなくて党名を書けばよさそうなものを、、。
 念のために言っておくが、その党の肩を持つ気はさらさらない。ただ、「諸」とは複数の意であるから言葉としてヘンであるというのだ。

    ◆◆

 幸福実現党なんて聞いたこともないが、今回始めて登場したのだろう。ほかの新聞記事や広告を総合してみると、幸福の科学なる宗教団体(かしら?)がこれの本家らしい。
 つまり公明党と創価学会の関係と同じらしい。その昔、初めて公明党が出てきた頃の扱いもこうだったのかなあ、。
 ふ~ん、そうなのか、どうも宗教団体が裏にいる政党ってのは、なんだか薄気味悪い。

 それにしても宗教団体ってのは金があるのだなあ、こんなに泡沫候補を立てて、供託金没収額はいくらになるんだろうか。
  300万円×300人として9億円以上だよ、まあ、新聞などもタダで名前を載せてくれて、私でさえも名前を知ったくらいだから、これで布教活動費と思えば安いってところなのかしら、よく分からん。
 なんにしても庶民の身近な生活感覚ではない。

<後日付記090831>選挙が終わった。幸福党は全て泡沫候補ならぬ泡沫政党なみ得票で全滅だった。

2009/08/17

167【都市政策】まったくもって時代遅れそのものの民主党の選挙公約

 8月末の選挙に向って政局があわただしい。この選挙の結果で、もしかしたら民主党が内閣を組織する立場になる可能性もあるとかで、政治にあまり関心のない私も、ひとつだけ気になることがある。
 高速道を無料化するという公約が民主党の目玉らしいが、はっきり言って、これはおかしいと思う。 これまでにもこれがおかしいと言う人は多いようだ。
 その理由は、第1にCO2削減の環境政策に反していること、第2に財源問題の不明確さ、第3に負担の不公平、第4にむしろ渋滞が進む可能性があることなどである。
 ところが、どうもまだ言われていないことで、実は都市計画上での重大な問題があるのだ。
   ◆◆
 民主党ウェブサイトに、政策に関するQ&Aのページ(2003年10月)があり、高速道路無料化についてこんなことが書いてある。

「Q:東京近郊はわかりますが、地域経済はどうなのでしょうか?
A:地域経済も活性化されます。日本の高速道路は、料金が高い、そして出入り口の数が少なかったため、極めて使い勝手が悪かったと思います。ちなみにアメリカの高速道路の出入り口は、約3kmに一ヶ所ありますが、日本は約15kmに一ヶ所です。そこで、料金を無料にするだけではなく、出入り口の数を増やしたいと考えています。高速道路が利用しやすくなる、つまり生活道路になれば、高速道路の出入り口に街ができることになるでしょう。住宅建設だけではなく、商店も進出することになります」 
 また、同じく民主党のウェブサイトに、動画による政策解説があって、そこでこの件に関して、長妻昭政調会長代理がこうしゃべっている。
パーキングエリアなどが誰でも入れるようになるので、例えばそういう土地を使って、工場を誘致するとか産業を誘致する、あるいは遊園地などなど、地域振興の要になる可能性も出てくるし、、、、』 

   ◆◆
 21世紀の日本の都市計画は人口減少社会に向けて、20世紀の人口増加時代に拡大拡散した生活圏を、コンパクトにまとめて再編成し、都市の適切なる縮退をすすめることが主流になっている。
 民主党の言う「高速道路の出入り口に街ができ、、、住宅建設だけではなく、商店も進出することになります」とは、都市郊外に拡散している産業施設や都市施設を、高速道路インターチェンジ付近で更に拡大増設して、郊外開発を進める20世紀型の都市計画そのものである。

 いまごろ「地域振興の要」などとインターチェンジを持ち上げるなんて、時代遅れもは甚だしい。
 郊外のインターチェンジ付近の山林田畑をつぶして大規模商業施設を立地させる都市計画が、都市の中心市街地の衰退を招いて、都市住民の生活の不便さをもたらしいることは周知のことである。

 なかでもイオングループがその最大の元凶である(ちなみに、イオンの社長は民主党岡田幹事長の兄である)。
 高速道路が無料化するということは、これらの商業施設の市場エリアが広がることであり、この政策で民間企業としてもっとも利益を受けることになるはずである。それは今の都市問題の深刻さを更に推し進めるだろう。

 空洞化した中心市街地の再編成をどう考えているのだろうか。わたしは商業政策には興味はないが、それにしても自民党と公明党という今の与党公約の中には、商店街振興について言及しているのに、民主党にはそれさえない上に郊外開発促進とは、いったいどういうわけだろうか。

 思い出したが、民主党には知人の都市計画家・若井康彦さんがいるはずだが、彼はなにをしているのだろうか。
 政治に興味のないわたしにも、民主党のこの政策だけは、その基本的考えが気に入らないから、政権とるならぜひとも改めてほしい。

 ついでに言うが、インタチェンジは街への玄関口でもあるはずだが、どこのインタチェンジ付近も醜い商業建築と汚らしい看板だらけで、これがこの街の玄関の風景かと嘆かわしいばかりである。(090816)

参照・怖いぞ、郊外開発は生活圏を破壊する

2009/08/15

166【ふるさと高梁】夏の日の鎮守の森で

 ふと目覚めて見上げる窓ガラスの外の空には、樅と杉の大木の枝と葉が黒々と張りめぐらされている。
 枝と葉とが空を覆いつくさないあいまには、未だ薄暗い空を背景にして自然の自在な影絵の造型が見える。
 幼児の眼には、人の顔、動物の頭、怪物の形も見えて、はっと怖くなり布団にもぐりこんでまた眠りにおちる。
    ◆◆
 街の鎮守の神社は、盆地の東の山腹の森にある。
 道から石段を40段も登りつめたところに、南北30m、東西15mほどの平地が造成されて広場となっており、その片隅にわが家が社務所にくっついている。
 3方を樅、杉、松、檜、銀杏等の大木がある森がとりかこみ、もう一方の斜面には竹林がある。そこからまた20段ほど階段を登ると、社殿のある30m角ほどの平地があり、ここも森で囲まれ、背後は山林になっている。
 この境内地は、夏は蝉時雨に溢れて、慣れないと耳が痛いほどである。アブラゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、クマゼミ、ヒグラシなど、初夏から真夏そして初秋へと、蝉の声はしだいに主流が移り変わる。森の中に縁台を出して、その上で蝉の声を枕に昼寝をする。
    ◆◆
 ある晴れた夏の日のこと、社務所の玄関先に近所の人たち10人くらいと、疎開児童の小学生たちが集まった。
 疎開児童引率の教師が持っていたラジオを、ここでこれから聴くのである。その頃、社務所には兵庫県の芦屋市の小学生1クラスが、アメリカ軍の空爆を避けて集団疎開してきて寝泊りしていた。
 8歳の少年のわたしもそこにいた。ただし、疎開児童たちを受け入れた側である。
 雑音の多いラジオからの言葉を、大人はどう聞いていたのだろうか。少年の耳には内容はわからなかったが、鮮明な記憶がある。
 それは、放送を聞き終えた大人たちが一列になって、社務所から広場へそして石段へと、一様に黙りこくってとぼとぼと歩く風景である。
 暗い鎮守の森から明るい太陽の下の街へ、それは時代の変わり目の象徴的風景として、思い出のなかの64年前の8月15日であった。
 父は月末に戻ってきた。彼の3回も兵役についた長い十五年戦争の日々が、ようやく終わった。
    ◆◆
 その夏休みが終わった日から、国民学校の教壇にある教師たちの戸惑いと転向を、少年ながらに目の当たりにした。
 教室机の並べ方が毎週のように変ったのは、民主教育実験だったのか。
 もっていた教科書に墨をぬった。なぜそれを塗るべきなのか、不思議だった。
 新教科書だといって、8ページ分を1枚に刷った新聞様の紙束が配布されて、裁断して本の形に綴じた。
 教師が黒板に書いたことを、いや、こういうことはいけなんだと、つぶやくのも聞いた。
 まったくもって、ひもじい毎日だった。少年は遊ぶのに夢中になってしまうから、気がついて突然に飢餓に陥り、母親に食い物をねだるが、なにもない。あの頃の親は実につらいものだったろう。
 学校給食のコッペパンと脱脂粉乳ミルクがおいしかった。家の前の境内広場は芋畑になり、人糞肥料の匂いが漂っていた。
 幼児の眼に怖かった樅や杉の大木も、沢山の実を降らした銀杏の大木も伐られてしまった広場は、今は駐車場となっている。耳を圧する蝉時雨は、今も降っているだろうか。
●参照→・戦後60年目の靖国(2005) 
    →少年の日の戦争ー母のための小さな自伝

2009/08/13

165【くたばれ乗用車】下種のマヌケフェスト

 選挙に行かない主義だが、今度の選挙はもしかしたら民主党がトップになるかもと、世の中が騒がしいように、新聞に書いてある。テレビ番組を見ないから、そっちはなんと言っているか知らない。
 そこで、政党の公約(最近ではマヌケフェストとかいうらしい)をウェブサイトで読んでみることにした。殊勝な心がけだと自分でも思うが、実はこれが結構手間がかかる。さっと出てこないのであるし、出てきてもこれが実に読みづらいのである。
 書きぶりも読みづらいが、見開き印刷用の原稿をそのままPDFにするものだから、画面では右左とスクロールが面倒なことおびただしい。html版でも、レイアウトが悪いから、途中でいやになる。他人に読ませようって努力がなっていない。どの政党もである。
    ◆◆
 全部を読むのがめんどくさくなったので、住宅・都市政策と高速道路料金問題だけ拾い読みした。
 公明党が住宅・都市政策について言及した文字数がいちばん多かった。コンパクトシティとかモーダルシフトとかトランジットモールとか、まあ、専門語というかオタク言葉でも書いてあって、ここは都市計画関係者が書いたらしい。
 もっとも、内容はプロからみると目新しいことは何もない、ただの羅列である。
 民主党の住宅・都市政策記述は、都市政策はなくて住宅政策についてちょっとだけある。
 わたしが注目したのは、「多様な賃貸住宅を整備するため、家賃補助や所得控除などの支援制度を創設する」ことで、やってもらいたいが、具体的になにをするのかしら。
 「定期借家制度の普及を推進する」なんて書いてあるが、元はといえば借家人追い出しのためにできた制度であるだけに、これを使ってなにをしようというのか、貧乏賃借人には不気味である。
 自民党の住宅・都市政策記述は、民主党よりは行数が多いが、たいしたことは書いてない。
 「特に子育て世帯や高齢者等が安心して生活できるよう、子育て支援施設やケア施設の併設された住宅等、良質な賃貸住宅を供給する」のところに注目するが、具体的になにをするのだろうか。
    ◆◆
 さて高速道路路料金問題である。
 自民党は触れず、公明党は現政策を恒久化するとのこと。
 で、無料にする民主党である。こう書いてある。
===引用===
「30.高速道路を原則無料化して、地域経済の活性化を図る
【政策目的】
○流通コストの引き下げを通じて、生活コストを引き下げる。
○産地から消費地へ商品を運びやすいようにして、地域経済を活性化する。
○高速道路の出入り口を増設し、今ある社会資本を有効に使って、渋滞などの 経済的損失を軽減する。
【具体策】
○割引率の順次拡大などの社会実験を実施し、その影響を確認しながら、高速道路を無料化していく。
【所要額】1.3 兆円程度
===引用終り===
 その一方で、「CO2等排出量について、2020 年までに25%減(1990 年比)、2050 年までに60%超減(同前)を目標とする」と書いている。
    ◆◆
 民主党ウェブサイトに一問一答の動画がある。そこでこの件について長妻民主党議員が言っているのは、経済効果が大きい、特にインターチェンジ付近の開発を誘導するので工場や産業や遊園地を誘致することができる、とある。
 おい、語るに落ちたとはこのことだぞ。高速道路IC付近でいちばんの産業は、郊外型ショッピングセンターなのである。そして現在それをいちばん抱えているのが、ジャスコのイオングループである。無料化するといちばんうまい汁を吸うのがイオンである。
 巷の噂では、イオン社長は岡田さんといい、民主党の岡田幹事長と兄弟だそうである。まさかと思うが利益誘導ではあるまいなあ、。
 それはともかく、これじゃあコンパクトシティ時代に郊外開発を賞賛していて、公明党にも劣るじゃないか。自民党だって商店街振興策を言っているぞ。都市問題に弱い民主党である。
    ◆◆
 そしてまた、環境政策との矛盾について動画では、渋滞が減る可能性があるから、総合的に見てCO2はそれほど増えないように思う、と、あやふやなことを言っている。おい、大丈夫か。
 そもそも道路の渋滞なんて、朝から晩まで365日やっているのじゃないのだ。多分、1年の時間のうちの数パーセントに過ぎないだろう。それくらいなら我慢しなさいよ、1.3兆円だよ、これでほかにやることがいっぱいあるでしょ。
 これについては、NGOがしごくもっともな共同声明をだしている(12日現在で21団体)。
「高速道路無料化・自動車関連諸税の暫定税率廃止に、反対します~ 高速道路無料化・割引は撤回し、暫定税率は炭素税などにシフトを ~」
http://www.kikonet.org/iken/kokunai/2009-08-05.html
 政治の流れが変るのは何かに期待したいが、タダだからいいだろうって下種の人気取りマヌケフェストで、こちとら車に乗らないものにも1.3兆円と排気ガスを負担させるなんて、気に食わない。
 え、なに、流通費が下がるから車に乗らないものも恩恵を受けるって?、、、それなら、流通業トラックや乗合バスだけ無料にすればよろしい。遊び乗用車はど~ンと高額にしてね、。1.3兆円もあるなら、CO2削減に寄与する鉄道や路線バスなど公共交通に投資しなさいよ。

