2024/01/20

1783【遭難用語】避難は疎開へ死者は犠牲者へと言い換える言葉いじりが犠牲者を生む

 大災害が起きた時に、新聞がたたびたび使う用語で、ずっと前から気になっている単語がいくつかある。ここで「避難」と「犠牲」を取り上げたい。

●避難と言うな疎開と言え(昔)

 能登地震に遭難した中学生高校生たちが、加賀にある大きな施設に集団避難して、戻れるようになるまで短期時滞在して、もろるまで集団生活をするそうである。はたしている戻れるのか、この機会に故郷を離れるものが多いような気がする。

 これを読んで思い出したのは、太平洋戦争末期に行った学童集団疎開である。そのことについては、すでに1月16日の本ブログに書いたが、ここで別に言いたことは、ほぼ同じ行為であるのに戦中は疎開と言い、現代は避難というはどうしてだろうかということである。

 ウィキペディアの「避難」に下記のような記述がある。本当かどうか出典がわからないが、ありそうなことなのでここに引用する。

 当時の政権が「避難」や「退避」という言葉を正直に使用しなかった理由は、当時の軍部が撤退・退却を誤魔化して「転進」と表現したのと同様、「軍事作戦の1つであり、決して逃げるのではない」と糊塗する(ごまかす、取り繕う)意図があったとされ、それゆえ当時の新聞紙上等においては外国で行われた(外国政府による、外国人の)疎開について、「避難」「撤去」「疎散」などと表現している。

つまり人災である空爆の焼夷弾を避けて難を逃れる意味の「避難」は、戦火から逃げ出す意味となり、戦意高揚に差し支えるというのである。実際にもバケツリレーと火たたきで消し止めろと指導し、実際にも空襲下に屋根に上って火消しに努めて多くの死者を出した。まことにもってバカな用語遣いであった。

 それもそうだが、疎開と言う言葉をまさに戦中疎開があった頃から当事者として知っていたが、長じてその言葉にどうも違和感を持っていた。使い方を間違っているようなのだ。
 そもそも疎開とはその字のごとく疎らに開くことであり、人を集団で移転させるのとは全く違うだろう。そうだとしてもあまりにも派生の派生すぎる。避難ではなくて疎開を使われたのは、軍部による横やりであったと知ると、なるほど違和感があるはずだ。

 コロナから避難するときはようやく去ったようだが、疎らに開くならコロナ三密制限こそがそれにふさわしい言葉であったのだ。そのことはすでにコロナ疎開という言葉が出てきた2020年にこのブログに書いた。
 今は素直に避難と言ってよい世の中になったこを素直に喜ぼう。もっとも避難なんて言葉を使うことがない方がよいのだが、もしかしたら戦中よりも使うチャンスが増えているかもしれない。

●誤用された疎開という言葉

 ここまで書いてはじめて気が付いたが、そもそも戦時中の児童疎開における疎開の使い方は言葉として全くの誤用であると思う。疎らに開いて空間を設けるのが本来の意味だから、建物疎開のように空襲の延焼を止めるための空地を、鉄道などの重要施設のまわりの建物を壊して空地にすることには、言葉として疎開は正しい。

 しかし、元の学校には児童がいなくなって疎らに開いた施設になったからこちらは疎開だが、避難先はむしろ密になったのだから疎開とは言えない。田舎に避難させた児童を疎開児童と言い、避難先を疎開先と言うというのは明らかに誤用である。

 たぶん、建物疎開が先にあり、その後に児童避難が始まる時に、軍部が避難を使わせないために行政側がしかたなく疎開を転用してしまったのであろう。避難元を疎開地と言うのは正しいが、避難先や避難児童に疎開を使うのは、まったくの誤用である。このあたりのことはどこかに研究者による調査があるかもしれない。

(追記20240220)こんな報道があった。ウクライナでは「疎開」といっているだろうか。


●死者を犠牲者と言うな

 災害による死者を一律に犠牲者と新聞は書くのだが、本当に犠牲者と言うべきだろうか。この疑問もすでにこのブログに書いているので繰り替えさなない。要するに天災なのだから、誰かが何かために犠牲になったと言うべきではないのだ。

2013/02/17・722戦死者も津波被災死者も犯罪被害死者もどれも犠牲者と呼ぶ風潮に引っかかる。https://datey.blogspot.com/2013/02/722.html

2015/04/18・1081【言葉の酔時記】津波被災者は誰の何の「犠牲」になったのか?https://datey.blogspot.com/2015/04/1081.html

 1995年の阪神淡路震災追悼記事でも今回の能登地震でも、死者のことを犠牲者とマスコミ報道に書いてある。もしかして行政関係者もそうかもしれない。今や辞書にも大災害での死者のことを犠牲者と言うと書いてあるが、違和感を拭えない。それならば地震は人為によるものとなり、死者たちは生き残った者たち全員の犠牲になったことになる。そんなはずがない。

 どうやらそこには忌み言葉として死を避ける世間の風潮(他界、成仏、逝去、、)が、言葉について厳密であるべきジャーナリストにも影響をもたらしているような気がする。そうした言葉遣いが、生き残りの者たちに無用の心理的負担をさせていると気が付かないのだろうか。もしもわたしが生き残りになったならそう思うに違いない。なぜそこまで考えないのだろうか。いや、もしかして私の考え過ぎなのか?

 もちろんだが、例えば3・11における福島原発の不作為による核毒拡散事故とか、手抜き工事で地震倒壊した建物による被害のような場合は、被害者は犠牲者である。この時に死者だけをそういうのではなく、人為による被災者は誰もが犠牲者である。大災害が来るたびにこの言葉で考え込んでいる。言葉の意味が時代とともに変わるとはわかっているが、これでよいのか。

(20240121記)

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2024/01/18

1782【ザハ・ハディド登場】芥川賞小説に没になった新国立競技場ザハ案登場とて懐かしや

 

 今期の芥川賞と直木賞の受賞作が決まったとのニュースの、芥川賞の紹介文を読んでビックリした。なんと、建築家ザハ・ハディド女史設計による新国立競技場が実現した世界という小説だそうだ。


 これって、2020年(実は2021年に延期)東京オリンピック主会場の新国立競技場のことである。2013年にUKの建築家ザハ・ハディドの応募案が国際コンペで一等になったのだが、なんだかんだとケチが付いて反対運動が起きたりした。時の安倍首相の白紙撤回命令により、没になった事件があった。それを下敷きにした小説とは面白い。

華々しく登場し没になったザハ案
 芥川賞の小説にこの幻のザハ案が登場したことに、ちょっと驚きつつ喜んでいる。もっとも、その小説を全く読んでいないから、ぬか喜びかもしれない。
 わたしはザハ案の実現をある考え(後述する)から期待していたので、没になった後でもザハ案をブログには再登場させる遊びをやっていた。思い出してブログを読み返して、そのあたりをここに載せることにした。もちろん芥川賞に対抗ではなくて、遊びとしてなかなか面白いからだ。
 そもそもザハ案騒動について書き始めたのは、2013年10月のことだった。ザハ案に建築家の槙文彦氏が反対ののろしを上げたのである。その時のブログは【五輪騒動】なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのかというのであった。建築家の態度への批評であった。そしてこのころからパロディ遊びのザハ案登場をやっていた。
ザハ案を絵画館の位置に建てたら、、2013年10月

