今年の広島の原爆忌でのエライ人たちの挨拶などで、福島原発に触れたところを読んでみた。
まずは原発地元の松井一實広島市長の平和宣言の原発関係部分です
「また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。
そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです」
なんだかしゃんとしない曖昧きわまる言い方ですね。「……の人々がいます」って、余所事で言うんじゃなくて、市長ご本人はどうなんだいッ。
広島市の人でさえ、こういうものなんでしょうか、それとも福島と広島は遠すぎるんでしょうか?
では、菅直人総理大臣の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつの原発部分です。
「本年3月11日に発生した東日本大震災は、東京電力福島原子力発電所に極めて深刻な打撃を与えました。これにより発生した大規模かつ長期にわたる原発事故は、放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えました。
政府は、この未曽有の事態を重く受け止め、事故の早期収束と健康被害の防止に向け、あらゆる方策を講じてまいりました。
ここ広島からも、広島県や広島市、広島大学の関係者による放射線の測定や被ばく医療チームの派遣などの支援をいただきました。
そうした結果、事態は着実に安定してきています。しかし、今なお多くの課題が残されており、今後とも全力を挙げて取り組んでまいります。
そして、わが国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。
私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。
今回の事故を、人類にとっての新たな教訓と受け止め、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくこと、それがわれわれの責務であると考えています」
うん、まあ、広島市長よりよほどはっきりしていますね。
「原発に依存しない社会」とは、脱原発ってことかしら。
それとも薬物依存なんていうように、原発に麻薬のような依存をしないってことで、やっぱり原発は容認だってことでしょうか。ウン、こっちのほうがニュアンスが近いなあ。
それにしても個人発言なら「脱原発」、首相発言なら「原発に依存しない社会」か、そのうちに「脱原発に依存しない社会」なんて言い出さないでよね。
こうしてみると、市民に近い市長が曖昧模糊、市民から遠い総理大臣のほうがちょっとは踏み込むてのが妙だが、これは政治家の資質の違いか。
次の長崎ではどうでてくるか期待している。
なお、国連事務総長の挨拶には、原発には一言もふれていなかった。
ではちょっと新聞を見よう。「原発推進派」の読売と産経はどうなんだろうかと、8月7日の両社説を見た。
読売は「「脱原発依存」はそもそも個人的な見解だったはずだ」と、こんなところで言うなって噛み付いている。
産経も「脱原発にこだわる首相の言動は無責任としかいいようがない」と、これも噛み付いている。
あげあしを取るが、ここで「こだわる」って言葉を使ったのは、菅さんの言葉をわざと矮小化する意図なのか、それともうっかり用語を間違ったのか、どっちだろうか。
注:広辞苑の「こだわる」の意味には「気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる」とある。
(追記0809)
8月9日の田上富久長崎市長の平和宣言は、いきなり冒頭から原発問題に触れて、「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進める」必要性を言った。
しかも、かなり長文である。
「平成23年長崎平和宣言」の冒頭部分
「今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました」
広島市長の曖昧模糊と比べると、ずいぶん踏み込みに差があるが、同じ被爆都市としてなぜこうも違うのだろうか。市民はどう考えるのだろうか。
そういえば、長崎は市民参加の委員会で平和宣言原案をつくり、広島は市長が考えるとか。
2011/08/07
466森まゆみさんと立ち話
こんなこともあろうかと、自作まちもり叢書『丸の内貼り混ぜ屏風-見世物としての建築景観』を数冊もって、鎌倉西御門サローネの会合に行った。
増田彰久、森まゆみ、菅孝能の3氏による「まちの文脈」というテーマの鼎談会であった。
おわってさてまた暑いところに出るかとベランダで躊躇していたら、森さんから「どちらから?」と声をかけられた。
「これ、名刺代わりです」と持参の冊子をさし上げたら、気軽く受け取ってくださった。
「森さんたちの赤レンガ東京駅保存復原運動には、わたしは復原反対なので、そのひとりキャンペーンをネットでしていましたが、これは惨敗しました。次は、福島第1原発世界文化遺産登録ひとりキャンペーンに転進します」
「あら、ネットで読んだような。水俣も世界遺産登録っていってるようですよ」
なんて4、5分立ち話、他にも話したい人が居てわたしは別れた。
◆
もう四半世紀ほども昔になってしまったが、森さんたちが「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」を立ち上げて、保存と復原運動をやりだした頃、わたしは建設省と国土庁関係の都市計画コンサルタントして、「東京駅周辺地区再開発調査委員会」(八十島委員長)の作業班をやっていた。
愛する会の側からは「赤レンガの東京駅を壊す委員会」に見えていたらしいから、わたしは森さんたちの敵側であった。
八十島委員会の動き必ずしもそうではなかったし、わたしも出自が建築史だから、裏方としての委員会資料は客観的につくらなければならないにしても、ついつい保全の方向の資料作りに熱が入ったものだ。
建設省の担当者は建築職だから、表向きは言わないにしても保全に理解があった。
愛する会の活動が赤レンガ駅舎の保全に、委員会外部からのおおきな影響をもたらしたことは間違いない。
できれば保全したい建設省側、できれば建て替えたい運輸省側(国鉄)との間での委員会の結論が、玉虫色ながらも「現在地で形態保全」(このフレーズ原案はわたしがつくった)となったことに、わたしはほっとしたものだ。
書いた当人としては、移築などせず今の場所で、内部は鉄道駅としての使いやすいように変更しても、外部の形態は今の姿で保全(保存といわないのがミソ)する、というココロだった。
さっそくに愛する方たちから「これは復原しないということらしい、ケシカラン」のような声が聞こえてきた。御推察のとおりである。
わたしは復原することで、わたしたちの世代の原点としての風景であるあの台形大ドーム屋根や大ドーム天井が消えて、戦後の歴史が消滅することを肯んずることができない。
しかし今、戦後の歴史を消滅させた姿の東京駅舎が、丸の内に現れつつある。
原風景保全を訴える、たったひとりキャンペーン「赤レンガ東京駅復原反対論」は、完敗した。
復原、非復原と関係なく、その保全によって今生み出された東京駅とその周辺の景観は、マンハッタンの谷間の赤煉瓦駅舎である。駅舎からの容積移転の結果である
これを保全後遺症というべきか、再開発後遺症というべきか、保全と再開発の幸福な結婚の結果というべきか。
◆
わたしは森さんの熱心な読者ではないが、「谷根千」の初期の頃からのプチファンではあるから、はじめて話をしてちょっと嬉しかった。
東京で仕事していた頃は、地域雑誌の「谷中・根津・千駄木」はよく買ったものだ。
そしてまた、あのあたりは若い頃から徘徊好きのわたしのお得意先であった。
特に春になると、出かけたついでに上野の山辺りで花見、そして谷中墓地から山下の町の名を忘れたが古い民家を改装した飲み屋へと足が向ったものだ。
森さんがお持ちになった「谷根千」バックナンバーの終刊号と戦災特集号を買った。気がつかないうちに終刊となっていたのだった。
そして森さんは地域雑誌の編集発行人から、まりづくり運動と文筆の人へと興味深い展開が続いているようだ。
◆
そうだ、鼎談のことも書いておかなければなるまい。
近代洋風建築写真を専門とされている増田さんは、もう日本では撮り尽くして、ちかごろは中国だそうである。
ちかごろ洋風建築がもてはやされるのはなぜかとの問いに答えて、誰が見てもこれはすごいなあ、変わっているなあと、一般市民に分りやすい意匠だからだろう、とのこと。
そう、だからその後のモダニズム建築の保存が、一般市民からの応援を得にくくて、難しいことになっているのだろう。東京駅は応援の声が高かったが、東京中央郵便局はそれがどうも盛り上がらなかったように。
ひょいと思いついたのは、日本の洋風建築は歌舞伎であり、モダニズム建築は能であるってことだった。能は庶民にはとっつきにくい。
で、やっぱり庶民には歌舞伎建築に限るって、丸の内では東京駅と三菱1号美術館では、無くなっていた昔の洋風姿をまたコピーで再現した。
今や建築は見世物になったのである。無駄な金があるもんだが(東京駅は復原に500億円とか)、見世物なら御代をちょうだいして元が取れるんだろう。
超高層建築もつまらないガラスのペロペロビルばかりではいかんと思ったか、ガラスで巨大な折り紙ヒコーキの形を作ってビルに貼り付けたのが、東京中央郵便局の通称JPタワーである。
ほう、超高層に舞い降りる航空機!、9.11のパロディってか、なかなかの技あり見世物建築ですね。
あ、また鼎談から話が逸れた。
増田彰久、森まゆみ、菅孝能の3氏による「まちの文脈」というテーマの鼎談会であった。
おわってさてまた暑いところに出るかとベランダで躊躇していたら、森さんから「どちらから?」と声をかけられた。
「これ、名刺代わりです」と持参の冊子をさし上げたら、気軽く受け取ってくださった。
「森さんたちの赤レンガ東京駅保存復原運動には、わたしは復原反対なので、そのひとりキャンペーンをネットでしていましたが、これは惨敗しました。次は、福島第1原発世界文化遺産登録ひとりキャンペーンに転進します」
「あら、ネットで読んだような。水俣も世界遺産登録っていってるようですよ」
なんて4、5分立ち話、他にも話したい人が居てわたしは別れた。
◆
もう四半世紀ほども昔になってしまったが、森さんたちが「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」を立ち上げて、保存と復原運動をやりだした頃、わたしは建設省と国土庁関係の都市計画コンサルタントして、「東京駅周辺地区再開発調査委員会」(八十島委員長)の作業班をやっていた。
愛する会の側からは「赤レンガの東京駅を壊す委員会」に見えていたらしいから、わたしは森さんたちの敵側であった。
八十島委員会の動き必ずしもそうではなかったし、わたしも出自が建築史だから、裏方としての委員会資料は客観的につくらなければならないにしても、ついつい保全の方向の資料作りに熱が入ったものだ。
建設省の担当者は建築職だから、表向きは言わないにしても保全に理解があった。
愛する会の活動が赤レンガ駅舎の保全に、委員会外部からのおおきな影響をもたらしたことは間違いない。
できれば保全したい建設省側、できれば建て替えたい運輸省側(国鉄)との間での委員会の結論が、玉虫色ながらも「現在地で形態保全」(このフレーズ原案はわたしがつくった)となったことに、わたしはほっとしたものだ。
書いた当人としては、移築などせず今の場所で、内部は鉄道駅としての使いやすいように変更しても、外部の形態は今の姿で保全(保存といわないのがミソ)する、というココロだった。
さっそくに愛する方たちから「これは復原しないということらしい、ケシカラン」のような声が聞こえてきた。御推察のとおりである。
わたしは復原することで、わたしたちの世代の原点としての風景であるあの台形大ドーム屋根や大ドーム天井が消えて、戦後の歴史が消滅することを肯んずることができない。
しかし今、戦後の歴史を消滅させた姿の東京駅舎が、丸の内に現れつつある。
原風景保全を訴える、たったひとりキャンペーン「赤レンガ東京駅復原反対論」は、完敗した。
復原、非復原と関係なく、その保全によって今生み出された東京駅とその周辺の景観は、マンハッタンの谷間の赤煉瓦駅舎である。駅舎からの容積移転の結果である
これを保全後遺症というべきか、再開発後遺症というべきか、保全と再開発の幸福な結婚の結果というべきか。
◆
わたしは森さんの熱心な読者ではないが、「谷根千」の初期の頃からのプチファンではあるから、はじめて話をしてちょっと嬉しかった。
東京で仕事していた頃は、地域雑誌の「谷中・根津・千駄木」はよく買ったものだ。
そしてまた、あのあたりは若い頃から徘徊好きのわたしのお得意先であった。
特に春になると、出かけたついでに上野の山辺りで花見、そして谷中墓地から山下の町の名を忘れたが古い民家を改装した飲み屋へと足が向ったものだ。
森さんがお持ちになった「谷根千」バックナンバーの終刊号と戦災特集号を買った。気がつかないうちに終刊となっていたのだった。
そして森さんは地域雑誌の編集発行人から、まりづくり運動と文筆の人へと興味深い展開が続いているようだ。
◆
そうだ、鼎談のことも書いておかなければなるまい。
近代洋風建築写真を専門とされている増田さんは、もう日本では撮り尽くして、ちかごろは中国だそうである。
ちかごろ洋風建築がもてはやされるのはなぜかとの問いに答えて、誰が見てもこれはすごいなあ、変わっているなあと、一般市民に分りやすい意匠だからだろう、とのこと。
そう、だからその後のモダニズム建築の保存が、一般市民からの応援を得にくくて、難しいことになっているのだろう。東京駅は応援の声が高かったが、東京中央郵便局はそれがどうも盛り上がらなかったように。
ひょいと思いついたのは、日本の洋風建築は歌舞伎であり、モダニズム建築は能であるってことだった。能は庶民にはとっつきにくい。
で、やっぱり庶民には歌舞伎建築に限るって、丸の内では東京駅と三菱1号美術館では、無くなっていた昔の洋風姿をまたコピーで再現した。
今や建築は見世物になったのである。無駄な金があるもんだが(東京駅は復原に500億円とか)、見世物なら御代をちょうだいして元が取れるんだろう。
超高層建築もつまらないガラスのペロペロビルばかりではいかんと思ったか、ガラスで巨大な折り紙ヒコーキの形を作ってビルに貼り付けたのが、東京中央郵便局の通称JPタワーである。
ほう、超高層に舞い降りる航空機!、9.11のパロディってか、なかなかの技あり見世物建築ですね。
あ、また鼎談から話が逸れた。
2011/08/05
465言葉の酔時記:子ども、円、臭い
「子ども手当」がなくなって「児童手当」になるんだとさ、なんのことか分らん。
分ることは、「子ども」は複数名詞だから、2人以上いないと手当て無し、「児童」は単数も複数も含むから1人以上いれば手当て有りってことでしょうな、多分。
「子ども園」なる保育園と幼稚園の合体ってのも「児童園」て変わるんでしょうな、ウン。
ところで「子どもたち」という言い方があるが、複数名詞を更に複数にしてどうするんだよ。昔は「子達」という複数言葉があったが、最近は聞かないなあ。
◆
温度でも物価でも山でも数字の多い方を高いというのが世の常識だろうに、円が高くなったというので、見ると昨日より低い値である、おかしい。
何事にも例外があってよいけれど、こう毎日毎日、低い数字がでるたびに高い高いと言われるんじゃなあ。
こどもの算数や理科の教育によくないような気がするし、わたしの頭の中で計算がややこしくて情緒不安定になる。これはやっぱり円安というべきであろう、え、違う?
◆
今日の新聞に、紡績屋が香料屋と共同して、ウンチの臭いを「森林の中にいるような清涼感のある香りに変える」繊維を開発し、オムツを作るんだという。
いやなのは臭い、気持ちいいのが香りってことで、臭いを香りに変換するのか。ウンチ爆弾エネルギーを、平和利用に転換するのだな。
むかしのことだが(今もあるかな)、汲み取り便所の臭いをごまかすために、便所に置く瓶に入れたジンチョウゲの香料が普及した。今でもジンチョウゲを嗅ぐと、ウンチと消毒液との3種混合香臭を思い出す。香りが臭いに自動変換するのだ。
ネットで検索すると「沈丁花」なる香水があるらしい、う~む、知らぬってことは恐ろしいもんだ。
◆
最近でたアインシュタインに関する翻訳本で、ある章が珍妙な文で埋め尽くされていると評判になっている。
●参照→言葉の酔時記
分ることは、「子ども」は複数名詞だから、2人以上いないと手当て無し、「児童」は単数も複数も含むから1人以上いれば手当て有りってことでしょうな、多分。
「子ども園」なる保育園と幼稚園の合体ってのも「児童園」て変わるんでしょうな、ウン。
ところで「子どもたち」という言い方があるが、複数名詞を更に複数にしてどうするんだよ。昔は「子達」という複数言葉があったが、最近は聞かないなあ。
◆
温度でも物価でも山でも数字の多い方を高いというのが世の常識だろうに、円が高くなったというので、見ると昨日より低い値である、おかしい。
何事にも例外があってよいけれど、こう毎日毎日、低い数字がでるたびに高い高いと言われるんじゃなあ。
こどもの算数や理科の教育によくないような気がするし、わたしの頭の中で計算がややこしくて情緒不安定になる。これはやっぱり円安というべきであろう、え、違う?
◆
今日の新聞に、紡績屋が香料屋と共同して、ウンチの臭いを「森林の中にいるような清涼感のある香りに変える」繊維を開発し、オムツを作るんだという。
いやなのは臭い、気持ちいいのが香りってことで、臭いを香りに変換するのか。ウンチ爆弾エネルギーを、平和利用に転換するのだな。
むかしのことだが(今もあるかな)、汲み取り便所の臭いをごまかすために、便所に置く瓶に入れたジンチョウゲの香料が普及した。今でもジンチョウゲを嗅ぐと、ウンチと消毒液との3種混合香臭を思い出す。香りが臭いに自動変換するのだ。
ネットで検索すると「沈丁花」なる香水があるらしい、う~む、知らぬってことは恐ろしいもんだ。
◆

どうもコンピューターの自動翻訳のままで、校正が出版期日までに間に合わずに、そのまま出しちゃったという、お粗末らしい。
インタネットのあるサイトに、その変なページの一部のコピーが載っている。ふ~ん、コンピューターのバカさがわかるような、いや、賢さが分るというべきか。
マニアコレクターは定価の10倍の2万円でも買いたいとか。そうか、今度は1冊まるまる機械翻訳のまま出せば、大もうけだな、、?●参照→言葉の酔時記
2011/08/04
464戦後復興街並みをつくった市井の人々:書評「都市の戦後」初田香成著
戦後復興街並みをつくった市井の人々
書評:初田香成著「都市の戦後‐雑踏の中の都市計画と建築」
●戦後がようやく歴史に
わたしは今は横浜都心に住んでいるが、徘徊老人の散歩で歩くこのあたりには、戦後復興の「防火建築帯」が今も現役で、街並みを構成している。
それら地味な建築群は、何の評価も与えられずに、次第に建替えられていくのを見ていて、あの何もない時代にこれを建て続けたこの街の人々の努力を、なんらかの記録だけでもしようとは、誰も思わないのかと気にしていた。
*横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
*参照→横浜B級観光ガイドブック
http://sites.google.com/site/dateyg/yokohama-bkyuu-kankou-gaidobukku
そのようなところに、戦後都市復興を都市と建築を結びつけ、それを成した過程で現場に登場する人々、特に民側にも目を向けた立場から書いている本が出た。
この類のものは、これまでは制度と事業の結果を書いたものがほとんどであるに比べて、私自身が現場で生きてきたので興味深く読んだ。まさに私自身の社会での成長史を読むような気分になったある。
戦後66年、どうやら戦後も研究対象となる歴史になってきたらしい。ということはわたしも古老になったということでもある。やむをえない。
表紙の新橋駅烏森口の広場前のごちゃごちゃ街並みが懐かしい。
あの頃に現場に身を置いていたものにとっては、その後の若者が歴史としてこれを叙述するのを読むのは、これを読むいまの自分とあの頃の自分の間を時間航行する気分になった。
●うらやましい父子鷹
序章の出だしに吉祥寺の街の図が出てくる。著者は、自然発生的に構成する雑踏の街、吉祥寺のような街の土地と建物のありようの成立を追いたいというのだ。
実を言うと、わたしは1970年前後の30歳台前半を吉祥寺防火建築帯の現場に入れこんでいた。だから、どのような分析がでてくるかとひも解いたのだが、本文にはなくて期待が外れた。
著者は吉祥寺が自然遷移的にメタモルフォーゼしているととらえているようだが、わたしがやっていた仕事はまさに街を人為的に街を動かすことであった。できはよくないが街の将来像マスタープランもあったのだ。
結果が計画的に見えないのはよいのか悪いのか、これも含めて吉祥寺まちづくりの歴史的研究は既にあるのだろうか。著者には次はそれを書いてもらいたい。
序章に著者の研究の視点が書いてあるのだが、先行研究者のひとりに初田亨氏の名がでてきて、そうか、父君の都市研究の戦後版であるか、それにしても幸せな研究者親子であると,羨ましく微笑した。(つづく)
●全文は→戦後復興街並みをつくった市井の人々:書評「都市の戦後」
http://homepage2.nifty.com/datey/tosinosengo-syohyo.htm
書評:初田香成著「都市の戦後‐雑踏の中の都市計画と建築」
●戦後がようやく歴史に
わたしは今は横浜都心に住んでいるが、徘徊老人の散歩で歩くこのあたりには、戦後復興の「防火建築帯」が今も現役で、街並みを構成している。
それら地味な建築群は、何の評価も与えられずに、次第に建替えられていくのを見ていて、あの何もない時代にこれを建て続けたこの街の人々の努力を、なんらかの記録だけでもしようとは、誰も思わないのかと気にしていた。
*横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
*参照→横浜B級観光ガイドブック
http://sites.google.com/site/dateyg/yokohama-bkyuu-kankou-gaidobukku
そのようなところに、戦後都市復興を都市と建築を結びつけ、それを成した過程で現場に登場する人々、特に民側にも目を向けた立場から書いている本が出た。
この類のものは、これまでは制度と事業の結果を書いたものがほとんどであるに比べて、私自身が現場で生きてきたので興味深く読んだ。まさに私自身の社会での成長史を読むような気分になったある。
戦後66年、どうやら戦後も研究対象となる歴史になってきたらしい。ということはわたしも古老になったということでもある。やむをえない。
表紙の新橋駅烏森口の広場前のごちゃごちゃ街並みが懐かしい。
あの頃に現場に身を置いていたものにとっては、その後の若者が歴史としてこれを叙述するのを読むのは、これを読むいまの自分とあの頃の自分の間を時間航行する気分になった。
●うらやましい父子鷹
序章の出だしに吉祥寺の街の図が出てくる。著者は、自然発生的に構成する雑踏の街、吉祥寺のような街の土地と建物のありようの成立を追いたいというのだ。
実を言うと、わたしは1970年前後の30歳台前半を吉祥寺防火建築帯の現場に入れこんでいた。だから、どのような分析がでてくるかとひも解いたのだが、本文にはなくて期待が外れた。
著者は吉祥寺が自然遷移的にメタモルフォーゼしているととらえているようだが、わたしがやっていた仕事はまさに街を人為的に街を動かすことであった。できはよくないが街の将来像マスタープランもあったのだ。
結果が計画的に見えないのはよいのか悪いのか、これも含めて吉祥寺まちづくりの歴史的研究は既にあるのだろうか。著者には次はそれを書いてもらいたい。
序章に著者の研究の視点が書いてあるのだが、先行研究者のひとりに初田亨氏の名がでてきて、そうか、父君の都市研究の戦後版であるか、それにしても幸せな研究者親子であると,羨ましく微笑した。(つづく)
●全文は→戦後復興街並みをつくった市井の人々:書評「都市の戦後」
http://homepage2.nifty.com/datey/tosinosengo-syohyo.htm
2011/08/02
463乗っ取られた言葉
米は債務不履行を回避し、コメは2段階で検査するって、こんな夕刊の見出しが並んでいる。
え~っとコメって米のことなのかい、カタカナで書くのは植物であるからかい、でもここは食物だよ。
これって米のほうは当て字の借り物で、コメのほうが本来は米であるべきなのに、奇妙なことである。ヤヤコシイ。
米(こめ)が米(ベイ)に乗っ取られてしまった。
だれもベイとかベイコクって口では言わないよ、アメリカとかUSAと書けばいいだろうに。
だってUAEって書いてるよ、たしかアラブ首長国連邦だよね。
国名表記は長い間のいい加減な慣習でそうなのだろうけど、いい加減すぎると思う。
米は米って一字でも書くのに、韓とか中とかいつも国がつくのはなぜ?
ロシア国とかフィリピン国とか書かないね、なんで?
とにかく新聞の外国語への対応は場当たりであるな。
コリアやチャイナの人名はカナを振ったり振らなかったり、日本風に読み下したり原語風にカナ振ったり、はじめっからカナで書いたり、いったいどう読めばいいんだよ~。
え~っとコメって米のことなのかい、カタカナで書くのは植物であるからかい、でもここは食物だよ。
これって米のほうは当て字の借り物で、コメのほうが本来は米であるべきなのに、奇妙なことである。ヤヤコシイ。
米(こめ)が米(ベイ)に乗っ取られてしまった。
だれもベイとかベイコクって口では言わないよ、アメリカとかUSAと書けばいいだろうに。
だってUAEって書いてるよ、たしかアラブ首長国連邦だよね。
国名表記は長い間のいい加減な慣習でそうなのだろうけど、いい加減すぎると思う。
米は米って一字でも書くのに、韓とか中とかいつも国がつくのはなぜ?
ロシア国とかフィリピン国とか書かないね、なんで?