2009/08/11

164【父の15年戦争】石原莞爾の「世界最終戦論」を古本屋で見つけて買ったら

 野毛坂の古本屋で変な本を見つけて、つい、買った。
 石原莞爾著「世界最終戦論」(第一改定版1940立命館出版部発行)である。
 父の十五年戦争を追っていて、満州国に興味が深まった。満州というキメラには前から興味はあったのだが、そこに身内が命を懸けたとわかると、それなりに興味の湧き方も深まるものだ。

 徘徊老人のいつものコースの横浜ご近所古本屋探検は、ちかごろは105円棚の充実する伊勢佐木町ブックオフで思いがけない掘り出し物に凝っているのだ。
 特にこのところの十五年戦争関係資料の掘り出し物は、「日中戦争」児島襄の第1巻と2巻であったが、この類はブックオフにはめったに出ない。

 やはりブックオフでは奥が浅いので、古典古本屋にも回帰しつつあり、今回の石原莞爾である。
 ときには古典的な紙魚の香りがする古本屋さんにもいかないと、禁断症状が出る、ということもある。
 満州のことについてなにを読んでも教祖様の如く石原莞爾が出てくるし、とくにその「世界最終戦論」は、彼の満蒙植民地化論のバイブルみたいに書いてある。その後の世界の構造を予言したとも書かれている。

 気になっていたが特に探す気もなかったのに、偶然にその論の本に出会ったのだ。四六判、100ページ足らずで定価40銭、古本価格は1000円であった。
 1940年9月10日初版5000部発行、すぐに20日には増刷5000部、更に重ねて買った改訂版まで合計3万1千部発行である。
 大ベストセラーである。時代の空気をどう読むべきなのだろうか。

 たまにこのような戦前戦中の古い本を買うことはあるが、これまではほとんど建築か都市系の本であった。
 いよいよ老人趣味になってきたか、、、もっとも、初版本や稀覯本をあさるような古書趣味は全くない。

追記:その後、青空文庫に「世界最終戦論・戦争史大観」という石原の著書があるのを見つけた。買わなくてもよかったのだ。インタネット時代はすごい。

2009/08/09

163【言葉の酔時記】へんな政党の名前だこと

 「みんなの党」だってさ、新党である。
 おかげで「みんな投票に行こう」なんて投票宣伝文句は書けなくなった。
 ひらかな党は、むかし「新党さきがけ」ってのがあったな。

 思い出せば、むかしは選挙のたびに「公明選挙をしよう」といっていたものだ。
 公明党のことじゃないよ、公明党ができるまでのことだ。それがあの党ができてふっつりと消えた。投票キャッチコピーを乗っ取られたのだ。

 政党はどんな名前をつけてもかまわないのだろうか。選挙広報や新聞に書かれるので、宣伝になるとて、変な名前の政党が時々出現するようだ。
 どうだい、「選挙党」とか「投票党」ってのは、、。選挙に行きましょうとか投票しましょうとか、言えなくなっちまうぞ。

 あっ、今、このブログを書きおわり、公開する作業の画面にしたら、「幸福実現党」の宣伝文句がでてきたぞ、う~む、この政党名もなんだかなあ、、。

 いや、そんなことより、このグーグルのブログは企業等の宣伝がないので気にいっていたのだが、開設の初めのうちは宣伝文句を見せないようにしていて、もうブログをやめそうにない頃になると見せるって作戦なのか、う~む、おぬし、ようやるよのお、けっ、。

2009/08/07

162【言葉の酔時記】ご苦労さまとは失礼な首相である

 首相ともあろう人が、こういう時にこういう言葉づかいはないだろうと思った。
 6日に広島で、原爆症救済策の確認書に首相と原告代表が調印して、原爆症認定訴訟を終結させたときである。
 原爆被害者側の『坪井代表委員が麻生首相と握手し、「ご決断ありがとうございました」とお礼を言うと、麻生首相は「ご苦労さまでした」と答えた』そうである(8月6日YOMIURI ONLINE、同日朝日新聞夕刊)。

 わたしくらいの年代では、首相のこれは誠に不遜なる言葉使いであって、失礼にあたると腹が立つのである。
 訴訟に絡むことだから微妙なこともあるだろうが、調印は対等であるし、相手が礼を言っているのに、それに対して目下をねぎらう「ご苦労さま」との言い方はないだろう。
 文字が読めない人として有名だが、言葉づかいも知らない人である。

 最近、メールの出だしに「お疲れ様です」なんて書いてくる変なやつが複数いる。 外でも会議の後で「お疲れ様でした」などと送り出されてムッとすることがある。
 もちろん言うほう書くほうは気にせずに気楽につかっているのだろうし、言葉は時代と共に変ることも承知しているが、このつかい方は未だ変り切っていないことも事実であるから、使うほうも気をつけてもらいたいのだ。
 その辺のガキどもならともかく、アソウさんのようなお方はねえ、。

2009/08/06

161【くたばれ乗用車】そこのけそこのけお車様が通る

 電気モーター自動車とか電気ガソリン併用自動車とか、要するに電気モーター走行自動車がもてはやされつつある。そこには排気ガスがない(これは疑問であるが)とか、騒音がないとかの利点があるそうだ。
 今朝の朝日新聞社会面に「静かすぎ車 音出す実験 電子音・擬似エンジン音・・「わかりにくい」多く」との見出しの記事がある。

 電気モーター走行の自動車が歩行者のそばにやってくるとき、騒音がないので歩行者が気づかないので危険であるから、気がついてよけてくれるように、安全のために騒音をわざと出すのだそうだ。
 全くもって世の中には、とんでもないバカなことを考える人たちがいるものである。
 だって、自動車の騒音が深刻な社会的公害問題であることは明々白々であり、自動車のほうが歩行者よりも絶大に強くて加害者になることも明々白々であるのに、この記事はそのどちらも否定しているのである。

 国交省の委員とかの意見として「音だけで車だとわかり、、、」と、騒音発生を肯定し、音を出して歩行者がよけることを前提にしているのである。
 絶対的に強い自動車のほうが注意して歩行者を回避するべきが前提なのに、その逆を前提にものごとを考えている。
 自動車が歩行者を回避できないときは、停まればよいのだ。そして窓から首を出して、「恐縮ですがそこを通してください」って言いなさいよ。

 刃物を振り回しているヤツの刃物を取り上げるのじゃなくて、振り回すと刃物から音が出るようにして、近くにいるものが逃げやすいようにしようって発想である。
 バックしてくる自動車が「バックします、注意してください」と、甲高く機械発音するのがいつも癪に障る。注意するのはそっちだろうが、、。
「そこのけそこのけ車が通る」思想は、抜きがたい20世紀型発展神話として、日本人の脳裏に植えつけられてしまったのだろう。 頭の中はいまだに発展途上国である。

 そういえば、60年代に自動車が普及し始め頃、車を運転するヤツはやたらとクラクションを鳴らしていたものだ。日本が発展途上国の頃、自動車が発展神話の象徴だった。今は中国だろうか。
 電気自動車の出現で空気がきれいになるというのは嘘でも、騒音はなくなるのは本当らしいと思っていたら、なんとわざわざ騒音発生装置をつけるんだとさ。
 それがいかにも歩行者の安全のためにというおためごかしの理由で、、、バッカジャナカロカ、、、静かに走って自動車のほうで気をつけてよけろよっ!。
 そのうちに携帯電話の着信音みたいに、それぞれ自動車ごとにてんで勝手な音を出して、そこのけそこのけって走るんでしょうな。、、、いやだいやだ。
 参照→電気自動車に税投入は適切か

付記:インタネット新聞JANJAN2009.8.12に、「歩行者脅す「エコカー音発生装置」は本末転倒」という記事が載った。
付記2:2009年8月18日朝日新聞朝刊「声」欄に、「HV車 音に頼るより声掛けを」と題して、天野俊歩さんの次のような投稿が載った
「・・・私は歩行者が多い道を走るときにはほとんど歩行者同じ速度を保つようにしている。モーターで動くHVはエンジンと違ってエンストすることもないから容易なことだ。しかし追い越したいときには窓を開けて「すみません、先に行かせてください」と声をかけている。これでたいてい気がついてよけてくれる。もちろん、お礼を言いながら頭を下げる。・・・だいたい音を出して歩行者をよけさせようという発想が傲慢だ。道の上ではお互いに尊重しあうのがあたりまえではないか

2009/08/05

160【法末の四季】都会の中の自然の音と山村の自然の音

 横浜都心の7階に住んでいると、聞こえる音は、ほとんどが自動車走行の騒音であり、近くに消防署があるので救急車が特にうるさい。
 朝はシャッターが上がる音が毎日定時に聞こえる。時には人の声も聞こえるが、それは喧嘩のような大声であるときだ。
 時にはどこかのビルの火災報知非常ベルが聞こえ、いつまでも鳴っていると不安になる。

 自然の音といえば、強風のときの壁に当り角を切る音が強烈である。
 雨は、吹き降りで窓にたたきつけると音が聞こえるが、普通の雨はまったくわからない。雨だれの音はないから、外を見ないと雨かどうかわからない。
 今は真夏、この季節だけは蝉の鳴き声が、ミ~ンミンミン、ジージージーと聞こえている。これがこの家でのもっとも自然の音らしい音である。

 蝉といえば、生家は神社の鎮守の森の中にあったから、夏の間は蝉の声に包まれていた。それはもう、森の中の空間には蝉の声が充満していた。森の中に縁台をだして、蝉の音にくるまれつつ昼寝をしたものであった。
 その音色が夏のはじめから秋に向って次第に変っていった。それは蝉の種類が変るからだ。その音色の変り具合で、耳から季節の変化を感じ取ったものである。ヒグラシが鳴き出すと、夏も終わりの寂しさがただよう。

 中越山村の法末の夏、茅葺民家に寝ていると、早朝一番にヒグラシが鳴きだす。日暮しならぬ日明しである。その音でちょっとだけ目を覚まし、あちこちでカナカナカナと交互に呼び合いつつ鳴く声を聞きながら、また寝入るのは心地よいものである。
 夜中には、庭の池の主である蝦蟇がゲコゲコググと鳴き続けるの聞きつつ寝入る。

 茅葺の上にトタンを張っているから、雨音は大きい。雨だれが土を打つ音も聞こえる。でも、雨音で目覚めることはない。
 朝目覚めて初めて聴く雨音で、今朝は田んぼ仕事は休みだなあと、また2度寝に入るのは、ちいさな幸せである。

2009/07/28

159【父の十五年戦争】戦場はかくも悲惨だったのか

 父の遺品の中にあった、1931年から45年までの兵役時代の手記や記録類を解読して、「父の十五年戦争」としてまとめる作業をしている。
 そのために5月ごろから、満州事変から日中戦争のいろいろな戦史・戦記を読んでいる。

