2011/02/03

373積雪4メートル

ものすごい雪
最新情報の中越山村・法末集落のわたしたちの活動拠点の風景
左に見えている三角屋根は2階の上

こちらは2008年の1月の同じ風景
このときもすごい雪と思ったが今年に比べると幼稚園なみ
参照→山村の豪雪風景を見て考えこんだ

2011/01/31

372暖尻便座

 腰掛型便器の尻の当るところを便座と言うらしいが、ここにヒーターを備えて暖かくした「暖房便座」なるものが普及したのは当然であろう。
 文字通り便を利する便利なものである。あのヒヤッとしたのが清潔感があるといっても、冷たさには負ける。
 で、メーカーがつけた名称が「暖房便座」というのだが、不思議なのは、いくら設置する部屋が狭いといっても、あんなちゃちなもので房つまり部屋まで温まる「暖房」になるものだろうか。
 わたしの住む家にもあるが、そのものは暖かくても、暖房になっていることはない。
 もしも便座で暖房できるほどに熱くしたら、尻をやけどするにきまっている。
 名称を暖房便座ではなくて、暖尻便座に変えるべきである。
 誇大広告であるとしか思えないのだが、消費者庁はどうして取り締まらないのだろうか。
 それとも、わたしの家のものが尻だけ温かい欠陥商品なのだろうか。
   ◆
 コタツは暖房器具かという問題もある。たしかに60センチ四方の布団の中の部屋を暖めるが、あれが暖房器具だろうかなあ。
 アンカはどうか。あれも布団の中の20センチ四方ほどの部屋を温めるから暖房器具かしら。
 どちらも正確には暖房ではないから、誇大広告に相当するといってよいだろう。

2011/01/30

371歯抜け爺

 わたしの口中の唯一の義歯であった一本の前歯が抜けたままで、もう半年である。機能的にはなんの差支えがないが、容姿がちょっと気になる。大口を開いて笑いたくない。
 歯医者が言うには義歯を入れるには、ブリッジとか言って義歯の両側の歯を切って、3本くっついた義歯を作り、両側をきった歯の根につけるのだそうだ。まだなんともない歯を2本も切るのに抵抗があって、そのままにしてきた。
 歯抜け爺にはよく出会うものだが、自分がなってみてこういうことから起きると分ったのである。
 45年くらい前に名古屋の繁華街の真ん中で転んで、立ち上がったけどどこも傷はないが、しばらく歩いていて前歯がないことに気がついた。妙な転び方をしたものであるが、差し歯をした。
 この抜けた前歯の義歯は2代目で、はじめのは10年足らずで外れて、新しく入れなおした。だからこれは35年くらいもったことになる。
 これから入れる義歯が35年もっても、そのかなり前にわたしは必ず死ぬはずだ。さて、ブリッジなる義歯を入れたものかどうか悩んでいる。

2011/01/25

370参詣道

江ノ島に久しぶりに行った。橋を渡っての門前町の賑わいは、平日なので今ひとつであった。

 ここの門前町の風景は清水のそれとよく似ている。わずかに曲りつつもだらだらとした狭い登り坂の両側に土産物屋が並び、向うに目的の神社の鳥居や門が見え隠れする。

 この賑わいと見え隠れが、歩いていて楽しいし、参詣する社寺の境内へと誘導してくれる。

 浅草観音や長野善光寺も坂ではないが、両側の土産物屋の賑わいの向うに大屋根がいつも見えている。この両方とも軸線が明快で、いつも目的が見えているのがちょっとつまらない。
四国の金毘羅神社の参道は、長くて変化のある楽しい階段坂道が続いていて、わたしは大好きである。

 しかしそれは上のほうであって、下のほうの両側に商店が並ぶ石段の坂道あたりは、日よけがいっぱいぶら下がったり天井を作っていて、先がまったく見えないので楽しくない。

 商業主義で参詣道の本質を殺してはいけない。

2011/01/23

369Eメールのお行儀

 酔っ払ってEメールを送らないこと、これは自戒である。むかし、酔っ払いメールを送って、その書き方でトラブルになったことがある。
 でも問題は、酔っ払うと自戒を忘れてしまうことである。PCに自戒を書いた紙を貼り付けていても、見るのを忘れる。どうしようもない。
 Eメールの書き方については、まだルールができていないようだ。お行儀が悪いものがおおい。
 わたしがEメールを始めたのは30年も前のワープロ通信時代からだから、経歴は長い。Eメールも手紙の一種として、その書き方をEメール流にアレンジしている。
 しかし世の中には、手紙を書く習慣を忘れたか、もともと知らないか、そういう時代だからか、手紙ならぜったにしないだろうとおもう文章が来たりする。
 句読点もない、改行もないだらだら文章や、親しくもないのにガキが使うような挨拶文句だったり、目上には使わない言葉遣いだったりするのだ。
 出すほうはそれでよいと思っているから、どうしようもない。いちいち教えるのもアホらしいから、苦笑するだけである。
    ◆
 いわゆる迷惑メールは排除システムができたから昔のようにいちいち消す必要はなくなったが、腹が立つのは、手紙でダイレクトメールに相当する、宣伝メールである。
 勝手に送ってきて、これから送ってほしくないならその手続きをしろ、と言う失礼なヤツである。即座に迷惑メールに登録して以後届かないようにしてしまう。
 それにしても、迷惑メールの多さはすごいものである。題名だけ読んでもいろいろあるから同じやつが送っているのではないらしい。
 あんなにたくさん送るのは自動でアドレスを採集し自働で送信するのだろうが、もとの文章は誰かが書いているのだろうから、なんとまあ熱心なものである。あれでひっかかる人がいるものだろうか、そこが不思議である。
 手紙の書き方、Eメールの書き方を、家庭や学校でちゃんと教えなければならない時代になっているが、やっているのだろうか。
 あ、そうか、教える世代がメールを使えないのかもなあ。

2011/01/17

368大雪の賽の神とお茶会

 今年の新潟は昨冬にも増しての大雪、その長岡の法末集落の小正月年中行事に行ってきた。
 わたしたちの震災復興支援仲間の活動拠点の「へんなかフェ」は、すっかり雪のふとんをかぶり、雪の綿の中に沈みこんでいる。玄関にたどりつくにはその雪をかき分けかき分けて、谷間のような廊下のような道をつくらねばならない。
 外の集落の道ももちろんどこもかしこも真っ白な谷間の廊下である。除雪車が毎日走って壁はどんどん高く、谷間はどんどん深くなる。
 久しぶりに大好きな囲炉裏に炭火をおこして粟餅を焼く。この餅は仲間が粟の実を畑に蒔くところからはじめてつくったものである。美味い。
 もちろんこれで暖をとるには寒すぎるか石油ストーブが燃えている。わたしは炭火をおこし、その火を見るのが好きなのである。ほかの仲間はどうも興味は無いらしい。
    ◆
 集落の小正月の行事は、賽の神という。
 会場は、集落の中ほどにある森の中のキャンプ場で、雪を均してある。朝早くから集落の家々から稲藁を持ち寄ってくる。
 集落の男達は、てっぺんに葉を残した竹竿を雪中に数本立てて、これに稲藁を添えて縄でまきつけて8mほどの上すぼまりの塔状に仕立てる。
 わたしたちも田圃の米つくりでとっておいたたくさんの藁束を、橇に載せて曳いて持って行った。10時半ごろ塔は建ちあがった。
 午後一時から行事を開始とて、集落の人たち、今日の行事に里帰りしてきた子供連れの家族、そしてわたしたち震災復興応援団17名も混じって、総勢40人余が取り囲む中を、恒例により年男二人が塔の裾の稲藁に点火した。
 配られたコップ酒の越の寒梅をそれぞれ手に持って、燃え上がる火を見つめる。
 90歳の長老が集落独自の祝い歌「天神囃子」のゆったりとうたい始めると、それに合わせてみんなで歌う。
 炎と勢いよく燃えあがり、森の中に煙が舞うと、黒い灰がみんなの上に降り、あたり白い雪も灰色になってくる。
 この灰を身にかぶり、コップに入った灰を酒と一緒に飲むと今年は健康に過ごすことができるのである。
 雪の上に立っったままでガヤガヤとしゃべりつつ、酒を飲み、火で焼いたするめや餅を食べる。
 集落にはいつもはいない少年や幼児たちが、よろこんで走り回っている。
 身内に不幸があった人たちは不参加なので、今年はなんだか参加者が減ったような感じである。
 いつも陽気な何でも知っている主婦のTさんが暮に逝った。歌の上手い長老のKさんは寝込んでいるそうだ。集落のリーダー格のSさん夫妻は、親戚の不幸で遠出だそうだ。
 でも元気な子供、幼児がやってきてよかった。
 降るったりやんだりの雪の日の賽の神のときだけ晴れ間が見えたのが不思議である。
 1時間ほどで藁の塔は焼けおちてしまって、解散。
    ◆
 さてその後は、新年大茶会である。
 これは賽の神のような伝統行事ではないが、仲間の女性建築家たちに茶道の心得のあるものたちがいて、5年前からはじめたのだ。今では集落の年中行事になっている。
 元小学校の「やまびこ荘」の食堂に集った一同は、神妙に机にむかって腰を掛け、正面で立礼式でお茶をたてている和服の女性たちのお手前を神妙に見ている。
 やがて配られたお菓子、抹茶をいただく。これを始めた頃はみんな戸惑っていたが、今は、お作法にそって堂々といただいている。
 幼児たちも神妙に、大きな抹茶茶碗に顔を突っ込むようにして飲んでいる。男の子は、ニガ~イとすぐ口を離して顔をしかめ、女の子はオイシ~イと飲んでいるのがおかしい。
 外は雪や霰の吹雪が降ったりやんだり、時には青空も見えたりと忙しく天候が変わっている。冬の中越のいつもの天気である。

参照→豪雪の山村で考えこんだ

2011/01/14

367伊達直人さん

 最近なんだか新聞やTVで、伊達直人なる名がしきりに出てくる。
 伊達公子と菅直人がくっついたのかしらと思ったら、タイガーマスクがどうのこうのという。
 インフルエンザが流行るから、なにか特に効き目のあるマスクが売り出されたかしらと思ったら、マンガの主人公の名らしい。
 じゃあ伊達直人は主人公じゃないのかしら。
 よく分らぬが、善意であっても伊達なる名を詐称する人が多くなるのは、ホンモノの伊達としては困ったものである。
 いや、イタチとかイダテとか読む人が少なくなるからよしとするか。
 ところで本名が伊達直人っていうひとがいたら、ほんとにあれこれ困るだろうなあ。