とにかく新聞の外国語への対応は場当たりであるな。
コリアやチャイナの人名はカナを振ったり振らなかったり、日本風に読み下したり原語風にカナ振ったり、はじめっからカナで書いたり、いったいどう読めばいいんだよ~。
2011/08/01
462津波と戦争そして原発
●騒乱の1933年3月
東日本大震災のもとになった2011年3月11日東北地方太平洋沖地震は、大津波による被害が甚大である。そしてこの津波の大被害ははじめてのことではなくて、特に東北地方の三陸沿岸部はこれまでに何度もあったという。
1933年3月3日、昭和三陸地震がおきて大災害となっている。今の東日本大震災のほうが被害は大きいようだが、その頃の社会情勢と今とは大いに違うから、当時の社会ではどう受け止めたのだろうかと興味がわいた。
1933年といえば、世界恐慌、昭和恐慌とされる時代の中心にあり、失業者は町にあふれ、労働争議は頻発し、農村部の疲弊は悲惨であった。その前の1932年には右翼や軍のテロリストが横行して政財界要人たちが次々と暗殺され、政党内閣が倒れて元海軍大将の斉藤実を首相とする「挙国一致内閣」となっている。
満州では戦争、国内では大不況と政治不安という、どん底の時に東北地方で起きた大災害は、2011年の今の世情と大災害と、なにか似通っているかもしれない。
1933年3月の新聞を読んでみたら、この月は、新聞号外が4回も出た騒乱の日々であった。
戦争、大地震と津波、世界恐慌、外交問題などの事件が、その頃の日本を揺り動かして、更にその後の日本を下りの崖道に導いたのであった。
1945年には崖下に転落する日本の悲劇の序曲を聴くようである。
実はちょうどこの時期、わたしの父が一兵卒として中国で戦闘の最前線に出て、弾が身をかすめる日々を送っていたのである。わたし個人としても気になる年月である。
父はその戦争日誌をのこしており、その1933年3月の一庶民の戦場での日々と新聞記事を合わせつつ読んでみた。
その後の歴史的事実と今日の動きを思い合わせて、わたしは時間航行者の気分になってしまった。
●この続き全文はこちら→津波と戦争そして原発 http://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-senso-genpatu
●→縦書きPDF版はこちら
東日本大震災のもとになった2011年3月11日東北地方太平洋沖地震は、大津波による被害が甚大である。そしてこの津波の大被害ははじめてのことではなくて、特に東北地方の三陸沿岸部はこれまでに何度もあったという。
1933年3月3日、昭和三陸地震がおきて大災害となっている。今の東日本大震災のほうが被害は大きいようだが、その頃の社会情勢と今とは大いに違うから、当時の社会ではどう受け止めたのだろうかと興味がわいた。
1933年といえば、世界恐慌、昭和恐慌とされる時代の中心にあり、失業者は町にあふれ、労働争議は頻発し、農村部の疲弊は悲惨であった。その前の1932年には右翼や軍のテロリストが横行して政財界要人たちが次々と暗殺され、政党内閣が倒れて元海軍大将の斉藤実を首相とする「挙国一致内閣」となっている。
満州では戦争、国内では大不況と政治不安という、どん底の時に東北地方で起きた大災害は、2011年の今の世情と大災害と、なにか似通っているかもしれない。
1933年3月の新聞を読んでみたら、この月は、新聞号外が4回も出た騒乱の日々であった。
戦争、大地震と津波、世界恐慌、外交問題などの事件が、その頃の日本を揺り動かして、更にその後の日本を下りの崖道に導いたのであった。
1945年には崖下に転落する日本の悲劇の序曲を聴くようである。
実はちょうどこの時期、わたしの父が一兵卒として中国で戦闘の最前線に出て、弾が身をかすめる日々を送っていたのである。わたし個人としても気になる年月である。
父はその戦争日誌をのこしており、その1933年3月の一庶民の戦場での日々と新聞記事を合わせつつ読んでみた。
その後の歴史的事実と今日の動きを思い合わせて、わたしは時間航行者の気分になってしまった。
●この続き全文はこちら→津波と戦争そして原発 http://sites.google.com/site/dandysworldg/tunami-senso-genpatu
●→縦書きPDF版はこちら
2011/07/31
461大災害に都市デザインは無力か
7月30日午後、YCC(横浜創造都市センター)で「横浜の年デザイン活動の40年とこれから」シンポジウムに見物参加。
有名な横浜の都市デザインの来し方を見つめ、これからどうするかということだった。
●参照→http://datey.blogspot.com/2011/06/439.html
横浜都心の傍らに暮す身としては、その都心デザイン放射線が降り積っているところを、毎日のように徘徊老人をやっている。都市デザイン消費者である。
近くの大通り公園、ちょっと歩いて日本大通から山下町へ、そしてみなとみらい地区へ、きれいで格好よい街でございますって、デザイン放射線がだんだんと濃厚に立ちこめてくる。
その放射能の濃さに息が詰まって、ついつい中華街とか野毛、福富町あるいは寿町あたりの、それも横丁や裏道に入って、眼の深呼吸をするのである。
シンポジウムは「横浜都市デザイン村」の同窓会であった。
行政マンにしては珍しく都市デザイン室に居つづけた、国吉さんの退職送別会の感もあり。
昨日の話しを早く言えば、国吉さんのような特別な能力ある人がいたから、横浜都市デザイン室は市長が替わっても替わっても40年も継続し、彼の周囲には研究者、計画者、設計者たちの専門家の人的村社会ができ上がって、プロの目から見ると一定の成果をあげたってことなのだろう。
ラウンドテーブルを囲むパネラーが19人もいたが、都市デザインの供給者側ばかりで、その消費者側がひとりもいなかったのが、ちょっとそういうものなのって思ったのだった。
横浜都心のかたわらに暮す一市民(新参者でまだ9年)として参加した立場から言うと、村民だけにはよく分る横都デ語があるらしく、高い笑いがあがるのだが、解せぬこちらは疎外されて黙然とするばかり。
まあ、わたしは元プロだったから、ある程度はその頃の知識を錆付く頭の引き出しの中を総動員するのだが、横浜の仕事はしたことがないから、ごく普通の市民なみに半分くらいしか理解できない。
横浜市の主催だから一般市民も相手かと思ったが、どうもそうではなかったらしい。
東日本大震災で広大なるデコンストラクション世界が出現し、このことが都市デザインの今後になにをもたらすのか、そのあたりの話題に期待したが、パネラーの一人だけがわずかに問題提起しただけで、何も展開しなかった。
これだけ村の顔役たちを集めたのだから、都市デザインの無力への絶望とか新たな展望とかが語られるかと思ったが、大学まちづくりコンソーシアム横浜が提案したインナーハーバー計画への批判の種に使われただけだったのが、提案者にはタイミングがちょうど悪くて、お気の毒であった。まあ、言われてもしょうがないか。
有名な横浜の都市デザインの来し方を見つめ、これからどうするかということだった。
●参照→http://datey.blogspot.com/2011/06/439.html
横浜都心の傍らに暮す身としては、その都心デザイン放射線が降り積っているところを、毎日のように徘徊老人をやっている。都市デザイン消費者である。
近くの大通り公園、ちょっと歩いて日本大通から山下町へ、そしてみなとみらい地区へ、きれいで格好よい街でございますって、デザイン放射線がだんだんと濃厚に立ちこめてくる。
その放射能の濃さに息が詰まって、ついつい中華街とか野毛、福富町あるいは寿町あたりの、それも横丁や裏道に入って、眼の深呼吸をするのである。
シンポジウムは「横浜都市デザイン村」の同窓会であった。
行政マンにしては珍しく都市デザイン室に居つづけた、国吉さんの退職送別会の感もあり。
昨日の話しを早く言えば、国吉さんのような特別な能力ある人がいたから、横浜都市デザイン室は市長が替わっても替わっても40年も継続し、彼の周囲には研究者、計画者、設計者たちの専門家の人的村社会ができ上がって、プロの目から見ると一定の成果をあげたってことなのだろう。
ラウンドテーブルを囲むパネラーが19人もいたが、都市デザインの供給者側ばかりで、その消費者側がひとりもいなかったのが、ちょっとそういうものなのって思ったのだった。
横浜都心のかたわらに暮す一市民(新参者でまだ9年)として参加した立場から言うと、村民だけにはよく分る横都デ語があるらしく、高い笑いがあがるのだが、解せぬこちらは疎外されて黙然とするばかり。
まあ、わたしは元プロだったから、ある程度はその頃の知識を錆付く頭の引き出しの中を総動員するのだが、横浜の仕事はしたことがないから、ごく普通の市民なみに半分くらいしか理解できない。
横浜市の主催だから一般市民も相手かと思ったが、どうもそうではなかったらしい。
東日本大震災で広大なるデコンストラクション世界が出現し、このことが都市デザインの今後になにをもたらすのか、そのあたりの話題に期待したが、パネラーの一人だけがわずかに問題提起しただけで、何も展開しなかった。
これだけ村の顔役たちを集めたのだから、都市デザインの無力への絶望とか新たな展望とかが語られるかと思ったが、大学まちづくりコンソーシアム横浜が提案したインナーハーバー計画への批判の種に使われただけだったのが、提案者にはタイミングがちょうど悪くて、お気の毒であった。まあ、言われてもしょうがないか。
2011/07/30
460八百長原発・原子力不安院
原子力安全不安院(え、保安院だっけ)ってのは、国民のみなさまの原子力の安全性についての不安を、取り除くためのお仕事をする役所でしょ。
いろいろとご努力の様子には、おアリガトウゴザイマスル、ホント。
これはヤラセだよ~って、にわかに新聞テレビが騒いでいる。
原発発電所の設置や新機能についての説明会に、電力会社と経済産業省原子力安全不安院とがグルになって、電力会社員や参加者を動員し、原発側に都合の良い発言をしてほしいと、Eメールなどで依頼したとかである。
え~っと、なんだか似たような事件が、この数年のうちにあったような、なんだっけか?
年とってくると大昔のことは思い出しやすいが、この数年のことが霞の中に消える。
いや、そうでもないか、人の名前なんてのは、大昔も昨日も同じようにわすれているなあ、でも、これってわたしだけじゃないから安心だ、いや、安心でもないか。
いや、原発である。あ、そうそう、おもいだした、八百長相撲事件である。
え~っと、国際プロ相撲協会というのかしら、外国人が大勢いて年に数回の全国巡回場所興業をやっている集団があるよね、NHKでも放送してる。
あそこで、力士の間で勝負のつけ方をメールを使って談合してたって事件であった。
原発推進派が勝つか、反対派が勝つか、この両派が相撲して決着しようとして、談合したってことではないんだな。
まあ、原発推進説明会やシンポジウムに、政府機関が意図して推進派を動員したって、どうも八百長相撲、いや八百長原発くさいよなあ。
ただ、どうもヘンである、ナンデ今ごろになって言うの?
だって、説明会やらシンポジウムやら、ずいぶん前のことだよ。
その八百長お願いは、秘密でもなんでもなくて、堂々とやってるんだろ。八百長ってみんな知ってたんだろ?
もしかして、その頃に八百長だとかヤラセとか言うと、どこかから脅しがかかったのかしら?コワ~。
今、ようやく言っても大丈夫な世の中になったのかしら? コワ~
いろいろとご努力の様子には、おアリガトウゴザイマスル、ホント。
これはヤラセだよ~って、にわかに新聞テレビが騒いでいる。
原発発電所の設置や新機能についての説明会に、電力会社と経済産業省原子力安全不安院とがグルになって、電力会社員や参加者を動員し、原発側に都合の良い発言をしてほしいと、Eメールなどで依頼したとかである。
え~っと、なんだか似たような事件が、この数年のうちにあったような、なんだっけか?
年とってくると大昔のことは思い出しやすいが、この数年のことが霞の中に消える。
いや、そうでもないか、人の名前なんてのは、大昔も昨日も同じようにわすれているなあ、でも、これってわたしだけじゃないから安心だ、いや、安心でもないか。
いや、原発である。あ、そうそう、おもいだした、八百長相撲事件である。
え~っと、国際プロ相撲協会というのかしら、外国人が大勢いて年に数回の全国巡回場所興業をやっている集団があるよね、NHKでも放送してる。
あそこで、力士の間で勝負のつけ方をメールを使って談合してたって事件であった。
原発推進派が勝つか、反対派が勝つか、この両派が相撲して決着しようとして、談合したってことではないんだな。
まあ、原発推進説明会やシンポジウムに、政府機関が意図して推進派を動員したって、どうも八百長相撲、いや八百長原発くさいよなあ。
ただ、どうもヘンである、ナンデ今ごろになって言うの?
だって、説明会やらシンポジウムやら、ずいぶん前のことだよ。
その八百長お願いは、秘密でもなんでもなくて、堂々とやってるんだろ。八百長ってみんな知ってたんだろ?
もしかして、その頃に八百長だとかヤラセとか言うと、どこかから脅しがかかったのかしら?コワ~。
今、ようやく言っても大丈夫な世の中になったのかしら? コワ~
2011/07/27
459義経千本桜を能の目で見る
久しぶりに歌舞伎を見た。10年ぶりくらいだろうか。
「義経千本桜 渡海屋の場 大物浦の場」である。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室が、近くのホールのやって来たのだ。
歌舞伎の事はほとんど知らないが、この演題と碇をもったポスター写真を見て、ハハン、能の「船弁慶」と「碇潜」の歌舞伎アレンジ版だなとわかった。
歌舞伎は能をベースに脚色したものがたくさんあるが、これもそのひとつである。能から歌舞伎でどう変わるのか、そこに興味があった。
物語のベースにあるのは、鎌倉幕府の兄の源頼朝から追われる身となった義経一行の逃避行だが、能でも歌舞伎でも義経の役は重要ではなくて、主役は平家の大将知盛である。
能「船弁慶」では、大物浦を船出した義経一行に、以前に檀の浦で義経と戦って、海に飛び込んで死んだ知盛の幽霊が襲いかかってくるのが見せ場である。
能「碇潜」でも知盛は死んでいることになっている。これは史実である。
ところが歌舞伎「義経千本桜」と来たら、知盛は檀の浦で実は逃げて生きているし、そればかりか安徳天皇や女官たちも生き延びていることになっている。
そして大物浦の船宿の主の父と娘に身をやつして、義経の命を狙っているのである。
能とは比べ物にならない飛躍する創意である。面白い。
この最後に知盛は死に、安徳天皇は義経が助けて、その身を奉じて落ち延びるのだが、さて、この先で安徳天皇はどうなるんだろうか。
安徳天皇が生きて、平家の落人と一緒に落ち延びたという伝説は、日本のあちこちにあるらしい。
10年ほど前に四国の山奥に行ったとき、有名な平家落人集落があり、そこに安徳天皇の衣装を干したと伝える木があった。
そこの旧家で平家の赤旗を見せてもらった。かなり古ぼけて赤というより垢に近い感じであった。
本当に平家落人かもしれないが、急な山地の貧しい暮らしを支えるためには、貴種出自伝説は心の拠り所となったであろう。
この歌舞伎をその元となった能を頭に置きながら観ると、かなり違ってほとんど別物を言ってよいが、ところどころでひょいと能が姿をあらわすのは、竹本の文句である。
あれなんだか聞いたような言葉と思ったら、これはたしか能「田村」だよ、何でここで田村だよ、とか、ははんこれは元歌「船弁慶」ですねえ、とか。
演技のほうは能と比べると過剰すぎて、目の中が満員になる。舞台装置のあれこれも過剰だ。
ただ、刀剣などでの斬り合い演技が妙に様式化した動きで、いわゆるちゃんばらにならないのがおかしい。
やはり義経が出る「正尊」で様式化した大立ち回りの斬り合いがあるが、歌舞伎はこれを継いでいるかもしれない。能にはトンボはないが、仏倒れのようなケレンはある。
もうひとつ能の延長上にあると思ったのは、平家方の男も女もぞろぞろと長袴姿であることだ。
実は能でも長袴の装束で登場する役は多いのだが、例えば「隅田川」の船頭までも長袴というのが、いつも解せない。アンなの穿いて舟がこげるものかよ。
貧乏性のこちとらは、あの袴の足の下に踏まれて床にこすられてるところは、穴があいてるんじゃないの、って心配になるのだ。
それにしても歌舞伎の舞台装置のチャチなことよ。
芝居小屋という仮設性を引きずっているのだろうが、舞台の建物の柱も鴨居も壁も、まるで仮設住宅のように作りが悪い。わざと悪く見せるのだろうか。
最後に知盛が登って飛び込む海岸の大きな岩のつくりが、おいおいそんなところで重い碇を振り回していると、岩ごと崩れ落ちるよって言いたくなるほどだ。
いや、これはケチをつけているのではない。そう見てはいけないのだ。
観客はその舞台での建物が御殿の役割ならそう見るし、その屋根だけがつけ替わると浜の苫屋に見なければならないのである。
能舞台ではほとんど舞台装置はないし、あってもあまりにも簡素すぎて、つまりチャチの極限なので、抽象化されて象徴性が浮き出る。
こうなると見るほうの頭の中で、それを豪華な御殿にでも乞食の小屋にでも、一生懸命に変換しなければならない。
だから変換能力が無い初心者は能を見てもつまらない。何回も見ているうちに変換能力がついてくる。
その点、歌舞伎は直ぐにとっつける。
ただし、歌舞伎の舞台のチャチさは、能に比べると半端なのである。
その半端さがチャチさを浮かび上がらせて、観客に変換能力を発揮させない。見立てのジャマをする。
「義経千本桜 渡海屋の場 大物浦の場」である。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室が、近くのホールのやって来たのだ。
歌舞伎の事はほとんど知らないが、この演題と碇をもったポスター写真を見て、ハハン、能の「船弁慶」と「碇潜」の歌舞伎アレンジ版だなとわかった。
歌舞伎は能をベースに脚色したものがたくさんあるが、これもそのひとつである。能から歌舞伎でどう変わるのか、そこに興味があった。
物語のベースにあるのは、鎌倉幕府の兄の源頼朝から追われる身となった義経一行の逃避行だが、能でも歌舞伎でも義経の役は重要ではなくて、主役は平家の大将知盛である。
能「船弁慶」では、大物浦を船出した義経一行に、以前に檀の浦で義経と戦って、海に飛び込んで死んだ知盛の幽霊が襲いかかってくるのが見せ場である。
能「碇潜」でも知盛は死んでいることになっている。これは史実である。
ところが歌舞伎「義経千本桜」と来たら、知盛は檀の浦で実は逃げて生きているし、そればかりか安徳天皇や女官たちも生き延びていることになっている。
そして大物浦の船宿の主の父と娘に身をやつして、義経の命を狙っているのである。
能とは比べ物にならない飛躍する創意である。面白い。
この最後に知盛は死に、安徳天皇は義経が助けて、その身を奉じて落ち延びるのだが、さて、この先で安徳天皇はどうなるんだろうか。
安徳天皇が生きて、平家の落人と一緒に落ち延びたという伝説は、日本のあちこちにあるらしい。
10年ほど前に四国の山奥に行ったとき、有名な平家落人集落があり、そこに安徳天皇の衣装を干したと伝える木があった。
そこの旧家で平家の赤旗を見せてもらった。かなり古ぼけて赤というより垢に近い感じであった。
本当に平家落人かもしれないが、急な山地の貧しい暮らしを支えるためには、貴種出自伝説は心の拠り所となったであろう。
この歌舞伎をその元となった能を頭に置きながら観ると、かなり違ってほとんど別物を言ってよいが、ところどころでひょいと能が姿をあらわすのは、竹本の文句である。
あれなんだか聞いたような言葉と思ったら、これはたしか能「田村」だよ、何でここで田村だよ、とか、ははんこれは元歌「船弁慶」ですねえ、とか。
演技のほうは能と比べると過剰すぎて、目の中が満員になる。舞台装置のあれこれも過剰だ。
ただ、刀剣などでの斬り合い演技が妙に様式化した動きで、いわゆるちゃんばらにならないのがおかしい。
やはり義経が出る「正尊」で様式化した大立ち回りの斬り合いがあるが、歌舞伎はこれを継いでいるかもしれない。能にはトンボはないが、仏倒れのようなケレンはある。
もうひとつ能の延長上にあると思ったのは、平家方の男も女もぞろぞろと長袴姿であることだ。
実は能でも長袴の装束で登場する役は多いのだが、例えば「隅田川」の船頭までも長袴というのが、いつも解せない。アンなの穿いて舟がこげるものかよ。
貧乏性のこちとらは、あの袴の足の下に踏まれて床にこすられてるところは、穴があいてるんじゃないの、って心配になるのだ。
それにしても歌舞伎の舞台装置のチャチなことよ。
芝居小屋という仮設性を引きずっているのだろうが、舞台の建物の柱も鴨居も壁も、まるで仮設住宅のように作りが悪い。わざと悪く見せるのだろうか。
最後に知盛が登って飛び込む海岸の大きな岩のつくりが、おいおいそんなところで重い碇を振り回していると、岩ごと崩れ落ちるよって言いたくなるほどだ。
いや、これはケチをつけているのではない。そう見てはいけないのだ。
観客はその舞台での建物が御殿の役割ならそう見るし、その屋根だけがつけ替わると浜の苫屋に見なければならないのである。
能舞台ではほとんど舞台装置はないし、あってもあまりにも簡素すぎて、つまりチャチの極限なので、抽象化されて象徴性が浮き出る。
こうなると見るほうの頭の中で、それを豪華な御殿にでも乞食の小屋にでも、一生懸命に変換しなければならない。
だから変換能力が無い初心者は能を見てもつまらない。何回も見ているうちに変換能力がついてくる。
その点、歌舞伎は直ぐにとっつける。
ただし、歌舞伎の舞台のチャチさは、能に比べると半端なのである。
その半端さがチャチさを浮かび上がらせて、観客に変換能力を発揮させない。見立てのジャマをする。
2011/07/25
458核の降る街を
核の降る街を 核の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく
核の降る街を
あの原発から おちてくる
このうつし世は このうつし世は
いつの日に 変わる
底知れぬ恐ろしさ ふくしま
核の降る街を 核の降る街を
足音もなく 追いかけてくる
核の降る街を
人の心に 満ちてくる
この哀しみは この哀しみは
いつの日に 消える
緑なす春の日よ ふたたび
核の降る街を 核の降る街を
息吹とともに こみあげてくる
核の降る街を
だれもかれもの その心
この空しさは この空しさは
いつの日に 醒める
新しき光ふる ふるさと
(内田 直也作詞「雪の降るまちを」のパロディ)
想い出だけが 通りすぎてゆく
核の降る街を
あの原発から おちてくる
このうつし世は このうつし世は
いつの日に 変わる
底知れぬ恐ろしさ ふくしま
核の降る街を 核の降る街を
足音もなく 追いかけてくる
核の降る街を
人の心に 満ちてくる
この哀しみは この哀しみは
いつの日に 消える
緑なす春の日よ ふたたび
核の降る街を 核の降る街を
息吹とともに こみあげてくる
核の降る街を
だれもかれもの その心
この空しさは この空しさは
いつの日に 醒める
新しき光ふる ふるさと
(内田 直也作詞「雪の降るまちを」のパロディ)
2011/07/24
457ゴーマンNHK血出痔
お待ちしていましたア、めったに見ないTVをわざわざ見たんだよ。
さきほど、NHK衛星放送がプッツリ、「ごらんのBS穴魯愚放送は今日正午終了!」ってさ、パチパチ(わたしが手を叩く音)。

今朝の新聞のチャイナ新幹線みたいに、停められなくて衝突脱線転覆じゃなくて、無事にアナログ放送を停めることができて、よかったね。
さて、うちのTVは衛星放送は映らなくなったから、NHK受信料は今日の正午をもって地上契約に自動的に移行するのでしょうな。
こちらから契約変更をお願いするモンじゃないですよね、だって、契約相手のそっちが勝手に停めたんだからね。
でもそれらしいことを、契約当事者であるわたしのところに、これまで何の通知文書もきていない。
失礼なやつと思うけど、まあ、そちらで変更してくれて、8月からは受信料は年25520円が14910円に下がるんでしょう、当然。
でもちょっと心配になって、NHKのサイトで受信契約なるものを見たのである。
放送受信規約(放送法第64条第1項による規定)
14 (一部略)衛星契約を締結している放送受信契約者が、アナログ放送終了により、地上系によるテレビジョン放送のみを受信できることとなったときは、アナログ放送終了日から1年以内に、次の事項を記載した放送受信契約書を放送局に提出しなければならない。(1)放送受信契約者の氏名および住所、(2)変更にかかる受信機の数、(3)受信機を住所以外の場所に設置していた場合はその場所、(4)受信できる放送の種類に変更が生じた事由
えっ、なんだよ、おいおい、これじゃあこっちがNHK様にオオソレナガラって申し出るのかよ~、そりゃないよ~ッ、受信料は税金じゃないんだよ、そっちと相対契約して払ってるんだよッ。
一方的に勝手に送るの止めておいて、なんだよ~。
こりゃ片務契約の最たるモンだよ、放送を見せてやるってこの高姿勢は、いまどき珍しいくらいだよなあ。
でも「1年以内に」って書いてあるから、NHK大明神様は1年以内には、こちらが何もしなくても、ナントカしてくださるのでしょう。そして今日からの差額受信料金は返還して下さいますに違いないよねッ!
え、おまえんちのTVがBSが映らないかどうかわからないって?
そんあことないでしょ、血出痔にしたら双方向通信とかナンジャラカンジャラ最先端技術でなんでもできるって、原発安全並み大宣伝じゃんかよ、おれんちのTVのことぐらい分かってるんでしょ、当然。
でもなあ、これまでなんのお知らせも無い態度からして信用ならんなあ。
それじゃ銀行に行って受信料自動引き落としをやめようっと。
さきほど、NHK衛星放送がプッツリ、「ごらんのBS穴魯愚放送は今日正午終了!」ってさ、パチパチ(わたしが手を叩く音)。

今朝の新聞のチャイナ新幹線みたいに、停められなくて衝突脱線転覆じゃなくて、無事にアナログ放送を停めることができて、よかったね。
さて、うちのTVは衛星放送は映らなくなったから、NHK受信料は今日の正午をもって地上契約に自動的に移行するのでしょうな。
こちらから契約変更をお願いするモンじゃないですよね、だって、契約相手のそっちが勝手に停めたんだからね。
でもそれらしいことを、契約当事者であるわたしのところに、これまで何の通知文書もきていない。
失礼なやつと思うけど、まあ、そちらで変更してくれて、8月からは受信料は年25520円が14910円に下がるんでしょう、当然。
でもちょっと心配になって、NHKのサイトで受信契約なるものを見たのである。
放送受信規約(放送法第64条第1項による規定)
14 (一部略)衛星契約を締結している放送受信契約者が、アナログ放送終了により、地上系によるテレビジョン放送のみを受信できることとなったときは、アナログ放送終了日から1年以内に、次の事項を記載した放送受信契約書を放送局に提出しなければならない。(1)放送受信契約者の氏名および住所、(2)変更にかかる受信機の数、(3)受信機を住所以外の場所に設置していた場合はその場所、(4)受信できる放送の種類に変更が生じた事由
えっ、なんだよ、おいおい、これじゃあこっちがNHK様にオオソレナガラって申し出るのかよ~、そりゃないよ~ッ、受信料は税金じゃないんだよ、そっちと相対契約して払ってるんだよッ。
一方的に勝手に送るの止めておいて、なんだよ~。
こりゃ片務契約の最たるモンだよ、放送を見せてやるってこの高姿勢は、いまどき珍しいくらいだよなあ。
でも「1年以内に」って書いてあるから、NHK大明神様は1年以内には、こちらが何もしなくても、ナントカしてくださるのでしょう。そして今日からの差額受信料金は返還して下さいますに違いないよねッ!
え、おまえんちのTVがBSが映らないかどうかわからないって?