 関連して母方の叔父が戦死したと聞いていたので、その娘の従姉妹にどこで、いつなのかと聞いたところ、1945年フィリピンのマニラ近郊であった。
 なんとその戦場がわかったのは戦後も40年経ってから、部隊長だった人からの手紙であったそうだ。遺族としては、どう受け取ったのだろうか。
 この叔父は1944年7月、わたしの父は1943年12月、共に戦局のきわまりつつある時に充員召集され、叔父は南方戦線に送られ、父は輸送船が無くて内国勤務と、運命を分けている。

 わたしが棚田の米作りに行っている中越の山村の法末に、90歳の元気な長老がいる。
 この人も戦争体験者だとて、先日の夕方、ひとり暮らしの自宅に夕飯持参で訪ねて、話を聞いた。こちらは中国の宜昌作戦と、ビルマのインパール作戦に参加したのであった。

 叔父のマニラの戦いと、法末長老のインパールの戦いは、ともにアジア太平洋戦争のなかでも特別に悪名高い負け戦であった。それらの関連資料など読むと、あまりにも悲惨きわまる非人間的な戦場であり、それらが元はといえば作戦計画のずさんさからきているのが、まったくやりきれない。
 これまで興味が無かったが、こうして初めて戦記や戦史あるいは戦争文学を読んでみて、人間そのものへの不信感と嫌悪感がわきでてくるのをどうしようもない。人間同士で文字通り相食むのだもの、、、。
   →131戦争情報を下さい

追記:ここに書いた叔父と長老の二人の戦争に関する記録を、下記に載せた。
父の十五年戦争(附:田中参三叔父の戦場)
村の長老・大橋正平さんが語ったビルマの戦場

2009/07/26

158【山口文象】ほろ酔い気分で隅田の川風に吹かれつつ豊海橋へ

 昨日土曜日、新宿で旧友たちと久しぶりに逢って昼食、別かれてから東京駅丸の内探検へ。
 東京駅は今や工事現場と化していて、景色がはなわだよろしくない。北の三角ドームは皮をはがれて頭の骨が見えている。
 政治家も登場してお騒がせだった東京中央郵便局は、駅前広場側の2スパンを残して、裏側はきれいさっぱりなくなっていた。

 その斜め南向い側にあった丸の内八重洲ビルは、その南の三菱商事ビルと一体開発の丸の内パークビルとなっていて、角の塔が超高層ビルにくっついている。
 三菱商事ビルの跡には、コピー復元した三菱1号館が、超高層パークビルに従うように完成している。
 さてこの新三菱1号館を建築家・建築史家たちはどう評価するのか、タノシミである。京都の元第一勧銀ビルのように無視を決め込むのか、文化財の復元だとほめそやすのか。
   ◆◆
 今日は、隅田川花火大会の日であると知って、見てこようかと思いついて、地下鉄東西線に乗って、どこで下りようかと路線図を見ていて、門前仲町が目に付いた。
 そうだ、あそこの駅近くにうまい魚を食わせる酒場があったぞ、と思い出した。ここで花火見物は二の次になってしまった。

 門前仲町に下りるのは10年ぶりくらいだろうか、あの居酒屋が未だあるだろうか、どこにあるか分かるだろうか、店の名前も思い出さない。
 でも酒飲みはすごい、すぐに見つかった。魚三酒場である。
 1階は味のしみこんだカウンター席ばかり30席ほど、昔はすぐには入れないほど混んでいたのが、土曜日のせいか不景気のせいか、その中の5席ほど空いている。

 冷酒で鰯てんぷらを食いつつ見れば、ほぼ満席になかに以前は見かけなかった若い女性が、6,7人いる。男ときている者や女二人連れも居る。女一人は居ないようだ。
 でもこんなうまくて安い店に女性も入るようになって、それはよいことだが、混み具合が進むのが困るような。
 酒2合、肴4品で1240円、美味くて安かった。
  ◆◆
 さて、花火を思い出した。隅田川の橋まで歩けば見えるかと、ふらふらと永代橋までやって来た。
 だが、花火は遥か遠くの北のほうで、ビルや高速道路の裏から、頭だけパッパッとみせていて、これでは見物にはならない。

 そばの豊海橋がライトアップされているのを見つけた。
 この橋はわが師匠の山口文象がデザインにかかわっているから、敬意を表しに行き、半分だけ渡ってもどってくる。
 この橋から永代橋の夜景もよく見える。

 それにしても橋をライトアップすると、なんだかそれは元の橋とは違うものに見える。
 河川や両岸の風景とあわせて結ぶ風景、そしてその構造技術の美しさ、それらがあいまっての全体像が橋の基本的な風景なのだが、ライトアップされると特定部分の強調となってくるので、昼間の太陽の下の橋とは別物に見える。
 それがよしあしではなくて、そういうものとしてライトアップデザインをしているのだろうか。

 川風が涼しい。 魚三酒場の冷酒の酔いがまわってきて、橋と水の夜景がだんだんとぼやけてきた。
 よりかかる欄干からドボン、、。

2009/07/22

157【ふるさと高梁】少年の日にあった日食の思い出

 ただいま2009年7月22日午前11時ちょっとすぎ、半分以上は太陽が月に覆われているはずである。
 だが、横浜あたりは空は雲のおおわれていて、なんだか薄暗いだけで、ただいま進行中の日食は目に見えない。

 日食といえば、いつも北海道の北にある礼文島を連想する。
 小学生のころに、皆既食ではないが印象に残る日食を見た。
 生家の神社の境内で、子どもも大人もガラスのかけらにローソクで煤をつけて眺めたものだ。肉眼でも見えるぞと、じっと見つめていたら確かに太陽の姿が見えるのだが、その後しばらく目が見えづらくなった。

 そのときは、礼文島が観測適地だったらしく、新聞に礼文島のことがよく載ったので、記憶に日食=礼文島が刷り込まれている。行ってみたいと思いつつ、いまだに行っていない。
 調べてみるとそれは1948年5月9日のことである。その日は雲のない晴天であった。

 その3年前の8月15日も雲のない晴天であった。その昼過ぎ、この境内を近所の大人たちが黙りこくって、列になって街に戻る姿を思い出す。終戦の天皇の詔勅放送を、神社の社務所に集まって聴いた後であった。

2009/07/18

156【老いゆく自分】昔々の大学山岳部員だったころ岩場から落ちて死にかけた

中高年の山登りが流行とかだが、その60歳前後の山登りツアー客が北海道の山で10人も一日のうちに死んだという報道である。
 それもなんと、雪崩や岩崩れではなくて、寒さによる凍死だそうである。
 お気の毒とは思うが、そのひとびとの歳が歳だから、大学山岳部OBとしては、この山行きはどこかおかしい。
 ガイドに率いられて10数人が出発し、男女年寄りが風雨のなかで疲れた人の度合いによって、ばらばらになって離れて歩いていったというのは、常識はずれの言語道断である。まずガイドの資質を疑う。
    ◆◆
 思い出せば半世紀も前のこと、大学山岳部では若かったから、結構無茶もしたような。
 夏の剣岳合宿でのこと、仲間と2人でその日の行動に出たところ、わたしはうっかり雪の急斜面を滑落したのだ。
 すぐにピッケルを刺してとめようとしたところ、雪面が切れて急な岩壁になってしまった。
 岩壁ではごつごつした岩に跳ね飛ばされるからもう駄目だと観念して、ひょいと下を見たら小さな岩棚がある。
 うまい具合にその棚めがけて飛び降りて、ようやく滑落は停まった。下は絶壁である。
 死ぬ直前だったから、しばらくはショックで息が切れて、座り込んでいた。
 どれくらいそこにいたろうか、上にいる仲間の声にわれにかえって、のそのそと落ちたところを登って仲間の隣に戻った。 
 わが身を見れば、擦り傷はあちこち、すねに打ち身、ズボンはビリビリになっていた。岩場のせいである。
 その日の予定行動は取りやめてキャンプ地に戻った。
 それでも歩けるから、すねの打ち身を揉みながら合宿は続け、岩登りもしたし穂高までの縦走もした。
 そのときは合宿が終わってから横尾に残り、屏風岩の第2ルンゼを登ったのが、わが岩登りの最大ルートであった。つまり全く反省しないのであった。
◆◆
 この滑落は、わが人生の最大ショック事件で、それから半世紀後の去年、山岳部同期生のあつまりで、そのときに一緒だった相棒にこの事件を話して、ショックだったよな~って言うと、そんなことあったっけ覚えていないよ、と言う。これまたショックであった。
 不思議でさえあったが、人の生とは人それぞれにそういうものなのである、、自分でも言ってることがなんだか分からないが、、、。
 この山岳部同期仲間からどえらいやつが出た。ノーベル化学賞の白川英樹である。
 合宿テントの中で俺があいつに化学を教えてやったからなんだよって、受賞当時にヨタ話をしたものであった。
 なにで受賞したか当人から話を聞いたが、何のことだかさっぱり分からなかった。
 ときどき中高年の山登りに誘われるが、行かないのである。昔の山と今の山とは、風景も人もおおいに違うだろうから、それを見たくない。が、本音は、もしもバテたら昔山岳部として恥だからである。
 大学山岳部時代には夢のまた夢だったヨーロッパアルプスの山登り(正確には山降りだが)に、2006年に行ったからそれで満足である。
参照◆昔山岳部その2
参照◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
参照◆アイガー北壁

2009/07/16

155【怪しいハイテク】出るばかりで浄化できずに貯まるばかりの電気のウンコ 

 電気はクリーンエネルギー、つまりきれいな動力源だから、電気自動車も環境によいのだって風潮がこのところあるけど、ほんとうかしらと疑問に思っている。
 今朝の朝日新聞東京版10面に、『使用済み核燃、貯蔵限界 再処理動かず原発ピンチ 「中間貯蔵」整備急ぐ』とて、原子力発電所で使い終わった核燃料がたまり続けている記事が載っている。
 ようするに発電したあとのゴミ処理ができないで、どんどんたまっているのだ。そのゴミが簡単には始末できない放射性物質だから、処理は容易なことではない。

 その処理工場を青森県六ヶ所村に作って試運転しているのだが、不具合続きで本格運転ができないのだそうである。
 工場にはこれまでの12年間に、ウランの量にして2500トン分が貯まっており、満杯に近づいている。各原子力発電所の敷地内にも核燃料ゴミは置いてあるのだそうだ。

 核燃料ゴミの量と環境汚染との関係は知らないが、なんにしても処理できない放射能ゴミが貯まり貯まっていけば、問題が起きるに決まっている。
 素人考えで不思議なのは、処理方法が確立しないのに、どうして放射能ゴミを出す発電を平気で行なうのだろうか、ということである。

 例えてみれば、口から美味いものを食うばかりで、尻からウンコは垂れ流しなのである。いやまあ垂れ流しはできないから、ウンコダメをあちこちに作っているが、そこで盛り上がっているままにしているのである。いつか溢れて流れ出すだろう、キタナイ、、。

 これでもクリーンエネルギーなのだろうか?
 江戸のウンコは下肥として、例えば川越のサツマイモになった。
 電気のウンコは、何か美味いものになるのだろうか? 
  
