不景気で物が安くなるかと思ったら逆のインフレーションの気もあるとかで、そこにメキシコから強力な新型インフルエンザがやってきて、経済体制も医療体制もインフラストラクチャーが弱い日本は、もろにインフレ・インフル・インフラ問題(レルラ問題だな)に悩んでいる、ってなことかしら。
で、残りのインフリとかインフロって、ないの?
そもそも外国語をカタカナ表記して、こんどはそれを頭のほうの4文字だけで略語にするってのは、日本独特の文化なのだろうか。
アングラ、アメフト、エンタメ、キャバクラ、ゲーセン、コンビに、セクハラ、デジカメ、ナンクロ、パソコン、パリコレ、パンスト、ハンスト、マスプロ、メルマガ、リモコン、ワープロなどなど、よく考えるとわけの分からない略語である。
どうもIT系の用語が多いのは、若者言葉としての隠語的ニュアンスといい加減さが基本にあるらしい。
ブログってのはWEB LOGの略BLOGだそうだが、「蜘蛛の巣の記録」ってどういうこと?
2009/05/14
126【父の15年戦争】父の戦場の手記をもとに戦争の歴史を書いてみる
これまで歴史には興味はあったが、戦史には特別に興味もなかったし、戦記の類には全く関心がなかった。
ところが、このところ日中戦争史にはまっている。
それは、亡父の遺品から日中戦争での日誌が出てきたので、読んでいたら、父は何故そんなところで命を賭けるようなことをしたか、がぜん、興味が湧いてきたのだ。
1931年からの15年戦争のうちの7年半を兵役で過ごしていて、さいわいにも生きて戻ってきたのであった。その留守の間に、その父を失い、幼い長女を亡くしているのである。
ひとりの庶民の歩兵が、初年兵入営から終戦の月までに、どのような背景の下で、そのようにもわが家を留守にしなければならなかったのか。
一般に歴史はほとんどが俯瞰の視点から書かれているが、それをひとりの兵隊から見る虫の目の視点に置き換えて読むと、これは身近なものと感じられる。
戦記にも興味が湧いているところだ。インタネットサイトにも沢山の庶民の戦記が載っている。
父の日誌に出てくる用語が分からない。兵隊の制度自体から知ることから始めなければならない。
軍歴なるものがあると知った。兵役でいつどこに行ったか、いつ除隊したかなどが書かれている個人別の履歴書で、陸軍は各都道府県で管理しているのだと分かり、父のそれを請求したら届いた。日誌と照合しつつ、旧満州国の地図を広げ、日中戦史を読んでいる。
それにしても戦史を読むと、あの頃の戦争はなんだか成り行きで進行している感じがする。ほとんどマスタープランらしきものもなくて、あれだけの悲劇がずるずると拡大するのが、読んでいて気持ちが悪い。
その成り行き大局のもとで、そんなことは知らない小さな歩の駒としての通信兵の父は、前線では目の前で仲間が死に、戦地の農家で食糧を挑発(略奪)し、職業の神官として戦地で死者を弔い、東京大空襲に出会い、3回もの兵役から生還した。
ひとりの兵士とその留守家族の視点からの戦争として、それなりのノンフィクションを書けそうだ。
ところが、このところ日中戦争史にはまっている。
それは、亡父の遺品から日中戦争での日誌が出てきたので、読んでいたら、父は何故そんなところで命を賭けるようなことをしたか、がぜん、興味が湧いてきたのだ。
1931年からの15年戦争のうちの7年半を兵役で過ごしていて、さいわいにも生きて戻ってきたのであった。その留守の間に、その父を失い、幼い長女を亡くしているのである。
ひとりの庶民の歩兵が、初年兵入営から終戦の月までに、どのような背景の下で、そのようにもわが家を留守にしなければならなかったのか。
一般に歴史はほとんどが俯瞰の視点から書かれているが、それをひとりの兵隊から見る虫の目の視点に置き換えて読むと、これは身近なものと感じられる。
戦記にも興味が湧いているところだ。インタネットサイトにも沢山の庶民の戦記が載っている。
父の日誌に出てくる用語が分からない。兵隊の制度自体から知ることから始めなければならない。
軍歴なるものがあると知った。兵役でいつどこに行ったか、いつ除隊したかなどが書かれている個人別の履歴書で、陸軍は各都道府県で管理しているのだと分かり、父のそれを請求したら届いた。日誌と照合しつつ、旧満州国の地図を広げ、日中戦史を読んでいる。
それにしても戦史を読むと、あの頃の戦争はなんだか成り行きで進行している感じがする。ほとんどマスタープランらしきものもなくて、あれだけの悲劇がずるずると拡大するのが、読んでいて気持ちが悪い。
その成り行き大局のもとで、そんなことは知らない小さな歩の駒としての通信兵の父は、前線では目の前で仲間が死に、戦地の農家で食糧を挑発(略奪)し、職業の神官として戦地で死者を弔い、東京大空襲に出会い、3回もの兵役から生還した。
ひとりの兵士とその留守家族の視点からの戦争として、それなりのノンフィクションを書けそうだ。
2009/05/10
125【くたばれマンション】共同住宅ビルをマンションというがそれは真っ赤なウソで名ばかりマンションだよ!
この孤乱夢は2008年10月6日に書いたが、操作ミスで消えたので改めて書く
・マンションとはいったいなんだ?
名ばかり管理職とかいって、平社員なみの権限しかないのに管理職に指名されて、残業代を支払ってもらえず、平社員より収入が少ない労働者がちかごろ話題になっている。
新聞記事では特に安売り店舗の社員がそうらしいが、普通のサラリーマンでもいそうなものである。 でも、わたしが身をおいてきた建築とか都市のデザイナーやプランナーの世界では、大企業はごく一部でまだまだ徒弟制度の世界であって、実態的に名ばかり取締役どころか名ばかり社長さえもいるのが、普通かもしれない。
名ばかりといえば、なんといっても「名ばかりマンション」である。これほど名ばかりに値するものは、ほかに見当たらない。
マンションとは英米語辞書では大邸宅やお屋敷のことである。以前にアメリカ人女性から聞いたことがあるが、アメリカでマンションといえば大統領一家が住むホワイトハウスのような建物だそうである。
日本のマンションは、不動産屋用語で3階建て以上の不燃建築の共同住宅、しかも区分所有型つまり分譲型のものを言うらしい。
2階建てのそれはアパートというらしいが、それは分譲でないかららしい。
では、日本語マンションは英米語ではなんと言うかというと、コンドミニアムというらしい。日本では聞かないなあ。
とにかく、大邸宅でもなければお屋敷でもない、どんな小さなウサギ小屋でも、共同住宅ならそれをマンションというらしい。なにしろワンルームマンションなんて、ホテルなみの小部屋もあるくらいなもんである。
これはmansionを語源としてかっぱらった和製英語らしいが、物が似て非なるものの典型でありすぎるのが困る。ほんとに名ばかりmansionである。
らしい、とばかりいうのは、不動産業界用語で調べても明確な定義がないからである。
・法律でいうマンションとは?
ところが調べていくうちに、マンションが日本の法律で定義されていることが分かった。
「マンションの建替えの円滑化等に関する法律(平成14年法律第78号) 」なんてのがあって、その第2条に用語の定義として、マンションとは「2以上の区分所有者が存する建物で、人の居住の用に供する専有部分のあるもの」となっている。
つまり、持ち主が2人以上で住宅のある建物は、木造平屋貧乏長屋でも100階建て超高層でも法律上はどれもマンションである。
となると、いまに平屋の2連戸住宅とか、今までアパートといっていたヤツを、マンションでございという住宅事業者が出てきて、混乱を招くかもしれない。
ちょっと、どうも、そういうもんで、よいかしら、英米の常識とも、日本業界の常識らしきものとも、いずれとも乖離しているのを法律で決めてよいもんかしら。
法律屋さんは硬いお方ばかりだろうに、まさか名ばかりマンションにおけるマンションを法律用語にしてしまうとは、どういう神経だったのだろうか。「区分所有型共同住宅建築物」とでもいうべきであったろう。
まあ、全国に528万戸、1300万人が名ばかりマンションに住むらしいから、もう名ばかりといってもいられないと思ったのだろうか。法律は分かりやすくっていうことだろうか。
それにしても、これだけ大量な震災危険住宅をいまだに建設の規制をしないのは大問題だと思うがなあ、。
次の関東大震災が来て、建て替えもできず修理もできない立ち往生名ばかりマンションが林立してからようやく、名ばかりマンション規制が始まるのだろうなあ、日本は人柱と外圧でしか政策は変わらないのだ。
そういえば、アパートってのも変である。なぜ2階建てならアパートなのか。かって野々宮アパートとか代官山アパートというのがあったが、これらはみな今で言うなら豪華マンションであった。いつから貧乏共同住宅の代名詞になったのか。
とにかく、名ばかりマンションくらい変なものはない。その大震災における重大なる危険度も含めて、。
参考→姉歯大震災の喚起するもの →言葉の酔時記
・マンションとはいったいなんだ?
名ばかり管理職とかいって、平社員なみの権限しかないのに管理職に指名されて、残業代を支払ってもらえず、平社員より収入が少ない労働者がちかごろ話題になっている。
新聞記事では特に安売り店舗の社員がそうらしいが、普通のサラリーマンでもいそうなものである。 でも、わたしが身をおいてきた建築とか都市のデザイナーやプランナーの世界では、大企業はごく一部でまだまだ徒弟制度の世界であって、実態的に名ばかり取締役どころか名ばかり社長さえもいるのが、普通かもしれない。
名ばかりといえば、なんといっても「名ばかりマンション」である。これほど名ばかりに値するものは、ほかに見当たらない。
マンションとは英米語辞書では大邸宅やお屋敷のことである。以前にアメリカ人女性から聞いたことがあるが、アメリカでマンションといえば大統領一家が住むホワイトハウスのような建物だそうである。
日本のマンションは、不動産屋用語で3階建て以上の不燃建築の共同住宅、しかも区分所有型つまり分譲型のものを言うらしい。
2階建てのそれはアパートというらしいが、それは分譲でないかららしい。
では、日本語マンションは英米語ではなんと言うかというと、コンドミニアムというらしい。日本では聞かないなあ。
とにかく、大邸宅でもなければお屋敷でもない、どんな小さなウサギ小屋でも、共同住宅ならそれをマンションというらしい。なにしろワンルームマンションなんて、ホテルなみの小部屋もあるくらいなもんである。
これはmansionを語源としてかっぱらった和製英語らしいが、物が似て非なるものの典型でありすぎるのが困る。ほんとに名ばかりmansionである。
らしい、とばかりいうのは、不動産業界用語で調べても明確な定義がないからである。
・法律でいうマンションとは?
ところが調べていくうちに、マンションが日本の法律で定義されていることが分かった。
「マンションの建替えの円滑化等に関する法律(平成14年法律第78号) 」なんてのがあって、その第2条に用語の定義として、マンションとは「2以上の区分所有者が存する建物で、人の居住の用に供する専有部分のあるもの」となっている。
つまり、持ち主が2人以上で住宅のある建物は、木造平屋貧乏長屋でも100階建て超高層でも法律上はどれもマンションである。
となると、いまに平屋の2連戸住宅とか、今までアパートといっていたヤツを、マンションでございという住宅事業者が出てきて、混乱を招くかもしれない。
ちょっと、どうも、そういうもんで、よいかしら、英米の常識とも、日本業界の常識らしきものとも、いずれとも乖離しているのを法律で決めてよいもんかしら。
法律屋さんは硬いお方ばかりだろうに、まさか名ばかりマンションにおけるマンションを法律用語にしてしまうとは、どういう神経だったのだろうか。「区分所有型共同住宅建築物」とでもいうべきであったろう。
まあ、全国に528万戸、1300万人が名ばかりマンションに住むらしいから、もう名ばかりといってもいられないと思ったのだろうか。法律は分かりやすくっていうことだろうか。
それにしても、これだけ大量な震災危険住宅をいまだに建設の規制をしないのは大問題だと思うがなあ、。
次の関東大震災が来て、建て替えもできず修理もできない立ち往生名ばかりマンションが林立してからようやく、名ばかりマンション規制が始まるのだろうなあ、日本は人柱と外圧でしか政策は変わらないのだ。
そういえば、アパートってのも変である。なぜ2階建てならアパートなのか。かって野々宮アパートとか代官山アパートというのがあったが、これらはみな今で言うなら豪華マンションであった。いつから貧乏共同住宅の代名詞になったのか。
とにかく、名ばかりマンションくらい変なものはない。その大震災における重大なる危険度も含めて、。
参考→姉歯大震災の喚起するもの →言葉の酔時記
2009/05/08
124【世相戯評】地デジ(血で痔)なんて汚らしい言葉を平気でよく言うよなあ
わが家のテレビジョンがもうすぐ写らなくなるらしい。
でも困らない、だってTV見てないんだもん。もっとも相棒は困るかも、。
でも、一方的に見えなくするのはけしからん、 家財道具機能損失補償金をよこせ。
それにしても「血で痔」って、誰が作った略語か、無神経である、よく口に出して言えるものだ。
正式には「地上デジタルテレビジョン放送」だから(総務省サイト)、略語は「地デテ」だろうに、あ、「血出て」かあ、、。
だが、この地上が分からない。地面の上をゴロゴロ転びながらかノソノソ這いながらか、TV放送の電波がやってくるのだろうなあ。となると外を歩いていると、体の中をこのデジタル電波か何かが通り抜けるのか、大丈夫かあ?
地上があればやっぱり地下デジ、おっと地下デテとか空デテとかも当然あるのだろうなあ、何が違うのだろうか? 地下室やトンネル、飛行機や超高層ビルでTV見るときに使うのかしら。わが家は7階なので地上デテか空デテか、どっちなんだろう? 受像機は違うのかしら?
◆
血で痔対応TV受像機の普及は、まだ6割くらいとかで、一番普及は7割弱の福井県、もっとも未普及は4割弱の沖縄県だそうだ。これは何を意味するのだろうか?
福井県人はTV番組を見るのが好きなのか、ほかに娯楽が少ないのかなあ。
沖縄県人はあまりTVに関心がないのか、ほかに娯楽がいっぱいあるからか。となると、わたしは沖縄県人に近い性格なのか、意外であるが、嬉しいような気もする。
わたしは思うのだが、どうだろう、このまま誰もTV受像機を買い換えないで、血で痔放送開始と共にTV廃止するのである。
あんなくだらないショウもないラチもない代物をみているのは(見ないのになぜ知っているかというと、飲食店に行くとたいていTVがあってうるさいからだ)、TVが始まって珍しいから見ていた時代から惰性であるだけなんだから、ここらでやめてもなんの問題もないどころか、利口にはならないにしても、あれを見て馬鹿になるチャンスが少なくなることは確かだ。
◆
飲食店のテレビには本当にうるさくて困る。消してくれとは気が弱いからいえない。
たまにTVをつけてないのでほっとすると、サービスのつもりでつけてくれるのには、困る。行かないようにするしかない。
よそ様の家を訪ねると飲食店と同じように、居間にTVがつきっぱなしでやかましいのに、平気ですごしていることにたびたび出会う。
こちらは客だから、うるさいから消してくださいと言いにくいので辛抱しているが、TV嫌いはほんとうに困惑する。
昔昔、街頭テレビってのがあった。テレビカーという電車が走っていた。 昔、タクシーにTVがついていたこともあった。
どれもなくなって、日本人もアメリカさんから精神年齢十二歳って言われたときからちょっとは成長したかと思っていたら、今やなんと携帯電話機でTV放送を見るのだから、馬鹿は死ななきゃ治らない。
そういえば、イギリスさんからからもウサギ小屋といわれてからもうどれくらい経ったか、名ばかりマンションで相変わらずウサギ小屋は健在だし、不況で住宅難民が大量に出るようでは、その小屋にさえ住めない人もいる始末である。バカ政策は死んでも治らない。
でも困らない、だってTV見てないんだもん。もっとも相棒は困るかも、。
でも、一方的に見えなくするのはけしからん、 家財道具機能損失補償金をよこせ。
それにしても「血で痔」って、誰が作った略語か、無神経である、よく口に出して言えるものだ。
正式には「地上デジタルテレビジョン放送」だから(総務省サイト)、略語は「地デテ」だろうに、あ、「血出て」かあ、、。
だが、この地上が分からない。地面の上をゴロゴロ転びながらかノソノソ這いながらか、TV放送の電波がやってくるのだろうなあ。となると外を歩いていると、体の中をこのデジタル電波か何かが通り抜けるのか、大丈夫かあ?
地上があればやっぱり地下デジ、おっと地下デテとか空デテとかも当然あるのだろうなあ、何が違うのだろうか? 地下室やトンネル、飛行機や超高層ビルでTV見るときに使うのかしら。わが家は7階なので地上デテか空デテか、どっちなんだろう? 受像機は違うのかしら?
◆
血で痔対応TV受像機の普及は、まだ6割くらいとかで、一番普及は7割弱の福井県、もっとも未普及は4割弱の沖縄県だそうだ。これは何を意味するのだろうか?
福井県人はTV番組を見るのが好きなのか、ほかに娯楽が少ないのかなあ。
沖縄県人はあまりTVに関心がないのか、ほかに娯楽がいっぱいあるからか。となると、わたしは沖縄県人に近い性格なのか、意外であるが、嬉しいような気もする。
わたしは思うのだが、どうだろう、このまま誰もTV受像機を買い換えないで、血で痔放送開始と共にTV廃止するのである。
あんなくだらないショウもないラチもない代物をみているのは(見ないのになぜ知っているかというと、飲食店に行くとたいていTVがあってうるさいからだ)、TVが始まって珍しいから見ていた時代から惰性であるだけなんだから、ここらでやめてもなんの問題もないどころか、利口にはならないにしても、あれを見て馬鹿になるチャンスが少なくなることは確かだ。
◆
飲食店のテレビには本当にうるさくて困る。消してくれとは気が弱いからいえない。
たまにTVをつけてないのでほっとすると、サービスのつもりでつけてくれるのには、困る。行かないようにするしかない。
よそ様の家を訪ねると飲食店と同じように、居間にTVがつきっぱなしでやかましいのに、平気ですごしていることにたびたび出会う。
こちらは客だから、うるさいから消してくださいと言いにくいので辛抱しているが、TV嫌いはほんとうに困惑する。
昔昔、街頭テレビってのがあった。テレビカーという電車が走っていた。 昔、タクシーにTVがついていたこともあった。
どれもなくなって、日本人もアメリカさんから精神年齢十二歳って言われたときからちょっとは成長したかと思っていたら、今やなんと携帯電話機でTV放送を見るのだから、馬鹿は死ななきゃ治らない。
そういえば、イギリスさんからからもウサギ小屋といわれてからもうどれくらい経ったか、名ばかりマンションで相変わらずウサギ小屋は健在だし、不況で住宅難民が大量に出るようでは、その小屋にさえ住めない人もいる始末である。バカ政策は死んでも治らない。
2009/05/05
123【老いゆく自分】少年の頃はによく見た空を飛ぶ夢を今は見ないのが寂しい
少年の日のことを昨日に続けて書く。なにしろ、今日はわが誕生日なのだから、。
何回も見た怖い夢と楽しい夢があった。
怖い夢は、球体の内部に身体ごと閉じ込められていて、周りの球体からまた球体がいくつも飛び出している。ここから出たいと、必死になってぐるぐる回りながら周りの球体を蹴飛ばすのだが、出られない、コワイ、ハット目が覚めて、まだどきどきしながらひと安心する。
この閉所恐怖の夢は、中学生になったらもう見なかったような気がするが、このためだったかどうか閉所恐怖症はいまも残っている。 だから宇宙船にはとても乗れない。それどころかアクアラングも試したが、だめだった。 狭い乗用車で長時間ドライブも好きではない。
怖くはないがどうにも困る夢があった。走ることができないのである。
一生懸命に走ろうとするのだが、足がどうしてもよろよろとしか動かないのである。じれったくなり、四足になって手で走り、そのうちに目が覚め、ほっとする。この夢は40歳代になっても見たような気がする。
これにひきかえ、空を飛ぶ夢はじつに楽しかった。
わたしの生家は盆地の東の丘陵の中腹にある神社だったから、下の道から鳥居をくぐって長い石段を登るのである。家からは下の街の屋根の連なる家並みを見下ろすことができる。
この石段の上から飛び出すのである。階段を低空飛行して、鳥居の上を飛び越えると上空へ、そしてまちの屋根の上を飛ぶのがフルコースの夢で、おお、やっと飛べたぞと喜んで目が覚める。
失敗して石段で着地することも多かったが、覚めても楽しい。これも40歳代までは見たような気がする。
だから高所恐怖は全然なくて、大学山岳部でも岩登りは好きだった。大学本館の塔の上のパラペットを歩いたこともある。いまじゃできない。
どれもいつの間にか見なくなってしまって、見たくない夢もあるが、なんだか寂しい。
(追記)映画「E.T.」で自転車に乗って月夜の空を飛ぶ場面があったが、あれは制作者スチーブン・スピルバーグが少年の頃に見た夢に違いない。それを映像にしてひともうけとは、やるなあ、。
何回も見た怖い夢と楽しい夢があった。
怖い夢は、球体の内部に身体ごと閉じ込められていて、周りの球体からまた球体がいくつも飛び出している。ここから出たいと、必死になってぐるぐる回りながら周りの球体を蹴飛ばすのだが、出られない、コワイ、ハット目が覚めて、まだどきどきしながらひと安心する。
この閉所恐怖の夢は、中学生になったらもう見なかったような気がするが、このためだったかどうか閉所恐怖症はいまも残っている。 だから宇宙船にはとても乗れない。それどころかアクアラングも試したが、だめだった。 狭い乗用車で長時間ドライブも好きではない。
怖くはないがどうにも困る夢があった。走ることができないのである。
一生懸命に走ろうとするのだが、足がどうしてもよろよろとしか動かないのである。じれったくなり、四足になって手で走り、そのうちに目が覚め、ほっとする。この夢は40歳代になっても見たような気がする。
これにひきかえ、空を飛ぶ夢はじつに楽しかった。
わたしの生家は盆地の東の丘陵の中腹にある神社だったから、下の道から鳥居をくぐって長い石段を登るのである。家からは下の街の屋根の連なる家並みを見下ろすことができる。
この石段の上から飛び出すのである。階段を低空飛行して、鳥居の上を飛び越えると上空へ、そしてまちの屋根の上を飛ぶのがフルコースの夢で、おお、やっと飛べたぞと喜んで目が覚める。
失敗して石段で着地することも多かったが、覚めても楽しい。これも40歳代までは見たような気がする。
だから高所恐怖は全然なくて、大学山岳部でも岩登りは好きだった。大学本館の塔の上のパラペットを歩いたこともある。いまじゃできない。
どれもいつの間にか見なくなってしまって、見たくない夢もあるが、なんだか寂しい。
(追記)映画「E.T.」で自転車に乗って月夜の空を飛ぶ場面があったが、あれは制作者スチーブン・スピルバーグが少年の頃に見た夢に違いない。それを映像にしてひともうけとは、やるなあ、。
2009/05/03
122【老い行く自分】少年の頃に読んだ漫画にあったトマトの種を食っていいか問題がようやく解けた
トマトを食うときにいつも心の隅をチラッとよぎる、少年の日の記憶がある。
SF漫画だったか、火星に行った人間がトマトを種も一緒に食べて、火星人に笑われ軽蔑されるのである。
その前後はまった覚えていないが、ここだけみょうに記憶があって、はて、この種を食っていものかと、今もチラと心をかすめる影がある。
ところが今日(2009年5月3日)の朝日新聞朝刊に、筒井康隆が「漂流―本から本へ」の連載に書いていることに驚いた。引用する。
http://book.asahi.com/hyoryu/TKY200905070136.html
「大城のぼるの『火星探検』は面白かったなあ」「復刻されないかなあ」 昔の話になるたび、しばしば小松左京とそう繰り返したものだが、これがやっと昌文社から完全復刻されたのは昭和五十五年、読んだときから四十年近くが経っていた。
二年生か三年生の頃だったろうが、誰から借りて読んだかのかもうわからない。中村書店から昭和十五年に出たこの漫画のことは、同世代の多くが記憶している。
(中略) ぼくにはキャラクターの可愛らしさと、オールカラーの童画的な上品さとモダンなタッチ、火星のトマトを種ごと食べたために腹痛を起こして、火星人たちから食いしん坊とはやし立てられるエピソードが心に残った。(以下略)」
全く同じところを記憶している人が、広い世の中にはいるものである。おかげでわが心のかすり傷?の出所が分かったが、今となれば、なぜこんな些細なことが子供の記憶に残るのだろうか不思議である。
筒井はわたしより3歳年上のほぼ同世代である。彼は戦中に読んだらしいが、わたしは戦後であると思う。
わたしは筒井の熱心な読者ではないが、好きな小説家である。多彩な芸達者のようだが小説のほかは知らない。
なお、「火星探検」の原作者は、小熊秀雄ということも紹介している。あの小樽文学館で小林多喜二や伊藤整たちと肩を並べていた詩人はこういうこともしたのか。
そこで、青空文庫プロジェクト・小熊秀雄全集に掲載してある漫画台本「火星探検」から、そのあたりを引用する。
●小熊秀雄「火星探検」台本(トマト騒動あたりを抜粋)
「・腹痛(はらいた)
1
地球のお客さんが病気になつたのだ
どうしたのだらう
やあ 病院車がやつてきた
23
さて、みなさん あなたたちは今日なにを召上りました トマトをたべたでせう しかも種まで
ハイ 僕たちはたべました
24
それがいかんのです 種をたべたのが
地球では トマトは種までたべるんですよ
25
火星ではトマトの種はたべません 種は、ていねいに出して運河に捨てます
すると 大洪水のとき種は畑に自然にまかれる
それぢや 種をまかなくてもいいや
26
あなた方は トマトを種ごと呑んだ だからトマトが お腹に生へだしたのです
えつ? 僕たちの体の中に?トマトが生へだしたんですかあ?