 そして2015年7月に、時の安倍晋三首相がちゃぶ台返し白紙撤回をして、ザハ案を白紙撤回の没にしたのだった。表向きはコンペ条件になっている工事費とは大幅に高額な見積り額となったことだったが、裏ではそのデザインが「生牡蠣ドロリ」と言い放った大ボスの森喜朗氏へのおもねり対応であったろう。

 ザハ案に代わる新案募集が決定的になったのは21015年末であった。2015年12月のわたしのブログにザハ案評価をこう書いている。

 庶民がお好みの銀杏並木から絵画館への風景全部が、日本帝国主義を象徴する作りこんだ西洋流の帝冠洋式なんだね。わたしはそれが嫌いでねえ、だからザハ・ハディド案の新国立競技場が、20世紀半ばまで日本を支配した国家主義の風景をぶち壊してくれるって期待してたんだよ。惜しかったよなあ。

 そして新案が立ちあがろうとしている頃の2019年5月のブログにこんな戯画文を書いた。ザハ案を私は戯画で、今回の芥川受賞小説が文章でそれぞれ再登場させたのだ。

隠居:ワハハ、実は昨夜の夢に死んだザハ・ハディド女史が出てきてね、「ウラメシヤ~、没にしたわたしの案を新国立ラグビー場に建ててほしいよ~、、、」と……で、これだよ。

熊五郎:ウワ、あのカオで幽霊になるとコワイ……、そう言えば最近になって秩父宮ラグビー場と神宮第二球場を入れ替える再開発をやるって、計画の環境アセスメント手続きが始まったそうで、ご隠居はまた野次馬やってるんですね。

:そうそう、つまりラグビー場を新国立競技場の隣りに引っ越しするってね、また格好の暇つぶしだからね、あの新国立競技場騒動からあれこれ思い出して考えてたもんだから、ザハ幽霊が夢に出てきた。

:そこで彼女の願い通りに描いてみたのか~、なんだかウマく納まってるような、第2新国立競技場ですね、まあ、あの騒ぎの中で急死だから成仏してないでしょうけど、これで供養になります。

:わたしは彼女のファんじゃないけど、コンペ当選案の肉感的な姿を見た時から、あの場所だからこそあの姿で建ってほしいと思っていたよ。

 2019年2月のこと、埼玉県立美術館で「インポシブル建築展」という、計画はあったが実現しなかった有名建築の写真図面模型の展覧会があった。ザハ案は、膨大な実施設計図面と模型で登場していた。わたしはブログにこんなことを書いた

 これはザハ・ハディド「新国立競技場案」への厳粛なるオマージュ展であるな、ってことだ。累々たるインポ建築のミイラの最後に登場したなのが、この一昨年に死んだばかりの生な死骸の「新国立競技場案」だった。これがあることで、この展覧会がインポを越えてポシブルへと橋が架かった。そこまで観てきた累々たる死骸が、ここで生き生きとした死骸になった。フィクションをリアルへとつないで見せたと言ってもよいだろう。
  あのもう見慣れた巨大な背割れ亀模型もすごいが、なんといっても圧巻は膨大な実施設計図書の展示である。折り込み縮刷A4版製本して何十冊ものあの量だから、実物の図面や書類ならば展示してある小間にいれたら、部屋に一杯で天井までも積みあがるくらいはあるのだろう。さすがに大規模建築にふさわしいすごい量だ。 それが実は既にできていたのに、土壇場でインポになったのだから驚くばかりだ。現実はインポでもフィクションでもないのだった。
 この最後の小間に至る前までの模型や図はすべて、まるきり建とうともせず建ちもしなかったものだが、これだけは実は建つ寸前クライマックスまで行って突然に脳溢血で(じゃなくて時の首相に寝首を掻かれて)腹上(下)死インポ化であった。その無念さが、あの膨大な何千枚もの実施設計図書の展示に込められている。
  わたしはこのザハ・ハディド案で建ってほしかったと考えていたことは、あの騒ぎが始まった頃にこのブログlに書いているが、それはその異教徒的な怪しさが、あの明治神宮外苑の持つ19世紀的帝国主義王権の男性原理的景観を、21世紀の今ぶち壊してくれることを期待したからだった。
 それがこうなった今では、どこかにこれを建ててインポからポシブル建築にしてやって、この建築インポ騒動のせいで死んだ(のかもしれない)ザハ・ハディドを供養しなければなるまい。隈・大成による実現新国立競技場の竣工の日に、ザハ・ハディドの白拍子姿の幽霊が登場して、釣鐘に見立てた新競技場に舞い込んだとたん、9.11のごとくに崩落する幻想を抱く。

  このころに書いた別のブログ記事には、築地市場後再開発に登場させたザハ案を、隣の浜離宮から眺める戯画をつくった。ザハの怨念景観である。

浜離宮から見る築地市場跡地にザハ案が、、2019年2月

 2019年12月28日ブログに、ザハ案評価のまとめをこんな戯作文にして書いて、これでもうおしまいにしたのであった。 

 わたしはザハ・ハディド案で建てばいいなあと期待していた、その建つ位置がなんと明治神宮外苑絵画館という外苑心臓部の隣なんだからすごい、その姿と言ったら、石造どっしり大胡坐の真ん中に
四角な包茎に●頭を覗かせた男性原理も露わな太く短いチン■コ建築だよ、その隣に曲面うねり流れパックリ割れて女性原理も露わなドロリ生ガキ建築だよ、見ようによっては絶好のコンビだけど、実は女が巨大すぎて男が呑まれそう、これでは保守派にとっては明治王権を汚す不埒不届不敬者だと言いたかろう、だってそもそも明治神宮ってのは、明治政府が新統治体制のために京の都から拉致してきた貴族トップ雲上人を、近代統治機構のカリスマ王権に改造育て上げたけれどのに、その死後の後継者が脳の病でカリスマ性皆無、困った政府は死せるカリスマを神に祀るべしとて全国総動員体制で造営したのだからね、その内苑は日本的に森の奥深く隠れる宮とし、外苑は西欧的に視覚に訴える権威的表現とし、合せて王権カリスマ賛美装置、外苑銀杏並木の透視景観の焦点に男性原理建築の明治大帝聖徳記念絵画館、並べて建てようとしたのが女性原理建築の新国立競技場、完成したら明治王権呪縛景観をザハ・ハディド流テロ爆弾で文明批評建築になり得ただろうに、惜しかったなあ、惜しかったと言えば騒動最中にザハ・ハディド急死、世界の建築界に新デザイン潮流を巻き起こしたバグダッド出身の天才建築家は、日本のドタバタ騒ぎで魔女殺しに遭ったのかも。 