そんあことないでしょ、血出痔にしたら双方向通信とかナンジャラカンジャラ最先端技術でなんでもできるって、原発安全並み大宣伝じゃんかよ、おれんちのTVのことぐらい分かってるんでしょ、当然。
でもなあ、これまでなんのお知らせも無い態度からして信用ならんなあ。
それじゃ銀行に行って受信料自動引き落としをやめようっと。
2011/07/23
456原発会社と地域にもストレステストを
原発にストレステストなんてものをやって、耐性を評価するんだとさ。
よくわからんが、想定外のことが起きても、想定内に収まるって耐性があるかどうか、そんなことをテストするんだろうかね。
これって明らかにトートロジーだね。
まあ、なんでもテストすることはよろしい。
ところでこの体制じゃなかった耐性評価の試験は、原発という装置だけについてやるんだろうか。
もしそうだとしたら、おかしい。
だって、福島第1原発でわかるように、原発でなにか起きたら、原発装置だけじゃなくて、東電という組織にも、地域社会にも、国土全体にも、国際的にも大影響が出ているのだ。
だから、それらもテストの範囲にいれないすると、現在発生してることが全く教訓になっていない。
だから日本の原発ストレステストは、万一福島第1のようなことが起きたら、原発会社(これこそ体制評価か)、立地地域社会、日本社会、そしてアジア近隣諸地域において、どのようなことが起きるのか、それがはたして耐えられるものか、そのような耐性評価を行なうべきである。
これこそが、ストレステストの真髄であると思う。
よくわからんが、想定外のことが起きても、想定内に収まるって耐性があるかどうか、そんなことをテストするんだろうかね。
これって明らかにトートロジーだね。
まあ、なんでもテストすることはよろしい。
ところでこの体制じゃなかった耐性評価の試験は、原発という装置だけについてやるんだろうか。
もしそうだとしたら、おかしい。
だって、福島第1原発でわかるように、原発でなにか起きたら、原発装置だけじゃなくて、東電という組織にも、地域社会にも、国土全体にも、国際的にも大影響が出ているのだ。
だから、それらもテストの範囲にいれないすると、現在発生してることが全く教訓になっていない。
だから日本の原発ストレステストは、万一福島第1のようなことが起きたら、原発会社(これこそ体制評価か)、立地地域社会、日本社会、そしてアジア近隣諸地域において、どのようなことが起きるのか、それがはたして耐えられるものか、そのような耐性評価を行なうべきである。
これこそが、ストレステストの真髄であると思う。
2011/07/22
455蛸様へ振替
PCで電子銀行取引(インタネットバンキング)振替をしようと、あれこれキイを押してログイン、振込み手続きでむやみやたらにキイを押させられ、ようやくこれで最後とキイを押したら、
「振替可能金額が0円ですからできません」…ドヒャ
おいおい、なんだよ、そんなはずないよ、20日前にもやったんだよ。
またもう一度はじめから面倒なことをやったら、まただめ、コノヤロー。
これって手数料無料のインタネット振替えをさせないように、わざとしてるのだろうか。
しょうがないから、初めてインタネット銀行に電話をした。
これがまた、電子声ネーちゃんがでてきて、次のどれかから選んで用のある項目の番号を押せと、1番から順番に試験問題を問いかけてくる。
それに回答の番号を押すと、また次のレベルで同じことをさせられ、こんなことが3回もあって1次試験合格。
次に2次試験で、支店番号やら通帳番号やらパスワードやら入れろと指示され、ようやく本物のネーちゃんの声に到達した。
これって電話を途中であきらめさせるように、わざとやっているのだろうか。
「あのねえ、ここまで来るのにえらく苦労しましたよ、途中で何度も挫折しそうになったなあ」
「は、なんでございましょうか」
「あ、〇〇円を振替えしたいのだけど、できないのですが」
「はい、蛸さんに振替えですね」
「は? いや、蛸に知り合いはありませんが、」
「他の銀行さんに振替えですね」
「え、よその銀行のことを蛸というの? あ、他行さんかあ、固有名詞でもないのにさん付けするのはよしなさいよ」
まあ、こんなやり取りからはじまって、振替はできるようになった。
蛸とはねえ、銀行村方言を普通の庶民に向って使うなよ。
昔のことだが、キャッシュディスペンサーのいろいろな表示ボタンに、「おつけ込み」というのがあった。
通帳記入をどうすれば分らなくて銀行員に聞いたら、これだと教えてくれた。たくあんでも漬けるのかよ。
実は振込みと振替えとが区別がついたのは、つい最近のことである。世の庶民はみんな知っている言葉なんだろうか?
そもそもカネって振るものか?
そりゃまあ、カネには振り回され、フられてばかりだけどね。
「振替可能金額が0円ですからできません」…ドヒャ
おいおい、なんだよ、そんなはずないよ、20日前にもやったんだよ。
またもう一度はじめから面倒なことをやったら、まただめ、コノヤロー。
これって手数料無料のインタネット振替えをさせないように、わざとしてるのだろうか。
しょうがないから、初めてインタネット銀行に電話をした。
これがまた、電子声ネーちゃんがでてきて、次のどれかから選んで用のある項目の番号を押せと、1番から順番に試験問題を問いかけてくる。
それに回答の番号を押すと、また次のレベルで同じことをさせられ、こんなことが3回もあって1次試験合格。
次に2次試験で、支店番号やら通帳番号やらパスワードやら入れろと指示され、ようやく本物のネーちゃんの声に到達した。
これって電話を途中であきらめさせるように、わざとやっているのだろうか。
「あのねえ、ここまで来るのにえらく苦労しましたよ、途中で何度も挫折しそうになったなあ」
「は、なんでございましょうか」
「あ、〇〇円を振替えしたいのだけど、できないのですが」
「はい、蛸さんに振替えですね」
「は? いや、蛸に知り合いはありませんが、」
「他の銀行さんに振替えですね」
「え、よその銀行のことを蛸というの? あ、他行さんかあ、固有名詞でもないのにさん付けするのはよしなさいよ」
まあ、こんなやり取りからはじまって、振替はできるようになった。
蛸とはねえ、銀行村方言を普通の庶民に向って使うなよ。
昔のことだが、キャッシュディスペンサーのいろいろな表示ボタンに、「おつけ込み」というのがあった。
通帳記入をどうすれば分らなくて銀行員に聞いたら、これだと教えてくれた。たくあんでも漬けるのかよ。
実は振込みと振替えとが区別がついたのは、つい最近のことである。世の庶民はみんな知っている言葉なんだろうか?
そもそもカネって振るものか?
そりゃまあ、カネには振り回され、フられてばかりだけどね。
2011/07/21
454オール電化
福島第1原発爆発、あちこちの原発も停止中、今日は関西方面も節電お願いニュースである。
近所に共同住宅ビルが建設中である。区分所有で販売するらしい(名ばかりマンションという)。
工事用の塀に「オール電化」と宣伝文句が書いてある。
そうだったよなあ、工事を始めたのは去年の末だったかしら、それが最先端だったんだよなあ。なんだか大昔の感じだなあ。
その宣伝リーフレットをもらって来た。もちろん名ばかりマンションは大嫌いだから、買うつもりはサラサラ無い。電化をどう書いてあるか興味があった。
で、隅から隅までシゲシゲと見回しても、どこにもオール電化と書いていないのである。
え、今じゃ宣伝文句にならないから引っ込めたのかしら。
それとも設計変更してガスにしたのかしら、でも工事用の壁には今も大きく「オール電化」と書いてあるぞ。
オール電化住宅は今後はどうなるのか、各自に自家発電機を備えるのかなあ。
そういえば、この春に訪問したネパールは、日常的に停電の国なので、どこでも自家発電装置があるのがあたりまえのようであった。
そのうちに日本もネパール並みになれば、電気麻薬中毒から立ち直ることができるだろう。
近所に共同住宅ビルが建設中である。区分所有で販売するらしい(名ばかりマンションという)。
工事用の塀に「オール電化」と宣伝文句が書いてある。
そうだったよなあ、工事を始めたのは去年の末だったかしら、それが最先端だったんだよなあ。なんだか大昔の感じだなあ。
その宣伝リーフレットをもらって来た。もちろん名ばかりマンションは大嫌いだから、買うつもりはサラサラ無い。電化をどう書いてあるか興味があった。
で、隅から隅までシゲシゲと見回しても、どこにもオール電化と書いていないのである。
え、今じゃ宣伝文句にならないから引っ込めたのかしら。
それとも設計変更してガスにしたのかしら、でも工事用の壁には今も大きく「オール電化」と書いてあるぞ。
オール電化住宅は今後はどうなるのか、各自に自家発電機を備えるのかなあ。
そういえば、この春に訪問したネパールは、日常的に停電の国なので、どこでも自家発電装置があるのがあたりまえのようであった。
そのうちに日本もネパール並みになれば、電気麻薬中毒から立ち直ることができるだろう。
2011/07/20
453 一億総電気麻薬中毒(電麻中)
原発がその立地する地域の麻薬であるということは、だいぶ前から言われている。原発関連税収ほしさの地域経営に貪してしまっているからである。
ところがこうやって、福島第1原発事故、核物質降下、節電、全国原発停止、脱原発、反脱原発などの一連の騒ぎを見ていると、これはもう電気そのものが麻薬なんだ、わたしたちみんなが電気麻薬中毒になっているんだと、わたしはつくづく思うようになってきた。
わたしの幼少時代(1950年代前半まで)のある城下町小都市での生活を思い出せば、電燈は20燭光(今で言う20Wか)が一室に一灯づつと、居間にラジオが1台、たったこれきりであった。親子5人がこれで普通の生活をしていた。
いまやわたしの住いにはどれほどの電気器具があるのか。電燈だって一室に40wから100wの電球が2灯も4灯もある。全部はとても勘定ができないくらいある。
こんなに必要なのか、と思えど、この電燈の明るさ、このインタネットや電話の便利さ、エアコンディショナーの快適さ、冬の便座の暖かさ、夏の冷たい飲み物などなど、いったん体験したらこれから逃れられない。
電気器具はアヘン吸引器具であり、わたしはアヘンもコカインも知らないが、確実に麻薬中毒患者である。
わたしたちは長い時間に亙ってすこしづつ電気麻薬を注入されてきて、すっかり中毒患者にさせられていたことに、今、気がついた。
わたしは少なくともテレビジョンなる電器麻薬中毒にはなっていないが、インタネット電磁麻薬中毒患者であることは確実である。
そんなところに節電騒ぎであるが、要するにこれは麻薬製造工場が故障して、麻薬の供給が切れたので、中毒患者が禁断症状を起しているのである。
一億総電気麻薬中毒(電麻中)で、総禁断症状である。
麻薬が切れたかわりに核物質つまり加工前の麻薬製造原料が飛び散って、電麻中患者のだれかれにかまわず襲いかかっている有様である。
そこで、電麻中毒患者たちは、こんな汚い怖い核物質の原料から麻薬を作るのはやめようという派と、いや汚くても怖くてもこの原料がいちばん安いんだから作り続けようという派に分かれて、いがみ合っているのである。
この後者のバックには、これまで核物質原料麻薬工場を作り経営してきた巨大な既得利権集団が控えていることは、これまでの超巨額投資からみて当然に考えられる。
こういうとき庶民はどう考えるべきだろうか。
まずは電麻中から抜け出すべきであろう。ヤクは適切に使えば薬である。
次は汚く怖い原料による製造をやめるべきであろう。安価な毒より高価でも安全な薬を供給してほしい。
さて、麻薬製造書の故障現場が撒き散らしている核物質は、脱原発への強烈なる麻薬解毒剤であろうか。
それとも、更なる原発推進への麻薬強化促進剤なのだろうか。
ところがこうやって、福島第1原発事故、核物質降下、節電、全国原発停止、脱原発、反脱原発などの一連の騒ぎを見ていると、これはもう電気そのものが麻薬なんだ、わたしたちみんなが電気麻薬中毒になっているんだと、わたしはつくづく思うようになってきた。
わたしの幼少時代(1950年代前半まで)のある城下町小都市での生活を思い出せば、電燈は20燭光(今で言う20Wか)が一室に一灯づつと、居間にラジオが1台、たったこれきりであった。親子5人がこれで普通の生活をしていた。
いまやわたしの住いにはどれほどの電気器具があるのか。電燈だって一室に40wから100wの電球が2灯も4灯もある。全部はとても勘定ができないくらいある。
こんなに必要なのか、と思えど、この電燈の明るさ、このインタネットや電話の便利さ、エアコンディショナーの快適さ、冬の便座の暖かさ、夏の冷たい飲み物などなど、いったん体験したらこれから逃れられない。
電気器具はアヘン吸引器具であり、わたしはアヘンもコカインも知らないが、確実に麻薬中毒患者である。
わたしたちは長い時間に亙ってすこしづつ電気麻薬を注入されてきて、すっかり中毒患者にさせられていたことに、今、気がついた。
わたしは少なくともテレビジョンなる電器麻薬中毒にはなっていないが、インタネット電磁麻薬中毒患者であることは確実である。
そんなところに節電騒ぎであるが、要するにこれは麻薬製造工場が故障して、麻薬の供給が切れたので、中毒患者が禁断症状を起しているのである。
一億総電気麻薬中毒(電麻中)で、総禁断症状である。
麻薬が切れたかわりに核物質つまり加工前の麻薬製造原料が飛び散って、電麻中患者のだれかれにかまわず襲いかかっている有様である。
そこで、電麻中毒患者たちは、こんな汚い怖い核物質の原料から麻薬を作るのはやめようという派と、いや汚くても怖くてもこの原料がいちばん安いんだから作り続けようという派に分かれて、いがみ合っているのである。
この後者のバックには、これまで核物質原料麻薬工場を作り経営してきた巨大な既得利権集団が控えていることは、これまでの超巨額投資からみて当然に考えられる。
こういうとき庶民はどう考えるべきだろうか。
まずは電麻中から抜け出すべきであろう。ヤクは適切に使えば薬である。
次は汚く怖い原料による製造をやめるべきであろう。安価な毒より高価でも安全な薬を供給してほしい。
さて、麻薬製造書の故障現場が撒き散らしている核物質は、脱原発への強烈なる麻薬解毒剤であろうか。
それとも、更なる原発推進への麻薬強化促進剤なのだろうか。
2011/07/19
452女タマケリ
毎日毎日原発津波記事ばかりが新聞の一面を飾っているのに、今日は「なでしこ世界一」って、半ズボンの制服の女どもの写真である。
この世に原発津波以上の物凄い事件があるものかしら、なでしこの花が咲くのがなんで事件だろうか?
え、なんだよ、女タマケリ競技でワールドチャンピオンになったってことかよ。
よくわからんが、お祝い事らしいので、おめでとうと言っておく。
じゃあ、どんな試合だったんだろうと、あちこちにデカデカとある女タマケリ記事を読もうとしても、勝った勝ったと書いてあるばかりで、試合の流れなんてものはロクに書いてはないのである。
ふ~ん、これってもしかして、誰もがTVで試合経過を見ているんだろうって、そういう、新聞の対TV敗北主義の上で記事を書いてるのだろうなあ。
こう書いていて気がついたのだが、新聞記事ってもしかして読者のだれもがTVを見ているってことを前提に記事を書いているのだろうか。
そうだとすると、わたしのようなTVを嫌いで見ないものには、相当に偏った情報ばかりがきているってことになるのか。
ふ~ん、そうなんだあ、って言っても、これからTVを見たいとも思わない。あんなものわたしの残り少ない人生の時間の無駄遣いである。
こうなれば、せめてインタネットで情報を補強するしかないな。
まあ、なんにしてもわたしのような観戦型スポーツ嫌いTV嫌いにとっては、女タマケリも女ゴルフも女スモウ(あるかしら)も、そんなニュースはお呼びでないのである。
で、問題は、何ページも何ページも読まないページだらけの新聞が毎朝やってくることだ。特に夏が来るとガキの野球で何ページも要らない新聞がやってくる。
ゴミに金を払うのはまったくもってシャクに障るのである。
◆追記(110719)
これをフェイスバッカに載せたら、数名の知人からコメントが来た。なかでもタマケリ女狂いらしいM田さんからこんなことを、。
「これはすごい事なんです!昨日早朝の生、昼前、夜10時からの3本繰り返し観ちゃいました。あの大きくて、早くて、強くて、それから・・・美人が多いアメリカを、ちっちゃくておかめな日本の女の子がやっつけたのは痛快ですね。津波や原発でヘコンでいる日本に、明るい話題は世界?中が望んでいたのでしょう。(以下略)」
ふ~ん、そうなんだ、アメリカデカ美女対ニッポンチビ醜女の戦いだったのかあ、だからナデシコメなんだな。
で、何回も見てると、そのうちに日本得点が増えるの?
新聞の書きぶりは、列強西欧に押されていた1933年に日本が国際連盟脱退で一矢報いたと誤解した時、あるいは日露戦争でロシアに辛勝したのに大勝利と勘違いした時のような。
あ、それとも太平洋戦争での敗戦以来の対アメリカ勝利?、それで喜んでるのか。
この世に原発津波以上の物凄い事件があるものかしら、なでしこの花が咲くのがなんで事件だろうか?
え、なんだよ、女タマケリ競技でワールドチャンピオンになったってことかよ。
よくわからんが、お祝い事らしいので、おめでとうと言っておく。
じゃあ、どんな試合だったんだろうと、あちこちにデカデカとある女タマケリ記事を読もうとしても、勝った勝ったと書いてあるばかりで、試合の流れなんてものはロクに書いてはないのである。
ふ~ん、これってもしかして、誰もがTVで試合経過を見ているんだろうって、そういう、新聞の対TV敗北主義の上で記事を書いてるのだろうなあ。
こう書いていて気がついたのだが、新聞記事ってもしかして読者のだれもがTVを見ているってことを前提に記事を書いているのだろうか。
そうだとすると、わたしのようなTVを嫌いで見ないものには、相当に偏った情報ばかりがきているってことになるのか。
ふ~ん、そうなんだあ、って言っても、これからTVを見たいとも思わない。あんなものわたしの残り少ない人生の時間の無駄遣いである。
こうなれば、せめてインタネットで情報を補強するしかないな。
まあ、なんにしてもわたしのような観戦型スポーツ嫌いTV嫌いにとっては、女タマケリも女ゴルフも女スモウ(あるかしら)も、そんなニュースはお呼びでないのである。
で、問題は、何ページも何ページも読まないページだらけの新聞が毎朝やってくることだ。特に夏が来るとガキの野球で何ページも要らない新聞がやってくる。
ゴミに金を払うのはまったくもってシャクに障るのである。
◆追記(110719)
これをフェイスバッカに載せたら、数名の知人からコメントが来た。なかでもタマケリ女狂いらしいM田さんからこんなことを、。
「これはすごい事なんです!昨日早朝の生、昼前、夜10時からの3本繰り返し観ちゃいました。あの大きくて、早くて、強くて、それから・・・美人が多いアメリカを、ちっちゃくておかめな日本の女の子がやっつけたのは痛快ですね。津波や原発でヘコンでいる日本に、明るい話題は世界?中が望んでいたのでしょう。(以下略)」
ふ~ん、そうなんだ、アメリカデカ美女対ニッポンチビ醜女の戦いだったのかあ、だからナデシコメなんだな。
で、何回も見てると、そのうちに日本得点が増えるの?
新聞の書きぶりは、列強西欧に押されていた1933年に日本が国際連盟脱退で一矢報いたと誤解した時、あるいは日露戦争でロシアに辛勝したのに大勝利と勘違いした時のような。
あ、それとも太平洋戦争での敗戦以来の対アメリカ勝利?、それで喜んでるのか。
2011/07/18
451風評じゃなかったんだ
オレも原発放射汚染肉を食ったかもなア、でも、若い人が食ってその後の人生に更に放射線量蓄積がおきると問題だけど、オレはいいんだ、もうそれほど長く生きるわけじゃなしね。
こんな理解でいいのかしら?
全国に出荷された福島産牛の肉が、餌の藁のせいで原発放射線を浴びていることがわかったと報道されている。
これまで福島産の原料による食品は、検査しているから大丈夫、風評に惑わされないようにと宣伝していたような気がする。
ちがうじゃ~ん、風評つまりいい加減な噂話ではなかったんだね。
風評被害なんていうと、なんだかイチャモンつけて補償をよこせ、って、ヤーさんみたいに思えてしまうよなあ。
でもなあ、牛肉関係のお方たちは、つい先だっても生肉のいい加減な扱いで死者を出したし、ずっと前のBSE事件では騒ぎにつけこんで巨額の補助金詐取犯罪やったよなあ。
こんども原発騒ぎでひと稼ぎって、気の毒な被災農家の上前をはねるなんてことしそうだなあ、いや、まさかね。
とにかく、風評という言葉は意味を失ったから、使うのはやめよう。
美味い放射能漬け肉は、先が短い老人に安く売ってくれえ!
こんな理解でいいのかしら?
全国に出荷された福島産牛の肉が、餌の藁のせいで原発放射線を浴びていることがわかったと報道されている。
これまで福島産の原料による食品は、検査しているから大丈夫、風評に惑わされないようにと宣伝していたような気がする。
ちがうじゃ~ん、風評つまりいい加減な噂話ではなかったんだね。
風評被害なんていうと、なんだかイチャモンつけて補償をよこせ、って、ヤーさんみたいに思えてしまうよなあ。
でもなあ、牛肉関係のお方たちは、つい先だっても生肉のいい加減な扱いで死者を出したし、ずっと前のBSE事件では騒ぎにつけこんで巨額の補助金詐取犯罪やったよなあ。
こんども原発騒ぎでひと稼ぎって、気の毒な被災農家の上前をはねるなんてことしそうだなあ、いや、まさかね。
とにかく、風評という言葉は意味を失ったから、使うのはやめよう。
美味い放射能漬け肉は、先が短い老人に安く売ってくれえ!
2011/07/16
450困った時代に人生を得たもんだ
菅さんが「脱原発」といったと報道があったら、次の日には「あれは菅個人の考え」って報道である。
なんだよ、たちまち矮小化されちまった。印籠は木の葉だったか、。
こうまで菅をいじめると、ますます判官贔屓するぞ、
褒菅びいきだあ!
なにが本当だか分らんが、どうも朝日・毎日軍は脱原発方面へ、日経・読売・産経軍は反脱原発方面へと展開しているようだ。
脱原発だの卒原発だの縮原発だの、いろいろと造語がお好きな政界・メディア界・産業界のようである。
どこが違うんじゃイ!
それにしても、変な時代に人生を得たものである。
わたしの人生の初期は十五年戦争時代であり、晩期は東日本大震災・福島原発放射能大汚染時代である。
これで騒乱に始まり騒乱に終る人生ってことになりそうだ。
中間には平和な時代もあったのが儲けものだが、自分自身で生まれるときは選べないからしかたがない。
だが、死ぬときは選ぶことが可能ではあるとしても、この騒乱のときを超えたところで人生を終えるのはどうも無理そうである。
なんにしても、騒乱の中で人生を終えるのであろう。
それにしても、と、またいうのだが、原発難民の人生はどうなるのだろうか。
騒乱の真っ只中で生を得た世代が、わたしとおなじようにその後に一時的でも良い時代を得ることができるのだろうか。
もしも原発をやめなかったら、その原発難民世代は人生の晩期にまた原発難民になるかもなあ、。
なんだろうか、このなにもかもが不安定なままで、ずるずるといきそうな不安な世の中は、、。
もしかしてこれって、十五年戦争の初期に、日本の庶民たちが感じた空気のような気がする。
そう、原発十五年戦争のはじまりである。
なんだよ、たちまち矮小化されちまった。印籠は木の葉だったか、。
こうまで菅をいじめると、ますます判官贔屓するぞ、
褒菅びいきだあ!
なにが本当だか分らんが、どうも朝日・毎日軍は脱原発方面へ、日経・読売・産経軍は反脱原発方面へと展開しているようだ。
脱原発だの卒原発だの縮原発だの、いろいろと造語がお好きな政界・メディア界・産業界のようである。
どこが違うんじゃイ!
それにしても、変な時代に人生を得たものである。
わたしの人生の初期は十五年戦争時代であり、晩期は東日本大震災・福島原発放射能大汚染時代である。
これで騒乱に始まり騒乱に終る人生ってことになりそうだ。
中間には平和な時代もあったのが儲けものだが、自分自身で生まれるときは選べないからしかたがない。
だが、死ぬときは選ぶことが可能ではあるとしても、この騒乱のときを超えたところで人生を終えるのはどうも無理そうである。
なんにしても、騒乱の中で人生を終えるのであろう。
それにしても、と、またいうのだが、原発難民の人生はどうなるのだろうか。
騒乱の真っ只中で生を得た世代が、わたしとおなじようにその後に一時的でも良い時代を得ることができるのだろうか。
もしも原発をやめなかったら、その原発難民世代は人生の晩期にまた原発難民になるかもなあ、。
なんだろうか、このなにもかもが不安定なままで、ずるずるといきそうな不安な世の中は、、。
もしかしてこれって、十五年戦争の初期に、日本の庶民たちが感じた空気のような気がする。
そう、原発十五年戦争のはじまりである。
2011/07/14
449脱原発という葵御紋の印籠
あれだけは出させないようにあれこれ表裏で工作していたのに、とうとう菅さんに「これが見えぬか」って、脱原発御紋印籠を出されてしまった、ってのが、反脱原発派の今の気分なんだろうなあ。
マスコミは、脱原発はケシカランと真正面からいえないものだから、出し方がケシカランとか、やり方を出さないのがケシカランとか、延命だからケシカランとか、まわりをウロウロと回り込んで横や後から非難している。
今日の各新聞の社説をみたら、朝日は明確に脱原発を表明したから、菅さんに賛同している。毎日も同じ方向である。
日経と読売は側面からケシカランといっている。産業界をバックにする日経、日本の原発導入の張本人正力松太郎をいただいていた読売、どちらも脱原発とはいえないだろう。
産経新聞は以前から反脱原発の旗じるしを明確に出しているから、本日の社説は脱原発表明したにっくき菅さんの不正献金を採り上げ、脱原発論なんぞ歯牙にもかけない。
それにしても首相たるもの、実に大変だよなあ。政策の方針を出さないとリーダーシップがないといわれるし、出したら出したで出し方が悪いといわれる。
でもなあ、こんな大事件にであったら、どんな首相だって迷うだろうよなあ、あの人を別の人に替えたらって、じゃあそんな乱世のリーダーらしき人がほかに今いるかしら、政治音痴のわたしだから知らないだけかしら。
想うのだが、菅さんは浜岡原発停止要請のときから、いつ脱原発を言うか機会を狙っていたのだろう。
もちろん原発推進派もそれを察知したから、言わせないように、辞任とは一言も言ってない辞任表明報道をでっち上げたりしたのだろう。作戦失敗だったね。
比べるのもおかしいが、小泉さんの郵政民有化とは比べ物にならない大きな決断だなあ。
で、郵政民有化が政権交代でヘンになっているのと同様に、首相が替わると脱原発もヘンな方向になるんだろうか
●2011年7月14日全国紙社説のさわり一覧
・朝日「脱原発―政治全体で取り組もう」
菅首相の「脱原発」表明を支持する。首相交代後も流れが変わらぬよう、しっかり道筋をつけてほしい。与野党を問わず、政治全体として大目標を共有し、具体化に向けて走り出す時だ。
・日経「菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ」
菅直人首相が記者会見し「将来は原発のない社会を実現する」と語った。代替エネルギーに関する十分な説明はなく、影響の大きさを考えれば首相の発言は無責任である。
・読売「脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ」
「原発に依存しない社会を目指す」と、菅首相が「脱原発」を表明した。しかし、その時期や方法、代替エネルギー確保策などは具体的に示されなかった。無責任な政策大転換と言わざるを得ない。
・毎日「「脱原発」表明 目指す方向は評価する」
菅直人首相が13日、記者会見し、原発への依存度を今後、計画的、段階的に下げていき、将来的には原発がなくてもやっていける社会の実現を目指すと表明した。国のエネルギー政策を抜本的に見直す「脱原発」表明である。
・産経「首相の不適切献金 政党交付金使途にメスを」
菅直人首相の資金管理団体が、拉致事件の容疑者と関係の深い政治団体に対して行った多額の献金は、民主党の資金が「原資」となっていたことが分かった。
・東京「脱・原発依存 政権延命狙いでは困る」
菅直人首相が記者会見で、原子力発電に依存しない社会を目指す考えを表明した。その方向性は支持するが、どう実現するのか具体性に欠ける。政権延命を狙って大風呂敷を広げただけでは困る。
マスコミは、脱原発はケシカランと真正面からいえないものだから、出し方がケシカランとか、やり方を出さないのがケシカランとか、延命だからケシカランとか、まわりをウロウロと回り込んで横や後から非難している。
今日の各新聞の社説をみたら、朝日は明確に脱原発を表明したから、菅さんに賛同している。毎日も同じ方向である。
日経と読売は側面からケシカランといっている。産業界をバックにする日経、日本の原発導入の張本人正力松太郎をいただいていた読売、どちらも脱原発とはいえないだろう。
産経新聞は以前から反脱原発の旗じるしを明確に出しているから、本日の社説は脱原発表明したにっくき菅さんの不正献金を採り上げ、脱原発論なんぞ歯牙にもかけない。
それにしても首相たるもの、実に大変だよなあ。政策の方針を出さないとリーダーシップがないといわれるし、出したら出したで出し方が悪いといわれる。
でもなあ、こんな大事件にであったら、どんな首相だって迷うだろうよなあ、あの人を別の人に替えたらって、じゃあそんな乱世のリーダーらしき人がほかに今いるかしら、政治音痴のわたしだから知らないだけかしら。
想うのだが、菅さんは浜岡原発停止要請のときから、いつ脱原発を言うか機会を狙っていたのだろう。
もちろん原発推進派もそれを察知したから、言わせないように、辞任とは一言も言ってない辞任表明報道をでっち上げたりしたのだろう。作戦失敗だったね。
比べるのもおかしいが、小泉さんの郵政民有化とは比べ物にならない大きな決断だなあ。
で、郵政民有化が政権交代でヘンになっているのと同様に、首相が替わると脱原発もヘンな方向になるんだろうか
●2011年7月14日全国紙社説のさわり一覧
・朝日「脱原発―政治全体で取り組もう」
菅首相の「脱原発」表明を支持する。首相交代後も流れが変わらぬよう、しっかり道筋をつけてほしい。与野党を問わず、政治全体として大目標を共有し、具体化に向けて走り出す時だ。
・日経「菅首相の「脱原発依存」発言は無責任だ」
菅直人首相が記者会見し「将来は原発のない社会を実現する」と語った。代替エネルギーに関する十分な説明はなく、影響の大きさを考えれば首相の発言は無責任である。
・読売「脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ」
「原発に依存しない社会を目指す」と、菅首相が「脱原発」を表明した。しかし、その時期や方法、代替エネルギー確保策などは具体的に示されなかった。無責任な政策大転換と言わざるを得ない。
・毎日「「脱原発」表明 目指す方向は評価する」
菅直人首相が13日、記者会見し、原発への依存度を今後、計画的、段階的に下げていき、将来的には原発がなくてもやっていける社会の実現を目指すと表明した。国のエネルギー政策を抜本的に見直す「脱原発」表明である。
・産経「首相の不適切献金 政党交付金使途にメスを」
菅直人首相の資金管理団体が、拉致事件の容疑者と関係の深い政治団体に対して行った多額の献金は、民主党の資金が「原資」となっていたことが分かった。
・東京「脱・原発依存 政権延命狙いでは困る」
菅直人首相が記者会見で、原子力発電に依存しない社会を目指す考えを表明した。その方向性は支持するが、どう実現するのか具体性に欠ける。政権延命を狙って大風呂敷を広げただけでは困る。
2011/07/09
448こらっNHK!嫌がらせやめろッ
まあこのTV画面を見てくださいよ、NHKの嫌がらせだな。
上の地震情報は我慢するとしても、アナログ放送終了まであと16日!、って、大きなお世話だよッ。
こんなにでかく書きやがって、字幕が読めないジャンかよ。
おれはちゃんと聴視料を払ってんだぞ。
画面の上下が切れていて見える面積が少ないので怒ってたら、こんどはわざわざ見にくくする嫌がらせだよ、、、。。
こんな傷物画面を送ってきてどうするんだよ、。
聴視料返せ、半分にしろ、。
血出痔でみようと穴魯愚でみようと、こっちの勝手だよッ。
どうしても血出痔やらせたいなら、出痔樽TV受像機を無償配布せい!