ウワア! 困つた
・火星の看護婦さん
22
こりや いくらあばれても駄目だ くやしいなあ よし! ここを出たらトマトたちめ
みんな踏みつけてやるから
わはあ 地球のお客の喰ひしん棒
種までたべたいやしん棒
ずゐぶん貴方たちは意地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹にトマトが生へるとさ
うわあ、これぢや手も足も出ないや とんだ野外病院に入れられてしまつた」
絵がないからつまらないが、思い出せばくっきりとした線に、色使いが明彩であったような気がする。
これも大昔のことになってしまった。
(追記20140804)ウェブサイトで漫画のトマトの場面を見つけた。
http://plaza.rakuten.co.jp/shov100/diary/201301200001/?scid=wi_blg_shashinkan_thumb001
SF漫画だったか、火星に行った人間がトマトを種も一緒に食べて、火星人に笑われ軽蔑されるのである。
その前後はまった覚えていないが、ここだけみょうに記憶があって、はて、この種を食っていものかと、今もチラと心をかすめる影がある。
ところが今日(2009年5月3日)の朝日新聞朝刊に、筒井康隆が「漂流―本から本へ」の連載に書いていることに驚いた。引用する。
http://book.asahi.com/hyoryu/TKY200905070136.html
「大城のぼるの『火星探検』は面白かったなあ」「復刻されないかなあ」 昔の話になるたび、しばしば小松左京とそう繰り返したものだが、これがやっと昌文社から完全復刻されたのは昭和五十五年、読んだときから四十年近くが経っていた。
二年生か三年生の頃だったろうが、誰から借りて読んだかのかもうわからない。中村書店から昭和十五年に出たこの漫画のことは、同世代の多くが記憶している。
(中略) ぼくにはキャラクターの可愛らしさと、オールカラーの童画的な上品さとモダンなタッチ、火星のトマトを種ごと食べたために腹痛を起こして、火星人たちから食いしん坊とはやし立てられるエピソードが心に残った。(以下略)」
全く同じところを記憶している人が、広い世の中にはいるものである。おかげでわが心のかすり傷?の出所が分かったが、今となれば、なぜこんな些細なことが子供の記憶に残るのだろうか不思議である。
筒井はわたしより3歳年上のほぼ同世代である。彼は戦中に読んだらしいが、わたしは戦後であると思う。
わたしは筒井の熱心な読者ではないが、好きな小説家である。多彩な芸達者のようだが小説のほかは知らない。
なお、「火星探検」の原作者は、小熊秀雄ということも紹介している。あの小樽文学館で小林多喜二や伊藤整たちと肩を並べていた詩人はこういうこともしたのか。
そこで、青空文庫プロジェクト・小熊秀雄全集に掲載してある漫画台本「火星探検」から、そのあたりを引用する。
●小熊秀雄「火星探検」台本(トマト騒動あたりを抜粋)
「・腹痛(はらいた)
1
地球のお客さんが病気になつたのだ
どうしたのだらう
やあ 病院車がやつてきた
23
さて、みなさん あなたたちは今日なにを召上りました トマトをたべたでせう しかも種まで
ハイ 僕たちはたべました
24
それがいかんのです 種をたべたのが
地球では トマトは種までたべるんですよ
25
火星ではトマトの種はたべません 種は、ていねいに出して運河に捨てます
すると 大洪水のとき種は畑に自然にまかれる
それぢや 種をまかなくてもいいや
26
あなた方は トマトを種ごと呑んだ だからトマトが お腹に生へだしたのです
えつ? 僕たちの体の中に?トマトが生へだしたんですかあ?
ウワア! 困つた
・火星の看護婦さん
22
こりや いくらあばれても駄目だ くやしいなあ よし! ここを出たらトマトたちめ
みんな踏みつけてやるから
わはあ 地球のお客の喰ひしん棒
種までたべたいやしん棒
ずゐぶん貴方たちは意地わるね さうのぞくもんぢやないわ
お腹にトマトが生へるとさ
うわあ、これぢや手も足も出ないや とんだ野外病院に入れられてしまつた」
絵がないからつまらないが、思い出せばくっきりとした線に、色使いが明彩であったような気がする。
これも大昔のことになってしまった。
(追記20140804)ウェブサイトで漫画のトマトの場面を見つけた。
http://plaza.rakuten.co.jp/shov100/diary/201301200001/?scid=wi_blg_shashinkan_thumb001
2009/04/28
121【ふるさと高梁】少年のある日に突然に四季を感じるようになった日のこと
これを読んでくださっているあなたには、こんな経験がおありでしょうか。
それはわたしが、多分、中学生の1年生かその前後の歳だったでしょうか。
ある日の昼まえ、いつものように街を眺めていました。わたしの生家は、盆地東側の中腹にある神社ですから、境内の端から見晴らしが良いのです。
見下ろした頭を回して、山の中腹の雑木林に目を移してゆきます。
初夏だったでしょう、新しい葉が黄緑に繁る林の樹冠からは、レモンイエロウの炎がたっているようでした(右の上の絵の左方)。いつも見ている風景です。
突然そのとき、私の心のなかで何かが動いたのです。
うまく言えないのですが、そう、四季が見えたのです。自然の移り変わりをはっきりと感じたのです。
これまでいつも同じに見えていたこの風景は、じつは同じじゃなかったのだ、この世界には四季があり、いつも変化しているのだ、と、気がついたのです。
風が吹いている、こずえの葉がそよいでいる、色彩がある、雲が行く、陽光がふりそそいでいる、それらが見えてきたのです。
いつも見ていた風景が、生き生きとわたしに語りかけてきたのでした。
少年の頃には、四季なんてものはありませんでした。毎日毎日がそれぞれ別々の独立世界だったのでしたが、その日から、私のまわりには毎日連続する時間が生れ、季節が巡りだしました。
思うに、そのときから思春期に入ったということでしょうか。
こう書いていると、なんだか自分でも絵空事のような奇妙な感じです。でも、そのときの風景は、もう半世紀を超える前のことなのに、いまもはっきりと目に浮かぶのです。
今、ふるさとの同じところに立っても、あたりに家が立ち並んでいますが、まぶたの中の風景は昔のままに、畑の向うの林には若葉が萌え、いや、燃え立つのです。
このことはこれまでも、ときどき思い出したように人に話したことがありますが、書くのは初めてです。
いかがですか、あなたにはこのような経験はありましたか、教えてください。ひとりだけ友人が高校生になってそのような経験があったと教えてくれました。
これに関連して、気になっていることがあります。ヘルマン・ヘッセが書いた小説だったと思うのですが、その主人公がこれと同じ経験をする場面があったのを、高校生の頃に読んだような気がするのです。
それがどこにあるのか探しているのですが、どうして見つかりません。どなたかご存知でしょうか。
春が来るたびに、老い行く身にもみずみずしい少年の日があったと、ちょっとロマンチック(センチメンタルか)な気分になります。(030309)
2009/04/23
120【世相戯評】エコ商品購入に補助金をくれるのなら何にも買わない超エコに補助金をくれ
エコカーなる怪しげなものを買うのに政府が補助金を出すのがバカだと書いたら、今度は電気製品とか住宅とかでエコ商品を買うと補助金を出すそうだ。
同じことを2度言いたくないが、あえて言う。
そもそも、エコ製品だからとて、それをつくるにはエネルギーも資材も消費するし、買い換えたら廃棄物処理にまたエネルギーも資材も無駄使い出し、なんでエコロジーなものか。
エコロジー商品への補助金なら、エネルギー消費しない自転車や歩くための靴、暑さをしのぐ日傘・団扇・日よけすだれ・汗をぬぐうタオル、寒さを防ぐ衣類・布団・毛布などに出すべきでしょうに、。
要するの電気製品や住宅などつくる大企業への補助になるだけで、電気製品も買えない庶民のエコ買い物には、何の補助もしないのである、ば~か。
同じことを2度言いたくないが、あえて言う。
そもそも、エコ製品だからとて、それをつくるにはエネルギーも資材も消費するし、買い換えたら廃棄物処理にまたエネルギーも資材も無駄使い出し、なんでエコロジーなものか。
エコロジー商品への補助金なら、エネルギー消費しない自転車や歩くための靴、暑さをしのぐ日傘・団扇・日よけすだれ・汗をぬぐうタオル、寒さを防ぐ衣類・布団・毛布などに出すべきでしょうに、。
要するの電気製品や住宅などつくる大企業への補助になるだけで、電気製品も買えない庶民のエコ買い物には、何の補助もしないのである、ば~か。
エコ商品ってのは、ちょっと昔は「省エネ商品」といっていたよなあ、あの頃なんで補助金をくれなかったんだよ、オレんちではもうその頃に買った家電製品があるし、いまでも健在だから改めてエコ商品を買う必要がないのだ。10年さかのぼって補助金をよこせよ。
自家用車を持たないわたしのような者には、買ったとみなして補助金を支給せよ。元をただせば税金だろ、全くもって不公平政策である。
そうだ、ものを買わないことがもっともエコなんだから、買い物しなかった人に補助金を支給するのが一番よいことだ、うン、そうしたらいいのだ。
2009/04/20
119【法末の四季】甲州の桃花から信州の桜花そして越後のブナの森へ
この1週間、ふらふらと甲州ー信州ー中越と鈍行列車に乗って、花と若葉を訪ねてきた。
甲州では韮崎で、桃畑に菜の花の取り合わせが、まさに桃源郷であった。
ちょうど雨が降っていたのだったが、しかしそれはそれで、原色の桃色が雨にかすんで、黄と桃のおぼろなたゆたう風景もまたよかったのであった。
実はここは生産の世界である。台地上の桃畑では、花摘みの最中だから、花見をする身には惜しいような、でも花摘みするから美味い桃が食べられる、まあ仕方ない。
でも、桃畑のまわりに菜の花を植えて、畑を飾っているのが嬉しい。
雨の花見もよろしい。
◆
信州では高遠の桜である。高遠城跡公園の小彼岸桜は昨日の雨で半分散っていたが、それでも花見観光客は大変なものである。
まさにお花見産業が成立しているのだが、今年は花の季節が短くて、ちょっと不景気だろう。
今年はそこからちょっと離れたところにあるしだれ桜を観にいった。これまた有名らしく、団体バスがどどっとやってきては、さっと帰る人の波が押し寄せているのだった。
そのしだれ桜はちょうど満開である。数本があまり近づかない位置で咲いているのがよろしい。
墓場で咲く桜がなんと言ってもいちばんよろしい。花の下には死体が埋まっているといったのは、坂口安吾だったか、そんなことを思いながら、石塔群の中をうろうろするのであった。
なかに一本、このあたりの親分格の巨大しだれ桜が、花の入道雲を大きく広げている。う~む、どうもその姿は、ピンクの縫いぐるみのモンスターに見えるのであった。
やはり日本の桜花は、散りゆくものの儚さを予期させる、どこか楚々とした姿のほうがよろしい。過ぎたるは及ばざるが如し。
小彼岸桜がめったやたらの方向に枝を出し花をつけるのに比べて、しだれ桜は重力方向に垂れ下がる秩序観があるので、花の下の狂気が薄れてちょっとだけ安心させられるのだった。
◆
中越では、いつも行く法末集落である。今は山菜の盛りであるが、今年は雪が少なくてすぐ解けたために、山菜の時期がピンポイントになってしまったそうだ。
拠点とする家の庭に生えてきたウドを今年もいただいた。もうすぐタケノコである。
同じく庭のユキワリソウの花は終わっていたが、ミズバショウが盛りだった。
ブナの木の若葉が萌黄色の炎となって空を覆い、それはそれは美しい。
尾根筋のブナの森の中でじっとしていると、山はなかなかに喧騒である。風のそよぎに、幾種類もの鳥が次から次へとやってきて、まるで会話をしているように鳴きつづける。
2009/04/13
118【父の十五年戦争】父の遺品の蛇腹写真機
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父のアルバムにある古い写真から判断して、初めて子(夭折したわたしの姉)が生まれた1935年に購入したようである。
その後のアルバムの様子では、1942年頃までは使ったらしいが、戦争時代になると乾板は手に入れられなくなるし、写す当人の父は兵役で居なくなるし、その留守中にわたしが玩具にして壊したりした。
それでもわたしが中学生くらいのときに何とか使えないものかと、カメラ屋に相談に行ったことがあったが、もう乾板を売っていないからだめといわれた記憶がある。カメラの名前は「KINKA HAND CAMERA」と書いてある。日本製だろか。
今ではさわると壊れるくらいに、ぼろぼろとなっいる。もう処分しよう。
父は映像に趣味があったらしく、手回し式8mm映写機があり、フィルムが2巻あった。そのひとつがチャップリンの出演するものだったが、もうひとつはなんだか忘れた。
幻灯機もあり、絵を描いたガラスを透過して写すものだった。絵の内容は、宗教的なものだったような、うろ覚えである。
小学生くらいまでは時々見て遊んだ覚えがあるが、わたしが物心ついてからは、父にそのような趣味はなかったようだ。
どちらの機器ももうないが、あれば骨董品として価値があるのだろうか。
いつの日かわたしの遺品のPCやデジタルカメラを見て、同じようなことを息子が思うだろうか。
追記:これを書いた1年半後にカメラの製造所が分かった
●参照→343続・父の遺品の蛇腹写真機
2009/04/10
117【老い行く自分】20世紀夢の跡の墓地
やってきた子供も若い親たちも、高度成長する日本の未来のドリームを夢見て遊んだものだった。 うちの子も行った。
でも、そのドリームはいつまでもは続かない。行き着くべきは老いと病の人生であり、果ては死であるのは仕方ないこと。ドリームランドも20世紀とともに廃園した。
そして今、低度成長期の21世紀初め、ドリームランドが去って行った跡にやってきたのは、薬科大学と墓苑である。
人々の老いと病を癒す薬を研究するところと、その医薬でもストップできずに逝った死者たちが夢見るランドとなったのである。
かんがえてみると、その土地利用の時代を表すことの的確なことに、ちょっと驚くのである。
実は、昔に遊びに行ったその子が今は大人になって、その墓地の一角にわがファミリーの墓をつくった。まあ、近いうちにわたしが入る予定だが、自分のことなのに正確な日程の見当がつかない。
今日の朝日新聞朝刊東京版に、その墓地の記事が出ている。公園墓地として、抹香臭いのを排除することにして、線香や卒塔婆は禁止であるし、墓石デザインも決められている。
線香を焚くのを禁止は宗教儀式の排除でけしからんという声もあるそうだが、わたしはあの臭いはごめんこうむりたい。
わが入る墓の先住人たちは、神社の宮司とその家族だから神道である。線香には関係ないのだ。わたしは無宗教だからなおさらである。
神道では墓に榊を供えるので、近くの花屋で買って200円余、ところが普通の花束だと1000円余である。神道は安くついてよいものだ。もちろん戒名なんてものもない。
2009/04/04
116【くたばれ乗用車】エコカーに買替え補助金のバカ
日経新聞のニュースによると、「政府はハイブリッド車など環境への負荷の低い自動車の購入を促す補助金制度を導入、買い替え時に1台あたり最大で30万円程度を支給することを検討している」そうである。
なんというバカ政策か。
買い換えた車の処理や新車生産のために起きるであろう、エネルギー消費、排ガス発生などはどうなるのだ。まだ使える車を買い換えたら資源の無駄使いになるぞ。
消費刺激策だそうだから、自動車製造業ばかりか、廃車処理産業や排ガス処理産業までも景気対策に入っているのだろう、エコは時流に乗って言っているに過ぎない。
わたしのような車に乗らないものには、まったく不公平である。こっちにもなにか金をよこせ。
なにか買い替えに補助金では同じ愚になるから、そうだなあ、医療費に補助金をくれえ、。
つまり、わたしの移動は車じゃなくて、足を使って体力でやっているのだから、これこそエコのきわみであるのだぞ(排ガスをださなくもないが)、このエコマンの補修費に補助金くれたっていいじゃん。
ところで、高速道路1000円のバカを書いたときは知らなかったが、トラックは1000円じゃないのだそうだ。バカの上塗りである。流通経費を下げると物価は安くなる方向に行き、景気刺激になるとドシロートのわたしでも思うのだがなあ、。
参照→110高速道路休日1000円のバカ
・自動車社会を衝く
なんというバカ政策か。
買い換えた車の処理や新車生産のために起きるであろう、エネルギー消費、排ガス発生などはどうなるのだ。まだ使える車を買い換えたら資源の無駄使いになるぞ。
消費刺激策だそうだから、自動車製造業ばかりか、廃車処理産業や排ガス処理産業までも景気対策に入っているのだろう、エコは時流に乗って言っているに過ぎない。
わたしのような車に乗らないものには、まったく不公平である。こっちにもなにか金をよこせ。
なにか買い替えに補助金では同じ愚になるから、そうだなあ、医療費に補助金をくれえ、。
つまり、わたしの移動は車じゃなくて、足を使って体力でやっているのだから、これこそエコのきわみであるのだぞ(排ガスをださなくもないが)、このエコマンの補修費に補助金くれたっていいじゃん。
ところで、高速道路1000円のバカを書いたときは知らなかったが、トラックは1000円じゃないのだそうだ。バカの上塗りである。流通経費を下げると物価は安くなる方向に行き、景気刺激になるとドシロートのわたしでも思うのだがなあ、。
参照→110高速道路休日1000円のバカ
・自動車社会を衝く
2009/04/02
115【歴史・文化】木喰微笑仏の微笑とは男女交合のことであったか
そう教えてくれている伊藤勇さんとわたしの目の前には、木喰上人がつくった「微笑仏(みしょうぶつ)」が5体並んでいる。