 このザハ案の華々しい登場からメタメタの白紙撤回、この騒動最中にザハ・ハディド女史の急逝、そして今の真っ白ベーグル建築登場までの新国立競技場事件は、実は近ごろなんだかやかましい明治神宮外苑再開発計画の前半戦であったのだ。外苑の辺りはそのころから10年以上もやかましいのだ。

 わたしはこの事件が面白くて、せっせとブログに瓢論を書いていた。今は外苑再開発についても、ちょっとは楽しんでいる。さてこちらも白紙撤回になるのかしら?、あ、もしかして女史の亡霊が外苑あたりをさまよっているのかも、、。

 こうして没になったザハ案を登場させて面白がるブログを書いてきたが、まさか小説に書いている人がいるとは思わなかった。確かのその方が自由に想像を広げることができる。負けた。久しぶりに本を買いに行こうかな。

 実は本がたまりすぎて遺品処分に困るので、もう買わない宣言をして10年くらいになる。しかし書店にはしょっちゅう行って立ち見(読まない)するので、ごくたまにはつい買うのである。芥川賞になったから書店にザハの亡霊がいるかもしれない、楽しみだ。

(20240108記)

このブログのザハ騒動などの記事一覧

◆【五輪外苑騒動】国立競技場改築+神宮外苑再開発両騒動瓢論集https://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

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2024/01/16

1781【能登集団生徒避難】天災も人災も遭難後避難よりも事前避難したいが予測不能の難

 今年の元日の起きた能登地震で被災した中学生と高校生たちを、被災のない地域に集団避難させるそうだ。

 これを読んで昔々も、震災ではなくて戦災を逃れて集団避難したことがあったと思い出した。それは「集団学童疎開」と言って、太平洋戦争中の末期の1944年からから45年8月までのことだった。あの時は国民学校初等科(今の小学校に相当)3年生から6年生までの学童だが、今回は中高生たちだから「集団生徒疎開」あるいは「集団生徒避難」というべきだろう。

 今回の集団避難は、すでに起きてしまった能登地震災害の遭難した生徒たちのうち、希望者たちを安全な地域の施設に一時移転させるという事後避難である。かつての集団学童疎開は、すでに遭難したものもあるが、多くはまだ連合軍の空からの爆撃を受けていない都市住民の子供だったから事前避難であった。強制ではなく勧奨であったそうだ。。

 この疎開と避難とは、事前と事後いう大きな違いがある。疎開を事前避難にできた理由は、人災であるから、ある程度予測可能であったのだろう。連合軍の空爆は被害の増大を効率的に行うために大都市に限られていたから、空襲爆撃されるこちらも都市住民を避難させようと事前に予測ができる対策であったのだろう。

 一方の天災の地震による震災避難は、地震がどこでいつ起きるか予測できないから、事後避難にならざるを得ない。事前に知ろうとする研究は長年にわたってなされてるが、これだけ何回も大地震が来ても、いつどこで起こるかいまだに予測がつかないままである。そこにかつての疎開と今の避難の基本の違いがある。しかし能登では2007年に大きな地震がありこの数年間は群発地震の巣だったから、事前避難をすることもできただろうと思う。そのような計画はなかったのだろうか。

 能登で始まった集団生徒避難は、かつての戦中集団疎開には多くの悲話が語られてきた反省の上に立っているのだろうか。今回は中高生にしたのは、疎開児童が幼すぎたことへの反省か。あの時とは物資も情報も段違いによいのだから、この長期修学旅行は良い成果をもたらすことを期待する。

 ところで、わたしは戦中疎開の当事者だったのだ。と言っても、都会から田舎に疎開した児童だったのではなく、都会からやってきた疎開児童を受け入れた田舎の児童だったのだ。高梁盆地にあるわたしの生家は神社だったから、12畳間が二つある広い社務所の建物があったので、そこが集団疎開児童たちの寝泊まり場所となり、日中の学習には近くの寺院に通っていたのだ。疎開児童たちは盆地内のいくつかの寺社に分かれて滞在していた。

疎開児童学級が滞在した御前神社社務所
 児童たちが戦火を避けて集団でやってきたのは1945年の7月、芦屋市精道国民学校初等科6年女生徒20人と職員1名だった。この子たちがいない間の芦屋は、連合軍の空爆で大被災したから、まさに事前避難が役に立ったのである。なかには孤児になった児童もいたと聞く。その8月15日に敗戦となって、もう空襲はないが遭難破壊都市へとそそくさと戻っていった。それから半世紀後の阪神淡路大震災で、精道小学校の児童複数が遭難死したそうだ。

 その8月15日にはこの疎開児童に関係する記憶がある。その日の真昼、疎開児童たちがいる社務所の玄関前に、近所の人々と疎開児童たちが集まり、一台のラジオ受信機をとりまいた。当時ラジオを持つ家はまだ珍しく、この疎開学級にはあったのだ。神社の森の中に降りしきる蝉しぐれとともに、大人たちは音の悪いラジオ放送を聞いていた風景を思い出す。

 その放送が終わると、近所の人々は黙りこくって参道の石段を一列となって下ってゆき、供出されて鐘のない高楼の鐘撞堂のそばを通り、神社の森からとぼとぼと抜け出て行った。晴れて暑い日だった。国民学校3年生のわたしが敗戦と知るには幼なすぎたが、その時の大人たちの静かすぎる行列を、なんだか不審な感じで見送った記憶がある。月末に父が小田原の兵営から帰宅してきた。

 さて、人災も天災も増えるばかりである。それらが予想できるようになり、事前避難できるようになるのはいつだろうか。それよりも先に、災害を起こさない、起こらないようにできるのは、いつだろうか。それは、天災と人災のどちらが先になるのだろうか。人災も天災も事前予測も事前防災も、どちらも永遠にできないのが実は正解かもしれない。
 わたしにできることは、あの世に事前避難することだけだ。

 (20240116記)

当ブログの能登震災関記事

2024/01/03【災害日本】ほぼ10年ごとに大地震が発生する日本列島の次はいつ?https://datey.blogspot.com/2024/01/1774.html

2024/01/04【能登はヤバいよ土までも】地震と原発そして北の隣国から脅威にさらされる半島立地は https://datey.blogspot.com/2024/01/1775.html

2024/01/10【能登はやばいよ続編】あな怖や地の底海底北国に揺すられている核毒半島 https://datey.blogspot.com/2024/01/1778.html

2024/01/16【能登集団生徒避難】天災も人災も遭難後避難よりも事前避難したいが予測不能の難 https://datey.blogspot.com/2024/01/1781.html

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2024/01/15

1780【くたばれマンション瓢論一覧】今や400万戸を超える老朽「名ばかりマンション」の行く末は?

 今日(2024/01/14)の東京新聞に、 「老朽化マンション」なる特集の見開きページがある。日本で世にいうマンションなるものは、本当は「名ばかりマンション」である。外来語の日本誤用である。

 マンションの本来の意味は、例えばUSA大統領が住む「ホワイトハウス」のような「超豪邸」である。それに対して日本のマンションは「ウサギ小屋」の積み重ねであるのが、悲しい。不動産業者が営業効果を狙って意図的に誤用したのだ。

 それが老朽化している戸数がなんと現在で261万戸、20年後は445万戸にもなるとのこと。建て替えないと危険だが、権利関係が複雑だったり、多数の所有者の意見がまとまらないなどで、大きな社会問題になりつつある、というのである。
 このままだと立ち腐れビル群で幽霊屋敷都市になるのか?