2011/01/10

366ネパールへ行こう

 大学同期の友人からネパールに行こうと誘われた。ちょっと考ええすぐに、よし、行こうと返事をした。
 いつか行けるからそのうちに、なんて思っている時間はない年頃だから、できそうなことならあまり分別もなく実行するのだ。
 この前の海外旅行は2007年にヨーロッパアルプスだった。そのときもそんな感じではあったが、大学山岳部のときのあこがれを満たす目的に適う旅であった。
 こんども同じような憧れを満たす目的に適うらしいのは、ヒマラヤがすぐそばだからトレッキングにいけるかもしれない、いけなくてもダウラギリやマナスルをこの目で拝むことはできる。
 商業ツアーではなくて、何かボランティア団体に関連するひとが個人的に企画しているらしいが、実はよくわかっていない。誘ってくれた親友が,以前にもそれで行ったというから、信用していくことにした。
   ◆
 概略旅程は次のとおり。
 関西空港→バンコク→カトマンズ→タラコット→ポカラ→ルンビニ→カトマンズ→バンコク→関西空港(3月28日~4月5日)
 カトマンズとポカラではヒマラヤにトレッキングかヒマラヤ飛行機遊覧か、ぜひやりたい。大学時代の憧れを満たしたいのである。
 カトマンズでは迷路のような町をうろうろと歩いてみたい。わたしの大学での研究指導教官であった恩師の藤岡通夫先生は、ネパール王宮の研究をなさっていたことを思い出したので、王宮を訪ねたい。
 釈迦の生誕地ルンビニ訪問は、わたしには釈迦生誕地としてはまるで興味がわかない。
     ◆
 ネパールに行こうと思うと建築同期の友人に話したら、同じく同期の親友であった建築家の後藤宣夫が、設計監理担当した博物館の建物がルンビニにあると教えてくれた。
 2000年になくなった後藤宣夫は、丹下健三事務所の在籍していた1984年に現地に滞在してこれに携わったと、彼の作品集の年譜にもある。
 釈迦が生まれた聖地を「ルンビニ園」として整備する計画を、丹下健三がマスタープランを作成したのだ。その中にルンビニ博物館がある。
 ネット検索したら見つかった。
・Lumbini Museum
http://daishinji.net/essay/lumbini.shtml
http://www.panoramio.com/photo/15251567
 ボールトの連続デザインは、なんだかルイス・カーンを連想させるが、この地域のデザインモチーフは共通するのだろうか。行って見れば分るだろう。
 隣に国際研究所なる建物もあり、ソックリのデザインだからこちらも後藤担当だろう。
・Lumbini International Research Institute
http://www.panoramio.com/photo/4755616
 釈迦の誕生地なんてまったく興味なかったが、これで楽しみになった。
   ◆
 昨日、黄金町にあるアート系の古書店にフラリと入って棚を見ていたら、おや、藤岡先生の書いた「ネパール建築逍遙」がある。見覚えのある本なので家の本棚にあるかもしれないが、偶然ながらタイミングがよすぎて、これはなにかのお導きだろうと1000円で買った。
 実はそのときまで忘れていたのだが、上に書いたように恩師はネパール建築の研究者でもあったのだった。
 美術出版社から発刊した分厚い大きな高価なネパール王宮の研究書があったような気がする。もしかしたら買ったかもしれないとわたしの書棚を探したがそれはなくて、おなじような高価な本の「京都御所」はあった。
 ネパールも実はちょっと身近になった。
 旅に出る前に事前勉強をしない主義できたのだが、こんどはちょっと勉強して行こうと思う。

2011/01/08

365横浜ご近所再開発2011正月

 伊勢佐木モールの中ほどの伊勢佐木町三丁目にあった4階建てのビルが取り壊されたのは一昨年末頃だったろうか。
 その大きな跡りはしばらく放置されていたが、去年の中ごろだったろうか工事が始まって、やっぱり4階建てくらいのビルができたらしいのだが、全面的に仮囲いをしたままなかなか正体を現さない。
 工事標識にもビル名は書いてあるが用途が書いてない。仮囲いの隙間から見ると、どうもパチンコ屋かゲームセンターのような派手な装飾がしてある。ネオンかんばんもついているのに、いつまでたっても囲いが取れないので、よほど内装に金を掛けている水商売ビルだろうと思っていた。
 今日そばを通って囲いの隙間から覗いたら、ビルの中間あたりがなくて青空が見えている。床スラブと鉄骨梁が妙に壊れた風に見えている。削岩機で壊している音が高い。
 えっ、なんだろうと思って囲いにある道路専用許可標識を念入りに見たら、なんと解体工事と書いてある。本日の工事なるお知らせにも、屋上スラブ撤去搬出と書いてある。
 できたばかりなのにもう解体しているのである。何があったのだろうか。確認建築確認済みとも書いてあるのだから、違反建築ってことはないだろうから、事業者の都合なのか??
    ◆
 さてこちらは富士見町にある共同住宅だが、2階の床までコンクリートを打ってそれから1年ほど工事が止まっていた。
 どうなるのだろうかと思っていたら、つぶれた跡を買い取ったデベロッパーがいたらしく、工事を再開した。3回床まで型枠工事が始まってうるさい音がする。
    ◆
 もうひとつ山田町のペンシルビルは、順調に工事が進んで8階までコンクリートがうち終わって大きさが分った。
 こうやって見ると左右のペンシルビルよりはかなり高い。容積率の緩和策が出る以前のビルと、緩和後の今との差だろうか。
 なんにしてもすぐ裏宅地の隣接共同住宅は、まったく日が当たらないビルになってしまった。このような住宅は今後どうなるのだろうか。低家賃にして賃貸市場に出すと借りる人がいるとしても、低収入階層にならざるを得ないだろう。寿町の延長上か。
 地域社会の形成を建築市場との関係でとらえる社会学的研究はあるのだろうか。

2011/01/07

364東京駅の移り変わりを追う


正月が終わって久しぶりに東京に出かける用事あり、ついでだから東京駅まで行ってきた。このあたりの変遷を追いかけていて、わたしのサイトに何度も写真を載せているが、また載せる。
 丸の内側は赤煉瓦駅舎の大改造中で、仮囲いと工事幕ばかりでどうにもしょうがない。工事現場風景の好きな人には、この変遷を追いかけるのも面白いだろう。
 大丸11階の便所の窓からまたも写真を撮ってきたので、1987年の旧大丸屋上から撮った写真とを見比べる。87年の写真は左右二つの違うアングルの別の写真をつないでいるので、よくみると若干変なところがあるのでご注意。
2010年1月6日

1987年10月3日

 八重洲側は旧大丸の入っていた鉄道会館がソックリ消えて、新幹線が丸見えになっている。やがてここにも何かが立つらしいから、この風景もそのうちに変わってしまう。

2010年1月6日

1987年8月26日

 赤煉瓦駅舎の復原工事が今たけなわであるが、保全から復原への論理が明確でないままに進んでいるようだ。復元(復原)は善であるという妄信的な何かが働いて、あの貴重な太平洋戦争とその戦後復興の歴史を表現する東京駅の戦後の見事な修復の姿を、すっかり消滅させて省みない建築界が奇妙である。
 東京駅に関しては、わたしは1986年から仕事で調査(建設省と国土庁からの委託)をして、1988年に赤煉瓦駅舎保全を決めたレポートをつくったので、その間の動きの内幕をある程度知っている。
 わたしも古老となったので、後世のためにそのあたりの経緯など書いておいて、保全と復原・復元の問題点を指摘するべく、当時の資料も机の上とPCにあるのだが、論としてまとめるのになかなか手がつかないでいる。
 これを書くとわたしの人生の宿題が終わるような気がしているからである。
あ、そうか、年寄りのケチと出し惜しみとは、こういうことが元にあるのか、?
 でも今年こそまとめよう、東京駅復原工事が終わる前に。

参照→
東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2011/01/01

363謹賀新年

 今年という年が始まった。地球が回って365日前からちょうど一周したというだけだといえば、それだけのこと。なにもかわりはありはしない。
 若いときからずっとそう思っていたが、年とってくるとすこしは何か思わないとバカにされそうな気がしてきた。
 バカにされてもかまわぬが、バカにされる前に、なんだか年が改まるってことについて、なにかを感じるようになってきた。
 つまり、人生の残り時間が少なくなってきて、この今日という冬の日(春でも夏の日でも良いのだが)と同じような日が、次の地球1周目にもあるかどうか分らない、となるとこの年の改まる日も次はないかもしれないと、そう思い出したのだ。
 人生にまったく同じことはないが、同じようなことはあるだろう。今はこれができなくても、いつの日にかそのようなことができる機会が来るに違いないと希望を持って、また次の日から生きてきたのだが、年とると次の機会がない可能性が高いのである。
 これはどうもちょっと弱ったことである。
 これに対処するには、何でも思いついたらすぐにやる、これしかないと気がついた。無鉄砲でもなんでも、今やるしかない。これがことしのわたしの人生訓である。
 う~む、こうやって“憎まれっ爺 世に憚る”のであるか。
 さて、では今年の思いつきは最後の海外旅行だな、それもちょっとアブナイヤツをね。
 というわけで、不良老年思いつき行動煽動の年賀状とあいなりました。
 今年もまた退屈しない1年でありますように。ぜんぜん年賀じゃないな。

2010/12/26

362【有楽町西武閉店】数寄屋橋からの風景の今昔

東京・数寄屋橋風景今昔

 有楽町西武百貨店が閉店したそうだ。西武のWEBサイトに閉店挨拶がある。
「永きにわたり地域の皆さまにご愛顧、ご支援いただいてまいりました西武有楽町店は本日12月25日(土)をもちまして営業を終了のうえ、閉店させていただきました(以下略)」
 おいおい、させていただきましたって言い方はないでしょ。それじゃあ、客が閉店しろって言ったから閉店したって聞こえますよ。
 まあ、つい本音が出たのかもなあ、客がちっとも来ないから閉店したんだよ、そういいたかったのでしょうね、ごもっともなことで。
    ◆
 有楽町西武の入っているマリオンビルができたのが1984年だから、26年間の営業だった。これは百貨店としては長いのか短いのか、どっちなんだろう。
 一方の有楽町阪急は営業継続らしい。ここに東西の電鉄資本百貨店経営の実力差が現れていると見て良いのだろうか。
 西武の後に入るのががルミネだそうだから、これも鉄道資本傘下であるのが興味深い。
 鉄道資本が鉄道駅とはなれて物販事業をすると、どうもうまくいかないようだ。日本橋にあった東急は、元は白木屋デパートを乗っ取ったものだが、これも10年くらい前だったかつぶれた。
 阪急は大丈夫か。銀座には名鉄資本のメルサがあるが、どうなんだろうか。ルミネもこれが鉄道から離れる営業の初めてのケースだそうだが、どうなんだろうか。
    ◆
 西武の入っていたマリオンビルは、もとは日本劇場と朝日新聞本社が建っていたところで、敷地を合体して1984年に建て直したものである。
 日本劇場は渡辺仁の設計で1933年竣工、華やかなレビュー劇場であった。渡辺は銀座和光、上野東京国立博物館、日比谷第一生命館、横浜ホテルニューグランドなどを設計している。
 わたしは学生時代に、当時流行ったロカビリーのウエスタンカーニバルなるショーを見に行って、小坂一也とかウィリー沖山とかを観たことを覚えている。
 5階にあるミュージックホールにも行ったことがある。お色気ショーはなんだか舞台が赤かったくらいしかよく覚えていないが、大男のE.Hエリックと芸名を忘れた小男のコントのほうが印象にある。
 朝日新聞本社には従兄が勤めていたので、1950年代末に訪ねていって入ったことがある。一階ホールの傘のような鉄骨が印象にある。この建物は1927年に竣工している。設計は竹中工務店で、担当は後に有名になった建築家の石本喜久治である。
 ここに最後に行ったのは1977年に、建築家山口文象についていったときだった。山口文象は1926年に石本喜久治のもとで、この建物の設計を手伝った。
 これらを壊した跡にできたマリオンビルは、竹中工務店の設計である。
     ◆
 池袋の田舎が本拠の西武百貨店としては、どうしても銀座に進出したかった。そこでこのマリオンビルで「銀座西武」百貨店を開業するつもりだったけど、あんな外れに出てきて銀座を名乗るのはおこがましいと、銀座老舗の旦那達から横槍が入って有楽町西武になったとか、その頃そんな話を聞いたことがある。
 そしてバブル時代、堤清二にひきいられてイメージ合戦に出た西武は、「おいしい生活」なる糸井重里つくるキャッチコピーでマリオン現象をおこして時代を泡泡とリードするも、バブルパンクでいまや量販店のイトーヨーカ堂の傘下になる始末。
 あちこちのバブル時代の遺物の片付けを今もやっている中に、この有楽町西武もあったということなんだろう。
 西武は結局は銀座ブランドには、なれなかった。もっとも、銀座ブランドの老舗三越だって、業界としては新宿田舎新興勢力の伊勢丹の傘下に入ってるもんなあ。
 銀座にはしばらく行ってないけど、最近は衣料や電器のファストショップつまり安売屋がけっこう進出しているそうだ。10年先にどうなっているか消長が楽しみである。
 あ、まてよ、10年先と気軽に言ってるけど、こっちは消長どころか消一方だろうなあ。

    ◆(追記101228)
 有楽町で百貨店閉店事件といえば、「有楽町そごう」のこともついでに書いておこう。
 有楽町駅前に「そごう」が開店したのは1957年5月25日だった。

 その年の3月、わたしは狭い城下町盆地を抜け出して、だだっ広い関東平野の一角に暮らし始めた。以後の高度成長底辺都市漂流人生の始まりだった。
 街にはフランク永井が歌う「有楽町で逢いしょう」がながれてた。
「あ、鉈を待てば、飴、が降る、濡手、粉糠と、木に掛かる、あ~あ、、」