参照→・くたばれ乗用車

2009/07/14

154全国市長会で講演「伝統文化を活かした地域再生の可能性」

 「全国市長会」から講演の依頼が来た。
 日本各地の市長さんの会であって、税金で運営されているという。 そこの経済部の地方の活性化に関する検討会とて、「伝統文化の再生と地域の活性化』というテーマで、なにか話をしてほしいとのこと。
 おお、市長さんがたには言いたいことがいっぱいある。伝統文化にかこつけて、言いたいことを言ってこようと、喜んで引きうけた。

 7月7日の午後、東京は平河町の全国都市会館には、東北から九州まで25市長と、その随行の市役所職員が倍くらいいた。
 わたしが市長さんたちに訴えたかったことのひとつは、地方都市の郊外部のあまりに汚いので、これに気がついて早くなんとかしてほしい、ということである。
 わたしが撮り貯めている全国各地のいくつもの汚い郊外風景の写真と、その街の中心部の美しい風景とを対置してみてもらった。玄関にこんなにゴミを積んでおいて、それで観光に来いといっても駄目なのであ る。 
   参照→日本全国醜い風景アルバム

 もうひとつは、どこでもなんでも再生とか活性化とかの政策ばかりに金がつくが、人口減少する日本のどこもかしこも再生や活性化はできっこないのだから、もう一方の政策として山や村や街を閉じる政策、しかもそれを幸せに閉じる政策が必要である、ということである。
 このことは市長も役所の人も、心に思っていても絶対に言えないことだ。たちまち大反対にあうだろう。つまり総論としては必要だが、各論としてどこを閉じるかとなると大騒動になるからだ。わたしのような、何のしがらみのない者だからこそ言えることだ。

 多分、政策として理解されるのが難しいだろうが、今すぐ始めなければならないのだ。現実にやむをえず閉じつつある農山村や商店街が日本にいっぱいあるはずだ。
 今のように多くの人たちが、超高齢化してやむをえず農山村から街に移り住んでも、それは幸せなこととはいえないことが多い。

 それに対して何の政策の手を伸べずに、負け組だからほっておけでは、もう見過ごせないときが目の前にきているのだ。もう遅いかもしれないくらいだ。
 このことは誰もがわかっていても、簡単には言い出せない。 
 さあ、どうする、市長さん?(090707)

 参照→地域のしまいかたを考える
 
 講演全文→伝統文化を生かした地域再生の可能性

153【言葉の酔時記】こちらアイスクリームとなりますと言うので、そうなるまで待っていたら、 

 このごろ「・・・となります」と、言葉尻を結ぶのをよく聴く。
 居酒屋で、「こちらビールとなります」(未だ醸造中なのか、出来立てビールになるにはどれくらい待つんだよ)
 喫茶店で、「こちらアイスクリームとなります」(なるまで待ってると溶けちゃうよ)
 鉄道駅で、「まもなく列車の到着となります」(人間が運転するものと思ってたら、自然にやってくるものだったか、)
 旅行の広告に、「このツアーは2人部屋となります」(と言うことは、これまでは1人部屋か3人部屋だったのか、)

 もともと「・・なる」とは、「現象や物ごとが自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわす」(広辞苑第4版)ことである。
 転じて特殊な使い方では、「(そのことが自然に生ずる意から)〓高貴の人の行為をあらわす」とある。 ビールや列車が高貴の方になったのではあるまい。

 普通なら、「アイスクリームでございます」、「ビールでございます」、「列車が入ってまいります」、「2人部屋でございます」というのだ。
 世の中、普通でないことが多くなった。こちら老人となります、、、。

2009/07/08

152【言葉の酔時記】まったくもって無礼な電話屋の言葉遣いだぞ

 電話屋のNTTから「ひかり電話ルータの不具合に関するお詫びとバージョンアップのお願い」なんて長たらしい郵便が来た。
 ルータってなんだ、バージョンアップったあなんのことだ、日本語で言えよ。

 要するに、NTTが売った電話機と電話線をつなぐ機械(これをルータというらしい)が欠陥商品と分かったので、買った客が自分で治せ、というのである。
 そりゃないでしょ、欠陥商品なら治しに来るか、欠陥のないルータを持って取替えに来るのが、世の常識だろうよ。

 治し方を書いてあったので治したけど、来た文書を読み電話機に取り付いて治しおわるまでに20分はかかったぞ、それに加えて本当に治ったか確認のために天気予報にかけたから、その人件費と諸経費と通話料はどうしてくれるんだよ。
 そりゃまあ、たいした金額じゃないけど、でも100円くらいになるだろうよ(時給300円か、安いな)。光電話加入が何件あるか知らないけど、仮に100万件なら合計1億円だぞ。そんだけNTTは自分が原因の損失を免れて、消費者に負担をかけたのである。

 わたしの場合は一番簡単なやり方で治ったけど、それで治らなかったらという方法の、ひかり電話サイトにPCをつかって入ってやることになったら、もっともっと時間がかかるはずだ。
 お詫びとは言いつつ、こっちで治すのが当然の言い方、誰でもこれくらいは知っているみたいなカタカナ用語(ルータ、バージョンアップ、ファームウェア、プログラム、アラーム、INIT,CONFIG)を使って、とにかくそれが気に食わない。

「バージョンアップを行ないます」なんて、いかにも性能を高くするのをタダでやらせてやるみたいな言い方だが、要するに欠陥の修理である。
 「修理を致しますので、お手を貸してください」と言いなさいよ。

 コンピューター関係業者も礼儀知らずだけど、電話屋も無礼である。
 それにしても、買ってから6年9ヶ月経ったら、電話が自分で死んでしまうんだってさ、、バッカみたい。

 多分、この光電話を始めてから今頃が6年9ヶ月なんだろう、どこかでうんともスーとも言わない電話になってしまって、どうしたんだよって文句が出て、おやそうなのかってはじめて「ファームウェア(機器のプログラム)の不具合があり」って、欠陥商品だったことが分かったのだろう。

 この次はどんな欠陥が出て、どんな修理のご指示をいただくのか、タノシミである。
 あ、そうだ、これからは何か間違ってたら、ではバージョンアップします、って言おうっと。

2009/07/05

151【老いゆく自分】長い会議でも疲れない術は話の半分も聞かないでいること 

 一昨日は横浜都計審であった。2時間半ほどのけっこう長丁場の会議だった。会議のあいだを、きちんと聞いたり見たり読んだり言ったりしてすごごすのは、けっこう疲れるものだ。
 横浜都計審でのわたしは、多分、委員発言のうちの半分近くの時間を占拠してしゃべっていた筈である。でもちっとも疲れないのだ。

 それには、わが師匠から45年前に伝授してもらった秘訣があるのだ。わたしも歳とったから、このあたりで公開することにした。
 藤田邦昭という日本の都市再開発コンサルタントの草分け的な人がいた。8年前になくなったが、わたしが大学出てかけだしの頃、再開発にかんする地域の人たちのとの会合に、かばん持ちでついてまわったことがある。

 たいていはそのような会は夕方7時頃からはじまり、とりとめめのない話がだらだらと8割以上はあって、とりとめあることは1割くらいである。だからといって、とりとめないことを省くことはできない。
 午後10時、11時頃までつづき、いろんな人のいろんなことを聞いていると、若くて体力はあっても、頭がへとへとに疲れるのである。

 ところが藤田さんは平気で、話をしたり笑ったりしているのである。わたしよりも10歳も年上である。
「ねえ、藤田さん、どうしてそんなに平気でやっていられるのですか」と聞いたものだ。
 藤田さん曰く「わしなあ、みんなの話の半分も聞いとらへんねん、なんかほかのなあ、例えばええ女のこととかそんなこと考えとるんや、そやけどなあ、なんか質問あったらさっとそれなりに答えることできるんやで、それがプロちゅうもんや」

 それ以後のわたしは、これを座右の銘にして世の中をわたってきたのである。
 体力と知力の両方の衰えを感じる昨今であるが、一昨日の都計審もこの秘伝の技で乗り切ったのであった。


2009/07/04

150【横浜都計審】都市計画審議会の市民委員は疲れるもんだなあ 

 昨日の横浜都計審は、無事に(文字通り)終った。
 つまり、わが提案やお願いは一蹴されて、議事は原案とおりに事も無く可決されたのだ。
 会場にはまちづくり仲間数名が傍聴にきてくれて嬉しかった。

 ご期待に応えるべく提案やお願いにがんばったのだが、やっぱりドンキホーテか寅次郎、あれあれというまに一蹴二蹴されたのであった。
 これまで2回の審議会で上手く主張が通らなかったので、今回は作戦を変えて、議案に附帯決議をつけるという提案をしたのだった。

 今度はうまく行って、これについて審議をシッカリとしてもらえた。
 結論はNOだったが、審議してもらえただけでもわが進歩はあったと思うこととする。
 ♪奮闘努力の甲斐も無く~♪というところを、少しは甲斐のあったかもしれない審議会だった。

 それにしても、議事資料がきてから5日間しかないから、暇人のわたしでも結構忙しかった。
 一番の問題だった廃棄物処理場付近の土地利用に関しては、現地に2回も足を運んで見てきのだ。それでこの地域に住宅を禁止する措置を取ることが、どうしても必要と提案したのだが、通らなかった。 

 審議会で感じたのだが、どうも、現地を見ている委員がいないらしい、いてもごくわずからしいのである。議員委員の方はご自身の選挙区ならよくご存知であろうが、。
 現地を見ないで都市計画を審議するのは、都市計画の本質から言って大問題だと思う。

 孤軍奮闘又負けた。
 疲れるような、楽しいような、こりゃボケ防止になりますねえ、。

●参照→横浜市都市計画審議会を改革せよ

2009/06/30

149【横浜都計審】都市計画審議会の市民員は忙しい

 横浜市の都市計画審議会の公募市民委員となって、3回目の審議会が2009年7月3日にある。この前は1月だったから半年振りである。
 その議事内容の詳細を記した議案資料が来たのが6月27日、開催日まで中5日間しかない。
 その間に、議事内容を読み、都市計画を決める現地を訪ね、議案書を読んでもわからないことを横浜市の担当者に聞きに行くのだ。これは忙しい。

 都市計画は土地にかかるものだから、現地を見ないとわかりっこないのだ。
 今回は現地を見る場所が3箇所だからまだよいほうだが、前々回は20箇所以上、それも横浜市全域に散らばっていたから、もう忙しいったらなかった。
 新米委員はこうなのだが、ほかの委員はどうなさっているのだろうか。

 まさか現地を見ないままで審議会に出席されているのではあるまい。
 でも、ベテラン議員委員や学識者委員は、現地を見ないでもおわかりになるのかもしれない。
 わたしも早くそうなりたいものだと思うが、なにしろ任期が2年しかないから、そうなった時点でクビである。

 この前の土曜日は、廃棄物処理施設の現地を見てきて、今日は横浜市で景観関係部局の担当者に質問に行った。なんと市の担当者が8人も雁首揃えていただいて恐縮してしまった。
 明日の朝も市の廃棄物処理施設担当の方に質問と、午後はもうひとつの現地見学である。その上で審議会提出用の意見をまとめていると、おお、もう開催日となるぞ。

 引退している今のわたしは時間があるからよいのだが、仕事の現役にいらっしゃる委員たちはどうなさっているのだろうか。
 とにかく新米素人委員は、審議会の当日にどうでもよいようなバカな質問で本質的な審議の邪魔をしないように、議案に対して審議すべき提案をきちんとできるように、事前に準備をするのである。
 マジメマジメクソマジメ、、だって私が当選したために落選した48人の応募者の代わりにがんばらなくっちゃ、。

参照→都市計画審議会を改革しよう

2009/06/29

148【東京風景】清澄庭園と震災復興共同店舗付き住宅

 東京の江東区に清澄庭園がある。
 元はあの蜜柑舟の紀伊國屋文左衛門の屋敷、19世紀末に三菱の岩崎弥太郎に渡り、今は東京都の公園となっている。
 久しぶりでたずねて、まずは公園の外で特異な建物が未だ健在であることを確認した。

 その庭園は変形5角形敷地なのだが、その2辺にそって薄くへばりついて、道路のほうに向って店を開く2階建て長屋があるのだ。
 これがまあ、なんともいえないレトロモダンというか、ライト風というか、ヘタウマというか、奇妙なデザインでえんえんと続くのである。
 いつだったか、このあたりをふらふら歩いていて、おお、なんだよこれは、不思議だよなあって「発見」してからもう20年以上はたっているから、もうあるまいと思ったのだが、一部歯抜けに取り壊されているが、ほぼ健在である。

 通称・清澄長屋と呼ばれて、関東大震災復興のときに建てたもので、東京市営の店舗つき住宅であったそうだ。当時の東京市の建築家が、同潤会に負けまいとがんばったのかもしれない。
 建て直してパークサイドマンションなんてしゃれて共同住宅にすることもできそうなものだが、いまだに2階建てに自主個別増築してほぼ全部3階建てである。
 あちこちに色々と手が加わっているが、よく見ると当初の面影が色濃く見えて楽しい。

 この清澄長屋発見のときに、もうひとつ「発見」したのが街角に立つ妙な古臭い鉄筋コンクリート3階建てアパートであった。
 四つ角に向けて角を丸くしたところに階段のある入り口があり、格好つけた階段を登り廊下を見ると各戸の玄関が引き戸であった。
 これは同潤会清砂アパートという、やはり震災復興によるものであった。