 でもねえ、そんなことはもう30年以上も前からわかってたよ、わかっていながらそれを止める政策をやらなくて、むしろ「名ばかりマンション奨励政策」ばかりやってきたのだ。それは不動産やと建設業者たちの売りっぱなし儲け主義と、保守政治が利権で結びついていたのだろう。

 それが証拠には、わたしは「くたばれマンション」のテーマで、20年以上もも前から問題提起を何度も何度も続けている。わたしがここで言ううくらいでは、暖簾に腕押しの典型である。この際、それらをまとめてここに載せておこう。問題の所在が各方面からわかるはずだ。

「くたばれマンション」
日本の名ばかりマンション問題論評一覧(伊達美徳)

2000年2月~2008年7月 賃貸借都市の時代へ-体験的住宅論 https://matchmori.blogspot.com/2021/09/chintaitosi2000.html

2005/11/30‐2005/11/20 姉歯大震災の喚起するもの https://x.gd/lgXSy 

2008/07/17・019【くたばれマンション】名ばかりマンションが売れないって不況でまことに喜ばしい https://datey.blogspot.com/2008/07/blog-post_17.html

2008/11/04・059【くたばれマンション】怖い超高層・大規模名ばかりマンション https://datey.blogspot.com/2008/11/blog-post_04.html

2009/02/03・092【くたばれマンション】大不況が隣に迫ってきて名ばかりマンション工事がストップした https://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_03.html

2009/01/20・085【くたばれマンション】借家か持家か https://datey.blogspot.com/2009/01/blog-post_20.html

2009/02/13・095【くたばれマンション】貧困な日本の住宅政策が名ばかりマンションをつくる https://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_13.html

2009/05/10・125【くたばれマンション】共同住宅ビルをマンションというがそれは真っ赤なウソで名ばかりマンションだよ! https://datey.blogspot.com/2009/05/12518.html

2010/03/08 長周期地震波災害:明日来る大地震に備えて借家へ https://x.gd/Qoq6g

2010/01/17・230【くたばれマンション】震災記念日につきマンションの売逃げをお勧めします https://datey.blogspot.com/2010/01/230.html

2010/01/30・235【くたばれマンション】去年はマンション不況でよろこばしい https://datey.blogspot.com/2010/01/235.html

2010/09/09・316【都市・地域、くたばれマンション】首都圏の住みたい街アンケート回答御三家は吉祥寺・自由が丘・横浜だって? https://datey.blogspot.com/2010/09/316.html

2010/09/15・317【くたばれマンション】衣のファストフード、食のファストファッション、そして住のファストハウス、ファストマンション https://datey.blogspot.com/2010/09/317.html

2010/10/03・324【言葉の酔時記】アパートと共同住宅とマンションはどう違うのか https://datey.blogspot.com/2010/10/324.html

2011/03/20・406内陸母都市に疎開定住公共賃貸住宅を https://datey.blogspot.com/2011/03/406.html

2011/07/01 443マンション推進政策をやめよ https://datey.blogspot.com/2011/07/443.html

2012/06/02・625やっぱりマンションは危ないと分ったのに止まらない世の中がオカシイ https://datey.blogspot.com/2012/06/625.html

2012/09/07・664くたばれ名ばかりマンション屋!大ウソつきがばれたぞ https://datey.blogspot.com/2012/09/664.html

2012/09/25・671やっぱり名ばかりマンションは地震被災の根源のような気がする https://datey.blogspot.com/2012/09/671.html

2013/03/27・745震災核災3年目(13)まちづくりの一環として中心街に復興公営住宅を建設することに期待する https://datey.blogspot.com/2013/03/745.html

2013/07/17・808「名ばかりマンション」をいまどき売る人買う人の気がしれない https://datey.blogspot.com/2013/07/808.html

2014/07/04・968【くたばれマンション】だから言ってるでしょ、名ばかりマンション区分所有共同住宅ビルをやめろって https://datey.blogspot.com/2014/07/968.html

2015/03/19・1070【世相戯評】東洋ゴム免震偽装事件だなんて昔あった姉歯耐震偽装事件の教訓は活かされてなかったのか https://datey.blogspot.com/2015/03/1070.html

2015/05/25・1093【くたばれマンション】北風政策の空き家強制撤去新法って日本の居住政策のなんと貧しいことよというよりも不在なんだな https://datey.blogspot.com/2015/05/1093.html

2015/10/22・1136【横浜名ばかりマンション傾き事件】基礎杭インチキ事件の真の責任者は孫請けか元請けか工事監理者か設計者か謎ばかりニュース https://datey.blogspot.com/2015/10/1136_22.html

2015/10/24・1137【横浜名ばかりマンション基礎杭インチキ事件】これって特定犯人捜しよりも建設業界と建築設計業界の根深い問題を追及するべきとと思うけどなあ https://datey.blogspot.com/2015/10/1137.html

2015/10/25・1138【横浜名ばかりマンション傾き事件】根本問題は基礎杭の欠陥工事じゃなくて「マンション」という区分所有方式共同住宅という欠陥システムにあるんだけどなあ https://datey.blogspot.com/2015/10/1138.html

2015/10/27・1139【横浜名ばかりマンション傾き事件】真犯人は設計も監理も施工もグルでやった三井住友建設とようやくわかったぞ https://datey.blogspot.com/2015/10/1139.html

2015/12/01・1150【マンション撲滅論①:買ってはいけない7か条】こんな不安定な資産なのに世の人は大借金してまでなぜ買うのだろうか https://datey.blogspot.com/2015/12/1150.html

2015/12/26・1158【書評】住宅供給公社は初心に立ち返って日本の住宅政策を転換する先兵となってほしい https://datey.blogspot.com/2015/12/1158.html

2015/12/28・1159【くたばれ名ばかりマンション】雑誌建築ジャーナル201年1月号特集:マンションは買うな:基礎杭偽装傾きマンション事件の本質はマンションというシステムだ https://datey.blogspot.com/2015/12/1159.html

2016/07/19・1205【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅いわゆるマンションの新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った https://datey.blogspot.com/2016/07/1205.html

2016/07/21・1206【住みたい街?武蔵小杉】ムサコタワマンニューヨークは川崎国際交流拠点を目指すのか https://datey.blogspot.com/2016/07/1206.html

2016/09/20・1212【マンション撲滅論】全部無料で建て替えできる条件でさえも全員同意できない名ばかりマンション建て替え https://datey.blogspot.com/2016/09/1212.html

2016/07/21・1206【住みたい街?武蔵小杉】ムサコタワマンニューヨークは川崎国際交流拠点を目指すのか https://datey.blogspot.com/2016/07/1206.html