 こんな風にしか聞こえなくて、妙な気分で聞いていた記憶がある。今、U-TUBEで聞いてみたら、やっぱりこう聞こえたが、元の歌詞を知らない人もいるだろうから書いておく。
「貴方を待てば、雨が降る 濡れて来ぬかと、気にかかる あ~あ」
    ◆
 後にその宣伝作戦の陣頭指揮した人から聞いて知ったが、大阪から東京に始めて進出するそごうの、有楽町開店のテレビ、映画、ラジオのメディアミックス宣伝作戦は、それが当たり前になる時代の端緒だったそうである。
 映画の方は吉田正の作曲でフランク永井の唄であった。テレビ番組「有楽町で逢いましょう」の主題歌が、三木鶏郎作曲で唄はデユークエイセスで、これらはまったく違う歌だったそうだが、こちらは覚えがない。
 この歌に出てくる外が見える2階の「ティールーム」に、大阪から修学旅行でやってきた従妹をつれて行ったことがある。そのときは有楽町駅東口の最近ようやく再開発されてできた「イトシア」あたりの路地の寿司屋に入り、日劇ではロカビリーも見た。

(今思い出したがフランクの歌の続きに「雨もいとしや、すすりなく~」とあったが、これでイトシアと名づけたのじゃないよなあ)
   ◆
 建築学生としては、あの村野藤吾設計の「読売会館」に興味がつきなかった。青味を帯びた硝子ブロックと何本もの深い陰の横ストライプで微妙にカーブする壁面、上層階の白い品のよいテッセラタイル壁面、百貨店の階段の巧みさ、読売ホール内部の玄妙とも言うべきデザインに、大いに惹かれた。
 関連して「新建築」事件というのがあったが、これは業界内コップの中の嵐。
 読売会館は、80年代だったか外装が似て非なるものに改装されて輝きを失い、更にそごうが撤退後に安売り電器屋がはいると電飾がやたらにとりついて、同じ建物なのにこうも変なものになるのかと驚くばかり。

2010/12/22

361年寄り風邪

 この上旬から胃の調子が悪いのがつづいて、どうも風邪らしいと思っていたら、中旬から腹は治って、今度は喉が痛くなってきた。
 そして今、下旬になったら咳が出てしょうがない。気分が悪いが熱はない。
 昔は風邪で熱と咳で寝込んでも1週間もあれば完治したのに、年とると風邪にかかる能力も落ちてきて、少しずつ症状を順番に巡るようになったから、治るのにも1ヶ月以上もかかるようになった。
 あまり咳が出るので横隔膜が痛い。だから寝ていてもけっこう運動していることになるのだ。
 食事もあまり取らないし、もちろん酒も飲まない。太りすぎが止まっているだろう。
 風邪ひくと健康に良いような気がしてきた。
   ◆(追記101224)
 風邪は下から上へとやってくる。胃、喉が終わると今度は鼻である。
 この次は眼に来て、それから額に湯気が立つほど熱が出て、最後に頭髪がばっさりと抜け落ちて禿げ頭、いや、脳に来てボケる、という筋書きだろうか。
 ずーッと寝ていると、とめどなく寝られるわが身体が不思議である。起きても朝やら昼やら夜やら分らないことがあると、そのままずーッと寝ているとどこまで行くのか楽しみな気分になってきて、またこれをやりたいと思う。
 しかしながら現実は厳しく、空腹で胃から目覚めるのがナサケナイというか、よくできているというか。

 

2010/12/17

360菅さんには諫早も沖縄も些細なことか

 はじめに「広辞苑」を引いておく。
こだわ・る コダハル【自五】①さわる。さしさわる。さまたげとなる。 ②気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。「形式に―・る」 ③故障を言い立てる。なんくせをつける。
 2010年12月16日の朝日新聞東京版の朝刊に、「諫早開門道険し 首相こだわり貫く」の見出しがある。
 この意味は次のどれだろうか。
1.菅さんは、「諫早開門」をさしさわりがあると思っている。
2.菅さんは、気にしなくてもよいような些細な「諫早開門」ごときにとらわれている。
3.菅さんは、「諫早開門」になんくせをつけている。
 記事の中味を読むと、諫早開門をしたいと思っているらしいから、1でも3でもなくて2のようだが、それも些細なことと思っているのではなさそうだから、ヘンな見出しである。
    ◆
 これはどうも、朝日新聞が言葉遣いを間違ったらしい。
 このごろはどうも間違った言い方が流行っていて、「レストランのこだわりの味のパスタ」なんていったりして、とうとう朝日新聞もそれに染まったらしい。
 以前に政府の事業仕分けで、スーパーコンピューターについて世界で2番目じゃなぜいけないのって議員に言われて、富士通の社長が「それでもうちはスパコンにこだわる」といってると新聞に載っていた。どうして富士通にとってはスパコンは些細なことなんだろうか、と思ったことがある。http://datey.blogspot.com/2009/12/215.html
 こうやって間違い言葉が優先していって、言葉はだんだんと意味を変えていくのだろう。
   ◆
追記(101218)
 今朝の朝日新聞にも「菅首相 訪問にこだわる」との見出しがある。
 菅さんがそういったとは書いていないから、その見出しつけた朝日新聞社の人(デスクと言う人かしら)がそう思っているのだろう。
 つまり、「朝日新聞社としては沖縄訪問なんて些細なことと思っている。なのに、菅さんは訪問に妙に拘泥して行きたがった。おかしいな人だ」という意味になる。
 菅さんか、仲井真さんか、どちらかが朝日新聞社に抗議するにちがいない、だって最近言葉づかいで抗議ごっこが流行っているもん。
 朝日新聞デスクは“間違いこだわり”に、わたしは“こだわり間違い”に、それぞれこだわっているのか、とらわれているのか、執着しているのか。

2010/12/14

359東京駅たそがれ


 久しぶりに東京に行った。知人がオフィス開設40周年記念で大忘年会をするという。しばらく都市計画界の知人たちに顔を合わせてなくて、忘れられるのも癪なのでちょうど良い機会とでかけた。久方の方々に大勢であって、まあよかった。

 途中に東京駅に降りて、八重洲側の新しい大丸13階の便所に寄る。便意なくとも入るのは便所が目的はなくて、ここのでかい窓から見る東京駅と丸の内の風景が目当てである。
 もちろん便所でなくとも、レストランに入って窓際に座れば見えるのだが、便所なら無料であるところがよろしい。そのうちに横に増築するらしいから、そうしたらまた別の角度で見えるようになるだろう。

2010年東京駅ホーム越しに丸の内方面を望む



   

 

  


      1987




 いまから23年前に同じような位置から写した写真がある。比べて見ると雲泥の差といって良い。
1987年 東京駅ホーム越しに丸の内方面を見る

 丸の内側の旧国鉄本社跡に建ったビルに入り、本屋の丸善で時間をつぶして、エスカレーターで降りていると、JAXAのショールームがあった。今評判の失敗金星探査機と失敗か成功か分らないイトカワ探検機をやらかした団体である。
 ロケット模型やなにやらパネル展示がしてあったが、なんのことかよく分らなかった。映像の月面から昇る地球のでっかい映像を映していて、そこに写りこむ自分の姿を見て宇宙飛行士気分にちょっとなった。
(追記101231)この展示場は2010年末で閉鎖となった。政府の事業仕分けの結果だとか。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2010/12/07

358サイトコンペ優秀賞

 ウェブサイト「まちもり通信」を始めて10年、「伊達な世界」は2年半、この間になんだかんだで14万余の眼が閲覧していただいたらしい。
 見てますよと、会う人からときどき言われることがあるが、実のところは、全体として、どこのどのようなお方がどうご覧になって思われているのか、よくわからないのがインターネットの宿命である。
 この「伊達な世界」のほうにはグーグル側でアクセス分析するらしく、そのページを見ると、時間軸で閲覧数が分るし、どの記事がいちばん見られたか、どの国からアクセスしたかとか出てくる。
 でもそれを見ても、まさかそんな記事をたくさんの人が読むわけないでしょ、とか、なんでそんなときに閲覧が集中するんだよ、とか、腑に落ちない分析となっていて、信用できない。このブログシステムの分析統計は変である。
    ◆
 本の形になっているものは、歴史があるからそれなりに評価の仕方があって、内容や装丁に対する賞もあるのに、誕生間もないウェブサイトにはそんなものはまだないのかしら、こちらが知らないだけかと思っていたら、埼玉県のIT企業で構成する社団法人が、ホームページコンテストをやっているのを発見した。
 これまでの入賞例を見ると、わたしも応募できそうである。「まちもり通信」の中から抜粋したものと新たなもので24ページのサイトを編集して応募した。
 そうしたら、「シニアの部 優秀賞」に入ったのである。最優秀賞でないのが口惜しい。総合優勝でもないなあ。
 評価基準が分らないが、とりあえずはわたしのやっていることは一定の評価にあることが分ったのが収穫である。
 1月20日が表彰式なので出席して、審査員に何を評価したのか聞いてみたい。
 あ、賞金が出るのかなあ、応募規定には「賞金総額100万円相当」と書いてあるけど、「相当」とは賞金じゃなくて賞品なのかなあ。
 それにしても、このブログにはIT業の日本語知らずをボロクソに書いているにもかかわらず、賞を贈ってくださるとは、度量のある主催者だと敬服している。
     ◆
(付記110120)
 2011年1月20日14時から、大宮駅前のパレスホテルにて、(社)埼玉県情報サービス産業協会主催のホームページコンテスト入賞者表彰式があった。

 シニアの部優秀賞に入ったので、どんな人がどんな内容を応募し、どのような評価基準で審査したのか知りたかったので、行ってきた。
 応募総数69点で入賞は21点だから、たいした競争率ではなかった。
 ●参照→入賞作品http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/index.html
 1等賞に相当するのが埼玉県知事賞らしかったが、これをとったの中学生の女性だった。体験をベースにして一種の努力賞といってもよい一生懸命のつくり方であるが、文章がほんとに中学生なのかと思うような書きぶりであるのが気にかかる。受賞者代表で挨拶をしたが、なかなかしっかりした子である。
埼玉県知事賞 中学生女子の!釣り講座
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2010/hyoshoshiki/sakuhin/sho-chu/A22/index.html
 2等賞に相当するのがさいたま市長賞らしいが、これはなかなかよくできている。わたしが負けたと思ったのはこれだけである。内容も技術も独創性もある。そのほかの入賞作品は、独創性や社会への訴求性が弱かった。
 さいたま市長賞 動く絵 UGOKY
http://www.sisia.or.jp/homepage-contest/hpc2010/hyoshoshiki/sakuhin/ippan/C02/index.html
 わたしと同じ部門のシニアの部最優秀賞はグラフィックデザインとしてはなかなかよいものである。ただ、インタネットでなくてもできる表現内容なのが気になる。
 わたしはビリから3分の1くらいのあたりの順位だったようだ。
 審査委員長が挨拶で、技術よりも内容で審査したとのことであった。
 表彰式での司会者がわたしのサイト紹介を簡単にしてくれたが、ちょっとピント外れの言い方であった。わたしとしては社会批評としてみてほしいのに、画像の作り方が面白いとか、詩が書いてあると言われたのにはがっくり来た。
 まあ、こちらの表現がまずいので、そうとしか観てくださらないのだろう。

 終わってからの懇親会で、審査員にいろいろと審査基準を聞いてみたかったのだが、始まるまでの名士たちの挨拶がだらだらとながいので、もう嫌になって帰ってきた。
 賞金の熨斗袋をあけてみたら、1万円、う~む。
 わたしの入賞作品も協会のサイトに載っているが、そのうちに削除されるだろう。応募作品は山村の四季を愉しむ景観戯造を再編集したものである。

2010/12/06

357今度はURも賃貸住宅縮小か

 先日、公営住宅の縮小を嘆いたら、こんどは都市再生機構も賃貸住宅を民間に売ると新聞記事にある。
 2010年12月5日の日経新聞によると「都市機構、高額賃貸住宅を2.6万戸売却」として、国土交通省は来年から都市再生機構(UR)保有の賃貸住宅を民間企業や個人に売却する方針で、家賃月15万円以上などの高額物件を対象に、最大約2万6000戸を販売、家賃の引き上げも検討、だそうである。
 URにとっては賃貸住宅はそのもっとも柱となる事業である。それを手ばなすとは、一体何を考えているか、貧すれば貪するとはこのことか、日本の居住政策はどこに行ったのか。
 どうして住宅政策は経済政策のままで、社会政策にならないのか。民主党政府になっても変らないのか。
 まったくもって困るんだよなあ、こんなことが流行ると、この次はわたしんちの公社も真似して同じことやろうと言い出すに決まっているんだから。
 生活信条としてわざわざ公的賃借住宅を選んで住んでいるこちとらには、迷惑きわまることである。