●参照→血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/07/295.html
上の地震情報は我慢するとしても、アナログ放送終了まであと16日!、って、大きなお世話だよッ。
こんなにでかく書きやがって、字幕が読めないジャンかよ。
おれはちゃんと聴視料を払ってんだぞ。
画面の上下が切れていて見える面積が少ないので怒ってたら、こんどはわざわざ見にくくする嫌がらせだよ、、、。。
こんな傷物画面を送ってきてどうするんだよ、。
聴視料返せ、半分にしろ、。
血出痔でみようと穴魯愚でみようと、こっちの勝手だよッ。
どうしても血出痔やらせたいなら、出痔樽TV受像機を無償配布せい!
●参照→血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/07/295.html
2011/07/08
447判官びいき
マスコミの報道を見ていると、首相の菅さんはまるでいじめられっ子みたいだよなあ。
なにが本当なのかさっぱり分らないが、自民党や民主党の誰からも嫌われてやめろといわれているそうだし、その上にマスコミも政治家達の尻馬にのってやめろやめろと書いている。
あ、紙は朝日新聞しか読んでいないが、ネットでは他紙も読む。でもTVは7時のNHKニュースしか見ない。
先日までは、菅さんはリーダシップを発揮しないからケシカランと書いていたのに、原発のストレス検査をせよというと、突然に方針を変えてケシカラン、と書くのがマスコミである。
コチトラ天邪鬼だから、菅さんはかわいそうになあ、がんばってくれよ、と言いたくなってくる。
四面楚歌だろうが、それは原発存続派の陰謀だからね、どんどん方針を変えて脱原発、廃原発の方向にリーダーシップを発揮してねって、言うのである。
もうこれは判官びいきである。
参照→441総理大臣が毎年変わる事情
参照→428年替り首相手続き開始
●地震津波火事原発記2011年3月分
http://sites.google.com/site/dandysworldg/higasinihon-sinsai3
●地震津波火事原発記2011年4・5・6月分
http://sites.google.com/site/dandysworldg/higasinihon-sinsai456
なにが本当なのかさっぱり分らないが、自民党や民主党の誰からも嫌われてやめろといわれているそうだし、その上にマスコミも政治家達の尻馬にのってやめろやめろと書いている。
あ、紙は朝日新聞しか読んでいないが、ネットでは他紙も読む。でもTVは7時のNHKニュースしか見ない。
先日までは、菅さんはリーダシップを発揮しないからケシカランと書いていたのに、原発のストレス検査をせよというと、突然に方針を変えてケシカラン、と書くのがマスコミである。
コチトラ天邪鬼だから、菅さんはかわいそうになあ、がんばってくれよ、と言いたくなってくる。
四面楚歌だろうが、それは原発存続派の陰謀だからね、どんどん方針を変えて脱原発、廃原発の方向にリーダーシップを発揮してねって、言うのである。
もうこれは判官びいきである。
参照→441総理大臣が毎年変わる事情
参照→428年替り首相手続き開始
●地震津波火事原発記2011年3月分
http://sites.google.com/site/dandysworldg/higasinihon-sinsai3
●地震津波火事原発記2011年4・5・6月分
http://sites.google.com/site/dandysworldg/higasinihon-sinsai456
2011/07/06
446原発文化人と原発労働者
中曽根康弘、梅原猛、班目春樹、吉本隆明、渡部恒三、ビートたけし、大前研一、堺屋太一、清水正孝、弘兼憲司、与謝野馨、幸田真音、勝間和代、星野仙一、小沢遼子、蟹瀬誠一、山折哲雄、小佐古敏壮、岡江久美子、浅草キッド、茂木健一郎、中畑清、大熊由紀子、田原総一郎、アントニオ猪木、金美齢、田中知、荻野アンナ、薬丸裕英、福澤明、松本零士、藤沢久美、関村直人、大宅映子、草野仁、養老孟司、福島敦子、北野大、三宅久之、木場弘子、岸本葉子、中島健、豊田有恒、鈴木篤之、住田裕子、西山英彦、渡瀬恒彦、吉村作治、近藤駿介、小宮山宏
これは佐高信著「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社2011)の表紙に載っている名前である。わたしが聞いたことがある名前はこのうち30人。
どこまで本当か知らないが、それぞれ、大なり小なり原発を推進、賞賛、宣伝をしてきた人たちだそうだ。
ふ~ん、大熊由紀子もそうなのか、養老孟司もか、え、吉本隆明もかあ。
わたしは時流のキワモノ本はきらいで、いつもは買わないのだが、さすがに原発問題が深刻になってきてついに3冊買ってきた。
そのひとつが上の佐高本、それから堀江邦夫著「原発労働記」(講談社文庫2011)、もう一冊が佐野真一著「津波と原発」(講談社2011)。
「原発労働記」は著者が福島第1、美浜、敦賀の各原発での労働者として、実際に働いた体験を書いたノンフィクションである。
いやあ、すごいすごい、なにがすごいって、あまりにもいい加減な放射線対策の原発現場で、過酷な労働をしている、下請け、孫請け、ひ孫受けの労働者たちの実態である。
記述が実に淡々としているのだが、起っていることは読んでいて気持ちが悪くなる。
ある一定以上の線量を浴びるとその労働者はふたたび原発で仕事はできないから、労働者は使い捨てである。
労働者は危険なところで長時間働かざるを得ない設計であるらしい。だから、使い捨て労働者が増える。
そこで、原発仕事専門のピンハネ手配師、ピンハネ親方たちがいて、次々と交替の労働者を全国から集めてきては、原発現場に送り込む。
人手が足りないから、ときにはその労働者の浴びた放射線量のごまかしもする。
1979年に刊行されたものの再刊であるから、現在の原発での労働環境とは違うのかもしれない。
いや、そうではないな、考えてみると、原子炉周りはいったん作ったら放射線だらけだから、たとえ改良したくても一部を壊したり変更する工事は簡単ではないはずである。
著者の堀江が書いた原発のなかの放射線の危険のある労働区域であればあるほど、手がつけられないだろう。
原発労働者がはたらくのは、13ヵ月ごとに発電を停めて検査のときだが、そのときにも原子炉から放射線がじゃんじゃん出ている。そんなところで働くのである。
それも改良工事で働くのではなくて、部品の取替えや設備の掃除であるから、毎回の定期検査の度におなじことをやっているのだろう。
東電の社員は使い捨てにできないからだろうが、いつも安全なところで働く。危険仕事は、下請け、孫請け、ひ孫受けの使い捨て労働者達である。
福島第1原発事故の現場では、緊急対策に走り回った人たちは、大量の放射線を浴びたに違いない。
そのとき走り回ったのは、これも使い捨て労働者たちだったのだろうか。
原発は地域に雇用を生み出しているというが、その内実はいったいどんな雇用なんだなろうか。
これは佐高信著「原発文化人50人斬り」(毎日新聞社2011)の表紙に載っている名前である。わたしが聞いたことがある名前はこのうち30人。
どこまで本当か知らないが、それぞれ、大なり小なり原発を推進、賞賛、宣伝をしてきた人たちだそうだ。
ふ~ん、大熊由紀子もそうなのか、養老孟司もか、え、吉本隆明もかあ。
わたしは時流のキワモノ本はきらいで、いつもは買わないのだが、さすがに原発問題が深刻になってきてついに3冊買ってきた。
そのひとつが上の佐高本、それから堀江邦夫著「原発労働記」(講談社文庫2011)、もう一冊が佐野真一著「津波と原発」(講談社2011)。
「原発労働記」は著者が福島第1、美浜、敦賀の各原発での労働者として、実際に働いた体験を書いたノンフィクションである。
いやあ、すごいすごい、なにがすごいって、あまりにもいい加減な放射線対策の原発現場で、過酷な労働をしている、下請け、孫請け、ひ孫受けの労働者たちの実態である。
記述が実に淡々としているのだが、起っていることは読んでいて気持ちが悪くなる。
ある一定以上の線量を浴びるとその労働者はふたたび原発で仕事はできないから、労働者は使い捨てである。
労働者は危険なところで長時間働かざるを得ない設計であるらしい。だから、使い捨て労働者が増える。
そこで、原発仕事専門のピンハネ手配師、ピンハネ親方たちがいて、次々と交替の労働者を全国から集めてきては、原発現場に送り込む。
人手が足りないから、ときにはその労働者の浴びた放射線量のごまかしもする。
1979年に刊行されたものの再刊であるから、現在の原発での労働環境とは違うのかもしれない。
いや、そうではないな、考えてみると、原子炉周りはいったん作ったら放射線だらけだから、たとえ改良したくても一部を壊したり変更する工事は簡単ではないはずである。
著者の堀江が書いた原発のなかの放射線の危険のある労働区域であればあるほど、手がつけられないだろう。
原発労働者がはたらくのは、13ヵ月ごとに発電を停めて検査のときだが、そのときにも原子炉から放射線がじゃんじゃん出ている。そんなところで働くのである。
それも改良工事で働くのではなくて、部品の取替えや設備の掃除であるから、毎回の定期検査の度におなじことをやっているのだろう。
東電の社員は使い捨てにできないからだろうが、いつも安全なところで働く。危険仕事は、下請け、孫請け、ひ孫受けの使い捨て労働者達である。
福島第1原発事故の現場では、緊急対策に走り回った人たちは、大量の放射線を浴びたに違いない。
そのとき走り回ったのは、これも使い捨て労働者たちだったのだろうか。
原発は地域に雇用を生み出しているというが、その内実はいったいどんな雇用なんだなろうか。
2011/07/03
445一億総節電陰謀時代
なんともはや、年寄りには辛い夏である。とくに世の中の節電による被害がつらい。
7月1日、T電K支社を訪ねる用事があった。あ、いや、いま評判?の事件とは何の関係もない、学術的な調査での打ち合わせであった。そのことはまたあらためて書く。
その支社のビルの姿からして暗い。やっぱりなあ、どことなく暗いイメージだよなあ、いやイメージじゃなくて、照明の電灯が暗いのである。
玄関ホールも暗いなあ、廊下は特に暗くてケつまづきそうだなあ、会議室は暑いなあ、暗いなあ。なんだか社員の顔も暗そうだが、これは思いすぎか。
歳をとると、体温と外気温との調節機能が衰えてくる。
冷房が効いていない室内に入っても、しばらくは身体に貯まった外の暑さを放出できなくて汗がだらだらと続く。ハンカチでたびたび拭き、出された冷たい麦茶をがぶがぶ飲む。
視力も衰えているから、暗い室内では小さな字は読めなくて、書類を見るのが面倒だからいい加減な話になる。
ついでに言えば,耳も遠くなるからついつい大声で身振りもつけて話すから、体内から熱が発生する。
年寄りにはつらい夏である。
ははん、さすがに原発事故の家元だけあって、暗く暑くしっかり節電していらっしゃる、と思ったのだった。
ところが実は、その日から東京電力と東北電力のエリアでは、「電力使用制限令」なる経済産業大臣の命令が出て、大口需要者はみんな暗く暑い夏になってしまったらしい。
なんだT電だけじゃないのか。
で、その物々しい「制限令」なる戒厳令はどこから出たのか調べると、電気事業法第27条だそうだ。
第27条 経済産業大臣は、電気の需給の調整を行わなければ電気の供給の不足が国民経済及び国民生活に悪影響を及ぼし、公共の利益を阻害するおそれがあると認められるときは、その事態を克服するため必要な限度において、政令で定めるところにより、使用電力量の限度、使用最大電力の限度、用途若しくは使用を停止すべき日時を定めて、一般電気事業者、特定電気事業者若しくは特定規模電気事業者の供給する電気の使用を制限し、又は受電電力の容量の限度を定めて、一般電気事業者からの受電を制限することができる。
ふ~ん、電気を止めないと公共の利益を害する状態なんだ、今は。
じゃあ、その逆に、電気を止めると公共の利益を害するって状態はどうなんだろう。
電気を止められて、公共公益施設ではではエスカレーター・エレベーターが止まり、執務室は暗く暑いし、街灯が消えて夜道は怖いし、電車の運行本数が減って不便だが、こういうのは公共の利益を害してるって言わないのかしら。
第15条(略)経済産業大臣は、(略)電気事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令の規定に違反した場合において、公共の利益を阻害すると認めるときは、第3条第1項の許可を取り消すことができる。
つまり公共の利益を阻害した電力屋さんは、営業許可の取り消しになるんだな。
では営業許可条件はどうなんだろう。
第5条 経済産業大臣は、第3条第1項の許可の申請が次の各号のいずれにも適合していると認めるときでなければ、同項の許可をしてはならない。
1.その電気事業の開始が一般の需要、一般電気事業の需要又は供給地点における需要に適合すること。
2.その電気事業を適確に遂行するに足りる経理的基礎及び技術的能力があること。
3.その電気事業の計画が確実であること。
4.一般電気事業又は特定電気事業にあつては、その事業の用に供する電気工作物の能力がその供給区域又は供給地点における電気の需要に応ずることができるものであること。
さてこの項目の中で、こんどの原発事故について考え見ると、第2項の「技術的能力」があったのかしら。
あるいは3項に照らして原発は「計画が確実」であったのかしら。
どこもかしこも節電、何でもかんでも節電の世の中になってきた。
でも貧乏人のわたしは、エコ電器製品なるものに買い換えるお金がないのだ。
ところで、そのエコ電器製品を生産したり、買い換えた元の古いやつを処分したり、それらの流通や搬送をするだろう。
それに要るエネルギーはどう計算するのかしら、エコ買い替えなんて単なる無駄遣いであるとしか思えない。わたしにはどうも不思議である。
一億総懺悔ならぬ一億総節電で、なんだか東電の責任が東日本ばかりか日本全国民の責任に、どんどん薄まってくる感じである。
これだけ暑いのに節電で暑く暗い日々を過ごす羽目になって、横浜住いのわたしもとうとう原発被災者の片割れになった。ようやく震災が身に沁みてきた。
もしかしたら原発事故補償金がもらえるかと、下種な考えをしたのだが、どうもその方向じゃなくて、発災責任者が不在となりつつある方向だ。
もしかして、それはどこかの陰謀だろうか。
◆◆
陰謀といえば、フランス大統領の有力候補らしいIMF専務理事が、婦女暴行事件でNY警察に拘束されたけど、昨日のニュースではどうも自称被害女の美人局事件のような気配もあるとのこと。
これってなんか三文国際サスペンス小説じみてるなあ。
大統領候補を引きず下ろす被害女側の陰謀か、あるいはそう思わせておいて逆転勝ちで人気を博する加害男側の陰謀か、IMF内部の抗争で猿居士とか小浜とかが絡む国際的陰謀か、。
ここはフォーサイスさんかフォレットさんにでも書いてもらいたいなあ。
7月1日、T電K支社を訪ねる用事があった。あ、いや、いま評判?の事件とは何の関係もない、学術的な調査での打ち合わせであった。そのことはまたあらためて書く。
その支社のビルの姿からして暗い。やっぱりなあ、どことなく暗いイメージだよなあ、いやイメージじゃなくて、照明の電灯が暗いのである。
玄関ホールも暗いなあ、廊下は特に暗くてケつまづきそうだなあ、会議室は暑いなあ、暗いなあ。なんだか社員の顔も暗そうだが、これは思いすぎか。
歳をとると、体温と外気温との調節機能が衰えてくる。
冷房が効いていない室内に入っても、しばらくは身体に貯まった外の暑さを放出できなくて汗がだらだらと続く。ハンカチでたびたび拭き、出された冷たい麦茶をがぶがぶ飲む。
視力も衰えているから、暗い室内では小さな字は読めなくて、書類を見るのが面倒だからいい加減な話になる。
ついでに言えば,耳も遠くなるからついつい大声で身振りもつけて話すから、体内から熱が発生する。
年寄りにはつらい夏である。
ははん、さすがに原発事故の家元だけあって、暗く暑くしっかり節電していらっしゃる、と思ったのだった。
ところが実は、その日から東京電力と東北電力のエリアでは、「電力使用制限令」なる経済産業大臣の命令が出て、大口需要者はみんな暗く暑い夏になってしまったらしい。
なんだT電だけじゃないのか。
で、その物々しい「制限令」なる戒厳令はどこから出たのか調べると、電気事業法第27条だそうだ。
第27条 経済産業大臣は、電気の需給の調整を行わなければ電気の供給の不足が国民経済及び国民生活に悪影響を及ぼし、公共の利益を阻害するおそれがあると認められるときは、その事態を克服するため必要な限度において、政令で定めるところにより、使用電力量の限度、使用最大電力の限度、用途若しくは使用を停止すべき日時を定めて、一般電気事業者、特定電気事業者若しくは特定規模電気事業者の供給する電気の使用を制限し、又は受電電力の容量の限度を定めて、一般電気事業者からの受電を制限することができる。
ふ~ん、電気を止めないと公共の利益を害する状態なんだ、今は。
じゃあ、その逆に、電気を止めると公共の利益を害するって状態はどうなんだろう。
電気を止められて、公共公益施設ではではエスカレーター・エレベーターが止まり、執務室は暗く暑いし、街灯が消えて夜道は怖いし、電車の運行本数が減って不便だが、こういうのは公共の利益を害してるって言わないのかしら。
第15条(略)経済産業大臣は、(略)電気事業者がこの法律又はこの法律に基づく命令の規定に違反した場合において、公共の利益を阻害すると認めるときは、第3条第1項の許可を取り消すことができる。
つまり公共の利益を阻害した電力屋さんは、営業許可の取り消しになるんだな。
では営業許可条件はどうなんだろう。
第5条 経済産業大臣は、第3条第1項の許可の申請が次の各号のいずれにも適合していると認めるときでなければ、同項の許可をしてはならない。
1.その電気事業の開始が一般の需要、一般電気事業の需要又は供給地点における需要に適合すること。
2.その電気事業を適確に遂行するに足りる経理的基礎及び技術的能力があること。
3.その電気事業の計画が確実であること。
4.一般電気事業又は特定電気事業にあつては、その事業の用に供する電気工作物の能力がその供給区域又は供給地点における電気の需要に応ずることができるものであること。
さてこの項目の中で、こんどの原発事故について考え見ると、第2項の「技術的能力」があったのかしら。
あるいは3項に照らして原発は「計画が確実」であったのかしら。
どこもかしこも節電、何でもかんでも節電の世の中になってきた。
でも貧乏人のわたしは、エコ電器製品なるものに買い換えるお金がないのだ。
ところで、そのエコ電器製品を生産したり、買い換えた元の古いやつを処分したり、それらの流通や搬送をするだろう。
それに要るエネルギーはどう計算するのかしら、エコ買い替えなんて単なる無駄遣いであるとしか思えない。わたしにはどうも不思議である。
一億総懺悔ならぬ一億総節電で、なんだか東電の責任が東日本ばかりか日本全国民の責任に、どんどん薄まってくる感じである。
これだけ暑いのに節電で暑く暗い日々を過ごす羽目になって、横浜住いのわたしもとうとう原発被災者の片割れになった。ようやく震災が身に沁みてきた。
もしかしたら原発事故補償金がもらえるかと、下種な考えをしたのだが、どうもその方向じゃなくて、発災責任者が不在となりつつある方向だ。
もしかして、それはどこかの陰謀だろうか。
◆◆
陰謀といえば、フランス大統領の有力候補らしいIMF専務理事が、婦女暴行事件でNY警察に拘束されたけど、昨日のニュースではどうも自称被害女の美人局事件のような気配もあるとのこと。
これってなんか三文国際サスペンス小説じみてるなあ。
大統領候補を引きず下ろす被害女側の陰謀か、あるいはそう思わせておいて逆転勝ちで人気を博する加害男側の陰謀か、IMF内部の抗争で猿居士とか小浜とかが絡む国際的陰謀か、。
ここはフォーサイスさんかフォレットさんにでも書いてもらいたいなあ。
2011/07/02
444公園と緑とホームレスと
横浜都心には大通り公園という、昔の川をつぶして作ったひょろ長い公園がある。都心部に帯状に緑と広場を設けるのはのはなかなかよろしい。
この地下には地下鉄が走っている。
その公園の市役所の前はクスノキ広場といって、タイルやレンガで硬い舗装の地面から、くすのきの大木が何本も立ち並ぶ。
レンガやタイルの下は地下鉄だから、固いコンクリートだろう。
とすると、クスノキはコンクリートの土の上の薄い土に根を張って上に幹と枝は葉を繁らせているのだ。
そう思って楠木の根元を見たら、幹の回りに土が見えていて、周りを円形にレンガが囲んでいる。
その根はもちろん地中にあるのだろうが、狭い土の上にも周りのレンガに沿って丸く、蛇のごとくトグロを巻いて盛り上げている。
レンガをいくぶん押し上げつつも懸命にとぐろを巻いているのは、大きな幹や枝が風で揺れるのを支えるための努力の表現であろう。
こんな狭い土からあの大きな枝葉を広げているが、この舗装の下はどんな根があるのだろうか、それは地下鉄のコンクリート枠にしっかりと抱きついているのだろうか。
人工物と自然との日常のせめぎあいが見える。
◆
クスノキ広場から鉄道効果をくぐって、石の広場になる。
周りのイチョウの並木に囲まれて、気持ちの良い石の舗装空間がひろがる。いまどきは暑くていられたものではない。
そこに小高く石の舞台があって、長い公園のランドマークおなるデザインで、なかなかよかったのだが、今はきれいに取り払われて舞台跡が芝生になった。
この盛り上がっていた舞台の下は公衆便所であったが、どうもホームレスの住処になっていた気配がある。それが取り払いの原因かもしれない。
若干緑の空間が多くなったが、ホームレスの人たちはどこに行ったのだろうか。
◆
JR根岸線の高架の下は、ホームレスの人たちと公共施設の管理者との攻防の場所となっている。
秩序あるホームレスダンボールハウスというトートロジーの風景にたじろいでしまった。
この地下には地下鉄が走っている。
その公園の市役所の前はクスノキ広場といって、タイルやレンガで硬い舗装の地面から、くすのきの大木が何本も立ち並ぶ。
レンガやタイルの下は地下鉄だから、固いコンクリートだろう。
とすると、クスノキはコンクリートの土の上の薄い土に根を張って上に幹と枝は葉を繁らせているのだ。
そう思って楠木の根元を見たら、幹の回りに土が見えていて、周りを円形にレンガが囲んでいる。
その根はもちろん地中にあるのだろうが、狭い土の上にも周りのレンガに沿って丸く、蛇のごとくトグロを巻いて盛り上げている。
レンガをいくぶん押し上げつつも懸命にとぐろを巻いているのは、大きな幹や枝が風で揺れるのを支えるための努力の表現であろう。
こんな狭い土からあの大きな枝葉を広げているが、この舗装の下はどんな根があるのだろうか、それは地下鉄のコンクリート枠にしっかりと抱きついているのだろうか。
人工物と自然との日常のせめぎあいが見える。
◆
クスノキ広場から鉄道効果をくぐって、石の広場になる。
周りのイチョウの並木に囲まれて、気持ちの良い石の舗装空間がひろがる。いまどきは暑くていられたものではない。
そこに小高く石の舞台があって、長い公園のランドマークおなるデザインで、なかなかよかったのだが、今はきれいに取り払われて舞台跡が芝生になった。
この盛り上がっていた舞台の下は公衆便所であったが、どうもホームレスの住処になっていた気配がある。それが取り払いの原因かもしれない。
若干緑の空間が多くなったが、ホームレスの人たちはどこに行ったのだろうか。
◆
JR根岸線の高架の下は、ホームレスの人たちと公共施設の管理者との攻防の場所となっている。
その位置は、安泰ではない。緑地に金網が張られて追い立てをくう、別の場所に移ればまた同じ追いたてと、年とともに移動しているようだ。
◆
先日のこと、思い立って渋谷の宮下公園に行ってみた。
こうもきれいに青シートダンボールハウスが道沿いに並び建つと、これはいったいなんだろうか。秩序あるホームレスダンボールハウスというトートロジーの風景にたじろいでしまった。
2011/07/01
443マンション推進政策をやめよ
「マンション」とは。庭園もある邸宅のことである。典型例はUSA大統領がいるホワイトハウス。
日本のマンションとは、不動産屋がニセ宣伝で勝手つけたいい加減な名称である。わたしは使わない。
ではなんというか、「区分所有共同住宅ビル」ということにしている。
金持ちも貧乏人も堅気もヤクザも若者も年よりも所有者も借家人もいるのだが、切って切り離せない運命共同体の呉越同舟の建物であるから、無理なことがいっぱいある。
東日本大震災では津波被害での街の壊滅が喧伝されているが、阪神淡路大震災のようなビルの被災についての報道は見ない。
今度の地震では壊れたビルはなかったのかと思っていたら、今朝の朝日新聞東京版に「被災マンション解体できない」との見出しで、「仙台市内では少なくとも60棟が「全壊」とされる」とある。
やっぱりあるんだ。今後、これらの建て替えが大問題になるはずだ。
大問題は既におきているとある。
全壊建物の解体のために法的に必要な、区分所有者全員の同意がとれなくて、困っているそうだ。
解体だけじゃなくてこれからの建て直しだって、同意をとるのは大変である。
他人に貸して外国に住んでいる区分所有者だっているだろうし、なんだかわけの分らない人もいるだろう。
規模が大きくなると同意はますます大変だ。
建替えるには巨大な資金の負担が、区分所有者それぞれにかかってくる。
それをすぐ出せる金持ちもいれば、二重ローンになってしまうので不可能な貧乏人もいるだろう。
それらが同じ権利で建て替えというひとつの舟に乗ろうとしても、無理なことだらけは当然である。
はじめに呉越同舟と書いたのはこのことである。
阪神淡路大震災の後でこの困難さが身に沁みたはずなのに、あい変らずマンションという区分所有共同住宅ビルの建設は続く。
売るほうは知っていて頬かむりだろうが、買うほうも忘れているらしくて、けっこうな市場である。
行政の側でも、公的賃貸住宅の建設はどんどん縮小して、区分所有住宅ビル建設に支援をする制度ばかりをつくる。
なんだかおかしい。原発村の原発事故と同じくらいヘンである。マンション村(建設業界+不動産業界+金融業界)の政治的陰謀じゃないかしら。
賃貸住宅なら区分所有のような問題はないのだが、どういうわけか賃借住宅を嫌がる人が多い。戦前は都市の中で住むのは借家が当たり前だったのになあ、。
低金利ローンで借金まみれの不動産でも資産を持つと保守層となるだろうという、保守派の55年体制確立のための国民総中流意識植え付け作戦が成功したらしい。
東日本大震災の居住復興政策には、ぜひとも公的賃貸住宅の供給を重点的にやるべきだとおもっている。
民主党だからそのような政策が出るかと思っているのだが、どうも二重ローン対策ばかりである。
またもや金を貸して借金まみれの持家政策推進であるらしいのが、がっかりである。
●参照→くたばれマンション
http://datey.blogspot.com/search/label/%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