ここは山梨県身延町の丸畑(まるばたけ)という山村集落、18世紀末から19世紀初めにかけて全国に行脚し、1000体を超える木彫像を彫った僧・木喰行道(もくじきぎょうどう)の生家である。
その僧の縁者の末裔である伊藤さんは、押入れの上段を改造した仏壇にならぶ「五智如来」の列像を前に、その木喰行道の生涯、その作品、その仏道についての長年のご研究を語っている。
◆
木喰行道の作る木像を「微笑仏」と名づけて「みしょうぶつ」と呼ばせたのは、木喰行道の発見者である柳宗悦だったのだろう。
これが今も通称となっているらしく、ものの本はみなそうふりがながついている。濁音が2つのビショウブツよりは語感がよい。
その多くの像のもつ独特の笑みには、誰もが惹かれることはまちがいない。
わたしのはじめての木喰仏体験は、長岡市小国町太郎丸にある真福寺で「梨の木観音」だった。小さな祠の奥で、わが手にもつ灯かりに浮かびででたそのお顔の笑みには、こちらが破顔一笑、一目で惹かれたものだ。
仏教ばかりか宗教全般に全く興味がないのだが、この微笑と書いてミショウと読ませるのは、仏教の経典にある言葉らしいが、それはどのようなことかと少し気になっていた。
丸畑で伊藤さんに出会って、その意味をたずねての回答が、この冒頭の言である。
今わが目の前の仏たちの放つ笑みは、きわめて個人的な性の発露でありながらも、実は万人に普遍的な悦びの表現なのか、、。
わたしは唖然とし、そして笑ってしまった。わが笑いには、意外性への驚きと同時に、性的な隠微さへの哂いもあったことも白状する。
ちょっと意外な展開にもうすこし突っ込んで聞きたかったが、まわりには今日はじめてあった山の会メンバーの紳士淑女がいらっしゃるので遠慮した。
◆
あちこちWEB検索して仏教用語の微笑を調べてみた。
「大梵天王問仏決疑経(だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう)」に、「拈華微笑(ねんげみしょう)」あるいは破顔微笑とあって、簡単にいえば以心伝心のこととある。性的な意味はないから違うか。
「理趣経」に、「適悅淸淨句是菩薩位(てきえっせいせいくしほさい)とあって、その解説は「男女交合して悦なる快感を味わうことも清浄なる菩薩の境地」とあり、さらに「熙怡微笑(きいみしょう)」という用語もあった。これらしい。
丸畑集落は、自治体の地域おこし事業らしく、「木喰の里」と名づけて、「微笑館」という木喰資料館を建てている。これをミショウカンと読むのかと思ったら、案内看板にBISYOKANと書いているのだった。
●リンク:身延町地域資料「身延に遺る作品■永寿庵・五智如来像」
●リンク:、「8世紀の人もうけの原点、北海道から鹿児島まで40年間にわたって旅と造仏を続けた木喰上人―山梨県下部の丸畑の生家をたずねる」(糸乗 貞喜)
●リンク:、「8世紀の人もうけの原点、北海道から鹿児島まで40年間にわたって旅と造仏を続けた木喰上人―山梨県下部の丸畑の生家をたずねる」(糸乗 貞喜)
2009/03/31
114【怪しいハイテク】電子レンジで蓋つき陶磁器の中のものまで温まる謎
エレクトロニクスに弱いといっても、電子レンジくらいは使える。
パンを焼いて朝のトースト、冷や飯を暖め、冷凍食品を解凍するくらいなことは20年以上やっている。
数年前のこと、わたしの勤め先の協会のオフィスでパーティーをやることになり、女性職員が陶磁器を使って電子レンジで簡単な料理をしているのを見てびっくりした。陶磁器で蓋をしたままにレンジに入れているのだ。
え、それじゃあ温まらないんじゃないのって言うと、怪訝な顔、だって電気は陶磁器は通らないんだもんと言うと、そんなことはない、ちゃんと料理できますよって、笑われてしまった。
ふ~ん、そうなのかあ、それまでは陶磁器は電気の絶縁体だから、陶磁器の容器に入れて暖めるときは、蓋をしたら電子が通らないからダメなもんだとばかり思っていた。
金属なら電気を通すから、アルミ鍋なら蓋をしてもよいのだろうと、漠然と思っていたが、あいにく金属の皿などは使っていないから電子レンジにいれたことはなかった。
でも不思議である。
昨日のこと、エンジニアの友人に、どうして蓋をした陶磁器でも中のものが暖まるのかと聞いたら、怪訝な顔をされた。
これこれこうと、わが電気知識を披露すると、またもや笑われてしまった。
きけば、電子レンジってのは、わたしが想像していたように電子を発射して食品のなかの水分を刺激して暖める装置ではないそうだ。
あれはある波長の電磁波を発射する装置であって、その波長だと水の波長となんだか仲良くなって(その原理は聞いても分からない)発熱するのだそうである。で、その電波は陶磁器を通るのだそうだ。
ふ~ん、要するに無線送信発熱器だな。となると、金属鍋に入れてチンしようたって、鉄の板は電波は通らないから、だめなんだな。
そうなのかあ、なんだよ、それじゃあ電子レンジじゃなくて、電波レンジだぞ、そう言い替えなさいよ。
もっとも、こっちはいまだに電子と電波の違いもわかってはいないのだ、え~と、電子は粉で電波は水みたいなものかしら、。
パンを焼いて朝のトースト、冷や飯を暖め、冷凍食品を解凍するくらいなことは20年以上やっている。
数年前のこと、わたしの勤め先の協会のオフィスでパーティーをやることになり、女性職員が陶磁器を使って電子レンジで簡単な料理をしているのを見てびっくりした。陶磁器で蓋をしたままにレンジに入れているのだ。
え、それじゃあ温まらないんじゃないのって言うと、怪訝な顔、だって電気は陶磁器は通らないんだもんと言うと、そんなことはない、ちゃんと料理できますよって、笑われてしまった。
ふ~ん、そうなのかあ、それまでは陶磁器は電気の絶縁体だから、陶磁器の容器に入れて暖めるときは、蓋をしたら電子が通らないからダメなもんだとばかり思っていた。
金属なら電気を通すから、アルミ鍋なら蓋をしてもよいのだろうと、漠然と思っていたが、あいにく金属の皿などは使っていないから電子レンジにいれたことはなかった。
でも不思議である。
昨日のこと、エンジニアの友人に、どうして蓋をした陶磁器でも中のものが暖まるのかと聞いたら、怪訝な顔をされた。
これこれこうと、わが電気知識を披露すると、またもや笑われてしまった。
きけば、電子レンジってのは、わたしが想像していたように電子を発射して食品のなかの水分を刺激して暖める装置ではないそうだ。
あれはある波長の電磁波を発射する装置であって、その波長だと水の波長となんだか仲良くなって(その原理は聞いても分からない)発熱するのだそうである。で、その電波は陶磁器を通るのだそうだ。
ふ~ん、要するに無線送信発熱器だな。となると、金属鍋に入れてチンしようたって、鉄の板は電波は通らないから、だめなんだな。
そうなのかあ、なんだよ、それじゃあ電子レンジじゃなくて、電波レンジだぞ、そう言い替えなさいよ。
もっとも、こっちはいまだに電子と電波の違いもわかってはいないのだ、え~と、電子は粉で電波は水みたいなものかしら、。
2009/03/27
113【世相戯評】自動車運転に関しては老人ボケ度を医者じゃなくを警察が判定するのかい
「認知機能検査は〈1〉年月日や曜日、時間を答える「時間の見当識」、〈2〉イラストを覚えた後、ヒントを見ながら思い出す「手がかり再生」、〈3〉時計の文字盤を描く「時計描画」―の3種類」
これは今年6月1日から75歳以上で運転免許更新を希望する者に義務づけする「認知機能検査」だそうだ。
要するに「ボケ度検査」である。
ボケ度を警察が検査する時代になったのだ、コワイ。
年寄りが世の中にイチャモンつけていると、「認知機能検査をしていただきます」って警察官がやって来たりしてね。
でも、運転免許に関係ないけど、わたしも検査してみたいような気もする。だれか「自前認知機能検査ゲーム」ってのを売り出せば儲かるような、。
年寄りが集まって、これでボケ度を競うのだ。歳に似合わずボケ度が高いなあとか、年代別ボケ度チャンピオン戦とか、やってみたいなあ、こわいなあ。
ボケているヤツは75歳以上ばかりじゃないぞ、それ以下でも変な奴はいるから、どうせなら全員に義務付けてはどうか。
自動車事故に高齢者が多くなったというのだが、そりゃそうだろう、高齢社会だから運転する人数のうちに占める高齢者が増えるのは統計的に当たり前である。
問題は、超高齢者でも自動車運転しないと生活できないような、現代の生活の場にあるのだ。それを是正する政策をやらないと、いくらボケ度検査しても運転をやめられないだろう、だって生きていけないのだから。
ところで最近、身元確認で「免許証」を見せろと言われることが多い。おお、持っているとも、一級建築士と技術士の免許証を見せてやろうか、、。
これは今年6月1日から75歳以上で運転免許更新を希望する者に義務づけする「認知機能検査」だそうだ。
要するに「ボケ度検査」である。
ボケ度を警察が検査する時代になったのだ、コワイ。
年寄りが世の中にイチャモンつけていると、「認知機能検査をしていただきます」って警察官がやって来たりしてね。
でも、運転免許に関係ないけど、わたしも検査してみたいような気もする。だれか「自前認知機能検査ゲーム」ってのを売り出せば儲かるような、。
年寄りが集まって、これでボケ度を競うのだ。歳に似合わずボケ度が高いなあとか、年代別ボケ度チャンピオン戦とか、やってみたいなあ、こわいなあ。
ボケているヤツは75歳以上ばかりじゃないぞ、それ以下でも変な奴はいるから、どうせなら全員に義務付けてはどうか。
自動車事故に高齢者が多くなったというのだが、そりゃそうだろう、高齢社会だから運転する人数のうちに占める高齢者が増えるのは統計的に当たり前である。
問題は、超高齢者でも自動車運転しないと生活できないような、現代の生活の場にあるのだ。それを是正する政策をやらないと、いくらボケ度検査しても運転をやめられないだろう、だって生きていけないのだから。
ところで最近、身元確認で「免許証」を見せろと言われることが多い。おお、持っているとも、一級建築士と技術士の免許証を見せてやろうか、、。
2009/03/25
112【世相戯評】新聞の野球の記事がなんだか変である
プロスポーツに興味がない。野球は小学生の頃、阪神(藤村とか土井垣とかいたなあ)ファンだったことがあるくらいでとっくに卒業した。
日本国代表(なんだろうなあ)の野球チームが韓国代表のチームと試合して勝ったと、今日の朝日新聞の1面と社会面にある。
5回試合して日3勝韓2勝だったとかで、いつも見ないスポーツ欄をみたら、韓チームとばかりじゃなくてアメリカやキューバのチームともやっているのだ。 日韓野球試合だけではないのか。
よく分からないのだが、記事の前後の様子では、どうも韓チームとなにか因縁があるらしい。北京オリンピックでは韓チームが勝ったらしく、こんどはその復讐のようなものなのか。
まあ、スポーツだからよいけど、どこか奇妙な加熱した様子も読み取れる。そのはっきりと読み取れない書きかたに、なにか裏があるのだろうか。それともわたしだけが知らないスポーツ界の常識があるのだろうか。
記事が何か変なのは、韓チームのことはほとんど書いてなくて、日本チームの活躍ばかり書いてあることだ。相手が居てこそ試合だろうに。
韓チーム選手の活躍とか、社会面の巷の話もソウルではどうなのか書いてもよさそうなものだろう。
これって、かつての大本営発表そっくりである。なんだか気味が悪い。いまちょうど必要あって、戦時中のことを勉強しているのだ。
スポーツに国旗が登場するのも、気味が悪い。日本国旗が翻る観客席の写真があるし、記事では韓国チームが勝ったときには、韓国旗がグランドに立ったとか。
オリンピックでも、いつだったかめったに見ないTV中継を見ていたら、マラソンでトップ選手が国旗をまとってグランドを回った。
オリンピックは個人をたたえるものだろうに、国旗と国歌が登場するのも解せない。
そういえば、高校野球の開会式に、君が代を歌うのだそうだ(たまたま放送に故障があったことが社会面記事にあって知った)。
なぜ? 大相撲で歌うからか、あれも外国籍力士がこれだけ多いのに、ヘンである。
スポーツが戦いであるだけに、個人の技を競うことに偏狭なナショナリズムを加担させるのはかなり危険な感じもするが、一方では代理戦争として本物戦争を回避しているのだろうかとも思う。
プロもしくはそれに近いスポーツに無関心、というよりも嫌いなのは、そのあたりに原因がある。
イチローなる選手が活躍したとあるが、おなじ紙面にこちらのオザワイチロー選手は、秘書が起訴されて、あの仏頂面でべそをかいているのが、おかしい。
野球のイチローはなんという姓かしら、野茂イチローってか?
日本国代表(なんだろうなあ)の野球チームが韓国代表のチームと試合して勝ったと、今日の朝日新聞の1面と社会面にある。
5回試合して日3勝韓2勝だったとかで、いつも見ないスポーツ欄をみたら、韓チームとばかりじゃなくてアメリカやキューバのチームともやっているのだ。 日韓野球試合だけではないのか。
よく分からないのだが、記事の前後の様子では、どうも韓チームとなにか因縁があるらしい。北京オリンピックでは韓チームが勝ったらしく、こんどはその復讐のようなものなのか。
まあ、スポーツだからよいけど、どこか奇妙な加熱した様子も読み取れる。そのはっきりと読み取れない書きかたに、なにか裏があるのだろうか。それともわたしだけが知らないスポーツ界の常識があるのだろうか。
記事が何か変なのは、韓チームのことはほとんど書いてなくて、日本チームの活躍ばかり書いてあることだ。相手が居てこそ試合だろうに。
韓チーム選手の活躍とか、社会面の巷の話もソウルではどうなのか書いてもよさそうなものだろう。
これって、かつての大本営発表そっくりである。なんだか気味が悪い。いまちょうど必要あって、戦時中のことを勉強しているのだ。
スポーツに国旗が登場するのも、気味が悪い。日本国旗が翻る観客席の写真があるし、記事では韓国チームが勝ったときには、韓国旗がグランドに立ったとか。
オリンピックでも、いつだったかめったに見ないTV中継を見ていたら、マラソンでトップ選手が国旗をまとってグランドを回った。
オリンピックは個人をたたえるものだろうに、国旗と国歌が登場するのも解せない。
そういえば、高校野球の開会式に、君が代を歌うのだそうだ(たまたま放送に故障があったことが社会面記事にあって知った)。
なぜ? 大相撲で歌うからか、あれも外国籍力士がこれだけ多いのに、ヘンである。
スポーツが戦いであるだけに、個人の技を競うことに偏狭なナショナリズムを加担させるのはかなり危険な感じもするが、一方では代理戦争として本物戦争を回避しているのだろうかとも思う。
プロもしくはそれに近いスポーツに無関心、というよりも嫌いなのは、そのあたりに原因がある。
イチローなる選手が活躍したとあるが、おなじ紙面にこちらのオザワイチロー選手は、秘書が起訴されて、あの仏頂面でべそをかいているのが、おかしい。
野球のイチローはなんという姓かしら、野茂イチローってか?
2009/03/22
111【各地の風景】京都風景あげあしとり:貴船道、岩倉圓通寺、智積院
関東のこちらに比べると、京都はさすがに景観政策が行き届いていると思う。
特に屋外広告物は、そのときは気がつかないが、こちらに戻ってきてから、ああ、そういえば京都ではこんな看板類をみなかったなあと気がついて、悔しい。
そのままでは癪だから、いくつか京都風景あげあしとりをすることにした。
貴船への道は水の流れ、木立ち、街並みに風情があるのだが、突然に看板だらけのところに出くわした。
なぜここだけにこれほども集まって立っているのだろうか。案内図、工事看板、交通安全表示など、どれも公共的な看板ばかりで、民間の商業的なものはない。不思議な風景であった。
岩倉の円通寺は、なるほど庭は風雅であるが、その庭の外にまわって円通寺を臨む所に来ると、あれまあ、こちらは安っぽい景色なんですねえ。参考→怨念の景観帝国
名刹智積院には、智積院会館というコンクリートの建物が境内にある。京都の建築家増田友也の設計だったように記憶しているが、いかにも"コルビジュエのシャンデガール庁舎をコピーしました”ってデザインであるのが時代を反映している。
なんでここにインドなんだよ、ああそうか、仏教伝来の地だからか。
これがどうも上半身と下半身がチグハグのように見える。おお、下のほうにいかにも和風の瓦屋根の下屋が増築されているのだった、う~む。
参考→怨念の景観帝国
→104この世とあの世は同じ景観
→100京都の街並み本物偽物?
→099能幻想の清水寺
特に屋外広告物は、そのときは気がつかないが、こちらに戻ってきてから、ああ、そういえば京都ではこんな看板類をみなかったなあと気がついて、悔しい。
そのままでは癪だから、いくつか京都風景あげあしとりをすることにした。
貴船への道は水の流れ、木立ち、街並みに風情があるのだが、突然に看板だらけのところに出くわした。
なぜここだけにこれほども集まって立っているのだろうか。案内図、工事看板、交通安全表示など、どれも公共的な看板ばかりで、民間の商業的なものはない。不思議な風景であった。
岩倉の円通寺は、なるほど庭は風雅であるが、その庭の外にまわって円通寺を臨む所に来ると、あれまあ、こちらは安っぽい景色なんですねえ。参考→怨念の景観帝国
名刹智積院には、智積院会館というコンクリートの建物が境内にある。京都の建築家増田友也の設計だったように記憶しているが、いかにも"コルビジュエのシャンデガール庁舎をコピーしました”ってデザインであるのが時代を反映している。
なんでここにインドなんだよ、ああそうか、仏教伝来の地だからか。
これがどうも上半身と下半身がチグハグのように見える。おお、下のほうにいかにも和風の瓦屋根の下屋が増築されているのだった、う~む。
参考→怨念の景観帝国
→104この世とあの世は同じ景観
→100京都の街並み本物偽物?