2018/02/12・1317・不良共同住宅ビル→不良民泊共同ビル→空き家ビル→ドヤビル:不良住宅再生産ドミノ現象の街 https://datey.blogspot.com/2018/02/1317.html

2018/07/02・1146【不思議街発見・3】首都高速道路に周りを囲まれた騒音排ガスジャンクションまん中に大規模高層住宅ビルを建てる不動産デベロッパーと建築家はすごいなあhttps://datey.blogspot.com/2018/07/1146.html

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2023/10/24・1718【言葉の酔時期:マンション】日本でマンション住まいの人は英米語圏の人にそれを言うにはご注意を https://datey.blogspot.com/2023/10/1718.html

2023/10/28・1722 【横浜ドヤ街は変わるか】産業労働者の街から貧困高齢福祉の街へ、その次は都心共同住宅街か https://datey.blogspot.com/2023/10/1722.html

(20240114記)

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2024/01/12

1779【中西利雄アトリエ】山口文象設計の木造モダンデザインの最後で唯一の現存建築か

  久しぶりに建築家山口文象の話題である。

 今朝(2024年1月12日)の東京新聞に、彫刻家の高村光太郎が戦後に東京でのアトリエとしていて、ここで終焉した建築が今も建っており、イサム・ノグチも滞在したことがあるという記事が載っている。それが元は画家の中西利雄のアトリエ(1948年竣工)であったという由緒もあるので、文化的記念建築の意義が深い。これを何とかして活用できるように保全したいと、活動している人たちもいるという話題である。
 参照→●東京新聞記事20240112 高村光太郎ゆかりのアトリエ残したい@中野 画像

旧中西利雄アトリエ 現況 google street

 たいていのこういうたぐいの新聞記事に、その建築設計者の名が出てくるのはかなり稀であるが、この新聞記者はそこまで取材して書いている。「設計は近代日本建築運動を先導した建築家山口文象(1902~78年)」と書き、建築史家の内田青蔵氏の「戦前から戦後に活躍した山口文象による貴重な事例で、オリジナルが残っている。モダニズムを象徴する無駄のない空間を創る思想が現れた建物だ」とのコメントもある。

 ここで文化的著名人として高村光太郎、イサム・ノグチ、中西利雄そして山口文象の名が出てきて、それらの人たちの文化的足跡の記念として、この建築を保全したいという活動が起きているという。さて、これらの名が世間の人々にとって、どこまで記念すべき文化人に値するのか、それが保全が可能かどうかの尺度になるだろう。

 わたしが言えるのは、山口についてのみであるが、日本の近代建築史における重要な一角を占める建築家山口文象の現存する作品としては、中西アトリエは貴重な位置にあるといえる。それは山口のモダンスタイル木造住宅作品として、唯一現存するからである。
 山口はグロピウスのもとから帰国(1934)してきて、日本へのモダンスタイルの導入で世に名をあげ、多くのそのスタイルの木造住宅も設計した。例えば山田智三郎邸小林邸あるいは番町集合住宅(いずれも1936)がある。

 山口は1920年半ばからの建築運動の関係から画家たちとの付き合いがあり、彼らのアトリエをいくつも設計している。私が作った山口年表から拾うと菊池一雄(1931)、藤川雄三、仲田菊代(1933)、安井曾太郎(1934)、前田青邨(1936)、林芙美子(1940、一部に画家の夫のアトリエ)、佐々木象道(1941)そして中西利雄(1948)に至る。

 これらのうちで現存するものは、前田青邨、林芙美子そして中西利雄の各アトリエのみである。前田と林のアトリエは純粋に和風建築であり、比べると中西アトリエのモダンさがよくわかる。山口は中西アトリエのような、庇のない木造板張り壁で勾配の緩い屋根のモダンデザイン木造建築を多く設計しているが、雨の多い日本の風土では保全が難しかったので、いまや中西アトリエのみ現存する。

 中西アトリエは戦後建築で戦災に遭わなかったことも幸いしている。山口の渡欧の作品だが、モダンデザインそのものの菊池一雄アトリエが、戦災を逃れて数年前まであったが今は消えた。実は、わたしは中西アトリエが現存するとずいぶん前に仄聞してはいたが、今はもう消えただろうに思っていたので、よくここまで保全されたと驚いている。

 山口作品で、文化的な施設として現在保全されている二つの木造建築がある。そのひとつは「林芙美子邸」(1941)であり、現在は「新宿区立林芙美子記念館」として公設の展示施設となっている。復元して原型をよくとどめており、管理も行き届いている。住宅建築としての本来的な活用ではないのが少し残念であるが、著名小説家を記念するためだからやむを得ない。

 もうひとつは「旧関口邸茶席」(1934)であり、現在は「北鎌倉宝庵」として、積極的な利用による保全をされている。この茶室建築と庭園は、もともとは北鎌倉の名刹浄智寺の境内地の一部を借地して建てられた民有の住宅の一部であった。そのオーナーは評論家であり、趣味の茶人であった。大工棟梁の息子として和風に通じている若い山口に、本格的な茶室の設計をさせた(参照:宝庵由来記)。山口はその近くに同時並行的に、モダンデザインそのものの山田知三郎邸を作っているのが面白い。

 1970年頃にこの茶室建築と庭園の部分を鎌倉の建築家榛沢敏郎氏が取得し、永らく主が不在で荒れていたのを修復復元してアトリエとして活用していた。これもアトリエ建築であったのだ。それが2017年に地主の浄智寺に建物付きで返還され、この美しい庭と茶室は才気ある住職と能力ある運営者を得て、新たな出発をする。

 2018年から浄智寺の「北鎌倉宝庵」と名付けられて、公開運営されるようになった。多くの茶人たちの道場となり茶会の席として、時に展覧会場や撮影会場となり、月に1回の茶席一般公開日もある。運営管理に利用者たちも関わり、その本来的な活用が積極的になされていて、山口作品の中では最も幸福な建築である。名建築保全策としても理想的であろう。

(20240112記)

このブログ筆者の山口文象関連ブログ記事
建築家山口文象+初期RIAアーカイブズ
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2024/01/10

1778【能登はやばいよ続編】あな怖や地の底海底北国に揺すられている核毒半島


 能登地震の被害は次第に判明してくると、ますます増大拡大する。昨日も大きな余震が佐渡の沖であったから、能登から佐渡へ越後へと広がるのだろうか。となると、志賀と柏崎刈羽の二つの原子力発電所を心配になってくる。

 気象庁のサイトに、これまで群発している能登地震のそれぞれの震央の位置を示すマップがある。今年の1月から今日までの期間の、それらを分布地図を取り出して、原発の位置との関係を見た。

2024年1月1日15時から10日9時半までの発生地震の震央分布と二つの原子力発電所





 能登の志賀町西海岸に建つ志賀原発については、外部電源のひとつが切れているが大丈夫
とか、高さ3mの津波が来たと後でわかったが大丈夫、なんて情報が五月雨的に出てきている。そんな情報の出し方が、本当に大丈夫かしら、と思わせるのだ。