 このたびここも訪ねたら、あんとまあ、超高層ビルになっていた。再開発事業で建て直したのであった。例の角の丸い階段のところは、今度はガラス張りで丸くなっていた。

 清澄庭園にも入ってみた。
 美しい日本庭園の向うに、にょっきり、ぼっくり、ひょっくりと、ベタ~っと、現代押しかけ借景ビルが頭や胴なかをのぞかせているのは、どこの庭園も東京にあれば宿命なんでしょうね。

2009/06/25

147【怪しいハイテク】ケータイをドジモからソフトバカに替えた

 懐中型無線式情報通信装置、いわゆるケータイを買い換えた。
 2年前まではドジモって通信屋のケータイを使っていたが、ソフトバカって通信屋が安い料金コースで売り出してきたし、番号を変えなくてもよくなったので、そちらに乗り換えたのだった。
 よくわからないが2年間のうちにまた乗り換えたら多額の金を取るぞって、契約書に書いてある。まあいいやと、そうした。
 ところがそのソフトバカ電話機は、あちこちつながらないエリアが多いのである。数名の仲間と一緒に行動しているときに、わたしだけつながらないことも多い。よく行っている中越山村の法末がまさにそうである。
 でも貧乏人は2年を我慢したのだ。ドジモに替えることにした。
   ◆◆
 さて、ドジモであるが、何でもいいから一番安い機器と料金にしてくれと、店のお姉ちゃんに頼んだのである。
 なんでもいいっていいながらも、デザインが気にかかる。年寄り向けのもあったが、あれはデザインが悪すぎるぞ、バカにするな。
 一番安いのにしても、変更イニシャルコストは、手続料金5250円、電話機代金7245円(どういうわけかいろいろな理由をつけて2万円以上も割引である、それならはじめから安くしてもよさそうなものを、)がかかった。あ、この原資は低額給付金だな。
 なんだかいっぱい分けのわからない料金コースやらガキの喜ぶ機能があるけど、電話がかかってくればいいよ、たまにはこちらからもかけるけどね、インタネットはモバイルPCでやるし、テレビもゲームも嫌いだしね、なんて頼む。
 で、月当たりランニングコストは、基本料金980円+利用料金(40円×利用分数ー1000円≧0)で、見かけ上は安いが本当に安いかどうかわからない。
 それでもその手続きやら設定に1時間以上かかった。これが普通なのか彼女がドジ子ちゃんなのかわからないが、けっこう大変なんだなあ、人件費もかかるなあと思ったのであった。
   ◆◆ 住所のわかる身分証明を見せろという、ちょうど持っていた健康保険証と健康保険料領収書をだした。で、それをスキャンしてデータコピーしようとする。
「おい、ちょっと待った。なんでそのコピーがいるんだよ、住所確認できたらそれでいいのだろ、わたしの保険料まで知る必要ないでしょ、個人情報についてもっと注意しなさいよ」
 彼女はびっくりして、となりの先輩らしい女性に聞いている。で、コピーは、やめになった。
 でも、こんなこと誰も言わないのか、教育受けてないのかって聞くと、
「ハア、流れで作業していて、すみません、たまにあります」 
 またもやうるさい爺でした。
 外で人と話をするのが、だんだんといやになってくる。相手をいやなるではなくて、あれこれとひっかる自分がいやになってくるのだ。

2009/06/24

146裁判の誤判事件にわが身に起きた誤診事件を思った 

 誤判事件が今話題となっている。
 DNA鑑定の結果で有罪判決を受けて服役してしまった人が、そのDNA鑑定が間違っていたとなって、再審裁判で無罪になる予定だそうだ。
 名誉は挽回しても、服役した17年の人生は絶対に戻ってこない。国家賠償金もあるだろうが、時間は不可逆だから購いようがない。生物である人間の宿命である。

 わたしにも似たような?ことがありえた事件があった。いや、犯罪じゃないんだけどね。
 誤判ではなくて誤診である。
 2002年から2004年にかけて、左股関節に異常が起きて、医者が言うには
「大腿骨頭壊死症といって、治療方法のない絶対に治らない国指定の難病である、悪くなった骨を切り取って人工関節に取り替える手術しかない」
と診断された。
 その経緯は「にわかハンディキャッパーは誤診だったに書いているから、ここには詳しいことは繰り返さない。

 わたしの場合はさいわいに、手術の前に自然治癒したから誤診とわかったのだが、どうせ手術するなら体力のある今のうちにやろうとも思っていたので、
「先生、チタン製人工関節に取り替えて、わたしを鉄人にしてください」
なんて早とちり手術していたら、あとで誤診とわかっても人間の身体は不可逆だから、もう取り返しがつかなかったのである。
 誤診のままに手術をするということは、誤判のままに刑に服することである。さて、上の誤判のように、後で誤診とわかるものかどうか、そこが大問題である。

 医療行為は、裁判のように公判、つまり公けに証拠が維持されていなくて、全くのブラックボックスであるから、どうやっったら誤診だったと見抜くことができるのだろうか。
 実はそのような誤診・手術・不可逆被害の事例はあるかもしれないと思うと怖い。
 昨年、母を送って焼骨を拾うとき、人工関節のセラミック製ボールがきれいな形のままにあった。みょうに生々しかった。

2009/06/22

145【怪しいハイテク】総務省を騙る悪質商法か、TV血出痔化への準備とは

 総務省からお手紙が来た。また低額給付金くれるかと思ったら、「血出痔の準備、お願いします」というパンフが入っている。

 2011年7月24日以前のテレビ画面は富士山が写っていて、25日は白いゴマが沢山写っている。どうしてかわからないが、要するにその日から今のテレビが見えなくなるそうである。
 だから、総務省がお詫びに補償金を支払ってくれるって、そういうお知らせだろうと読んでみる。でも、そんなことは書いてない、ヘンである。

 血出痔は思ったより簡単に始められます、なんて書いてある。
 テレビを買い換えろ→4万円、チュナーを買え→1万円から4万円、ケーブルテレビにしろ→2万円から10万円、、、。
 え、おい、当然にその金をくれるんだろうね。

 もしも金をくれないのなら、なにが「思ったより簡単」なんだよ、その金の工面がえらく困難であるぞよ。
 「悪質商法にご注意ください」なんて書いてあり、どこかの名をかたって不正請求するヤツがいるから気をつけろとある。

 そうかあ、わかったぞ、これって総務省を騙る悪質商法のパンフにちがいない。
 だって、近いうちにテレビ放送が止まります、続けて見たいならあれやこれやお買いなさい言っているじゃん、これこそ悪質商法のきわみでなくてなんであろう。

 本当に総務書からのパンフなら、「政府としてこう決めました。国民の皆様に不利益を与えることになりますので、憲法第29条によって補償金を支払います」って、こう書いてあるのが常識のように思うぞ。
 ねえ、そうでしょ、いちゃもん好きの鳩山総務大臣さんよ、あ、そうか、もうやめたのか、逃げ足が早い。
 関連→124地デジ血で痔

2009/06/21

144【世相戯評】エコさえつけば何でもOKでエコポイ、エコツーのバカ 

 ちかごろエコがつけさえすれば、なんでも許されるみたいな風潮がある。
 省エネ家庭用電器電製品を買うとエコポイントなんて点数がついてきて、それの点数に応じて271の商品・サービスと交換する「おまけ」つき制度を、政府が作るのだそうだ。
 買い替えがどうしてエコなんだよと、いちゃもんは既につけた。→120エコ商品購入補助金のバカ 

 こんどはポイントと交換できるものを決めたらしい。そこにはビール共通券があるそうだ。
 え、ビール飲むとエコロジーなのかい、なんでだろ、でもうれしいねえ、わたしは痛風になりそうで減ビール中なのだが、それなら飲むの復活するかなあ。健康よりも大切なエコのために、、。

 商品券、電子マネーなんてのもある。ということは、全然エコロジーでない品物を買うこともできるのだから、なにがエコポイントなんだよお、おい、ええかげんにせえよ、。

 旅行券もあるそうだ。旅行してエコロジーになるのかしら。
 世界遺産となった屋久島に観光客がわんさとやってきて、例の縄文杉のあたりは人間が踏み付ける、ゴミ捨てる、オシッコする、ウンコするで、自然破壊がものすごいそうである。
 そこで「エコツーリズム推進法」の初適用を目指して、入山制限をしようと検討中とか、。え、そんな法律あるの?

 「エコツーリズム推進法=過剰利用地域の立ち入りを制限して観光資源の保護を図ることで、ブランド力を高め、観光振興との両立を目指す。環境保護意識の高まりを受け、議員立法で成立。罰則もついた。屋久島は霧島屋久国立公園の一部だが、国立・国定公園以外でも適用できる」 (とYOMIURI ONLINE)

 なにいってんのよ、観光で人を呼び込んだら自然は荒れるに決まっている、両立なんてありえないって、わかりきっていることでしょうに。
 基本的に人間てものは、自然にとっては天敵であって汚いものなんですよ。

 自然環境をよくしようなんて言って「親水空間づくり」が流行ったことがあるが、あれって水を汚す一方なんですね。親水どころか遠水して、人間を遠ざけるほど自然環境にとっては良いのだ。
 エコってのは、自然に対する人間の介入をやめるか、できるだけ少なくするしかないはずである。

 製造工場でCO2を出すビールを飲んで、ゴミや交通負荷を増す自然探訪観光旅行をして、原子力廃棄物を出すし排気ガスもだすハイブリッド自動車に乗って、それでエコロジーだなんてチャンチャラおかしい。

2009/06/20

143【法末の四季】法末にさわやかな夏が来て田んぼの草取り

 今年も棚田の米つくりである。
 田植えには都合悪くて行けなかったが、その2週間後の草取りに、同年の友人FとTの二人を誘って行ってきた。
 地下足袋を履き、鎌を持って田んぼに入ると、ひんやりと気持ちが良い。

 棚田だから田んぼと田んぼの間は高さ2~3メートルの急斜面で、そこに雑草がはびこっているのを刈り取る。
 年寄りたちだから腰が痛くならないように、一生懸命にやらないでチンタラやろうよ、と注意しつつ鎌を振るう。
 草刈機で刈ればわけはないのだが、そうすると田んぼの水面に刈った草が落ちてしまうから、手で刈って斜面に押し付けておくのだ。

 ときどき腰を伸ばして美しい棚田風景を見渡すと、早朝の梅雨の晴れ間の陽はゆるゆると照って、暑くもなし寒くもなし、薄いもやがかかる緑の田や森や山が伸びやかである。
 そばの林の中から、ウグイス、ホトトギス、カッコウがしきりに鳴き声を響かせる。ケキョケキョケキョとウグイスは谷渡り、ホトトギスはトッキョキョカキョク、カッコウはクックー、それぞれに面白く鳴くのをどうも頭がオノマトペにして聞いてしまうのが、われながらおかしい。

 朝飯前の仕事にして9時頃に終えて食事をして、洗濯やら掃除そして昼飯の握り飯弁当を作って、今度は尾根道にトレッキングに出かける。
 農道が棚田群を結んでいるから歩きやすいのだが、遊歩道ではないから案内板にはめったにお目にかかれない。

 2004年の中越大震災で棚田もあちこち崩壊して、土木機械で復旧工事をした。
 昔からの棚田は、人力で小さな水平面をいくつも作って重ねてつくったから等高線に沿った曲線である。
 これに比べて、土木機械で作った棚田は幾何学的な直線や円弧となっているから、すぐわかる風景である。
 緑濃い中越の山の植生にも地形にも、震災がもたらした大きな影響が見える。

 あちこちに大きな斜面草地が現れるのは、耕作を放棄した棚田である。茅が背丈ほどにも生い茂って、段々の地形も畦道も消えつつある。
 放棄棚田を棚田に戻すことは耕作者がいないので不可能だろうから、これを早期に森に戻す方法はないものか。放棄のままでなく、農地から林地への適切な移行計画、農業から言えば縮退計画、林業から言えば拡大計画が国土の保全のために政策として必要なようである。