→099能幻想の清水寺
2009/03/21
110【くたばれ乗用車】高速道路休日1000円のバカ
自動車運転しないから興味なかったが、昨日から高速道路の一部が休日は1000円に大値下げだそうだ。
これっておかしいぞ。 第1に、排ガスやら炭素排出規制しようって時代に、なんで自動車走行増加策をやるのか? せっかくオイルが高くなったリ不景気で、走る車が減って空気がよくなろうとしているのに、。
第2に、これで一番儲かるのは郊外ショッピングセンターで、ますます中心市街地は疲弊するぞ。そういえば昨日、イオンが新聞全面に安売り広告を出していたのは、実はこれと連動していたのだと、今わかった。
ついでにいうが、民主党が高速道路全面無料にせよと唱えているが、あれはイオン岡田社長の弟(元党首)がいるからだろうって、下世話の話題である。それはともかくとしても、少なくともアンチ地球環境保全政策であることは確かだ。
第3に、こういう入場料金のようなものは、普通ならお客が少ない平日に値下げして呼び込むもんだろうに、これは休日に値下げなんてどういう計算なのかしら。ってことは、休日も利用者がいないような道路をつくっているってことだな、バカヤロ。
第4に、値下げするってのは、儲かったから還元するのかと思ったら、なんと税金を投入するのだそうだ。オイッ、それじゃあオレの金も使ってイオンを儲けさせるってのか、この大バカ政策ヤロウ~。
こういうバカ政策を喜ぶ庶民が一番イケナイな。
これっておかしいぞ。 第1に、排ガスやら炭素排出規制しようって時代に、なんで自動車走行増加策をやるのか? せっかくオイルが高くなったリ不景気で、走る車が減って空気がよくなろうとしているのに、。
第2に、これで一番儲かるのは郊外ショッピングセンターで、ますます中心市街地は疲弊するぞ。そういえば昨日、イオンが新聞全面に安売り広告を出していたのは、実はこれと連動していたのだと、今わかった。
ついでにいうが、民主党が高速道路全面無料にせよと唱えているが、あれはイオン岡田社長の弟(元党首)がいるからだろうって、下世話の話題である。それはともかくとしても、少なくともアンチ地球環境保全政策であることは確かだ。
第3に、こういう入場料金のようなものは、普通ならお客が少ない平日に値下げして呼び込むもんだろうに、これは休日に値下げなんてどういう計算なのかしら。ってことは、休日も利用者がいないような道路をつくっているってことだな、バカヤロ。
第4に、値下げするってのは、儲かったから還元するのかと思ったら、なんと税金を投入するのだそうだ。オイッ、それじゃあオレの金も使ってイオンを儲けさせるってのか、この大バカ政策ヤロウ~。
こういうバカ政策を喜ぶ庶民が一番イケナイな。
2009/03/19
109【世相戯評】あのイオンが反省するんだって?ウソでしょ
安売り量販店(スーパーマーケット)屋のイオンが、今日の全国紙に「イオンの反省」と題して、1ページ分の広告を載せている。
おお、やっと自分の罪に気がついたかと読んでみれば、全然そうじゃない、ただの惹き文句であった。
よくあるような、美味いと書くところをわざと不味いと書く、あれだよ、目を惹けばよいのだ。
これまでさんざんに街を壊してきて、この百年に一度の不景気で、イオンが壊してきた街はもう立ち直れないかもしれないのに、その反省はなくて、ただの安売り広告である。
いままで高いもの売りつけていたが、反省してこんどは安物にするんだなんて、買いたい気が起こるもんかしら。
もともと私は、あのどこに行っても同じような、田畑を壊し緑のない(そのくせ万里の長城あたりで木を植えているんだから笑える)殺風景な派手派手倉庫みたいな建物が立ち並んで、ほんとに汚らしい風景のイオンモールとやら言うショッピングセンターを大嫌い、まあ、向うもわたしなんぞ相手にしてないけどね。
じゃあきれいにしたらいくかというと、もちろん行かない。
あんな田舎の田んぼの中にまでわざわざ安物を買いに行くなんて、気が知れないよ。買い物は街の中でやるのが一番、、。
こんな方便広告で反省なら、サルだって反省するぞ。いやいや、反省がなっとらん、オレと一緒にしてくれるなって、サルが怒るか。
反省するなら、これまで人々が暮らす街を壊して悪かった、これからは暮らしの場を大切にする商売をいたしますって、言ってもらいたいもんだ。
安かろう、売れて儲かりさえすれば、街が壊れてもいいのだなんて、反省ではないぞ。
参考→◆怖いぞ、郊外開発は生活圏を破壊する
●日本全国醜い風景アルバム
おお、やっと自分の罪に気がついたかと読んでみれば、全然そうじゃない、ただの惹き文句であった。
よくあるような、美味いと書くところをわざと不味いと書く、あれだよ、目を惹けばよいのだ。
これまでさんざんに街を壊してきて、この百年に一度の不景気で、イオンが壊してきた街はもう立ち直れないかもしれないのに、その反省はなくて、ただの安売り広告である。
いままで高いもの売りつけていたが、反省してこんどは安物にするんだなんて、買いたい気が起こるもんかしら。
もともと私は、あのどこに行っても同じような、田畑を壊し緑のない(そのくせ万里の長城あたりで木を植えているんだから笑える)殺風景な派手派手倉庫みたいな建物が立ち並んで、ほんとに汚らしい風景のイオンモールとやら言うショッピングセンターを大嫌い、まあ、向うもわたしなんぞ相手にしてないけどね。
じゃあきれいにしたらいくかというと、もちろん行かない。
あんな田舎の田んぼの中にまでわざわざ安物を買いに行くなんて、気が知れないよ。買い物は街の中でやるのが一番、、。
こんな方便広告で反省なら、サルだって反省するぞ。いやいや、反省がなっとらん、オレと一緒にしてくれるなって、サルが怒るか。
反省するなら、これまで人々が暮らす街を壊して悪かった、これからは暮らしの場を大切にする商売をいたしますって、言ってもらいたいもんだ。
安かろう、売れて儲かりさえすれば、街が壊れてもいいのだなんて、反省ではないぞ。
参考→◆怖いぞ、郊外開発は生活圏を破壊する
●日本全国醜い風景アルバム
2009/03/18
108【世相戯評】焚き火の想い出
由布市で山焼きしていて焼死者が出たという。大草原を焼くのは壮大で気持ちよさそうだからやってみたいと思っていたが、危険なものでもあるようだ。
焚き火を大好きである。生まれ育ったのが神社だから、広大な境内には落ち葉がすぐにたまるから、しょっちゅう掃き集める必要があった。
冬の朝はそれを盛大に焚き火して、温まってから学校に行くのが習慣だったことから、焚き火大好き人間となった。ただし落ち葉掃除は嫌いだったが、。
高校のときに、運動会の後で運動場で盛大に焚き火してファイアーストームをしたことがある。だんだんと盛り上がって木製サッカーゴールを引き倒して燃やし、教師に大いにしかられたことを思い出した。
都会に住むようになって焚き火から縁が切れたが、鎌倉に家を建てたとき、これでまた焚き火ができると楽しみにした。
狭い庭でも落ち葉は積もるしゴミも出るから、焚き火を楽しんでいた。ところが、狭い敷地だから、隣近所から煙に文句が出たのである。
そうか、世の中は焚き火の嫌いな人も居るのだと、はじめて気がついた。転居2ヶ月くらいで、あえなく挫折し、法的に焚き火禁止であることも知って、がっかりした。
近所の人たちは、剪定した庭木とか掃き寄せた落ち葉とかを、ビニール袋に入れて焼却ゴミに出しているが、どうも納得がいかない。私は庭に積んでおいて腐らせるようにしていた。
今はまた都会住まいで焚き火に縁が遠い。中越の山村に行くと焚き火をしたくなり、ときどき楽しんでいる。 集落の行事である小正月の賽の神は、巨大な焚き火をするから嬉しい。
先日の日曜日は、韮崎の友人宅の畑で、枯れ枝など久しぶりに盛大なる焚き火をした。実にせいせいした。
焚き火を大好きである。生まれ育ったのが神社だから、広大な境内には落ち葉がすぐにたまるから、しょっちゅう掃き集める必要があった。
冬の朝はそれを盛大に焚き火して、温まってから学校に行くのが習慣だったことから、焚き火大好き人間となった。ただし落ち葉掃除は嫌いだったが、。
高校のときに、運動会の後で運動場で盛大に焚き火してファイアーストームをしたことがある。だんだんと盛り上がって木製サッカーゴールを引き倒して燃やし、教師に大いにしかられたことを思い出した。
都会に住むようになって焚き火から縁が切れたが、鎌倉に家を建てたとき、これでまた焚き火ができると楽しみにした。
狭い庭でも落ち葉は積もるしゴミも出るから、焚き火を楽しんでいた。ところが、狭い敷地だから、隣近所から煙に文句が出たのである。
そうか、世の中は焚き火の嫌いな人も居るのだと、はじめて気がついた。転居2ヶ月くらいで、あえなく挫折し、法的に焚き火禁止であることも知って、がっかりした。
近所の人たちは、剪定した庭木とか掃き寄せた落ち葉とかを、ビニール袋に入れて焼却ゴミに出しているが、どうも納得がいかない。私は庭に積んでおいて腐らせるようにしていた。
今はまた都会住まいで焚き火に縁が遠い。中越の山村に行くと焚き火をしたくなり、ときどき楽しんでいる。 集落の行事である小正月の賽の神は、巨大な焚き火をするから嬉しい。
先日の日曜日は、韮崎の友人宅の畑で、枯れ枝など久しぶりに盛大なる焚き火をした。実にせいせいした。
2009/03/09
107【怪しいハイテク】フィリップス製電動髭剃り器をもう20年も使っている
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宮仕えのサラリーマンではないフリーランスだったから、髭を伸ばそうかとも思って試したこともある。
だが、半島系だろうかわたしはそれが薄いので、やってみると、鼻の下は左右がどうしてもつながらなくて貧相だ。あごの下は何とかなるようだが、ヤギ髭のそれだけだとジジむさく見える。
髭剃り用具も、はじめは片刃かみそりから、両刃、ローラー式、そして電動髭剃り器と進化してきた。電動髭剃り器も、何台も買い換えた。
ところが、今の電動髭剃り器は、実にもう20年くらいも使っている優れものである。オランダのフィリップス製品である。
電池の能力がちょっと弱ってきているが、まったく故障もしたこともないし、刃の入れ替えもしていない。
この間に、持ち歩き用に小さな日本製もいくつか買ったが壊れて、結局このオランダ製が一番よいのである。
最近、カタログから自分で選択する方式の香典返しがあり、電動髭剃りを手に入れた。でも、これの性能が悪いのである。どうしても剃り残しがでる。箱を捨てたので分からないのだが、おかしなことに製品にメーカー名が書いてない。
これと比較してフィリップス製の剃り具合の優秀さがよく分かった。
それにしても電器製品で20年も使い続けるなんて、うちにはほかにラヂオがひとつだけあるが、普通はありそうにない。
オランダは電子工学のハイテクに頼らないローテクの技術が、今もすごいのだろう。
2009/03/07
106【東京駅復原反対】江戸初春飛脚屋苦虫(えどのはつはるゆうびんやのにがむし)
(えどのはつはるゆうびんやのにがむし)
江戸城の丸の内に駕篭屋の元締めがいる。そこに赤れんが姐さんと呼ばれている大姉御がいる。赤いレンガ色のおべべが、この姐さんのトレードマークである。
近頃、姐さんはちょっと足腰が弱り、若い頃の火傷もうずきだし、色香が薄れてきた。
姐さんはこの辺で起死回生若返りとて、大胆な方法で昔の色香を取り戻すことにした。
そのためにはお金がいるが、手元にない。頭をひねった末に、しょうがないので蓄えた身代の一部を、隣近所の土地成金長者たちに切り売りを始めた。
買った成金長者たちは、それを元手にしてうまく稼いで、それぞれ豪華で大きな屋敷を普請するものだから、駕篭屋の姐さんの家は次第に日陰になってきた。
赤れんが姐さんは、今は足腰の手術中だが、これから豊胸や美容整形、それが済んだら辰野風芸者島田の鬘をあつらえ、緋の衣装を仕立て、紅つけ化粧したり、あれこれやらなければならない。
でも問題は、まだまだ身代を売らないと金が足りないのに、若い頃そっくりの晴れ姿になる頃には、すっかり周りを高い塀と屋敷でとり囲まれちまって、文字通りに日陰者になりそうである。
こんな筈じゃなかったと、姐さんは憂鬱である。
最近、お隣の飛脚屋にも身代の一部を売ってやることにした。
飛脚屋の西川爺さんは、オールドミスになった自分の娘に洋服と化粧品を買ってやり、背の高い婿もとるつもりになって、うれしくてあちこちに吹聴した。
そうしたら、娘に横恋慕している文京あたりのお大名の鳩山総務守様が、2回も自ら足を運んで怒鳴り込んできた。
「洋服など着せては相成らんぞ、背の高い婿とりも破談にせい、もってのほかじゃ、取り消せ~いッ」
これを聞いた口さがない江戸っ子は囃したり笑ったり、ついでに大阪の飛脚屋にもそういってくれというワル乗りもいる。
西川爺さんは苦りきっている。なにしろ、鳩から豆鉄砲を食らったのだから。
◆
3月6日、東京中央郵便局の部分保全して超高層を継ぎ足す再開発計画に関して、その敷地の都市計画変更を東京都が告示した。要するにやっても良いよって、都知事がGOサインを出したってこと。
この都市再生特別地区の都市計画内容を見ると、一番の大きな点は容積率1300パーセントを1630パーセントまで、大サービスしたことだ。
よく見たら「特例容積率の限度の指定が行われない場合又は取り消された場合は10分の141とする」と、注意書きがついている。
これの意味は、補修して3階建てで保全する東京駅赤れんが駅舎から、その余っている容積をJR東日本から買い取って、こちらに乗せる下話がついているのだが、もしその話がおじゃんになったら1410パーセントに下げるぞってことらしい。
つまり220パーセント分の容積率は、JRから買う下約束があるらしい(あるいはJRが床を乗せるのかも)。
この東京駅からの容積移転は既に、新東京ビル、新丸ビル、丸の内OAZO,丸の内パークビル、2棟のグラントウキョウビル、住友信託・UFJビル、パレスホテルに行っているので、これで9ヶ所になる(ほかにもあるかもしれない)。コマギレに移転していることが分かる。
東京駅を3階建てに復原する工事も始まっているから、3階建てのままで保全するために発明された特例容積率適用地区制度という劇薬は、それなりに効果を発揮していることが分かる。
◆
だが、ここで奇妙なジレンマが見えてきた。
もしも中央郵便局が重要文化財となって全面保存することになったら、東京駅の余剰容積率はここに移転できないことになる。
そうなったら東京駅の復原保全の資金が不足する(実際にそうかどうか知らないが)。
そればかりか、今度は中央郵便局もどこかに余剰容積を切り売りすることになる。 いっぺんに一ヶ所に売るには大きすぎるから、ちょろちょろあちこちに移転しなければならないのだ。
そんなにたくさん売れる開発先があるのどうか知らないが、なんにしても東京駅と販売競争することになる。 JR東日本は、どうやって容積セールス営業をしているのか、聞いてみたい気がする。
あちら立てればこちらが建たず、とはこのことで、保存と開発はジレンマに陥ることになる。これって例の囚人のジレンマみたいですな。
さて、どうなるのか。
◆
劇薬だから副作用も大きい。
なにしろ容積移転した先のビルは、周りと比べてとてつもなく大容積率だからにょきにょき高い超高層ビルとなって、べたっと横座りする芸者島田の東京駅を見下ろして取り囲むのだ。
先日しばらくぶりで丸の内を歩いてきたら、ちょっと息苦しくなってきて八重洲側に回って、昔このあたりに職場があって懐かしい京橋の、昔からたいして変わらぬごたごたした街の姿を見たら、ほっとしたほどだ。
元をただせば東京駅を低くするために作り出したギャップの風景である。そのうちに慣れっこになるだろうか。
保存手法が生み出しつつあるこのジレンマは、この先どうするのか。中央郵便局はそのジレンマを一身で抱え込む羽目になっている。
江戸城の丸の内に駕篭屋の元締めがいる。そこに赤れんが姐さんと呼ばれている大姉御がいる。赤いレンガ色のおべべが、この姐さんのトレードマークである。
近頃、姐さんはちょっと足腰が弱り、若い頃の火傷もうずきだし、色香が薄れてきた。
姐さんはこの辺で起死回生若返りとて、大胆な方法で昔の色香を取り戻すことにした。
そのためにはお金がいるが、手元にない。頭をひねった末に、しょうがないので蓄えた身代の一部を、隣近所の土地成金長者たちに切り売りを始めた。
買った成金長者たちは、それを元手にしてうまく稼いで、それぞれ豪華で大きな屋敷を普請するものだから、駕篭屋の姐さんの家は次第に日陰になってきた。
赤れんが姐さんは、今は足腰の手術中だが、これから豊胸や美容整形、それが済んだら辰野風芸者島田の鬘をあつらえ、緋の衣装を仕立て、紅つけ化粧したり、あれこれやらなければならない。
でも問題は、まだまだ身代を売らないと金が足りないのに、若い頃そっくりの晴れ姿になる頃には、すっかり周りを高い塀と屋敷でとり囲まれちまって、文字通りに日陰者になりそうである。
こんな筈じゃなかったと、姐さんは憂鬱である。
最近、お隣の飛脚屋にも身代の一部を売ってやることにした。
飛脚屋の西川爺さんは、オールドミスになった自分の娘に洋服と化粧品を買ってやり、背の高い婿もとるつもりになって、うれしくてあちこちに吹聴した。
そうしたら、娘に横恋慕している文京あたりのお大名の鳩山総務守様が、2回も自ら足を運んで怒鳴り込んできた。
「洋服など着せては相成らんぞ、背の高い婿とりも破談にせい、もってのほかじゃ、取り消せ~いッ」
これを聞いた口さがない江戸っ子は囃したり笑ったり、ついでに大阪の飛脚屋にもそういってくれというワル乗りもいる。
西川爺さんは苦りきっている。なにしろ、鳩から豆鉄砲を食らったのだから。
◆
3月6日、東京中央郵便局の部分保全して超高層を継ぎ足す再開発計画に関して、その敷地の都市計画変更を東京都が告示した。要するにやっても良いよって、都知事がGOサインを出したってこと。
この都市再生特別地区の都市計画内容を見ると、一番の大きな点は容積率1300パーセントを1630パーセントまで、大サービスしたことだ。
よく見たら「特例容積率の限度の指定が行われない場合又は取り消された場合は10分の141とする」と、注意書きがついている。
これの意味は、補修して3階建てで保全する東京駅赤れんが駅舎から、その余っている容積をJR東日本から買い取って、こちらに乗せる下話がついているのだが、もしその話がおじゃんになったら1410パーセントに下げるぞってことらしい。
つまり220パーセント分の容積率は、JRから買う下約束があるらしい(あるいはJRが床を乗せるのかも)。
この東京駅からの容積移転は既に、新東京ビル、新丸ビル、丸の内OAZO,丸の内パークビル、2棟のグラントウキョウビル、住友信託・UFJビル、パレスホテルに行っているので、これで9ヶ所になる(ほかにもあるかもしれない)。コマギレに移転していることが分かる。
東京駅を3階建てに復原する工事も始まっているから、3階建てのままで保全するために発明された特例容積率適用地区制度という劇薬は、それなりに効果を発揮していることが分かる。
◆
だが、ここで奇妙なジレンマが見えてきた。
もしも中央郵便局が重要文化財となって全面保存することになったら、東京駅の余剰容積率はここに移転できないことになる。
そうなったら東京駅の復原保全の資金が不足する(実際にそうかどうか知らないが)。
そればかりか、今度は中央郵便局もどこかに余剰容積を切り売りすることになる。 いっぺんに一ヶ所に売るには大きすぎるから、ちょろちょろあちこちに移転しなければならないのだ。
そんなにたくさん売れる開発先があるのどうか知らないが、なんにしても東京駅と販売競争することになる。 JR東日本は、どうやって容積セールス営業をしているのか、聞いてみたい気がする。
あちら立てればこちらが建たず、とはこのことで、保存と開発はジレンマに陥ることになる。これって例の囚人のジレンマみたいですな。
さて、どうなるのか。
◆
劇薬だから副作用も大きい。
なにしろ容積移転した先のビルは、周りと比べてとてつもなく大容積率だからにょきにょき高い超高層ビルとなって、べたっと横座りする芸者島田の東京駅を見下ろして取り囲むのだ。
先日しばらくぶりで丸の内を歩いてきたら、ちょっと息苦しくなってきて八重洲側に回って、昔このあたりに職場があって懐かしい京橋の、昔からたいして変わらぬごたごたした街の姿を見たら、ほっとしたほどだ。
元をただせば東京駅を低くするために作り出したギャップの風景である。そのうちに慣れっこになるだろうか。
保存手法が生み出しつつあるこのジレンマは、この先どうするのか。中央郵便局はそのジレンマを一身で抱え込む羽目になっている。
2009/03/06
105【東京駅復原反対】中央郵便局再開発と都市計画
東京中央郵便局の建て替えを巡って、部分保全再開発派(以下「部再派」という)と、重要文化財指定全面保存派(「重全派」)との争いが、マスメディアを賑わわせている。
2008年6月に郵政会社が現建物を一部保全して超高層再開発する計画を発表したのに対して、建築家や市民や国会議員たちが、重要文化財に指定して現在のままに保存せよと再開発反対を唱えているところに、総務大臣がオレにも一枚かませろって割込んできた図式である。
郵政民営化問題が絡んでいるから、政治的に複雑である。
◆
ところでこの事業の建設のための法手続きはどこまで来ているのかと、東京都WEBサイトを見た。
なんとまあ、区決定の地区計画も都決定の容積率も、今年2月はじめの都市計画審議会で、郵政の案を前提とする都市計画変更を議決してしまっているのだ。
つまり、都知事は都市計画決定権者として再開発にGOサインを出し、千代区長も同じくGOサインを出した。もっとも、千代田区は議会は郵政に全面保存の要望書を出しているから、区長と議会とは異なる立場にあることになる。
◆
そういうことか、でも、審議会はもめにもめたのだろうなあ。
と、都の議事録を見れば、あれ、24対1の圧倒的多数の賛成で原案通りに可決しているのだった。なんだよ~。
郵政会社がつくった私的な検討委員会では全面保存派が圧倒的多数だったとマスコミ報道があるが、法に基づく審議会ではまったくその逆である。これは、いったいどういうわけ?
こういうのはマスコミは報道しないのはどうして?
わたしは(かならずしもがつくが)部再派ではないが、なんだかおかしいのである。
◆
え、それなら、この都市計画変更案の縦覧(2008年11日28日から2週間)して一般からの意見書を求めたことに対しては、さぞや重全派の人たちはたくさんの反対意見書を提出したのだろうなあ。
と思ったのだが、都市計画審議会の議事録にはなにも書いてない。もし反対意見書があれば、どう対応したかかならず報告があるはずだ。
え、意見書を出さなかったの? それとも出したけどうまくはねつけられたの? その内容を知りたい。
また、反対意見を公述するための公聴会開催の要望をしたのかしら?
都市計画手続きを知らなかったとは言わせないぞ、だって重全派にはたくさんの建築家がいるのだから、当然に都市計画もご専門でしょうに。
これらの法に則った運動はやらないで、政治的な運動はやる方針なのかしら、それってなんだかおかしいと思うよ。 (090307一部訂正)
参照→101東京中央郵便局と保存帝国主義
・東京中央郵便局保全を考える
2008年6月に郵政会社が現建物を一部保全して超高層再開発する計画を発表したのに対して、建築家や市民や国会議員たちが、重要文化財に指定して現在のままに保存せよと再開発反対を唱えているところに、総務大臣がオレにも一枚かませろって割込んできた図式である。
郵政民営化問題が絡んでいるから、政治的に複雑である。
◆
ところでこの事業の建設のための法手続きはどこまで来ているのかと、東京都WEBサイトを見た。
なんとまあ、区決定の地区計画も都決定の容積率も、今年2月はじめの都市計画審議会で、郵政の案を前提とする都市計画変更を議決してしまっているのだ。
つまり、都知事は都市計画決定権者として再開発にGOサインを出し、千代区長も同じくGOサインを出した。もっとも、千代田区は議会は郵政に全面保存の要望書を出しているから、区長と議会とは異なる立場にあることになる。
◆
そういうことか、でも、審議会はもめにもめたのだろうなあ。
と、都の議事録を見れば、あれ、24対1の圧倒的多数の賛成で原案通りに可決しているのだった。なんだよ~。
郵政会社がつくった私的な検討委員会では全面保存派が圧倒的多数だったとマスコミ報道があるが、法に基づく審議会ではまったくその逆である。これは、いったいどういうわけ?
こういうのはマスコミは報道しないのはどうして?
わたしは(かならずしもがつくが)部再派ではないが、なんだかおかしいのである。
◆
え、それなら、この都市計画変更案の縦覧(2008年11日28日から2週間)して一般からの意見書を求めたことに対しては、さぞや重全派の人たちはたくさんの反対意見書を提出したのだろうなあ。
と思ったのだが、都市計画審議会の議事録にはなにも書いてない。もし反対意見書があれば、どう対応したかかならず報告があるはずだ。
え、意見書を出さなかったの? それとも出したけどうまくはねつけられたの? その内容を知りたい。
また、反対意見を公述するための公聴会開催の要望をしたのかしら?
都市計画手続きを知らなかったとは言わせないぞ、だって重全派にはたくさんの建築家がいるのだから、当然に都市計画もご専門でしょうに。
これらの法に則った運動はやらないで、政治的な運動はやる方針なのかしら、それってなんだかおかしいと思うよ。 (090307一部訂正)
参照→101東京中央郵便局と保存帝国主義
・東京中央郵便局保全を考える
2009/03/05
104【各地の風景】この世とあの世は同じ景観:京都の鳥辺野墓地と横浜の久保山墓地
京都の東山にある鳥辺野は、古代からの都の墓所であった。
久しぶりに京都をたずねて、鞍馬。貴船にも行ってきたが、帰る日は毎度定番の清水寺に、鳥辺山を抜けて行くことにした。
大谷本廟の北の細い道をだらだらと登ると、そこが鳥辺野の墓地である。尾根ひとつがそっくり林立する石塔で覆われる。
わたしは現実主義者で、墓地が気味悪いくもないし、有名人だれそれの墓を訪ねる趣味は全くない。さすがに歴史がすごいだけに、この墓所の石塔は風雪の年季が入っているようだ。
振り返ると京都の街が一目で見える。
鎌倉の中世の墓地も山の上に作られていたが、京都でもそうだとすると、葬送は死者が生きていたときの世界を見下ろす高いところにあることに意味があるのか、それとも単に死体の捨て場所として街では困ったからか。
京都駅のあたりを墓地を通して眺めると、お灯明の京都タワーが建っていて、その前あたりには京都駅ビルが灰色に立ち並ぶ墓石群である。この世とあの世の景観が見事に合体する。
横浜でも同じような経験をしたことがある。久保山墓地から「みなとみらい21地区」の超高層建築群が、こちらの墓地の墓石群と見事にシンクロナイズしているのである。
現物の大きさには違いはあるとしても、ある一定のプロポーションによる建ちかたは、ビルと墓石は同じなのである。だから鳥辺山も久保山も墓地も街も同じ景観になるのは当然のことである。
そういえば超高層建築の建て方に、低層部の10階くらいまでは広く、その上に細い縦長に乗る形になるものが多く、それはそっくり墓石の形そのものである。それが群をなす街の縮小版が墓地である。 街は高層建築が増えていくたびに、あの世の景観の拡大版になっていく。
墓地は死者のための特別の空間と思っていても、しょせん人間が作る景観はそんなものである。(090302)
関連→099能幻想の清水寺 →100京都の街並み本物偽物?