 で、マップを見ると、う~む、素人にはよくわからないがという言い訳けつきだが、志賀原発はなんだか実に危うい位置にあるのだなあ。すぐそばに震央がある。地震の大軍隊がじわじわと志賀原発めがけて押し寄せてきているようだ。
 見ようによっては、志賀原発は実にうまい立地に建っている、能登の地震の巣からちょうど外れた位置を探して建てたのだなあ、よくまあそんなきわどい立地を探し出したものだ。

 2007年の夏、上の地図にもある柏崎刈羽原発の、北方16kmほどの海中が震源の「中越沖地震」があった。この時はこの原発は火災を起こした。さらにその3年前の2004年の秋、この原発から東20kmほどの内陸で「中越地震」があった。
 中越地震時にたまたま輪島の宿にいて大揺れに遭遇(参照→奥能登100キロウォーク)、その翌年からわたしはNPOスタッフの一人として、被災山村集落の復興支援のお手伝いに10年ばかり通った経験がある。参照→法末集落復興日録

 その時に入った集落の位置が、柏崎刈羽原発から20キロ圏にある。地震の程度によっては原発事故となれば逃げ出さねばならない距離だ。福島で起きたように核の毒が降り注ぐ被害の地に自分はいるのだと、身に染みて怖いと思った。
 そのころボランティア拠点として取得した民家の電気代を支払う銀行口座に、柏崎刈羽原発事故による迷惑料のような性質の金が、東電から振り込まれていた記憶がある。

 もしも志賀原発がフクイチ並みに事故となったらどうなるのだろうか。今の伝わる交通状況では、半島から避難することがかなり困難であるようだ。道路は地震で寸断、港湾施設は津波で壊されたり、海岸は土地隆起で陸地になったりで、陸も海も逃げようがない。

 さらに問題は、志賀原発は半島の首のあたりに立地しているから、風向きによっては半島脱出の逃げ道をふさがれてしまう。参考のために、能登半島と福島第1原発事故の時に核の毒が降り注いだ地図とを、同じ縮尺で並べてみよう。能登半島はすっぽり入る大きさであることが分かる。さて、どこにどうやって逃げるのか?
 
   能登半島と志賀原発     福島原発事故の核の毒が降り注ぐ図 (同縮尺)

 3・11のフクイチ事故の時は、内陸へと逃げるいくつかの道はあったが、その重要な道のひとつが核の毒の放射性物質が降りそそぐ方向が一致していた。それに気が付かずに、飯館村へと多くの人たちが逃げてゆき、多くの被爆者が出た。ふさぐべき道がふさがれず、被災の道になった。
 その教訓は能登の場合はどう生きるのか。柏崎刈羽と志賀との両方の原発で事故が起きたらどうなるのか。杞憂か?

 さらに気になるのは、朝鮮半島の北部から日本海へ飛んでくるミサイルなどがしばしばあるが、間違って(故意にでも)こちらに飛び込んでくることは、絶対にないのか。もしか日本政府はすでに仰撃ミサイルとかの配置をしているのかもしれない。そうなると志賀原発があることが能登に戦争を招く可能性になる、なんてことまで思ってしまう。杞憂か?

 こんどの災害救助で能登半島に大量の自衛隊員の投入があるらしいが、もしかしてそれはそのまま北辺の守りと称して居つき、能登は軍都になるのかもしれない。これこそは半島の北の国への挑発となることだろう。怖い怖い、杞憂でありますように。

 そうか、わかった、能登半島は日本列島の縮図なのだ、と。

(20240110記)

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2024/01/08

1777【老人二人の死】われよりも若き老衰に戸惑へば脳内にわかに昔歌ぞ流る

●篠山紀信の83歳老衰死に戸惑う

 近年はコロナパンデミックに加えて戦争紛争、地震津波豪雨など大災害による人間の大量の死が、毎日のマスメディアやネットに登場して 、人間の死に不感症気味である。それがさらに増幅されるのは、今や個人的に身近な知人たちの死も珍しくない年頃に自分が至っているからだ。もう人の死に驚かない。

 ところが、先日、新聞の訃報に驚いた。わたしでも名前を聞いたことがある著名な写真家の篠山紀信が死亡したとの15日の記事である。篠山氏に面識はないが、驚いたのはその死因である。なんとまあ「老衰」だそうだが、その年齢が83歳とあるところまで読んで、これはと驚き戸惑ってさえいる。

 エ~ッ、83歳?、いったいどうしたのかと狼狽気味、だって、わたしよりも3歳も若いッ、その歳で老衰ってことがあるのか、いやいや、こうして現実あるものなんだなあ。
 そうかそうか、わたしもついに知らぬ間に老衰死の資格の獲得に至っていたのか、気が付かなかった。では、これからは堂々と自分の死を語ることができるぞ。なんだか安心感もわいてきた。

 老衰死の人は、いわば生物的に完結したのであろう。それが若かろうが超高齢だろうが、これこそが天寿の人である。それに対して事故死や病死は、生物としての生きることができた期間を余儀なく短縮したのである。一般に非業の死という。逆に、老衰死しようとする人を、医療技術で無理やり生き永らえさせるのも、死者から見れば余儀なく延長である。どちらも不自然なる人生であったことになる。自分の意思による死も完結と言えるだろう。

 さて、私も生物としての人生を自然現象として完結したいものだ。近年ではコロナワクチンを入れたが、これまでめったに薬を入れた身体ではないから、ありうるだろう。
 だが、老衰死って苦しいのだろうか、楽なんだろうか、そこが気になるが、まあ、なるようにしかならない。願わくばピンピンコロリタイプの老衰死をやりたいものだ。

●中村メイコの死と70年前の歌の記憶

 今日のニュースのひとつに、俳優の中村メイコの訃報がある。こちら89歳で病死とあるから、この事実には驚かない。でも、彼女の歌に「田舎のバス」があったと書いてあるところにきて、脳内にその歌がワ~ッと流れたので、そんな自分にビックリ。

「♪ 田舎のバスは~おんぼろぐるま~タイヤ~は傷だらけ~ま~どは閉まらない~それでもお客さん~我慢をしてる~それ~はわたし~が美人だか~ら~ ♪

 ここまでだが、これで歌詞一番の全部だろう。たしかミキトリロー作詞作曲で、NHKラジオ放送番組の「日曜娯楽版」の中の「冗談音楽」で初めて聴いたような覚えがあるが、定かではない。冗談音楽の導入部も脳内を流れる。(参照:「冗談音楽」)

もしもしあのねあのねッ、これからはじまるッ、じょーだんおんがく~

 おどろいたねえ、これらの歌を聞いたころから今まで思い出したことは一度もないのになあ、いつの歌?。ネットで見ると1954年に作り、55年にレコード発売とある。70年も前のことだ。ユーチューブで歌詞とメロディーを確かめたら、あっていた(参照:「田舎のバス」)。

 日曜娯楽版はわたしが高校生のころだが、政治風刺がきつく効いたコントが続き、実に面白いラジオ番組だった。その風刺が効きすぎて、当局(政府か進駐軍か)からにらまれて、番組名が変わったら全然つまらないものになった記憶がある。