 地図にある一周して戻るはずのたどっていた農道が、茅の茂る草地斜面の中でとうとう行きどまりになっってしまった。棚田を耕作放棄したので道も震災復旧しなかったからだろう。
 しかたないので来た道を戻って、往復6時間半、約10キロのぶらぶらハイキングだった。

参照→●中越震災の山村で棚田米をつくる

2009/06/19

142【世相戯評】政府がなんでも低額給付金ってのをくれるとか

 金持ち財閥のアソウさんがポケットマネーから配ってくれる(のであろう)低額給付金を、わたしの銀行口座に振り込んだと、横浜市からお知らせが来た。

 この時期は、県市民税とか固定資産税とか健康保険料とか諸会費とか、いっぱい請求書が来るので、夫婦二人分4万円では文字通り低額(もしかして定額だったかも)過ぎて、口座に記録はあれどもあちこち引き落しの中に溶け込んで薄まって消えてしまった。

 日本の世帯数は約5千万、ここにお知らせ葉書を2回配ったり振込み手続きをすると、なんだかんだでどれくらい費用がかかるものだろうか。
 1世帯あたり100円としても50億円、エッ、計算違いじゃないよな、。

 そこでまじめに調べたら、総務省から都道府県や指定都市の担当部局宛の「定額給付金給付事業に係る留意事項について」(2008年12月20日付け)という事務連絡書類がインターネットに公開されている。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/2008/pdf/081220_3_1.pdf

 それを一部引用する。
「本日、政府は平成20 年度補正予算(第2号)案を閣議決定したこと。
 今回の補正予算案においては、「景気後退下での生活者の不安にきめ細かく対処するための家計への緊急支援」として定額給付金を給付するために必要な経費2兆395 億13 百万円(給付金額1兆9,570 億円、給付に要する事務費825億13百万円)を計上していること。」 

 そうかあ、50億円でびっくりなんて貧乏人素人のあまりにいい加減で、なんと825億円もかかるのだ、ひょえ~っ。
 これを減税にすれば通常の徴税費用でまかなえるだろうに、なんでだろうか。多分、税金を払えない低額所得者にも低額給付金をと、アソウさん流の施しであろう。

 上の書類に「景気後退下での生活者の不安にきめ細かく対処するための家計への緊急支援」とあるから、家計支援に消えたわが低額給付金はそれなりに役に立ったことになるのかしら。
 アソウさんちでも「家計への緊急支援」となって、多分、大根でもお買いになったことだろう。

2009/06/18

141【言葉の酔時記】買い物問答

 このところつれあいがぎっくり腰なので、近くのセルフサービス店に買い物に行く。
 いつもは自分の呑む酒類しか買わないのに、今は野菜や肉を買う。あまりに色々あって、何を買ってよいかわからない。

 必要なものや必要でないものやらを籠に入れたら、出口でまとめて精算をする。そこで現金を払うときに、その勘定係のおばさんとか姉ちゃんからいつも質問される。
「ポイントカードはよろしいですか」
「え~っと、それってポインカードを買えって宣伝ですか、それがないとこの店では売ってくれないの?」
「あ、いや、むにゃむにゃ、」
てな会話をする。

 時にはこうも言われる。
「ポイントカード大丈夫ですか」
「え~っと、それって暗証番号の記憶とか、期限切れとか、そんなことが大丈夫かって心配してくれているの?」
「あ、いや、むにゃむにゃ、」

 時にはこうも聞かれる。
「ポイントカードをお持ちでしょうか」
「いいえ、持っていません」
「はい、わかりました」
 なんだ、そういうことかよ。

2009/06/10

140【老い行く自分】死ぬ前に買えとか経験せよとか年寄り脅迫市場に乗せられつつある

 モデルチェンジを次々とやって新製品を出しては売りつける、そんな商売人に乗せられないぞって抵抗してきているが、実は好奇心旺盛な新し物好き人間だから、大人の玩具にはあれこれと結構ひっかって無駄にしている。ワードプロセサー、パソコン通信、マイクロレコーダー、iPodなどである。
 若いときはあれこれ好奇心はあれども金はなしで、でもいつかはそいつをに入れるさと気長に構えて、モデルチェンジで初期故障がなくなった頃に目的を達成していた。

 ところが自分が高齢者になった今は、好奇心と寿命とが競合を起こしつつあることに気がついた。
 気長に構えていたら自分の命が尽きて、物もよくなり金もあっても、手に入れることが絶対に不可能になるのだと気がついた。まったくもって今頃になって、である。

 これから高齢者が数が多くなるから高齢者市場が有望であると、だいぶ前から世の中は言っているが、そうなのか、高齢者になにかを売りつけるには、そういう脅迫を裏に含ませれば容易に市場は広がるのだ。
 われとわが命に急きたてられて生じる脅迫観念が、要りもしないものを求めるようになる。

 新製品やモデルチェンジの製品のキャッチフレーズは、「熟年のあなたに、今だからこそこれがお役に立ちます、後でよいと言っていると遅いですよ」と言えば売れるのだ。
 そういえば旅行だって、高齢者というか中高年オバサンが特に多いのも、今のうちに行かないと、亭主がボケたら行けなくなる、自分が足腰立たなくなる、目が見えなくなる、ボケる、今のうちに行っとこう、てなことである。
 どうもこの年寄り脅迫市場にひっかりそうである、あぶない。

 ただ、コンピューターの類は、アメリカから来たらしく若い者を相手にしている風潮であるが、これだっていずれは老人市場に入ってくるだろう。
 そのときにはどう脅迫するのか興味があるが、その頃こちらは脅迫されても、もうなんのことかわからぬ歳だろうなあ。残念。

2009/06/09

139【怪しいハイテク】何回も何回もモデルチェンジしつつそのたびにMachintoschも稼ぐのか 

 昨日はWindowsのモデルチェンジで稼ぐガメツイMicroSoftのことを書いたら、今日はMachintoschが同じようにモデルチェンジだって。iPhoneのことである。
 Macもモデルチェンジで稼ぐのだ。
 そういえばiPodが初めて出て、すぐにiPod miniが出たので、喜んで買った。
 結構便利にしていたが、その後なんだか色々なiPodが出てきて、miniはまるで時代遅れ廃棄物扱いになってしまった。付属部品なんか廃止になって売っていないのである。 今は使っていない。

 前々からどうしてpersonal computerとmobile phoneとが別のアドレスを持たねばならぬのか、どうして家にあるip phoneとmobile phoneとは、番号が違わなければならないのか、疑問であるのだ。
 技術的な何かがあるのだろうが、それはわたしが知ったことではない。
 その面倒な別々システムについて、なんで世の人たちは文句を言わないのだろうか、不思議なのである。技術者もそんなことを思っていないのだろうか。

 わたしはもう40年以上も大昔に、ラジオ、テープレコーダー、カメラ、時計、計算機を一体化「ラテカトケ」なる製品を、既に考案していたものだ。もちろん名前だけだが、。
 まあ、それらしい、あるいはそれ以上の機能一体化した製品は出てきつつあるが、どこかもうひとつの感がぬぐえないのだ。

 iPhoneが初めて出たときに、Macならばやってくれそうだ、買おうかなと喜んでみたが、どうもどこか違うのである。
 インターネットができる携帯電話だというのだが、プロバイダーもメールもPCとは別契約だというので、余計な金払うのも馬鹿らしいので買うのをやめた。
 今度の新しいiPhone3GSとかはどうなんだろうか、宣伝動画を見たのだが、まあ、なんだかんだと機能があるが、ガキの遊びが多すぎて、ジジのビジネスにはどこかチグハグ感を免れない。

2009/06/08

138【怪しいハイテク】何回も何回ものモデルチェンジで稼ぐマイクロソフトの戦術にひっかかった 

 こんどはウィンドウズ7だってさ、年末発売のマイクロソフトのOSだそうである。
 ついこの間、VISTAなんてのが出たような気がするのに、またかよ。
 えーと、95、98、ME、2000、XP、VISTAと来て七つめだからセブンなのか、。平均2年に1回のモデルチェンジであるな、MSさんもえげつない商売に励んでいることよ。

 ま、わたしは今のXPで結構ですので、関係ないけどね。もっとも、その前に98、Meと買わされているのが癪である。
 でも、わがPCもいつか寿命がくる。自分の寿命が先に終わるかもしれないが、今のところ多分PCのほうが短命だろう。
 そうしたら買い換えるときに、XPがまだあるかどうかが問題となる。

 いっそのことMACに戻るかとも考えるが、MACからMSに転向して長いから、昔のMACと違うので覚えるのが大変だよなあ。
 いや、まてよ、先日VISTAにちょっと触ったが、XPとはとんでもない大違いで、面食らって早々に退散したのだった。
 だから、MSの新OSに乗り換えようが、MACに乗り換えようが、面食らうのは同じだろうから、これはまたMACにするかなあ、。

 でもなあ、どっちにしても新しいOSの操作に慣れるまでとか、愛用するソフトウェアのインストールとかの面倒なことといったら、あれほど馬鹿らしいことは無い。
 だって、その作業には何も創造的なことは無くて、わかったとき、インストール終わったときがゼロからの出発点であり、それまではせっせとマイナスの作業ばかりやらされるのだ。

 まあ、ボケ防止にはなるか、いや、腹がたって頭に血が上り、脳梗塞とかでボケが進行するかも、、。

2009/06/06

137【くたばれ乗用車】車に乗らないでこそエコなんだからオレにEV補助金240万円よこせ

 もう、怒ったぞ、自家用車に乗らないわたしに税金(補助金)をよこせ。
 今日の新聞(2009年6月6日、朝日、東京版)を見ると、三菱自動車が電気自動車(EV)を売り出す記事がある。
 なんだかもてはやしている感があるのが、気に食わない。
「発電過程時などを含めても排出量はガソリンの3分の1」ですみ、「東京電力の試算では全ての乗用車がEVになると日本のCO2排出量は8%減少する」とある。

 本当だろうか、根拠を知りたい。
 EVの生産、買替え廃棄車の処理、原子力発電の廃棄核物質の処理(処理方法がないから未来にツケを送っている)にかかる排出やコストを計算した上でのことだろうか。
 あちこちの関連ウェブサイトを見ても、それが具体的に分かるものはない。製造業者や政策担当者は、それをぜひとも示してほしいものだ。

 一番気に食わないのは、その三菱のEVは460万円のところを、例えば横浜市で買うと国と県市補助金を合わせ240万円も出るので、220万円で買うことができることだ。エコ政策らしい。
 これってホントかよ~、おい、でもこれってホントならずいぶんおかしいぞ。
 だって、自家用車を持たないで、普段は歩くか電車かバスに乗るわたしが一番のエコなんだぞ、おれに240万円よこすのが当たり前だろ、何でくれないんだよ。

 220万円も払える金持ちの個人の所有物に税金をやってどうするのだよ~、わたしのような貧乏人で自家用車にも乗れない者には、大大大不公平である。憲法89条違反だぞ、、、でも、オレにもくれたら違反じゃない、低額(定額だったかしら)給付金みたいにね。

120エコ商品購入補助金のバカ 
116エコカーに買替え補助金のバカ

2009/05/29

136【お遊び】友人の畑に作業小屋を設計施工で建てたのだが、、

 何十年ぶりだろうか、建築の実施設計図を描き、しかも初めて施工までした。
 といっても、わずか1間半×半間の物置小屋である。家具というには大きく、建築というには小さすぎる。

 韮崎に大学同期の友人Mが住んでいる。ロボット工学(情報工学かもしれない)が専門らしい国立大学名誉教授だが、自宅のそばにざっと千平米もの大農園があって、なにやら農作業もしている。
 その半分以上は雑草を育てている気配だが、その中にリンゴ、サクランボ、ナシ、クリ等の果樹が、まだ背丈くらいだがあちこちと植わっていて、その下にはてんでな方向の畝に、イチゴ、アスパラガス、トマト、チンゲンサイなどが育っている。ミョウガやフキは適当に生えてくる。てな具合の楽しい農作遊びをしているらしい。

 この3月に遊びに行ったとき、「雨水貯留装置プロジェクト」を手伝った。畑にやる水を、家の水道からバケツで運ぶのがいやなので、畑で雨水を貯留しようというのである。
 ようするに畑よりちょっと高い道端の地面に青テントを敷いて、そこに降った雨を低いほうの角に流して如雨露でタンクに流し込友人も畑にむという、不精なものである。一応は水がよく貯まっているという。
 雨が降らないと役に立たないのが難点であるが、雨が降ると畑に水をやる必要がないという矛盾もある。