久しぶりに京都をたずねて、鞍馬。貴船にも行ってきたが、帰る日は毎度定番の清水寺に、鳥辺山を抜けて行くことにした。
大谷本廟の北の細い道をだらだらと登ると、そこが鳥辺野の墓地である。尾根ひとつがそっくり林立する石塔で覆われる。
わたしは現実主義者で、墓地が気味悪いくもないし、有名人だれそれの墓を訪ねる趣味は全くない。さすがに歴史がすごいだけに、この墓所の石塔は風雪の年季が入っているようだ。
振り返ると京都の街が一目で見える。
鎌倉の中世の墓地も山の上に作られていたが、京都でもそうだとすると、葬送は死者が生きていたときの世界を見下ろす高いところにあることに意味があるのか、それとも単に死体の捨て場所として街では困ったからか。
京都駅のあたりを墓地を通して眺めると、お灯明の京都タワーが建っていて、その前あたりには京都駅ビルが灰色に立ち並ぶ墓石群である。この世とあの世の景観が見事に合体する。
横浜でも同じような経験をしたことがある。久保山墓地から「みなとみらい21地区」の超高層建築群が、こちらの墓地の墓石群と見事にシンクロナイズしているのである。
現物の大きさには違いはあるとしても、ある一定のプロポーションによる建ちかたは、ビルと墓石は同じなのである。だから鳥辺山も久保山も墓地も街も同じ景観になるのは当然のことである。
そういえば超高層建築の建て方に、低層部の10階くらいまでは広く、その上に細い縦長に乗る形になるものが多く、それはそっくり墓石の形そのものである。それが群をなす街の縮小版が墓地である。 街は高層建築が増えていくたびに、あの世の景観の拡大版になっていく。
墓地は死者のための特別の空間と思っていても、しょせん人間が作る景観はそんなものである。(090302)
関連→099能幻想の清水寺 →100京都の街並み本物偽物?
2009/03/04
103【東京駅復原反対】三菱1号館コピー出現:文化財を壊して造るコピー建築
東京・丸の内の場と先通りと大名小路の角に、レンガ造り3階建てのえらくクラシックな建物が建った。
実はこれは、ここにあった三菱1号館の原寸大模型というかコピー建築なのである。それは19世紀末の昔昔に建った、日本で初めての洋風貸事務所であった。
◆
◆
丸の内は19世紀末以来営々とオフィス街の経営として、何度も建てては建て直してきた。
20世紀半ば、丸の内の高層建て替えがすすみだして、三菱1号館も1968年に壊された。
もちろん当時すでに重要文化財級の建物として、文化財保護委員会(後に文化庁)も学会も、その指定をして保存をするべきと考えていた。
所有する三菱地所に要望して保存策を検討していたが、まとまらないままに、1968年3月23日(土曜日)、三菱地所は取り壊し工事を強行してしまった。理由は耐震的に危ないからということだった。
三菱地所社史によると、どこかに移築するかもしれないとの考えもあったので、解体部材を三菱開東閣(これは重要文化財となっている)に保存したが、移築先がなくてほとんど廃棄されてしまい、ほんの一部が残っていたそうだ。
跡には15階建ての普通のオフィスビル・三菱商事ビルが建った。
◆
そして21世紀はじめ、この15階建て三菱商事ビルのほかに、9階建ての古河ビル、8階建ての丸の内八重洲ビルをまとめて壊して、丸の内パークビルという超高層ビルが建った。
なんとその足元には、三菱1号館の原寸大模型が、もとあった位置に建っているのである。
残していた一部の部材も使って、内外のデザインも工法も昔の図面通りに(基礎はそうはいかないが)再現したそうである。
◆
これはどう考えるのか?
第一の問題は、これにともなって壊した丸の内八重洲ビルは、1928年建設でそれなりに重要文化財級であったということだ。かつて文化財級と分かっていながら1号館を壊したことを、再度行ったように思うのである。
第二の問題は、このコピー再現建築(レプリカ)は、果たして文化財なのかということである。京都三条通りにあるみずほ銀行の建物が外観を再現して建て直したが、どうもこれは文化財とは認めない風潮のようだ。今後文化庁は新1号館をどう判断するのか見物である。
◆
第三は、景観としては新旧のギャップをどう見るのかということである。
丸の内で歴史的な建物としてなんらかの保全的再開発をしたものは、第1生命、明治生命、銀行協会、工業倶楽部、東京駅であり、現在時点で取り掛かろうとしているのは中央郵便局である。丸の内は歴史的建築ばかりの街だったから、このほかは全部なくなったといえる。
ところが、ここに来て、一度なくなった景観が一部に復活してきたのである。
だが、それが消えていた40年の間に、あたりの景観は激変している。
ひとつだけぽつんといまさらの出戻り浦島1号館は、頭の上にかぶさる超高層を見上げつつ、かつての壮麗な赤レンガ1丁ロンドンを思い出してため息をついているのだろう。
わたしも、その40年の長き不在に、その景観を忘れてしまっていて、あれッ、ディズニーランドの出先がここにできたのかい?、なんて思うのである。
◆
さて、これは東京中央郵便局の現下の問題に、何か教訓になるでしょうか。
そういえば、東京駅赤レンガ駅舎保存問題が起きたときも、国鉄民営化と大いに関係していたなあ。
関連→
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
2009/03/02
102【世相戯評】重要文化財よりも世界遺産が格が上なら宇宙遺産はもっと格が上なのか
今朝の朝日新聞折込の「GROBE」は、世界遺産特集である。
面白かったのは、昨年だったか登録された「石見銀山」は登録が危なかったが、かなり政治的な裏技をやって通したらしい。
そしてそれが、なにやら後に続く登録を難しくしたらしいことが読めるのである。
それぞれの言い分はあるだろうが、国際的な委員会でやることだから、当然にそのようなことはありうると思う。 オリンピック開催地選定と同じで、特に観光収入が増えるとあれば、なおさらである。
そうまでして日本での世界遺産登録は必要なのだろうかと思う。
例えば鎌倉である。
もう、十分にその価値は日本人はよく知っているし、観光客は人口18万人に対してその100倍も年間に訪れている。
世界遺産登録すれば何が起きるのか、市民の合意を固めるためのシンポジウムやワークショップを繰り返しているので、これ自体が街づくり運動となっている。
昨年から、鎌倉の旧鎌倉と呼ばれる歴史的地域のほとんどで、建物の高さ制限をして高層ビルは建てられなくなった。これは長い間の鎌倉の都市計画の懸案でもあったが、世界遺産登録への運動として稔ったとも言える。
あまり早く登録されるよりも、この登録運動を長く続けることが、よい都市を作る運動そのものであるかもしれないと、外部のものとして勝手なことを思っている。
ケルンの大聖堂の隣の鉄道ヤード跡地再開発で景観が乱れそうになり、世界遺産登録を取り消すとかいう騒ぎがあったと聞いたことがあるが、実際に取り消しとなった世界遺産登録地もあることを知った。登録地の自然保護か、資源発掘の石油開発かとなって、石油開発を選んだ途上j国のことであった。
この次は観光開発が登録を取り消す原因になることが起きるかもしれない。
国指定文化財よりも世界指定遺産と言う権威のお墨付きがほしいなら、次は「宇宙遺産」だな。さしずめ月到着の最初の人間の足跡なんて、その文化遺産第1号か。
でもずいぶん宇宙ゴミが地球の周りを飛んでいるらしいから、富士山と同じでまずはその清掃が先に求められそうである。
参照→◆世界遺産とはなんだろうか(2008)
◆山並み眺望をついに守りとおした鎌倉(2008)
面白かったのは、昨年だったか登録された「石見銀山」は登録が危なかったが、かなり政治的な裏技をやって通したらしい。
そしてそれが、なにやら後に続く登録を難しくしたらしいことが読めるのである。
それぞれの言い分はあるだろうが、国際的な委員会でやることだから、当然にそのようなことはありうると思う。 オリンピック開催地選定と同じで、特に観光収入が増えるとあれば、なおさらである。
そうまでして日本での世界遺産登録は必要なのだろうかと思う。
例えば鎌倉である。
もう、十分にその価値は日本人はよく知っているし、観光客は人口18万人に対してその100倍も年間に訪れている。
世界遺産登録すれば何が起きるのか、市民の合意を固めるためのシンポジウムやワークショップを繰り返しているので、これ自体が街づくり運動となっている。
昨年から、鎌倉の旧鎌倉と呼ばれる歴史的地域のほとんどで、建物の高さ制限をして高層ビルは建てられなくなった。これは長い間の鎌倉の都市計画の懸案でもあったが、世界遺産登録への運動として稔ったとも言える。
あまり早く登録されるよりも、この登録運動を長く続けることが、よい都市を作る運動そのものであるかもしれないと、外部のものとして勝手なことを思っている。
ケルンの大聖堂の隣の鉄道ヤード跡地再開発で景観が乱れそうになり、世界遺産登録を取り消すとかいう騒ぎがあったと聞いたことがあるが、実際に取り消しとなった世界遺産登録地もあることを知った。登録地の自然保護か、資源発掘の石油開発かとなって、石油開発を選んだ途上j国のことであった。
この次は観光開発が登録を取り消す原因になることが起きるかもしれない。
国指定文化財よりも世界指定遺産と言う権威のお墨付きがほしいなら、次は「宇宙遺産」だな。さしずめ月到着の最初の人間の足跡なんて、その文化遺産第1号か。
でもずいぶん宇宙ゴミが地球の周りを飛んでいるらしいから、富士山と同じでまずはその清掃が先に求められそうである。
参照→◆世界遺産とはなんだろうか(2008)
◆山並み眺望をついに守りとおした鎌倉(2008)
2009/02/28
101【東京駅復原反対】東京中央郵便局と保存原理主義
東京駅前の東京中央郵便局の建物を、重要文化財級だから残せ、郵政会社の高度利用開発反対と、国会で大臣が答弁したと今日のニュースである。
とうぜんに文部科学大臣が言ったのだと思ったら、なんと総務大臣だった。国会の総務委員会で民社党の河村議員の質問に、鳩山総務大臣の答弁だそうだ。
何で総務大臣かと思ったら、中央郵便局の持ち主の郵政会社を監督する立場だかららしい。
とすれば、なんだかおかしいような気がする。だって、郵政民営化して作った会社の経営をうまく離陸させるための監督官庁だろうが、これでは足を引っ張ることになる。そういえば、かんぽの宿の件でも、足を引っ張っている。
もちろん歴史的な建物の保全に関しての一般論として総務大臣が言うのはおかしいとは言わないし、文化についての見識を持つことはよいことだが、なぜ文部科学大臣ではないのか、そこが変である。
昔、1988年に赤レンガの東京駅舎の建築保全についての前向き発言は、当時の中島文部大臣が国会で答えた。決して運輸大臣(石原慎太郎)ではなかった。
河村議員は前から中央郵便局の保全を唱えているが、彼としては政治的駆け引きからみて文科大臣よりも鳩山なる政治家に質問するほうがうまく行くという戦術があったのだろうと推測する。
その裏には、あの麻生さんも実は反対だった郵政民営化論議もありそうな気がする。
ところで鳩山さんは大阪中央郵便局については、どうして何も言わないのかしら? 同じ論理ならそちらも保存を言うべきでしょうにね。 文化論として発言するなら、ちょっと前に壊された中央郵便局近くにあった三信ビルについても残せと発言してほしかったね。
どうやらこれは文化論ではなくて、政治的な発言であるらしい。
まあ、保存原理主義者たちは、どんな手段を使っても(例えば、容積移転した先が超超高層化して環境や景観悪くなっても)その現物さえ保存されれば勝利って、マキャべリ的スタンスだからなあ、、。
この建築保全に関しては、ほかに書いたからここには書かない。
とうぜんに文部科学大臣が言ったのだと思ったら、なんと総務大臣だった。国会の総務委員会で民社党の河村議員の質問に、鳩山総務大臣の答弁だそうだ。
何で総務大臣かと思ったら、中央郵便局の持ち主の郵政会社を監督する立場だかららしい。
とすれば、なんだかおかしいような気がする。だって、郵政民営化して作った会社の経営をうまく離陸させるための監督官庁だろうが、これでは足を引っ張ることになる。そういえば、かんぽの宿の件でも、足を引っ張っている。
もちろん歴史的な建物の保全に関しての一般論として総務大臣が言うのはおかしいとは言わないし、文化についての見識を持つことはよいことだが、なぜ文部科学大臣ではないのか、そこが変である。
昔、1988年に赤レンガの東京駅舎の建築保全についての前向き発言は、当時の中島文部大臣が国会で答えた。決して運輸大臣(石原慎太郎)ではなかった。
河村議員は前から中央郵便局の保全を唱えているが、彼としては政治的駆け引きからみて文科大臣よりも鳩山なる政治家に質問するほうがうまく行くという戦術があったのだろうと推測する。
その裏には、あの麻生さんも実は反対だった郵政民営化論議もありそうな気がする。
ところで鳩山さんは大阪中央郵便局については、どうして何も言わないのかしら? 同じ論理ならそちらも保存を言うべきでしょうにね。 文化論として発言するなら、ちょっと前に壊された中央郵便局近くにあった三信ビルについても残せと発言してほしかったね。
どうやらこれは文化論ではなくて、政治的な発言であるらしい。
まあ、保存原理主義者たちは、どんな手段を使っても(例えば、容積移転した先が超超高層化して環境や景観悪くなっても)その現物さえ保存されれば勝利って、マキャべリ的スタンスだからなあ、、。
この建築保全に関しては、ほかに書いたからここには書かない。
2009/02/27
100【各地の風景】京都の街並み本物偽物?
当時の逓信省営繕課科の建築家・岩元禄のデザインで、NTTのものとなってから修復して記念的建築として貸しビルのようにして使っている。となりに典型的な電話局建築が建っていて、そちらがメインの機能らしい。
これについている抽象化した裸婦像二つについて、岩元デザインの東京青山電話局にもつける予定だったのを、そちらはつかないで建っていたが今はもうその建物はない。
その裸婦のトルソの粘土模型を、岩元の下で作ったという山口文象の話がある。山口の話では岩元と山口はかなり深い付き合いだったから、そんなこともあったかもしれないが傍証はない。山田守もこのトルソの粘土模型を作った話をしているが、こちらはありそうな話だ。
中立売通りは狭い道で、これが建った当時は木造の町屋が立ち並んでいたろうから、モダニズムにあこがれる時代、新しい物好きの京都ではあったにしても、その町並みの中では異様な風景だったろうと思う。
三条通りに中京郵便局があるが、こちらは1902年竣工の赤レンガにコーナーストーンのネオルネッサンスというのか様式建築である。
ただしこれは1978年に道側の1スパンだけ保全してそのほかは建替えているから、いわばハイブリッド建築である。これにしてもその頃の京都の町並みとしては威容というよりも、むしろ異様であったろう。
三条通りにはこれが嚆矢だったのだろうか、いくつもの洋式建築が建っていて、新らし物好きの京都人らしいのだが、今はそのレトロ性が商業性を持ってきている。
その三条通りと烏丸通りの角に立派な赤れんがネオルネサンス様式の、実に堂々たるみずほ銀行の建物がある。
三条通りのたくさんの歴史的建造物について写真入り解説板が、これもまた三条通りの洋式建築の京都文化博物館の前に建っているのだが、意外にもそこにはこのみずほ銀行の建物については何の解説も無いのである。
中京郵便局よりも博物館より立派なそれがなぜか。
はたと思いついた。そう、あれはもう10年も前であったか、京都第一勧業銀行の様式建築が建て替えされたのだが、それは外観は元のデザインままに再現して建て、内部を3階建てだったのを4階建てにして床を増やしたというのである。
建築家や建築史家たちが、それは偽物つくりなので建て替え反対と騒いだことがあったが、これがそれであったかと気がついた。
それにしてもこの偽物は、本物という中京郵便局や文化博物館よりも本物らしく見えるのに、冷遇されるのはなぜだろうか。
街並みにおける景観としては、その二つの建物よりもはるかに忠実に保存しているではないか。工事中を除いて、街並み景観に関して時間的断絶は無いのである。
中京郵便局は裏手に回ると全く今風のビルだが、みずほ銀行はとことん昔のままである。
それでも冷や飯を食わされるのは、何かがおかしいと考え込んでいる。これもまた京都は新し物好きだからか。
時間的断絶のある丸の内の三菱1号館の再現との違いを考えている。
参考→怨念の景観帝国
https://sites.google.com/site/machimorig0/entsuji
2009/02/22
099【京都見物】能「田村」そっくりの幻想の清水寺
1日目はバスで動いたが、上賀茂神社の社家町(重伝建地区)、西陣電話局(岩元禄設計)を見た。
一条戻り橋の晴明神社を訪ね、夜はRIA時代の旧友たちと町屋の料理店(秦家)で遅くまで話し飲み、烏丸御池のホテルに泊まった。
2日目は地下鉄北大路駅から歩き出し、加茂川を飛び石で渡り(ちょっと怖かった)、岩倉の円通寺で庭を見て、借景問題で考えることあり(→怨念の景観帝国 )
電車で鞍馬駅まで行って、小雨の中を歩いて鞍馬寺の本院までよたよた登る。
時刻はすでに15時15分、ちょっと迷ったがままよっとばかり山道を奥の院へ登り、貴船の鞍馬西門にむけてくだる。この間、寺の人を別にして鞍馬山中で行交ったのは女6人、男2人であった。
西門から貴船神社奥宮まで往復してきたら、夕暮れになった。
貴船口駅まで歩き電車にのって岩倉で降り、国際会館前駅のそばにある平安教会(山口文象設計、プロポーションよくない)をみて、地下鉄でホテルに帰ってきた。
寒かったが、人の極端に少ない洛北の冬を満喫した。
3日目は、大原に行こうかと思ったが、毎度京都訪問の定番コース東山に行こうと、京都駅から歩き出す。
土曜日でさすがに人出が多い清水坂の混雑を避けて、大谷本廟から鳥辺山の墓地を抜けて登れば、閑静なものである。
三寧坂、二年坂から八坂に抜けてバスに乗り、帰宅の途についた。
◆
清水寺の舞台の手前で鳥辺山方面を眺めていたら、同年くらいの男が横に立って、「清水はいま工事ばかりです」という。
なるほど、見渡せば、舞台の足元はブルドーザーがうなっているし、子安の塔には足場が組まれている。
おお、そうですねえ、と言いつつ見れば、その人は清水寺の人らしい仕事着である。
「花守ですか」としゃれようかと思ったが、まだ花には早い。
「こちらのお寺の方ですか、よろしければ教えてください」
そして話は、この寺を創建した坂上田村麻呂のこと、見渡す眺めの音羽山や鳥辺山、遠くの東寺など名所を教えてくれる。
10分ばかりすると時計を気にしている様子、質問を切り上げてお礼を言うと、人ごみの中を田村堂の方にそそくさと消えた。
おお、これは、能「田村」の前場に、まるでそっくりである。
能では、東国から旅の僧(ワキ)が京にやってくる。折から花のさかりの清水寺を訪ね、そこに現れた箒をもった童子(前シテ)を見て、「花守か」と問うのである。
能のこの前シテは「花守の宮つ子」と答え、問われるままに清水寺や地主権現の由緒を語り、眺め渡す景色の名所教えをして、忽然と田村堂の中に消えるのだ。
わたしは本堂舞台、地主権現、子安の塔、音羽の瀧と一巡して元に戻り、順路と逆に入り口から出ると、どうもありがとうの声に2,3歩行って振り向けば、先ほどの人がにっこり笑って手を上げている。拝観券のチェックをしているのだった。
「門番の宮つ子」の彼は、田村堂のそばに立って見送ってくれる。こちらも手と笑顔で答え、清水を後にした。
能のように夜までここに居たらば、坂上田村麿(後シテ、観世流の能ではこう書いてサカノウエノタムラマルと発音する)の姿で出現して、戦いの様子を語り舞ってくれたかもしれないなあ。
そういえば今回は、「田村」と「熊野」の清水寺、「鞍馬天狗」の鞍馬、「金輪」の貴船(安倍晴明も登場)、「賀茂」の上賀茂神社と、図らずも能楽の現地を訪ねる旅であった。
京都はどこを訪ねても、そういう歴史舞台であるということだろう。
2009/02/17
098【お遊び】マーマレードを作る
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毎年今頃になると、九州福岡の糸島郡志摩町に住む畏友が、自家屋敷林で採れるアマナツをどさっと送ってくれる。
栽培しているのではないらしいが、広大な庭というか畑というか山林みたいなところに毎年たくさんできてしまうのである。もちろん無農薬だから、マーマレードに最適である。
無農薬甘夏でマーマレードを作るレシピは、WEBサイトにいろいろとあって、どれが正解というのではなかろうが、めんどくさくなさそうなのを見つけて適当に作るのである。
毎年やっているが、いつも硬くなってしまうので、しかたないから市販のマーマレードと半々くらいに混ぜて食べると、市販の甘さとこちらの苦さがちょうどよい加減になる。
今年は硬くなりすぎないうちにと早めに火を止めたが、まあまあか。
わたしの食べ方は、毎朝の紅茶にドバッといれるロシアンティーである。畏友に感謝しつつ飲む。今朝の紅茶は美味い。
その畏友のサイト●オチコボレは自立する
●追加記入(090331)
上のように書いていたら、当の畏友がこれを読んで次のような抗議文を、アマナツ10数個つきでよこした。
「ひとつだけ、抗議というか、反論というか、弱気な訂正というか、すこし言い訳をしますと、栽培しているつもりなのです。収穫後剪定(我流ですが)をし、下草を刈り、旨みが出るというのでアブラカスを20キロ×8俵ぐらい、アマナツ6本、ハッサク2本に、二度に分けてやっています。もうひとつ言うと広大ではありません。少しよい感じの風景は、20mから40mぐらいの楠、欅、樫、楢などの樹があって、落ち着けるところだということです。その太い枝を少しづつ戴いて、暖房用の薪にしています」
おお、そうか、しっかり栽培していらっしゃるのですね、失礼をお詫びします。
だって、いい加減に放っているのになりすぎて困る、なんていつも愚痴をこぼすんだもの、あれは大兄一流の農の腕前自慢だったのですねえ、マイッタ。