日本のマンションとは、不動産屋がニセ宣伝で勝手つけたいい加減な名称である。わたしは使わない。
ではなんというか、「区分所有共同住宅ビル」ということにしている。
金持ちも貧乏人も堅気もヤクザも若者も年よりも所有者も借家人もいるのだが、切って切り離せない運命共同体の呉越同舟の建物であるから、無理なことがいっぱいある。
東日本大震災では津波被害での街の壊滅が喧伝されているが、阪神淡路大震災のようなビルの被災についての報道は見ない。
今度の地震では壊れたビルはなかったのかと思っていたら、今朝の朝日新聞東京版に「被災マンション解体できない」との見出しで、「仙台市内では少なくとも60棟が「全壊」とされる」とある。
やっぱりあるんだ。今後、これらの建て替えが大問題になるはずだ。
大問題は既におきているとある。
全壊建物の解体のために法的に必要な、区分所有者全員の同意がとれなくて、困っているそうだ。
解体だけじゃなくてこれからの建て直しだって、同意をとるのは大変である。
他人に貸して外国に住んでいる区分所有者だっているだろうし、なんだかわけの分らない人もいるだろう。
規模が大きくなると同意はますます大変だ。
建替えるには巨大な資金の負担が、区分所有者それぞれにかかってくる。
それをすぐ出せる金持ちもいれば、二重ローンになってしまうので不可能な貧乏人もいるだろう。
それらが同じ権利で建て替えというひとつの舟に乗ろうとしても、無理なことだらけは当然である。
はじめに呉越同舟と書いたのはこのことである。
阪神淡路大震災の後でこの困難さが身に沁みたはずなのに、あい変らずマンションという区分所有共同住宅ビルの建設は続く。
売るほうは知っていて頬かむりだろうが、買うほうも忘れているらしくて、けっこうな市場である。
行政の側でも、公的賃貸住宅の建設はどんどん縮小して、区分所有住宅ビル建設に支援をする制度ばかりをつくる。
なんだかおかしい。原発村の原発事故と同じくらいヘンである。マンション村(建設業界+不動産業界+金融業界)の政治的陰謀じゃないかしら。
賃貸住宅なら区分所有のような問題はないのだが、どういうわけか賃借住宅を嫌がる人が多い。戦前は都市の中で住むのは借家が当たり前だったのになあ、。
低金利ローンで借金まみれの不動産でも資産を持つと保守層となるだろうという、保守派の55年体制確立のための国民総中流意識植え付け作戦が成功したらしい。
東日本大震災の居住復興政策には、ぜひとも公的賃貸住宅の供給を重点的にやるべきだとおもっている。
民主党だからそのような政策が出るかと思っているのだが、どうも二重ローン対策ばかりである。
またもや金を貸して借金まみれの持家政策推進であるらしいのが、がっかりである。
●参照→くたばれマンション
http://datey.blogspot.com/search/label/%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
2011/06/30
442怖いなあ、原子力という魔物は
環境経済学の観点からエネルギー政策の研究者、大島堅一さん(立命館大学教授)の語る
「実は誰も分かっていない原発のコスト」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110608/106639/?P=1
まえからなんかヘンだなと思っていた。
・155電気のウンコ
http://datey.blogspot.com/2009/07/155.html
・自動車社会を衝く
http://homepage2.nifty.com/datey/jidosya-syakai.htm
やっぱり、原発ってのはこんなに金がかかってるんだ。
わたしでも原発のためにこんなに負担させられているんだ。
後の世代はもっともっと負担するんだなあ。先が全然見えない。
原子力というものは、金と命を食い物にして巨大化し、もう暴れても退治しようもなくなった、人間が作り出した魔物だと、貧乏人のわたしには思えてくる。
怖いなあ。
大島さんの話を要約するとこういうことになる。
◆◆◆
●政府発表の原発発電コストは最低額
・一般に発電コストは、2004年に政府が公表したが試算値が根拠
・液化天然ガスが5.7円/kWh、石炭火力が6.2円/kWh、石油火力が10.7円/kWh、一般水力が11.9円/kWh
・これに対して原発は5.3円/kWhと一番安い
・これには研究開発や立地対策に投入している財政はこの数字に反映されていない。
●現実に近い計算をすると原発発電コストが最高額
・年度ごとに『有価証券報告書総覧』で公表のデータを元に原発を持つ電力9社の発電原価を電源別に、設備の稼働率や減価償却などを含めた実態を反映して、可能な限り抽出して、総発電量で割り算すると
・1970~2007年の平均で、原子力8.64円/kWh、火力9.80円/kWh、一般水力3.88円/kWh
・原発とセットの揚水発電は原発の電力なので両者を平均して原発発電単価は10.13円/kWh
●実は更に高くなる原発発電コスト
・原発発電コストには(税金を投入する技術開発費と立地対策費年間約4000億円)が含まれていないが、これを含めるといくらになるか
・電源ごとの発電量当たり財政支出単価(1970~2007年平均)は、火力と一般水力がともに0.1円/kWh、原子力は2.05円/kWh
・財政支出を加えた総合の発電コスト(1970~2007年平均)は、一般水力3.98円/kWh、火力9.9円/kWh、原子力10.68円/kWh。
・揚水発電とのセットで考えると原発発電は12.23円/kWh
●どうしようもない原発廃棄物処理コスト・原発発電コストには、莫大な使用済み燃料の取り扱い費用(バックエンド)が含まれていない
・六ヶ所再処理工場で40年間に使用済み燃料3万2000tを再処理するのに11兆円試算、MOX燃料加工に1兆1900億円、処置費用計12兆円以上
・そうして獲得できるMOX燃料をウラン資源換算で価格9000億円程度
・11兆円の大赤字
●そして大島さんはこう結ぶ。
・バックエンド事業は数十~数百年、後世に負担だけを押しつけることになりかねない。
・それができない原発のコスト構造が本当の問題
・仮に今すぐ原発をすべて廃止しても大量に蓄積された廃棄物の問題から逃げることはできない
◆◆◆
今、起きている福島第1原発事故に対する補償やもろもろの復旧費用を入れたら、いったいどれくらい原発はコストがかかるものだろうか。
長崎では昨日、経済産業大臣が「安全の責任は国が持ちます」って大見得きって、原発再開せよと自治体に首長たちにいったそうだ。
「国が責任を持つ」の意味はどういうことなんだろうか。事故が絶対おきないってことはありえないと、現今の状況で証明されたのだから、この責任とは大臣の首を貰ってもしょうがないから、事故がおきたら国が補償するってことだろう。
ということは、税金を投入するってことである。
わたしは嫌だね。
怖いなあ、あと20年くらいで巨大な難問題に直面するのだろうが、わたしはその頃はこの世にいないから、シ~ラナイッ…。
「実は誰も分かっていない原発のコスト」
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110608/106639/?P=1
まえからなんかヘンだなと思っていた。
・155電気のウンコ
http://datey.blogspot.com/2009/07/155.html
・自動車社会を衝く
http://homepage2.nifty.com/datey/jidosya-syakai.htm
やっぱり、原発ってのはこんなに金がかかってるんだ。
わたしでも原発のためにこんなに負担させられているんだ。
後の世代はもっともっと負担するんだなあ。先が全然見えない。
原子力というものは、金と命を食い物にして巨大化し、もう暴れても退治しようもなくなった、人間が作り出した魔物だと、貧乏人のわたしには思えてくる。
怖いなあ。
大島さんの話を要約するとこういうことになる。
◆◆◆
●政府発表の原発発電コストは最低額
・一般に発電コストは、2004年に政府が公表したが試算値が根拠
・液化天然ガスが5.7円/kWh、石炭火力が6.2円/kWh、石油火力が10.7円/kWh、一般水力が11.9円/kWh
・これに対して原発は5.3円/kWhと一番安い
・これには研究開発や立地対策に投入している財政はこの数字に反映されていない。
●現実に近い計算をすると原発発電コストが最高額
・年度ごとに『有価証券報告書総覧』で公表のデータを元に原発を持つ電力9社の発電原価を電源別に、設備の稼働率や減価償却などを含めた実態を反映して、可能な限り抽出して、総発電量で割り算すると
・1970~2007年の平均で、原子力8.64円/kWh、火力9.80円/kWh、一般水力3.88円/kWh
・原発とセットの揚水発電は原発の電力なので両者を平均して原発発電単価は10.13円/kWh
●実は更に高くなる原発発電コスト
・原発発電コストには(税金を投入する技術開発費と立地対策費年間約4000億円)が含まれていないが、これを含めるといくらになるか
・電源ごとの発電量当たり財政支出単価(1970~2007年平均)は、火力と一般水力がともに0.1円/kWh、原子力は2.05円/kWh
・財政支出を加えた総合の発電コスト(1970~2007年平均)は、一般水力3.98円/kWh、火力9.9円/kWh、原子力10.68円/kWh。
・揚水発電とのセットで考えると原発発電は12.23円/kWh
●どうしようもない原発廃棄物処理コスト
・六ヶ所再処理工場で40年間に使用済み燃料3万2000tを再処理するのに11兆円試算、MOX燃料加工に1兆1900億円、処置費用計12兆円以上
・そうして獲得できるMOX燃料をウラン資源換算で価格9000億円程度
・11兆円の大赤字
●そして大島さんはこう結ぶ。
・バックエンド事業は数十~数百年、後世に負担だけを押しつけることになりかねない。
・それができない原発のコスト構造が本当の問題
・仮に今すぐ原発をすべて廃止しても大量に蓄積された廃棄物の問題から逃げることはできない
◆◆◆
今、起きている福島第1原発事故に対する補償やもろもろの復旧費用を入れたら、いったいどれくらい原発はコストがかかるものだろうか。
長崎では昨日、経済産業大臣が「安全の責任は国が持ちます」って大見得きって、原発再開せよと自治体に首長たちにいったそうだ。
「国が責任を持つ」の意味はどういうことなんだろうか。事故が絶対おきないってことはありえないと、現今の状況で証明されたのだから、この責任とは大臣の首を貰ってもしょうがないから、事故がおきたら国が補償するってことだろう。
ということは、税金を投入するってことである。
わたしは嫌だね。
怖いなあ、あと20年くらいで巨大な難問題に直面するのだろうが、わたしはその頃はこの世にいないから、シ~ラナイッ…。
2011/06/29
441総理大臣が毎年交替する事情
新聞社のネットにこうある。
『菅直人首相は6月27日、首相官邸で記者会見し、自らの辞任条件として「今年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立が一つのめどになる」と明言した』
政治のことはよく分らんが、補正予算てのは総理大臣が自らのクビをかけるほどの議案なのかしら。
ということは、毎年補正予算があるけど、その都度クビをかけているんだね。
だから、日本では首相が毎年変わるんだな、やっとその事情がわかったぞ。
だけど、ヘンだなあ。これらの議案は、みんなびっくりするほどの特殊な、菅さん独特のものなんだろうか。
再生可能エネルギーとか特例公債とかも、今、どれも必要な、あたりまえの法案じゃんかよ、それとも何かわたしが理解できないイデオロギー問題が裏にあるのかしら?
当たり前のことにクビを掛けなけりゃならん政治の状況って、選挙民にとってはヘンな人たちを選んだもんだと思うのだろうなあ、、、わたしは選挙に行かないけどね。
『菅直人首相は6月27日、首相官邸で記者会見し、自らの辞任条件として「今年度第2次補正予算案の成立、再生可能エネルギー特別措置法案の成立、特例公債法案の成立が一つのめどになる」と明言した』
政治のことはよく分らんが、補正予算てのは総理大臣が自らのクビをかけるほどの議案なのかしら。
ということは、毎年補正予算があるけど、その都度クビをかけているんだね。
だから、日本では首相が毎年変わるんだな、やっとその事情がわかったぞ。
だけど、ヘンだなあ。これらの議案は、みんなびっくりするほどの特殊な、菅さん独特のものなんだろうか。
再生可能エネルギーとか特例公債とかも、今、どれも必要な、あたりまえの法案じゃんかよ、それとも何かわたしが理解できないイデオロギー問題が裏にあるのかしら?
当たり前のことにクビを掛けなけりゃならん政治の状況って、選挙民にとってはヘンな人たちを選んだもんだと思うのだろうなあ、、、わたしは選挙に行かないけどね。
440原発事故の株主責任は?
東京電力の株主総会で、一部株主による脱原発提案は圧倒的多数の反対で否決されたそうだ。ほかの電力会社も同様であった。
株の数と株主の数は一致しないから、株主の頭数による差ではないだろうが、それにしてもこれだけ事故が拡大して恐怖を世界に与えていて、東電の責任であることが明白になっている状況でも、株主たちは責任をとろうとしない。
株主ってのは、投資したさきが何やろうと、責任がないものなの?
株主たちは東電に投資して配当を受けてきているから、その利益のなかには原子力発電による分がかなり入っているだろう。
株主たちは東電に金を与えて原子力発電をさせ、それによって利益を得てきたし、それによって現在の被災者を生み出しているのだから、株主は東電と肩を並べる加害者のはずだ。
それなのに圧倒的多数で原発を支持するとは、いったいどういうことなんだろうか。
そういうことで、この世の中は良いもんだろうか?
そりゃまあ、投資した株が紙切れになるのが、原発の放射能よりも怖いのでしょうがねえ、。
もともと株式投資とはそういうリスクを背負ってやるもんでしょう、ってことで、またこれからも放射能リスクを背負って行こうって、金持ちの強欲には負けるなあ。
紙切れになるの嫌だから、原発の責任は知らない、もっと原発作れよ、利益のために投資してるんだから、ってのかしら。
これって、どう考えても、被災者たちへの冒涜であるとしか思えないなんだよなあ。
信念として原発反対運動のために、まえまえから株主となって発言しているかたたちへの敬意は表するのだが、株主とは社会的にはいったいなんだろうか。
儲かるなら死の商人へだって投資するのが株主だって、そういうものであったか、怖いなあ。
蕪には縁があっても、株にはまったく縁のないわたしには、株主たちの態度は不可解きわまるのである。
株の数と株主の数は一致しないから、株主の頭数による差ではないだろうが、それにしてもこれだけ事故が拡大して恐怖を世界に与えていて、東電の責任であることが明白になっている状況でも、株主たちは責任をとろうとしない。
株主ってのは、投資したさきが何やろうと、責任がないものなの?
株主たちは東電に投資して配当を受けてきているから、その利益のなかには原子力発電による分がかなり入っているだろう。
株主たちは東電に金を与えて原子力発電をさせ、それによって利益を得てきたし、それによって現在の被災者を生み出しているのだから、株主は東電と肩を並べる加害者のはずだ。
それなのに圧倒的多数で原発を支持するとは、いったいどういうことなんだろうか。
そういうことで、この世の中は良いもんだろうか?
そりゃまあ、投資した株が紙切れになるのが、原発の放射能よりも怖いのでしょうがねえ、。
もともと株式投資とはそういうリスクを背負ってやるもんでしょう、ってことで、またこれからも放射能リスクを背負って行こうって、金持ちの強欲には負けるなあ。
紙切れになるの嫌だから、原発の責任は知らない、もっと原発作れよ、利益のために投資してるんだから、ってのかしら。
これって、どう考えても、被災者たちへの冒涜であるとしか思えないなんだよなあ。
信念として原発反対運動のために、まえまえから株主となって発言しているかたたちへの敬意は表するのだが、株主とは社会的にはいったいなんだろうか。
儲かるなら死の商人へだって投資するのが株主だって、そういうものであったか、怖いなあ。
蕪には縁があっても、株にはまったく縁のないわたしには、株主たちの態度は不可解きわまるのである。
2011/06/28
439シンポジウム横浜の都市デザイン
このシンポジウムは面白そうだ。
シンポジウム
横浜の都市デザイン活動の40年とこれから
2011年7月30日(土) 13時00分~16時30分
(受付開始12時30分)
ヨコハマ創造都市センター 3F(事前申込必要・参加無料)
横浜市中区本町6-50-1
みなとみらい線「馬車道駅」1b出口[野毛・桜木町口(アイランドタワー連絡口)]
主催:横浜市都市整備局
共催:大学まちづくりコンソーシアム横浜
【プログラム】
挨拶 小松崎 隆/横浜市副市長
第1部|講演+鼎談 「都市デザインの40年を振り返る」
講師 国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
コメンテーター 佐藤 滋/早稲田大学教授
西村 幸夫/東京大学教授
第2部|ラウンドテーブルディスカッション
「これからの都市デザインが目指す方向」
ミニレクチャー1 50年後の横浜の姿
鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
ミニレクチャー2 モビリティデザイン
羽藤 英二/東京大学准教授
ミニレクチャー3 コミュニティデザイン
山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
スピーカー
佐藤 滋/早稲田大学教授
西村 幸夫/東京大学教授
鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
羽藤 英二/東京大学准教授
山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
大学まちづくりコンソーシアム横浜委員
・横浜国立大学/北山 恒・野原 卓、
・神奈川大学/曽我部 昌史、
・関東学院大学/中津 秀之 ほか
特定非営利活動法人 横浜プランナーズネットワーク
(山路清貴、菅孝能)
ファシリテーター
国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
*終了後、大学まちづくりコンソーシアム横浜による交流会
(事前申込み 要・会費制1000円/人 当日支払い)を予定しています。
申込方法
件名に「都市デザインシンポジウム参加」と明記の上、
(1)住所(2)参加者全員の氏名(3)所属(4)交流会の参加・不参加を記入し
電子メールまたはファクシミリにて申し込みを行ってください。
電話でのお申込は受付けていません。
○電子メール:tb-udsympo@city.yokohama.jpあてに送信してください。
○FAX:次に示す案内チラシのFAX申込フォームに記入のうえ、
045-663-8641あてに送信してください。
○【シンポジウム案内チラシ】(PDF形式、208KB)
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/pdf/sympo.pdf
※定員に達した時点で受付を終了します。(定員150名)
その際は、ホームページにてお知らせします。
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/
●関連→大震災に都市デザインは無力か
シンポジウム
横浜の都市デザイン活動の40年とこれから
2011年7月30日(土) 13時00分~16時30分
(受付開始12時30分)
ヨコハマ創造都市センター 3F(事前申込必要・参加無料)
横浜市中区本町6-50-1
みなとみらい線「馬車道駅」1b出口[野毛・桜木町口(アイランドタワー連絡口)]
主催:横浜市都市整備局
共催:大学まちづくりコンソーシアム横浜
【プログラム】
挨拶 小松崎 隆/横浜市副市長
第1部|講演+鼎談 「都市デザインの40年を振り返る」
講師 国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
コメンテーター 佐藤 滋/早稲田大学教授
西村 幸夫/東京大学教授
第2部|ラウンドテーブルディスカッション
「これからの都市デザインが目指す方向」
ミニレクチャー1 50年後の横浜の姿
鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
ミニレクチャー2 モビリティデザイン
羽藤 英二/東京大学准教授
ミニレクチャー3 コミュニティデザイン
山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
スピーカー
佐藤 滋/早稲田大学教授
西村 幸夫/東京大学教授
鈴木 伸治/横浜市立大学准教授
羽藤 英二/東京大学准教授
山崎 亮/studio-L代表、京都造形芸術大学教授
大学まちづくりコンソーシアム横浜委員
・横浜国立大学/北山 恒・野原 卓、
・神奈川大学/曽我部 昌史、
・関東学院大学/中津 秀之 ほか
特定非営利活動法人 横浜プランナーズネットワーク
(山路清貴、菅孝能)
ファシリテーター
国吉 直行/横浜市立大学特別契約教授
*終了後、大学まちづくりコンソーシアム横浜による交流会
(事前申込み 要・会費制1000円/人 当日支払い)を予定しています。
申込方法
件名に「都市デザインシンポジウム参加」と明記の上、
(1)住所(2)参加者全員の氏名(3)所属(4)交流会の参加・不参加を記入し
電子メールまたはファクシミリにて申し込みを行ってください。
電話でのお申込は受付けていません。
○電子メール:tb-udsympo@city.yokohama.jpあてに送信してください。
○FAX:次に示す案内チラシのFAX申込フォームに記入のうえ、
045-663-8641あてに送信してください。
○【シンポジウム案内チラシ】(PDF形式、208KB)
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/pdf/sympo.pdf
※定員に達した時点で受付を終了します。(定員150名)
その際は、ホームページにてお知らせします。
http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/design/
●関連→大震災に都市デザインは無力か
2011/06/27
438ミサイルと原発
数日前の新聞に、福島第1原発から降ってくる放射能を避けるために、葛尾村では「外国からのミサイル攻撃に対処する避難計画」によって村民が疎開をした、とあった。
えっ、そんな計画がそんな田舎の町にもあるのか、ギョッとして不気味な気持ちになった。
それからその不気味さが、心の中に広がるばかりである。
で、ネットでそのキイワードで調べたら、なんと「国民保護法」なるものがあって、これに外国から攻撃を受けたときの対処方法があり、そこに避難のことが書いてあるのだ。
●参照→国民保護法サイト
http://www.kokuminhogo.go.jp/arekore/shikumi/hinan.html
あの村の人たちもそれによって避難したのかあ、知らなかったなあ、平和ボケになっているのかなあ。
わたしの住む横浜市でもやっているんだろうか。
なにか国家的・国際的陰謀が裏にあるのだろうか、なんだか怖くなってきた。
考えてみれば津波がなくても、どこかからミサイルが飛んできて原子力発電所にドッカーン、今度のようなことは起きるんだろうな。
核弾頭が乗っていなくても、原発を狙えば原爆を落とすのと同じ効果になるんだなあ.
ならばミサイルはどこへでも飛んで来るだろうから、日本列島は原爆列島なんだよなあ。
原発のない沖縄だけが安心だ。
と思ったけど、ミサイルが狙うのは軍事基地だろうから、あそこも安全じゃないなあ。
あ、ミサイルじゃなくても飛行機が事故で墜落してきたら、これはどうなるんだ。
もう考えるのが嫌になってしまう。
まさか、それは杞憂です、とは言われないだろうなあ。
杞の国の人たちは、天がおちてくると心配して笑われたが、福島原発には本当に天が落ちてきたのであった。
これはやっぱりミサイルを打ってくる外国をやっつけようって、そう思うものだろうか。
それとも原発をやめようと思うものだろうか。
福島以外の原発のある市町村では、目先の金ほしさに原発廃止に抵抗しているようだが、そういうものでよいのだろうか。
戦争、核兵器、兵器産業、原子力業界、原発、これらがつながっていて、国民保護の建前で大震災対応と戦争対応とが巨大収益事業として連動しているとしたら、これほど不気味で怖いことはない。
エネルギー革命を言う菅直人さんが、総理大臣の座から無理矢理引きずりおろされようとしている現在進行の政治劇は、じつは裏にはそんなことがあるのかと、勘ぐってしまう。
浜岡原発停止の要請をするにあたって、事前にこれがもれると絶対に反対されて出来なくなるから突然にやったのだと、菅さんがあのときにいったと、その当時の新聞記事に載っていて、こんな正論に一体誰が反対するのだろうと不思議に思った。
ところが、そのころから急に新聞論調が「菅やめろ」の雰囲気になってきたので、変だなあ、何か裏がありそうだと勘ぐっていたのだ。
それは、そういうことなのかあ、あ、いや、考えすぎなんだろうか。
(追記 110731)
今朝の朝日新聞に、「原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省」の見出しで、もしも日本国内の原発が攻撃を受けて、原子炉や格納容器が破壊され全電源喪失で大量の放射性物質が流出したら、最大1万8千人が急性死亡するという研究していたが、反原発運動の拡大を恐れて、報告書を公表しなかった、と書いている。
やっぱりなあ、日本は原爆はないというが、原発はいつでも原爆に化けることができるんだなあ。
えっ、そんな計画がそんな田舎の町にもあるのか、ギョッとして不気味な気持ちになった。
それからその不気味さが、心の中に広がるばかりである。
で、ネットでそのキイワードで調べたら、なんと「国民保護法」なるものがあって、これに外国から攻撃を受けたときの対処方法があり、そこに避難のことが書いてあるのだ。
●参照→国民保護法サイト
http://www.kokuminhogo.go.jp/arekore/shikumi/hinan.html
あの村の人たちもそれによって避難したのかあ、知らなかったなあ、平和ボケになっているのかなあ。
わたしの住む横浜市でもやっているんだろうか。
なにか国家的・国際的陰謀が裏にあるのだろうか、なんだか怖くなってきた。
考えてみれば津波がなくても、どこかからミサイルが飛んできて原子力発電所にドッカーン、今度のようなことは起きるんだろうな。
核弾頭が乗っていなくても、原発を狙えば原爆を落とすのと同じ効果になるんだなあ.