2010/12/05

356老老介護実地演習

 ただいまつれあいがぎっくり腰で身体不自由なので、老老介護の実地演習中である。
 でもまあ、洗濯機も風呂も炊飯もほとんど自動式だし、空中楼閣の公的家だから建物管理のわずらわしさはないし、食べ物は5分も歩けば何でもそろう店があるし、かかりつけ医院は真下にあり、総合病院も50mの所にあるし、消防署も警察だって50mほどだし、ドヤ街だって風俗街だって300mほど先にあるし(あ、老老介護と関係ないか)、8年前に引っ越してきた都心暮らしは、こちらが身体機能低下を来してもなんとかなる期間が長くなるだろうと意図したとおりに便利なものである。
 問題あるとすれば、どちらか元気ならばよいが、同時に故障になると困る。でもこれは若いカップルでも同様だから、老老カップルとしては同時故障になる確率が高い点が問題である。
 強力な安全保障対策は、デキノヨイ息子たちが近くにいることである。

2010/11/30

355立ち退き補償よこせ血出痔TV

 今日の朝日新聞に、「周波数再編、劇場困った マイク使えない?TV中継にも影響」なる記事がある。
 asahi.comによれば、「総務省が進める電波利用の再編で、現在、劇場やホールのワイヤレスマイクとテレビ中継などが使っている周波数帯が、新たに携帯電話に割り当てられる方向が固まった。「立ち退き」を迫られた形の音楽や演劇、放送関係者には、反発と困惑が広がっている
 そして「周波数帯が変われば、いま使っているワイヤレスの音響機器はすべて買い替えが必要になる」ので、「総務省はこうした買い替えなどに必要な費用を1千億円程度とみており、「跡地」を使う携帯電話事業者に負担してもらう方針だ」そうだ。
 つまり、「立ち退き」で起きる損害の補償をするって言うのだ。
 えっ、おいおい、そっちの補償はいいけど、こっちの補償はどうしてくれるんだよ
 変ですよ、だってさ、オレの家のTVも血出痔で「立ち退き」にあっているのに、その損害は全部こちらが負担せよって言ってて、それなのに音楽や演劇、放送関係者にだけは補償金を出すのは、まったくもって不公平きわまるでしょ。
 こちらにも補償金をよこせ。
    ◆
 先日、外に出かけている間にTV放送があった能「三ツ山」の予約録画をしておいた。
 それを再生してみていて、どうも変なコマーシャルがずっと映っているのに気がついた。
 NHKなのにおかしいと思って、読むと総務省の広告で「血出痔の相談は、、、」とある。
 この名人・豊島訓三の能を見ているあいだずっとこの広告が出っぱなしとは、無粋きわまる。ジャマでしょうがないから、そこに紙を貼り付けて見たのであった。
 相談先の「血出痔凍るセンター」電話番号が書いてあるので、そこに「血出痔補償金はいくらで、いつ、どうやって受け取るのでしょうか」と、相談してみようかなあ。

参照→145血出痔の準備
参照→295血出痔TV

2010/11/29

354関内駅近くの違反建築

 散歩していたら、ビルのピロティの前に、こんな表示がしてある。
 アレ、おかしいな、ここは公開空地のはずだぞと、あたりを見たら、やっぱりあった。
 ここは横浜市環境設計制度による公開空地であると、立派な表示がしてある。
 関係者のほか立ち入り禁止とは、立派な法令違反行為である。
 そうしたいなら、建物のボーナスで貰った容積率割増分の床面積と、斜線制限の緩和の部分の出っ張りを取り壊す必要がありますよ。
 横浜市は是正の指導をしなさいよ。
   ◆
 参考までに、建築基準法第59条の2 総合設計制度による横浜市市街地環境設計制度の一部を引用しておく。

第2編 公開空地の基準
第1章 公開空地の定義
1 基本的事項
(1)公開空地は一般の人が通常自由に通行又は利用(占用的利用は除く。)できるものとし、原則として終日一般に開放できるものとする。
第7編 維持・管理等
第1章 公開空地等の維持・管理
1 建築主は、第2編第1章1に則り、公開空地を一般に開放し、維持・管理を適切に行うものとする。また、その旨の誓約書を様式1により、許可申請時に市長宛に提出するものとする。

2010/11/28

353公営住宅縮小の愚策

 今日の朝日新聞朝刊によれば、多くの自治体で公営住宅を縮小の傾向にあるという。
 その理由が、入居者が高齢者ばかりになっていて、今後人口が減るからだそうだ。
 それは間違っているよ。
 だって、高齢者はこれから増えるのは間違いないでしょ。
 そもそも高齢者ばかり入るような入居資格を設定するからそうなるので、子育て世代だって入りたいのに、収入基準では入れないという。基本が間違っている。
 その証拠には、入居希望者の倍率は8倍以上もある。これが1倍を切っているのならともかく、こんなに入りたくても入れない人たちがいるのに、縮小とは間違いもは甚だしい。
    ◆
 民主党政権になっても、住宅政策は自民党政権時代とかわらない。
 このところいろいろ民主党政権も言われているが、マスメディアは始めはちやほするが、すぐに飽きて足を引っぱるほうがニュースになるって有様。
 それに冗談もユーモアも解さないおバカな大衆が乗るって、このパターンは衆愚そのものである。
 初期故障だとおもって、もうちょっと我慢したいのだが、住宅政策についてはこの政権にはがっかりしている。

2010/11/25

352【横浜都計審】発言しないままのだんまり市議委員て何のための委員か

 市会議員という方はおとなしい人たちなのだろうか、それともめったなことでは発言をされない人たちだろうか、それとも議事内容について何にも意見も見識もない人たちだろうか。
 今日は横浜市の都市計画審議会だったので、傍聴に行った。

 何しろ会場がわたしの家から歩いて十分足らずのところであるから、買い物ついでに便利である。
 7月まではわたしは委員だったので、傍聴される側にいたが、任期が切れた今回からは傍聴する側である。
 2年前までは一般市民として傍聴に毎度通っていたから、それが元に戻ったのである。

 さて、出席委員は19名、そのうち10名が市会議員から選出された委員である。こ
 の方々は、審議会の1時間半、全く一言も発言をなさらなかったのであった。雁首を並べていらっしゃるのだが、あまりの静寂さに不気味でさえあった。

 これはわたしが委員であった前回の審議会のときも、けっこうもめた議案があったのに、市議委員全員が不気味に3時間余も黙りこくったままであった。
 ここまで沈黙されると、なにか特別の理由があるのだろうかと不審に思う。連続だんまり記録(なんてものがあるとすれば)を更新しようとなさっているのだろうか。

    ◆

 わたしが退任した後の公募市民委員は、男女二人の方が新任された。どのような方か存じ上げないが、それなりの発言をされていた。
 “それなり”とは、事前に資料を調べれば分かる制度について初歩質問するのではなく、もうちょっと突っ込んで本質を追求してほしいと言う意味を込めている。

 学識委員が12名なのだが、そのうち5名も欠席である。10名全員が出席しても黙りこくる市議委員も問題だが、こんなにも大勢の専門家が欠席するのはもっと問題である。
 あいかわらず市議会日程優先で審議会日程を決めるているからだろうか。

 まあ、事務局としては専門家に突っ込まれるよりは、なにも言わないで賛成だけする市議委員を優先したいのだろう。その気持ちは分かるが、まったくもってケシカラン。

    ◆

 議題となっている場所を事前に見に行って発言しているのかしらと、委員の発言を聞いていたが、どうもどなたも見には行っていないらしい。
 わたしは必ず現地を見に行っていた。だから問題がよく分かったのである。わたしは今回からはもう委員ではないし、事前に資料もないから、現地を見に行っていないので、事務局の資料説明を聞いても、問題の所在がほとんど分からなかった。

 とくに今回の生産緑地に関しては、現地に行くと必ず問題があるもので、わたしが委員のときに2回この議題があったが、いずれのときもたくさんの問題指摘をして、議案に反対したものであった。
 なにしろ、これほど都市計画審議会を馬鹿にした制度はないのである。現地を見てご覧、その上で都計審に出てきなさいよ。

    ◆

 傍聴者がわたしひとりだけだった。
 傍聴席と資料を20名分も用意してあるのが、もったいなかった。だからといって次から少なくすればよいのではないが、一人の市民としてなんだか寂しいことである。
 そもそも平日の昼日中にやって、一般の人が傍聴に来るのは、そうとうに閑人か(わたし)、議題に関係ある当事者だけになるだろう。
 以前に審議会でわたしが提案した、休日の昼とか平日の夜に開催せよと言う提案は通らなかったが、そのときに事務局の言い訳が、「だから議事録を公開しているのだ」と言うのであった。

 ところがである。この前の審議会は7月5日であったが、その議事録が公開されたのは4ヵ月半も後の11月21日であった。
 これじゃあ、あんまりにも後出しすぎて、当日傍聴の代替とはとてもいえない。議事録を20日目ぐらいで公開せよ、と言うわたしの提案は無視されたままである。

 もっとも、その議事録を読んだとて、都市計画には必須の図表や図面あるいは写真が一切載ってないから、なにを言っているのかさっぱり分からない。審議会の議事内容を公開しているとは、とても言いがたい代物である。
 そこで、わが横浜都計審市民委員体験記を書いて公表したのである。これなら分かるよ。