でも、あの屋敷地は広大ですよ、こちらの鼠の額のベランダから思いを馳せると、、、。
というわけで、「栽培しているのではないらしいが」ってところは、「上手に栽培するものだから」と訂正してお詫びします。
さて、その抗議文付録アマナツは、美味いのである。来年もよろしく。
2009/02/16
097【横浜ご近所探検】哀しきは寿町といふ地名と詠むホームレス歌人
哀しきは寿町といふ地名長者町さへ隣にはあり
(ホームレス)公田耕一
これは2009年2月16日朝日新聞朝刊の朝日歌壇入選(高野公彦選)の投稿である。
そうですとも公田さん、近くには福富町、黄金町、真金町なんてお金のたまる街も、永楽町とか不老町とか健康に長生きする街もありますよ。
埋め立てして街を作ったときに、街に住む人の幸せを祈念してつけた町名なんでしょうね、でも、そうなったのかしら。
こんなにおめでたい町名なのに、マンション寿町なんて販売しているって聞いたこともない。
黄金マンションとかマンション永楽・真金なんて名前の分譲共同住宅も一向にないのが不思議、わざと命名を避けている哀しき地名。
街のイメージは名前じゃなくて、その背負う歴史で決まる。そのうちに歴史も変わるだろうが、まだそれらは負のイメージを引きずっている。
同じ朝日新聞の社会面に「ホームレス歌人さん、連絡求ム」との見出しで、この歌詠みがこれまでに何度も入選しているが、連絡がとれないとの記事がある。寿町の簡易宿泊所でその日暮らしか、それとも労働福祉会館の庇の下で野宿か。
それにしても、このドヤ街はいつまで持続するのか。持続することがよいことか。
日本の住宅政策が社会政策ではなくて経済政策であったことの歪みが、この寿町には見事に現出している。
参照→◆地域の持続可能とはなにか 095貧困な住宅政策
◆横浜ご近所探検隊が行く
(ホームレス)公田耕一
これは2009年2月16日朝日新聞朝刊の朝日歌壇入選(高野公彦選)の投稿である。
そうですとも公田さん、近くには福富町、黄金町、真金町なんてお金のたまる街も、永楽町とか不老町とか健康に長生きする街もありますよ。
埋め立てして街を作ったときに、街に住む人の幸せを祈念してつけた町名なんでしょうね、でも、そうなったのかしら。
こんなにおめでたい町名なのに、マンション寿町なんて販売しているって聞いたこともない。
黄金マンションとかマンション永楽・真金なんて名前の分譲共同住宅も一向にないのが不思議、わざと命名を避けている哀しき地名。
街のイメージは名前じゃなくて、その背負う歴史で決まる。そのうちに歴史も変わるだろうが、まだそれらは負のイメージを引きずっている。
同じ朝日新聞の社会面に「ホームレス歌人さん、連絡求ム」との見出しで、この歌詠みがこれまでに何度も入選しているが、連絡がとれないとの記事がある。寿町の簡易宿泊所でその日暮らしか、それとも労働福祉会館の庇の下で野宿か。
それにしても、このドヤ街はいつまで持続するのか。持続することがよいことか。
日本の住宅政策が社会政策ではなくて経済政策であったことの歪みが、この寿町には見事に現出している。
参照→◆地域の持続可能とはなにか 095貧困な住宅政策
◆横浜ご近所探検隊が行く
2009/02/15
096【言葉の酔時記】日本の姓名ランキングでわたしは997位
日本の姓で一番多いのは「佐藤」だそうだ。ということは藤原氏の末裔が多いのかしら。WEBサーフィンしていたら、「同姓同名辞典」なるサイトに行き当たって知ったのだ。
これは 1時期デジタルデータ公開されたNTT電話帳を基にしたそうだから、最新ではないし、電話所有主だから世帯主が多いから男性に偏っているし、若い人も少ない。
同姓同名はあまり意味はなさそうだが、姓や男名前の傾向は分かる。
姓のランキングは多い順に、佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、山本、渡辺、中村、小林、加藤がベストテンである。
わが姓(伊達)は997位に登場している。姓は全部で131481種あるから、意外に上のほうのランキングにいる。 伊達の前後には、境、 神原、松橋、野間、辻村、持田とある。
これらは素直に読めるが、わが姓はとても素直には読めないのにこのあたりにあるのが不思議だ。
1名(1世帯か)しかない姓が31836もあって、それらはほとんど読めない。珍しすぎる姓も、生活に不便であろう。わたしぐらいの珍しさが、ちょうどよい。
男名前のベストテンは、清、勇、茂、博、実、進、弘、正、勝、隆の順である。もっとも、最近はこんな平凡な名前をつけないから、近い将来にはずいぶん異なるランキングになるに違いない。
佐藤姓で思い出したが、知人に名が利夫という人がいて、砂糖と塩だって。
これは 1時期デジタルデータ公開されたNTT電話帳を基にしたそうだから、最新ではないし、電話所有主だから世帯主が多いから男性に偏っているし、若い人も少ない。
同姓同名はあまり意味はなさそうだが、姓や男名前の傾向は分かる。
姓のランキングは多い順に、佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、山本、渡辺、中村、小林、加藤がベストテンである。
わが姓(伊達)は997位に登場している。姓は全部で131481種あるから、意外に上のほうのランキングにいる。 伊達の前後には、境、 神原、松橋、野間、辻村、持田とある。
これらは素直に読めるが、わが姓はとても素直には読めないのにこのあたりにあるのが不思議だ。
1名(1世帯か)しかない姓が31836もあって、それらはほとんど読めない。珍しすぎる姓も、生活に不便であろう。わたしぐらいの珍しさが、ちょうどよい。
男名前のベストテンは、清、勇、茂、博、実、進、弘、正、勝、隆の順である。もっとも、最近はこんな平凡な名前をつけないから、近い将来にはずいぶん異なるランキングになるに違いない。
佐藤姓で思い出したが、知人に名が利夫という人がいて、砂糖と塩だって。
2009/02/13
095【くたばれマンション】貧困な日本の住宅政策が名ばかりマンションをつくる
なんでも名ばかりマンションが売れる気配らしい。
不景気で売れないから、値下げや投売りが出てきているのと、購入に当って減税措置が拡大されたのだそうだ。
まったく困ったものである。
まず第1の問題は、わたしが言うところの名ばかりマンションは、大地震がきたらたちまちに困ることになる可能性が高い危険なる代物なのに、政策はその購入を支援しているのである。
第2の問題は、なぜ持家購入の借金返済には減税して、借家の家賃には減税しないのか。まったくもって不公平である。
日本には住宅政策はなくて、経済政策だけがある。
横浜に寿町という、いわゆるドヤ街がある。東京の山谷、大阪の釜が崎とならぶ、簡易宿泊所と呼ぶ実情は超零細アパートメントビル街である。
約6ヘクタールの街に約6400人のドヤ住人たちが寝起きしているが、人口密度を計算するとヘクタールあたり1000人を超える超過密である。それに高齢化も押し寄せて、今や労働者の街から介護の街になりつつある。
わたしは寿町の近くに住んでいてよく通るし、この地域の新展開を目指すホステルビレッジ事業者に案内してもらって体験宿泊もしている。
かつて若くて体力のあった港湾荷役労務者たちがその後に建設労働者となり、仕事が減り高齢化して労働能力が下がったままにずるずると暮らし続けて老いているのだ。
50歳以下は極端に少なく、65歳以上の高齢化率は31.5%(2005年)、9割は男単身世帯である。高齢者が多いから病人も多いという。日雇いだったから健康保険も年金もない。8割の世帯が生活保護費を受給している有様である。
簡易宿泊所数は118棟、8461 室、宿賃は1室ネット約5㎡(3畳)で2200円/日である。実質的には住んでいるのだから月66000円、つまり13000円/㎡・月の家賃である。このあたりのワンルームマンションの家賃相場は3~4000円/㎡・月だから超高額である。
実態的に超高額超低級アパートメントに住む人たちに、その家賃として生活保護費を支給していることになり、つまりその超収益不動産経営者を公的資金で支えていることになる。奇妙な構造である。
この地域の歴史的背景は複雑なものがあるが、ここには日本の住宅政策が社会政策ではなくて、経済政策としてしてきた歪みが見事に現れている。
日本に社会政策として住宅政策があったなら、当然のことにこの地域に公営住宅を建設して、これらの人たちをいれていただろう。
まあ、麻生さんも小沢さんも、借家住まいをしていないことはたしかだろう。
参照→085借家か持家か 059怖い大規模名ばかりマンション
横浜ご近所探検隊が行く
不景気で売れないから、値下げや投売りが出てきているのと、購入に当って減税措置が拡大されたのだそうだ。
まったく困ったものである。
まず第1の問題は、わたしが言うところの名ばかりマンションは、大地震がきたらたちまちに困ることになる可能性が高い危険なる代物なのに、政策はその購入を支援しているのである。
第2の問題は、なぜ持家購入の借金返済には減税して、借家の家賃には減税しないのか。まったくもって不公平である。
日本には住宅政策はなくて、経済政策だけがある。
横浜に寿町という、いわゆるドヤ街がある。東京の山谷、大阪の釜が崎とならぶ、簡易宿泊所と呼ぶ実情は超零細アパートメントビル街である。
約6ヘクタールの街に約6400人のドヤ住人たちが寝起きしているが、人口密度を計算するとヘクタールあたり1000人を超える超過密である。それに高齢化も押し寄せて、今や労働者の街から介護の街になりつつある。
わたしは寿町の近くに住んでいてよく通るし、この地域の新展開を目指すホステルビレッジ事業者に案内してもらって体験宿泊もしている。
かつて若くて体力のあった港湾荷役労務者たちがその後に建設労働者となり、仕事が減り高齢化して労働能力が下がったままにずるずると暮らし続けて老いているのだ。
50歳以下は極端に少なく、65歳以上の高齢化率は31.5%(2005年)、9割は男単身世帯である。高齢者が多いから病人も多いという。日雇いだったから健康保険も年金もない。8割の世帯が生活保護費を受給している有様である。
簡易宿泊所数は118棟、8461 室、宿賃は1室ネット約5㎡(3畳)で2200円/日である。実質的には住んでいるのだから月66000円、つまり13000円/㎡・月の家賃である。このあたりのワンルームマンションの家賃相場は3~4000円/㎡・月だから超高額である。
実態的に超高額超低級アパートメントに住む人たちに、その家賃として生活保護費を支給していることになり、つまりその超収益不動産経営者を公的資金で支えていることになる。奇妙な構造である。
この地域の歴史的背景は複雑なものがあるが、ここには日本の住宅政策が社会政策ではなくて、経済政策としてしてきた歪みが見事に現れている。
日本に社会政策として住宅政策があったなら、当然のことにこの地域に公営住宅を建設して、これらの人たちをいれていただろう。
まあ、麻生さんも小沢さんも、借家住まいをしていないことはたしかだろう。
参照→085借家か持家か 059怖い大規模名ばかりマンション
横浜ご近所探検隊が行く
2009/02/09
094【怪しいハイテク】盲人案内用ロボット「ひとみ」はいつ完成するだろうか
→今もし失明したら
博士の家の近くの住宅街に住む、目の不自由な主婦が「ひとみ」をつかって街を歩きたいそうである。
そこで、「ひとみ」にあらかじめ進むべきコースを覚えさせる必要があり、博士が現地でその準備とテストをするというので、わたしが助手として手伝いに行った。
「ひとみ」は、電動車椅子に乗せたデジタルカメラが見るコースを、コンピューターで走行方向を制御しつつ進行する。
カメラやコンピューターのことはわたしは分からないから、コースに進行目印の白線を貼ったり、道のデコボコを土方工事で直したり、車いすを押したりひいたりするのが助手の役目である。つまり、博士は頭脳労働、わたしは肉体労働担当である。
もうひとつ重要な役目は、われらが御茶ノ水博士(覚えていますか、鉄腕アトムの生みの親)も歳とったので、そばでわたしが彼のやることを忘れぬように復唱するのである。
といっても、こちらも物覚え悪い老人だから、あまり信用はならないが、居ないよりはましである。
ロボット「ひとみ」は、なんというか、聞き分けがよいのか悪いのか分からない子である。
博士が一生懸命にコースを教えているのに、玄関から一向に動きだそうとしない。
なんどコンピューターで教えても動かない。博士はそれでも嫌がらずに何度も教える。どうしてだろうか、動かないなあ。
博士が一生懸命にコースを教えているのに、玄関から一向に動きだそうとしない。
なんどコンピューターで教えても動かない。博士はそれでも嫌がらずに何度も教える。どうしてだろうか、動かないなあ。
と、突然、博士が叫ぶ「あ~ッ分かったッ、車いすモーターの電源が入っていなかったあ」 ん、もう、テレビだって電源が入っていないと写らないんだよ。
その様子はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=XC576GQxjtg&t=24s
その様子はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=XC576GQxjtg&t=24s
そうやってひとみは道を覚えつつ、だんだんと街に出て行く。街にはいろいろな障害物があるので、助手はそれを直したり除去したりする。
博士が予想しないひとみの逸脱行動もあるので、その原因を探してつぶしていく。
太陽の照り具合、生垣の育ち具合さえも関係する。幼児を連れて歩くと、道端にあるものにひょいとそれていくアレである。手間もかかるが、面白くもある。
博士が予想しないひとみの逸脱行動もあるので、その原因を探してつぶしていく。
太陽の照り具合、生垣の育ち具合さえも関係する。幼児を連れて歩くと、道端にあるものにひょいとそれていくアレである。手間もかかるが、面白くもある。
いずれコースを教えつくしたなら、そこを自動で進む「ひとみ」につかまって、眼の不自由なその主婦は近くに散歩や買い物に行くのだ。さてその日はいつだろうか、。
2009/02/04
093【歴史・文化】東京の歌舞伎座の改築の姿はどうなるんだろうか
東京東銀座にある歌舞伎座を建替えるそうである。
東京駅が昔の形に復原、中央郵便局は後ろに超高層を建ててファサード保全、さて今度はどうするのかと発表された絵を見たら、何にも特徴のない超高層ビルが後ろに建っていて、それはそれで中央郵便局のような紙ヒコーキデザインよりもよいのだが、ご本尊の歌舞伎座の方は今の形のイメージ継承とでも言うのか壁面からは過剰な装飾をそぎ落としているが、入母屋風の屋根があって、玄関には唐破風が付くらしい。
その絵を見てのわたしの第1印象は、おお、これは妻木頼黄設計の昔の勧業銀行本店そっくりだなあ、ってことであった。もっとも、妻木のほうがプロポーションが若干よい。丸の内にあったこの建物は、数奇の変転を経て今は千葉トヨペットって名の企業の本社建物になっているそうだ。
計画は伊藤滋委員長(相撲協会理事でお忙しいことでしょう)、設計は三菱地所、デザインは隈研吾という組み合わせらしい。
今の形で再現か、戦災前の形に復元か、いやその前の形か、いやいやその前の初代の姿に復元か、いや現代のモダンデザインがよろしいとかなんとか、かまびすしいことになっているのか、なっていないのか、よくわからない。
さて、銀行協会、工業倶楽部、東京駅、三菱1号館、中央郵便局とあれこれあってここまで来ると、建築史学者・保存派建築家はとにかく復元さえすれば何でもよろしい一本やり石頭から、少しは利口になって世の歴史の流れというものを考える時代になっているかしら、。
歌舞伎座は彼らにとって、一種の踏み絵となりそうである。
これら6つ並べて、さてどれが一番で、どれがビリケツでしょうか、なんて。

それにしても隈研吾って、何でもありの便利な人だなあ。
隈の名を見ると、ドリックオーダーがどーんと建っているバブルデザイン店舗(今は葬儀会館になっているとか)をいつも思い出す。
そういえば、石原都知事が、風呂屋みたいでいやだって、デザインにイチャモンつけたとか。
浮世風呂も歌舞伎小屋も、出自の猥雑さに大して違いはなかろうに、見下されて差別されちゃった。
参考→東京駅復元反対論
東京駅が昔の形に復原、中央郵便局は後ろに超高層を建ててファサード保全、さて今度はどうするのかと発表された絵を見たら、何にも特徴のない超高層ビルが後ろに建っていて、それはそれで中央郵便局のような紙ヒコーキデザインよりもよいのだが、ご本尊の歌舞伎座の方は今の形のイメージ継承とでも言うのか壁面からは過剰な装飾をそぎ落としているが、入母屋風の屋根があって、玄関には唐破風が付くらしい。
その絵を見てのわたしの第1印象は、おお、これは妻木頼黄設計の昔の勧業銀行本店そっくりだなあ、ってことであった。もっとも、妻木のほうがプロポーションが若干よい。丸の内にあったこの建物は、数奇の変転を経て今は千葉トヨペットって名の企業の本社建物になっているそうだ。
計画は伊藤滋委員長(相撲協会理事でお忙しいことでしょう)、設計は三菱地所、デザインは隈研吾という組み合わせらしい。
今の形で再現か、戦災前の形に復元か、いやその前の形か、いやいやその前の初代の姿に復元か、いや現代のモダンデザインがよろしいとかなんとか、かまびすしいことになっているのか、なっていないのか、よくわからない。
さて、銀行協会、工業倶楽部、東京駅、三菱1号館、中央郵便局とあれこれあってここまで来ると、建築史学者・保存派建築家はとにかく復元さえすれば何でもよろしい一本やり石頭から、少しは利口になって世の歴史の流れというものを考える時代になっているかしら、。
歌舞伎座は彼らにとって、一種の踏み絵となりそうである。
これら6つ並べて、さてどれが一番で、どれがビリケツでしょうか、なんて。
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それにしても隈研吾って、何でもありの便利な人だなあ。
隈の名を見ると、ドリックオーダーがどーんと建っているバブルデザイン店舗(今は葬儀会館になっているとか)をいつも思い出す。
そういえば、石原都知事が、風呂屋みたいでいやだって、デザインにイチャモンつけたとか。
浮世風呂も歌舞伎小屋も、出自の猥雑さに大して違いはなかろうに、見下されて差別されちゃった。
参考→東京駅復元反対論
2009/02/03
092【くたばれマンション】大不況が隣に迫ってきて名ばかりマンション工事がストップした
わが家のあるビルの隣に、昨年の春ごろから建設が始まった共同住宅は、延床9000㎡、 180戸、高さ31mの結構大きいビルである。
なんだか最近は工事騒音が聞こえないなあと思っていたのだが、その工事が、このところ止まっているらしい。
いつも通行に邪魔な工事車両が出入りしないし、2階床までのコンクリートうちが終わって型枠もはずしたのに、そこから鉄筋が立ちっぱなしで更に上の階へと型枠を組む様子がない。
周りをグルッと見ると、現場事務所が閉じているし、デシベル数値が大きく表示されていた騒音計にも蓋をしたままだ。
おお、わが家のお隣までも不況が迫ってきたぞ。資金繰りがつかないのだろうか、工事ストップだ。
まあ、静かになって助かるが、このまま立ち腐れになるのも、ヘンな雰囲気で困る。
●追記(2009年4月3日)
なんだか最近は工事騒音が聞こえないなあと思っていたのだが、その工事が、このところ止まっているらしい。
いつも通行に邪魔な工事車両が出入りしないし、2階床までのコンクリートうちが終わって型枠もはずしたのに、そこから鉄筋が立ちっぱなしで更に上の階へと型枠を組む様子がない。
周りをグルッと見ると、現場事務所が閉じているし、デシベル数値が大きく表示されていた騒音計にも蓋をしたままだ。
おお、わが家のお隣までも不況が迫ってきたぞ。資金繰りがつかないのだろうか、工事ストップだ。
まあ、静かになって助かるが、このまま立ち腐れになるのも、ヘンな雰囲気で困る。
●追記(2009年4月3日)
とうとう工事が全面ストップしたようだ。
2階床までコンクリートうちしたままで、現場事務所も足場もクレーンも全部はずして、回りに板囲いだけになった。
2階床から立ち上がっている鉄筋には、ビニールらしきもので雨にぬれてさびないようにしている。
もう、誰も居ない。さてどうするのだろうか。
これは工事業者のものなのか、発注した不動産屋(プロパストと書いてある)のものか。誰が管理するのだろうか。
そのうちにはげたかファンドが買い叩いて工事再開するのだろうか。
2009/02/02
091【言葉の酔時記】AED(A安心E延命D電撃器)がしゃべる説明がさっぱりわからない
AEDなる器械の講習会に参加した。なんでも、道端に人が倒れて意識不明なら、これを使って生き返らせる器械らしい。
日本語ではなんとかかんとかジョサイドウなんとかかんとかというらしいが、覚えられない。 A安心E延命D電撃器としておこう。
以下、講習会の講師の人の言葉と、機械の言葉であるが、実によく分らないのであった。
人が倒れているの観たら、まず、こう言いなさい。
「あっ、人が倒れている、人工呼吸だ、」
これくらいは、私も分る。心臓マッサージもやるのであったか、けっこう力が要る仕事である。
次に、マッサージしながら野次馬にこういうのだ、
「あなたっ、見てないでスグ119番して救急車呼んでッ、そっちの人ッ、AEDを探して持ってきてッ」
AEDってのを近頃は学校や公的施設などにはおいてあるのだそうだ。
まあ、それを探して持ってきた人がいるとして、次はそれを使うのであるが、講師の消防署員がいうには、
「器械のしゃべる通りにすれば分かります」
AEDは、ノートPCくらいの大きさで、表面にタッチボタンがいくつもついていて、電線がぶらさがる2枚の手のひら大の小判型粘着シートもある。
器械がしゃべる。
「パッドをコネクターでセツゾクしてください」
え、パッドって、なに?、コネクターって?、セツゾクって?