 その次は、畑の隅に「肥料や農機具の収納小屋プロジェクト」であり、手伝ってくれと、Mは言い出した。

 家の裏壁に寄りかかる半間角の農具の物置があり、Mが木材と塩ビ板で自作しているのだが、どの面も長方形ではなくて平行四辺形というデザインに、少しは自覚して困っているらしい。

 そこで、昔々建築家のわたしに、既製品物置が簡単だけど、味気ないから設計しろ、という。ふん、面白そうだ、たかが物置だ、それくらいなら設計できる腕前は、まだ残っているだろう。
 で、二人でホームセンターに行って、日曜大工用品売り場をうろうろしながら、あれを使いこれを使いとアイデアを出し合った。
 それから2ヶ月くらいあれこれとメールやり取りして、設計図はできた。もちろん自分たち素人が施工するのだから、それなりの能力に見合うものでなければならない。
農作業小屋の設計図 
型枠用36べニア7枚から部材をきりだして組み立てる
建築設計やる者は当然に施工もやるものだと、Mは思い込んでいるらしかったが、わたしは施工なんてしたことがない。現場で施工業者に文句をつけた経験はある。
 1間半×半間の大きさにすると決まって、CADソフトなんて持っていないから、ペイントで設計図を描いたのだった。

 設計の一番のポイントは、2つの既製品スチール製棚を買い求め、これを1間半×半間の床板の上に左右両方に向かい合わせに立てて、この周りをベニヤ板で囲めば、スチール棚が定規になって、素人でも直方体がかっちりと建ち上がる、という点にあった。

 さて、基礎のブロックまではMがひとりでやって、5月27日午後、わたしとMは例のホームセンターに材料買出しである。
 ベニヤ板はコンクリート型枠用の、片面に防水コーティングしてあるものを求め、これを設計図にしたがってホームセンターで裁断してもらった。
   
 次の日からいよいよ施工である。朝5時起床でとりかかる。わたしはいつもは10時頃起きているので、時計が5時間も戻った。
 なにしろ、オーナーのMが早起きだから、設計施工出稼ぎお遊びボランティアのこちらは、泣く泣く目ヤニをこすりながら従う。

 まず、床板をブロック基礎の上に置く
 この上に、組み立てておいたスチール棚を持ってきて立て、3方にベニヤ板を取り付けていく。
 ここでもう、大変な見込み違いに気がついたのであった。

 そのスチール棚が定規になるどころか、なんとヘナヘナ鉄板づくりでベニヤ板のそりに負けてしまうくらいだし、直方体どころかM自作の物置なみの平行四辺形になるのだ。え、ナンだよー、おまえは鉄だろ、木に負けてどうする~。

 でもいまさらしょうがない、ヘナチョコ鉄棚をなだめすかし、ぶったたきながら、ベニヤ板をボルトで取り付けていくと、何とか納まったようである、まあ、近くによって見なければ、、。
 この治しきれないスチール棚ひずみが、後々まで響いた。この次には(そんな機会はないが)スチール棚を使わないぞ、ベニヤ板だけでやるぞ。

 そうやって片方の棚が立ち上がり、もう一方が立ちあがりそうな時に、突然の雷鳴、土砂降りになった。あわててビニールテントなどかけて、家に退避して休憩である。
 わたしの予定では1日で組立完了、次の日は補修とペンキ塗りで全部完了のはずが、この日は、昼寝(朝早いので)、雷雨で4時間あまり作業しなかったので、両方の棚を立ち上げて繋いだところで日没、床と壁はあるが屋根も扉もなくて終了となった。
施工順序
次の日も5時起きである。空が怪しい、そのうちにしとしとやって来た。いそいで屋根板を組み合わせ、乗せて取り付ける。
 雨は降り続き、雨具を着て作業である。とにかく屋根の取り付けまですれば、なんとか文字通りに雨露をしのげる。結局のところ、扉の取り付けと、細かい補修や補強を残して、昼過ぎに引き上げ、今回の工事はここまでとした。

 材料費は3万円ちょっとくらいだったから、既製品を買うよりもかなり安い。
 久しぶりの建築もどき日曜(正確には水木)大工仕事は、実に楽しかった。設計中も、久しぶりに昔のようなものづくりの知的興奮をちょっとだけ持った。
 Mも喜んでいたから、あとは畑作業の合間にぼちぼちとやるだろう。

(追記:6月9日)完成したとMから写真が来た。まあまあのできである。

 関連→119桃と桜花そしてブナの森へ

2009/05/24

135【横浜ご近所探検】横浜の磯子の海岸段丘の上にあった天皇家の王子様の夢の跡

 横浜の南の東京湾沿いに磯子という地域がある。昔は高い海岸段丘の下まで海が押し寄せていて、東京の別荘地だったらしい。
 昭和天皇の義弟の東伏見宮邦英(1910-)が、1937年に磯子別邸を段丘の真上に建てたのも、海の風景を眺めるのがひとつの目的だったろう。
 だが、海は1960年代に工業用地として埋立てが進み、目の前は豪華仏壇のごとくたくさんのお灯明がちらつく工業コンビナートが広がる。もう、保養地ではない。
 もっとも、ちかごろは工場萌えなんて変なマニアが出てきて、あの風景を愛でるとかであるから、見直されてまた保養地になるか、まさか、。 
→萌える工場達http://f.hatena.ne.jp/wami/20050215040849

 海の水ばかりじゃなくて、陸の緑のほうの埋立ても進んできた。東伏見宮別邸まわりの緑の丘陵が、住宅群にどんどんと埋めつくされていくのである。その変遷の様子を、この60年の航空写真に見ると興味深い。
 その東伏見宮別邸を買い取ったのが西武の堤康次郎であったのは、猪瀬直樹の書く「ミカドの肖像」のとおりで、王子様のお屋敷だからプリンスホテルになるのである。
 そして1954年に客室4室、60年に28室の横浜プリンスホテルが開業する。もうその頃は目の前の海の埋め立てが決まっていたか始まっていたはずである。とにかく営業をするが、次第に土地の切り売りをして住宅地にしていく。
 1990年、一挙に建て直しをして440室の大ホテルになる。あんな不便で景色もよくないところに、なんと村野藤吾の設計の豪華ホテルなんて、どうして?、という感じであったことを覚えている。一度だけ、なにかの会議だったかで行ったことがある。

 それからわずか16年、2006年に営業終了、2009年の今は歴史的建築の旧東伏見の別邸の木造建築の一部だけがあるが、そのほかは村野設計の15階建ての大ホテルもなにもかも、きれいさっぱりと取り払われて巨大な空き地となっている。
 風景はどうやら半世紀前に戻ったことになる。跡地は共同住宅開発のSPCが買い取って、いまは土地利用転換のための都市計画提案を地元などに説明中であるという。
 つまり、これで磯子は海の水側も陸の緑側も、両方共に埋立てが完了するのである。
 それにしても、あの大ホテル建築、しかも名手村野藤吾の作品が、たったの16年しか寿命がなかったというのが、おかしいというか、不審というか、もったいないというか、そういうものというか、奇妙な感じがする。

●横浜プリンスホテル史
http://www.k2.dion.ne.jp/~hkg/page287.htmlから抜粋、加筆)
・1937年 東伏見宮磯子別邸が竣工(設計施工竹中)
・1945年 終戦連絡局長鈴木九万が官邸使用(~947)、GHQフランス使節が使用
・1953年 西武鉄道が買収
・1954年 横浜プリンス会館開業食堂7室・客室4室
・1960年 横浜プリンスホテル新館開業(28室)
・1964年 根岸線(桜木町-磯子間)開業
・1966年 西武鉄道が磯子台分譲
・1977年 西武不動産が日本住宅公団にゴルフ場跡地売却
・1987年 横浜プリンスホテル営業終了
・1990年 横浜プリンスホテル開業(441室)、旧館は宴会場「貴賓館」
・1993年 「貴賓館」を横浜市が歴史的建造物に認定
・2000年 西武不動産が磯子プリンスハイツ販売
・2001年 「プリンスブリッジ」開通
・2005年 横浜プリンスホテルの売却検討を発表
・2006年 横浜プリンスホテルを特定目的会社に譲渡、
     東京建物が大規模住宅開発を発表、
     横浜プリンスホテル営業終了

 東伏見宮邦英なる人のことをウィキペディアで見ると、磯子の土地を手放した頃から京都の有名な寺院の青蓮院門跡の門主となって、京都古都税問題で京都市と争ったときの京都仏教界リーダーだったそうだ。8年の抗争の末に京都市はその税の廃止をしたから、勝ったことになるのだろう、頑固坊主らしい。
 大昔に、偏屈な将軍として有名な足利義教がここの門主だった。
 わたしは学生のときに卒論研究の調査で行ったことがある。話が逸れてしまった。
 ◆横浜ご近所探検隊が行く

2009/05/23

134【能楽鑑賞】関根祥六・祥人・祥丸という三代の能楽が楽しみ

 横浜能楽堂で、狂言「武悪」(ぶあく)と能「石橋」(しゃっきょう)を観た(2009年5月23日特別公演)。
 「武悪」の演者は、山本東次郎の主、山本則直の武悪、山本則孝の太郎冠者である。

 ストーリーとしては他愛もないのは狂言の常であるからよいとしても、前場が冗長であるのは則孝の技がまだまだだからと思う。
 武悪を斬ろうとしては何度も思い直すあたりが前場の重要なところなのだが、もう少し何とかしてほしい。

 それは後場になって、東次郎と武悪の偽幽霊との掛け合いで、東次郎の演技で技の磨き方がよく分かるのだ。なんでもないことを、あの無骨な身体演技で笑いにしてしまう東次郎はすごい。
 もともと無骨に演技するのが東次郎家狂言の伝統だから、和泉流のように過剰演技はしないのだが、最近はいくぶん無骨さがはがれている感もある。

 大獅子の小書きのつく「石橋」は、関根三代の出演である。子獅子(赤獅子)が祥丸、親獅子(白獅子)が祥人、爺獅子(大獅子、白獅子)が祥六、そろって舞台に登場するのはちょっと感動的である。
 そして3獅子はそれぞれ16歳、50歳、79歳に応じて、その若さ、円熟、枯淡の演技を見せてくれて、観ていて楽しかった。
 関根祥六と祥人は、わたしは好きな能役者である。さて三代目の祥丸がどう育っていくか、楽しみである。

 笛が一噌幸弘で、この人はほんとに上手い。かろがろとあの石橋を吹いてしまう。そこが問題か、。
 もう10年以上も前になるか、東京の日枝神社境内で幸弘の演奏会に行ったことがある。沢山の笛を前において、とっかえ引き換え吹くのであった。筒ならば何でも音にして吹くって感があった。

 太鼓の観世元伯、小鼓の大倉源次郎とともに、能楽界は若い実力ある世代に変りつつある。
 ワキの森常好は、ちょっと貫禄がつきすぎである。そういえば、ちかごろワキ方の鏑木岑男をみないが、どうしたのだろうか。

関連→050能「摂待」と「安宅」   ◆能を観に行く
    ◆野村四郎師に能楽の見方をきく

2009/05/22

133【言葉の酔時記】コンピューター用語はどうして東北訛りのイントネーションなんだろうか 

 マッキントッシュのコンピューターを、ずいぶん昔にはじめてコンピューターを始めた頃に使っていた。 2年くらいでウィンドウズに買い換えたが、いまでもマックへのある種の郷愁みたいなものがある。
 なにしろMACのほうがデザインが格段によいから、格好よさにあこがれる。
 その後の長いWIN使いで慣れきってしまったし、MACも昔とはずいぶん違うから、いまさら戻れない。

 それでも未練がましく、MACサイトでWINからの乗換えなんて動画を見ていたら、その解説の日本語のイントネーションに耳が引っかかった。
 こういうのは多分標準語でしゃべるはずだろうが、コンピューターだから当然に日本語に翻訳できない?単語のカタカナ語だらけである。

 もちろん英語だから、その元のイントネーションがあるはずだが、MAC解説者のしゃべるのと違う。まあ、違ってもよいのだが、それがどういうわけか尻あがり発音になるのである。そういえば、日常聞くそれらも変なものがある。