ならばミサイルはどこへでも飛んで来るだろうから、日本列島は原爆列島なんだよなあ。
原発のない沖縄だけが安心だ。
と思ったけど、ミサイルが狙うのは軍事基地だろうから、あそこも安全じゃないなあ。
あ、ミサイルじゃなくても飛行機が事故で墜落してきたら、これはどうなるんだ。
もう考えるのが嫌になってしまう。
まさか、それは杞憂です、とは言われないだろうなあ。
杞の国の人たちは、天がおちてくると心配して笑われたが、福島原発には本当に天が落ちてきたのであった。
これはやっぱりミサイルを打ってくる外国をやっつけようって、そう思うものだろうか。
それとも原発をやめようと思うものだろうか。
福島以外の原発のある市町村では、目先の金ほしさに原発廃止に抵抗しているようだが、そういうものでよいのだろうか。
戦争、核兵器、兵器産業、原子力業界、原発、これらがつながっていて、国民保護の建前で大震災対応と戦争対応とが巨大収益事業として連動しているとしたら、これほど不気味で怖いことはない。
エネルギー革命を言う菅直人さんが、総理大臣の座から無理矢理引きずりおろされようとしている現在進行の政治劇は、じつは裏にはそんなことがあるのかと、勘ぐってしまう。
浜岡原発停止の要請をするにあたって、事前にこれがもれると絶対に反対されて出来なくなるから突然にやったのだと、菅さんがあのときにいったと、その当時の新聞記事に載っていて、こんな正論に一体誰が反対するのだろうと不思議に思った。
ところが、そのころから急に新聞論調が「菅やめろ」の雰囲気になってきたので、変だなあ、何か裏がありそうだと勘ぐっていたのだ。
それは、そういうことなのかあ、あ、いや、考えすぎなんだろうか。
(追記 110731)
今朝の朝日新聞に、「原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省」の見出しで、もしも日本国内の原発が攻撃を受けて、原子炉や格納容器が破壊され全電源喪失で大量の放射性物質が流出したら、最大1万8千人が急性死亡するという研究していたが、反原発運動の拡大を恐れて、報告書を公表しなかった、と書いている。
やっぱりなあ、日本は原爆はないというが、原発はいつでも原爆に化けることができるんだなあ。
2011/06/26
437原発事故と復興構想
東日本大震災復興構想会議から「復興への提言」が出されたので、インタネットサイトでぱらぱらと議事録と資料を読んでみた。
それぞれのご専門のかたがたの話があるが、なんとも評価しようがないのは、こちらにその能力がないからである。
興味があるのは、どのお方も苦手であろうと思われる原発事故と復興について、どう述べておられるのかであった。
だが、案の定、発言は少ないし、ナントカしなけりゃとは言っても、どうするかについては、どなたも歯に物が挟まるのは、仕方ないことである。
提言の中の第3章が、原発災害の話である。その出だしのところがブンガクテキで、前半の悲観的な口調と、一転して楽観する後半との落差、ちょっとわざとらしいノーテンキさに引っかかる。
ーーーその部分を引用するーーーー
「復興への提言~悲惨のなかの希望~」平成23年6月25日東日本大震災復興構想会議
第3章 原子力災害からの復興に向けて
(1)序
原子力災害の大きさと広がりには、底知れぬ恐怖がある。
そして人々は、「戦後」を刻印したヒロシマ、ナガサキの原爆と、「災後」を刻印しつつあるフクシマの原発とを一本の歴史の軸の上に、あたかもフラッシュバックされる映像のように思い浮かべる。
今回の地震と津波被害を起こりえないものとして、考慮の外に追いやっていたのと同様の思考のあり方が、ここにも見出せる。
いや、人々は原子力については、ことさら「安全」神話を聞かされるなかで、疑う声もかき消されがちであった。
原発事故を起こりえないものとした考え方は、その意味では、地震や津波災害の場合よりも、何か外の力が加わることによっていっそう閉ざされた構造になっていたのだ。
今、人々は進行中で収束をとげぬ原発事故に、どう対処すべきか、思いあぐねている。
今回の地震と津波の災害に対し、「減災」という対応方式が直ちに認知されたことと、それは対照的と言わざるをえない。
ある型に回収されるような事態ではないからだ。パンドラの箱があいた時に、人類の上にありとあらゆる不幸が訪れたのと類似の事態が、思い浮かぶ。
しかし、パンドラの箱には、たったひとつ誤ってしまわれていたものがあった。
それは何か。「希望」であった。
それから人類はあらゆる不幸の只中にあって、この「希望」を寄りどころにして、苦しい日々をたえた。
「希望」―それは原発事故に遭遇したフクシマの人々には、まだ及びもつかぬ、とんでもない言葉かもしれぬ。
しかしここでもまた人と人を「つなぐ」意味が出てくる。原発事故の被災地のなかに「希望」を見出し、あるいは「希望」をつかむことは、被災地内外の人と人を「つなぐ」糧となりうる。
いや人は人とつながることによってこそ、「希望」の光のなかに、明日のフクシマを生きることになろう。
だから、フクシマの復興は、「希望」を抱く人々の心のなかに、すでに芽吹き始めているに違いない。
ーーー引用ここまでーーー
委員の発言の中で、興味深く読んだのは、民俗学者の赤坂さんの発言である。
「東北なるもの」はこうであったかと、東北地方に疎いわたしには分ったし、「原発なるもの」がもたらす東北地方の展望も興味深いものである。
●参照→「鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 発表メモ」赤坂 憲雄
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf
西郷真理子さんは、都市計画家の肩書きで委員となっている。
他の委員たちが職能ではなくて大学とかの職場の肩書きであって、エライセンセイらしいが、なにをする人か全然分らないのと比べて、この態度に好感をもった。
税金つかってカイギする人なのに、それが何者か分らないのは、納税者はカイギにカイギ的になってしまう。
安藤忠雄さんは、建築家と並べて東大名誉教授と肩書きにあるのが、気に入らない。
なんで建築家だけじゃいけないのか、名誉教授なんて肩書きは落ちぶれたセンセイがつかうもんだぞ。
西郷さんが、100年前の津波被災地の地図に、津波被災エリアをかぶせてみたら、100年前の街はほとんど津波がかかっていないことを見せている。
人口は2~3倍になっているが、市街地は10倍、20倍以上に海に近い低地の農地をつぶして拡大している。だから、そこがもろに津波をかぶったのであった。
高台を新規開発しなくても、人口も減ってきたし、街を100年前の範囲にコンパクトに戻してもよかろうと、よく分るのである。
●参照→「復興構想会議検討部会メモ 持続可能(Sustainable)なまちづくりをめざして 2」2011年5月7日西郷真理子
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kentou4/saigou.pdf
それぞれのご専門のかたがたの話があるが、なんとも評価しようがないのは、こちらにその能力がないからである。
興味があるのは、どのお方も苦手であろうと思われる原発事故と復興について、どう述べておられるのかであった。
だが、案の定、発言は少ないし、ナントカしなけりゃとは言っても、どうするかについては、どなたも歯に物が挟まるのは、仕方ないことである。
提言の中の第3章が、原発災害の話である。その出だしのところがブンガクテキで、前半の悲観的な口調と、一転して楽観する後半との落差、ちょっとわざとらしいノーテンキさに引っかかる。
ーーーその部分を引用するーーーー
「復興への提言~悲惨のなかの希望~」平成23年6月25日東日本大震災復興構想会議
第3章 原子力災害からの復興に向けて
(1)序
原子力災害の大きさと広がりには、底知れぬ恐怖がある。
そして人々は、「戦後」を刻印したヒロシマ、ナガサキの原爆と、「災後」を刻印しつつあるフクシマの原発とを一本の歴史の軸の上に、あたかもフラッシュバックされる映像のように思い浮かべる。
今回の地震と津波被害を起こりえないものとして、考慮の外に追いやっていたのと同様の思考のあり方が、ここにも見出せる。
いや、人々は原子力については、ことさら「安全」神話を聞かされるなかで、疑う声もかき消されがちであった。
原発事故を起こりえないものとした考え方は、その意味では、地震や津波災害の場合よりも、何か外の力が加わることによっていっそう閉ざされた構造になっていたのだ。
今、人々は進行中で収束をとげぬ原発事故に、どう対処すべきか、思いあぐねている。
今回の地震と津波の災害に対し、「減災」という対応方式が直ちに認知されたことと、それは対照的と言わざるをえない。
ある型に回収されるような事態ではないからだ。パンドラの箱があいた時に、人類の上にありとあらゆる不幸が訪れたのと類似の事態が、思い浮かぶ。
しかし、パンドラの箱には、たったひとつ誤ってしまわれていたものがあった。
それは何か。「希望」であった。
それから人類はあらゆる不幸の只中にあって、この「希望」を寄りどころにして、苦しい日々をたえた。
「希望」―それは原発事故に遭遇したフクシマの人々には、まだ及びもつかぬ、とんでもない言葉かもしれぬ。
しかしここでもまた人と人を「つなぐ」意味が出てくる。原発事故の被災地のなかに「希望」を見出し、あるいは「希望」をつかむことは、被災地内外の人と人を「つなぐ」糧となりうる。
いや人は人とつながることによってこそ、「希望」の光のなかに、明日のフクシマを生きることになろう。
だから、フクシマの復興は、「希望」を抱く人々の心のなかに、すでに芽吹き始めているに違いない。
ーーー引用ここまでーーー
委員の発言の中で、興味深く読んだのは、民俗学者の赤坂さんの発言である。
「東北なるもの」はこうであったかと、東北地方に疎いわたしには分ったし、「原発なるもの」がもたらす東北地方の展望も興味深いものである。
●参照→「鎮魂と再生のために――復興構想会議2011,4,30 発表メモ」赤坂 憲雄
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kousou3/akasaka.pdf
西郷真理子さんは、都市計画家の肩書きで委員となっている。
他の委員たちが職能ではなくて大学とかの職場の肩書きであって、エライセンセイらしいが、なにをする人か全然分らないのと比べて、この態度に好感をもった。
税金つかってカイギする人なのに、それが何者か分らないのは、納税者はカイギにカイギ的になってしまう。
安藤忠雄さんは、建築家と並べて東大名誉教授と肩書きにあるのが、気に入らない。
なんで建築家だけじゃいけないのか、名誉教授なんて肩書きは落ちぶれたセンセイがつかうもんだぞ。
西郷さんが、100年前の津波被災地の地図に、津波被災エリアをかぶせてみたら、100年前の街はほとんど津波がかかっていないことを見せている。
人口は2~3倍になっているが、市街地は10倍、20倍以上に海に近い低地の農地をつぶして拡大している。だから、そこがもろに津波をかぶったのであった。
高台を新規開発しなくても、人口も減ってきたし、街を100年前の範囲にコンパクトに戻してもよかろうと、よく分るのである。
●参照→「復興構想会議検討部会メモ 持続可能(Sustainable)なまちづくりをめざして 2」2011年5月7日西郷真理子
http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/pdf/kentou4/saigou.pdf
2011/06/25
436くたばれ血出痔
TVはほとんど見ないが、夕食の後で19時からのNHKTVニュースを見ることがある。
それを今日見ていて、なんだかいつもと違うなあ、なんだろ、
あ、そうか、あのいつもうるさい血出痔脅迫お邪魔テロップが、画面に登場しないのだと、気がついた。
いつも右上にある穴魯愚の表示もない。
もちろん、TV受像機を買い換えてはいないから、この5年間愛用の受像機が自分で気を利かせて、あのテロップを消すようになったのであろう。
他のチャンネルはどうかと巡回して見たら、10チャンネル分くらいはお邪魔テロップがない。
だが、いくつかはまだお邪魔テロップが出てくる。こいつらは来月は放送まるごと消えるんだろう。
ふん、それでも一向に構わないのだ、どうせオレはアホTV番組なんて見ないんだから。
それにしても、TV受像機を買い換えろと脅迫お邪魔テロップで、電気屋のコマーシャルをNHKまでもやってる。
だけど、わたしの家のようにCATVでは買い換えなくても構わないんだよって、どうしてテロップ放送しないんだよ、え、おかしいぞ。都合の悪いことは教えないのか?
145血出痔の準備
http://datey.blogspot.com/2009/06/145.html
011血出痔問題
http://datey.blogspot.com/2008/06/blog-post_25.html
295血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/07/295.html
355立ち退き補償よこせ血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/11/355tv.html
385出痔樽出歯萎奴
http://datey.blogspot.com/2011/02/385.html
それを今日見ていて、なんだかいつもと違うなあ、なんだろ、
あ、そうか、あのいつもうるさい血出痔脅迫お邪魔テロップが、画面に登場しないのだと、気がついた。
いつも右上にある穴魯愚の表示もない。
もちろん、TV受像機を買い換えてはいないから、この5年間愛用の受像機が自分で気を利かせて、あのテロップを消すようになったのであろう。
他のチャンネルはどうかと巡回して見たら、10チャンネル分くらいはお邪魔テロップがない。
だが、いくつかはまだお邪魔テロップが出てくる。こいつらは来月は放送まるごと消えるんだろう。
ふん、それでも一向に構わないのだ、どうせオレはアホTV番組なんて見ないんだから。
それにしても、TV受像機を買い換えろと脅迫お邪魔テロップで、電気屋のコマーシャルをNHKまでもやってる。
だけど、わたしの家のようにCATVでは買い換えなくても構わないんだよって、どうしてテロップ放送しないんだよ、え、おかしいぞ。都合の悪いことは教えないのか?
145血出痔の準備
http://datey.blogspot.com/2009/06/145.html
011血出痔問題
http://datey.blogspot.com/2008/06/blog-post_25.html
295血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/07/295.html
355立ち退き補償よこせ血出痔TV
http://datey.blogspot.com/2010/11/355tv.html
385出痔樽出歯萎奴
http://datey.blogspot.com/2011/02/385.html
2011/06/23
435【くたばれ乗用車】風景破壊の自動車屋
横浜関外にあるわたしの棲家から外を見ると、目の前に真っ赤な屋上広告塔が建っている。
あれがないとどんなにセイセイするだろうか、ついでに、その向うに見える高速道路の高架構造物も邪魔である。
さて、数日前からその広告塔に覆いがかかっていたが、今日それが取れたのをみたら、おお、広告塔が撤去された! う~ん、セイセイしたぞ。よかったよかった。
自動車屋は風景について鈍感というか、まったくもって風景破壊屋である。
自動車の野外展示の売り場のなんと汚らしいことよ、どこの展示場でもひらひらと幟や旗や造花が軽薄に舞っていて、人目を引くのだけが目的らしいが、完全に間違っているのに気がつかない。あれでは商品の車も安物にしか見えない。
どこの安売り量販店の屋外駐車場も、殺風景とはこのことだというばかり。なぜ樹木を植えないのか。
自動車の普及が、日本の風景を壊した大きな原因である。
あのスピードで動く人々に何かを見つけさせるためには、周囲といかに関係ない形や色を出すか、そればかりが広告のデザイン原理となった。
それを見ている方も、次第に鈍感になってきたらしい。だから破壊風景が広がるばかり。
さて、東日本大震災の復興後の風景はどうなるのであろうか。自動車時代にふさわしい汚ならしい風景の再生復旧になるのであろうなあ、、、。
自動車屋のニッサンである。他のビルには広告塔はないのに、これだけが突っ立っている。夜間はライトアップする。
まったくもってジャマでジャマで、9年間毎日これを眺めさせられていても、ちっとも慣れっこにならない。ニッサン製の自動車には乗らないと決めている。あれがないとどんなにセイセイするだろうか、ついでに、その向うに見える高速道路の高架構造物も邪魔である。
そこでせめて画像だけでもと思って、こんな処理をしてみた。セイセイするなあ。
●横浜関外某所の風景
さて、数日前からその広告塔に覆いがかかっていたが、今日それが取れたのをみたら、おお、広告塔が撤去された! う~ん、セイセイしたぞ。よかったよかった。
でも、まてよ、ビル全体に覆いがかかってるなあ、まだ工事は終っていないのか、ということはビルを改装してもっとでかい広告塔を建てる気かなあ。
それともビルを壊して、もっと高いビルに建て直すのかしら、う~ん、そうなったらやりきれないなあ。引っ越すしかない。自動車屋は風景について鈍感というか、まったくもって風景破壊屋である。
自動車の野外展示の売り場のなんと汚らしいことよ、どこの展示場でもひらひらと幟や旗や造花が軽薄に舞っていて、人目を引くのだけが目的らしいが、完全に間違っているのに気がつかない。あれでは商品の車も安物にしか見えない。
どこの安売り量販店の屋外駐車場も、殺風景とはこのことだというばかり。なぜ樹木を植えないのか。
自動車の普及が、日本の風景を壊した大きな原因である。
あのスピードで動く人々に何かを見つけさせるためには、周囲といかに関係ない形や色を出すか、そればかりが広告のデザイン原理となった。
それを見ている方も、次第に鈍感になってきたらしい。だから破壊風景が広がるばかり。
広告物ばかりか、建築デザインもそうなった。 その結果の典型的な破壊風景が、郊外のバイパス道路周辺の風景である。泣きたいほどひどい汚なさだ。
あまりひどいので、そのコレクションをしている。
●日本全国醜い風景アルバム
●日本全国醜い風景アルバム
さて、東日本大震災の復興後の風景はどうなるのであろうか。自動車時代にふさわしい汚ならしい風景の再生復旧になるのであろうなあ、、、。
●風景の自然・景観の都市
http://homepage2.nifty.com/datey/keikan/index.htm
2011/06/20
434横浜で琉球のゆったりとした時間
沖縄のゆったりとした時間を、横浜で久しぶりに味わった。
琉球王朝の芸能である「組踊」を、横浜能楽堂で観たのである。
組踊をはじめてみたのはもう20年も前だったろうか、TVの「萬歳敵討」であった。その時は能「放下僧」とあわせて放送され、江戸武家文化と琉球王朝文化の交流を初めて知って興味を持った。
能をベースにして琉球芸能と合体させたものが、組踊である。18世紀のはじめに、琉球王朝に仕える玉城朝薫が創作、演奏したのをはじめとする。
実際の舞台での演奏を観る機会はなかなかなくて、10年ほど前だったか国立劇場で「執心鐘入」を観たのがはじめてであった。
これは能「道成寺」のアレンジによるものだが、能がそぎ落としたケレン味のある演芸的な面白さをもっていて、興味深く見た。
例えば、落ちた鐘が上がると中にいるはずの白拍子の姿は消えている。やがて宙に吊るされた鐘からさかさまにぶら下がって蛇体が姿を見せるのであった。
その次に観たのは、沖縄に遊びに行ったときに国立組踊劇場であった。遊びの日程を劇場の日程に合わせたのである。
その時見た演目は忘れたが、城を攻め落とすというような筋書きであった。
今回は近くの横浜能楽堂で「首里の祝い」(2011年6月19日)と題する芸能である。出し物を書いておく。
・老人踊「かぎやで風」 老人:島袋光晴 老女:宮城能鳳
・若衆踊「四季口説」 金城真次、玉城匠
・女踊「かせかけ」 東江裕吉、新垣悟
・二才踊「上り口説」 田口博章
・独唱「赤田風節」 照喜名朝一
・打組踊「しよんだう」 美女:東江裕吉、新垣悟
・醜女:金城真次、玉城匠
・独唱「仲村渠節」 城間德太郎
・組踊「花売の縁」
森川の子:親泊久玄、乙樽:宮城能鳳、鶴松:比嘉克之、
猿引:嘉手苅林一、猿:古堅聖也、薪木取:島袋光晴、
後見:金城真次・玉城匠
歌三線:西江喜春・仲嶺伸吾・玉城和樹、箏:池間北斗、
笛:宮城英夫、胡弓:川平賀道、太鼓:比嘉聡、
立方指導:宮城能鳳、音楽指導:照喜名朝一
「花売りの縁」は能の「芦刈」に想を得た作品であるそうだが、わたしは「芦刈」をまだ観ていないのでなんとも比較できない。
中で小猿を出すのは、狂言の「靭猿」によるのだろうが、「芦刈」にもあるのだろうか。
能に想を得た組踊は他には、「女物狂」(能「隅田川」)、「銘苅子」(能「羽衣」)などがあるそうだ。
能舞台での組踊ははじめてみたが、地謡座に奥から順に太鼓、筝、三線、胡弓、笛の順に座って演奏する。能のように地謡と囃子とは席が分かれていない。
そして3名の3線演奏者が歌も担当する。
ゆったりと抑揚のある音曲と歌三線が流れ、台詞もゆったりと歌うごとくである。
能では舞いといって、踊りとは言わないように、原則として水平に様式的に動く。能のできた時代の演芸を取り入れていても、能の様式に変換してしまっている。
組踊では明らかに琉球舞踊そのものであるらしく、踊りであるから手ぶり足ぶりは上下左右に自在に動く。
能では装束は派手な色であっても、顔は仮面を使うし、使わない場合でも役者が化粧することはない。
組踊の登場者のなんとまあ美しい化粧であることよ、本土の大衆演劇がそうであることをちょっと連想してしまう。
多文化日本を思った。
琉球王朝の芸能である「組踊」を、横浜能楽堂で観たのである。
組踊をはじめてみたのはもう20年も前だったろうか、TVの「萬歳敵討」であった。その時は能「放下僧」とあわせて放送され、江戸武家文化と琉球王朝文化の交流を初めて知って興味を持った。
能をベースにして琉球芸能と合体させたものが、組踊である。18世紀のはじめに、琉球王朝に仕える玉城朝薫が創作、演奏したのをはじめとする。
実際の舞台での演奏を観る機会はなかなかなくて、10年ほど前だったか国立劇場で「執心鐘入」を観たのがはじめてであった。
これは能「道成寺」のアレンジによるものだが、能がそぎ落としたケレン味のある演芸的な面白さをもっていて、興味深く見た。
例えば、落ちた鐘が上がると中にいるはずの白拍子の姿は消えている。やがて宙に吊るされた鐘からさかさまにぶら下がって蛇体が姿を見せるのであった。
その次に観たのは、沖縄に遊びに行ったときに国立組踊劇場であった。遊びの日程を劇場の日程に合わせたのである。
その時見た演目は忘れたが、城を攻め落とすというような筋書きであった。
今回は近くの横浜能楽堂で「首里の祝い」(2011年6月19日)と題する芸能である。出し物を書いておく。
・老人踊「かぎやで風」 老人:島袋光晴 老女:宮城能鳳
・若衆踊「四季口説」 金城真次、玉城匠
・女踊「かせかけ」 東江裕吉、新垣悟
・二才踊「上り口説」 田口博章
・独唱「赤田風節」 照喜名朝一
・打組踊「しよんだう」 美女:東江裕吉、新垣悟
・醜女:金城真次、玉城匠
・独唱「仲村渠節」 城間德太郎
・組踊「花売の縁」
森川の子:親泊久玄、乙樽:宮城能鳳、鶴松:比嘉克之、
猿引:嘉手苅林一、猿:古堅聖也、薪木取:島袋光晴、
後見:金城真次・玉城匠
歌三線:西江喜春・仲嶺伸吾・玉城和樹、箏:池間北斗、
笛:宮城英夫、胡弓:川平賀道、太鼓:比嘉聡、
立方指導:宮城能鳳、音楽指導:照喜名朝一
「花売りの縁」は能の「芦刈」に想を得た作品であるそうだが、わたしは「芦刈」をまだ観ていないのでなんとも比較できない。
中で小猿を出すのは、狂言の「靭猿」によるのだろうが、「芦刈」にもあるのだろうか。
能に想を得た組踊は他には、「女物狂」(能「隅田川」)、「銘苅子」(能「羽衣」)などがあるそうだ。
能舞台での組踊ははじめてみたが、地謡座に奥から順に太鼓、筝、三線、胡弓、笛の順に座って演奏する。能のように地謡と囃子とは席が分かれていない。
そして3名の3線演奏者が歌も担当する。
ゆったりと抑揚のある音曲と歌三線が流れ、台詞もゆったりと歌うごとくである。
能では舞いといって、踊りとは言わないように、原則として水平に様式的に動く。能のできた時代の演芸を取り入れていても、能の様式に変換してしまっている。
組踊では明らかに琉球舞踊そのものであるらしく、踊りであるから手ぶり足ぶりは上下左右に自在に動く。
能では装束は派手な色であっても、顔は仮面を使うし、使わない場合でも役者が化粧することはない。
組踊の登場者のなんとまあ美しい化粧であることよ、本土の大衆演劇がそうであることをちょっと連想してしまう。
多文化日本を思った。
2011/06/17
433原発と空爆
どうもこの原発事故は、太平洋戦争末期と似ているようなのだ。
こんなことはもう誰か言ってるだろうが、いちおう書いておく。
原発から発した放射能物質が広く天から降ってくるのは、太平洋戦争末期に米軍機から受けた無差別空爆(空襲といった)と同じである。
人口が集中しているから殺傷が効果的な都市を狙って、焼夷弾を雨のごとく降らした。おびえた人々は、都市から田舎へと避難(疎開といった)していった。
米軍機は遠く南方の基地から飛び立ってやってきたが、放射性物質は近くの原発基地から飛び立って風に乗ってやってくる。おびえる人々は、風のとどかない遠くに疎開(今は避難という)している。
太平洋戦争の空爆基地は、はじめは日本列島から遠くの島からだったから空爆機の航続距離の都合で少なかったが、そのうちに近くに占領した基地が増えて、空爆は毎日のようになった。
放射能空爆原発基地は、いまのところ一ヶ所だが、その候補地は日本列島にまだまだ50ヶ所以上もあるらしいから、どうなるのだろうか。疎開先は原発のない沖縄だけになるのだろうか。
米軍空爆はこちらの無条件降伏で止んだが、原発空爆はとっくに無条件降伏しているのにいまだに続く。やむをえず、本土決戦の肉弾戦がつづいている。
原発空爆の殺傷効果はその後も何十年も後を引く。後を引く殺傷効果は、太平洋戦争でも広島と長崎で強烈に経験済みである。
日本軍の大本営は、絶対に勝つといい、空爆機は撃墜したといい、本土上陸では国民皆兵で撃退するといい、どうもそれを、だれもが信じたらしい。反戦論者は抹殺された。
原発推進者たちは、絶対に安全だといたし、事故はないといい、今はそれくらいの放射能を浴びても大丈夫という。反原発論者は異端とされてきた。
そして敗戦、とたんに一億総懺悔と言って、責任は国民みんなにあったとする。
そして原発事故、とたんに一億総節電といって、電気を使いすぎた国民みんなに責任があるとする。
で、戦争放棄の憲法を作ったが、まだまだ敗戦の記憶のあるうちに、また軍隊を持ってしまった。
で、原発敗戦の生々しい記憶を積み重ねている今でも、原発廃止が世論の大勢にならない。わたしたちはまた原発を作るのだろう、自衛隊設置の論理をなぞって。
歴史は繰り返すとは、本当のことであるらしい。
新聞に川柳が載っていた。
このたびは三国同盟なりたたず
第2次大戦では手を組んだドイツとイタリアに、反原発については日本は置いてけぼりにされたのである。この件では歴史は繰り返していない。
こんなことはもう誰か言ってるだろうが、いちおう書いておく。
原発から発した放射能物質が広く天から降ってくるのは、太平洋戦争末期に米軍機から受けた無差別空爆(空襲といった)と同じである。
人口が集中しているから殺傷が効果的な都市を狙って、焼夷弾を雨のごとく降らした。おびえた人々は、都市から田舎へと避難(疎開といった)していった。
米軍機は遠く南方の基地から飛び立ってやってきたが、放射性物質は近くの原発基地から飛び立って風に乗ってやってくる。おびえる人々は、風のとどかない遠くに疎開(今は避難という)している。
太平洋戦争の空爆基地は、はじめは日本列島から遠くの島からだったから空爆機の航続距離の都合で少なかったが、そのうちに近くに占領した基地が増えて、空爆は毎日のようになった。
放射能空爆原発基地は、いまのところ一ヶ所だが、その候補地は日本列島にまだまだ50ヶ所以上もあるらしいから、どうなるのだろうか。疎開先は原発のない沖縄だけになるのだろうか。