 あそうだ、おんぼろバスから思い出したが、そのころだったかしら、木炭車のバスが走っていた。バスの後部にそのための缶(かま、というのか?)が煙を出していた。力がないらしく坂道では客がおりて押した。あれはいつ頃だったろうか、この歌のころはもうガソリン車だったかな。ガソリン車が(再)登場したころ、子供らはその後ろで排気ガスを吸って、ああいい匂い、なんて言っていたが珍しい匂いだったのだ。なんて突然思い出した。

 篠山紀信も中村メイコもわたしは全く面識がないし、TVなどで見た記憶もない。だが、ある人の死は、その人とともにあった頃の昔の自分を、突然にむりやり引きずりだされる、これっていやなものだ、と、今思う。

われよりも若き老衰に戸惑えば脳内にわかに昔歌ぞ流る

(20240108記)


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2024/01/06

1776【新年忘れ物】自民派閥ネコババや旧統一教会問題やらを忘れさせている能登地震

 能登地震で被災の方々にお見舞いを申し上げます。ネットに登場する被災者自らの状況の書き込みに、胸の内にこみ上げるものを感じつつ読んでいる。
 新年早々からこのだ事件の話題で、マスコミもネットももちきりである。日々この話題ばかりで、去年から続くニュースは戦争もあるが、何か忘れているような気がしていた。

元日からこの話題ばかりの新聞

 なんだか隙間風が吹いているような気がしてならなかったが、あ、そうだ、あの自民党巨額裏金事件と旧統一教会巨額寄付事件のニュースが、どちらもパッタリと消えていることに気が付いた。
 そうだそうだ、そうだった、この巨大地震発生で驚愕する中で、これらの関連の人たちは、ほっとひと息ついてお正月をお過ごしに違いない。

 去年の暮れまでは毎日あれほどにマスコミを騒がす日本の2大事件だったのに、元日のの能登地震にすっかりお株を奪われたままだ。今年になってもう1週間になろうというのに、これらの件に関して新聞でもネットでもこれら関連記事を見聞きしたことがない。TVを見ないからそちらはどうか知らないが、たぶん登場してないのだろう。これはどうしてだ。

 もちろん能登震災の報道が重要で大切なことはわかっている。だが、あの安倍派だの二階派だの、裏金だのキックバックだの、何億円の金をネコババしたという政治スキャンダル話は、今年になってからいったいどこに行ったのだろうか。このマスコミに追いかけられないでいる間に、一生懸命になって繕いをやって時間を稼いでおられるに違いない。

 自民党のネコババ関連のお方たちは、いま、能登に足を向けて寝るなんて、とてもおできにならないであろう。だからと言って、この際だからキックバックかネコババだかの全額を、能登震災の救援復興に寄付するって、いや、なさらないよなあ、そんなことしたらせっかく世間が忘れかけていたのに、また思い出させるだけだものねえ。

 もうひとつの安倍暗殺事件のもとになったコリアン発新興宗教巨額寄付事件はどこに行ったのだろうか、その新興宗教団体を解散させるって手続きとか訴訟とかはどうなってるのかしら。この件は昨年暮れのあたりもなんだかこのごろニュースを見ないって感があったのが、今年になって能登地震でますます世の中から忘れられている。

 このさいだからとて、あの集めた巨額な献金を、能登地震救援と復興に役立ててくれと、ど~んと寄付してくるとか、宗教団体であればこそこのようなことを積極的に行うものだと思うが、そのあたりはどうお考えなのだろうか。いや、しないだろうなあ。
 自民党と旧統一教会にとって、能登地震はしばらくは救いの神の仕業になっているかもしれない。 (20240106記)

(20240107追記)今朝の新聞に久しぶりにネコババ議員1人逮捕のニュース、ヤレヤレ。

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2024/01/04

1775【能登はヤバいよ土までも】地震と原発そして北の隣国から脅威にさらされる半島立地は

●地震の緊急放送
 
 能登地震のことを考えているとどんどん不安が募り、今やわたしの恐怖になりつつある。
 元日にTVで叫んでいた女性の声が、耳から離れない。津波からに緊急避難を声をからしていたが、あれは声を出すプロの演技であって、地震に関する一般的な情報になると、突然に冷静なNHKアナウンサーになるのが、不思議と言うか、怜悧と言うか、さすがプロと言うか、これは3・11の教訓なのだろうなあと思いつつ、声が枯れないのかなあと聞いていた。

 「津波が来ますッ、今すぐ逃げてくださいッ、大津波警報が出ましたッ、すぐ避難してくださいッ、決して戻ってはいけません・・・」のような言葉を繰り返していた。
 もしもその時にこんなフレーズが付け加わっていたらどうだったろうか、と後で思ってゾーッぞとしている。

大津波警報が出ましたッ、その範囲には志賀原発が入っていますッすぐ逃げてくださいッ、放射性物質が降ってきますッ、

 もしもこれが叫ばれていたら、能登半島を逃れ出ようとする人々で大パニックになったことだろう。もちろん実際には放送されなかったのだが、それは実際に必要がないから放送しなかったのか、パニックを引き起こさなぬためにワザと放送しなかったのか、いずれだろうか。もしもこの次に実際に必要になっても、集団パニックを起こさないように、放送しないだろうか。考えていてだんだんと怖くなって来た。

 311を思い出すのだ。あの時にこんな放送をすべきだったのだ。でも、しなかった、いや、できなかったのか。あの3・11の時のことは、震災核毒騒動日録として、このブログに書いた記事をまとめている。これに能登のことも書き加えていくのだ。もう一つ別の震災騒動日録「法末集落復興日録もあるのだ。

 実は1月1日のTV放送を見聞きしていた時のわたし(TVを1時間も見ていたのは3・11以来だ)には、志賀原発のことは頭になかった。だが、能登半島の人々はよくご存じのことに違いないと思うのだ。それでも逃走パニックを起こさなかったのは、目前の地震動による大騒動に気をとられてたのだろうか、それともみんな沈着だったのだろうか。

 おりしも次の日には燃える日航機から、400人近くもが18分でパニックもなく避難した。能登半島はまるで航空機のごとくに逃げ場が限られる空間だ。もしも志賀原発で、3・11のフクイチ原発事故のようなことがおこると、日航機からの様に南の加賀に向かって、あるいは周りの海上に素早く避難できるものだろうか。逃げる道は山崩れ出し、海は津波などで楽で安全に逃れ道ではないのだ。

●地震の巣の半島立地の原発

 志賀原発は、実は無傷ではないことは公表されている。安全だと言えるのではあるまい。初めに少しの情報があったが、その後は何も情報がないのが、かえってオカシイ。
 能登ではもう3年のもわたって群発地震の巣になっているので、今回はその中の最大級が起きたのであり、群発地震がこれで収まるのではなく、更に超最大級が起きないとは誰も言えない。それがフクイチ並みの事故を起さないとは誰も言えない。上の震央の分布図に見るように、次第に志賀原発に近づいているのが不気味だ。