消防署員に聞けば、パッドとはその小判型の粘着シートのことで、コネクターとはそれにぶら下がる電線のことで、セツゾクとは電線の端っこを器械のボタンが点滅しているところに差し込むことだそうだ。
じゃあ、こういってもらいたいね。
「電線の端っこを灯りがついているところに差し込んでください」
次に器械がまたしゃべる。
「パッドをカンジャにソウチャクしてください」
エッ?、また聞けば、カンジャとは倒れている人のことで、患者らしいし、ソウチャクとは1枚を右肩にもう1枚を左横腹にはりつけることだそうだ。
なるほど、小判型シートに、それを貼り付ける位置の絵が描いてある。
世間では患者って、病院にいる病人のことで、道端に倒れている人を患者とは思わないよなあ。
ソウチャクとは装着らしいが、背中に肩こりの貼り薬を装着してくれ、なんて言うか?
この器械は、なんで普通の日本語でしゃべらないのか? これもPCのマニュアルみたいに、おバカ技術者が直訳したんだろう。困ったもんだ。
まあ、そうやってまた声にしたがって点滅するボタンを押せば、貼り付けた2枚のシートの間に電気が流れて、止まりそうな心臓をビリビリドカン電撃一発!、失神からビックリ起こす。
1回で起きなければ何回も繰り返すのだそうだ。 なんだか乱暴な。
でも、そのAEDはひとりの人に専用に使うのだそうだ。こっちが生き返ったから次はそっちだと、数人にひとつのAEDを使いまわしてはいけないのだって。
となると、例えば道端にわたしと若い美女とが倒れていたとする。もちろん偶然に通りがかりで、え~と、そう、突然雷が落ちてきたのだ。
さて、AEDがひとつしかないとなると、う~ん、わたしの助かる確率はかなり低いなあ。
AあなたをE選ぶ(選ばない)D電撃器ってか、。
日本語ではなんとかかんとかジョサイドウなんとかかんとかというらしいが、覚えられない。 A安心E延命D電撃器としておこう。
以下、講習会の講師の人の言葉と、機械の言葉であるが、実によく分らないのであった。
人が倒れているの観たら、まず、こう言いなさい。
「あっ、人が倒れている、人工呼吸だ、」
これくらいは、私も分る。心臓マッサージもやるのであったか、けっこう力が要る仕事である。
次に、マッサージしながら野次馬にこういうのだ、
「あなたっ、見てないでスグ119番して救急車呼んでッ、そっちの人ッ、AEDを探して持ってきてッ」
AEDってのを近頃は学校や公的施設などにはおいてあるのだそうだ。
まあ、それを探して持ってきた人がいるとして、次はそれを使うのであるが、講師の消防署員がいうには、
「器械のしゃべる通りにすれば分かります」
AEDは、ノートPCくらいの大きさで、表面にタッチボタンがいくつもついていて、電線がぶらさがる2枚の手のひら大の小判型粘着シートもある。
器械がしゃべる。
「パッドをコネクターでセツゾクしてください」
え、パッドって、なに?、コネクターって?、セツゾクって?
消防署員に聞けば、パッドとはその小判型の粘着シートのことで、コネクターとはそれにぶら下がる電線のことで、セツゾクとは電線の端っこを器械のボタンが点滅しているところに差し込むことだそうだ。
じゃあ、こういってもらいたいね。
「電線の端っこを灯りがついているところに差し込んでください」
次に器械がまたしゃべる。
「パッドをカンジャにソウチャクしてください」
エッ?、また聞けば、カンジャとは倒れている人のことで、患者らしいし、ソウチャクとは1枚を右肩にもう1枚を左横腹にはりつけることだそうだ。
なるほど、小判型シートに、それを貼り付ける位置の絵が描いてある。
世間では患者って、病院にいる病人のことで、道端に倒れている人を患者とは思わないよなあ。
ソウチャクとは装着らしいが、背中に肩こりの貼り薬を装着してくれ、なんて言うか?
この器械は、なんで普通の日本語でしゃべらないのか? これもPCのマニュアルみたいに、おバカ技術者が直訳したんだろう。困ったもんだ。
まあ、そうやってまた声にしたがって点滅するボタンを押せば、貼り付けた2枚のシートの間に電気が流れて、止まりそうな心臓をビリビリドカン電撃一発!、失神からビックリ起こす。
1回で起きなければ何回も繰り返すのだそうだ。 なんだか乱暴な。
でも、そのAEDはひとりの人に専用に使うのだそうだ。こっちが生き返ったから次はそっちだと、数人にひとつのAEDを使いまわしてはいけないのだって。
となると、例えば道端にわたしと若い美女とが倒れていたとする。もちろん偶然に通りがかりで、え~と、そう、突然雷が落ちてきたのだ。
さて、AEDがひとつしかないとなると、う~ん、わたしの助かる確率はかなり低いなあ。
AあなたをE選ぶ(選ばない)D電撃器ってか、。
2009/01/30
090【世相戯評】景観帝国主義
でも、こんなことをいっている人もあることを雑誌で読んだ。
「東京をはじめ、日本景観てコントロールされていないじゃないですか。行政も民間も個人も片っ端から身勝手につくっていった日本の街には、電柱がお似合いと思うんです。電柱のない新興住宅地を見ていても、一戸一戸が非常に無個性で、町になると味気なくてつまらない。そのつまらなさをナントカしていたのが電柱や電線だったと思います。周囲との融和を考えていない住宅があれだけたつ中、ゴチャッと電柱群があることで、緩和しているのですね。だからそういう電柱をなくすとは何事かと(笑)。日本の街並みが美しければ、たしかに電柱は邪魔かもしれませんが、無秩序な街を無秩序でもって排しているほうがまだいいと思います。」(庵野秀明 「建築雑誌」2009.01 新景観対談)
アナーキーなような常識的なような、真面目なようなひねくれたような話なので、ご当人がなにが本気なのか分からないが、かなり面白い。
そういえば、むかしは電柱と電線は文明開化のシンボルで、地域の誇らしい景観だった。日本橋通り→本郷など、明治期東京の名所写真や絵には、ものすごい電線がある。
ところが、電柱電線は醜いから排除しろとか、ゴチャゴチャ看板は汚いから統一しろとか、街なみはスペイン風にせよとか、いや和風で統一しろとか、今や景観帝国主義様がお通りの感があることも事実であり、それはもちろん景観無政府主義が蔓延する日本であるからだ。
この対談のある雑誌には、コンビナート工場の配管を見るとか、高速道路インタチェンジを下から見あげるとか、水門ばかり見るとか、古い団地を訪ねるとか、そもそも景観ではなくて物マニア見物好きに語らせているのだが、期せずして景観帝国主義批判になるのが面白い。
はじめは腹が減って(あまりに汚くて)何でもいいから食べたい(直したい)から、いまや偏食やイカモノ食いもあって何が悪いの景観論議となって、ひとつの段階に来ているようだ。
東京駅復原反対論や日本橋上空高速道路撤去疑問論やらも、そのうちのひとつなのかしら、。
参照→東京駅復原反対論 ディズニーランド化する都市景観
2009/01/29
089【東京風景】楳図かずのだんだらの家の設計者はだれなんだろうか?
武蔵野市の低層の木造住宅が立ち並ぶ中に、漫画家の楳図かずお自邸が3階建て、赤白だんだら模様の壁面、目玉窓の塔つきという奇抜な意匠で建った。
近所の人が気持ち悪いと塗り直しやらを求めた景観裁判で、訴えた住民側が敗訴したニュースが今朝の新聞にある。
裁判官が言うには、「ちょっとヘンだけどたいしたことないじゃん、周りにもヘンな色の家があるよ」みたいな判決らしい。
写真がそのだんだら家だけ写していて、景観としてどうおかしいのか分からないのが、ニュースの記事としては当を得ていない。
まあ、わたしなら普通の住宅地に住んでいて、隣にこんな家を珍妙な建ててほしくない。一過性のコンセプチュアルアートならまだしもねえ、。
前に鎌倉に済んでいたとき、近所にまっ黄色(うんこ色)の家が建って、毎日いやな感じで前を歩いていたものだ。明らかに風致地区の法令違反だが、訴訟する勇気はなかった。
ところで、新聞でもWEBでもいろいろ見ても、共犯者たるこの家を設計した建築家は、ぜんぜん登場しない。一体どなたの設計なんでしょうか。
メディアもそこまで追っかけないし、読者も知りたいことではないのか。
所詮、日本の建築家はその程度のものである。
あ、そうだ、まち中みんなだんだら模様にしてしまえば、媒図さんも嫌になるのじゃないかしら、って、いや、アーティストの神経は別だからなあ。
近所の人が気持ち悪いと塗り直しやらを求めた景観裁判で、訴えた住民側が敗訴したニュースが今朝の新聞にある。
裁判官が言うには、「ちょっとヘンだけどたいしたことないじゃん、周りにもヘンな色の家があるよ」みたいな判決らしい。
写真がそのだんだら家だけ写していて、景観としてどうおかしいのか分からないのが、ニュースの記事としては当を得ていない。
まあ、わたしなら普通の住宅地に住んでいて、隣にこんな家を珍妙な建ててほしくない。一過性のコンセプチュアルアートならまだしもねえ、。
前に鎌倉に済んでいたとき、近所にまっ黄色(うんこ色)の家が建って、毎日いやな感じで前を歩いていたものだ。明らかに風致地区の法令違反だが、訴訟する勇気はなかった。
ところで、新聞でもWEBでもいろいろ見ても、共犯者たるこの家を設計した建築家は、ぜんぜん登場しない。一体どなたの設計なんでしょうか。
メディアもそこまで追っかけないし、読者も知りたいことではないのか。
所詮、日本の建築家はその程度のものである。
あ、そうだ、まち中みんなだんだら模様にしてしまえば、媒図さんも嫌になるのじゃないかしら、って、いや、アーティストの神経は別だからなあ。
2009/01/25
088【世相戯評】しっかりしておくれよ、アメリカのオバチャン
USA大統領に小浜市が、じゃなくて伯母増し、じゃなくてオバマ氏がなったとて、マスコミは一斉にトップ記事で伝えている。さすがに世界大不況震源の社長が替わって、何をするのか気にかかるか。
わたしの一番の心配は、不況打開策として新たに戦争を起こすかもしれないってことである。なんといってもこれが一番の方策だからだ。特需で産業は活気づくし、あの単純頭の多い国民たちは団結するし、、。
9・11みたいにどこかの国に攻め込んでもらえば、おっぱじめる大義名分がたつから、CIAがその工作をするかもって、おお、いやだ。
日本だって、太平洋戦争後の大不況から立ち直ったのは、1950年から始まった隣の朝鮮戦争のおかげだったのだ。威張れたものではない。
就任式にあんなに大勢が集まるってのが、怖い。集団ヒステリーになる性質の人が多いような気がしてくる。
ま、人気なさ過ぎもまた問題だけど、政治はどっちかといえばその程度のほうが健全なような気がする。
ところで、シュワルツェネガー・カリフォルニア州知事をシュワチャンと日本では呼ぶらしいが、ならばオバチャンCHANGE=オバチャン芸かあ、、。
わたしの一番の心配は、不況打開策として新たに戦争を起こすかもしれないってことである。なんといってもこれが一番の方策だからだ。特需で産業は活気づくし、あの単純頭の多い国民たちは団結するし、、。
9・11みたいにどこかの国に攻め込んでもらえば、おっぱじめる大義名分がたつから、CIAがその工作をするかもって、おお、いやだ。
日本だって、太平洋戦争後の大不況から立ち直ったのは、1950年から始まった隣の朝鮮戦争のおかげだったのだ。威張れたものではない。
就任式にあんなに大勢が集まるってのが、怖い。集団ヒステリーになる性質の人が多いような気がしてくる。
ま、人気なさ過ぎもまた問題だけど、政治はどっちかといえばその程度のほうが健全なような気がする。
ところで、シュワルツェネガー・カリフォルニア州知事をシュワチャンと日本では呼ぶらしいが、ならばオバチャンCHANGE=オバチャン芸かあ、、。
2009/01/24
087【老いゆく私】慣れない台所仕事でうっかり熱い鍋をつかんで火傷した
炒め物をしてすぐに中華鍋を洗おうとして、ちょっと傾いたのを直そうと縁をうっかりつまんでしまった。ウワッ、アチッ、イタ~ッ、すぐに水道の冷水を流しっぱなしで冷やす冷やす、、。
熱い鍋をつまむなんて、やっぱり老いたからだよなあ、なんて考えつつ、冷やす冷やす。母親が80歳を越えた頃によくガスコンロつけッぱなしにするので、電磁熱式コンロに替えたことを思い出す。
親指、人差し指、中指の横腹がちょっとこわばっているが、今のところ水ぶくれも出ていない。でも、箸を持ちにくいし、キーボード打ちもぎこちない。まあ、たいしたことはないだろう。
これも老化現象に違いない。これまで同じような鍋あらいをなんどもしたが、初めてのことだ。だからこれは老いに違いない。
なんでもこれまでにない現象がわが身に起こったら、それはすべて老いのせいと定義することに決めたのだ。
このところ肌が痒くなりやすいのも、昔はそんなことはなかった。
道で転ぶ。昔はそんなことなかった。あ、幼時にはあったな。
目が遠くなった。昔は隣の列車ホームの時刻表が読めたもんだ。
外では不味い食い物ばかりだ。若い頃はなに食っても美味かった。
腹が立ちやすい。昔は何を聞いても見ても優しかったもんだ?
こうして赤瀬川原平の言う老人力がパワーアップしてくるのだろう。
熱い鍋をつまむなんて、やっぱり老いたからだよなあ、なんて考えつつ、冷やす冷やす。母親が80歳を越えた頃によくガスコンロつけッぱなしにするので、電磁熱式コンロに替えたことを思い出す。
親指、人差し指、中指の横腹がちょっとこわばっているが、今のところ水ぶくれも出ていない。でも、箸を持ちにくいし、キーボード打ちもぎこちない。まあ、たいしたことはないだろう。
これも老化現象に違いない。これまで同じような鍋あらいをなんどもしたが、初めてのことだ。だからこれは老いに違いない。
なんでもこれまでにない現象がわが身に起こったら、それはすべて老いのせいと定義することに決めたのだ。
このところ肌が痒くなりやすいのも、昔はそんなことはなかった。
道で転ぶ。昔はそんなことなかった。あ、幼時にはあったな。
目が遠くなった。昔は隣の列車ホームの時刻表が読めたもんだ。
外では不味い食い物ばかりだ。若い頃はなに食っても美味かった。
腹が立ちやすい。昔は何を聞いても見ても優しかったもんだ?
こうして赤瀬川原平の言う老人力がパワーアップしてくるのだろう。
2009/01/21
086【言葉の酔時記】お役所用語は面白くも腹も立つ
都市計画審議会の公募市民委員となって2回目の審議会があった。
1週間前にあらかじめ議案書を送ってきた。議題は8つもあり、読んでもわからないことがあるので、2回にわたって市役所に聞きに行って、延べ10人に話を聞き、縦覧図書を全部見て、現地も全部見てきた。
なにしろこの間に平日は4日間しかないのに、外にも大学や約束や父母の納骨やらあって、えらく忙しいこの1週間だった。
その結果、8つのうち2つの原案に関してその扱いに疑問が残ったので、審議会でしゃべるのに間違わないように紙に書いて出席した。
その詳細は「まちもり通信」に書いているのでごらんいただくとして、お役所用語で面白いことがあった。
都市計画を決める前に、市長がその計画を書いた図書を一般に縦覧して、市民から意見書を出してもらう手続きがある。その意見に対して、都市計画決定権者としての市長が、見解を述べるのである。
その中でおかしかったのは、見解書に「横浜市道路局によれば、云々」と書いてあって、見解を述べる横浜市長が自分の部下に聞いたらこうだったと、そのような書き方が2箇所あることについて、そりゃないでしょう、書き直せ、といったら、面白い市側の答弁(いいわけ)が出たことだ。
「都市計画決定権者の横浜市長と道路事業をする横浜市長は人格が違うからこう書いている」
まあ、役所用語ならそうなんだろうけどねえ、市民感覚としてはなんだか変であるよなあ、。
それなら厳密にこう書いてほしい。
「都市計画決定権者の横浜市長中田宏は、道路事業者の横浜市長中田宏氏に聞いたところ、云々」
こう書いてくれると分かりやすい、、かなあ、よけい分からんか、。
参照→都市計画審議会を改革しよう
→土地区画整理事業は今も有効か
→都計審と生産緑地の不思議
1週間前にあらかじめ議案書を送ってきた。議題は8つもあり、読んでもわからないことがあるので、2回にわたって市役所に聞きに行って、延べ10人に話を聞き、縦覧図書を全部見て、現地も全部見てきた。
なにしろこの間に平日は4日間しかないのに、外にも大学や約束や父母の納骨やらあって、えらく忙しいこの1週間だった。
その結果、8つのうち2つの原案に関してその扱いに疑問が残ったので、審議会でしゃべるのに間違わないように紙に書いて出席した。
その詳細は「まちもり通信」に書いているのでごらんいただくとして、お役所用語で面白いことがあった。
都市計画を決める前に、市長がその計画を書いた図書を一般に縦覧して、市民から意見書を出してもらう手続きがある。その意見に対して、都市計画決定権者としての市長が、見解を述べるのである。
その中でおかしかったのは、見解書に「横浜市道路局によれば、云々」と書いてあって、見解を述べる横浜市長が自分の部下に聞いたらこうだったと、そのような書き方が2箇所あることについて、そりゃないでしょう、書き直せ、といったら、面白い市側の答弁(いいわけ)が出たことだ。
「都市計画決定権者の横浜市長と道路事業をする横浜市長は人格が違うからこう書いている」
まあ、役所用語ならそうなんだろうけどねえ、市民感覚としてはなんだか変であるよなあ、。
それなら厳密にこう書いてほしい。
「都市計画決定権者の横浜市長中田宏は、道路事業者の横浜市長中田宏氏に聞いたところ、云々」
こう書いてくれると分かりやすい、、かなあ、よけい分からんか、。
参照→都市計画審議会を改革しよう
→土地区画整理事業は今も有効か
→都計審と生産緑地の不思議
2009/01/20
085【くたばれマンション】借家か持家か
地下鉄に乗ったらこんな広告に出会った。
曰く
「このまま11万の家賃を払い続けても、後には何~んにも残らない、と、思った時から急に家賃が恨めしくなった。マンション、住み替え、一戸建て、
いい人生に」
曰く
「このまま11万の家賃を払い続けても、後には何~んにも残らない、と、思った時から急に家賃が恨めしくなった。マンション、住み替え、一戸建て、
これはどうも「賃貸住宅はよくないよ、マンションでも、一戸建てでも、買ったほうがいいよ」ということらしい。
別にこの広告主のジャマをする気はないが、わたしはこの広告主とは考え方が、正反対に違うのである。悪しからず。
別にこの広告主のジャマをする気はないが、わたしはこの広告主とは考え方が、正反対に違うのである。悪しからず。
「何~んにも残らない」ので何か残ると思ってうっかりマンションを買うと、どえらいものが残るのである。
それは、借金と危ない家と個人では建て直しもできないミニミニ土地が残るのである。
つまり不良資産を抱えるリスクが大きいのである。
近いうちに確実に起きる関東や東海の大地震で、マンションという大規模区分所有型共同住宅ビルは、倒れるかもしれないし、倒れなくても必ず大被害がおきて、大修繕となるのは専門家でなくてもそれは常識である。
大地震で全く壊れない家なんて、それは莫大な工事費であるし、建つところも地盤の超よいところに限られる。
被災した後、そのビルの持ち主全員が同意し、費用負担し、建て直しや修繕ができるだろうか。
できたとしても借金は積み重なるばかりである。
これは現実に、姉歯事件やその前の阪神淡路大震災で証明されていることである。
姉歯事件では賃貸住宅ビルと分譲住宅ビルがあったが、賃貸ビルはすぐに解決したが、分譲の共同住宅ビルはいまだに建て直しになったのは2件だけらしい。
それにもかかわらず、世の中は分譲マンションを売っているし、買っている。みんな忘れたのかしら。
政府の政策も、持ち家にはローン減税があるのに、借家に家賃減税がないという大不公平である。
だから、分かっていながら(いや、もしかしたら分かっていないのかな)危ない分譲住宅ばかりがはびこる。悪貨は良貨を駆逐するのである。
こんな変な国は、やっぱり日本は発展途上国だな。
政府は、住宅は十分に満ち足りた、もう五カ年計画もやめたって言っているのに、先日の「日比谷派遣村」みたいに、実は住む家のない人がたくさん居るってことがあぶりだされた。ホームレスも大勢見かける。
日本では住宅政策がヨーロッパ先進国のように社会政策ではなくて、アメリカや発展途上国なみの経済政策だからだ。それは住宅政策とは言わない。
だから、アメリカで経済政策としての住宅政策が大失敗して、世界不況になったのだ。
まあ、日本は世界不況を起こすほどの経済力も実はないんだってことが、逆証明されたようなものだ。
2009/01/17
084【世相戯評】食糧とエネルギー
なんだかよく分からないが、ヨーロッパではロシアからパイプラインでやってくるガスが停まったとか停まりそうとか減少したとかで、暖房源が途切れるかして、寒くてたまらないそうだ。
そして、薪を燃やして暖をとっているとかで、その薪用の木材などをとってきて運ぶ姿が新聞の写真に出ている。
ヨーロッパ諸国はロシアにエネルギー源を頼っていることが暴露した。複雑な東欧問題もあって、政治的な解決に苦慮しているらしい。自給能力がないのである。
ヨーロッパ諸国はロシアにエネルギー源を頼っていることが暴露した。複雑な東欧問題もあって、政治的な解決に苦慮しているらしい。自給能力がないのである。
これを見て思ったのは、ひとつは日本の食糧の自給率問題にも通じることである。
アメリカが日本よりも中国やインドに輸出することにしたらどうなるのか。日本の食糧自給率の低さが、このヨーロッパのガス騒ぎと同じような食糧騒ぎにならないという保証は何もない。かなり寒々しい思いがする。
アメリカが日本よりも中国やインドに輸出することにしたらどうなるのか。日本の食糧自給率の低さが、このヨーロッパのガス騒ぎと同じような食糧騒ぎにならないという保証は何もない。かなり寒々しい思いがする。