 ウィン、ヘルプゥ、ファイルゥ、フォルダァ、メールゥ、ドックゥ、アドレスゥ、ワードォ、ブログゥ、コメントォ、ウェッブゥ、ツールゥ、アドレスゥ、プリンタァ、ーグルゥ、サーバァ、データァ、フォントォ、モデムゥ、ルータァなどがそうである。
 これらの元のアクセントは前にあるはずなのに、どれも尻あがりである。

 外来語発音に標準語があるわけはないから、元のアクセントに倣うイントネーション発音してもなにも問題ないし、RとLの区別じゃないから日本人にも発音できそうなものを、どうしてだろうか。

 で、わたしが思うに、北関東や東北地方では尻あがりアクセントが多いので、その方面の出身者が多い東京あたりでつくる解説ビデオでは、外来語発音も東北弁傾向になるに違いない。
 これが関西弁傾向だと、多分、尻下がりになるのだろうが、どうなのか大阪あたりの人に聞いてみたい。

 参照◆言葉の酔時記 (2004~) 

2009/05/21

132【横浜ご近所探検】崖地はめこみ共同住宅

 ものすごい共同住宅を見つけた。
 横浜の磯子よりの海岸段丘崖ぎりぎりに、崖地に崖の高さに応じて4段構えくらいにはまり込んでいるのである。
 下から見ると、玄関部分の1スパンは崖下まで降りていて、ここは14階建てになっているらしい。その左は11建て階らしく、更に左端には崖が4階分せりあがって建物をがっちりと支えているのであった。

 右を見ると、8階建てくらいになっているし、写真では見えないが、更に右は5階建てくらいになって続いていた。
 屋根の高さは同じだから、下から地面というか崖がぼこぼこといろいろな高さに盛り上がって、建物を支えている格好である。
 こういうのは何階建てというのだろうか。

 崖下から入ることができるが、道路から車で直接入ることができない状況だったから、多分、崖上に車アクセスの玄関があるのだろう。
 全体の半分以上は崖に背中がくっついているらしいが、風通しはよいのだろうか。

 崖地に埋没というか一体化というか、崖地との取り合いの土木的な処理はどうしているのだろうか。土木工事がえらくかかっただろうと思う。斜面緑地は当然に失われたはずだ。
 こんなに高くつくような工事をしても、名ばかりマンションは売れるものなのか、。
 それにしても、建築と崖とのデザインは、そのモンスタラスな取り合いがアートとしては面白いが、生活空間の風景としては、いかがなものか。
 安東忠雄設計の「六甲の集合住宅」を思い出した。

参照→あらかじめ発掘された遺跡   ◆横浜ご近所探検隊が行く

2009/05/20

131【父の十五年戦争】父が兵役に就いた3つの戦争の記録をつくっているので戦争情報を下さい

 父の戦争日誌解読のために、資料を漁っている。
 これまで専門(都市、地域計画)や趣味(建築史、能楽)などについては、長い間に集めた書籍資料が書棚にあるが、戦争に関してはほとんどそれらしいものはなかった。
 この3ヶ月、いちから資料をあさることをやっていて、あらためてインターネットはすごい、これにわが人生が間に合ってよかったと、つくづく思っている。情報集めの能率は、昔と雲泥の差である。
 戦争資料はもちろん山ほどあることが分かるが、問題はそこから父に関連するものを拾い出すことである。これもインターネットの検索機能に改めて感心している。 しかし、ピンポイント情報は見つからない。

   
 父の兵役については、父の書いた履歴書と兵役の日誌である程度は分かるのだが、所属隊などを正確に知るには、軍人だったものひとりひとりの「軍歴」が公的に管理されていると、これもインターネットで知った。
 市役所に行って聞くと、陸軍は除隊時に本籍のあった都道府県に、海軍は国にあるという。
 さっそく父の軍歴を岡山県庁から取り寄せて、詳しいことが分かったのであった。どうも、軍人恩給支給の元になっているらしい。
 父の自筆記録とその軍歴とでわかったことを簡単に記す。

●父・伊達真直の兵役
・1931・現役兵として岡山歩兵第10連隊第2中隊
・1932・留守隊第11中隊
・1933・満州派遣軍第10連隊第11中隊通信班、中国・熱河作戦の界嶺口戦闘、除隊、帰郷
・1938・充員召集、歩兵第10連隊補充隊、北支第7師団通信隊、中国へ、天津・保定・石家荘・順徳付近で戦闘と通信任務
・1939-40・保定、石家荘に駐留
・1941・召集解除、帰郷
・1943・臨時召集、姫路第54師団通信補充隊
・1944・第84師団通信隊、内国戦務
・1945・帝都防衛隊、神奈川県松田で終戦、召集解除、帰郷
 結局、姫路から南方戦線に送られるはずが輸送船が次々と沈没して不可能となり、敵兵上陸対策に関東に出かけていて終戦、8月31日に帰郷した。3度の兵役を生きて戻れたのは、通信兵という立場もあっただろうが、幸運だった。 わたしの近親では母方の叔父が、若妻と娘一人を残して南方戦線で没している。
   
 さて、資料であるが、これまで読んだもの、読みつつあるもの、これから読みたいものなど、自分の覚えのためにここに記しておく。

●関連WEBサイトで気になるもの
・ウィキペディアの各サイトはもちろんすごく役に立つhttp://www.wikipedia.org/・戦争を語り継ごうリンク集http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
・はい 青木です! (岡山歩兵第110連隊)http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/index.html
・サーチナ > 中国地図 http://searchina.ne.jp/map/
・日本軍の基礎知識http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/weekly/file00.htm
・新編・新編・父の青春(4)熱河作戦の中で http://www2r.biglobe.ne.jp/~kosanhp/myway/newfather004.htm
・近現代日本の写真・画像(本編)http://www5b.biglobe.ne.jp/~leaper/kingenphotoikkatu.htm
・支那事変http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/sinojapanese%20war.html
・歩兵第10連隊http://www.geocities.jp/bane2161/hohei10rentai.html
・「岡山郷土部隊」と「三光作戦」http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.1.html

●日中戦争関係書籍
・兵隊たちの陸軍史:新潮文庫:伊藤桂一:新潮社:2008
・満州事変から日中戦争へ:岩波新書:加藤陽子:岩波書店:2007
・昭和史1926-1945:半藤一利:平凡社:2007
・日中戦争(計3巻):児島襄:文藝春秋:1984
・熱河討伐及熱河事情:世界知識増刊:新光社編:新光社:1933
・近代日本戦争史第3編満州事変・支那事変:同台経済懇話会:1995
・戦史叢書・北支の治安戦:防衛庁防衛研修所戦史室:朝雲新聞社
・アジア・太平洋戦争史:山中恒:岩波書店:2005
・皇軍兵士の日常生活:講談社現代新書:一ノ瀬俊也:2009
・昭和の遺書・十五年戦争・兵士が語った戦争の真実:仙田実・仙田典子:文芸社:2008
岡山県郷土部隊史:岡山県:1966
岡山歩兵第百十聯隊史:岡山歩兵第百十聯隊史編纂委員会編:1991年
歩兵第十聯隊史:歩兵第十聯隊史刊行会編:1974
歴史不会忘記:保定市政協文史資料委員会編:1995

 図書館はもちろんだが、重要な戦争資料のありかとして、防衛省防衛研究所 史料閲覧室がある。厖大な戦争資料があるようで、一度たずねたが、開架は少なく、書庫内資料の何を見ればよいのか検索方向がまだよく分からない。

 こう書いておくと、地球上のどなたかが役に立つ資料を教えてくださるかもしれないと期待できるのが、インターネットのすごいところである。

2009/05/19

130【老いゆく自分】新聞広告写真の手とわたしの手を比較してみたら

 おお、あの白魚のようだった指が、なんとまあ、サラミソーセージである。
 あのマシュマロのごときだった手の甲には、なんとまあ、褶曲山脈が縦横に発達している。
 今日の新聞広告(TOSHIBA)に載っている写真を見て、思わずわが手を並べて撮ったのであった。
 こうやって客観視するとわかる、70年余を生きると、わたしでもこうなるのか、。

2009/05/18

129【父の十五年戦争】戦場は実は人糞の臭いに満ち満ちているらしい

 父の戦争日誌を解読するべく、日中戦争を勉強している。
 児島襄『日中戦争vol.3』に、1937年12月の例の南京大虐殺に至る南京城攻略戦に、「糞攻め」なる話(180ページ)があり、興味を持ったので引用する。

『日本軍が難儀したのは、以上の事情のほかに、もうひとつ、いわゆる“糞攻め”なる環境があった。
 第六師団と第百十四師団が攻める雨花台は、中国軍第五十一、第五十八、第八十八師が守備するが、約四万人をこえる中国兵の排泄作用のおかげで、その陣内、陣外は糞便におおわれている。
 敵弾をさけて伏せれば鼻先に「糞の山」、鉄条網めがけてほふくしようとすれば、それは“糞海”を泳ぎわたるにひとしい。
 しかし、といって、立って歩けば間違いなく敵弾にみまわれる。
「ええ、没法子(メーファーズ)」
 やむを得ぬ、と、ほふくをつづければ鉄帽から靴の先まで“糞まみれ”になる。(以下略)』

 これは、ある兵隊の述懐をもとに書いてあるのだが、日本兵も中国兵もそれは同じであったろう。
 別のところには、屍の腐臭と糞尿臭とが入り混じった猛烈な臭いが戦場にたちこめて舞い上がり、補給物資投下に来る飛行機の操縦士たちも嗅いだことを書いている。
 通信兵だった父の1933年の日誌に、争奪戦闘中の最前線の長城に通信電線を附設する記述があるから、あるいは糞まみれ経験があったかもしれないが、それは日誌に書いてない。
 これまで気がつかなかったが、考えると大昔から戦場は糞だらけであったはずだ。だから伝染病も蔓延しただろう。
 いま思い出したむかしむかし読んだ糞攻め話、楠正成の守る千早城に攻め登りくる敵兵に、糞尿を煮え立たたせて上から浴びせて防いだ、、、さぞや臭くて熱くて、、、ウ~ップ、。

2009/05/15

128【世相戯評】海賊対処法で自衛隊派遣とは危ない危ない歴史の教訓

 5月13日の新聞に、(社)日本船主協会が「海賊対処法」案の早期成立を訴える意見広告を出している。
 ソマリア沖のアデン湾に出没する海賊退治に、自衛隊を派遣して鉄砲を打ってもよいようにしようって法律を早く成立させよ、それは海外からの輸入に頼って生きている日本人の生活を守ることなんだから、というのである。

 ちょっと待ってくれ、なんだかいつか聞いたことがあるような、、。
 そうだ、今、父の戦争を調べていて読んでいる日中戦争の出だしに似ているのである。
 日清・日露の戦争で中国東北の満州に権益を得た日本は、そこに暮らしだした日本人の生活を守るためと、関東軍・支那派遣軍を送り込み、その後はこの現地軍が日本人を守るためと暴走するのを、不拡大といいながら押さえるどころか、成り行きに任せて後追いした政府の無策、そして衆愚に陥った当時の日本人たちが、日本にも中国にも悲劇をまねいたのである。

 船主協会が日本人を人質に取っているような言は、満州の関東軍やソマリア海賊とも同じ論理となってしまう。
 それでなくても、遠い公海上の民間の商船をなぜ税金でしかも自衛隊で保護するのかって、何かがひっかる。これは地震災害出動みたいなものかしら、でも違うよなあ。

 どうもよく分からないが、やるとしても、自衛隊の派遣ではなくて海上保安庁の仕事のように思う。
 広告には、ドイツの軍艦に救われたことがあるので、日本も軍艦を派遣せよと書いているが、日本の軍艦(があるとすれば)は、憲法で他国のそれとは全く違うことを認識してほしい。
 出先での日本に関する安全を守るためと武力を繰り出すことについては、過去のことから考えて、かなり慎重になる必要がある。

 そもそも、日本人が輸入に頼らなければ生きてい行けないことにも問題がある。もちろん輸入しなければならないものもあるが、必要のないものまで輸入しているのも事実だ。
 ハケン労働者のことも大変な問題だが、ハケン軍艦はそれ以上に大変である。