●参照→あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている

 まあ、なんですな、世の中いろいろと腹立つことあるので、年寄りのボケ防止になって、こりゃまたありがたいことでございます。
 
●参照→都市計画審議会を改革せよ
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin

2010/11/22

351【各地の風景】静岡県は次郎長親分の清水湊に行ってきた

♪ ぺぺんぺぺぺんぺん ヨーオッハッ ぺぺぺン
旅行けば~ 駿河の路に 茶の香り ヨーオッ
名大なるかな 東海道 名所古跡の多いところ ハーッ
中でも三保の羽衣の 松と並んでその名を残す ぺペン
街道一の親分は 清水湊の次郎長~ 
ペペペンペン ペ~ンペペンペン ♪
    ◆
 これは昔々のこと、わたしが少年時代に一世を風靡した、広澤虎造なる浪花節語りの「清水の次郎長」シリーズ冒頭部分です。
 もう次郎長の浪花節なんてご存じない方が多いでしょうが、今でもときに言われる「バカは死ななきゃあ、なおらな~い」ってのは、この中の一節です。
 あ、といってもわたしは浪花節世代じゃないですよ、親の世代がそうあったので、少年の頃はなんとなく耳に入っていました。でもうろ覚えなので、U-TUBEで聞いて書いたのが冒頭のクダリです。
    ◆
なんでこんな話をしているのかというと、その清水の次郎長の清水湊(今じゃあ静岡市清水区のうち)に行ってきたからです。
 そこの昔の港湾の街なかにある、石造りの蔵を見てきました。江戸時代から廻船問屋が立ち並ぶ港湾流通の中心地でしたから、荷を入れる蔵があちことにあり、それは伊豆石で作ってありますので堅固なものです。
 この街は太平洋戦争末期に、駿河湾にやって来たアメリカの軍艦からの艦砲射撃で燃えたのですが、石蔵はさすがに焼け残ったそうです。
 いまや港湾流通機能は衰えて、水辺にあったたくさんの石蔵は取り壊され、数少なくなっています。
 今ある屋敷地内の蔵は、ほとんどが店蔵ではなくて屋敷地の裏にあって、表から見えにくいので、知らない間になくなることもあるようです。
 そこで地元の有志が「しみず蔵倶楽部」なる会を作って、どこにあるか探すと共に、持ち主とコンタクトして新たな機能で活用保存しようと活動しています。
 港町の風情を持っている路地の街のあちこちに、石蔵がひっそりとそして凛として建っています。
 そのひとつを持ち主の好意で開放していただき、街歩きの後で見学会の一行は美味い地酒を飲んできました。
    ◆
 で、清水の次郎長の話です。
 さすがに清水には、次郎長通りという懐かしい雰囲気の商店街があり、その一角には次郎長生家があって、次郎長グッズお土産を売っているのです。
もちろん次郎長がどんな人だったか、パネル展示やパンフレットなどもあります。
 浪花節の次郎長は、賭博やってる暴力団の親分で、同業者との抗争に明け暮れているストーリーばかりだったように覚えています。
 ところがなんと、後半生では港湾流通業や社会事業もやったのだとか、そんなことも書いてあります。
 ということで、廃れた港町のまちおこし材料に、次郎長さんも登場しているようです。ただし、次郎長の名を知っている人は、今の世にどれくらいいるもんでしょうかねえ。
 静岡市となった今では、郷土の偉人はなんと言っても徳川家康でしょうねえ。
 次郎長や家康に対抗できる今の清水の人は誰だろうと考えつつ歩いていたら、ありましたよ、鈴与さんの豪邸が、。
 そう、TV見ないからよくはしらないけど、サッカーチーム一家の胴元(というのかしら)とか、航空会社という廻船屋をやったりして、これはまさに清水の次郎長の現代版ですね。
 あ、そうそう、こちらさまのお屋敷には、さすがに立派な石蔵がありましたねえ、お宝が入っていそうな。
    ◆
 清水に行くんだと、清水出身の友人に言ったら、次郎長通りを通って小学校に通っていたんだとメールがきました。
 次郎長通りは、どこか懐かしいような魚屋とか練り物屋とか和菓子屋とかが、あまり凝らない看板建築を並べていて、くたびれたアーケードのシャッター通りです。
ここをランドセルをしょった少女が歩いていく、三丁目の夕陽のような風景を幻視しましたね。
 そういえば、TV見ないからこれもよく知らないけど、清水はチビマルコとか言う漫画の舞台だそうで、次郎長通りを歩いてたのはその女の子か。
    ◆
 この次郎長通りから細い横丁を入ると石の蔵があり、そこの裏路地は昔はどうも色街だったらしい様子の建物の残滓も見えるのでした。
 蔵を探して裏道を歩きまわっていると、ひょいとお稲荷さんの境内に出たり、どうもこの道は昔は水路だったなと思わせたり、道端に井戸があって昔はこれに屋根があって釣瓶で水を汲み上げたんだろうなと思わせたり、石蔵を紅葉盛りの蔦が一面に真っ赤に飾っていたり、なかなか楽しい路地の街でした。
 わたしの好きな、いわゆるB級街並みです。ぜひとも「全国路地のまち連絡協議会」に参加してもらいたいなと思いました。参照http://jsurp.net/roji/

 ♪ ペペペンペン ペ~ンペペンペン 
  地球の上に朝が来る その裏側は夜だろう~
  西の国ならヨーロッパ、東の国なら東洋の~ ♪ 
  (後を忘れたけど関連して思いだした耳に残る節回し
   これは広澤虎造じゃないよ、虎造節をアレンジして歌った
   コミックバンド「川田晴久とダイナ・ブラザーズ」
   あ、最後のあたりを思い出したぞ)
 ♪ 川田とダイナブラザーズ 
  時間くるま~で つとめましょうお~
   ペペペンペン ペ~ンペペンペン ♪ 

 アレ、清水とはなんの関係もないな。

2010/11/15

350【言葉の酔時記】現代IT語裏辞典をつくったぞ

 『現代語裏辞典』(筒井康隆)が売れているらしい。
 そこでわたしも負けずに『現代IT語裏辞典』を作ることにした。
 おバカ言葉だらけで種に不自由しない。筒井流のエッチ度も少し加えているが、レベルは及びもつかない。

アイコン:①視線と視線を交わすこと(アイコンタクトの略語) ②藍と紺を混同すること
・アクセス:あくせくしつつ到達してもバカなことしか書いてないよなあ
・アダルトサイト:当初は幼児の言うようなことばかり書いていたのが、次第に大人びてそれらしいことを書くように成長してきたホームページのこと
・圧縮ソフト:やわらかく圧縮すること
アナログ【穴魯愚】:いまだに昔のTV受像機で見ている人を「あな魯愚なるかな」とあざける。反対語「出痔樽」
一太郎:一太郎や~い(なんで可笑しいか分かるかな)
インストール:受胎させること
インターネット:①内部の網のこと。②インターチェンジあたりで網を張ってスピード違反を捕まえること。③どうでもいいことを伝え合うこと。
ウェブサイト:サーフィン場、波止場
お気に入り:なんでここだけくだけた言い方になるんだよ、ならば「検索」は「お探しもの」、「挿入」は「はめこみ」、「移動」は「お引っ越し」とか言えよ。
・オンライン:綱渡り
・キーボード:食いカス、コーヒー、ジュースなどを裏表にこびりつかせる鍵盤
ギガバイト:アルバイトで10億円稼ぐこと
クラウド:雲行き怪しいIT業界のこと
クリック:クリを指でいじくること →例:右クリック=右手指でいじくること
・ケータイ:懐中式電子情報交換無線装置
・コピーペースト:論文制作方法 (略語:コピペ)
・更新:単に追加記事を載せること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・購読:無料メールマガジン配信を受けること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
サーバー【魚~青↑】(鯖を引き伸ばしたイントネーションのつもり。IT語は東北弁イントネーションで発音するものらしい)コンピュータに間違い言葉をサービスする機械のこと
サイト【斉藤↑】(尻あがりに東北弁風に発音)電網のなかのどこかの場所のことらしいが、斉藤さんが発明したのでその名を取って発音する。
シェアウェア:数人で共用して使う衣類 類語:シェアルーム
サムネイル:①親指の爪。②クリックすると全然違う写真が出てくる小写真。
ソフトウェア:柔らかい衣類
チデジ【血出痔↑】:地上で出痔樽放送するので、テレビ受像機を買い換えなければならなくなって、家計に赤血が出て痔になること。
・ツイッター:長文を書く能力のない人のための電子メール術
データ【出~たっ↑】(尻あがりに東北弁風に発音):PCの中でどこに行ったか分からないデータがタマタマ見つかると「出た~っ」と喜ぶ。
ディスク【でぃ掬う↑】(尻あがりに東北弁風に発音)要するに円盤のことだろ
デジタル【出痔樽】:「血出痔」を見よ。反対語「穴魯愚」
投稿:自分が主宰するブログに自分が書き込むこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
トラックバック:貨物自動車が後退すること
・ドラッグ&ドロップ:薬を飲んで吐き出すこと
・2チャンネル:うちのアナログTV受像機ではここにBS2を設定した
・ネット【熱湯↑】(尻あがりに東北弁風に発音)網のこと。この網をつかってどうでもいいことを伝え合うのがインターネット
・ネットワーク:網にひっかって逃げられない仕事
ハードウェア:硬い着物のこと
・パスワード:「合言葉」って立派な日本語があるのにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい →例:「山」「川」
・パソコン通信:懐かしいなあ、その前はワープロ通信といったなあ
・プロバイダ:職業売女
・ブックマーク:本印
・フリーソフトウェア:柔らかな衣類を脱ぐこと
・ブリーフケース:下着パンツ入れ
・ブロードバンド:くだらぬものでもどんどん結んでしまう幅の広い帯
・ブログ【風呂愚↑ blog】:風呂の中の屁のごとく愚にもつかぬことをだらだら垂れること
・ヘルプ:読んでも分からず、ちっとも助からないのでOh Help!
・ホームページ:自分のこれを開設して初めてホームレスではなくなる
・マイクロソフト:①ミニソフトクリーム ②小さくて柔らかなアレのこと
・マッキントッシュ:マックとトッシュが設立したリンゴを売る会社
・マナーモード:①エケチットモード(なぜ可笑しいか分かるかな) ②お行儀気分って何のこと?、え、ムードじゃないの?
・マニュアル:①意味不明のことを書いた文書 ②日本語を知らない奴が書いた日本語に似たような言葉の本
・マルチメディア:口、手振り、身振りを使って話し合うこと
・メール【眼選る↑】(尻あがりに東北弁風に発音)猫も杓子も文章書きになって、ちょっとは本も読むようになるかと思ったけど、書いてる内容がアホだからそうはならなかった。
・メガバイト:アルバイトで100万円稼ぐこと
・USB:B級アメリカ
・ユビキタス【指切ったス、湯引き足すUbiquitous】:①指を切ること ②指でいじくっていてモヤモヤ来すこと
・リセット:ああ、ここで人生リセットしてやり直せたらなあ
・リンク:コンピューター業界専用のスケート場
・ログイン:「山」と言われて「川」と答えると、中に入れさせてくれること
・ワード【和~銅↑】:余計なおせっかい焼き
・ワイヤレスマウス:尻尾のない鼠

2010/11/13

349【横浜ご近所探検】ただいま世界一安全な横浜の都心

 横浜都心はどこもかしこも警官だらけの景観である。
 ただいま横浜都心の海岸部にある国際会議場でAPECなる会議をやっていて、遠くからやってきた小浜じゃなくてオバマとか、フチンタオ(字がわからん)とか、ナントカスキー(だったか?それともなんとかエフか?)とか、イミョンパッとか、カンチョッジン(菅直人)とかいう、地球上各地の要人の用心しているんだろう。

 今日は万国橋会議場で研修会に参加していて、その昼休みにぶらぶらとAPEC見物に行ってきた。
 道であった知り合いから「逮捕されないようにね」なんていわれながらも、野次馬は止まらない。
 APEC会場の手前100mくらいの橋で完全交通遮断、IDカードのない人はここから先へは行けませんと警官が声高に言う。
 小学生がひとり、地図を持ってこの橋の先にあるらしい行き先を遮断警官に聞いている。あっちへぐる~りと遠回りして行けと言われて、半べそをかいている。
 やってきた男女カップルもここから先デートコースお断りとて、AVECでAPEC見物もダメ。
 今日は稼ぎ時の土曜日だというのに、そばの大遊園地は休業させられている。

 でもまあ、おかげでこのあたりは世界一の安全な街である。これじゃあ、テロはもとより、万引きもできにくいし、横断歩道信号無視横断なんていつもやってることもコワゴワである。
通行する車も少ないので静かである。なかなかよろしい。
 できればAPECを1年中やっていてもらいたいものである。
    ◆
 関内駅近くで、かなり大勢で長いデモ隊行列に出会った。APEC反対のシュプレヒコール(いまでもこう言うか?)、プラカードや幕を掲げている。妙なお祭気分のような仮装の人もいる。
 久しぶりにデモ隊に出会って、60年安保世代としては懐かしくなって、入れてもらおうかと思ったが、まあ、やめておいた。
 こうやって反対デモを堂々とできる今の世の中は、とりあえず健全であると思う。

 これだけ警官が多くても、うっかり道を聞いてはいけない。だって、山形県警、青森県警、秋田県警なんて、制服の背中に書いてあるんだもの。
 今日は鎌倉も世界一安全らしい。要人夫人たちがエキスカーションで鎌倉見物だからである。
 なんでも14日にはオバマが鎌倉大仏見物で抹茶アイスクリームを食うのだとかで、しばらくは安全な鎌倉がつづく。

2010/11/09

348【世相戯評】尖閣事件極秘資料がネット流出して海保はオキノドク

 尖閣諸島での中国漁船と配乗保安庁の船との衝突事件のビデオ画像を、何者かがインターネット動画投稿公開サイトに載せたという。
 わたしもサイト検索して見た。グーグル検索サイトにあった産経新聞のページに入ったら、その画像へのリンクがあり、二つの衝突を見ることができた。
 TVのニュースではその動画のコピーを放映しているし、新聞もその動画からコピーらしい写真を載せている。

 海上保安庁が流出させた人を告発し、検察庁がそれを受理したから、この動画は違法流出容疑の代物であるらしい。
 で、どうも分からないのだが、違法容疑の代物を、そうやって勝手にコピーして、マスメディアで公開してよいのだろうか。
 これってその容疑者の行為を幇助していることのような気がするが、ちがうか。