もうひとつ思ったことは、ヨーロッパの諸都市では水道と同じにパイプを引きめぐらして、各家庭に暖房熱源の蒸気や湯を供給し、これによる暖房が普通になっているらしいので、この供給が止まると震え上がることになることだ。日本のように部屋ごとのエアコンとか、石油ヒーターとか、コタツのような独立的個別暖房ではないらしい。
これもまた自給システムでない問題である。各家庭は菜園を持っていて、ちょっとくらいの食糧は自給できないと、買い物だけに頼っていてはいけないということだろう。
あ、そうだ、ヨーロッパにコタツを輸出したら売れそうだぞ、どうです、パナソニックコタツとかソニーコタツなんて、、。
2009/01/16
083【世相戯評】日本ではスー族が滅亡しかかっている
最近は煙草吸いのスー族どもは、スワン族の迫害にあって、滅亡への道をたどっているようだ。
地下街の一角に店でもなし展示場でもない妙なガラス張り部屋があり、中に男や女数名が勝手な方向を向いてぽかんと立っている。え、ここはなにかの待ち合わせ場所かとよく見れば、みんな煙草を吸っている。つまり喫煙室だった。
中の人たちはそれなりに個別ながら全員同じ目的があってそこに居るのだが、外からそれを見れば檻の中のペンギンみたいに用もなくただ勝手に突っ立っているようだ。
今日も今日とて、歩道の一角になぜか大勢の人が突っ立っていて、その向うに自販機があり、そこにお茶を買いに行ったら分かった。そこが喫煙場所に指定されているらしく、いやもう臭いの煙いのなんの、屋外なのに相当なものである。千代田区は路上での喫煙も指定場所外では禁止なのだ。
屋外でこれなら地下街の部屋はものすごいことだろう。天井はヤニだらけか。
ということは、喫煙者はこの部屋に入れば、自分は煙草吸わなくても十分に喫煙できますな。節約になりますねえ、酒ではこうはいかないよなあ、。
ただ、あの特定の場所に男女が数名、相互に何のつながりもなく、それぞれ勝手に突っ立って勝手な方向へ煙を出すさまは、まあ、ご勝手にどうぞではあるが、なんとなく動物園のペンギンが芸当しているようで異様である。ご当人たちはもちろんお気がついていらっしゃらないだろうが、。
地下街の一角に店でもなし展示場でもない妙なガラス張り部屋があり、中に男や女数名が勝手な方向を向いてぽかんと立っている。え、ここはなにかの待ち合わせ場所かとよく見れば、みんな煙草を吸っている。つまり喫煙室だった。
中の人たちはそれなりに個別ながら全員同じ目的があってそこに居るのだが、外からそれを見れば檻の中のペンギンみたいに用もなくただ勝手に突っ立っているようだ。
今日も今日とて、歩道の一角になぜか大勢の人が突っ立っていて、その向うに自販機があり、そこにお茶を買いに行ったら分かった。そこが喫煙場所に指定されているらしく、いやもう臭いの煙いのなんの、屋外なのに相当なものである。千代田区は路上での喫煙も指定場所外では禁止なのだ。
屋外でこれなら地下街の部屋はものすごいことだろう。天井はヤニだらけか。
ということは、喫煙者はこの部屋に入れば、自分は煙草吸わなくても十分に喫煙できますな。節約になりますねえ、酒ではこうはいかないよなあ、。
ただ、あの特定の場所に男女が数名、相互に何のつながりもなく、それぞれ勝手に突っ立って勝手な方向へ煙を出すさまは、まあ、ご勝手にどうぞではあるが、なんとなく動物園のペンギンが芸当しているようで異様である。ご当人たちはもちろんお気がついていらっしゃらないだろうが、。
2009/01/13
082【世相戯評】新幹線の公衆電話が大きく役に立ってくれた東北の旅
わたしは知らなかったのだが、米沢はNHK大河ドラマの舞台とかで、寒いのに観光客が多かった。
でも、わたしが見たかった米沢の超目玉のお宝「上杉屏風 洛中洛外図」は、この日は模様替え中とて公開していなかったのだ。なんだよう~、遠くから雪の中をわざわざ訪ねたのに、。
で、米沢から新幹線に乗ったら、めずらしく自由席が満員だった。連休最後だからか。
新幹線で満員とは、昨年秋の田んぼの稲刈りの帰りに長岡で乗って以来だ。あのときは稲刈りの重労働に比べりゃ、電車内で立っているだけなのは楽なもんだ、と思って我慢した。
今回はその前に米沢の街歩きで足が棒になっていたので、立ちんぼはいやだ。大勢がデッキや通路でお行儀よく立っている。
それを尻目に、ちょうど便所の隣に公衆電話のアルコーブがあって、そこにヨッコラショと座り込んだ。こちらはまあ、恥ずかしがっている歳ではない。 ビール飲みつつ弁当も食った。
で、初めにちょっとだけ心配したのは、電話をかけに来る人にはジャマだよなあってことである。でも、すぐに思い直したのは、近頃は公衆電話は使わないってことである。現にその後に降りるまでの2時間に誰一人電話をかけに来た人は居なかった。もちろんわたしも公衆電話器には用はない。
というわけで、久しぶりに公衆電話が、それがあるという事実が、役にたったのであった。やっぱり、これはなくしてはいけませんよ、。
でも、わたしが見たかった米沢の超目玉のお宝「上杉屏風 洛中洛外図」は、この日は模様替え中とて公開していなかったのだ。なんだよう~、遠くから雪の中をわざわざ訪ねたのに、。
で、米沢から新幹線に乗ったら、めずらしく自由席が満員だった。連休最後だからか。
新幹線で満員とは、昨年秋の田んぼの稲刈りの帰りに長岡で乗って以来だ。あのときは稲刈りの重労働に比べりゃ、電車内で立っているだけなのは楽なもんだ、と思って我慢した。
今回はその前に米沢の街歩きで足が棒になっていたので、立ちんぼはいやだ。大勢がデッキや通路でお行儀よく立っている。
それを尻目に、ちょうど便所の隣に公衆電話のアルコーブがあって、そこにヨッコラショと座り込んだ。こちらはまあ、恥ずかしがっている歳ではない。 ビール飲みつつ弁当も食った。
で、初めにちょっとだけ心配したのは、電話をかけに来る人にはジャマだよなあってことである。でも、すぐに思い直したのは、近頃は公衆電話は使わないってことである。現にその後に降りるまでの2時間に誰一人電話をかけに来た人は居なかった。もちろんわたしも公衆電話器には用はない。
というわけで、久しぶりに公衆電話が、それがあるという事実が、役にたったのであった。やっぱり、これはなくしてはいけませんよ、。
2009/01/07
081【世相戯評】例の給付金をもらうか
総理大臣にして金持ちの麻生さんが、例の給付金を受け取るかどうかお迷いだそうだ。
初めは、オレは金持ちだから受け取らないって、大見得を切っておられたが、今は景気対策の消費に回すお金としてなら、受給して買い物するほうが国のためになると、周りのお方たちから言われて、ふらふらしていらっしゃるそうだ。
でも、こんなの迷う必要が全然ないぞ、麻生さん、君はだね、受給しなくてよいよ、そのかわりもらたつもりでその10倍のお金を消費に回せばよろしい。
これだと政府財政支出が少しは減るし、消費は刺激されるし、あなたのお好きな高級バーにたびたび通っても、これはねえキミイ、景気回復のためにやむを得ず積極的に消費している未曾有の矜持なんだよ、って言えば、なんの後ろめたいどころか、実に堂々たるものである。
他の取り巻きの方たちもそうしたらよかろう。歳費と給付金と両方受け取るのは、お給料の二重取りのような気がする。
で、わたしはどうするか、そうだなあ、貧乏人だから生活支援として受け取りたいよなあ、買い物しないから消費刺激にはならなんだろうけどね、医院か介護の時のために貯金しておこうっと、元をただせば俺の出した税の一部だしなあ、。
初めは、オレは金持ちだから受け取らないって、大見得を切っておられたが、今は景気対策の消費に回すお金としてなら、受給して買い物するほうが国のためになると、周りのお方たちから言われて、ふらふらしていらっしゃるそうだ。
でも、こんなの迷う必要が全然ないぞ、麻生さん、君はだね、受給しなくてよいよ、そのかわりもらたつもりでその10倍のお金を消費に回せばよろしい。
これだと政府財政支出が少しは減るし、消費は刺激されるし、あなたのお好きな高級バーにたびたび通っても、これはねえキミイ、景気回復のためにやむを得ず積極的に消費している未曾有の矜持なんだよ、って言えば、なんの後ろめたいどころか、実に堂々たるものである。
他の取り巻きの方たちもそうしたらよかろう。歳費と給付金と両方受け取るのは、お給料の二重取りのような気がする。
で、わたしはどうするか、そうだなあ、貧乏人だから生活支援として受け取りたいよなあ、買い物しないから消費刺激にはならなんだろうけどね、医院か介護の時のために貯金しておこうっと、元をただせば俺の出した税の一部だしなあ、。
2009/01/06
080【言葉の酔時記】の記事が消えた
このブログは、書き込み一件ごとにそのテーマを決めて、テーマごとに分類しておくことができるようになっている。
そのテーマというところを、このブログではラベルというので、初めは何のことかわからなかった。 日本人に分かりやすく翻訳しろよ、。
そのラベル分類をいじっていたら、「言葉の酔時記」に分類した何十件もの記事が、知らぬ間に一式、どういうわけか、消えているのだ。
消える操作なら、それをやると一式消えますがよろしいですか、ってな表示が普通は出るのに、このグーグルでは出てこないので、すっと消えてしまった。しょうがないヤツである。
ブログにあるから、この毎月の転記をしなくてもよいかと思っていたが、これではやっぱりやる必要がある。
そこで、ここからコピーしてもとのブログに戻そうかと考えたのだが、ブログは昔の日付で書き込めないことが分かった。できないのである。
「まちもり通信」はブログではない普通のWEBサイトだから、わがPCの中にWEBサイト掲載と同じフォルダーを作ってあるから、どちらかが消えてもバックアップできる。
ところがブログは直接書き込みだから、こちらのPCには何も残っていない。ブログが消えたらお仕舞である。ブログは便利といいながら、実は危ないものであると分かった。
このグーグルが若しつぶれたら、そこのサーバーにある書き込み類は、いっぺんに消えるかもしれない。そういうことは本当にないのか。会社がつぶれなくても、なにかでサーバーが壊れるってことがあるだろう。あまり信用してはいけないな。
あ、そうだ、インターネット銀行はどうなってるのだろう? わたしはお金ないし、インタネット銀行なんて関わらないから平気だけどね。
そのテーマというところを、このブログではラベルというので、初めは何のことかわからなかった。 日本人に分かりやすく翻訳しろよ、。
そのラベル分類をいじっていたら、「言葉の酔時記」に分類した何十件もの記事が、知らぬ間に一式、どういうわけか、消えているのだ。
消える操作なら、それをやると一式消えますがよろしいですか、ってな表示が普通は出るのに、このグーグルでは出てこないので、すっと消えてしまった。しょうがないヤツである。
ブログにあるから、この毎月の転記をしなくてもよいかと思っていたが、これではやっぱりやる必要がある。
そこで、ここからコピーしてもとのブログに戻そうかと考えたのだが、ブログは昔の日付で書き込めないことが分かった。できないのである。
「まちもり通信」はブログではない普通のWEBサイトだから、わがPCの中にWEBサイト掲載と同じフォルダーを作ってあるから、どちらかが消えてもバックアップできる。
ところがブログは直接書き込みだから、こちらのPCには何も残っていない。ブログが消えたらお仕舞である。ブログは便利といいながら、実は危ないものであると分かった。
このグーグルが若しつぶれたら、そこのサーバーにある書き込み類は、いっぺんに消えるかもしれない。そういうことは本当にないのか。会社がつぶれなくても、なにかでサーバーが壊れるってことがあるだろう。あまり信用してはいけないな。
あ、そうだ、インターネット銀行はどうなってるのだろう? わたしはお金ないし、インタネット銀行なんて関わらないから平気だけどね。
2009/01/02
079【世相戯評】箱根駅伝実況放送のTVで無神経きわまるビール屋のCM
だから商業放送は嫌である。
今日、たまたま箱根駅伝競走のテレビ中継の、箱根の山登りあたりから見始めた。
もっとも、見る目的は駅伝競走にあるのではなくて、宮の下にある山崎発電所取水堰(山口文象デザイン)が画面背景に写るのを見ようと思ったのだ。
おお、あれだあれだと取水堰を見ていたのだが、そのうちに駅伝競走が気になってきた。
早稲田大学がトップを行くのだが、次第に山梨学院大学が追い上げてきて、デッドヒートになってきた。抜きつぬかれつ、おお、すごい、どっちもがんばれ、いけいけっ、アッ突然画面が変になった、故障か、、、え、いや、コマーシャルだ、なんだっバッカヤロッ、こんな良いときにコマーシャル入れやがって、どこのドイツだっ、え、野村不動産?、もうあそこの家はゼッタイに買わんぞっ、ア、まだあるのか、こんどはナンだナンだ、早く終われよっ、サッポロビールッ?、もうビールはやめるぞっ、こんな無神経な、購買客の心理も分からない企業のものなんか買うもんか、、。
で、また画面が戻ったら、なんと、デッドヒートはどこへやら、早稲田がズ~ンとリード、山梨はよろよろ、え、一体この間になにがあったのだっ、いいところ消しやがって、、家もビールもやめだっ、、。
さて、こんどは東洋大の1年生がどんどん追い上げてきた。登り坂をものともせずにゴボウ抜き、トップの早稲田に迫る迫る、おお、ついに追いついたぞっ、いやまた早稲田がトップだ、、、、、え、またかい?コマーシャルなの?、いい加減にせ~よ。
画面が戻ると東洋大が早稲田をはるかに追い抜いている、、、、もう、野村とサッポロのバカやろ、めったに見ないテレビを見ていたのに、その楽しみを奪いやがって。
本当にどういう神経なのだろうか。日本テレビのこの番組の制作監督(というのかしら)は、こんなにも著作権を侵害されて平気なんだろうか。スポンサーは神様なのか。
ならばもう一方の神様・消費者としては、少なくともわたしは許さない。
最近は舞台での演劇やコンサートにも、スポンサーが付いていることがほとんどである。
もしも、このスポンサーが、例えばバレーの公演の途中でちょうどクライマックス場面でピタッと演技を止めさせて、そこへコマーシャル出演者が出てきてサッポロビールは美味いっ、なんてやって引っ込む、バレーの続きが再会、、、どうだろう、もう、総スカンになるはずだ。
それがテレビでは許されるのが、なんだかもう、これはかなり低級な代物の感がするのである。
というわけで、明日の復路競争は腹が立って血圧に悪いので見ないことにする。
あ、そうだ、コマーシャルのときだけ駅伝を写す裏番組を、どこかでやってくれえ、。
今日、たまたま箱根駅伝競走のテレビ中継の、箱根の山登りあたりから見始めた。
もっとも、見る目的は駅伝競走にあるのではなくて、宮の下にある山崎発電所取水堰(山口文象デザイン)が画面背景に写るのを見ようと思ったのだ。
おお、あれだあれだと取水堰を見ていたのだが、そのうちに駅伝競走が気になってきた。
早稲田大学がトップを行くのだが、次第に山梨学院大学が追い上げてきて、デッドヒートになってきた。抜きつぬかれつ、おお、すごい、どっちもがんばれ、いけいけっ、アッ突然画面が変になった、故障か、、、え、いや、コマーシャルだ、なんだっバッカヤロッ、こんな良いときにコマーシャル入れやがって、どこのドイツだっ、え、野村不動産?、もうあそこの家はゼッタイに買わんぞっ、ア、まだあるのか、こんどはナンだナンだ、早く終われよっ、サッポロビールッ?、もうビールはやめるぞっ、こんな無神経な、購買客の心理も分からない企業のものなんか買うもんか、、。
で、また画面が戻ったら、なんと、デッドヒートはどこへやら、早稲田がズ~ンとリード、山梨はよろよろ、え、一体この間になにがあったのだっ、いいところ消しやがって、、家もビールもやめだっ、、。
さて、こんどは東洋大の1年生がどんどん追い上げてきた。登り坂をものともせずにゴボウ抜き、トップの早稲田に迫る迫る、おお、ついに追いついたぞっ、いやまた早稲田がトップだ、、、、、え、またかい?コマーシャルなの?、いい加減にせ~よ。
画面が戻ると東洋大が早稲田をはるかに追い抜いている、、、、もう、野村とサッポロのバカやろ、めったに見ないテレビを見ていたのに、その楽しみを奪いやがって。
本当にどういう神経なのだろうか。日本テレビのこの番組の制作監督(というのかしら)は、こんなにも著作権を侵害されて平気なんだろうか。スポンサーは神様なのか。
ならばもう一方の神様・消費者としては、少なくともわたしは許さない。
最近は舞台での演劇やコンサートにも、スポンサーが付いていることがほとんどである。
もしも、このスポンサーが、例えばバレーの公演の途中でちょうどクライマックス場面でピタッと演技を止めさせて、そこへコマーシャル出演者が出てきてサッポロビールは美味いっ、なんてやって引っ込む、バレーの続きが再会、、、どうだろう、もう、総スカンになるはずだ。
それがテレビでは許されるのが、なんだかもう、これはかなり低級な代物の感がするのである。
というわけで、明日の復路競争は腹が立って血圧に悪いので見ないことにする。
あ、そうだ、コマーシャルのときだけ駅伝を写す裏番組を、どこかでやってくれえ、。
078初春ご挨拶
新しい年の明け初めのご挨拶を申し上げます。
おすこやかに初春をお迎えのことと存じます。
今年から考えるところあって年賀状をやめ、寒中見舞状を送ることにしました。
わたしが忘れなければ、そのうちにお手元に届くことでしょう。
今年は干支の丑、わたくしは7回目を迎えて年男です。
よくぞまあ長きにわたって生きてきているものです。
昨年のわたしにとって一番の達成感のあったことは、ひとつは若い方々と一緒に、都市計画の教科書として「初めて学ぶ都市計画」を出版できたことです。
もうひとつは、この3年間、中越震災復興支援のために、長岡市の山村・法末集落に仲間たちが通っており、わたしも真似事で後についていっておりますが、その美しい棚田の一角に住民たちと共同して小屋を建て、その屋根を地域の伝統的な茅葺きとする手伝いをしたことです。
この美しい集落の茅葺屋根は全て鉄板で覆われましたので、これが唯一で最後の眼に見える萱葺き屋根となるでしょう。
今は深い雪の中に眠っていますが春が来たら、その小屋は足湯となって農作業の疲れを癒してくれます。
詳しくはわがウェブサイトの「法末の四季」をご覧ください。
https://sites.google.com/site/hossuey/home/siki-animation
なにやら世の中は騒がしいのは程度の差こそあれいつものこと、老いの進み具合をわが身で測りつつ送る日々は、生物実験観察のごとく、まことに興味深いものです。
徘徊老人として日々のよしなしごとを綴っておりますので、今年も下記サイトをよろしくご愛読くださいませ。
●まちもり通信https://sites.google.com/site/machimorig0/
○まちもりブログhttp://datey.blogspot.com/
●景観文化論https://sites.google.com/site/machimorig0/#keikan
○中山間地論https://sites.google.com/site/machimorig0/#tyusankanti
●東京駅復元反対論https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki
○建築家山口文象論https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo
お風邪など召しませんようにお過ごしください。
2009年元旦
おすこやかに初春をお迎えのことと存じます。
今年から考えるところあって年賀状をやめ、寒中見舞状を送ることにしました。
わたしが忘れなければ、そのうちにお手元に届くことでしょう。
今年は干支の丑、わたくしは7回目を迎えて年男です。
よくぞまあ長きにわたって生きてきているものです。
昨年のわたしにとって一番の達成感のあったことは、ひとつは若い方々と一緒に、都市計画の教科書として「初めて学ぶ都市計画」を出版できたことです。
もうひとつは、この3年間、中越震災復興支援のために、長岡市の山村・法末集落に仲間たちが通っており、わたしも真似事で後についていっておりますが、その美しい棚田の一角に住民たちと共同して小屋を建て、その屋根を地域の伝統的な茅葺きとする手伝いをしたことです。
この美しい集落の茅葺屋根は全て鉄板で覆われましたので、これが唯一で最後の眼に見える萱葺き屋根となるでしょう。
今は深い雪の中に眠っていますが春が来たら、その小屋は足湯となって農作業の疲れを癒してくれます。
詳しくはわがウェブサイトの「法末の四季」をご覧ください。
https://sites.google.com/site/hossuey/home/siki-animation
なにやら世の中は騒がしいのは程度の差こそあれいつものこと、老いの進み具合をわが身で測りつつ送る日々は、生物実験観察のごとく、まことに興味深いものです。
徘徊老人として日々のよしなしごとを綴っておりますので、今年も下記サイトをよろしくご愛読くださいませ。
●まちもり通信https://sites.google.com/site/machimorig0/
○まちもりブログhttp://datey.blogspot.com/
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○中山間地論https://sites.google.com/site/machimorig0/#tyusankanti
●東京駅復元反対論https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki
○建築家山口文象論https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo
お風邪など召しませんようにお過ごしください。
2009年元旦
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