米軍空爆はこちらの無条件降伏で止んだが、原発空爆はとっくに無条件降伏しているのにいまだに続く。やむをえず、本土決戦の肉弾戦がつづいている。
原発空爆の殺傷効果はその後も何十年も後を引く。後を引く殺傷効果は、太平洋戦争でも広島と長崎で強烈に経験済みである。
日本軍の大本営は、絶対に勝つといい、空爆機は撃墜したといい、本土上陸では国民皆兵で撃退するといい、どうもそれを、だれもが信じたらしい。反戦論者は抹殺された。
原発推進者たちは、絶対に安全だといたし、事故はないといい、今はそれくらいの放射能を浴びても大丈夫という。反原発論者は異端とされてきた。
そして敗戦、とたんに一億総懺悔と言って、責任は国民みんなにあったとする。
そして原発事故、とたんに一億総節電といって、電気を使いすぎた国民みんなに責任があるとする。
で、戦争放棄の憲法を作ったが、まだまだ敗戦の記憶のあるうちに、また軍隊を持ってしまった。
で、原発敗戦の生々しい記憶を積み重ねている今でも、原発廃止が世論の大勢にならない。わたしたちはまた原発を作るのだろう、自衛隊設置の論理をなぞって。
歴史は繰り返すとは、本当のことであるらしい。
新聞に川柳が載っていた。
このたびは三国同盟なりたたず
第2次大戦では手を組んだドイツとイタリアに、反原発については日本は置いてけぼりにされたのである。この件では歴史は繰り返していない。
2011/06/13
432森英雄・盲人外出案内ロボット開発に熱中
バアチャンが押して歩くババ車がある。商品としての一般名はシニアカーとか言うらしいが、ジイチャンが押していることはめったにないのはどうしてか。
でも、押す老人がボケたら、どこに行ってしまうか分らない。ボケてなくても、年とると道に迷う。いや、年とらなくても道に迷う人は多い。
そこで提案、このババ車を外出案内ロボットに改良するのだ。このロボットにいろいろな行き先を教えておく。
そうすると、このババ車に掴まって引っぱってもらえば、朝の散歩で公園ひとまわり、かかりつけの近所の医院、コンビニでも飲み屋でも連れて行ってくれる。
どうです、こんなものがあったら、ボケ老人といわず、方向音痴の貴方にもピッタリでしょう。
ここに「ニューひとみ」という代物がある。
その名のごとく人間の目の代わりをして、手を引いて道案内をするロボットである。盲導犬をロボットにしたようなものだ。
そうなのである、上に書いたロボットが本当にあるのだ。
もっとも、シニアカーをロボットにしたのではなく、駆動モーターのある電動車いすに、コンピューター、カメラ、センサーなどをつけて、自動ロボット車にしたのである。
昨日(2011.4.12)のこと、千葉市内のある会場で「第10回アイ・フェスタ」なるイベントがあった。
アイとは眼のことらしい。はじめて行ったのだが、盲人のためのいいろいろな生活用品・機器類の展示即売会であった。盲導犬、文字読み上げPCソフトウェア、点字印字機、文字拡大機器などなど、多くの業者が出展というか出店している。
なかには資生堂という化粧品屋も出ている。お化粧と盲人ってどうしてと思ったが、考えてみると鏡を見てお化粧をするのがあたり前だが、盲人はそうではないのだ。
とすればそれなりの化粧作業術があるのだろう。それを伝授して化粧品も売る(のであろう、多分)。
なるほど、盲人マーケットというか、そういう業界もあるのだと知った。
わたしがそのフェスタに行ったのは、そこに出展する「ニューひとみ」の「展示業者」としてであった。
主催者側が出展者のことを展示業者といって、そう書いた名札をぶら下げさせられたが、じつはこのニューひとみ出展は「業者」ではないのだ。
ほかの業者とちがって、全く売る気がなくて、純粋にロボットの開発研究のためなのだ。業者ではなくてボランティアである。
盲人外出案内ロボットの「ニューひとみ」を開発したのは、森英雄さんである。森さんは山梨大学の電子工学の教官に在職中に、このロボット開発をした。
定年退官後は退職金をつぎ込んで会社とNPOを作り、その改良と普及に熱中している。
わたしは森さんと専門は異なるが大学同期で、今は遊び友達。遊びのついでに、ロボット開発に野次馬として参加することもある。そのホームページもわたしが作った。
森さんが千葉アイ・フェスタに「ニューひとみ」を出展するというので、手伝いに行ったのであった。
会場は体育館であり、大勢の盲人用商品業者のテーブルのある中で、異色なのがこのロボットであった。隣には盲導犬協会の案内テーブルがあった。
できそこないの白鳥模型玩具(よく言って)のような格好の「ニューひとみ」が、自動で会場の中を行ったり来たりしている。
ナンダナンダと来場者たちの興味をひき、次から次へと訊いてくる。
森さんはもう何回か出展しているから、なかには旧バージョンの「ひとみ」も知っていている人もいて、新バージョンの「ニューひとみ」改良点を褒めてくれたりする。
森さんは張り切って、その都度いちから説明し、盲人たちに掴まり歩きの体験をさせてあげる。
一緒に歩きながら、蹴飛ばしても轢かれて大丈夫と、身を挺して実演する。
なにしろ、そこらにいる展示業者の「商品」ではなくて、自分ひとりでコツコツと作りあげてきた「作品」である。だから、その開発苦労話までしてしまう。素人は聞いても分らないメカニズムも一生懸命に説明するのだ。
とうぜんのことながら、はっと気がつくと疲れ果てている。
そこにわたしが説明係ピンチヒッターで登場するのである。こちらは適当にやる。
森さんがここにきている目的は、このロボットを最良のものにしたいことにつきる。
そのためには実際の利用者の声を聞いて改良すること、そして商品化をする業者が現れるかもしれないことを期待しているのである。異色の出展業者である。
それにしても、よくやるものである。安くない出展料金を支払い、安くないロボット運送費と自分の交通費をかけて、その見返りは開発に役立つ盲人たちの声だけである。
それを糧にして、今日もまた改良へと熱中しているに違いない、あの山梨大学ベンチャーのガラクタだらけ(に、わたしには見える)部屋で、奥方の持たせてくれる弁当を食いながら。
こういう人を純粋ボランティアと言おう。
このさき、どこまで改良が進み、どんな「ウルトラひとみ」や「スーパーひとみ」が出てくるのか、楽しみである。互いに長生きをせねばならぬ、わがジジ車とするためにも。
●歩行ガイドロボット「newひとみ」
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home?pli=1
●newひとみパンフレット
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home/new%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95110609D%EF%BC%ADD.pdf?attredirects=0&d=1
●ロボット車いす「ひとみ」(2009.02)
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html
●今もしも失明したら(2008.8)
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post.html
でも、押す老人がボケたら、どこに行ってしまうか分らない。ボケてなくても、年とると道に迷う。いや、年とらなくても道に迷う人は多い。
そこで提案、このババ車を外出案内ロボットに改良するのだ。このロボットにいろいろな行き先を教えておく。
そうすると、このババ車に掴まって引っぱってもらえば、朝の散歩で公園ひとまわり、かかりつけの近所の医院、コンビニでも飲み屋でも連れて行ってくれる。
どうです、こんなものがあったら、ボケ老人といわず、方向音痴の貴方にもピッタリでしょう。
ここに「ニューひとみ」という代物がある。
その名のごとく人間の目の代わりをして、手を引いて道案内をするロボットである。盲導犬をロボットにしたようなものだ。
そうなのである、上に書いたロボットが本当にあるのだ。
もっとも、シニアカーをロボットにしたのではなく、駆動モーターのある電動車いすに、コンピューター、カメラ、センサーなどをつけて、自動ロボット車にしたのである。
昨日(2011.4.12)のこと、千葉市内のある会場で「第10回アイ・フェスタ」なるイベントがあった。
アイとは眼のことらしい。はじめて行ったのだが、盲人のためのいいろいろな生活用品・機器類の展示即売会であった。盲導犬、文字読み上げPCソフトウェア、点字印字機、文字拡大機器などなど、多くの業者が出展というか出店している。
なかには資生堂という化粧品屋も出ている。お化粧と盲人ってどうしてと思ったが、考えてみると鏡を見てお化粧をするのがあたり前だが、盲人はそうではないのだ。
とすればそれなりの化粧作業術があるのだろう。それを伝授して化粧品も売る(のであろう、多分)。
なるほど、盲人マーケットというか、そういう業界もあるのだと知った。
わたしがそのフェスタに行ったのは、そこに出展する「ニューひとみ」の「展示業者」としてであった。
主催者側が出展者のことを展示業者といって、そう書いた名札をぶら下げさせられたが、じつはこのニューひとみ出展は「業者」ではないのだ。
ほかの業者とちがって、全く売る気がなくて、純粋にロボットの開発研究のためなのだ。業者ではなくてボランティアである。
盲人外出案内ロボットの「ニューひとみ」を開発したのは、森英雄さんである。森さんは山梨大学の電子工学の教官に在職中に、このロボット開発をした。
定年退官後は退職金をつぎ込んで会社とNPOを作り、その改良と普及に熱中している。
わたしは森さんと専門は異なるが大学同期で、今は遊び友達。遊びのついでに、ロボット開発に野次馬として参加することもある。そのホームページもわたしが作った。
森さんが千葉アイ・フェスタに「ニューひとみ」を出展するというので、手伝いに行ったのであった。
会場は体育館であり、大勢の盲人用商品業者のテーブルのある中で、異色なのがこのロボットであった。隣には盲導犬協会の案内テーブルがあった。
できそこないの白鳥模型玩具(よく言って)のような格好の「ニューひとみ」が、自動で会場の中を行ったり来たりしている。
ナンダナンダと来場者たちの興味をひき、次から次へと訊いてくる。
森さんはもう何回か出展しているから、なかには旧バージョンの「ひとみ」も知っていている人もいて、新バージョンの「ニューひとみ」改良点を褒めてくれたりする。
森さんは張り切って、その都度いちから説明し、盲人たちに掴まり歩きの体験をさせてあげる。
一緒に歩きながら、蹴飛ばしても轢かれて大丈夫と、身を挺して実演する。
なにしろ、そこらにいる展示業者の「商品」ではなくて、自分ひとりでコツコツと作りあげてきた「作品」である。だから、その開発苦労話までしてしまう。素人は聞いても分らないメカニズムも一生懸命に説明するのだ。
とうぜんのことながら、はっと気がつくと疲れ果てている。
そこにわたしが説明係ピンチヒッターで登場するのである。こちらは適当にやる。
森さんがここにきている目的は、このロボットを最良のものにしたいことにつきる。
そのためには実際の利用者の声を聞いて改良すること、そして商品化をする業者が現れるかもしれないことを期待しているのである。異色の出展業者である。
それにしても、よくやるものである。安くない出展料金を支払い、安くないロボット運送費と自分の交通費をかけて、その見返りは開発に役立つ盲人たちの声だけである。
それを糧にして、今日もまた改良へと熱中しているに違いない、あの山梨大学ベンチャーのガラクタだらけ(に、わたしには見える)部屋で、奥方の持たせてくれる弁当を食いながら。
こういう人を純粋ボランティアと言おう。
このさき、どこまで改良が進み、どんな「ウルトラひとみ」や「スーパーひとみ」が出てくるのか、楽しみである。互いに長生きをせねばならぬ、わがジジ車とするためにも。
●歩行ガイドロボット「newひとみ」
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home?pli=1
●newひとみパンフレット
http://sites.google.com/site/robotictravelaid/home/new%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95110609D%EF%BC%ADD.pdf?attredirects=0&d=1
●ロボット車いす「ひとみ」(2009.02)
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_09.html
●今もしも失明したら(2008.8)
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post.html
2011/06/08
431●原発と貧しさ
青森県知事選挙で、県民の民意は原発容認と出された。
国政レベルでも原発廃止にはなりそうにない。
原発がこれほどの問題になっている現実の中でも、明確な原発廃止の方向にはならない。
ところが、ドイツで日本の原発事故を正面から受け止めて、原発廃止の政策に転換した。
日本とは大違いである。どうしてこうも違うのだろうか。
もしも事故があると、地域住民は命に関わるほどの迷惑施設であることが、福島第一原発で証明された。
これまでも東海村やチェルノブイリで、十分に証明された事件があったのに、どういうわけか忘れてしまう。
いや、忘れてはいないが、日本の貧しさが当面のお金に目をくらませて、忘れることにしているのだろう。
原発のある地域の人たちが原発容認する考えなどが、最近の新聞などに載っている。
それを読むと、どうも基本は地域の貧しさにあるとしか思えない。
原発容認の意見は簡単に言えば、まずは、原発がなくなると原発関連の雇用が失われるから家計が困る。
そして、原発がなくなると電源立地交付金がなくなるから地方財政が困る。
この2つである。どちらも金である。
かつては貧しい地域の人たちは、都会へ出稼ぎという形で3K仕事についていた。
原発は、本当は電力需要の大きな都会にあるほうが効率的である。だが、迷惑施設で都会では嫌われるし、住民が多いから反対運動が大きくなりやすい。
そこであまり住民がいなくて貧しい地域に、3K仕事と持参金をもってくるからとて押し付けるのである。逆出稼ぎである。
あの日本の貧しかった時代の出稼ぎ構造は、実はいまだに変わっていなかったのだった。それが原発事故で分った。
住民が少ないからまあいいや、と思っていたら、事故がおきたら超広域に被災の影響が及んだ。
実は地元住民が大勢いたことに、住民さえも愕然とするばかりである。
で、愕然としつつも、民意は原発廃止が大勢にならない。
やっぱり明日の命より今日の金に目がくらむ、貧しい日本なのである。
次はどういうことが起こるだろうか。
いまや出稼ぎ構造はグローバル時代になり、途上国から出稼ぎがやってくる。
そのうちに、3K仕事と迷惑施設を持参金つきで、貧しい国に持って行って引き受けさせる時代が来るだろう。
となれば、原発輸出である。
電気は海を渡ってやってこないが、電気で作った製品は海でも空でも渡る。
そして事故があると、放射性物質も海と空を渡ってやってくる。
わたしの世代は、1944年から45年にかけて、空爆を避けて都会から田舎に学童疎開をした。
わたしの次の世代その次の世代は、いったいどこに疎開すればよいのだろうか。
国政レベルでも原発廃止にはなりそうにない。
原発がこれほどの問題になっている現実の中でも、明確な原発廃止の方向にはならない。
ところが、ドイツで日本の原発事故を正面から受け止めて、原発廃止の政策に転換した。
日本とは大違いである。どうしてこうも違うのだろうか。
もしも事故があると、地域住民は命に関わるほどの迷惑施設であることが、福島第一原発で証明された。
これまでも東海村やチェルノブイリで、十分に証明された事件があったのに、どういうわけか忘れてしまう。
いや、忘れてはいないが、日本の貧しさが当面のお金に目をくらませて、忘れることにしているのだろう。
原発のある地域の人たちが原発容認する考えなどが、最近の新聞などに載っている。
それを読むと、どうも基本は地域の貧しさにあるとしか思えない。
原発容認の意見は簡単に言えば、まずは、原発がなくなると原発関連の雇用が失われるから家計が困る。
そして、原発がなくなると電源立地交付金がなくなるから地方財政が困る。
この2つである。どちらも金である。
かつては貧しい地域の人たちは、都会へ出稼ぎという形で3K仕事についていた。
原発は、本当は電力需要の大きな都会にあるほうが効率的である。だが、迷惑施設で都会では嫌われるし、住民が多いから反対運動が大きくなりやすい。
そこであまり住民がいなくて貧しい地域に、3K仕事と持参金をもってくるからとて押し付けるのである。逆出稼ぎである。
あの日本の貧しかった時代の出稼ぎ構造は、実はいまだに変わっていなかったのだった。それが原発事故で分った。
住民が少ないからまあいいや、と思っていたら、事故がおきたら超広域に被災の影響が及んだ。
実は地元住民が大勢いたことに、住民さえも愕然とするばかりである。
で、愕然としつつも、民意は原発廃止が大勢にならない。
やっぱり明日の命より今日の金に目がくらむ、貧しい日本なのである。
次はどういうことが起こるだろうか。
いまや出稼ぎ構造はグローバル時代になり、途上国から出稼ぎがやってくる。
そのうちに、3K仕事と迷惑施設を持参金つきで、貧しい国に持って行って引き受けさせる時代が来るだろう。
となれば、原発輸出である。
電気は海を渡ってやってこないが、電気で作った製品は海でも空でも渡る。
そして事故があると、放射性物質も海と空を渡ってやってくる。
わたしの世代は、1944年から45年にかけて、空爆を避けて都会から田舎に学童疎開をした。
わたしの次の世代その次の世代は、いったいどこに疎開すればよいのだろうか。
2011/06/06
430●IT語裏辞典2011改訂版
・IT【愛茶】:①ずるがしこい技術、②アヤシイ色気のあること(これが分かる人は教養がある?)
・アイコン【藍紺】:①似ていて混同しやすいこと、②視線を交わすことの略語、③【愛混】フリーセックス
・アクセス:あくせくしつつ到達してもバカなことしか書いてないよなあ
・アダルトサイト:①大人場所、②始めた頃は幼児の言うようなことばかり書いていたのが、次第に大人びたことを書くように成長してきたホームページのこと
・圧縮ソフト:やわらかく圧縮すること
・アナログ【穴魯愚】:いまだに昔のTV受像機で見ている人を「あな魯愚なるかな」とあざける。反対語「出痔樽」
・一太郎:一太郎や~い(なんで可笑しいか分かるかな)
・インストール:受胎させること
・インターネット:①内部網、②どうでもいいことを電子網で伝え合うこと、③インターチェンジあたりで網を張ってスピード違反を捕まえること
・ウェブサイト:サーフィン場、波止場
・SMS:①いじめたりいじめられたりが好きな人たちのメールシステム、②「短信」って日本語があるのにってにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい
・SNS:①社会網会、②face baaka
・お気に入り:なんでここだけくだけた言い方になるんだよ、ならば「検索」は「お探しもの」、「挿入」は「はめこみ」、「移動」は「お引っ越し」とかにしろよ
・オンライン:綱渡り
・キーボード:食いカスやコーヒーやジュースなどを裏表にこびりつかせる鍵盤
・ギガバイト:アルバイトで10億円稼ぐこと
・グーグルストリート:居ながらお散歩覗き
・グーグルアース:居ながら空中覗き
・クラウド:①雲行き怪しいIT業界のこと、②たくさん食うこと
・クリック:クリを指でいじくること →例:右クリック=右手指でいじくること
・ケータイ:懐中式電子情報交換無線装置
・コピーペースト:論文制作方法 (略語:コピペ)
・更新:単に追加記事を載せるだけで更新しないこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・購読:無料メールマガジン配信を受けること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・サーバー【魚~青↑】(鯖を引き伸ばしたイントネーションのつもり。IT語は東北弁イントネーションで発音するものらしい)コンピュータに間違い言葉をサービスする機械のこと
・サイト【斉藤↑】(尻あがりに東北弁風に発音)電網のなかのどこかの場所のことらしいが、斉藤さんが発明したのでその名を取って発音する。
・シェアウェア:数人で共用して使う衣類 →類語:シェアルーム
・サムネイル:①親指の爪。②クリックすると全然違うアダルトサイトが出てくる小写真
・ソフトウェア:柔らかい衣類
・チデジ【血出痔↑】:出痔樽放送でにTV受像機を買い換させられて家計に赤字が出ること。
・ツイッター:①長文を書く能力のない人のための電子メール術、②突っついたあ
・データ【出~たっ↑】(尻あがりに東北弁風に発音):PCの中でどこに行ったか分からないデータがタマタマ見つかると「出た~っ」と喜ぶ
・ディスク【でぃ掬う↑】(尻あがりに東北弁風に発音)要するに円盤のことだろ
・デジタル【出痔樽】:「血出痔」を見よ。反対語「穴魯愚」
・投稿:自分が主宰するブログに自分が書き込むこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・トラックバック:貨物自動車が後退すること
・ドラッグ&ドロップ:薬と飴玉
・2チャンネル:うちのアナログTV受像機ではここにBS2を設定してある
・ネット【熱湯↑】(尻あがりに東北弁風に発音)網のこと。この網をつかってどうでもいいことを伝え合うのがインターネット
・ネットワーク:網にひっかって逃げられない仕事
・ハードウェア:硬い着物のこと
・パスワード:「合言葉」って日本語があるのにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい →例:「山」「川」
・パソコン通信:懐かしいなあ、その前はワープロ通信といったなあ
・フェイスブック:①顔の本、②国際手配顔写真一覧サイト、③やってみればわかるがシステムがあまりに変なのでface baakaともいう
・ブックマーク:本印
・フリーソフトウェア:柔らかな衣類を脱ぐこと
・ブリーフケース:下着パンツ入れ
・ブロードバンド:くだらぬものでもどんどん結んでしまう幅の広い帯
・ブログ【風呂愚↑ blog】:風呂の中の屁のごとく愚にもつかぬことをだらだら垂れること
・プロバイダ:職業売女
・ヘルプ:読んでもさっぱり分からず助からないのでOh Help!
・ホームページ:自分のこれを開設して初めてホームレスではなくなる
・マイクロソフト:①ミニソフトクリーム ②小さくて柔らかなアレのこと
・マッキントッシュ:マックとトッシュが設立したリンゴを売る会社
・マナーモード:①エケチットモード(なぜ可笑しいか分かるかな) ②サイレントの日本語はマナーなのか?
・マニュアル:①意味不明の文章 ②日本語を知らない奴が書いた日本語に似たような言葉の本
・マルチメディア:口、目、表情、手振り、身振りなど何でも使って話し合うこと
・メール【眼選る↑】(尻あがりに東北弁風に発音)猫も杓子も文章書きになって、ちょっとは本も読むようになるかと思ったけど、書いてる内容がアホだからそうはならなかった
・メガバイト:アルバイトで100万円稼ぐこと
・USB:B級アメリカ
・ユビキタス【指切ったス、湯引き足すUbiquitous】:①指を切ること ②指でいじくっていてモヤモヤ来すこと
・リンク:①コンピューター業界専用のスケート場、②クリックするととんでもないところに飛ぶこと
・ログイン:「山」と言われて「川」と答えると中に入れさせてくれる
・ワード【和~銅↑】:余計なおせっかい焼き
●参照→あやしいハハイテク
・アイコン【藍紺】:①似ていて混同しやすいこと、②視線を交わすことの略語、③【愛混】フリーセックス
・アクセス:あくせくしつつ到達してもバカなことしか書いてないよなあ
・アダルトサイト:①大人場所、②始めた頃は幼児の言うようなことばかり書いていたのが、次第に大人びたことを書くように成長してきたホームページのこと
・圧縮ソフト:やわらかく圧縮すること
・アナログ【穴魯愚】:いまだに昔のTV受像機で見ている人を「あな魯愚なるかな」とあざける。反対語「出痔樽」
・一太郎:一太郎や~い(なんで可笑しいか分かるかな)
・インストール:受胎させること
・インターネット:①内部網、②どうでもいいことを電子網で伝え合うこと、③インターチェンジあたりで網を張ってスピード違反を捕まえること
・ウェブサイト:サーフィン場、波止場
・SMS:①いじめたりいじめられたりが好きな人たちのメールシステム、②「短信」って日本語があるのにってにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい
・SNS:①社会網会、②face baaka
・お気に入り:なんでここだけくだけた言い方になるんだよ、ならば「検索」は「お探しもの」、「挿入」は「はめこみ」、「移動」は「お引っ越し」とかにしろよ
・オンライン:綱渡り
・キーボード:食いカスやコーヒーやジュースなどを裏表にこびりつかせる鍵盤
・ギガバイト:アルバイトで10億円稼ぐこと
・グーグルストリート:居ながらお散歩覗き
・グーグルアース:居ながら空中覗き
・クラウド:①雲行き怪しいIT業界のこと、②たくさん食うこと
・クリック:クリを指でいじくること →例:右クリック=右手指でいじくること
・ケータイ:懐中式電子情報交換無線装置
・コピーペースト:論文制作方法 (略語:コピペ)
・更新:単に追加記事を載せるだけで更新しないこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・購読:無料メールマガジン配信を受けること(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・サーバー【魚~青↑】(鯖を引き伸ばしたイントネーションのつもり。IT語は東北弁イントネーションで発音するものらしい)コンピュータに間違い言葉をサービスする機械のこと
・サイト【斉藤↑】(尻あがりに東北弁風に発音)電網のなかのどこかの場所のことらしいが、斉藤さんが発明したのでその名を取って発音する。
・シェアウェア:数人で共用して使う衣類 →類語:シェアルーム
・サムネイル:①親指の爪。②クリックすると全然違うアダルトサイトが出てくる小写真
・ソフトウェア:柔らかい衣類
・チデジ【血出痔↑】:出痔樽放送でにTV受像機を買い換させられて家計に赤字が出ること。
・ツイッター:①長文を書く能力のない人のための電子メール術、②突っついたあ
・データ【出~たっ↑】(尻あがりに東北弁風に発音):PCの中でどこに行ったか分からないデータがタマタマ見つかると「出た~っ」と喜ぶ
・ディスク【でぃ掬う↑】(尻あがりに東北弁風に発音)要するに円盤のことだろ
・デジタル【出痔樽】:「血出痔」を見よ。反対語「穴魯愚」
・投稿:自分が主宰するブログに自分が書き込むこと(なんで可笑しいか分かるかな、言葉を知らないIT屋が間違って翻訳したのだ)
・トラックバック:貨物自動車が後退すること
・ドラッグ&ドロップ:薬と飴玉
・2チャンネル:うちのアナログTV受像機ではここにBS2を設定してある
・ネット【熱湯↑】(尻あがりに東北弁風に発音)網のこと。この網をつかってどうでもいいことを伝え合うのがインターネット
・ネットワーク:網にひっかって逃げられない仕事
・ハードウェア:硬い着物のこと
・パスワード:「合言葉」って日本語があるのにIT屋が知らないもんだから翻訳できなかったらしい →例:「山」「川」
・パソコン通信:懐かしいなあ、その前はワープロ通信といったなあ
・フェイスブック:①顔の本、②国際手配顔写真一覧サイト、③やってみればわかるがシステムがあまりに変なのでface baakaともいう
・ブックマーク:本印
・フリーソフトウェア:柔らかな衣類を脱ぐこと
・ブリーフケース:下着パンツ入れ
・ブロードバンド:くだらぬものでもどんどん結んでしまう幅の広い帯
・ブログ【風呂愚↑ blog】:風呂の中の屁のごとく愚にもつかぬことをだらだら垂れること
・プロバイダ:職業売女
・ヘルプ:読んでもさっぱり分からず助からないのでOh Help!