 おりから、警視庁の公安関係文書がネットに流出しているが、こちらはTVも新聞もそのコピーを見せてくれないのは、どうしてだろうか。
 尖閣画像も警視庁安資料も状況は同じであろうに、不思議である。
 海上保安庁のように、警視庁はなぜ犯人を告発しないのか(告発と言う手続きのことはよく分からないが)。
    ◆
 もうひとつ気になるのは、尖閣事件画像の著作権はどこが持っているのだろうか。もしも海上保安庁が持っているなら、マスメディアはそこの許可を取ったのだろうか。
 これもおりから、村上春樹のベストセラー小説(わたしは読まないが)の中国語デジタル海賊版が、堂々とネット販売されているそうだ。ネット販売屋はそれが海賊かどうかは知らない、文句あるなら小説家か出版社が、それを書いた奴と話せよと言うのだそうだ。ニセモノを売っても、つくるやつが悪くて売るほうは関係ないというのだ。

 途上国だった1950~60年代の日本がまさにそうだったし(made in Japanとは安物偽物の代名詞だった)、今の中国がまさにそこにいるのだが、マスメディア屋は今も昔のままか。
 この論理で言うと、新聞もTVも著作権問題は、投稿した奴と海上保安庁で話をつけろってことか。著作権問題には人一倍神経質な新聞社が、そんないいかげんでよいのだろうか。

 いい加減で良いのなら、ぜひとも警視庁流出の公安資料も、新聞に堂々と掲載してほしい。でないと、海上保安庁だけがギャンギャン言われていて、なんだかお気の毒だぞ。



2010/11/07

347【横浜ご近所探検】横浜ご近所再開発流行り

 横浜都心に引っ越してきて8年、その間にあたりでけっこうたくさんの共同住宅ビル(わたしはあえてマンションと言わない、名ばかりマンションだから)が建ったし、今も建ちつつある。こんなに需要があるのだろうか。
 北隣では、2階の床までコンクリートを打っていたのに、去年4月、そこでデベロッパーが倒産したらしくて1年半ばかり工事を停止していた。
 最近になって買い手のディベロッパーがついたらしく、工事再開のお知らせパンフが郵便受けに入ってきた。プランを見るとほとんどが1寝室か1寝室+ダイニングキチンだから、もしかしたら投資型の区分所有共同住宅か。 
  参照→092隣に迫る大不況
 東隣では、小さな敷地に鉛筆のような細い共同住宅ビルが建設中である。これは1寝室ばかりの賃貸住宅らしい。これはその北隣の既存共同住宅を真っ暗にしてしまった。
参照→297共同住宅ペンシルビル
 2ブロック先に、2棟の県公社であったらしい1960年代と思われる古い共同住宅ビルがあり、戦後史を物語っているようで興味深かったが、2008年にそのうちの1棟が建替えられて高層共同住宅になった。
 もう1棟も同じかと思ったら、なかなかそうならない。だんだんと空き家が増えていく様子が見えていたが、この10月になって遂に撤去工事が始まった。区分所有型共同ビルになるらしく、宣伝マンが板囲いの前でパンフを配っている。
 気になるのは、今度のビルで始めに建ったほうは半分くらいは日陰になるらしいことだ。
 その北隣ブロックでも区分所有共同住宅が建ち、更にその隣あたりでは高齢者用の共同住宅が建設中である。わたしの家の前のブロックにも建つのじゃあるまいかと心配になってきた。
駐車場だからいつでもできそうだからなあ、そうなったら逃げ出すか、それもいいけど引越しがめんどくさいなあ。

2010/11/05

346【世相戯評】物の値段がわからん

 新聞を読んでいたり街を歩いていると、そんなに安くてよいのかという物の値段の広告に出くわす。今日の朝日新聞からそれを拾ってみる。
 13面に、安物PCの通信販売広告がある。中古品で1万円から3万5千円、それはまあよいとしても、「当社指定インターネット申し込み」で100円とはどういうことだ。
 新聞折り込みチラシ広告の新品PCでも、「当社…」だと3万円も安くなると書いてある。
 でもこちらはもう、昔きちんと金を払ってインターネットプロバイダーと契約したし、PCもきちんと買ったのだから、なんだよ~今頃って、もうバカらしくて新たにPCを買う気が、まったく起きなくなってしまった。
 もう買うのやめたッ、誰かからお古をタダで貰いたいものだ。
   ◆
 14面にも一面全部を使った通信販売広告がある。絹製パジャマ1980円、布団4980である。なんだか安すぎて気持ちが悪い。
 そんな安物にこんな全面広告の広告(多分1千万円を超える掲載費)をかけるのが不審である。
 どこか欠陥商品か、あるいは注文で知られたこちらの住所などが悪用されるにちがいない、うっかりひっかからないぞ、と思うこちらは、正常か異常か。
   ◆
 15面経済欄に、エコポイントなるなんだかよく分からないもので、安売り電器屋が大儲けしているとの記事がある。
 これって要するに税金を使って儲けてるってことである。大いに腹が立つ。
 同じ面に、小さな電気自動車を売り出して、その値段が398万円、ところがそれに国の補助金が114万円出るのだそうだ。
 おいおい、エコだからって自動車は自動車だぞ、作ること自体がエコじゃないし、走らせると電気エネルギー消費するし、衝突すれば人身事故がおきてこれこそエコじゃないし、なんで税金をつぎ込むんだよ。
 どっちもエゴポイントだよな。腹が立つ。
 車に乗らないオレ様がいちばんエコなんだぞ、114万円よこせ。
    ◆
 ファストフード牛丼屋の値段競争の記事もある。1杯280円250だそうである。
 わたしはどんぶりものはあまり好きではないが、昔、いそがしかった頃のこと、昼飯時間を節約するために安牛丼屋にはいったこともあるにはある。
 だが、アレはほんとに不味い。脂ギトギト肉と霜降り肉とを間違えているらしい。
 まあ、好きな人は勝手にどうぞだけど、時にはちゃんとしたすき焼き屋さんの牛丼も食いなさいよ。
    ◆
 17面の株値の欄、かつて生命保険(合名会社)にはいっていて、そこが株式会社になったとて、株を配給(というのかしら)してきた。
 20年以上も前のことであったが、そのときの株価が9000円弱であったと記憶する。今日の新聞のそれは1657円とある。
 経済のことは分からないが、あの頃の5分の1の景気ということかしら。あの株はわたしの会社を廃止するときに処分した。
    ◆
 小説家のよしもとばななと村上龍の写真が、35面にある。自分で電子書籍会社を作って、出版を始めるとのこと。
 村上は既に1500円でダウンロードできる小説を売り出しているそうだ。
 1500円が安いのか高いのか、よく分からない。
 紙に比べると安いようにも思うが、流通や印刷経費を考えるともっと安くてもよさそうな気もする。でも、小説は原価計算するものではないな。
 そうか、わたしの著作も「まちもり通信」で売ってみるか。買う人がいてもいなくても、流通原価はタダみたいなものだからなあ。

2010/11/04

345【法末の四季】法末にも秋の色が濃い

中越山村の法末に秋がやってきた。棚田の米の穫り入れはもう全部終わった。
 今年の夏は暑すぎた。それなのに不思議なことに水は不足しなかった。こんなもうすぐ尾根になる谷川もないところなのに、どのような水路のネットワークがあるのだろうか、深雪が土中に蓄えられているのか。
 わたしたちの棚田の米の収穫は、去年の8割くらいだった。味は良いのだが、見たところ白濁粒が混じる率が多いようで、透明感に欠ける。
 売り物としては、一等米の率が少ないのはそういうところにあるらしいが、わたしたちは見た目よりも美味ければそれで良いのだ。
 もうすぐやってくる豪雪に備えて冬支度にとりかからなければならない。
この前の冬は豪雪で2メートル以上積った。道路は集落共同の除雪機がまわるけれど、自分の敷地内は自分で除雪しなければならない。
 しばらく留守にすると、庭に積った雪が屋根の雪とつながって、家はすっぽりと深雪に包まれてしまう。
 雪かきと言わず雪掘りというくらい深い。年とると雪国の冬は暮しにくい。
 家を放棄して街に暮らす人が増える。廃屋が増える。冬の雪がやがて廃屋を押しつぶし倒壊させる。そこに蔦が絡まり、木が生えてきて、そうやって村は自然に還って行く。
 四季の風景は、四季ごとにそれぞれ美しい。人間はいなくなっても、自然は全く自立的にその姿を四季ごとに装う。
 ●参照→山村の四季を愉しむ

2010/11/03

344【本づくり趣味】「本の雑誌」に本づくり趣味のことを投稿したら掲載された

「本の雑誌」という名の雑誌がある。椎名誠たちがもう35年も前に創刊した、本好き人間のための月刊誌である。わたしはその頃から愛読している。
 ちょっとマニアックな面もあるが、書き手がなかなかに興味ある人たちだし、小説やエッセイもあって面白い。
中に「三角窓口」という読者投稿欄がある。始めてそこに投稿したら掲載された。下記のような文である。

 若い頃は、読んでいる本を他人に知られるのが恥かしかった。紙カバーのかけ方を数年にわたっていろいろ工夫していたが、ある方法に落ち着いた。
 本誌6月号の「カバー掛けの旅」を見て、おお、わたしは「由緒正しい掛け方」に自主到達していたのだった。
 歳とって恥を知らなくなってカバーはやめた。本屋さんで「カバーはいりません」というと、かならず「恐れ入ります」というのだが、あれは本屋同盟の談合事項だろうか。
 本誌9月号に新潮社『幻の特装本』のイラストがある。わたしは専門書はいくつか出版したが、雑文はわがホームページに載せている。すぐに世に出せるし、売れなくても絶版はないし、世界中の誰かがどこかで読むし、だいいち金がかからないのがよい。
 でもせっかく書いてきたのだから本の形にしてみたい。そこで執筆、印刷、装丁、製本、発行を、机上のPCで5冊だけやると決心。栃折久美子さんの本を読んで、道具を百円ストアで揃えたのが3ヶ月前のこと。
 だが、まだとりかかってていない。そうか、どうせやるなら皮の特装本でつくるぞ。装丁がすごいのなら厚さもいるし、中味もそれなりにしなくちゃ。
 実は父の遺品に、三回の戦場体験の手記があったので、手製ブックレットにして息子や従兄妹に配ったのだが、今度はこれに自分史も加え水増しして大河小説仕立てにすると、それなりの厚さの本になりそうだ。これはなかなかの大プロジェクトである。
 問題は、締切がないので原稿が上がらないおそれがあることだが、人生の締切が近い年頃とも気がついている。
 果たして手製特装本はこの世に出現するか、本当に幻となるか。(伊達美徳 本屋徘徊老人ときどき越後に米つくり73歳・横浜市)

 これに対して、発行人の浜本さんから、「プロジェクトの成功を祈っております」とコメントがついていた。
 文中の新潮社『幻の特装本』とは、新潮社では自社発行の単行本で10万部を突破したベストセラーには、革で特別に装丁した本を4部を作り、2部を著者に寄贈、2部を保存するのだそうだ。
 その革で装本する職人芸をイラストで紹介した記事のことである。下手くそでもいいから、わたしもやってみたい。
●参照→325まちもり叢書縁起

●自家製ブックレット「まちもり叢書シリーズ

2010/10/30

343【父の十五年戦争】続・父の遺品の蛇腹写真機の製作出自が判明した

 昨年4月にこのブログに「118父の遺品の蛇腹写真機」を掲載した。
 それをご覧になった方からメールをいただいた。承諾を得てその一部を引用する。

ご尊父の遺品のカメラですが、戦前に私の祖父が経営していた山本写真機製作所の製品の錦華ハンドカメラに間違いないと思います。1933年ごろの製品です。神田小川町に所在し、近くの錦華公園に因んでKINKAと名付けたようです。山本」(抜粋)

 おお、そうであったか。「日本製だろうか」と書いたけど、れっきとした国産であったか。身元がわかって嬉しい。
 さっそくウェブサイト検索したらCamerapediaというサイトがあり、そこにKinka plate foldersなるページがある。はじめのほうにこう書いてある。

The Kinka (錦華カメラ) 6.5×9cm plate folders were made in the early 1930s by Yamamoto Shashinki Kosakusho. One source says that they were released in 1931. The company later made a number of other cameras under the Kinka brand: see Kinka Lucky, Kinka Roll and Semi Kinka.」

 これによると錦華カメラは、1930年代に山本写真機工作所が製造販売したらしい。
そこにカメラ雑誌の「アサヒカメラ」1932年6月号に載っている広告の画像があるので引用した。
 このFAMOSEを辞書を引いても分からないが、FAMOUSの書き間違いだろうか。
 父がカメラを買ったのは、多分、初めての子が生まれた1935年だろうから、山本さんのメールにある1933年ごろの製品とすると年代的には合う。