 そんなことを思うと言いたいことがある。これはもしかしたら誰もが言いたいが言ってははならないタブーかもしれぬが、わたしのようなノンインフルエンサーは敢えて言う。
 能登の人々はもはや能登から加賀へとエクソダス、国家的プロジェクトの時である。

 だが、実のところは、わたしがこんなことを言わなくても、この地震を契機として、能登の人々は加賀へと確実に移っていくことだろう。地震が来なくても人口減少が急激に進むのだから、地震と原発がその後押しをするのだ。いや、先導をするという方が正確だ。

 実は2011年震災の時に東北地方の町や村から、仙台へと人々は移るに違いないことを思い考えて、このブログにも書いたことがある。そしてその通りになっている。半島の能登は東北よりもその勢いは絞り出されるように急に進むだろう。

 わたしは2004年に、能登の街や農漁村を5日間にわたって、100キロもの長距離を歩いたことがある。そしてつぶさにその生活圏や植生の有様を眺めたのであった。特に農村の過疎化は目に見えていたから、あれから20年ででさらに進んでいるだろう。農村と漁村と比べて、漁村の方が衰退が遅いように見えた。あの美しい「間垣の里」はどうなっているだろうか。

 あのときに歩いた村里は、この地震で今はどうなっているだろうか。その時にも思ったのだが、地震が起きると地形的に漁山村は孤立が起きることだ。歩いた数日前に集中豪雨があって、寸断された道を歩いたのだったが、その時に痛切に孤立のことを思った。まだマスコミには出ないが、能登でそのような状況にある人々はかなり多いはずだ。
 参照→奥能登100キロウォーク

 地理的に孤立する宿命、地質的には地震の巣、巨大な毒の塊の核発電所、これら内的脅威に加えて、北に隣接する半島や大陸諸国からの外敵脅威もありうるこの能登半島に、どのような明るい未来がありうるのだろうか、とさえ思うのである。

 能登には縁があって七尾には何度も行った、実にいろいろな意味で実に素敵な街だった。古くから「能登はやさしや土までも」と言うと聞いたことがある。だがその土の下の地下から揺すられて、今やその土に裏切られている能登、「能登は厳しや土までも」と言い換えねばなるまい。

(20240104記)

ーーーこのブログの震災関連記事ーーー
・2011年~3/11の記録震災核毒騒動日録
・2004年奥能登100キロウォーク
・2005年~法末集落復興日録
・2000~2006年七尾:能登はやさしや土までも

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2024/01/03

1774【災害日本】ほぼ10年ごとに大地震が発生する日本列島の次はいつ?

●戦災に加えて震災も火災もある新年

 昨年はウクライナからパレスチナへと戦乱が拡大して、困った年のままにくれたが、開けたとたんになんと日本の能登半島あたりで大地震発生である。困った新年出発だ。戦乱は人災であるから何とか止めようがあるかもしれないが、震災は天災がもとだから人間には止めようがない。ひろがるのを防ぐしかない。

正月早々の新聞の第1面は災害記事から開始

 災害は更に続くのだ。次の2日には飛行機が衝突炎上とて、全く世の中に災難の種は尽きない日々である。ところがその飛行機事故は、どうやら能登震災が東京羽田にが飛び火したものらしいのだから困ったものだ。

 衝突炎上して死者5人を出したほうの海上保安庁機は、海上保安庁が能登地震への救援物資などを載せて運ぶものだったという。能登地震が無ければ起きなかった災難である。天災が人災を招いた。海保の死者は気の毒であったが、もう一方の日航機のほうは全員が辛くも逃げだすことができたとのこと。

●災害転倒ビルの風景

輪島市内の転倒ビル ネットで拾った
 災害写真でいつもいくつか目を引くシーンがいくつかあるものだ。今回は輪島
市内の7階建てビルの転倒である。基礎から完全に転げてしまっている。死傷者が出ていることだろう。転倒ビル写真を新聞で見て、これはネットで転倒前の姿を探しだすことができそうだとやってみた。輪島市の中心部をグーグルストリートであちこち動かしていて、見つけた。

上の転倒ビルの転倒前の姿 グーグルストリート
 その周りを見ると、転倒した方向に3階建ての建物がある。高さから見てもろに覆いかぶさる位置である。そこでネットニュースをあちこち見たら、なんとその黒い建物を下敷きにしてしまったとある。まさかということが起きてしまった。反対側とか後方の建物の人たちは口には出せないがホッとしているだろう。

 あれほどきれいに基礎から転んだビルの写真を、2011年の東日本大震災で見た記憶があるので、ネット検索したらあった。ところがこれは輪島のそれと大違いは、横から襲ってきた津波で倒れたのだった。輪島の転倒は地震動のみによるのだろうから、基礎工事の欠陥だろうか、地盤に問題があるのだろうか。1995年の阪神淡路大震災の時は神戸市内を訪れて、たくさんの傾いたりへたり込んだりした建物を見たが、横倒し建物を見ることはなかった。

●地震の名前に元号つける歴史否定感覚

 このたびの能登での地震を、気象庁は「令和6年能登半島地震」と名付けたそうだ。ヤレヤレ、またこの地震も何年前に起きたのか分からなくなるんだねえ、どうして「2024能登半島地震」と名付けないのかねえ。

 そういえば2011年の東日本大震災の時の地震は、なんという名前だったのか、その前の2004年の中越大震災の地震名は?、その前の1995年の阪神淡路大震災の地震名はなんというのかねえ、やっぱり元号が付いているのかしら。そう思って気象庁サイトをみたら「気象庁が名称を定めた気象・地震・火山現象一覧」があった。

 それによると、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」、「平成16年(2004年)新潟県中越地震」などと言うのが正式らしい。元号和暦にカッコで西暦をつけるのだから、「令和6年(2024年)能登半島地震」と言うのが正式なのだろう(この一覧には載ってない)。長たらしいから西暦だけにしなさいよ。「2024能登地震」にすればよろしい。

●ほぼ10年ごとに大地震発生の日本列島

 この一覧表を見て変なのは、1968年から78年までの8件の地震には西暦だけである。どういうわけか82年から併記に変わっている。このときになにがおきたのか、保守系政治家が気がついて命名ルールを変更させたのかしら。さすがにさかのぼって変えさせることはできなかったらしい。

 さらに変なのは、台風や豪雨などは西暦併記はなくて元号のみであることだ。定見のない気象庁である。とにかく地震や台風に元号をつけて呼ぶ庶民を知らない。元号で有名な地震は貞観地震だけだが、一体何年前のことだろうか。

 そもそも元号だけだと、今から何年前に起きた災害か分からなくなるでしょ、災害の歴史を忘れさせようって政策だろうか。わたしが覚えているのは1995年、2004年、2011年そして2024年の各大地震である。この数字を見るとほぼ10年おきに大地震が起きていることがわかるでしょ。元号では分からないでしょ。天皇制と地震とはなんの関係もないでしょ。

 地球の日本列島あたりはほぼ10年ごとに震えあがっている、だから次は2035年前後に大地震が来ますよ、その頃はわたしはこの世にいないからどうでもいいのだけどね。

(20240103記)

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