・ホームページ:自分のこれを開設して初めてホームレスではなくなる
・マイクロソフト:①ミニソフトクリーム ②小さくて柔らかなアレのこと
・マッキントッシュ:マックとトッシュが設立したリンゴを売る会社
・マナーモード:①エケチットモード(なぜ可笑しいか分かるかな) ②サイレントの日本語はマナーなのか?
・マニュアル:①意味不明の文章 ②日本語を知らない奴が書いた日本語に似たような言葉の本
・マルチメディア:口、目、表情、手振り、身振りなど何でも使って話し合うこと
・メール【眼選る↑】(尻あがりに東北弁風に発音)猫も杓子も文章書きになって、ちょっとは本も読むようになるかと思ったけど、書いてる内容がアホだからそうはならなかった
・メガバイト:アルバイトで100万円稼ぐこと
・USB:B級アメリカ
・ユビキタス【指切ったス、湯引き足すUbiquitous】:①指を切ること ②指でいじくっていてモヤモヤ来すこと
・リンク:①コンピューター業界専用のスケート場、②クリックするととんでもないところに飛ぶこと
・ログイン:「山」と言われて「川」と答えると中に入れさせてくれる
・ワード【和~銅↑】:余計なおせっかい焼き
●参照→あやしいハハイテク
2011/06/04
429風評被害
だって、オザワ一派が造反して賛成投票するって、マスコミが言ってたから内閣不信任案を出したのに~、それなのになあ、バッカみたい
--この風評被害者は、タニガキさん
◆
だって、辞意を表明したってマスコミが言ってるじゃん~、あたしもそう思ったのに、ちがうの?、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ハトヤマさん
◆
えッ、政治改革って君が代不起立罰則条例のことなの?、維新ってのは保守反動ってことだったのか~、マスコミの持ち上げるのって、アテにならんなあ~
ーーこの風評被害者は、大阪府民
◆
だって、どんなことあっても壊れないって言ってたから、原発訪問してみたのに~、それなのに壊れてしまって、お前が大きすぎるって言われてもねえ、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ジシンさんとツナミさん
◆
マスコミと野党とハトヤマさんは、わたしが辞めると言ったという、風評掻きたて作戦をやっていますが、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ダレでしょう?
--この風評被害者は、タニガキさん
◆
だって、辞意を表明したってマスコミが言ってるじゃん~、あたしもそう思ったのに、ちがうの?、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ハトヤマさん
◆
えッ、政治改革って君が代不起立罰則条例のことなの?、維新ってのは保守反動ってことだったのか~、マスコミの持ち上げるのって、アテにならんなあ~
ーーこの風評被害者は、大阪府民
◆
だって、どんなことあっても壊れないって言ってたから、原発訪問してみたのに~、それなのに壊れてしまって、お前が大きすぎるって言われてもねえ、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ジシンさんとツナミさん
◆
マスコミと野党とハトヤマさんは、わたしが辞めると言ったという、風評掻きたて作戦をやっていますが、バッカみたい
ーーこの風評被害者は、ダレでしょう?
2011/06/03
428年替わり首相手続き開始
菅さんが民主党の両院議員総会で演説、
「震災復興に一定の目途がついたら、若い世代に責任を任せたい」
これが新聞記事やTV放送になると、
「首相が辞任を表明」
ジャーナリズムは、政治家の演説ってのは、こう読むものかい?
普通の政治素人の一庶民のわたしが読むと、
「一定の目途がつくまで責任をまっとうして務めます。その後は、鳩山とか小澤とか仙石とかじゃない若い世代が政治を担ってほしい」
こうしか読めません。まあ、常識的な話でしょう。
それが、「今月中に辞める」と言った、となるのは何故なの?
そんなにすぐ「一定の目途が立つ」ような小さな災害じゃないでしょうに。
そんなことができるなら天災ですよ、じゃなくて天才ですね、そんな人がこの世にいるとは思えない。
なんだか釈然としないでいたら、やはり同じことを思ったお方がいらっしゃいます。
http://miyatak.iza.ne.jp/blog/entry/2307940/
なんでこんなときに、こんなどたばたやるのだと考えていて、アッと気がついた。
昨日の内閣不信任案否決事件のドサクサは、日本国会恒例の「年替わり首相」の手続きなんですね。
そうだ、そうに違いない、でなきゃ理解できない。もっとも、「年替わり首相」ってのも理解できないけどね。
地震があろうが津波が来ようが放射線が降ろうが2万人も死のうが、歌舞伎狂言「年中行事首相交替劇」(としごとにかわるひのもとのおやだま)の上演を自粛してはいけません、律儀なる日本人!
どうでもよいことだけど、仲良しの鳩山・小澤お二人をを合体させると鳩山一郎、アレ、なんだか聞いたことがあるなあ。
鳩山さんて、グランパコンプレックスかも。
「震災復興に一定の目途がついたら、若い世代に責任を任せたい」
これが新聞記事やTV放送になると、
「首相が辞任を表明」
ジャーナリズムは、政治家の演説ってのは、こう読むものかい?
普通の政治素人の一庶民のわたしが読むと、
「一定の目途がつくまで責任をまっとうして務めます。その後は、鳩山とか小澤とか仙石とかじゃない若い世代が政治を担ってほしい」
こうしか読めません。まあ、常識的な話でしょう。
それが、「今月中に辞める」と言った、となるのは何故なの?
そんなにすぐ「一定の目途が立つ」ような小さな災害じゃないでしょうに。
そんなことができるなら天災ですよ、じゃなくて天才ですね、そんな人がこの世にいるとは思えない。
なんだか釈然としないでいたら、やはり同じことを思ったお方がいらっしゃいます。
http://miyatak.iza.ne.jp/blog/entry/2307940/
なんでこんなときに、こんなどたばたやるのだと考えていて、アッと気がついた。
昨日の内閣不信任案否決事件のドサクサは、日本国会恒例の「年替わり首相」の手続きなんですね。
そうだ、そうに違いない、でなきゃ理解できない。もっとも、「年替わり首相」ってのも理解できないけどね。
地震があろうが津波が来ようが放射線が降ろうが2万人も死のうが、歌舞伎狂言「年中行事首相交替劇」(としごとにかわるひのもとのおやだま)の上演を自粛してはいけません、律儀なる日本人!
どうでもよいことだけど、仲良しの鳩山・小澤お二人をを合体させると鳩山一郎、アレ、なんだか聞いたことがあるなあ。
鳩山さんて、グランパコンプレックスかも。
2011/05/31
427不吉な11
9・11、8・11、3・11
この数字の羅列は何のことか分りますか?
そう、9・11は2001年USAでニューヨークほか同時多発テロ、
そして8.11は2009年静岡沖地震
つづく3・11は、ご存知2011年の東日本大震災。
では、7・11は???
答えは、某コンビニエンスストアの名前。
この数字の羅列は何のことか分りますか?
そう、9・11は2001年USAでニューヨークほか同時多発テロ、
そして8.11は2009年静岡沖地震
つづく3・11は、ご存知2011年の東日本大震災。
では、7・11は???
答えは、某コンビニエンスストアの名前。
2011/05/30
426政治災害の国
「日本は自然災害の国だけど、ネパールは政治災害なんですよ」
つい先月の3日、カトマンヅで会ったある市民から聞いた言葉である。わたしはちょっと震災を逃れて(?!)、ネパールに疎開観光していたのだ。
今朝の新聞の国際面に小さな記事がある(朝日新聞東京版8面)。要約する。
「ネパールで王政廃止後の新憲法制定を今年5月末と決めて目指してきた制憲議会は、2ヶ月延期を決めた。野党の賛同を得るために2月に就任したばかりのカナル首相は、近く辞任をすると表明した」
◆
ネパールでは2006年にマオイストによる10年間の内戦が終結して、2008年の総選挙で制憲議会が発足した。
240年続いた王家を追放し、国名も王国からネパール共和国になった。
共和制憲法を2010年5月までにつくるとした。
だが、延々とあれこれやってきたが1年延長、それでも決らないというのだ。
ちっとも決ることも決らず、権力争いばかり続いて、首相が8ヶ月も不在になったり、せっかく決ったらまた辞任だし、政治腐敗もはびこり、憲法をつくれない、内政も進まない。
「政治災害の国なんですよ」と、国民からも疎まれるありさま。
これで内戦から抜け出す和平プロセスはまた停滞である。
また内戦になるのじゃないだろうなあ。
◆
あれ、これは、なんだか身近にもありそうな。
くるくると首相が替わり、内戦のような原発大災害があっても、権力闘争ばかりが見え見え。
まあ、国難とか、挙国一致とか、国家総動員とか、そういうのもキナ臭くてやりきれないけどねえ。
どうすりゃいいのでしょうかねえ、なにとぞ自然災害プラス政治災害の二重苦になりませんように。
●ネパール事情は毎日JPに詳しい。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110530ddm007030083000c.html
●参照→ネパール400kmバスの旅
http://sites.google.com/site/matimorig2x/nepal2011
つい先月の3日、カトマンヅで会ったある市民から聞いた言葉である。わたしはちょっと震災を逃れて(?!)、ネパールに疎開観光していたのだ。
今朝の新聞の国際面に小さな記事がある(朝日新聞東京版8面)。要約する。
「ネパールで王政廃止後の新憲法制定を今年5月末と決めて目指してきた制憲議会は、2ヶ月延期を決めた。野党の賛同を得るために2月に就任したばかりのカナル首相は、近く辞任をすると表明した」
◆
ネパールでは2006年にマオイストによる10年間の内戦が終結して、2008年の総選挙で制憲議会が発足した。
240年続いた王家を追放し、国名も王国からネパール共和国になった。
共和制憲法を2010年5月までにつくるとした。
だが、延々とあれこれやってきたが1年延長、それでも決らないというのだ。
ちっとも決ることも決らず、権力争いばかり続いて、首相が8ヶ月も不在になったり、せっかく決ったらまた辞任だし、政治腐敗もはびこり、憲法をつくれない、内政も進まない。
「政治災害の国なんですよ」と、国民からも疎まれるありさま。
これで内戦から抜け出す和平プロセスはまた停滞である。
また内戦になるのじゃないだろうなあ。
◆
あれ、これは、なんだか身近にもありそうな。
くるくると首相が替わり、内戦のような原発大災害があっても、権力闘争ばかりが見え見え。
まあ、国難とか、挙国一致とか、国家総動員とか、そういうのもキナ臭くてやりきれないけどねえ。
どうすりゃいいのでしょうかねえ、なにとぞ自然災害プラス政治災害の二重苦になりませんように。
●ネパール事情は毎日JPに詳しい。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110530ddm007030083000c.html
●参照→ネパール400kmバスの旅
http://sites.google.com/site/matimorig2x/nepal2011
2011/05/28
425田植えと原発
今年も田植えに行ってきた。中越山村の法末集落の棚田での米つくりは、これで6年目である。
福島原発の放射線が降る地域では、田植えができないという。思い出せば、こちらでも2007年の中越沖地震で柏崎原発に事故があった。そのときに法末には来ていたのだが、原発事故については他所事と思っていた。法末集落と柏崎原発とは20キロ離れているからだ。
だが今回の福島の事故で、あのときも場合によっては20キロ離れていたとて、田植えなんてできないことになっていたのだと知った。
どうも、なにか身に沁みる大事故が起きないと、自分のこととして自覚しないものだと、つくづく思った。
◆
日本では何か世の中が変わるのは、外圧と人柱によるしかないのだと、これまでの長い人生経験でずっと前から思っていた。
今回は太平洋からやって来た地震と津波という外圧、そして2万人を超える人柱という外圧と人柱の両方にぶちあたったから、日本も大きく変わるに違いないと思うのだが、どうだろうか。
原発事故によって放射線が降り注ぐのも、自然という人間の制御できない外の世界からのゆり戻しだとしたら、これも外圧かもしれない。
願わくばその福島原発で人柱が建ちませんように。
というわけで、原発廃止の方向に世論が大きく傾くと思ったら、新聞の世論調査ではそれほどでもないのが、どうも不思議である。
遠くのドイツでは廃止の方向にグルッとまわって政策転換したのに、火元の日本ではそうならないのは、どういうわけなのだろうか。
◆
話は戻って田植えのことである。5月の半ば2日間で、天候に恵まれて3段の棚田の手作業による田植えができた。6回目となるとさすがに上手になって能率が上がる。
もちろんその前に、代掻きやら肥料や除草剤散布などの準備が、田の持ち主がやってくださっているからだ。
田植えの前の日に、六角なる道具を田に転がして、苗を植える位置の印をつけておく。いい加減な位置に適当に植えても稲は育つのだが、不ぞろいだと刈るときにバインダーという半手動手刈り機の能率が上がらないのだ。
いまや機械で植えて機械で刈り取るのがあたりまえなのに、わざわざ手で田植えするし、手で刈り取るのだのだ。6年もやっていると、これは趣味としか言いようがない。
ここに来ると自分たちが作った米を食うのだが、自宅には法末の営農組合から毎月10キログラムを送ってもらう。精米1キロが600円の棚田米は美味い、特に冷めても美味いので、知人たちにも勧めている。
◆
田植えの頃は山菜の季節でもある。わたし達の拠点の家の庭でもウドやフキノトウが生えてくる。フキノトウはもう遅い。
ちょっと歩けば、山ウドはもちろん、ミツバアケビの新芽、サンショウの葉、ヒメタケノコ、タラの芽、ワラビ、ゼンマイが、棚田の法面、耕作放棄田、林の中で待っている。
毎日の自炊料理が、山菜の天ぷらやら和え物である。1週間つづけたら、さすがに嫌になってきた。
山ウドが売るほど採れるので、秋にでも食べることにして、塩漬けにした。葉を落として茎だけを適当の長さに切って、樽に塩と交互にいれ入れつつ重ね、落し蓋をして錘を載せる。
2日目に水が上がってきたので捨て、茎をビニル袋にまた塩と共に入れて樽にいれ、また重石をしておいた。食べるときは塩抜きをする。
この豪雪でなだれで崩れた崖面もある。山菜取りは、見つけると採らずにいられなくなって夢中になり、崖から落ちることもあるそうだが、わたしもその資格は十分にあると気をつけたのであった。
●自然環境に還る人文空間
追記
田植えから20日、苗は順調に育っていると、M田さんからの現地情報。
福島原発の放射線が降る地域では、田植えができないという。思い出せば、こちらでも2007年の中越沖地震で柏崎原発に事故があった。そのときに法末には来ていたのだが、原発事故については他所事と思っていた。法末集落と柏崎原発とは20キロ離れているからだ。
だが今回の福島の事故で、あのときも場合によっては20キロ離れていたとて、田植えなんてできないことになっていたのだと知った。
どうも、なにか身に沁みる大事故が起きないと、自分のこととして自覚しないものだと、つくづく思った。
◆
日本では何か世の中が変わるのは、外圧と人柱によるしかないのだと、これまでの長い人生経験でずっと前から思っていた。
今回は太平洋からやって来た地震と津波という外圧、そして2万人を超える人柱という外圧と人柱の両方にぶちあたったから、日本も大きく変わるに違いないと思うのだが、どうだろうか。
原発事故によって放射線が降り注ぐのも、自然という人間の制御できない外の世界からのゆり戻しだとしたら、これも外圧かもしれない。
願わくばその福島原発で人柱が建ちませんように。
というわけで、原発廃止の方向に世論が大きく傾くと思ったら、新聞の世論調査ではそれほどでもないのが、どうも不思議である。
遠くのドイツでは廃止の方向にグルッとまわって政策転換したのに、火元の日本ではそうならないのは、どういうわけなのだろうか。
◆
話は戻って田植えのことである。5月の半ば2日間で、天候に恵まれて3段の棚田の手作業による田植えができた。6回目となるとさすがに上手になって能率が上がる。
もちろんその前に、代掻きやら肥料や除草剤散布などの準備が、田の持ち主がやってくださっているからだ。
田植えの前の日に、六角なる道具を田に転がして、苗を植える位置の印をつけておく。いい加減な位置に適当に植えても稲は育つのだが、不ぞろいだと刈るときにバインダーという半手動手刈り機の能率が上がらないのだ。
いまや機械で植えて機械で刈り取るのがあたりまえなのに、わざわざ手で田植えするし、手で刈り取るのだのだ。6年もやっていると、これは趣味としか言いようがない。
ここに来ると自分たちが作った米を食うのだが、自宅には法末の営農組合から毎月10キログラムを送ってもらう。精米1キロが600円の棚田米は美味い、特に冷めても美味いので、知人たちにも勧めている。
◆
田植えの頃は山菜の季節でもある。わたし達の拠点の家の庭でもウドやフキノトウが生えてくる。フキノトウはもう遅い。
ちょっと歩けば、山ウドはもちろん、ミツバアケビの新芽、サンショウの葉、ヒメタケノコ、タラの芽、ワラビ、ゼンマイが、棚田の法面、耕作放棄田、林の中で待っている。
毎日の自炊料理が、山菜の天ぷらやら和え物である。1週間つづけたら、さすがに嫌になってきた。
山ウドが売るほど採れるので、秋にでも食べることにして、塩漬けにした。葉を落として茎だけを適当の長さに切って、樽に塩と交互にいれ入れつつ重ね、落し蓋をして錘を載せる。
2日目に水が上がってきたので捨て、茎をビニル袋にまた塩と共に入れて樽にいれ、また重石をしておいた。食べるときは塩抜きをする。
この豪雪でなだれで崩れた崖面もある。山菜取りは、見つけると採らずにいられなくなって夢中になり、崖から落ちることもあるそうだが、わたしもその資格は十分にあると気をつけたのであった。
●自然環境に還る人文空間
追記
田植えから20日、苗は順調に育っていると、M田さんからの現地情報。
2011/05/26
424自然環境に還る人文空間
(最近、グーグルのブログがよく故障する。しばらくログインができなくなっていたので、新規記事掲載不可能だった。今朝はようやく直したらしい)
むかし災害とは「地震雷火事泥棒」(泥棒をオヤジとするのは俗語)といったものだが、今では地震津波火事原発の順序でやって来たのが東日本大震災であった。
地震、雷、津波それらに伴う倒壊や火災は自然災害となるのだろう。
考えてみると、災害とは、地震、雷、津波が起きたときに、その影響範囲になんららかの人間の営為があった時に起きることである。
誰も住んでないし農林漁業もやっていない山中とか海中とかで大地震が起きても津波が起きても雷が落ちて火事になっても、それを災害とは言わない。
◆
自然のほうは人間がいようといまいと関係なく、ゆれたり崩れたりするだけである。
だが人間たちは、津波が起きたら被災するだろうと分っている地域で営為を行なうし、地震が来たら崩れるだろうと分っている崖地や埋立地にも住む。
大揺れしたら壊れそうなビルでも住んだり仕事をしていたりするし、もしも津波で壊れたら放射線が発生すると分っていても原発を作る。
さて、どこまで自然災害で、どこから人文災害なのだろうか。この境目はあるのだろうか。
●全文は→自然環境に還る人文空間
http://sites.google.com/site/dandysworldg/nature-culture
むかし災害とは「地震雷火事泥棒」(泥棒をオヤジとするのは俗語)といったものだが、今では地震津波火事原発の順序でやって来たのが東日本大震災であった。
地震、雷、津波それらに伴う倒壊や火災は自然災害となるのだろう。
考えてみると、災害とは、地震、雷、津波が起きたときに、その影響範囲になんららかの人間の営為があった時に起きることである。
誰も住んでないし農林漁業もやっていない山中とか海中とかで大地震が起きても津波が起きても雷が落ちて火事になっても、それを災害とは言わない。
◆
自然のほうは人間がいようといまいと関係なく、ゆれたり崩れたりするだけである。
だが人間たちは、津波が起きたら被災するだろうと分っている地域で営為を行なうし、地震が来たら崩れるだろうと分っている崖地や埋立地にも住む。
大揺れしたら壊れそうなビルでも住んだり仕事をしていたりするし、もしも津波で壊れたら放射線が発生すると分っていても原発を作る。
さて、どこまで自然災害で、どこから人文災害なのだろうか。この境目はあるのだろうか。
●全文は→自然環境に還る人文空間
http://sites.google.com/site/dandysworldg/nature-culture
2011/05/18
423老人は福島原発汚染地域へ
仄聞するところでは、福島の壊れ原発から出てくる放射能の人体への影響の威力は、若い人ほど深刻になり、比較すると老人は深刻度は低いとか。
放射線被曝によっておきる人体への影響の発現は、10年以上とか後になるらしい。
それが本当だとしたら、ということは、つまり、私のような老人はその頃はあの世だから、どんなに影響が出ようと何の関係もないのだ。
そこで思いついた。この思いつきは「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」に続く、私の第2号提案である。
私のような古希過ぎで元気な老人は、まずは福島原発汚染地域にボランティアに出かけよう。
放射線被曝で未来が暗くなる若者たちにとって代わるのだ。
日頃あちこちで出しゃばって嫌われている、ありあまる時間と知恵(わたしはあまりないけど)とお金(わたしはないけど)のある老人たちは、それらのつかいどころは、まさにここにある(ように思う)。
と、思いついたのだが、腕力・体力はないから、せめて原発汚染地域に住んで、地域の産物であるコメ、野菜、魚などを買って喰い、ガラ空きのゴルフ場(あるかどうかしらないが)やレジャー施設で遊ぶのだ。
そうやって大勢の老人たちが、地域に金を落とせば、ゴーストタウンは復旧して生き返る(はずである)。
で、そうやって老人たちは余生をここに住みついてしまうのだ。
そのためには国の政策として、全国から、いや外国からも募集して、福島原発汚染地域に住みたい老人の移転促進事業をやるのだ。
例えば年金割り増し支給、東電が補償金を支払って買い取る土地建物の超廉価貸付、医療の無料化などで、老人居住地域モデル事業とするのだ。
評判が悪かった老人の海外輸出といわれた事業やら、老人専用の村を作る事業のようなものだが、このたびは老人しか住むことができない地域が出現してしまったという非常に特殊なことだから仕方がない。
いってみれば国営の老人居住地域にして、地域再生を図るのだ。
本当に正常に住むことができる地域に戻るには、何十年後か何世代後か知らないが、それまで地域を生活の場として保っておくには、そこに住む人たちが要る。そのリレー事業を老人たちが担うのだ。
ランニング投資は必要だが、新たなイニシャルのインフラ投資は必要ないから安いものだ。
もちろんこれはかなり特殊な事業で、これからもこんなことがあっては困るのだが、少なくとも東日本震災地域で手をこまねいてるしかない今の政策のなかで、唯一の可能になりそうなことと思うのだ。
なんだかブラックユーモアにとられそうだが、4割くらいはそうとも思っているが、6割くらいは古希過ぎ老人の私の本音である。
わたしは前に「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」と提案している(これは100%本音)が、その登録がうまくいき、放射線汚染もある程度おさまったら、世界遺産観光ツアー客がやってくるだろうから、その観光ガイドが老人たちの新たな仕事になるのだ。
さて、こんな考えはどんなもんでしょうか。
もちろん、そういう政策が出たら、わたしは率先して行きます。
放射線被曝によっておきる人体への影響の発現は、10年以上とか後になるらしい。
それが本当だとしたら、ということは、つまり、私のような老人はその頃はあの世だから、どんなに影響が出ようと何の関係もないのだ。
そこで思いついた。この思いつきは「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」に続く、私の第2号提案である。
私のような古希過ぎで元気な老人は、まずは福島原発汚染地域にボランティアに出かけよう。
放射線被曝で未来が暗くなる若者たちにとって代わるのだ。
日頃あちこちで出しゃばって嫌われている、ありあまる時間と知恵(わたしはあまりないけど)とお金(わたしはないけど)のある老人たちは、それらのつかいどころは、まさにここにある(ように思う)。
と、思いついたのだが、腕力・体力はないから、せめて原発汚染地域に住んで、地域の産物であるコメ、野菜、魚などを買って喰い、ガラ空きのゴルフ場(あるかどうかしらないが)やレジャー施設で遊ぶのだ。
そうやって大勢の老人たちが、地域に金を落とせば、ゴーストタウンは復旧して生き返る(はずである)。
で、そうやって老人たちは余生をここに住みついてしまうのだ。
そのためには国の政策として、全国から、いや外国からも募集して、福島原発汚染地域に住みたい老人の移転促進事業をやるのだ。
例えば年金割り増し支給、東電が補償金を支払って買い取る土地建物の超廉価貸付、医療の無料化などで、老人居住地域モデル事業とするのだ。
評判が悪かった老人の海外輸出といわれた事業やら、老人専用の村を作る事業のようなものだが、このたびは老人しか住むことができない地域が出現してしまったという非常に特殊なことだから仕方がない。
いってみれば国営の老人居住地域にして、地域再生を図るのだ。
本当に正常に住むことができる地域に戻るには、何十年後か何世代後か知らないが、それまで地域を生活の場として保っておくには、そこに住む人たちが要る。そのリレー事業を老人たちが担うのだ。
ランニング投資は必要だが、新たなイニシャルのインフラ投資は必要ないから安いものだ。
もちろんこれはかなり特殊な事業で、これからもこんなことがあっては困るのだが、少なくとも東日本震災地域で手をこまねいてるしかない今の政策のなかで、唯一の可能になりそうなことと思うのだ。
なんだかブラックユーモアにとられそうだが、4割くらいはそうとも思っているが、6割くらいは古希過ぎ老人の私の本音である。
わたしは前に「福島第1原発を世界遺産に登録しよう」と提案している(これは100%本音)が、その登録がうまくいき、放射線汚染もある程度おさまったら、世界遺産観光ツアー客がやってくるだろうから、その観光ガイドが老人たちの新たな仕事になるのだ。
さて、こんな考えはどんなもんでしょうか。
もちろん、そういう政策が出たら、わたしは率先して行きます。
2011/05/16
422東日本大震災Before-Now
グーグルアースが、東日本大震災地域の3月13日から4月初めまでの衛星写真を公開している。まさに今の情景である。
場所によっては、カメラマンが入って撮った現場パノラマ写真も、グーグルアース写真からアクセスできるようになっている。
震災以前の同じ位置の衛星写真もアクセスできる。比較してそのあまりの変わりように、息を呑む場面の連続である。
その現地にいた人たち、今も居る人たちに思いをいたしながら沿岸地域をたどると、たまらない気持ちだが、土地利用計画はどうなっていたのだろうかと次々に疑問が湧いてきて、目を離せなくて寝不足になってしまう。
ここに、その一部をコピーして、美しかったBefore風景と、惨禍のNow風景を並べてみる。説明は不要であろう。
●参照→東日本大震災Before-Now
http://sites.google.com/site/dandysworldg/beforenow2011
場所によっては、カメラマンが入って撮った現場パノラマ写真も、グーグルアース写真からアクセスできるようになっている。
震災以前の同じ位置の衛星写真もアクセスできる。比較してそのあまりの変わりように、息を呑む場面の連続である。
その現地にいた人たち、今も居る人たちに思いをいたしながら沿岸地域をたどると、たまらない気持ちだが、土地利用計画はどうなっていたのだろうかと次々に疑問が湧いてきて、目を離せなくて寝不足になってしまう。
ここに、その一部をコピーして、美しかったBefore風景と、惨禍のNow風景を並べてみる。説明は不要であろう。
●参照→東日本大震災Before-Now
http://sites.google.com/site/dandysworldg/beforenow2011
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