 ここに載っているカメラと父のカメラとは、形はソックリだけど、部品はちょっと違うようだ。
 父のカメラのレンズは、Munchenとあるからドイツ製らしいが、シャッターはELKA T.B.C.T.とあって、Camerapediaで調べると製造所はよく分からないが日本製とある。

 値段もわからないが、広告にあるものと大差ないとして30余円だろう。
 物価の差を調べてみると当時の葉書が1銭5厘、今は50円だから3333倍、とすると30円の3333倍は10万円か、高いようにも思うが、今と違ってカメラは珍しい頃だからそのようなものだろう。

 父はどのようにしてこれを買ったのだろうか。昔、高梁の新町に写真機店(店名を忘れた)があったから、あとあと乾板を買う必要もあるからそこで買ったのだろう。
 現像と印画は家でやっていたようだ。薬や印画紙がたくさんあったが、少年のわたしが玩具にして露光させてしまった。
 なんにしてもインターネット時代はすごいものである。普通なら古物写真機マニアにしか分からないことが、こうやって分かるのだから。


2010/10/29

342【各地の風景】新潟の裏路地と巻町の鯛車を見てきた

新潟に行ってきた。毎年、各地持ち回りでやっている「全国路地サミット」なる会合である。
 昼間は路地をうろうろと歩いて、夜は飲む会である。それだけではまずかろうと、飲む前に一応のシンポジウムのようなこともやる。
 言ってることはいつも同じで、狭い路地はいいなあ、飲み屋もあるし、酔っ払っていても車は入らなくて安心だと、その開催した街の裏路地が好きなノンベの変人奇人たちがジマンするのである。

 新潟にもその類の男や女がいて、全国各地から来た物好きも入れて200人ばかり集まった。よそから来た奴も自分ところの路地のほうが狭い長い汚い綺麗とかなんとかジマンする。
 新潟の古町・本町あたりは、表通りは立派な中心商店街であるが、そのすぐ裏に入ると怪しげなお兄さんが客引きしたり、料亭・置屋・揚屋などの花街になるのが面白い。
 夜の宴会は、いまはもう閉鎖している待合をわざわざ開けて、仕出料理を取ってやった。さすがに新潟芸者を呼ぶには金の足りない会議であった。

 来年は東京の向島でやることに決まった。あそこは江戸時代の田圃がそのまま町になったところで、路地でないところを探すほうが難しいくらいである。
 あくる日は巻町に行った。鯛車でまちおこしの意気込みが面白かった。鯛車は新発田の金魚台輪が鯛になったものだが、大きさが断然違うのであった。

参照→住民による住民のための観光・巻町を歩く

2010/10/27

341【各地の風景】信州山中の金ぴか御殿

 信州安曇野の東隣あたりに、今は松本市に吸収されているが、四賀村というのんびりした農山村がある。
そこのクラインガルテンで野菜つくりと絵描きをしている旧友がいる。
 その娘夫婦は、いわゆるIターンでこの村にやってきて住み着き、専業農家をしている。いまどきそういう若者たちがいるのである。日本の将来は明るい。
     

 そこへ旧友の作った野菜を仲間で食べに行く「収穫祭」と称する小旅行を毎年やっている。
 この村は松茸の産地である。今年は松茸が豊作とて、夜は市営のその名も「松茸山荘」に泊まって、松茸料理コースを堪能(?)してきた。
 このあたりは昔は善光寺街道の宿場であり、今も伝わる古寺や街並みも魅力的である。
 食べるだけでなく、近隣の古社寺や隣の安曇野に美術館をたずねる文化的なこともやる。
だがなんといっても、田園の人文と山並みの自然が織りなす四季の風景がすばらしい。風景を描くのが好きな旧友がここに来たわけも分かるような気がする。
 
   ◆
 そのようなのどかな農山村の中を徘徊していると、突然、白亜に金ピカと彫像装飾だらけの西洋の古城が出現した。
 信州ゴールデンキャッスルと看板がある。つまり金ぴか御殿か。
 ふ~ん、こんな山の中でラブホテルかよ~、それもいいかもなあ、なんて近寄ってみんなで車を降りて立ち並んで、その周囲の風景との対比のスルドサに呆然として眺めいる。
 ヨーロッパのどことかのお城みたいだ、あ、ノイシュバンシュタイン城なら行ったことがあるぞ、でもちがうなあ。

 

 ゲートあたりでうろうろしていたら、中から宮廷衣装のお姫様ならぬ普通の洋服を着た女性がでてきて、案内パンフレットをくれる。
 聞けば、この地はなんとあの伝統ある居酒屋チェーン「養老の滝」の創業者である会長の故郷であり、その関連会社が経営する結婚式場だそうだ。
 まあ、ラブホと縁がないでもない。この白亜西洋古城風彫像行列デザインは、その会長さんのご趣味であるとのこと。

 裏山も西洋風か日本風か分からない豪華な造園をしておられて、庭のあちこちになんだか値段が高そうな銘石類を配置というか展示してあり、ひとつひとつに名札を立てておられる。ついでにお買いになったお値段も書いてくださると分かりやすいと思った。

 多分このあたりの大地主さんだろうから、これからは裏山のほうばかりではなく、周囲の農家も田圃も全部に手入れをしていただいて、田園はベルサイユ宮殿ばりの花咲き池のある大庭園に、家屋は西洋農家風にフランス瓦とスタッコ壁で緑の窓枠なんて模様替えして下さると、実によろしい様な気がいたしました。

2010/10/25

340【各地の風景】上高地に山岳部時代思い出センチメンタルジャーニー

 何しろ晩年を迎えているのだから、特に深刻でもないが、今のうちにできることをしておこう思う。そのひとつにセンチメンタルジャニー、つまり感傷旅行がある。
 若い頃に訪ねて印象深かったところを、もういちど訪ねて、わが人生を振り返るのである。振り返ってどうするってことではないが、まあ、身体能力の差を明確に確認することはできる。
    ◆
 信濃から越後へと1週間の旅をぶらぶらとしてきたが、その中で日本アルプスの登山基地である上高地を訪ねる感傷旅行をした。
 半世紀以上も昔になったが、大学山岳部の春合宿で、初めて上高地に入り、帝国ホテルに泊まった。といっても積雪期はホテル営業はしていないし、たとえ営業していても学生が泊まれるところでもなかった。泊まったのはホテル管理人の家であった。登山者たちを泊めてくれていたのだ。
 その後、いつの日か上高地帝国ホテルに泊まりたいと思っていながら、いまだに果たせていない。それで今回は遂にその宿願を果たした。というのは嘘で、松本駅前のビジネスホテルに泊まっての日帰りであるのが、情けない。
 上高地までバスで行き、帰りのバス時間を決めておいて、その間で行き着けるだけ行って戻ってくることにした。
なんだか東京繁華街並みのにぎやかな河童橋あたりを抜けて奥へ奥へと歩き出す。
 紅葉が美しい林の中を植生を楽しみながら、ときどき林が切れて梓川と穂高の山並みが顔を出す雄大な風景を楽しみながら、徳沢園まで6.5km、往復13kmを歩いた。

    ◆
 昔々、初めて上高地に入った山岳部合宿のときは、西穂尾根に登って西穂高岳まで行く予定は、尾根の上で吹雪の日々が続いてテントに閉じ込められて敗退した。もちろん島々から重い荷物を背負って雪道を徒歩で往復である。
 次の年の夏は剱岳から縦走してきて、横尾にテントを張って屏風岩を登攀した後に、歩いて上高地に下り、更に歩いて島々まで下った。
 その秋だったか、島々から徳本峠を越えて上高地に入り、涸沢でテント生活数日、北穂高岳滝谷の岩場登攀、奥穂から槍ヶ岳に縦走して帰ったこともあった。
それが今ではもう下から眺めて、それらの思い出を心の中で反芻するだけの、センチメンタルジャーニーである。もし次のチャンスがあるならば、せめて横尾から屏風岩の下まで行って見たい。往復20kmを超えるが。

2010/10/18

339【世相戯評】ミラノとベルガモを間違えたように羽田と成田を間違うよ

 羽田空港が国際化されて、成田と両方が国際空港になるそうだ。不案内の外国人が困ることが起きるであろうと、他人ことながら気になる。
 それは、わたしが困ったことがあったからだ。

 ミラノにはマルペンサとベルガモの二つの空港がある。あれはもう15年ほども前のことだったか、知人と二人でフランクフルト経由でミラノに降り立った。
 ミラノ都心までバスで行く予定にしていたので、バスターミナルに行った。

 ところが事前に調べていたミラノ都心行きのバスが見つからない。そのあたりの人に聞いても、そんなバスはない、ミラノ空港行きバスならあるという。
 だってここはミラノ空港だろう、何言ってるんだよって、数人に聞いても同じようなことを言って、なんだかよく分からない。もちろん言葉が通じにくいのは当たりまえ。

 どうも変なので、空港の中まで引き返して案内所で聞くと、分かった。
 ここはミラノ空港ではなくて、ベルガモ空港だという。え、ミラノじゃないの?
 なんとまあ、ミラノが霧で降りられなかったので、ここに降りたという。だからミラノ空港までのバスで行って、そこから都心に行けというのだ。

 こちらはてっきりここはミラノ空港だばかり思い込んでいて、その前提で人に聞くから、変なことになっていたらしい。間違いの原因はこちらにあった。
 でも、それならそれと飛行機の中で言いそうなものだと思ったが、考えてみるとフランクフルトで乗り換えたのが、ヨーロッパ内のローカル線なので、こんなことはよくあることとて、放送はしたのだろうが、ごく普通の調子であったのだろう。こちらはそれに気がつかなかった。

 羽田に下りたはずが成田だったの感じで、ずいぶん距離は違う。そんな間違いがこれからありそうだ。

2010/10/15

338【怪しいハイテク】検察官が証拠物件のフロッピディスクデータ改竄とは

 検察官が証拠品として被疑者から押収したフロッピーディスクのプロパティに手を加えて、文書作成日付を検察側に都合がいいように書き換えたという検察官の犯罪事件が、いま世を騒がせている。
 わたしはデータのプロパティの書き換えができるなんてことは知らなかったが、それを知っていた検察官も、書き換えたことがディスクに記載されるってことを知らなかった。
 もしも裁判でそのディスクが証拠品として提出されたとしても、それを専門家に鑑定されると、改竄がばれたはずである。

 今回は裁判の外で新聞記者がばらしたので、その被疑者の上司が冤罪だった無罪判決と共に、社会的事件となっている。
 こうしてみると、電磁記録による証拠なんてものは、本当に証拠となるのだろうか。ディスクの中の奥の奥まで見ることができるということは、奥の奥まで改竄することができるってことだろうと思うのだ。

 今回はそこまで知らない人の仕業だったからばれたけれど、これからはそうはいかない。だから改竄しないようになるのではなくて、奥の奥まで改竄できるソフトウェアが出回るに違いない。
 こうなると、手書きのものしか証拠にできなくなる時代に逆戻りかもしれない。
 あ、それも高級テクニックで手書きを改竄することができるようになるかもなあ。いたちごっことはこのこと。

2010/10/14

327【世相戯評】元に戻っただけ

 地球の裏側で土中深くに閉じ込められた33人の人たちを、長尺の穴を掘って助け出す作戦が成功したとかで、新聞テレビはこのニュースで持ちきりである。
 個人名から顔写真一覧まであって、普通の報道でここまでするものかしら。
 それはそれでよかったのだが、この原因が天災ではなくて、鉱山の落盤という産業事故であることが気になる。なぜ事故が起きたのか、そのあたりの報道が全く無い。

 いかにも美談らしく報道しているが、実は人災の大事故の始末なのである。
 現場に国旗や国家が登場してくるのは、お国柄や人さまざまであるが、こちらではそれはないだろうなあと思う。

 考えてみると、この事件は何も前向きのことはなくて、地上に戻ってきて元に戻っただけである。
 こちらでおきた事件で、厚生労働省の局長が冤罪逮捕から裁判で無罪になって戻ってきたのと同じである。
 マイナスの状況がプラスマイナスゼロになっただけで、本当は喜ぶのはおかしいはずである。
追記101015)
 今朝の朝日新聞に、33人閉じ込め事件のチリの鉱山は、これまでも事故が頻発して問題となっていたと記事が載っている。全員無事に救出できたから、ようやくその面に眼が向いたか。

2010/10/09

326【世相戯評】差別意識が見えるノーベル賞

 インドで新言語が発見されたとの報道がある(2010.10.05朝日新聞夕刊)。500人ほどの人がしゃべるコロ語だそうである。
 これってまるでコロンブスの新大陸発見みたいに、発見するほうとされるほうという極端な差別意識がある。発見するほうが常に先進文化で、されるのは後進であるとの意識が見える。
 コロ語をしゃべる人たちは、発見される立場なのか、誰が発見するのか。この報道の元が、USAナショナルジオグラフィック協会だというのだから、なるほどそうかと思った。
 一時ナショナルジオグラフィックを定期購読していたことがある。記事は面白いのだが、いつもその西欧的な眼で未開の文化を「発見」する差別意識が見え見えで気になっていた。
 今に日本のどこかの村で新言語を「発見」されるかもしれない。
   ◆
 国会議事堂の中で、雑誌の商業的タイアップ記事の写真を、女性代議士をモデルにて撮影したのは、ケシカランと男の議員が怒っているとの新聞記事がある。
 神聖なる場所を穢した、ケシカランと言うのだそうだが、ヘンである。
 ファッション雑誌に載るようならようやく国会も庶民に近くなってきたのであろうに。
 税金で作って、税金で運営してるんだから、神聖なる場所を穢すなんて、差別用語を使って忌避してはいけませんよ。
 ところで国会を舞台にしたテレビドラマとか漫画とかはあるのかしら? 無いとしたら、似たようなイチャモンがあったのだろうか?
   ◆
 2010年のノーベル平和賞は、中国の獄中にある民主運動の活動家だそうである。
 中国政府当局はカンカンにお怒りらしい。個人的なことなのに、ノルウェーと国交断絶なんて、見当違いのことをするかもなあ。
 でもねえ、去年はオバマだったし、その前はアウンサン・スー・チーとかダライ・ラマだったし、日本で唯一それは佐藤栄作であったよなあ。なにか筋があるのか考えてもスーチーと佐藤栄作なんて天地の差で、なんか分からんよなあ。

 そもそも平和賞なんてのは、極端に政治的な代物であるから、アチラから見れば平和主義者、こちらから見れば政治犯となるのはあたりまえである。
 その点ではノルウェーのノーベル平和賞委員会ってところは、度胸があるなあ、としか言いようがない。
 平和賞なんてものが存在する世の中がそもそも間違っている。

 ノーベル賞も「授与」するって言うから、授け与えるほうと受け戴くほうの間の差別感が著しい。
 王権にある者が特権階級を保証する勲章や爵位があった時代のそれと同じように誰もが思っているらしいが、どうも前近代的である。
 いつも思うのだが、賞なんてものは授与するものじゃなくて、感謝して贈るものであろう。例えば文学賞はたいていは「贈呈式」といっているから、贈るものであろう。もっとも出版社が贈るのだから、儲けさせてもらうお礼かもしれない。

 だとすればノーベル賞だって、社会のために有意義なことをした人たちへの、世界の人々からのお礼の贈りものであり、それをノーベル財団の寄附で行なっているという風にならんもんですかねえ。
参照→254授与と贈呈

2010/10/07

325【本づくり趣味】「まちもり叢書」縁起

 以前に書籍の手作りなる趣味をはじめたことを書いた。
 306手製本2種http://datey.blogspot.com/2010/08/306.html
 268本作り趣味 http://datey.blogspot.com/2010/05/268.html
 本日、第5号「街なかで暮らす」ができて、これまで5種類の本を編集したことになる。
 そこで、よく会う人たち、久しぶりに会う人たち、その人が読みそうなもの、というより、その人に読ませたいものを選んで手製の本にして、勝手に押し付けている。
 5種類ともなると、なんだかシリーズになるような気がしてきた。
そこで「まちもり叢書」と名づけることにした。随時出版つまりDTPである。
 各本の最後に下記のようないわれを書いた。

●まちもり叢書縁起 2010年8月 まちもり散人
 長い人生で仕事やその周辺、そして趣味でたくさんの文章を書いてきた。いわゆる商業出版物は、共著も含めて10冊くらいだろうか。仕事でまとめた報告書なる印刷物は、200冊を越えるだろう。それらは商業出版ではないが、わたしとしては面白がって、私見もたくさん書き込んだものである。雑誌への雑分類の寄稿もある。
 それらの昔の頃からの書き物を整理して、2000年末からインタネットサイト「まちもり通信」に掲載を始めた。そのうちに書き下ろしも載せるようになり、ついには2008年からブログ「伊達な世界」も始めた。ぼう大なファイル数のサイトになってしまった。
 実は10年くらいまえに、主なものをまとめて出版しようかと思ってその気になった。だが思い直した。これほどにインタネットが普及すると、紙情報よりもこちらのほうが優れていると思うようになった。絶版はないし、誰でもアクセスできるし、ほとんど無料だし、随時公開できるのである。
 だが問題は、読ませたい人が読んでいただいているかどうかとなると、インタネットはまことに心細い。これが書籍ならば、こちらから一方的に直接押し付けて、読め読めと催促できるし、読む人も持って歩いて電車でも読める。
 そこで考えた。ジャンルを決めて編集し、机上でデザインして編集、プリントして装丁・製本、趣味の手作り本にして、そのときどきの見せたい人に配ることにしたのである。
 題して「まちもり叢書」、随時出版、つまりDTPである。
 今これをお読みの方は、その被害者のお一人である。なにとぞ、徘徊老人のボケに免じてご容赦を。

 そして現今既刊と将来刊行見込みはこうである。

●まちもり叢書・趣味の卓上手作り出版
―――既刊(2010.10時点)―――
父の十五年戦争/神主通信兵の手記を読み解く
波羅立ち猜時記/日々の小言僻言繰言寝言
・街なかで暮らす/あぶないマンション・いらないバイパス
―――続刊(見込み)―――
・建築保存とは何か/赤煉瓦東京駅舎の復原から考える
・中越山村の四季/棚田の米つくりから見てくること
・自然の風景・文化の景観/なにもかもが人間の仕業
・山口文象/時代の先端を駆け抜けた異色建築家
・高梁川/鎮守の森から

 さて、続刊できますかどうか、われとわが身を試すお楽しみである。

●参照⇒「まちもり叢書」ブックレットシリーズ

2010/10/03

324【言葉の酔時記】アパートと共同住宅とマンションはどう違うのか

 少年が放火で逮捕されたというニュース。その中味はともかく、新聞によって下記のように放火建物が違うのである(いずれも「あらたにす」サイトから引用)。
 読売では「アパートから出火、木造2階建て約670平方メートルを全焼」、
 日経では「アパートから出火、木造モルタル2階建て計約650平方メートルを全焼」、
 朝日では「共同住宅付近から火が出ていると119番通報」
 これらのアパートと共同住宅にはどのような差があるのだろうか。
 新聞社によって書き方が違うのかと思ったら、朝日には「隣のアパートに住む女性(26)は火事に気づいて外に出た際、」ともある。放火の「共同住宅」の隣には「アパート」があるらしい。この違いは何だろうか。
 国勢調査では、アパートもマンションも共同住宅に分類されている。
 2階建てならアパート、3階以上ならマンションというのも珍妙である。長屋(テラスハウスなるものもこの形式)はなんと言うのか。
 不動産屋が誇大セールスのために勝手につけた奇妙な名前にしたがって、新聞屋もいちいち違えて言うからおかしくなるのだ。
 1棟2戸以上の建物は全部「共同住宅」にして、2階建て部屋割り型(いわゆるアパート)とか、2階建て連戸型(いわゆるテラスハウス)とか、30階建て区分所有型(いわゆるマンション)とか、くっつけてはどうか。
●参照→くたばれマンション



2010/10/01

323【世相戯評】正義を振りかざす

 なんでも検察官が、犯罪者の犯行の証拠品を改造して、無実の人に罪をかぶせようとしたとかで、マスメディアがけしからんとボロクソに言って騒いでいる。
 ちょっと待てよ、その罪をかぶせられようとして無実なのに逮捕された厚生労働省の逆転無罪局長は、その当時マスメディアから犯人扱いされて、ケシカランとボロクソに言われていたような気がする。
 ということは、こんどの逮捕された検察官をボロクソに言っている今の報道は、もしかしたらこれも怪しいような気がする。またもや逆転無罪検察官になって、大恥をかくかもしれないぞ。
 社会の木鐸だとか言って、マスメデディアは正義を振りかざしたがる。どこから正義でどこから不正義なって、ホンマは分からんことだよなあ。
 最近アメリカの大学教授が「正義について語ろう」なんて名講義をして、日本でも大評判らしい。
 でもなあ、「正義」を振りかざされると、なんとも胡散臭いと思ってしまって、そちらさまでご勝手にどうぞ、わたしは敬遠しますって、言いたくなるのである。

2010/09/29

322【世相戯評】国勢調査にいちゃもん

 5年ごとに行なう国勢調査の調査票が来た。郵送でもよくなったのが、まことによろしい。
 記入していて、いろいろ気づいたこと。

男女の別」の記入だが、国勢調査は実態を把握するものであるらしいから、昨今のような性同一性ナントカントカを言われる時代となって、「男」「女」か迷う人もいるだろうし、男女どちらでもない「その他」の欄が必要かもしれない。5年後の調査にはそれが登場するだろうか。

出生の年月」に、以前は無かった西暦での記入が登場したのは、時代の移り変わりだろう。

配偶者」とは何か、これも難しいことがありそうだ。届出は配偶者であっても、実態はそうでないときは、どう記入するのかしら。同居していて、一方はそう思っていても、もう一方はそうではないかもしれない。同性の場合でも、互いにそう思っていると配偶者と書くのであろうか。
    
住居の種類」で、公営住宅が選択肢に無い。多分、「都市機構・公社等の賃貸住宅」なのであろうが、解説に列挙してある中に公営住宅は無い。国政府の調査で「など」の一部になるほどに、日本の公営住宅政策は落ちぶれてしまったのである。

住宅の建て方」の選択肢に「マンション」が出てくるかと思ったら、そうではなくて「共同住宅」となっていて、これでよろしい。解説には共同住宅の例にマンションの言葉もあるが、欧米系外国人が読んだら頭を傾げるだろう。

住宅の面積」の選択肢に、20㎡未満があるのが悲しい。上は250㎡以上でまとまってしまうのも寂しい。
    
教育」の選択肢に「在学中」「卒業」とあるが、これだと「中退」の場合はどうするか困りそうだ。多分、「卒業」のほうにするのだろう。
 学校の選択肢に「高校・旧中」とあって、「旧中」の解説で旧制の尋常中学校などが例示してある。生まれ故郷の町に旧制中学校があったが、戦後の学制改革で新制の高等学校となり、別に中学校が新設された。大人たちはしばらくの間、元の中学校が新制高校となっても中学校とつい言ってしまって、商品の配達先や子供のお遣い先やらの間違いがよくあった。新制の中学校は「新中」といっていた。

9月24日から30日までの1週間に仕事をしましたか」という問にも、自由業の者は回答に困る。例えば、売れない文筆業ならば、その期間に書いた原稿が売れたら仕事したことになるし、売れなければそうでないから、今の時点で回答できない。また例えば、都市計画審議会の委員をやっているとして、会合の日の日当は出るが、その前の下調べとか終わってからの検証とかやらなくてもよいことをしたら、これは仕事か仕事でないのか。
    
 以前の調査には「年収」の欄があったが、今回は無いのはどうしてだろうか。
 全体に調査項目が少ないような気がする。こんなに金かけてやるのだから、もっと詳しく聞いてはどうか。
 例えば、お酒を飲みますか、なにが好きですかなんてあって、日本酒やら焼酎やら選択肢があると、書き込みも楽しいのだがなあ。旅行にはどこに行きましたか、とかね。え、どうでもよい?、いや、日本の産業振興のための統計になりますよ。

 あ、そうだ、総務省の調査なんだから、ぜひとも血出痔問題についても聞いてほしかったぞ、賛成、反対なんかね、わたしは断然反対、個人財産を国家が補償なしに廃棄させるのはファシズムであるってね。